声にならない叫びを上げ、彼女は跳ね起きる。
また、いつもの夢だった。
カンテを蹴って、宙に飛び出す。向かい風が浮力となり、重力から解き放たれる。
ジャンパーにとって、何度味わっても変わらない、至福の瞬間。しかし、なぜか今回は違う。思うように身体が浮かない。
焦りが鎌首をもたげる。
だが、そこは冬空の女王たる彼女だ。すぐに冷静になる。身体のバランスを微調整し、浮力をよみがえらせようと試みる。
浮かない。
なぜだ。今度こそ、本当に冷静さを失う。雪面が眼前に迫ってくる。いやだ。まだ、飛んでいたい。落ちたくない。
身体が風を切る音で、本来は聞こえないはずの観客のため息。それがはっきりと聞こえる気がした。
「ランディングバーンに吸い込まれるんです。テイクオフしたら、着地の寸前までずっと浮力を受けて飛び続けられるはずなのに。もがいても、身体がまったく動かない」
暗闇の中、見開かれた瞳に、涙がにじむ。
時間を確認する。眠りに落ちてから、さして時は過ぎていない。
「本当に、まともに眠れませんでした。いつも、その瞬間を夢に見て、眠れなくなった」
小さな身体をさいなむ、残酷すぎる記憶。
2014年、冬季五輪ソチ大会。スキージャンプの高梨沙羅は、失速し、地へと落ちた。
"普段の延長"で五輪に行きたいと考えていた──
「それまでは、五輪も普段の試合と一緒だと思っていました」
聞き手をまっすぐ見つめて、高梨は振り返りだした。
「試合としてやりきるのは一緒。いつもと同じ、目の前の一戦だと思って、普段の延長という感じで五輪に行きたいと考えていた」
そうすれば勝てると思った。それは世間も一緒だった。
14歳。大倉山で141メートルを飛んだ。
15歳。日本人女子選手初のW杯勝利。
16歳。男女通じ史上最年少のW杯年間王者。
17歳。五輪までのW杯13戦で10勝。
天才少女は、"大本命"としてソチに入った。
欧州のブックメーカーはこぞって、高梨に1.5倍を切るような低オッズをつける。日本勢の中では、すべての競技の中で最も金メダルに近い選手。衆目は一致していた。
しかし、ソチの気まぐれな風が、彼女に味方しなかった。あらゆる競技でアスリートにプラスに働く「追い風」は、スキージャンプにおいては大敵になる。落下する選手を、着地面側から押し上げるように作用する「向かい風」を受けてこそ、距離は伸びる。
ソチ五輪、ノーマルヒル女子。
高梨は2本とも、強い追い風という不利を受けた。まさかの4位。周囲のメダル候補が向かい風で距離を伸ばす中、不運としかいいようがなかった。
試合後のインタビュー。高梨はにわかに現実を悟れないのか、取り乱した様子を見せることすらできなかった。ぼうぜんとしたまま、期待に応えられなかったことを、ただただわびる。幼さが残る頬に、静かに涙が伝った。
「日本に帰ってきてよいのか、とすら思いました」
ただ時がたつだけでは、心の傷は癒えなかった。
「それくらい、ダメージはありました。女子ジャンプは、ソチで初めて正式種目になりました。先輩たちが道を切り開いてくださった。そこに私が出させていただいたにもかかわらず、結果が出せなかった」
ソチの"ヒロイン"として、日本国内から寄せられる大きな期待も、ひしひしと感じていた。
「それは本当にありがたかったです。後々、記事とか番組とかを見返して、日本の夜中にもかかわらず、本当に多くの皆さんがテレビで応援してくださっていたんだなと思いました」
ファンの「声」に救われた──
帰国後。日本にはいまだ、国民の期待と失望が、余韻のように残っていた。
高梨はひたすら自分を責め続けた。少しまどろんだとしても、すぐに"あの夢"が追ってきて、少女を現実の世界に引き戻した。
そんな中、彼女を救ったのは、ファンの「声」だった。
「日本に帰ってきてから、本当にたくさんの方が手紙をくださりました。毎日、箱に山積みになるほど、いっぱい届いたんです。皆さん『よくがんばったね』『ありがとう』と。普段から全部読むのですが、あの時はいただいた一言、一言に、本当に救われました。何度も読み返して、もう一回がんばらなきゃいけないなと」
リップサービスではない。日本代表の山田いずみコーチも「ファンの皆さんからの手紙がなければ、彼女は立ち直れなかった」と証言する。
周囲は「ソチで高梨は不運だった」と言う。
だが、本人はそうは考えなかった。
「一発勝負で勝てるところに、自分を持っていけなかった。五輪の重圧の大きさは普通の試合とは別物でした。普段の試合と同じように臨む。そういう考え方がそもそも違ったなと」
それまでは、自分をベストの状態に持っていくことだけを考えていた。実力は飛び抜けている。大半の試合は、それで圧勝できた。
しかし「大半の試合に勝つ」だけでは、金メダルは取れない。特に女子は、正式競技はノーマルヒルのみ。五輪は文字通り一発勝負だ。
「自分のジャンプの部分、感覚のことばかり考えていました。でも、それだけでは一発勝負で勝つことはできない。もっと視野を広げないといけないと感じました」
たとえ不利な状況があっても、勝つ。そのためには「対応力」を高めることが必要。そういう結論に達した。
「置かれた状況でいかにベストを尽くせるか。置かれた状況をいかに自分のものにするか。どこの会場でも"ホーム"だと思えるような心の余裕を持ちたい。そう思いました」
五輪前までは、ただひたすらウオームアップに集中していた。そんな高梨が、試合前には会場のさまざまな場所をチェックするようになった。「観察」の始まりだった。
「まず、ジャンプ台をよく見るようにしました。実際に飛んでみるだけじゃなく、歩いて観察する。カンテにかけてのアプローチの曲線を、横から見てみる。他の選手が飛んでいるところも見る。カンテの状況は刻一刻と変わるので、それをしばらく見てみる。風の変わり方も、場所を変えながら感じてみます」
だいぶ時間をかけてから、ジャンプに入る。
「自分が飛ぶ時にはどうなるのかな。それにどう対応したらいいのかな。そうやって試合を想像して、イメージを鮮明にしてから、実際にジャンプをするようにしました」

日々の練習後。大会でのジャンプを振り返って。高梨は日誌をつけるようにしている。
「書き込む内容は長いときもあるし、端的なときもあります。えーっ、具体的にですか?擬音ばっかりで、きっと自分にしか分からないですよ」
観察してつくったイメージと、実際に飛んで得た感触。それらを文字とラフなスケッチで紙の上で再現する。
「カンテの手前の傾斜の変化をどう感じたのか。その後、どんな感じで足を使って、インパクトをカンテに与えたか。ジャンプ台によって、カンテへの適切な力の伝え方は違います。『ギュン』のときもあるし、『ギュウウウン』のときもある」
他人には分からない擬音やラフスケッチも、ジャンプ当時を思い出す"きっかけ"としては十分だ。
「その時の感覚をよみがえらせたいとか、そのジャンプ台がどうだったかを確認したいとか、日付を確認してその日の日誌を読み返します。失敗したときも、同じ失敗をした日の日誌を見返す。当時はどう反省していたのかも踏まえて、失敗ジャンプを振り返るんです」
ジャンプ台の特徴や、刻々と変わる風に、いかに対処しようと試みたのか。それを克明に記し、後に省みることは、「対応力」を高めるイメージトレーニングでもある。
8割の出来でも勝てないといけない──
ふと思い立ち、足の裏のマッサージを始めるようにもなった。
「足の裏の感覚を研ぎ澄まさなければならない。そう思ったんです」
大きなブーツを履いても、雪面の感触は足の裏に伝わってくる。
「刺激を強くしたり、弱くしたりして、ベストな硬さにします。試合の時、1本目と2本目の間にもやります。鈍感になってしまうくらいダメージを与えてはいけないので、ほどよく」
足裏の感覚を鋭敏にすれば、スタートゲートからカンテまでの状況を読み取ることができる。
「ソチのときも、自分の足の裏の感覚がしっかりしていて、瞬時に判断できていれば、ジャンプが狂いだすこともなかったと思います」
宙に飛び出す直前まで、考えを巡らせ続ける。状況の変化を瞬時に判断し、対応する。
「できることは、何でもしたいと思うんです。一発勝負で勝つためには、8割の出来でも勝てないといけない。置かれた状況の中でベストを尽せるように、この4年間突き詰めてやってきたつもりです」
そう言って、小さくうなずく。
「自分のジャンプができれば勝てる」から、「どんな状況であれ、勝つ」へ。高梨は、変わらなければならないと思っていた。
五輪の会場で得た「自信」──
すべては平昌五輪で、ソチの悔しさを晴らすため。その平昌で、対応力を試す機会がやってきた。
今年2月。平昌でのW杯2連戦。
高梨はくしくも、男女通してのW杯歴代最多勝53勝に王手をかけ、1年後の五輪の舞台に乗り込んだ。
初日。1本目でトップに立ったが、2本目で強い追い風を受けて失速。
伊藤有希に逆転を許し、2位に終わった。
状況的な不利もあったが、助走スピードが遅く、踏み切りのタイミングもずれていた。
記録達成の重圧なのか―。そんな見方もあった。しかし、高梨は違うことを考えていた。
「しっかり自分を客観視して、理想のジャンプに近づけるためにはどうすればいいか。そこだけを考えていました」
もう一度「観察」をしてみることにした。
ジャンプ台の形状を思い出しながら、念入りに失敗ジャンプの動画を見返す。かつては試合に集中しようと思うあまり、周囲を寄せ付けない雰囲気を醸し出していたが、この時は積極的に意見も交換した。
「コーチやスタッフとつくったLINEのグループトークに、動画を投稿するんです。そうすると、動画を見たみんなが意見を投げかけてくれる。世界中どこにいても、たとえ一人でいたとしても、作戦会議がすぐに始められるんです」
それらを踏まえ、決断した。助走路にあわせ、スキー板を変えた。
2日目。試技ではまだ、助走スピードは周囲に劣っていた。新しい板。すぐには感触はつかめない。

それでも、本番となる1本目には、スピードは上位選手と遜色ないレベルまで戻っていた。ソチ以来、培ってきた対応力が発揮されだした。
「試合日のジャンプは試技、1本目、2本目とあります。それらの間の短い時間で分析して、次につなげられるようになってきました」
1本目で2位につけると、2本目は向かい風が直前の選手たちより弱まる不利の中、97メートルまで距離を伸ばした。逆転で、W杯歴代最多タイの53勝目を挙げた。
1本目首位の選手も、2本目で横風に大きく流された。そんな難しい状況の中で、最善のジャンプをしたからこその勝利だった。
「踏み切りのタイミングの狂いも、最後はきちんと修正できました。平昌の風をしっかり感じて飛ぶことができた」
強さをみせつけて勝つ一方で、もろさもあった高梨の戦いぶりは、着実に変わりつつある。
「それが五輪の舞台になる平昌でできた。しかもあそこは風がかなり強く、ころころ変わる難しい会場です。自分にとっては自信になる1勝でした」
よく言われます、顔が怖いと(笑い)──
11月5日、NHK杯ジャンプ大会。
札幌・大倉山ジャンプ競技場のプレスルームへ急ぐ記者のうち、何人かが階段の手前でけげんな顔をして、一瞬立ち止まった。
小柄な女子選手が、階段の踊り場の隅にマットを敷き、ストレッチをしている。
よく見ると、高梨だった。
試合に向けて、集中力を高めている。何かをにらみつけるような形相。普段見せる柔和な表情と、あまりに違うため、記者であっても即座に本人とは分からなかったのだ。
テレビの中継映像では、見ることのできない表情。試合のスタート位置で、ゴーグルの奥に隠されているのは、鬼の形相なのだろう。
「よく言われます、顔が怖いと(笑い)。普段の顔とは違いますよね。試合が迫ってくると、周りが見えなくなって、自分の世界に入り込んでしまう癖があります。競技中は周りの方に気をつかわせてしまって、申し訳ないです」
それでも、今までの高梨とは違っていた。記者を見かけるたび「お疲れさまです。今日もよろしくお願いいたします」と言っていた。
「試合のことを考えつつも、周りのみなさんを気づかえるくらいでないと、気持ちの余裕は生まれないと思うんです」
瞬時には表情を変えられない。にらみつけるような視線が残ったまま、それでも丁寧にあいさつする。そのギャップが何ともほほ笑ましかったが、本人は真剣だった。
「五輪では予期できないようなアクシデントがあったりもします。そういうことにも対応できる心の余裕をつくっていきたいんです」
五輪に次ぐ大舞台、今年2月の世界選手権では銅メダルに終わった。
一発勝負に勝てる自分になる。変革の道のりはまだ半ばだ。
「今でもソチの夢を見ます。でも今は、それを悪いこととしては捉えてはいません。自分にくぎをさすための大事な記憶です。失敗から学ぶことは多い。失敗はしたくないけど、してしまったらもう仕方がない。そこから学んで、次にどうつなげるか、だと思うんです」
一身に背負った国民の期待に、応えられなかった。
ソチでの失速は、17歳の少女にとって、あまりにも過酷な運命だった。
それでも、高梨は折れなかった。淡々と宿命と向き合う。自分を変える。高め続ける。
つらい記憶すら糧にして、今度こそ金メダルを手にする。
(取材、文・塩畑大輔 撮影・松本洸)
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