タッチペンとモニターを駆使してサラサラと仕上げる。
柔らかな曲線で女性キャラクターを描いているのは矢野茜。
就職後わずか3年、25歳という若さで、キャリア最高峰に位置する「総作画監督」「キャラクターデザイン」に抜擢されたトップアニメーターだ(総作画監督の平均年齢は45歳「アニメーター実態調査2019」)。
▲一枚絵のイラストをデジタル環境で制作中。
日本製アニメーションは世界で高い評価を受ける一方、制作現場は低賃金問題、長時間労働による泊まり込みも頻繁にあるとされる。
彼女はなぜ、そのような業界に飛び込んだのか?
そしてなぜ今もその仕事を続け、若くして成功をつかめたのか?
30歳以下の「プロフェッショナルな仕事人」に"あなたにとっての仕事とは?"を尋ねるインタビューシリーズ「UNDER-30」。
彼女の歩んできた道のりを振り返る。
高卒でウエイトレスに就職…も2か月で退職
今はトップクリエイターとして第一線を走っている矢野さんだが、高校卒業後は特に目指すものはなく、「かわいい格好ができそう」と気軽な気持ちでウエイトレスの職に就いた。
だがそれは間違いだった。
いわゆる箱入り娘だった矢野さんはそれまでアルバイトの経験がなく、学校の中の狭い世界しか知らずに育った。初めて触れた「社会」と「大人の世界」に委縮し、恐怖心を抱いてしまったという。
「もともと勉強が得意ではなかった私はメニューを覚えることができず、オーダーをまともに取ることができませんでした。それにお客さんの気持ちが分からず、次第に周囲の人たちを怖く感じるようになってしまったんです……」
メニューを覚えるため、ノートに何度も書いて勉強したが、努力は実らなかった。彼女は人生で初めて、そして最大の挫折を味わう。
結局、ウエイトレスの仕事は2カ月で辞めてしまった。
どん底から引き上げてくれた「父のひとこと」
そんな彼女にとって救いとなったのが、アニメだった。
暗い気持ちを抱えながら視聴していると、その様子を見守っていた父親がこう言ってくれた。
「好きなことをやってみなさい」
もともと矢野さんは絵を描くのが好きで、マンガ家になることを夢見ていた。幼少時は自分を主人公にしたマンガをよく描いていたという。
「絵を描くことは好きでした。でも、私にはプロになれるほどの画力や才能も無いと思っていたので、絵を描く仕事に就こうなんて考えはまったくありませんでした」
「マンガ家」「イラストレーター」として名が売れているトップクリエイターと、一般人だった当時の自分を見比べれば気後れする。しかし「絵を描く仕事」はそれだけではなかった。
アニメが大好きだった矢野さんはスタッフロールにも注目をしており、「アニメーター」という職業があることを知っていたのだ。
「その時は軽い気持ちだったのですが、集団作業のアニメーターなら私でもなれるのではないかと思い目指すことにしたんです」
たしかにひとつの作品に関わるアニメーターは多い。
TVアニメ1話を作るのにおよそ3000~5000枚もの絵が必要になるため、数十人規模で分担して絵を描いていく。
そんなアニメーターになるための入口としてもっとも分かりやすいのが、必須の知識や技術が最短で身につく専門学校だ。
アニメスタジオを通じて簡単な仕事が来ることもあり、学生でありながら作品に関わることもできる。
矢野さんも、アニメーター志望なら誰でも見つけられる、専門学校といういちばん身近な門を叩いた。
ただしこの時はまだ、アニメーターの仕事がウエイトレス以上に続けられる職業なのかどうか、判断できるほどの熱量はなかった。
人生で初めて、つかめた感覚
矢野さんは「何となく」受講した体験入学で衝撃を受けることになる。
アニメーションの基礎中の基礎でもあるパラパラマンガを実際に描いてみる授業。これに心を打たれたのだ。
姉弟子❄️ pic.twitter.com/hAdM2KD0Ok
— 矢野茜 (@if_224) January 27, 2020
▲連続した静止画を高速で切り換えると、人間の目には動いて見える。
「自分が描いた絵が動いて見える……その体験は本当に感動的でした。
そこで初めて『アニメーターという仕事はなんて面白いんだろう、絶対にこのお仕事をしたい!』と思いました」
人生で初めての、心の底から「面白い」と思えた感覚。矢野さんはアニメーターの世界へのめり込んだ。
在学中は絵を描く技術を教わることで、イメージ通りの絵が描けるようになっていくことが楽しくて仕方なかった。インターンシップ制度のおかげで、学生でありながら深夜放送のアニメでデビューすることもできた。
▲矢野さん直筆による「アニメーションが完成するまで」が描かれた動画。
心の奥にあった仕事や社会への恐怖はいつの間にか薄れていき、後に矢野さんはウエイトレス時代の失敗をこう考えるようになる。
「やはり無理に勉強しようと思ったからメニューを覚えられなかったんでしょうね。私、興味がないことに対しては、ほんとうに、何も頭に入ってこないんだな、と」
彼女はアニメーターという職業を、次第に天職だと信じるようになっていった。
矢野さんが就職したのは、「feel.」というアニメスタジオ。
「美少女アニメを多く作っているので、きっとアニメーターさんは、全員男性なんだろうなと思っていました。すると40名ほどの社員の中には女性の姿もポツポツあって、意外と女性も多いんだなと驚きました」
最初のキャリアは「動画マン」と呼ばれるポジションだ。
アニメーターの中では主に新人が担当するところで、動きと動きの間を埋める作業である。
動きの激しさなどによって難易度も変わってくるが、1日で描ける動画はだいたい10枚ほどだ。
アニメーターは基本的に出来高制になるため、出社時間も退社時間も自由。1枚でも多く描くために朝まで作業をして泊まっていくスタッフが多かった。
矢野さんは「当時の私は世間知らずで泊まることが怖かったので、なるべく早く作業を済ませて帰るようにしていました」と箱入り娘だったことでメリハリを生み、生活リズムを崩すことなく作業ができていたという。
歩くあいちゃん
— 矢野茜 (@if_224) March 22, 2018
デジタル練習中(*'▽') pic.twitter.com/f5WM2aaFtX
▲歩く動作ひとつでも、髪の揺れ方、手首の角度など演技は奥が深い。
真剣に絵を描くことの楽しさ、手がけたシーンが実際に放送される感動。それらは何事にも代えがたい達成感だった。
締切に追われる日々にいつも緊張と焦りはもちろんある。しかし、それを上回る感情が自分を支えていた。
「辛くなったり嫌だと思ったことは一度もありません」。当時を振り返って矢野さんはハッキリと話した。
矢野さんが描きたいものとは
同じアニメーターと呼ばれる職業でも、得意な絵、不得意な絵がある。
たとえば、「ロボットやメカを描くのが得意」「アクションをカッコよく見せるのが得意」「日常的な芝居を描くのが得意」といったものだ。それぞれのアニメーターの特徴や志向に合わせて、参加作品や担当カットも変わってくる。
矢野さんが志したのは、女性の身体をきれいに描くことだった。
なぜ女性の身体に惹かれるのか。自身でその理由を、4歳から習っていた「クラシックバレエ」の影響が大きいのではないかと分析する。
理想的なプロポーションに囲まれ、身体表現の美しさを追求する日々が、アニメーターとしての個性にもつながったようだ。
「こだわっているのは、絵を見ただけで柔らかさを感じてもらうことです。線の強弱を変えたり、ボディラインに気をつけたり……。
特に胸のラインや、太股から膝にかけてのゆるやかな曲線など『見せ方』の部分にこだわりを持っています」
「あと大事にしているのは髪ですね。サラサラとした感じを表現できるよう研究しました」
電車に乗っていても隣の人の服のシワがどうなっているのか注目してみたり、かわいらしい女性を見つけるとしぐさや表情に注目してみたりした。
普段の生活でも、そういった部分に無意識的に視線が吸い寄せられるという。
スタッフ最年少で総作画監督に抜擢
順調にキャリアを積んでいった矢野さんにさらなるステップアップの機会が訪れる。
先輩アニメーターから誘われた新作アニメのキャラクターデザインコンペに勢いのまま参加し、『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』( 以下『ネトゲ』)のキャラクターデザインと総作画監督に抜擢されたのだ。
制作の現場におけるトップである監督の意向を汲み取りつつ、作画をまとめるのが総作画監督の役目。制作発表などの場で監督やキャラクターデザイン担当とともにメインスタッフとして華々しく紹介される。
アニメーターは実力主義の社会だが、それでも作画スタッフの中で最年少の22歳で抜擢されたという話は異例と言える。
「コンペでは、ひたすら自分が良いと思うものを描きました。キャリアがまだ浅く、画力も未熟かもしれないけれど『かわいければいいんだ!』と、ただその一点でした」
『ネトゲ』は、多くの美少女キャラクターが活躍するテレビアニメである。
そのため、女性キャラクターを描きたいと思い、つねにその道を追求していた矢野さんにとっては、まさに得意分野そのもの。日頃無意識に観察していたことが、画力の向上につながっていたのだ。
総作画監督の仕事には、若さゆえのプレッシャーと葛藤もあった。
「作画スタッフの中では最年少でしたので、修正指示を書き込む時は、多少のやりづらさがありました」
「上がってくる絵のほぼ全てが私よりキャリアがある人たちのもので、『私より上手だなぁ』と思うこともありました。でも私がアニメーターの作業のもととなる設定画を描かせてもらっているので、『キャラクターを一番【らしく】描けるのは私なんだ』という自負を持って修正指示を入れさせて頂きました」
キャラクターの細かい芝居やニュアンスの難しい表情などは、監督にも確認を取りながら修正を進めていったという。
アニメーターと妥協なくコミュニケーションを重ねたことが功を奏し、ヒロインたちの可愛さあふれた作画でアニメは好評を呼んだ。
ウエイトレス時代は人と接することが怖かったという矢野さんは、好きなことを追求する中で社会生活にも慣れ、いつの間にかスタッフに遠慮せず指示を出せるまで成長していた。
夢をかなえた彼女は未来を見つめ、こう話す。
「私自身は死ぬまで現場で絵を描き続けたいですが、他にできることがあるとすれば、こういった取材を通してアニメーターというお仕事があることをお伝えしたいです。
私はたまたまスタッフのクレジットに興味を持ち、このお仕事の存在を知りましたが、まだまだ知らずに絵を描くお仕事を諦めている方がいらっしゃるかもしれませんから」
矢野さんはやりたいことが見つけられない人は好きなことに対して「『変態』になってほしい」と独特に表現する。
「そうであればあるほど探求心が強まり、吸収したことが自分の武器になると思います。私の場合はそれが『女性の身体』でした」
本日はありがとうございましたー!!✨
— 矢野茜 (@if_224) December 29, 2018
たくさんの方に会うことができすごく嬉しかったです(´∇`)
次の作品も動き出しておりますので、これからも応援よろしくお願いします(((o( ˙꒳˙ )o))) pic.twitter.com/CTQ8yYy9Jk
▲『りゅうおうのおしごと!』の宣伝などではコスプレにもチャレンジした。
現在、全世界規模で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症は現場にも影響が出ているという。
分業を基本としたアニメ制作においては、スタッフ間のコミュニケーションが大切だ。
しかし現在はメールやチャットベースでのやり取りがメインになり、さらに第三者を介してのコミュニケーションになることも多い。
「直接会えない人には電話をつないでもらうなどしています。やっぱり自分の言葉で直接お話することが大事だと思いますから。
直接のコミュニケーションから生まれるアイデアや『みんなでこの作品をつくっているんだ!』という結束が作品作りに活きていくと思います。また以前のような制作環境に早く戻れることを願っています」
そう語る矢野さんの目には社会への恐れは完全に消えていた。仕事を通して成長し、輝きをまとった女性の姿がそこにあった。
最後に「あなたにとって仕事とは?」という問いを矢野さんに投げかけた。
「自分のこれからの可能性を探っていけるものでしょうか。
今の仕事に出会うまでは自分に何ができるのか分かりませんでした。でもアニメーターになって色々な作品に関わる中で、自分にはこういう絵も描けるし、こういう表現もできるんだと知ることができました。
知らなかった自分に出会うことで、『自分はこういうもの』という固定概念をアップデートできる、それが私にとっての仕事です」
【プロフィール】
矢野 茜(やの あかね)/1992年2月24日生まれ。千葉県出身。魚座。フリーランスのアニメーター・イラストレーター。
東京アニメーター専門学校を卒業後、アニメ制作会社「feel.(フィール)」でプロデビュー。2014年放送の『グリザイアの果実』で作画監督、2016年放送の『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』ではキャラクターデザインと総作画監督を手がける。
現在は企画進行中のTVアニメ『弱キャラ友崎くん』にてキャラクターデザインと総作画監督を担当。
[取材=前田久、沖本茂義/文=気賀沢昌志/撮影=小原聡太]