落語家、桂宮治。今年2月、落語界に新たな真打が誕生した。29年ぶり、5人抜きの抜擢昇進した桂宮治だ。本来であれば、華々しく披露興行も行われるが、コロナで客席は半数に抑えられた。それでも切符を求めて長蛇の列ができた。爆笑をさらう宮治の落語は、人生の辛苦を少し忘れさせてくれる。泣き虫で繊細な宮治だからこそ、多くのファンが集まる。
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隣席の老人は眼鏡をはずして何度もハンカチで涙を拭う。桂宮治(かつらみやじ)(44)の落語を聴いて泣いている。悲しいのではない。あまりに馬鹿げていて腹がよじれ笑い過ぎているのだ。「お菊の皿」という「番町皿屋敷」に材を取った古典落語は、幽霊がちゃっかり見世物興行に出るという馬鹿ばかしい怪談ものの滑稽噺である。主人公の幽霊お菊は若き美人ゆえに見世物商売となるのだが、宮治が登場させたお菊はコンプライアンス上ここでは文章化できないほど真逆の幽霊。この掟破りの設定がとんでもない爆笑を生みだしていた。速射砲のようなテンポとキレ、意表を突くギャグ、古典作品を改作する能力に長けた「宮治落語」と呼ばれる宮治の落語会は、爆笑でいつも揺れるようだった。
このコロナ禍に令和の爆笑王が登場した。
緊急事態宣言下の2月7日、東京・新宿の京王プラザホテルのいちばん大きい宴会場に550人の関係者やファンなどの招待客が集まり、前代未聞の真打昇進披露パーティーが開催された。演芸界の歴史に残るであろう何もかもが異例ずくめの真打披露だ。800人の招待客から続々と届くキャンセルの葉書。いっさいの飲食なしだから引き出物に入れる豪華弁当をどう誂えるか。いっそのことやはり中止にするべきか。宮治がどれほど悩んでいたか。それでも550人もの客が祝いに駆けつけたいといっている。
「非常事態の中でパーティーをやってお客様がどう思われるかずっと悩んできました。でもなんとしてでも開きたかった。考えた結果がこれです」
宮治が涙ぐんで挨拶した。
壇上でエア乾杯の音頭をとった六代目三遊亭円楽の言葉が響いた。「今日の披露宴をやらないという選択肢があったはず。でも制限の中でどうやったらできるのかを考え続けた。こういうご時世にこういう人が出てきてくれて嬉しい」
落語芸術協会(芸協)所属の宮治は、会長の春風亭昇太以来29年ぶりの5人抜きの抜擢昇進だ。落語家には前座、二ツ目、真打という階級制度があり、最終階級の真打を目指して精進する。この真打になるのが「遅すぎる」と待たれていたのが宮治である。その人気と実力は前座時代から注目され、若手二ツ目たちでその実力を競うNHK新人演芸大賞落語部門大賞を、8カ月前まで前座だったという異例の早さで受賞し話題をさらった。そのほかにも多くの賞に輝く実力を持ちながら、芸協の「抜擢昇進は基本的にしない」慣例から、入門順序列の中にいた。昨年、人気講談師の神田伯山が9人抜き抜擢昇進したように、爆笑系スター落語家がやっと抜擢昇進されたのだ。
【新宿から上野までブツブツ 春風亭一之輔「落語のテンポって、歩くテンポにすごく合う」】
新真打披露目では、業界関係者や客に手拭いや扇子と一緒に「口上書き」というものを配ることになっている。所属協会会長や師匠からの挨拶とともに、歴々からの祝いの寄稿文を集めたものだ。そこに当代一の人気と実力を誇る春風亭一之輔が寄せている。「僕が知る限りはこういうのは見たことない」と演芸評論家の長井好弘(65)が笑うように、口上書きに他協会である落語協会の若手真打が祝いを寄せるというのは異例中の異例らしい。宮治が敬愛し公私ともに親しい一之輔が口上書きで述べている。「(中略)宮治はバケモノのような二つ目になってしまった。相変らず、彼の顔はおもしろく、それ以上に噺がおもしろく、そして彼のあとはとてもやりにくい。だから私も燃えるのだ。(略)宮治は私のライバルです」
披露宴の4日後、4カ月ほど続く披露興行の最初の日、大初日を新宿・末広亭で迎えた。緊急事態宣言下なので客席は半数に抑えられている。それでも入場整理券を求める客の列は徹夜組もいて末広亭を一周した。朝には150人ほどの列が寒さの中に並び、宮治が笑わせながら一人ひとりに使い捨てカイロを配っていた。こんな新真打もまた異例である。アクリル板が立てかけられた高座、掛け声の禁止、間隔をあけた立ち見席には小さな子どもたちまでいる。神田伯山の司会による口上の席には、この日のゲスト笑福亭鶴瓶も並び、めちゃくちゃに賑やかな披露目初日に、客はしばし災厄のただ中にいることを忘れた。
マシンガンのようなパワフルで速力の「宮治落語」の誕生は、宮治の社会人経験と無縁ではない。
東京・品川の生家は、肉屋、ステーキハウス、テナント業などを営み両親ともに多忙を極め、上に年の離れた姉が3人いたが、夕食はいつも一人。小学校の高学年になるまで祖母の部屋で眠った。中学生時代、祖母に連れられて観た大衆演劇をきっかけに芝居に魅せられる。高校で廃部になっていた演劇部を再開させようとしたが失敗。アルバイトに精を出しながら、芝居を観て歩いた。高校卒業後は役者の道を目指そうと、通い詰めていた加藤健一事務所に入所する予定がアクシデントで入所し損ねた。別の養成所に入り3年間、アルバイトと舞台役者の生活が始まった。とはいえ、この時点では落語との接点は皆無だ。
お決まりのような舞台役者のアルバイト生活。芝居をやるには金がかかる。1カ月に及ぶ稽古の間の生活費を工面しなくてはならない。そのためにレストランのホールやシロアリ駆除会社の営業マンなど必死で働いた。芝居の先輩から「役者やお笑い芸人もやっている仕事があるけどやってみないか」と紹介されたのが、ワゴンの化粧品販売の仕事だった。スーパーなどの通路にワゴンを置き話術を駆使して売る、いわば化粧品の実演販売だ。通りすぎる人の足を止めさせる。買わせられるという不安を拭いさり、無料配布の化粧品だけはもらいたいがあとは逃げだしたいという客の心理をつかみ、その場から一歩も逃さないため、息をつかせないほど畳みかける話術を天性で会得していった。この販売の様子をそのまま再現して織り込んだほろりと泣かせる新作落語「プレゼント」は、宮治落語の原点だ。かつてこの仕事を共にしていた現在テレビなどで活躍中のナレーター山崎岳彦(46)は、売り上げのトップを独走する宮治の販売をこっそりのぞいたことがあった。
「一生懸命に説明しながら額から汗が流れてくると、ほら豚の脂が流れてきたっていってお客さんをドッカンドッカン笑わせている。今の落語と重なります。これは僕には出来ないなとあきらめたものです」
芝居を続けるためのアルバイトだったはずなのに気が付くと有名化粧品メーカーから指名が入り、全国を飛び歩いた。売り上げは全国一。収入は20代の平均年収の倍を遥かに超えていた。
「人を不幸にしているんじゃないかと思いだして。要らないものを要ると騙して買わせているんだから一生の仕事には出来ないと悩みだしたんです」
「もう好きなことをしたら。私がまた働くから」と背中を押してくれたのが、2歳年上の妻の明日香(46)だ。ふたりの結婚披露宴で、列席していた宮治が所属していた会社社長を目の前に、突然退職を宣言する。宮治は30歳になっていた。
これから一生続けられる好きなこととはなんなのか。ノートパソコンでユーチューブを開いた。生まれて初めて観る落語というものがあった。ここで、関西の爆笑王と呼ばれた二代目桂枝雀(しじゃく)の「上燗屋(じょうかんや)」に出合う。タダの肴ばかり選りすぐる酔客の噺だ。枝雀のオーバーアクションと言葉遣いがめちゃくちゃ可笑しい噺である。
「10回は繰り返し観て大笑いした。これだ、落語だって確信したんです」。お笑い芸人になるのには反対した妻が賛成してくれた。落語家になるには、どうやら落語家の師匠に入門しなくてはいけないらしい。ユーチューブを観まくり、都内のあらゆる寄席や落語会に通った。どの師匠に入門したらいいのか皆目わからない。落語をまったく知らないからこそ自分の好きな落語を話す落語家を探すのではなく、父親のように一生慕っていけるような落語家を見つけようと漠然と決めていた。国立演芸場の寄席に出向いたとき、高座の袖からにこやかにゆらりと出てきた三代目桂伸治(しんじ)を観た時全身に稲妻が走った。
「頭が真っ白になって電気が走ったようなことは人生で初めてでした」。伸治の落語を聴く前にこの人を師匠としようと決めたのだ。
「博打みたいだって? 違いますよ。自分の人生を預ける人はこの人しかいないと一瞬で決めるということは正解でしかないんだ。親以上と思えるような人を探すのが師匠選びでした。変な話、下の世話までできると思える人が師匠なんです。この話してるだけで、僕涙が出そうだ」(文中敬称略)
(文・守田梢路)
【「それは週刊誌の記者だよ」 赤江珠緒がテレ朝着任直後に体感した東京と大阪の違い<現代の肖像>】
※AERA2021年3月1日号から
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