安倍夫妻の結婚式の二次会で配られたパンフより
「森友疑惑の根源が、安倍首相夫妻にあるのは間違いないでしょう。だから、昭恵さんも出るところに出て説明すべきです。聞くところによると、首相は昭恵さんの所在を完全に把握していないとも。これではもはや、夫婦の体をなしているとはいえません」
こう言って苦笑いするのは、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏だ。安倍家の地盤・山口の地元記者として、長年親交を結んできた。30年前、安倍晋三首相(63)と昭恵夫人(55)を引き合わせた、“恩人” だ。その濱岡氏が、夫妻の言動に匙を投げてしまっている。
だがどんなに批判されても、安倍首相は妻を庇い続ける。それはなぜなのか。2人の結婚生活を辿った。
森永製菓の創業家一族に生まれた昭恵氏が、首相と出会ったのは1984年。聖心女子専門学校を卒業し、大手広告代理店・電通に入社していた。山口県の古参支援者が述懐する。
「当時、晋三さんは父・安倍晋太郎元外相の秘書でした。2人を引き合わせる食事会に、昭恵さんは50分も遅れて来たそうです。2人は、ある会合で顔を合わせたことがあった。安倍さんは、『昭恵さんは私のマドンナなんです』と言って、待ち続けたといいます」
馴れ初めから夫は、妻に振り回されていた。天真爛漫な性格は当時から変わらない。電通の元同僚はこう明かす。
「当時から呼び名はアッキー。背が高くて、華やかだから社内の人気者でした。でも、気がつくと席にいないことも多く、お茶くみのひとつも頼めない(笑)。
安倍首相との結婚については、(お見合いで)オジサンを紹介されたの。政治家の家とか堅苦しそうだから嫌だけど、先方が乗り気だから仕方ない』とこぼしていました」
1987年、2人は夫婦になる。結婚から6年後に首相は初当選、2006年に首相になった。2人のおしどり夫婦ぶりを、支援者もほほえましく見ていた。
「東京育ちで人見知り、山口弁も話せず、下戸の晋三さんを、地元の酒席で手招きして会話の輪に入れるのは、いつも昭恵さんでした。泥酔した昭恵さんを晋三さんがおんぶして帰るときもありましたね」(地元企業幹部)
夫の地元に溶け込んだ昭恵氏に、首相は恩義を感じていた。だが、「ご夫婦には子供がおらず、首相は昭恵さんに気苦労をかけたと思っているのです」(後援会関係者)という。
夫妻には、安倍家を半世紀以上取り仕切ってきた、母・洋子さんの影が常に差していた。
「洋子さんは、夫がなれなかった首相になった晋三さんがかわいくて仕方がない。昭和の政治家の嫁らしく、表に出るような人でないから、昭恵さんの軽率な言動が我慢ならない」(ベテラン秘書)
本誌は2017年6月6日発売号で、産業用大麻の推進を主張するスピリチュアルカウンセラーと昭恵氏との交友を報じた。これが安倍家で問題となった。
「6月11日、首相の私邸に一族が集まり、家族会議が開かれた。皆が “そんな人とは縁を切れ” “できないなら安倍家を出ていけ” と迫ると、『しない!』と叫び、外に飛び出していったことがあった」(官邸担当記者)
家族からは愛想を尽かされている。そんな昭恵氏を勇気づけていたのは、あるファーストレディの言葉だった。
「ファーストレディになって間もないころ、ブッシュ米大統領の妻・ローラ夫人に『首相夫人として何をしたらいいのかわからない』と打ち明けたことがあったそうです。
するとローラ夫人からは、『やりたいことをやればいいのよ』と助言された。昭恵氏は、『気持ちが楽になった』と吹っ切れた様子でした」(安倍家に詳しいジャーナリスト)
吹っ切れて動き回った結果、籠池夫妻が逮捕、財務省内の文書が改竄され、自殺者まで出てしまう。
「本人は、夫の役に立ちたくて、よかれと思ってやっているんです。首相も周囲に、『愛してるんだから仕方ないじゃないか』とこぼしていました。夫婦仲は、まだいいですよ」(同前)
昭恵氏は、夫にこう打ち明けていた。
「昭恵さんは昨年、『国会でも記者会見でもどこへでも行く。自分の口から説明したい』と安倍首相に話していましたが、許してくれないと嘆いていました」(昭恵氏と親しいNPO法人幹部)
証人喚問は首相の決断のひとつだ。
(週刊FLASH 2018年4月10日号)