「それまで『鮫肌男と桃尻女』(1999年)などに出演していたので、映画好きにはまあまあ顔が知られていたと思うんです。だけどコンビニに行くだけで周囲から見られ、『あの人じゃない?』『うそ、違うよ』みたいなヒソヒソ声まで聞こえ、さらには皆さんが僕の後ろをついてくる。そんな経験はなかったですから、テレビドラマの影響力には本当に驚きました」
「店が半地下にあるから電車の車輪と目線が同じ位置になるんです。撮り鉄の皆さんには絶好のカメラポイントなんだろうなあ。世田谷線って、ゲージ(レールの幅)が新幹線並みに広いんですよ」
20代後半。照明助手をしながら役者を目指していた田中要次
■ミュージックビデオ出演で鉄道員から俳優へ
「外遊びをするよりプラモデルを作ることが好きな子供でした。小学2年生のときに入院して、兄がお見舞いにプラモを買ってきてくれました。初めてのプラモだったから夢中になり、誕生日にはフェアレディZの12分の1サイズを買ってもらった思い出があります。ちなみにテレビ東京のドラマ『量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-』(6月30日スタート)ではプラモデル店の店主役で出ています」
「小学校ではオールナイトニッポン風の放送にして、中学校では電波を飛ばしてもいないのにコールサインを作ったり、放送室の窓枠を外して『リクエストボックス』を設置したりしました。先生からは『学校放送に革命を起こした』とほめられましたけど、さすがに『帰って来たヨッパライ』のレコードをかけたら怒られました(笑)」
「映画なのに演劇的で、明らかに一般映画と違っていました。それからはあらゆる山川作品を観ました。
「もし大きな事故だったら、自分の人生は終わっていたでしょうね。何をやっていても失敗はします。だったら自分で選んだことをやろうと思い、JRに退職を申し出ました。周囲は事故を思い悩んだと勘違いしたようですが、僕自身は前向きな退職でした。母にJRを辞めて東京へ行くと言ったら、激怒されて食器を投げつけられました(笑)」
「体型が似ているという理由で、竹中さんの代わりにカメラテストを受けたんです。それを観ていた竹中さんが『こいつ、おもしろい顔をしてるな。どこかのシーンで出てくれないかな』と言ってくださったんです。それでエキストラ出演しました。エンドロールに名前は出ませんでしたが」
「さすがに落ち込みましたね。落ち込んだんですけど、仕事先の先輩から『お前はもう来るな』って言われたことを『そうか、先輩は役者一本でやれと言ってくれているのか』と思い込み、そこを辞めました」
「自分から希望したのではなく『ホルンをお願いします』みたいな成り行きでした。
「記憶する教科が好きではなかった僕が、台詞を覚えて失敗なく演じなくてはならない仕事を選んでしまったんですよね。今でも本音は『画面やスクリーンに映って作品には存在したいけど、あまりしゃべりはしたくない』。そういった意味では、『HERO』ではハマり役だったのかもしれません(笑)」
たなかようじ
1963年8月8日生まれ 長野県出身 佐木伸誘のMV『SEEK AND FIND』(1990年)に起用され俳優デビュー。近年の出演作はドラマ『アバランチ』(2021年、関西テレビ・フジテレビ)、『量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-』(6月30日より放送、テレビ東京系)、映画『ハウ』(8月19日公開)、『大事なことほど小声でささやく』(2022年秋公開)
【海鮮居酒屋 爺】
住所/東京都世田谷区松原3-13-9
営業時間/火曜~土曜17:00~22:00(L.O.21:00)、日曜17:00~21:00(L.O.20:00)
定休日/月曜、不定期で日曜
写真・福田ヨシツグ