「27歳のころ、独立を考えました。一生、広告代理店の下請けで終わるのは嫌だと思ったんです。そこで、世界中の絵画、美術本を所蔵する図書館に、毎日のように通いました。
「マンガの技法とは、面に筆をのせるのではなくて、線で表現することです。色は、濁色・淡い色を使わない。青い空、白い雲、赤い車など、はっきりとした色を入れる。マンガは、そういう描き方ですね。
「カナダ、サンフランシスコ、ロサンゼルス。現地の風景を写真に収めて、版画にしました。コカ・コーラの看板とかを見ると、震えるほど嬉しかったですね。
「すると、グラフィックデザイナーとして有名な亀倉雄策さんから、仕事の依頼があったんです。大手企業のテレビCM、ポスターなどに起用されて、まさに、とんとん拍子。当たるとは思っていましたが、亀倉さんと一緒に仕事ができるとは……」
「いまはパソコンで色をつけるけど、当時は、パントーンというフィルムの裏に糊(のり)がついているものを貼っていたんです。貼り絵ですね。とくに、カセット・インデックスの人気がすごかった。隔週刊でしたが、量は相当こなしました」
「当時、東銀座にうちの事務所があって、そこに達郎さんが来てくれたんです。僕は最初、顔を見てもわからなかった(笑)。CMソングを歌っている人というのは知っていたけど、同じ人だとは思わなかったんです。
『FOR YOU』のジャケットは、いつか描いてみたいと思っていた風景でした。建物は、電器店のイメージで、3日ほどで完成しました。この仕事は嬉しかったですね。40年のキャリアのなかでも、ステップアップのきっかけになりました」
「『ずっと描いていてよかったな』と思うことはありますが、人生は成り行き。40年やってこられたのは、人と同じことをやらないというスタンスを貫いたからです。そうすると、まわりから反発を受けることもありますが、言葉にしなければいい。不言実行です。黙ってやればいいんです」
鈴木英人
【Theme(1)SEA】
「逗子の海を見て、『いいな』と思って描いたのがきっかけです」(鈴木、以下同)
●『此処より永遠に』(2019)
「国道134号線の逗子の海と、僕の愛車の『ポルシェ356スピードスター』です。この車なら、その場になくても描けます。ポルシェは、一時期12台持っていました」
●『いつか海に帰る』(2016)
「ハワイのオアフ島。住宅街が岸壁にあって、そこから見下ろした真横に波がきてる風景。サーファーは、こんな大きな波に乗るんです。サーフィン? 僕はしません。見るのが好きです」
【Theme(2)Car】
「アメリカの景色の特徴って、車と看板。だから、風景の中にアメ車があることはあるけど、それは風景として描いたんです」
●『ブリッカーストリート グロッサリー』(2000)
「ニューヨークの文房具屋か食料品店ですね。僕のふだんの色使いとは違うけど、人気があります。『こんなのを描くんだ』と驚かれました」
【Theme(3)Signboard】
「看板には、その国の文化があります。規制が厳しいから、ヨーロッパには、あまり看板がない。その点、アメリカは下町へ行くと看板がたくさんある。それが、おしゃれなんですね」
●『ショア クラブ』(1993)
「フロリダにあるショアクラブ。ほぼ、そのままの風景です。隣にはホテルがあって、いつもここを通って取材に出かけていた、思い出の場所」
【Theme(4)Music】
「表紙と一緒に、付録のカセット・インデックスの絵も手がけて、けっこうな量をこなしました。でも僕の技法では、描こうと思ったら、すぐに描けたんですよ」
●『ミュージックブリーズ』(1986)
「雑誌『FM STATION』の表紙になったもの。音楽に関係するものを描いてくれ、と言われて。ギターは、学生のころに少し弾いていました」
●『FOR YOU』山下達郎(1982)
すずきえいじん
1948年7月6日生まれ 福岡県出身 1971年ごろより広告デザインを手がけ、デザイナー、アートディレクターを経て、1980年にイラストレーターとしてデビュー。『FM STATION』『野性時代』『ポパイ』などの雑誌カバーイラストレーション、大手企業の広告キャンペーン、商品パッケージなどを担当
※「鈴木英人の世界展」が、2020年9月30日から10月5日まで大丸福岡天神店にて、10月20日から25日まで仙台三越にて、12月16日から30日までそごう横浜店にて開催。
※本文中一部敬称略
(週刊FLASH 2020年9月29日・10月6日号)