「子役からやってる人って、常に見られてる感覚があると思うんです。“ふつう” に憧れていましたね」
「小学6年のときの年間出席日数は、20日でした。とにかく忙しくて、仕事をやめたくてしょうがなかったです」
「毎週の収録後、僕だけ呼び出されて、さんまさんから『裕太、あのタイミングはあかん』とか、ダメ出しされていたんです。『お笑い芸人を目指してるわけじゃないのに……』と当初は内心、反発していました。
「いつも誰かに見られている気がしていました。アイドルのような立ち位置になっていて、女のコにワーキャー言われるのが、本当に嫌でした」
「朝ドラに出ると、70歳くらいのお婆さんから『舷ちゃん、舷ちゃん』ってワーキャー言われるんです(笑)。『この仕事、すげえかも』と思いました」
「外部の声を気にする暇なんてありませんでした。話がきてから本番まで、11日しかなかったんです。2日間で台本をしっかり読み込んで、1日で歌と踊りを覚えて……。時間だけが目まぐるしく過ぎていきました」
「1200人が総立ちで、ブワーッと拍手をしていたんです。『何これ? すごい!』って。『ちゃんと努力をすれば、こういうことがあるんだ』ということを目のあたりにしました」
「『自分の生きていく場所はここだな』と思い、これから勉強すべきこともはっきりしました」
「自分ならどう演じるか、自分にオファーがくるのはどの作品だろうって考えながら、常に準備するようになりましたね。特に20代半ばからの6~7年は、ひたすらそんな日々でした」
「年が近い彼らが上がっていって、自分の仕事は減っていきました。僕は、芸能界をやめたかったときに、いちばん仕事があったんです。いまだに、12歳のときの年収を超えられていませんし(笑)。
「ドラマも映画も、ミュージカルも舞台もやった。アイドルっぽくキャーキャー言われたこともあった。自分がやったことがないのはなんだろうと考えたときに、『ひとり芝居だ!』って思ったんです。僕は役者という仕事に人生すべてを注いでいます。その集大成をお見せしたいです」
「僕は、20代前半に、バンドとか好きなことをやりまくる “遅れてきた反抗期” があって(笑)。おふたりが見守っていてくれました。僕は17歳で実家を出たので、“育ての親” のような感じですね」
「いまも親友のISSA(DAPUMP)に連れてきてもらいました。彼は、あまり芸能人芸能人していないから、気づかれようがおかまいなし。僕もそれが楽しくて、多いときは、週4で来てましたね」
「ここなら、入口がよく見えるじゃないですか。知ってる顔が入ってきたら、『○○ちゃ~ん!』と手を振るんですよ(笑)」
やまざきゆうた
1981年3月8日、秋田県生まれ 東京育ち 3歳でモデルとして芸能界デビュー。『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)、映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995年、岩井俊二監督)などに出演。子役として人気を集める。劇団☆新感線の『大江戸ロケット』(2001年、中島かずき作、いのうえひでのり演出)など、舞台でも活躍。3月8日まで、ひとり芝居『赤ずきんちゃんのオオカミ』(春陽漁介作・演出)が、ウッディシアター中目黒(東京)で上演予定
【SHOP DATA/陣太鼓】
・住所/東京都世田谷区北沢2-7-6 テクノプラザ下北沢2F
・営業時間/17:00~25:00(LO23:45)
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(週刊FLASH 2020年3月10日号)