「具志堅さんは『ちょっちゅね~』じゃなくて『そうですね~』って言ってたんです。それを僕が沖縄なまりで『ちょうですね~』にして『ちょっちゅね~』となったんです。そこからさらに『ちょっ……ちゅね~』とためるようになって(笑)」
「当時、TBSの廊下でガッツ(石松)さんに会ったとき、ヘッドロックされて『鶴ちゃん、具志堅が “俺、ちょっちゅね~なんて言ってない” って怒ってたぞ』と言われて。それでガッツさんに『別にバカにしてるわけじゃなくて、僕は具志堅さんが大好きで尊敬してるんです。だからガッツさんから言っといてもらえますか』って頼んだら『わかった。わかった』って。でも、頼んだのに言ってくれてないんですよ」
「僕がボクシングを始めて協栄ジム(具志堅さんが所属していたジム)で練習してたんですよ。そしたらそのジムで具志堅さんと会ったんです。そのとき具志堅さんは引退してましたが、まだバラエティ番組には出てなくて、試合の解説ぐらいしかやってなかったんです。
「具志堅さんが太田プロに入って、すぐに2人で温泉に行く旅番組が決まったんです。そのときも僕はまだ怖くて、『どうしよう』と思ってたんですが、ロケ当日、具志堅さんは僕に会うなり(ものまねで)『具志堅です! 先輩! お願いします。どうも!』って(笑)。事務所だと僕が先輩になるので『先輩! お願いします!』と言ってきて。切り替えが早かったですね。それでもまだ本人の前では『ちょっちゅね』は言えませんでしたが(笑)」
「アドレス交換したとき、具志堅さんのアドレスを見たらローマ字で『ちょっちゅね』ってあって(笑)。それで『いや、チャンピオン! 『ちょっちゅね』使ってくれてるじゃないですか」って言ったら、具志堅さんが『もう、ちょっちゅねのおかげですよ』って言ってくれて。そこから本人の前でも言えるようになりました。だから、言えるまで長い時間かかってるんですよ」
「僕のモノマネは、似せるより、どう面白く笑わせるかという方向でした。『ちょっちゅね~』もそうですが、近藤真彦さんだったら『マッチで~す!』、村西監督なら『ナイスですね~』とか、モノマネのキャッチコピーを生み出すようにしていました」
インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。