登坂淳一アナ(51)凍結保管した受精卵で年子のパパに「一緒に過ごせる時間は短いかも、だけど」
「人生100年時代」では、キャリアを積んでから結婚、出産を迎えることも珍しくない。元NHKで、フリーアナウンサーの登坂淳一(51)も、アラフィフで父になった。
「人生観が変わりました。子供を育てるまでは、知らなかったことがたくさんありましたし、自分が『こんなふうに思うんだ』という発見もありました。自分の中で、自然と子供への愛情が湧いてくるんです。年を重ねることが、希望ある未来へ向かっているように感じられます」
「2019年に僕が40代後半、妻が30代後半で結婚しました。『子供を持つなら早めがいいね』と、2人で話していました」
「最初に看護師さんが、これからどういうことをやっていくのかを一つひとつ、とても丁寧に説明してくださったんです」
「何度も私を見るので、『なんだろう?』と気になっていたんですが(笑)、最後に『いちばん大切なことは、夫婦で一緒に取り組むことなんですよ』と。夫がどれだけ不妊治療に積極的なのか、理解しているのか、一緒にやろうと思っているのかを確認しながら説明してくれていたんだな、とわかったんです」
「3回の体外受精をしましたが、そのうち2回は流産してしまい、残る1回は着床しませんでした。そのたびに2人で肩を落とし、次へのモチベーションを保てないときもありました。それでも、2人で同じ方向を向いていたから進むことができたと思います」
“夫婦で一緒に取り組む” 決意を、医師がしっかりサポートしてくれた。
「2人で不妊治療をしているとはいえ、やはり妻への負担のほうが大きく、妻は肉体的にも、精神的にもきつかったと思います。結果を出せないときも、担当医の方は原因を考え、次はこうしようと提案してくれました。そのおかげで、『未来に繋がることをやっているよね』という気持ちになれました」
「妊娠が判明しても、流産の経験が頭をよぎり、喜びと不安が入り交じった感覚でした。妊娠7週めくらいで心拍を確認でき、その後は1週ごとに少しずつ不安が小さくなっていって、育まれていく命をとても愛おしく感じました」
「妻の背中をさすってやりながらも、それしかできないことをもどかしく感じました。自分なりにいろいろと調べて、食欲がないときはスポーツドリンクを買ったり、そうめんを作ってあげたり。そのころの妻は、そうめんしか食べられなかったので、今は『つわりを思い出すから食べたくない』と言っています(笑)」
「生まれたばかりの子供を抱いて、2人で新しい命を迎えることができた喜びと、大変なつわりを乗り越え、無事に産んでくれた妻への感謝で、すごく泣けてしまいました」
「パパママ学級などがすべて中止になっていたので、自分で調べて準備していたんですが……。特に沐浴(もくよく)が難しくて、よけいなところに力が入ってしまって、長女が怖がるんです。横で見ていた妻から『あなたは自分の腕しか洗ってない(笑)』と言われながらも、だんだんと慣れてうまくできるようになりました」
「長女の不妊治療のときに、体外受精でできた受精卵が1つ、凍結したまま保管してあるとのことでした。妻と話し合い、長女にとっても、将来 “バディ” となるきょうだいがいたほうがいいのではないかと考え、夫婦の希望で2人めの妊娠に至りました」
「本当に笑いの絶えない日々です。毎日、何度も幸せだと感じます。長女を授かったのは50歳目前で、先のことを考えると、不安に思うこともありました。若くして父親になる人と比べると、一緒にいられる時間は短いかもしれないけど、そのぶん中身を濃くしたいと思っています」
「2人の娘の成長を見守るために、健康維持のトレーニングを欠かさない」という登坂。ブログ「白髪のパパ」で垣間見ることができる登坂の父親としての顔は、驚くほど若々しい。
取材&文/吉澤恵理(医療ジャーナリスト)
とさかじゅんいち
1971年生まれ 1997年にNHK入局。「麿(まろ)」の愛称で人気となり、2018年、フリーに。2022年、『スパイめし』(チャンネルNECO)でドラマ初主演。現在、『週刊 プライムオンラインS』(BSフジ)などに出演