’60年代後半のある日、メアリー・オースティンは自分が働くブティックに入ってきた男、フレディー・マーキュリーを見て、ひと目でこのミュージシャンに惹きつけられた。
「彼は今まで会ったことのあるどんな人とも似ていませんでした」
2013年のインタビューでメアリーはフレディの鮮烈な印象について語っている。「彼は自信に満ちあふれていました。一方、私はずっと自分に自信が持てませんでした。私達は一緒に成長したのです」
内気な恋愛に始まり、婚約、破局を経験し、最後は深い愛へと導かれた2人。フレディはメアリーのことを「ソウルメイト」と呼び、楽曲「ラブ・オブ・マイ・ライフ」を彼女に捧げた。固い絆で結ばれた2人の関係は、フレディがゲイであることをカミングアウトし、男性と付き合っていることを彼女に打ち明けた後も続いた。1991年にフレディがHIV感染合併症による肺炎で亡くなったとき、彼はメアリーに広大なロンドンの邸宅と彼の遺産の大部分を残した。
フレディが「生涯の恋人」と讃え、絶大な信頼を寄せた女性メアリー・オースティンとは一体どんな女性なのだろうか。
労働者階級に生まれ育つ
今日ではフレディが遺した広大な邸宅に暮らすメアリーだが、彼女は恵まれない生い立ちの人物だ。メアリーはロンドン南部のバタシー地区で、耳の不自由な両親のもとに生まれた。彼女の父親は壁紙職人で、母はメイドとして働いていた。フレディの近しい友人で、2013年にタブロイド紙デイリー・メールの記事でメアリーに取材した音楽ジャーナリスト、デヴィッド・ウィグによると、彼女の家族は手話と読口術でコミュニケーションしていたという。
フレディとの出会いは伝説のブティック「ビバ」
メアリーとフレディは、彼女がロンドンにあるスター御用達のブティック「ビバ」で店員として働いているときに知り合った。
フレディは当時24歳で、クイーンのドラマー、ロジャー・テイラーと共にケンジントン市場のそばで古着を売る屋台をやっていた。彼らは商っていたのは古いエドワード朝時代の服やスカーフなどで、テイラーが雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に語ったところによると、それらの衣類は「さまざまな悪徳業者」から仕入れたものだったという。
フレディからのプロポーズを受けて婚約
メアリーとフレディは恋愛関係に発展し、4年の交際を経て婚約。プロポーズはフレディからだった。
「彼はクリスマスの日に大きな箱をくれました。その箱の中には別の箱が入っていて、また別の、という風に続いていました。それはまるで、いつもの彼がしている楽しい遊びみたいだと思いました。けれど最後の小さな箱に行き着くと、そこには素敵な翡翠の指輪が入っていたのです」とメアリー。「私はそれを見てびっくりしました。そのときは『何が起きているのかしら』と思いました。全く予想もしないことだったので、私は彼に『どちらの手につけたらいいの?』と尋ねました。すると彼は『薬指につけて。左手の』と言いました。そして彼はこう続けたのです。『僕と結婚してくれますか?』。私はびっくりしました。だって全然期待していないことでしたから。だから、私は小声で『はい、喜んで』と答えるのが精一杯でした」
果たされることのなかった2人の結婚
しかし、その婚約は長くは続かなかった。「それからしばらくして、私は小さな店で素敵なアンティークのウェディングドレスを見つけました。フレディーが結婚について以来何も言ってこなかったので、確かめる唯一の方法として『このドレスを買うタイミングかしら?』と尋ねてみました。しかし、彼の返事はノーでした。彼にはその気がなくなってしまい、以降もその気になることはありませんでした」
「がっかりしました」と彼女は当時の心境を打ち明けている。「それはかなわないことだ、という感覚はありました。関係は複雑になり、私達の間の雰囲気はずいぶんと変化しました。私には予感がありましたが、それが何なのかは、はっきりとは分からなかったのです」
フレディのカミングアウトを受け入れて
しかし、フレディが自身のセクシャリティについて明らかにしたとき、彼女はその予感が何なのかを知ることになる。
「その時のことは決して忘れません」と彼女。「うぶだった私は真実を理解するまで時間がかかりました。彼は自分がバイセクシャルであることをついに私に打ち明けることができてほっとしていました。でも、私は彼にこう言ったのです。『いいえ、フレディー。あなたはバイセクシャルじゃないと思うわ。あなたはゲイだと思う』」
破局後も最も近しい友人としてフレディを支える
恋愛関係を解消したあとも、2人の絆は固いままだった。フレディはメアリーのためにアパートを購入し、自分の近くに住まわせた。
1985年のインタビューでもフレディは自分がメアリーに絶大な信頼を寄せていることを明らかにしている。「僕には本当の友達はいないんだ。だれもが君の友達だ、と言ってくるけど(彼らのことは信用していない)」「僕が頼りにしている人はそんなに多くない……ただ一人いるとしたら……それはメアリーだ。彼女は長い間僕の恋人だった人で、今は付き合っていないけど、彼女は唯一僕が頼れる友人だ」
2012年のインタビューでフレディの母、ジャー・バルサラは2人が「結婚して子供のいる普通の生活」を送ってほしいと願っていたことを打ち明けた。「でも、別れたあとも彼女は私の息子を愛し続けてくれましたし、彼らは最後まで友達でした」
2000年のドキュメンタリー番組「Freddie Mercury: The Untold Story」でインタビューに応じた2人の友人である写真家のミック・ロックも「彼女は彼の人生における最愛の人と言って良いでしょう」と語る。
別の人との恋愛も死も、2人の仲を分かつことはなかった
1980年代に入ってからフレディはアイルランドのカーロウ州から出てきた美容師のジム・ハットン(映画『ボヘミアン・ラプソディ』ではアーロン・マカスカーが演じた)とロンドンのゲイクラブで知り合い、亡くなるまでの7年間を彼と恋人として過ごした。
一方のメアリーも結婚(のちに離婚)し、リチャードとジェイミーという2人の息子をもうけた。
フレディの死についてメアリーは2000年、セレブリティ・ライフスタイル誌『OK!』で以下のように語っている。
「私は自分の永遠の愛だと思っていた人を失いました。彼が亡くなったとき、私は彼と結婚していたんだと感じました。良い時も悪い時も、富める時も貧しい時も、そして健やかなる時も病める時も私達は誓いを守ってきました。彼の命がある限り、フレディと別れることは決してできませんでしたし、彼が亡くなった後もそれは難しいことでした」
メアリーは“遺灰は誰にも知られない場所に散灰してほしい”という彼の願いも聞き届けた。その場所については、彼女は今も口を固く閉ざしている。
「彼の生前、私は一度もフレディを裏切ったことはありません」と彼女。「そしてこれからも決して」
映画『ボヘミアン・ラプソディ』との関わりについて
映画『ボヘミアン・ラプソディ』ではフレディ(ラミ・マレック)とメアリー(ルーシー・ボイントン)の関係が記念的に描かれている。メアリーは脚本にはOKを出したと言われているが、同作とは距離を置いている。
映画でフレディを演じたマレックは「彼女とフレディーの関係はとても私的なものだった」と雑誌『ヴァニティ・フェア』のインタビューで説明する。
「彼女の心の中にいるフレディは、そして彼女のその愛は、彼のためだけのものだと思う。どんな方法であれ、そのイメージが侵されることについて彼女が望んでいるとは思わない」
また、メアリー役を演じたボイントンは『ボヘミアン・ラプソディ』の舞台裏インタビューで、彼女の役を演じたいと思った理由について以下のように語っている。「一番の魅力はメアリーとフレディーの関係性よ。2人の関係は彼が死ぬまで続いたの」
Translation :Naoko Ogata