波乱万丈な人生を歩む「東洋の真珠」 芸能界のご意見番としてタレント活動をするデヴィ夫人。現在見せる華やかな面とは裏腹に若い頃は苦労の連続だったとか。そんな彼女のシンデレラストーリーをご紹介します。大工を生業としていた一家の長女として誕生するものの、実家は貧しさを強いられていたそう。家計を支えるために通っていた定時制高校を中退するほど。可愛がっていた弟を大学に行かせるために赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」でホステスとして働き始めます。水割り一杯の価格=大卒の初任給とも言われた名の知れた一流クラブ。その中でもかなりの美貌と頭の良さで評判を呼んでいたデヴィ。当時インドネシアと巨額のビジネス関係にあった貿易会社のメンバーがデヴィを見初めスカルノ元大統領に引き合わせたと言われています。
最初は愛人の一人にすぎなかったようですが、デヴィの真面目で勤勉な態度が認められスカルノ元大統領の第三夫人となります。当時スカルノ58歳、デヴィ19歳、なんと39歳差の超年の差婚でした。結婚生活はわずか8年、スカルノの死によって突如終焉を迎えます。スカルノが亡くなる数年前から情勢激変のため娘を連れてフランスへ亡命していたデヴィは、フランス社交界の華として名を馳せたそう。働きづめだった10代の少女が社交界で「東洋の真珠」とまで賞賛されることになるとは、人生って予測のつかないドラマなんですね!スカルノには4人の正妻がいたそう。その中の第3夫人がデヴィ。4人も奥さんがいてなおかつ超多忙な大統領となると夫婦二人の時間てほとんど持てない!
猛勉強をしてインドネシア語、フランス語、英語を習得。母国語(日本語)を合わせると4ヶ国語を操る才女。
デヴィが25歳の時、スカルノとの間に長女かりなをもうける。父スカルノと母デヴィのいいとこ取りをしたエキゾチック美女です。スカルノにとっては8人目の子だそう
テレビでご活躍中のデヴィ。度々語られるインドネシア時代の生活が桁違い!ヤソオ宮殿で暮らしていた時のお手伝いさんの数なんと30人。さ、さすがです!
取材・文/Megumi Sawamura 写真協力/Aflo Getty Images