高校生のとき、性教育の授業で「性別は男女の二項対立ではなく、一人ひとりグラデーションがある」と言われたことがずっと頭に残っている。なるほどたしかに、身体が女でも内面はまるで男のような友人もいるし、自分だって服や化粧ははいわゆる“女の子らしい”のが好きだが中身までそれに寄せたいとは思わない。だから「セクシャルマイノリティ」と言われる人たちは別に特別でもなんでもないのだと、すとんと腑に落ちたのだ。
そもそも世界中に何十億人もいる人間を「男」か「女」というたった2種類の枠に押し込もうとするのが無理な話なのだ。そして最近、筆者がその考えをさらに強めるきっかけとなった一冊が『男装女子と女装男子が結婚しました。』(やまだあがる/KADOKAWA)だ。
著者であるあがるさんは女性として生まれたものの、小学生のころから女の子らしい格好をすることに違和感があった。大人になってからは男装をして過ごし「オナベホスト」として働いた経験もある。病院ではトランスジェンダーだと診断されたが、性転換手術を受けることには抵抗があり、かつ「女性として子どもを育ててみたい」という願望もあったのだという。
「トランスジェンダー」「男装」「手術なし」「母親になりたい」……と要素だけをあげつらってしまうと、一見複雑に見えるあがるさんのセクシャリティ。しかし、これこそがまさに「性別のグラデーション」なのだと思う。大切なのは自分に1番しっくりくる生き方は何かということなのだ。
そしてあがるさんはいま「人妻」でもある。3年前、女装男子のアンズさんと結婚したからだ。
アンズさんは小学生のときから自宅で密かに女装を楽しんでいたという。そして30歳のころから本格的な女装男子となり、働いているガテン系の職場にもウィッグ&化粧で通勤している。アンズさんも性転換手術は行っていないため、ふたりは「男装した女性」と「女装した男性」として結婚したのだ。
パズルのピースがぴったりはまるように、お互いのありのままを受け入れて生活しているあがるさんとアンズさん。マンガのなかで描かれている日々は、いつも思いやりに満ちていて、読むと心があたたかくなる。アンズさんがケンカをするといきなり男を出してきたり、あがるさんが「一応主婦だから」と苦手な家事を頑張ったり。そんな日常はとてもほほえましい。家族や周囲の人たちからも、偏見や好奇の眼差しを向けられる描写もなく「優しい世界だ……!」とほのぼのとした気持ちになった。
ふたりの生活を垣間見て、本当に思い合っている同士には、男とか女とか、男装とか女装とか、性別やらセクシャリティやらは、別段問題になるものでもないんだなとしみじみと感じた。
文=近藤世菜
『男装女子と女装男子が結婚しました。』(やまだあがる/KADOKAWA)