「中国や韓国から輸入したアサリが、熊本産に偽装され売られている」
愛知県の漁師の一言から始まった取材は、食品表示に対する消費者の信頼を揺るがす社会問題に発展しました。
アサリの原産地表示のルールが厳格化されるなど、国を動かした一連の報道活動を通して見えてきた、大規模な産地偽装問題の裏側とは。
これは、CBCテレビ(中京広域圏を対象地域とする放送局)の2人の記者が挑んだ調査報道の記録です。
漁師から聞いた産地偽装の噂
私(吉田駿平)がその噂を耳にしたのは2017年、愛知県の南東部にある豊橋支社の駐在記者をしていた時でした。
知多半島と渥美半島に囲まれた三河湾は、全国でも有数の天然アサリの漁場です。温暖化などにより国内でアサリの漁獲量が激減する中、貴重な資源を守るために奔走する漁師たちに密着取材を行いました。
肉厚で旨味の詰まった三河アサリを漁師たちにふるまってもらい、こんなにおいしいアサリがあるのだと感動していると、衝撃的な言葉を聞かされました。
「中国や韓国から輸入したアサリが熊本産と偽装されて売られている。スーパーや消費者は安い熊本産を選ぶので愛知産はなかなか買い手がつかない」
スーパーや市場を回ってみると、たしかに漁獲量が少ないはずの熊本産アサリが安く、大量に流通していました。一方、毎年多く輸入されている中国・韓国産はまったく見当たりませんでした。
産地偽装が事実だとしたら、食の信頼を揺るがす大問題に違いない。
真面目に取り組む漁業者が割を食い、消費者がだまされ続ける状況を記者として見過ごすことはできないという思いから、取材を始めました。
産地が“化ける”瞬間
取材が大きく進展したのは2年後の19年、関係者から重要な証言を得ることができました。輸入アサリを日本の干潟に放つ「蓄養」と呼ばれる行為が、産地偽装に深く関係しているという情報でした。
早速、蓄養場があるという熊本県へ飛び、カメラマンとともに張り込みを続けると、驚きの光景を目の当たりにしました。
深夜、中国のアサリを積んだ巨大なコンテナが現れました。アサリの入った麻袋を干潟に運んで並べると、次々と撒いていったのです。大量のアサリを撒いては、機械を使って回収、出荷する行為は干潟が現れる干潮のたびに繰り返されました。
蓄養を行う熊本県の業者は、匿名を条件にカメラの前でこう打ち明けました。
「中国から輸入したアサリを浜に撒いて、熊本産として出荷する」
「産地偽装をしないとアサリが売れない。普通にやっているのはバカらしい」
食品表示のルールでは、水産物を2か所以上で育てた場合、成育期間が最も長い場所が「産地」になります。
業者たちはこのルールにのっとり、アサリを輸入元での期間より長く熊本で蓄養したと主張していましたが、取材の結果、実態は干潟に撒いて1週間程度で回収する「仮置き」だと分かりました。
19年6月にCBCテレビの夕方ニュース番組「チャント!」で、熊本産アサリの産地偽装について特集しました。放送エリアは愛知・岐阜・三重の東海三県のみ。
行政が対策に乗り出すことはなく、スーパーには変わらず、熊本産と表示されたアサリが大量に並び続けました。
異動後に得た当事者の告発
全国ニュースで展開するには、より多くの業者の証言を集め、産地偽装の規模や手口について深く掘り下げなければなりません。
しかし、関係者の口は一様に堅く、核心を突いた証言を得られないまま、時が流れていきました。
そして21年7月、私は営業部に異動し、記者職を離れることになりました。
これまでの取材を通して、全国に流通する熊本産アサリのほとんどが偽装されたものだという確信はありました。
ここで諦めたらこの問題は永遠に闇に埋もれてしまうかもしれない。異動後もプライベートな時間を使って関係者と連絡を取り合い、1人の人物にたどり着きました。
福岡県柳川市の水産加工会社「善明」の吉川昌秀社長。19年に私たちが撮影した熊本の干潟で大規模な蓄養を行っていた張本人でした。
吉川社長は産地偽装に手を染めた過去を反省し、中国産アサリを正しく流通させるための取り組みを始めていました。
取材交渉を重ねた結果、長年続いてきた悪習を断ち切り、業界全体を変えたいとの思いから実名・顔出しでの告発を決心してくれました。
後任の吉田翔記者とともに福岡県に向かい、産地偽装の手口や、偽装が“常識”となっているアサリ業界の実態などをカメラの前で証言してもらうことができました。
「罪の意識はもちろんあったんですけど、業界に入った時点(2007年頃)からすでにこの状況でしたので、その感覚はかなり鈍くなっていたと思います」
「産地偽装しないということはこの業界の誰にも相手にしてもらえない。誰も買ってくれなければ意味がないので」
22年1月にTBSテレビ「報道特集」で全国放送すると、私たちの想像を超える反響が巻き起こりました。報道から10日後、熊本県は偽装品をあぶり出すため県産アサリの出荷停止に踏み切りました。
同日、農水省は全国のスーパーに並ぶ熊本産アサリの実に97%に外国産が混入している可能性があると発表。岸田首相もこの問題に言及しました。
「関係機関で連携し、食品表示法に基づき熊本県が進める産地偽装の防止の取り組みに協力をしていきたい」
産地偽装はなぜ起きたのか
吉田駿平記者から取材を引き継いだ私(吉田翔)は、大規模な産地偽装の背景を探るべく消費者、スーパー、行政など各方面への取材に奔走しました。
「報道特集」の放送後、熊本県は19年のCBCテレビのローカル放送を受け、一部の漁協に聞き取り調査を行っていたことを明かしました。
その際に、熊本県産と表示できるだけの長期間の蓄養が行われていないことを把握しながら、偽装の解明につながる調査を進めていなかったことを認めたのです。
なぜ3年間も問題を放置したのか、蒲島知事に尋ねると「当時、担当課から報告は上がっていなかった」と話しました。
熊本県は県産アサリ出荷停止ののち、加工工場に監視カメラを設置することや、販売店に産地証明書を置くことを義務付けるなどの再発防止策を整備して販売を再開しましたが、対応は遅きに失したと言わざるを得ません。
産地偽装しないと売れない現実
産地偽装問題が発覚した後、全国のスーパーから“熊本産”アサリが消え、中国産と表示されたアサリが並び始めました。
しかし、新たな問題が浮上します。中国産アサリが売れず、アサリの入荷自体をやめる店が相次いだのです。
農水省が全国のスーパー1005店舗を調べたところ、アサリを扱わない店は報道前の176店舗から、425店舗に増加しました。
産地偽装を告発した吉川社長も厳しい現実に直面しています。吉川社長は中国産アサリを身が大きくなるまで栄養価の高い海水で育て「うまかアサリ」というブランド名で販売する取り組みを始めましたが…
「きちんと外国産が安全で安心だから大丈夫ですと。その上で食べられない方は当然しょうがないんですけど、安心だよねという形で手に取ってもらわないとまた偽装がいつか起こってしまう、これが一番懸念していること」
その一方、国産アサリも価格が高騰して売れないという問題が起きています。
水産技術研究所の浜口昌巳主幹研究員は、国産アサリの希少性が浮き彫りになった今こそ、私たち消費者が意識を変えるべきだと指摘します。
「(国産アサリを)本当にまじめに作ると値段が高くなるが、今残念ながら消費者の皆さんは安いアサリを求めている。安いアサリを作ろうと思ったら今回のようなことも起こる」
大規模に広がったアサリ産地偽装の背景には、日本の食が抱える様々な問題が横たわっています。
「安い国産」を求める消費者、その消費者を忖度する小売店、その小売店を忖度する卸売り業者と輸入業者、実態を把握しようとしてこなかった漁協や行政。
長年“忖度”のバトンを断ち切れず、アサリ産地偽装の闇はどんどん深くなりました。
これらが解消されない限り、食品の産地偽装は今後も繰り返されてしまうかもしれません。
※この記事は、CBCテレビNEWSによるLINE NEWS向け特別企画です。