車いす同士が激突する。
体に響くような低い音がコート中に轟く。
ヒヤリとする瞬間だが、車いす同士は互いによけることもない。
時には猛スピードのまま、相手を弾き飛ばそうとする勢いでぶつかっていった。
東京・お台場にある体育館。
20台ほどの車いすは、どれもボコボコに凹んでいた。
選手たちは目まぐるしく動き、その間をボールが行き交う。
激しいタックルを繰り返す男性選手たちの中に、1人の女性選手の姿があった。
ウィルチェアーラグビー日本代表・倉橋香衣。
2018年8月に行われた世界選手権では、代表唯一の女性選手として金メダル獲得に貢献した。
屈強な男性選手と比べると腕は細く、体はきゃしゃだ。
自分より大きい相手に何度弾き返されようとも、倒されようとも、つらそうな顔を見せることはない。
ためらうことなく次のタックルに行き、笑顔で次のプレーに向かう。
プレーが途切れると、チームメートたちとそれまでのプレーを振り返る。
「あのタックル、タイミング良かった!」「あそこはもっと早く寄せないと」
険しい顔で話す選手たちの中でも、倉橋は笑顔だった。自分の考えを関西弁で語り出す。
その明るい雰囲気に、周りの選手にも笑みが広がっていった。
"ピッ!"
プレーの再開を告げる笛が鳴る。
倉橋は口を結び、再びタックルに向かった。
転倒、パンクは日常茶飯事
車いす同士の激しいぶつかり合いが認められている唯一の障害者スポーツ「ウィルチェアーラグビー」。
ラグビーと同様、ラインを越えればトライ。選手たちは相手の進路を妨害するため、ぶつかり合う。
その衝撃で車いすが転倒したり、タイヤがパンクしたりは日常茶飯事だ。
そんな激しい競技にもかかわらず、ウィルチェアーラグビーは男女混合競技である。
1チームは最大12人。コートに出るのは4人。選手は障害のレベルによって0.5点〜3.5点の7クラスに分類され、コートに出る4人の持ち点の合計は8.0点以内。ただし、女性選手が加わる場合、女性選手1人につき持ち点の合計を0.5点プラスできる。
倉橋は最も障害が重い0.5点。障害の重い選手は、相手の動きを妨害する「ディフェンス」を担う。一方、障害の軽い選手は、スピーディーな動きでボールを運び、得点を奪う「オフェンス」の選手に分類される。
倉橋は猛スピードで迫る相手オフェンス選手を止めなければならないが、笑いながらさらりと言う。
「恐怖心はないです。ぶつかるのが面白くて、ラグビーを始めたので」
首を骨折し、頸髄損傷
ウィルチェアーラグビーを始めて4年になる。
トランポリン部に所属していた大学時代だった。
トランポリンの大会前のウォーミングアップで技に失敗し、頭から落下した。首の骨が折れ、頸髄を損傷。鎖骨から下の感覚がほぼなくなった。
入院し、リハビリ生活が始まったが、悲観することはなかった。
「何かスポーツがしたい」。小さい頃から動くことが好きで、けがをした後でも、体を動かしたくて仕方がなかった。
ウィルチェアーラグビーとは、リハビリ生活の中で出会う。
自立訓練施設に入所している時、メンバーが少ないからと誘われ、ラグビー部の活動を見に行ったことがきっかけだった。
「ぶつかっても怒られんっていいな。面白そう」
車いす同士がぶつかり合っている姿に、一瞬で心を奪われた。
その後、入団を誘ってくれたクラブチーム「BLITZ」に加入し、本格的に競技を始める。
ただ、「ぶつかるのが面白い」と競技を始めた倉橋は、ウィルチェアーラグビーの意外な奥深さを知ることになった。
いつもの笑顔が消えた瞬間
激しいプレーが特徴のウィルチェアーラグビーだが、実は車いすのポジショニングや選手同士の動きの読み合いも試合の鍵を握る。
「最初はどう動いたらいいか、わけがわからなかった。ぶつかり合いが楽しいっていうのもあったけど、もっと知りたいと思ってどんどんのめり込んでいきました」
クラブチームや日本代表での指導を受けるようになり、さらに上を目指していく。世界を相手に戦うようになった今では、ディフェンス選手としてのプライドもある。
「ディフェンスの自分たちが変な動きをしたら、ボールは進めない。相手のコースを読んで、少しでも邪魔になるように動いている。得点を取る人だけじゃなくて、コートで別のことをやっている人もおるんやで、と知ってもらいたい」
試合や練習ではエース級の男性選手と相対することも多いが、「苦労はそんなにない」という。言葉に力がこもる。
「男性選手とパワーやスピードの差を感じることはあるけど、それが苦労かといったらそうではない。差があるからこそ、遅いからこそもっと速く動けるようになろうとか、男性選手に追いつけるように頑張ろうと思える」
いつしか笑顔は消えていた。
男性選手の中で戦うことを物ともしない、闘志が垣間見えた瞬間だった。
本当に会社のおかげ
東京・虎ノ門の商船三井ビル。
インタビューを終えた倉橋は、そのまま仕事へと向かった。
ウィルチェアーラグビーの選手であるとともに、商船三井の社員として週1回の勤務と週1回の在宅勤務をこなしている。会社は、練習と仕事を両立させることを後押ししてくれている。
「本当に会社のおかげ。競技のサポートもしてくれているし、仕事でも、どうやったらラグビーに集中できるかとか、仕事がしやすいかとか、一緒に考えて手助けしてもらっているのでとても働きやすい」
会社にとっても、倉橋の活躍はいい刺激になっている。
出会いは、倉橋が競技を始めて6カ月ほど経った頃。まだ日本代表にも選ばれていない時だ。当時の採用担当者は、「笑顔を絶やさずに明るく話をして、全てに対してポジティブな話をしていた」ことが印象的だったと語る。
「もし一緒に働くことになれば、社員や会社にいい影響を与えてくれるかもしれない」。選手としてまだまだ未知数だったが、会社で初めての障害者アスリートとして採用した。
「我々も人材育成にはこだわりがある。仕事のみならず、競技の面でも支援することで育成できるのであれば、我々の求めている姿なのではないか」。支援は倉橋からBLITZへ、さらに日本ウィルチェアーラグビー連盟へと広がっていった。
「追いかけていかなければいけない」
商船三井は、倉橋が初めて日本代表の海外遠征に派遣された際、壮行会を開催した。同採用担当者は「社員が五輪・パラリンピックに出場など聞いたことがない。会社としても社員としても初めての経験」と振り返る。
当時について倉橋は、「まだ代表入りしていない、選考の段階だったので、恐れ多かった」と話す。
「でもみんなに応援してもらえて、ワクワクが増えた。あと、頑張って結果を残して帰ってこないと、という気持ちになりました」
日本代表の選手として戦うようになり、練習が忙しくなっても、会社は心強い味方だ。
「会社の人とは連絡を取り合ったり、応援に来てくれたりもする。離れていても応援してもらえるので、自分はもっと結果を出さないと、と頑張れる。応援のおかげで、ラグビーに集中して取り組めています」
会社が"障害者支援"の一環として採用した倉橋は、力をつけ、日本代表選手に選ばれるまでになった。
「彼女の活躍は我々にとっても励み。彼女は感じていないのかもしれないが、日本を代表する立派な選手になってきて、時に遠い存在になりつつある感覚もある。我々はしっかりと追いかけていかなければいけないな、と思っています」
会社として、今後も背中を押していくつもりだ。
女性だから、というだけで注目されたくない
2018年8月。世界選手権。
日本代表チームは、決勝でリオパラリンピックの覇者・オーストラリアを下した。
両チームのメンバーで、女性選手は倉橋のみ。日本の選手よりも屈強なオーストラリア選手の行く手を何度も阻み、チームの期待に応えた。
各メディアで快挙が報じられたが、競技自体の知名度はまだまだ低い。倉橋はこう語る。
「本当に広まってほしい。女性選手も、日本では3人しかいない。それはウィルチェアーラグビーがまだまだ知られていなくて、男女混合競技ってことすら知られてないから。もっと知る人が増えれば、女性も始めやすくなると思う。応援も増えるだろうし、パラ競技自体も盛り上がる」
日本代表初の女性選手で、現在の代表でも唯一の女性選手である倉橋には取材が集中することも多い。ただ、「女性選手だから」というだけで注目されることへの葛藤もあるという。
「女性だから、というだけで注目されたくはない。男女混合の競技だから、女性がいてもおかしくないし、それがルール上は普通。でも、そうやって注目されるのも、競技が本当に知られてないからだろうなって思う。知ってもらえたら、状況も変わるかな」
「自分と同じ0.5点でも、もっとうまい選手がいる。その選手たちに追いつけていないのに取り上げられたら、もっとうまくならないとやばいなって思う。女性として注目されることで、逆に頑張ろうとも思えるんですけど」
開幕まで2年を切った2020年東京パラリンピックでは、金メダル獲得が目標だ。
「チームで金メダルを取って、みんなで喜びたい。でも、まずは自分がもっともっとうまくならないと。0.5点の男性選手に劣らない、それ以上の動き、活躍ができる選手になりたい」
倉橋はまだまだ先を見続けている。
これまでも、逆境にめげることはなかった。
笑顔の中に男性選手に負けない闘志を持って、進み続ける。
倉橋香衣選手
1990年9月15日、兵庫県生まれ。高校まで体操選手で、文教大(埼玉県)進学後はトランポリン部に所属。在学中の2011年、試合前の練習中のけがで頸髄を損傷。リハビリ中にウィルチェアーラグビーと出会い、2015年からはクラブチーム「BLITZ」に所属。大学卒業後の2016年、商船三井に入社。2017年に女性として初めて日本代表に選出され、2018年8月の世界選手権では優勝に貢献した。
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【取材・文=橋本嵩広(LINE NEWS編集部)、撮影=佐野美樹、徳丸篤史、動画編集=和泉達也】