うれしいはずの入学式。
でも、モンゴル出身のザヤさんにとって、10年前のあの日は、苦い思い出になっています。
ずらりと並んだぴかぴかのランドセル。
ピンクやチョコレート色や水色。刺繡や柄でキラキラと趣向を凝らしたものばかり。
でも、我が娘が背負ったランドセルはシンプルな「黒」でした。
「うちの子だけ、みんなと違うって気付きました。いじめられちゃうんじゃないかと、不安になりました」
モンゴル出身のママ、ザヤさん(40歳)はそう振り返ります。今では日本で3人の子を育てている外国人ママ・ザヤさんの視点から、日本の子育てを巡る「フツウ」について考えてみたいと思います。
暗黙の「常識」の難しさ
いま、日本で生まれる赤ちゃんのうち、25人に1人は、親が外国人です。
16年前に結婚を機に来日したザヤさんも、日本で3人の子どもを産み、育ててきました。
どんな親にとっても子育ては手探り。ましてや外国で育った親は、その国独特の文化や制度、「言わなくても分かるでしょ」という暗黙の「常識」に戸惑うことでしょう。
例えば「ランドセル」。モンゴルでは学校に持っていくカバンは自由でした。日本でも制度上の義務ではありませんが、ランドセルを選ぶ家庭が大半です。
ザヤさんも最初は、「ランドセル」を買うことも知らず、入学の1年ぐらい前から、幼稚園のママたちの間でランドセルが話題になっても、学校に持っていくカバンのことになぜ親たちが熱心になるのか、理由が分かりませんでした。
「うちは10万円以上したよ」――。良いものや、かわいいものを選びたいと、一生懸命になるのはなぜなのか。それが分からないと、日本人の夫やまわりの友達に「ランドセル」の選び方を聞くこともできません。結局、娘が自分で選んだランドセルを持たせました。
入学式を見た時、親たちが熱心だった理由に気づき、「気が気ではなかった」と言います。
当時の思い出話をすると、すでに高校生になった娘は「黒のランドセルには、ピンクの刺繡もあってかわいかったよ。私は気に入っていた」と何でもなかったように話します。
「ちゃんと」に隠れていること
異国での生活。
「手紙」が読めなかったり、先生や他の親とコミュニケーションが取りづらかったり、宿題を教えられない。
さまざまな問題が想像できます。
さらに、外国人の親にとってわかりづらいのが言語化されていない、日本の「大多数が選ぶ無難な選択」です。
その一つが現れるのが、幼稚園や学校などの行事に着て行く親の服装。
ザヤさんの長女が幼稚園だったとき。仏教系の少しかしこまった行事がありました。親は何を着たらいいかザヤさんがママ友に聞くと、「ちゃんとした服なら、何でも良いよ」。
それを聞いて、よそ行きのオレンジのワンピースで、いそいそと向かったザヤさん。
でも、到着すると保護者はみんな黒っぽいスーツ姿でした。
「ちゃんとした服」に込められていた「フォーマル」の概念。
「式典の間中、恥ずかしくて」
ザヤさんのモンゴル人ママ友も、子どもの卒業式に真っ赤な服を着て行って目立ってしまいました。
赤は、モンゴルでは「めでたい色」です。卒業式は「子どもの成長を喜ぶうれしい日だから」、と赤を選んだのですが……。
本来であれば、「女の子のランドセルが黒でもいい」「式典に派手なワンピースで出たっていい」という多様性のある社会が理想のはずです。
でも疎外感を持っていた当時のザヤさんは「自分のせいで子供が嫌な目に遭わないか」と心配でたまらなかったといいます。
「調べればいい」ができない理由
ザヤさんをはじめ、多くの外国出身の親たちが、「日本に来たら日本のマナーを守って行動したい」と思っています。
もし、日本の文化で育てば、「卒業式 親 服装」とインターネットで検索しようと思うかもしれません。
それでも、そこに「フツウ」があると分からなければ、「調べた方がいい」という発想にもならず、どんなキーワードで検索すればいいのかも、分からないと言います。
まわりに聞きづらいこともあります。「ちゃんとした服だったら、何でもいいよ」というあいまいな言葉を日本人はよく使ってしまいがちですが、同じ常識を前提にしていないと、まったく伝わらない言葉です。
もっと細かく聞きたくても、「そんなことも知らないの?」と思われるのが怖くて、「わかったふり」をしてしまう人もいるそうです。
一つ一つの「失敗」は、笑い話のようにも聞こえますが、実はこうした小さなつまずきが、疎外感や孤独感を生んでいるかもしれません。
ゲルで生活していた
来日16年。東京で3人を育てているザヤさんは、モンゴルで「真反対」とも言える環境で育ちました。
首都ウランバートルで生まれ、ゲル(移動式住居)で暮らしていました。果てしなく続く空と草原に囲まれた、汽車で何時間もかかる郊外に暮らしたこともあります。
子どもたちは家族みんなで、助け合いながら育てていたと言います。
日本語を勉強し、日本語ガイドを手伝っていたとき、モンゴルに建設会社を作った日本人男性と出会い、恋におちました。
「何も考えないで日本に来たんです。夫が大好きだったから」
でも、ザヤさんの親は反対しました。理由は、子どもが生まれた後に痛感しました。
「こんなに異国で暮らすのは大変なんだって」
家で子どもと二人きり
来日時は妊娠4カ月。夫がいつでもそばにいて助けてくれる訳ではありません。
街は読めない看板だらけ。スーパーの棚に並ぶ、赤ちゃんの絵が描いてある瓶はなんだろう……。
夫は一日中仕事。ほとんど外に出られず、子どもと二人っきりで家にいました。
「離乳食」は、牛肉を細かく刻み、小麦粉を混ぜ、塩で味付けした「モンゴル流」。子どもが体調を壊しても、相談できる家族も友達も、近くにいませんでした。
日本で日本語学校に通い、自分の力で暮らせるようになるのが、ザヤさんの一つの夢でしたが、保育園の制度が分からずに預けるのをあきらめてしまったこと、子育てに追われているうちに、学校に通う目標も遠ざかってしまいました。
当時の日記をめくると、孤独がよみがえってきます。
「子どもを連れて、公園に行くこともできない。ほかの子と遊べない子どもはかわいそう。申し訳ない」
「ママのお弁当は恥ずかしい」
ザヤさんが危機感を覚えたのは、娘が幼稚園に入ったことがきっかけでした。それまで「話さなくても何とかなった」日本社会との距離が、否応なく、近づきました。
ある日、幼稚園の先生から「娘さんが給食を食べられていません」と聞きました。
モンゴルには海がなく、ザヤさんは魚を料理したことがありませんでした。家でモンゴル風の肉料理ばかり食べていた長女は、給食の、和食独特の味付けや野菜、魚が苦手でした。
2か月に1回はお弁当を作って持って行くというのもハードルでした。ザヤさんは皮から手作りする得意料理「ボーズ(小籠包のような料理)」を弁当箱に6つ詰めて持たせました。娘の大好きなボーズ。
でも帰宅すると娘はしょげ返り、「みんなのお弁当箱には、いろんなものが入っていた。とても恥ずかしかった」と訴えられました。もっと和食に慣れさせておけば、日本の「お弁当」を作れればと、自分を責めました。
それからは、日本の弁当の要領が分かっている日本人の夫が、「キャラ弁」などの弁当作りをやってくれているそうです。
友達ができて楽しくなった
次女も幼稚園に入って、ようやく自分の時間が持てるようになった、日本生活4年目。
ザヤさんはさっそく、日本語教室のリストを区役所でもらって、教室を巡りました。
夫がいないとき、子どもを預けながら、日本語を教えてくれる場所。あきらめず、教室をはしごして、外国人ママたちの子育てを支援するボランティアチームに出会いました。
幼稚園からの手紙を読む練習、日本人ママとの付き合い方、行事の時の服装、日本の家庭料理の作り方――。
ボランティアの日本人スタッフから教えてもらいました。反対に日本人参加者に、モンゴルの料理や文化を紹介したこともあります。
「日本生活が楽しくなったのは、日本の友達が出来てからです」
そんなボランティアグループのメンバーが立ち上げた「ひらがなネット」で、「スタッフとして働かないか」と、声がかかりました。
「私なんかで助けになるのかな」
不安もありましたが、これまでに直面してきた困り事をもとに、「子育てママ集まれ!」という外国人の親、日本の親を集めた勉強会を企画してきました。
お料理ライブでできた輪
和食の腕を上げるため、職場以外でも、毎週、ライブチャットで、モンゴル人のママたちと一緒に夕飯を作っています。
「今日はきんぴらゴボウね」
ひらがなで書かれた日本の家庭料理のレシピをザヤさんが読み上げながら、ワイワイとスマホ画面越しに夕飯作り。料理しながらの、子育ての情報交換は、参加者にとって大切な息抜きです。
「近くの児童館に行ってみて。日本人のお母さんたちとお話しするの、とても楽しいから!」とザヤさんもアドバイスします。
新しい夢
第3子の男児を出産したあと、わずか3カ月で、オンライン勉強会を再開したザヤさん。
「上の二人のときは、子どもと家にこもるしかなかった。あのときの、すごく孤独だった自分に戻りたくないんです」
コロナ禍の日本で、あの頃の自分と同じか、それ以上に、孤独なママたちがいると思うと、いても立ってもいられませんでした。
今は、新しい夢もできました。
「私は日本語のボランティアに救われたので、できたら、そういう先生になりたいなぁと思って」
苦労してきた分、何に困っているのか分かる。孤独な外国人ママとつながる、ザヤさんの挑戦は続きます。
「これがフツウでいい?」
まちなかで、コンビニで、見かける「外国人」たち。日本には約300万人の外国人が住んでいます。
筆者は、これまでもザヤさんが経験した数々の「冷や汗」についての記事を配信してきました。
それらの記事には、「日本人の私でも同じようにしんどいことがあった」とか、「日本の『フツウ』をアップデートしていけばいい」などと、ザヤさんの気づきに対しての共感が上がります。一方で、こんなコメントも付きました。
「日本のやり方を勉強すればいい」
その言葉は、日本生まれ日本育ちの筆者自身でも、胸を締め付けられるように感じました。
振り返れば自分自身も、子育てのいろいろな場面で「フツウ」からなるべくはみ出さないように空気を読み、勉強し、気をつけてきました。
ザヤさんをはじめとした外国人ママの悩みや苦労に触れ、改めて考えさせられました。
そんな自分の振る舞いこそが、なんとなく続く「フツウ」をまた上塗りしてきたのかもしれない、と。
女の子が黒いランドセルでもいいよね、お弁当が「ボーズ」って素敵だね。
そんな風に言い合える社会だったら、外国人に限らず、新しい時代を生きる人みんなの息苦しさを解消することにもなるのではないでしょうか。
ウンチを庭に埋めたい理由
ザヤさんが語ってくれたエピソードで、好きなものがあります。
長女を生んだ直後、子どものウンチを普通のゴミとして捨てることを聞いてショックを受けたザヤさん。
「庭に埋めてはいけないの?」
つい、「衛生面で問題がある」とか、ダメな理由を言ってしまいそうになりますが、なぜそうしたかったのか聞くと、ザヤさんからこんな理由が返ってきました。
「モンゴルでは赤ちゃんは『神様からの預かり物』と言います。ウンチも大切なもので、普通のゴミと一緒になんか扱ってはいけないもの。大地に埋めて戻していました」
処理方法の是非はさておき、行動の裏にあった理由には、目からウロコが落ちる思いでした。
子どもを神様からの預かりものとして扱う、そんな精神が、日々の行動にも込められているのか。「子どもを親の所有物として扱う」ような事件が起きている日本の中で、考えさせられました。
異なる文化から来た人の「驚くような」行動を見た時、「それはフツウじゃない」と否定するのでなく、「なぜそうしたの?」と1歩深く聞けば、もしかしたら自分の中の凝り固まった「フツウ」を問い直すきっかけになるかもしれない。そう感じました。
取材執筆:松川希実(withnews)
※この記事は、withnews(朝日新聞)によるLINE NEWS向け特別企画です。