9月12日深夜、歌手で俳優の滝沢秀明が、年内いっぱいでの芸能活動引退をマスコミへの一斉FAXで表明した。今後は所属事務所社長・ジャニー喜多川氏の意思を継ぎ、ジャニーズJr.の育成や舞台、コンサートなどをプロデュースしていくことを発表。事実上の「後継者」になった。
さらに、事務所同期の今井翼との音楽ユニット「タッキー&翼」についても、CDデビューから16年を迎えた9月10日に解散したことを発表。活動休止期間中に、2人の将来を考えた末の結論という。
滝沢がジャニーズ事務所に入ったのは1995年4月、中学2年の春のこと。小学校時代からすでにカリスマ的な美少年として、近所で評判だった。地元八王子の同級生A氏がこう話す。
「中学1年生のときに同じクラスになったのが出会いで、次の年には、ドラマ『木曜の怪談』に出演してブレイクしました。当時はテレビで『ジャニーズJr.』の冠番組があって、世間的にはすごい人気でしたね。
仕事が入って学校もあまり来なくなってしまいましたが、会うと全然変わらなかった。卒業して高校に入ってからも、しばらくは年賀状を送ってきてくれました。
もうスターになっていた時期ですが、『Aちゃん、また遊びに行こうね』って」
実家の近隣住民はこう語る。
「秀明くんがジャニーズに入った、と聞いても誰も驚きませんでした(笑)。本人も、自慢してまわるような子じゃなかったし、みんなもそこまで騒がなかった。
家族仲もよくて、親思いのいい子ですよ。近所でいちばん話題になったのは、10年前ぐらい前、20代前半でお母さんに豪邸を買ってあげた、と聞いたときですね」
中学にはあまり通えなかったが、出席できたときは、学校生活を謳歌していたようだ。
「クラスのメインで騒ぐタイプではなかったですね。友達は多かったように思います。バンド活動が盛んな学年で、バンドにこそ参加しませんでしたが、音楽好きの仲間と一緒にいたイメージです。
背伸びして悪ぶって教師に反発する同級生が多いなか、彼は顔を見ればきちんと挨拶してくる。でも、教師に媚びてくるタイプではありません。
卒業式に『ありがとうございました!』とウソのない感じで言いに来てくれたのを覚えています」(出身中学の教師)
大人には好青年キャラで通っていたが、一方でこんな証言も。
「不良チームにくっついていた印象があります。一緒に悪さしたわけではないですが、ヤンキーがモテる町ですから、女子の目を意識していたんじゃないかと(笑)。
学校のみんなも『陰ながら応援してる』というスタンスで、彼が来てもあまり騒がなかった。1個下に俳優の塚本高史がいるんですが、アイツがデビューしたあと学校に来たときのほうが騒ぎになっていましたよ」(同級生B氏)
小さな町がみんなで応援していた一人のスターが、その活動に幕を閉じる。次なるスターは、きっと滝沢が育ててくれることだろう。
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