創業9年、社員は4人、オフィスはなし。顔を合わせるのは年に一度の忘年会だけ。
「日本国語大辞典」「大辞林」などのアプリを開発する「物書堂」はそんな会社です。フリーランスの集合ではなく会社全体で、創業期だけでなく長期的に、完全リモートワークを実現しています。
「自宅で仕事するの、最高ですよ。もっと増えたらいいのに!」
物書堂 廣瀬則仁社長、自宅の仕事場で
廣瀬則仁社長はサラリとそう言いますが、業務を進める上で大変なことはないのでしょうか? 効率的にすすめるために、工夫していることは?
世界が認める“美しい”辞書アプリ
物書堂が生まれたのは、日本で初めてiPhoneが発売した2008年。黎明期から一貫してiOSアプリを作り続けています。
これまで50本以上の辞書や図鑑のアプリをリリースし、累計ダウンロード数は100万本を超えました。
「大辞林」。物書堂のアプリは、収録語がタイル状に並ぶ「インデックス」が特徴。ページをめくるように辞書で遊べる
最大のヒット作「大辞林」は動きの美しさに定評があり、AppleのTVCMでも取り上げられました。辞書好きのあいだでも「物書堂さんなら安心」と信頼の厚い開発チームです。
今年1月には、日本最大の国語辞典を元にした「精選版 日本国語大辞典」をリリース。「ついに出た」「即買い以外にないですよ」と辞書ファンのあいだで話題を呼びました。
オフィスはなし、全員リモートワーク
エンジニアとして活躍していた廣瀬さんが物書堂を立ち上げ、独立したきっかけは、携わっていたMac向けのワープロ「egword」の開発が終了し、チームが解散したこと。
2人で立ち上げた会社に前職のメンバーも加わり、現在社員は4人になっています。
廣瀬さんが日々働く“オフィス”は東京都内の自宅の一室。
他のメンバーも都内某所、筑波、横浜とそれぞれ別々の場所で働いており、「全員自宅勤務、全員リモートワーク」です。週に一度、Skypeを使ったミーティングをおこない、進捗を確認しています。
全員が集まるのは、年にたった一度、忘年会の時だけ。「会う度に『久しぶり!』ですね」。
この働き方が可能なのは、各自が独立性高く業務に取り組んでいるから。開発にあたって、各アプリごとに一人のエンジニアが担当する形をとっています。
「精選版 日本国語大辞典」も30万項目、約30万用例が収録されている大ボリュームですが、こちらも一人で担当し、約8週間で開発したそうです。
経営者視点で見ても「オフィスの固定費がないのは経営を安定させる上でかなり大きいです」。社員の交通費や、接待などの交際費もほとんど必要ないのもメリットだそうです。
「当然、僕らのやり方が必ずまねできるわけではないですが、業務の切り分け方ひとつでリモートワークのしやすさは変わると思います。『全員リモートワーク、全員自宅勤務』は経営的に精神的にもメリットは大きいですし、もっと広がればいいのに、と個人的には思いますね」
Mac/iOS一筋で開発を続けてきた廣瀬さん。スティーブ・ジョブスが来日した最後の「MACWORLD Expo/Tokyo」の基調講演ではステージでデモをした。当時のスタッフパスは、今もすぐに取り出せる場所に保管してある
家庭と仕事の両立も「選択肢が広がった」
共働き家庭で子育てする上でも、自宅勤務は大きなプラスだったと自身の9年間を振り返ります。
「会社を始めた当初は、子ども2人がまだ小さかったので、僕が常に自宅にいられることでいろんなことが楽になりました。送り迎えもできるし、学校から帰ってきた子どもたちと触れ合う時間も作れるし、家事も分担できる」
「子育てに加えて親の介護の問題にぶつかった時、これは2人ともフルタイムだったら本当に大変だっただろうなと思いました。一人が家にいながら稼げるスタイルだったことで、とれる選択肢がだいぶ広がったとあらためて感じます」
本や資料にすぐにアクセスできるのも「オフィスが自宅」の環境ならでは。手元にあるのは、当時のAppleのエンジニアが開発思想を説明している20年近く前のエッセイ
離れていても、会社はチーム
廣瀬さんの経歴を見ると、フリーランスのエンジニアとして活躍する道もあったように思えます。会社を立ち上げる道を選んだのはなぜでしょうか。
「自分は何ができるんだろう? と考えた時、プログラミングだけは、得意だと思えたんですよね。才能と言い切れるかはわからないですが、結構できる。だから、せっかくの能力を社会に還元しなくては、自分が輝ける場所は自分で作らなくては、という思いがありました」
「社員4人のうち、検査作業を担当している一人は、前職の会社ではアルバイトでした。縁あってまた一緒に働くようになった彼が、最近結婚しまして。もうそんな年か……と驚きましたし、うれしかったですね。社員に対して『この人たちの人生を預かってるんだ、ちゃんと続けていかなきゃ』と、最近ますます思うようになってきました」
「会社、楽しいですよ。お客さんとも直接関われて、プログラミングもできて……全部のプロセスを楽しめる。バラバラで仕事をしていても、チームです」
10年かけて作り続けているのは…
長らくiOSアプリ一筋に見える物書堂ですが、実は独立当初から「egword」のようなMac向けワープロの開発を掲げています。
開発中のソフト
縦書きにも対応し、フォントやインタフェースの美しさも魅力だった同ソフト。2007年に発売したバージョンを最後に、開発は止まっています。今も根強いファンは多く、10年以上前のものを使い続けているユーザーもいます。
最新版では手元に文字数、行数が出るように
昨年末には、開発の進捗をブログと動画で報告しました。
「本当はこれをやりたくて作った会社なのに、気づけば10年近く経ってしまいましたね……。お待ちくださってるみなさんには本当に申し訳ないですが、年内には何かしらお届けできればという思いで開発をすすめています。ご期待ください!」