ベイスターズの2軍を追う「REPORT BY DOCK」。1軍昇格を目指す若手の歩みに迫る。
希望をたたえた表情だった。ただ、その顔ができるようになるまでには人知れぬ苦しみもあった。大阪桐蔭高から早大を経て、ドラフト2位で昨季入団した徳山壮磨投手(24)。2年目も終盤を迎えているが、プロでまだ1軍登板はない。経歴からすれば物足りないとする見方もあるかもしれない。そうした重圧にのみ込まれかけた時間を経て、徳山は今、その足を一歩ずつ前に進めている。
ルーキーイヤーの昨季、徳山が苦しんだのは大卒ドラフト2位という期待の視線と、現実との乖離(かいり)だった。「周りからは『大卒のドラ2』と見られるけど、プロの厳しさやレベルの高さを痛感して、自分を見失うというか焦っていた。ストライクを投げるとか、今まで当たり前にできたことができなくなった」。環境と周囲の目、そして自分自身に追い詰められていった。
高校時代にエースとして春の選抜大会を制した実力者が、単にストライクを投げられるというそれだけで、テレビに映る高校球児が自分よりましに思えたことも。「何で俺は(ストライクが)入らへんのやろう。何で投げられへんのやろう」
2軍スタートとなった今春のキャンプは、もうブルペンでの投球練習すらも逃げ出したかったという。「地獄だった」とまで表現するほどだった右腕に絶えず視線を送っていたのは、2軍の投手育成を預かる大家コーチと小杉コーチだった。
キャンプ地から横須賀に戻った徳山に、大家コーチが持ちかけた。「コントロールが荒れる原因は投球モーションが大きいからだと思う。コンパクトにしてみないか」。本格派として歩んできた矜持(きょうじ)もある。「足を大きく上げてこそピッチャーだろうという抵抗もちょっとあったけど、プライドは捨てた」。リリーフへの挑戦も受け入れた。この世界で生きるために、青春の残り香に別れを告げた。
取り組んだクイックモーション気味のフォームでは当初、最速より10キロほど遅い140キロ程度の球速しか出なかったが、確かに制球は安定した。覚えたての投げ方でもカウントを整えられるようにと覚えたツーシームも制球の向上につながったという。新フォームを体に染み込ませるのに伴い、本来の球速に不思議と自然と戻っていった。
平行して精神面の変革にも着手。「抑えなければいけない」、「この投げ方をしないといけない」。強迫観念にとらわれていたが、カウンセラーの助言も受け、「この打者は直球で押してみよう」、「次は変化球を多くしてみよう」と、前向きなチャレンジと捉える思考へと変えていった。
徳山はこうした言葉をマウンドで小さく声に出している。そうすることでより心身を落ち着かせ、思い通り制御できている実感があるという。
昨シーズン最終盤に1軍デビューの話が浮上しかけたというが、当時の徳山はためらった。「自信がなさ過ぎて、投げたくないと思ったくらいだった」。今はもう違う。「投げたいし、チャレンジしてみたい」。そう語る表情に陰りはない。
時間はかかったかもしれないが、ようやく取り戻すことができたのは、徳山壮磨という人間性そのものかもしれない。「まだ1軍で投げてないし、たぶん周りの目は『徳山ってどこに行ったの』という感覚だと思う。でも『今に見とけよ』って。やっとそんな風に思えるようになったんです」
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