横浜DeNAで8年間プレーし、昨季限りで引退した山下幸輝(30)が、新たなキャリアを力強く歩んでいる。最先端技術を活用し、野球の個別指導などを手がけるベンチャー企業で事業開発に携わっている。「野球への恩返しと、自分への可能性を試したくて」。その前向きな言葉の裏には、仲間やファンには伝えたくても、伝えられなかった現役ラストイヤーがあった。
昨夏、ある熱烈なベイスターズファンのツイッターの投稿が目にとまった。
〈山下選手がグラウンドに出てこない〉
新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、自由な取材活動は制限されていた。本人に確かめたくても、いきなり携帯電話を鳴らすのもはばかられた。ちょうど昨年8月はベイスターズが怒濤(どとう)の快進撃で首位ヤクルトを追走しており、その投稿は徐々に記憶の隅に追いやられてしまった。
その秋、球団から山下の引退が発表された。真相はいったい何だったのか─。
「本当に知らなかったんですか」
横浜駅近くの居酒屋に現れた彼は、いたずらっぽく笑いながらそう語った。
黒のパーカ姿で現役時代を彷彿(ほうふつ)とさせるがっちりとした体格は健在。トレードマークとなっていた金髪は黒に戻っていたが、そのほかはいつもと変わらなかった。しかし、それは大きな勘違いだと気付かされた。
シーズンが始まったばかりの6月頃、山下は球団幹部に、今季限りで現役を引退することを告げていた。4月に新型コロナウイルスに感染してから後遺症の影響なのか、倦怠(けんたい)感や疲れが全く取れなかったという。体調と向き合いながら練習や試合に取り組んできたが、生半可な状態で通用するほど甘くない世界だということは、プロ8年目の山下自身が一番理解していた。
「これ以上、もうできないかなって」。しかし、吹っ切れた山下はここから2軍で打ちまくった。首脳陣から好調な打撃を買われ、7月22日に代打の切り札として、1軍に戻ってきた。
ただ、どこかくすぶった思いを抱えたままユニホームに袖を通していた。すぐに2度の打席機会を与えられたが、ノーヒットに終わっていた。なかなか結果は残せなかったが、首脳陣は先発での起用に踏み切る決断を下そうとしていた。
8月2日の広島戦前夜、千葉に住む父親にLINEで伝えた。「最後の先発での試合になるかもしれないから見に来てよ」
翌朝、心身に異変が起きた。自宅から横浜スタジアムへ走らせた車は、目的地に到着することはなかった。
「球場にいけません」
スタジアム近くの駐車場に止め、チームスタッフにそう告げた。ずっと、たまっていた何かが弾(はじ)けた。チームはオールスターブレークが明け、快進撃が始まろうとしていた。(敬称略)
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