製造業の急速なデジタル化など、第4次産業革命「インダストリー4.0」に合わせて、労働法政策を「労働4.0」として見直してきたドイツ。一方、日本でも、働き方改革に伴う長時間労働の抑制や、リモートワークの普及、UberEatsに代表されるクラウドワークの進展など、社会や技術の変化にあわせた対応に迫られている。
日本の今後の労働法政策を考えるうえで、ドイツの動きは何が参考になるのか。日独の労働法政策の比較分析をしてきた労働政策研究・研修機構の山本陽大・副主任研究員のインタビューを2回にわたってお届けしたい。
1回目は日本でも話題にのぼることが多い「労働時間」についての議論だ。日本の裁量労働制のように、ドイツでも労働時間の柔軟な運用が議論になっているが、日本と決定的に違うのは、ドイツでは厳格な労働時間規制があり、そもそも長時間労働の抑制が議論の対象ではないということだ。(編集部:新志有裕)
●メルケル政権下で、労働者側の影響力が強い
――ドイツでは労働時間の抑制が議論になることはないのでしょうか。
ドイツでも、経営に近いエグゼクティブ層は長時間働くということはよく言われていることですが、それでも年間平均のデータを見ると、日本よりもドイツの方が労働時間は短くなっています。
ただ、長時間労働が労働者に健康リスクを及ぼすものであり、このようなリスクがデジタル化によって高まるということ自体は、もちろんドイツでも認識されています。
例えば、ドイツの経営者団体は、デジタル化が今後進んでいく中で、「労働時間をもっと柔軟にしていくべきだ」と主張しています。
しかし、これに対して労働組合側は、労働者の健康確保という観点から、反対の立場を強く示しています。ドイツには労働時間法という、労働時間を規制する法律があるのですが、経営側の視点に立って、これをより柔軟化しようという政策的な動きはいまのところ見られません。
――それはなぜでしょうか。
現在のドイツの第4次メルケル政権は、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)という中道右派の政党と、社会民主党(SPD)という中道左派の政党による大連立政権です。
ドイツにおいて労働行政を所管するのは連邦労働社会省(BMAS)ですが、ここ数年、連邦労働大臣には社会民主党の政治家が就任しています。このために、経営側の視点から労働政策を考えていこうという流れにはなりづらいことも、背景にあるものと思われます。
●労働者の立場での「時間主権」の動き
――では、ドイツで議論されている「柔軟な働き方」とはどのようなものでしょうか。
ひとことでいえば、労働者が、働く時間や働く場所を自身で柔軟に決定できるようにしようということです。ドイツではよく「時間主権」という言い方をします。
ドイツでも育児や介護をしている労働者にとっては、働く時間や場所を自身で決めることに対して大きなニーズがありますし、高齢者や障害者にとっても、こういった柔軟な働き方のもとであれば、労働市場に参加できる機会が広がります。
さらに、労働者の時間主権は、職場においてAIやロボットといった新たなデジタル・テクノロジーとの関係でも、重要視されています。労働者としては、それまで従事してきた仕事がこれらのテクノロジーによって代替されてしまう場合には、職業訓練をきちんと受けて、新たにスキルアップ・スキルチェンジを図る必要に迫られるからです。
そのためには、職業訓練を受けるためのまとまった時間を確保する必要が出てくるので、この点でも労働者が働く時間を自身で柔軟に決定できるということへのニーズが高まることになります。
――具体的にはどのような動きが出ているのでしょうか。
ドイツでは2018年にパートタイム・有期労働契約法という法律が改正され、労働者があらかじめ一定の期限(5年以内)を区切って、労働時間を短縮(パートタイムへ転換)することができるようになりました。
例えば、今まで週40時間だった労働時間を週30時間や20時間にするといったことが、労働者の権利として可能となるということです。また、あらかじめ期限が定められているので、それが経過すれば、労働時間が元の長さに戻ることも、法的に保障されています。これによって、一定期間について育児や介護あるいは職業訓練のためにパートタイムに転換し、それが終わったら労働時間を元に戻すといった、フレキシブルな働き方ができるようになりました。
また、「時間主権」という概念は、働く場所の柔軟性をも含意しています。特に最近では、新型コロナウィルスの影響もあって、在宅テレワークでの就労を希望する労働者に対しては、使用者と(在宅テレワークを含む)モバイルワークの実施について協議できる権利を新たに導入しようという法案が、今年の1月に連邦労働社会省から公表されています。
もっとも、こういったモバイルワークの場合には、やはり労働時間が長くなるリスクもあるので、労働者がモバイルワークで働く場合には、使用者に対し労働時間を把握する義務を新たに課すということも、この法案のなかでは提案されています。
まとめると、ドイツにおける「柔軟な働き方」をめぐる現在の労働法政策は、一方で、労働者に時間主権を保障しようという方向性があり、また他方で、柔軟な働き方のもとで生じうる長時間労働などのリスクについては、使用者に対する規制を強化することでカバーしていこうという方向性との、いわば両輪で動いているということができます。
●経営者視点で「柔軟な働き方」を求める日本とは違う
――日本でも、労働時間規制を推進する一方で、裁量労働制の範囲の拡大といった議論もあって、ドイツと似ている状況と言えるのでしょうか。
ドイツの「時間主権」は、あくまで労働者を主体とするものです。少なくとも、労働者が柔軟に働きたいと思っていないのに、使用者がそういった働き方を強いることを可能とするような発想はみられません。
――確かに、日本における高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の適用範囲拡大といった議論は、経営者側からの要望に基づくものですね。ただ、テレワークが日本でも進んできているということもあって、日本でも労働者側に立って柔軟な働き方をするためにはどうしたらいいのかということは、今後の課題になるのではないでしょうか。
その通りですね。日本の高度プロフェッショナル制度については、労働者の同意が要件となっていますから、労働者に対し柔軟な働き方を強いることができる制度ではありませんが、いずれにしても柔軟な働き方の実現にとっては、労使双方が納得したうえで導入することが重要なポイントだと思います。先ほど触れた、ドイツにおけるモバイルワークに関する協議権も、当事者の納得に基づいた柔軟な働き方を促す法政策として理解することができるでしょう。
――しかし、一方で、日本の場合は、長時間労働の抑制ということがドイツと異なり、柔軟な働き方に大きな影響を及ぼすことになるのではないでしょうか。
この点は、ドイツも今まさに、同じような悩みに直面しています。先ほども申し上げたように、ドイツでもモバイルワークの場面では、使用者に労働時間把握義務を課すことが提案されています。日本では、すでに2019年の労働安全衛生法の改正によって、使用者には労働時間把握義務が課されていますので、この点は日本がドイツに先んじているということができます。
もっとも、具体的にどのような形で労働時間を把握するのか。使用者による管理を厳格に求めれば求めるほど、柔軟な働き方のメリットが失われることになりかねないので、このあたりのバランスのとり方が、今後日・独で共有の課題となってくるものと思われます。
●ドイツの信頼労働制度と日本のフレックスタイム、裁量労働制との違い
――ドイツでは、柔軟な働き方の一環として、信頼労働時間制度という制度があるそうですが、日本の制度と何が異なるのでしょうか。
ドイツの信頼労働時間制度は、機能としては、日本でいうところのフレックスタイム制や裁量労働制に近いといえます。いつ仕事を開始していつ終わるのか、途中でいつ休憩を取るのかといった労働時間のマネジメントを使用者が行うのではなく、労働者に委ねる制度です。ドイツでは、特に労働者がテレワークで働く場合に、この制度が利用されることが多いようです。
ただ、ドイツの信頼労働時間制度は法律上の制度ではありません。あくまでこれは労働者と使用者との間での合意で行われているものです。
そして、もっと大きな違いがあります。日本では労基法により週40時間が労働時間の原則的な上限ですけれども、これを超えて働いたとしても、フレックスタイム制や裁量労働制が適用されていれば、直ちには違法ではありません。
しかし、ドイツの信頼労働時間制は、労働時間法による労働時間規制の適用を外したり、あるいは労働時間のみなしを可能とする制度ではありません。
ですから、信頼労働時間制度が適用されている労働者が、自身のマネジメントの結果として労働時間規制をオーバーして働いてしまった場合には、その責任は使用者が負うことになります。その点では、あくまで労働時間規制の枠内で可能な仕組みということができます。
●ドイツでは、「つながらない権利」をみんな持っているという認識が前提
――デジタル時代の新たな権利として、フランスの「つながらない権利」が注目されていますが、ドイツではどうとらえられているのでしょうか。
ドイツでは、労働者というのは、所定の労働時間外は原則として労働義務を負わず、その意味では、「つながらない権利」をもうすでに法的に保障されているという認識が前提としてあります。
しかし、それでも実際問題として、労働時間外に上司や同僚、場合によっては顧客がメールや電話をしてくるということは、もちろんありえます。そういった場合に、具体的にどういった措置によってつながらない状態を確保するのかということが、「つながらない権利」をめぐる問題の核心といえます。
そして、これには様々な措置が考えられます。
例えば、ソフト面では、管理職層に対して「●時から●時までは部下にメールを送らないように」といった指導や研修をするといった対応もあるでしょう。
また、ハード面では、フォルクスワーゲン社の例が参考になります。同社では、18時15分~翌日の7時までの間、会社のサーバーを停止させる技術的措置が講じられていて、その間は会社のスマートフォンなどを通じてメールを受信することはできないとされています。
このように、「つながらない」状態を確保するために具体的にどのような措置を講じるかは、個々の企業ごとに労使の話し合いなどを通じて決めて定めるべき事柄で、法律で一律の措置を強制することは妥当ではないというのが、ドイツの議論です。この点は、日本でもこの問題を考えるに当たって重要な視点となるように思われます。
第2回「労組が衰退する日本で、労使関係をどう再構築すべきか」はこちら