昨年の大みそかは、妻とともにホテルで過ごした。温かく、リッチな年越しだった。経営するイベント会社の業績は悪くなく、明るい2020年が待っているはずだった。
今年の年末。丸川隆さん(仮名=32)は東京・池袋でひとり、夜の炊き出しの列に並んでいた。北陸で大雪が降った夜。寒風が吹いていた。
職と住まいと家庭の全てを、この1年で失った。原因は、新型コロナウイルスの感染拡大だ。
オレンジ色のダウンジャケット。整った身なりは、一般的な「ホームレス」のイメージからほど遠い。
「なんで僕が。どうしてだろう、どうすべきだったんだろうって、時々考えるんです」
人が集まるイベント運営の仕事は、新型コロナで壊滅的な打撃を受けた。多額の負債を抱え、2020年10月に自己破産することを決めた。妻との関係もこじれた。
今はネットカフェや路上で夜を明かす暮らしを続けている。野宿することで、夜の東京には意外にネズミが多いことを知った。
まるで「桃鉄」
「お店に入るのなんて、いつぶりだろう」
「いかすみパスタが好きで、ここへ来るとよく食べていたんですよね」
話を聞かせてもらうため、記者とともに向かったファミレスの入り口で、丸川さんはつぶやいた。
「最初は炊き出しに並ぶことにも抵抗感があったんです。プライドみたいなものだってありますし、ここに並んでいる人と自分は違うんだと言い聞かせたり。最初は年齢もわからないようにフードをかぶっていました」
「でも、もう並ばずに生き抜くことはできなかった。食べるものもなくて、限界でした」
テーブルに座った丸川さんは言った。
「なんか、まるで桃鉄(桃太郎電鉄)みたいですよね」
自分の状況をテレビゲームに例えた。
「桃鉄」は、目的地の駅を目指して全国各地の線路を回る、デジタル版のすごろくゲームだ。プレーヤーの命運は、サイコロの出目に左右される。
丸川さんは、新型コロナに左右された。コロナによる世界的な激変は、個人の努力で乗り越えられるレベルを超えていた。
3月頃は、コロナも夏には収まっているだろう、自分には関係ないと楽観視していた。経営していた会社の年商は一時、1億円を超えていたのだ。
しかし、4月から7月にかけて、予定していたイベントがすべてコロナでキャンセルとなった。
8月以降は小口の貸付金など使える支援制度を全て使い、経営再建に取り組んだ。しかし、2700万円の負債が積み上がってどうにもならず、10月には自己破産することを決めた。それが、今回の会社経営での「終着駅」だった。
今は弁護士や債権者と話し合いながら債務を整理し、破産に向けた手続きを進めている。3年前に結婚した妻との間にも深いヒビが入り、自宅にいられなくなった。近く、離婚するつもりだ。
「去年の今頃を思い出すたび、辛い気持ちになります。でも、自分の現在地をしっかり自覚しなければとも思うんです」
「あなたよりも、優先順位の高い人がいる」と言われて…
生活保護を受けようかとも考えた。困窮した場合のため、政府が設けているセーフティーネットだ。だが、自己破産手続きの途中であること、年齢が若いことを理由に、福祉の窓口で難しいと言い渡されたという。
「あなたよりも、優先順位の高い人がいる」。その時の言葉が忘れられない。
様々な求人サイトに登録し、清掃員などの単発のバイトをしては数日生き抜く。それを繰り返している。稼げると思い挑戦したフードデリバリーの仕事は、大した収入にはならなかった。
「とにかく、生活のため何でもやっています」
バイトも途絶える年末年始、丸川さんは各地の炊き出しを回って食いつなぐという。
なぜ、女性は仕事と一緒に住まいも失った?
袋を持ち上げると、あまりの重さに、持ち手が手のひらに食い込んだ。炊き出しや食料配布の場でもらった缶詰や果物などが入っているが、衣類は数枚しかない。
近藤洋子さん(仮名=45)は、優に10キロは超える荷物を抱えながら、東京を歩き続けていた。
東京都庁の下で毎週土曜日の午後、無料の食事の提供と生活・医療相談会が開かれている。新型コロナの感染拡大以前は隔週だったが、コロナによる困窮者が増えたことから、毎週になった。
12月最初の土曜日。小雨が降り、風が吹くたび寒さが身にしみる。近藤さんはカーディガンを羽織っただけの姿で都庁下の列に並び、食べ物が配られるのを待っていた。
近藤さんは10月中旬、勤めていた会社を解雇された。社宅に住んでいたため、仕事と同時に家も失った。転職活動を続けているが、コロナの影響もあり職は見つからない。アパートを新たに借りるお金もない。
群馬県出身。実家には82歳になる母と姉が暮らす。しかし、近藤さんは実家と折り合いが悪いこともあり、頼ることはできない。
社宅のアパートを追い出された後は1ヶ月ほど、住まいを失った人に東京都が一時的に提供したホテルの部屋で暮らしていた。しかし、支援事業を提供する事務局との間にトラブルを抱え、支援は打ち切りになった。
近藤さんは24時間営業の飲食店で夜を明かした。
「お店では寝てしまうと注意されてしまうんですよ。だから、昨日は寝ていないんです」
疲れ果てた表情で言った。
すれ違う人々からの鋭い視線
東京都渋谷区では11月、バス停で寝ていたホームレスの女性が殺害された。女性は2月ごろまで、スーパーで働いていた。近藤さんは、このニュースを他人事とは思えなかったという。
社宅を追われ、ホテルや自治体のシェルターなどを転々とするなか、上着をはじめ生活に必要な品々を失った。
「とてもじゃないけど、全ての荷物を持って歩くことはできなかった。最低限の物以外を置いてくるしか…」。近藤さんはつぶやいた。
「安い物でいい。着替えのために下着も買いたいし、防寒着もほしい」
だが食事もままならない状態で、服にお金を費やすことはできない。
1週間後の土曜日、近藤さんは再び都庁下の列に並んでいた。
その1週間は、新宿区や豊島区、台東区役所などでお金を借り、ネットカフェに寝泊まりして過ごしたという。その日の夜、池袋で別の炊き出しと生活相談会があることを伝え、記者も一緒に移動した。
新宿から池袋まで、記者が代わりに荷物袋を持った。あまりの重さに、何度も持つ手を入れ替えた。手のひらは真っ赤になった。
人が行き交うJR新宿駅の改札を抜け、山手線へ。不自然なほど大きな荷物を持っているからだろうか。すれ違う人の視線がいつもより鋭く感じた。
「本当は、こんな袋で荷物を持ち歩きたくないんですよ。だって、一目で路上生活をしていると分かるじゃないですか」
実際に荷物袋を持って一緒に歩き、人々の視線を感じることで、その気持ちが少し分かるような気がした。
「生活保護は嫌。氷河期もリーマンも乗り越えたのだから…」
池袋での生活相談会は、池袋を中心に生活困窮者や路上生活者を支援するNPO法人TENOHASI(清野賢司代表)が開いている。
支援団体のスタッフは、相談の席に座る近藤さんに語りかけた。
「生活保護で生活を立て直して、それから仕事を探した方が良いんじゃないでしょうか。まずは生活をどうにかしないと」
しかし、近藤さんは言った。「生活保護だけは受けたくないんです」
「生活保護をもらってしまうと、働く気が起きなくなってしまう人もいると思うんです。私もそんなに強い人間じゃないから、働かないでもお金をもらえるとなれば、就職活動を頑張れるかどうか」
「私は就職氷河期の世代です。リーマンショックの時だって、なんとかパートとアルバイトをかけ持ちしてやってきたんですよ。だから、今回もなんとかなります」
近藤さんが10月まで勤めていた会社は、困窮者に対する生活相談や支援サービスのかたちを取って宿泊所に収容し、生活保護費の大部分を対価として受け取る企業だった。
いわゆる「貧困ビジネス」と呼ばれる業態だ。
宿泊所は相部屋で食事も粗末なことが多く、困窮した人が一度入所すれば、生活を立て直して再び自立するのは難しいのが実態だと指摘されている。たとえ「合法」であったとしても、倫理的、社会的な問題はつきまとう。また、こうした実情に目をつむり、困窮した人に「路上よりはいい」と入所を勧める自治体もあるという。
近藤さんが生活保護受給に拒否感を持つ背景には、自ら勤めた会社で見た現実に対する、複雑な思いもあるのかもしれない。
芸人の母が生活保護受給、起きたバッシング
2020年末、日本社会で困窮が静かに広がっている。
新型コロナに関連して解雇や雇い止めをされた人は、7万5000人を超えた。自殺者は7月以降、5カ月連続で昨年同期よりも増えた。
周囲や家族に頼ることが難しい人は今時、珍しくない。一方で「自己責任」が声高に叫ばれ、生活保護がバッシングされる時代。あっという間に転落しかねない恐怖を、多くの人々が抱えながら生きている。
生活保護を受けることは、国民の権利として保障されている。生活保護の申請件数は今年、9月から再び上昇傾向へ転じた。
一方で生活保護を巡っては2012年、週刊誌の報道を皮切りに、お笑い芸人の母親が生活保護受給者であることが分かり、バッシングが巻き起こった。
この問題を自民党の片山さつき参院議員が追及。メディアも「不正受給疑惑」として取り上げ、報道が過熱した。
2012年の総選挙で政権に返り咲いた自民党の公約の1つが、生活保護の支給額原則1割引き下げだった。自民党政権下で厚労省は翌年、デフレと物価の下落を理由に、生活保護の支給額を引き下げた。
「ナマポは甘え」「大勢が不正受給している」「外国人の生活保護は違法」。SNS上では、生活保護に対するバッシングが今も続いている。その多くは、事実に基づいていない。
「なんでこうなっちゃったのかな」
経営していた会社が傾き、家を失う中、生活保護の受給も断られた丸川さんはしばらく、友人の家を転々としていた。しかし、いつまでも泊まらせてもらうことも難しく、路上かネットカフェで過ごすようになった。
運良くバイトが見つかれば多少のお金は得られるが、毎日ネットカフェに泊まることはできない。それほど寒くない日は路上で寝る。
初めての野宿は、新宿中央公園で経験した。
「最初の夜は、怖くて眠れませんでした。物を盗まれるんじゃないか、誰かに叩かれるんじゃないかと、とにかく不安で」
「寝袋に入って周りを見れば、自分と同い年くらいの人が、楽しそうに歩いているのも目に入る。邪険に扱われる時もあります。その度、なんでこうなっちゃったのかなって。ちょっと前まで良い暮らしをしていたはずなのにって、考えてしまうんです」
「夜になると気持ちも落ち込むし、時々、もう死ねばいいのかなって考えることもあるんです」
所持金は1000円以下、増えるSOS
こんな風に「死」を口にするのは、丸川さんだけではない。
この秋以降、生活相談の場で自殺を口にする人が増えているといい、支援関係者らは危機感を募らせている。
今まで貧困と無縁だと思っていた層にも、貧困が広がっている。そして、今までないほど追い詰められている人々が増えている。それが、支援関係者の共通認識だ。炊き出しや相談の場に並ぶ人々に、目に見えて若い層が増えているという。
日比谷公園で開催された相談会の様子
この年末年始も、支援活動は続く。複数の支援団体でつくる「新型コロナ災害緊急アクション」は、東京都内で緊急相談会を開く。
12月31日には東池袋中央公園(東京都豊島区)で相談会がある。1月1日と3日には東京・四谷の聖イグナチオ教会で、無料で温かい食事を取ることができる「大人食堂」が開かれる。
現場には、所持金が1000円を切った状態でのSOSが日々寄せられている。
「若年層、女性の相談も増えています。路頭に迷うことがないよう、色々な世代が来やすい場所を作っていきたい」
困窮者の支援を続ける一般社団法人つくろい東京ファンドの稲葉剛さんは語る。
新型コロナ問題の収束は、まだ見えない。その影響はじわじわと社会に影を落としている。
日比谷公園の相談会に訪れた人の中には住まいを失ってしまった人もいた
支援が必要な人へのセーフティネットは、不十分とはいえ存在する。しかし、取材で出会ったのは、制度があっても「助けて」と言えない人々だった。近藤さんだけでなく、炊き出しの列などで話を聞かせていただいた人の多くが、生活保護を受けることを避けようとしていた。
「もう生活保護を使うしかないと思います。申請しませんか」
その夜に泊まるというネットカフェに一緒に向かう最中、記者は近藤さんに問いかけた。
取材者としての一線は超えているかもしれない。でも、十分な食費もない彼女を前に、切り出さずにはいられなかった。
「私は、皆さんの税金でお世話になる側にはなりたくないんです」
炊き出しに並ぶ人から、たびたび聞く言葉だった。
困窮した人が生活保護を頼ろうとしない結果としてさらに追い詰められることも、「自己責任」なのか。近藤さんを本当に追い込んでいるのは、何なのか。
丸川さんはなぜ、たった1年で全てを失ったのか。もし職や住まいを失えば、私たちはどこを頼ればいいのか。どこかに「滑り止め」はないのか。
新型コロナは、社会のセーフティーネットの弱さを浮き彫りにした。それは、今年生まれた現象ではない。以前から進んでいた弱体化の結果を今、私たちは見ている。
※12月24日からLINE NEWS提携媒体各社による特別企画「#コロナの1年を振り返る」を順次掲載しています。今回はBuzzFeed Japanによる書き下ろし記事です。