1900年ごろ。ロンドン市内で抗議デモを行い、女性参政権運動を展開する男女
1903年、エメリン・パンクハーストが娘クリスタベル、シルビアとともに女性社会政治同盟(WPSU)を結成。メンバーは、従来の女性参政権活動家「suffragist(サフラジスト)」(「suffrage」は参政権の意)に対し、闘争的な運動を展開する「suffragette(サフラジェット)」として知られるようになる。
1908年。エメリン・パンクハーストが投獄されていたロンドンのホロウェイ刑務所前でピケを張るサフラジェット
1908年2月、パンクハーストは抗議のため下院内へ入ろうとして刑務所へ送られた。その後も6回にわたり投獄される。
1908年。釈放され、友人や支持者に迎えられるエメリン・パンクハースト(1858-1928、中央)と娘クリスタベル・ハリエット(1880-1958、左から3人目)
WPSUは参政権獲得を求める活動を理由に投獄された女性たちに対し、勲章の授与を始めた。
1908年、ロンドンのトラファルガー広場。サフラジェットの集会で呼びかけるジェニー・ベインズ
ベインズはのちに懲役7ヶ月を言いわたされ、数日後、衰弱した状態で釈放された。当時、同様の例は多くみられた。釈放したのは、政府が参政権運動を理由にした投獄で死者を出すのを避けたかったため。
1909年4月。ホロウェイ刑務所から釈放された後、ロンドンの国会議事堂前を行くサフラジェット
1910年。サフラジェットの集会でハイドパークに集まった人々
1911年。ニューヨークで群衆からヤジを浴びるエメリン・パンクハースト
1912年。警官と話す二人のサフラジェット
平和的な抗議では現状を打開できないと考えたサフラジェットは、より戦闘的な手段を取るようになる。
1912年、ロンドン東部ボウ・ロード。台に乗って女性社会防衛連盟の建物にスローガンを書くエステル・シルビア・パンクハースト(1882-1960)
1912年。女性参政権運動を支持する男性が、バッキンガム宮殿を襲撃したとして逮捕され、セントジェームズパークの橋の上を連行される
女性参政権運動には男性の参加者もいた。国会議員の座をみずから辞し、女性参政権を求めて補欠選挙に立候補した議員もいた(選挙には敗北)。
1912年。ロンドン、ウェストエンド地区の百貨店でショーウインドウが割られた
窓ガラスを割る破壊行為はそれ以前もあった。この2年前、当時のハーバート・アスキス首相が一部の女性に参政権の道を開く法案を却下したのを受け、WSPUが破壊行為を行っている。警察は収監した女性に対し、棒や素手で殴る、地面にたたきつける、性的暴行を加えるなど、暴力的な扱いをしたとして非難された。
1913年。デモ中に逮捕された英国人サフラジェット、アニー・ケニー(1879-1953)
1913年。エミリー・デービソン(1872-1913)がダービーでレースを走る国王の馬を止めようと身を投げて負傷、死去。女性参政権運動に世間の注目を集めるための行動だった
デービソンが自殺を意図していたかどうかははっきりしない。デービソンはその数年前、デーヴィッド・ロイド・ジョージ財務大臣に石を投げたとして、マンチェスターのストレンジウェイズ刑務所での懲役1か月を言いわたされていた。
1913年。エミリー・デービソンの葬儀
1913年。ピカデリー・サーカスのエロスの像前を行くエミリー・デービソンの葬列
1913年。サフラジェットがホロウェイ刑務所を焼き払おうと火を放った。爆発が起きて割れた窓から女性が外を見ている
1913年。ウェールズのクリクキエスで開かれたデーヴィッド・ロイド・ジョージ財務大臣の集会で、一人のサフラジェットが襲われ、警官に群衆から引き離される
1913年。クリクキエスの集会で集まった人々に攻撃されるサフラジェットを警官が避難させる
1913年。警察が警戒する中、ロンドン市内で抗議デモをする女性たち
先導する女性が持つのぼりには「ロンドンで最初に逮捕された女性サフラジスト」とある。
1914年。バッキンガム宮殿を襲撃後、逮捕され警官に連行されるサフラジェット
1914年。バッキンガム宮殿前でデモ行為を行い逮捕されるエメリン・パンクハースト
1914年。連行されるエメリン・パンクハースト
パンクハーストはたびたび投獄されハンガーストライキを行うが、強制的に食べ物を摂らされた。1913年のある記事で娘シルビアがその様子を次のように記している。
「誰かが私の頭を押さえて、シート状のものをあごの下に押しつけた。男の手が口を無理やり開けさせようとする。私はありったけの力をこめて歯を食いしばり唇を固く閉じた。呼吸が早くなり窒息するのではないかと思った。男の指が唇をこじ開けて入ってきて、指と金属製のさるぐつわが歯ぐきに沿って動き、歯のすきまを探っているのを感じた」
1914年。バッキンガム宮殿の柵にみずからの身体をしばりつけたとして警察がサフラジェットを逮捕
1914年。バッキンガム宮殿の柵からサフラジェットを引き離そうとする警官
英国の主導的なサフラジェットの一人、フローラ・ドラマンド(1869-1949)がハイドパークで行われたデモで逮捕される
1914年。バッキンガム宮殿の襲撃後、警察に拘束され気を失っていたサフラジェットが意識を回復する
1914年。バッキンガム宮殿での抗議行動で逮捕され、セントジェームズパークを連行されるサフラジェットたち
1914年。バッキンガム宮殿の外でデモ行為をしていたサフラジェットが警官に逮捕される
第一次世界大戦が終盤を迎えた1918年、国民代表法が成立する。これにより一部の女性に選挙権が認められたが、男性と平等に21歳以上のすべての女性が参政権を得たのは法改正後の1928年のことだった。
この記事は英語から翻訳されました。翻訳:石垣賀子 / 編集:BuzzFeed Japan