車輪の摩擦音がとどろく。
スケートボードに乗った子どもたちが駆け抜ける。
宮城県石巻市、工場や倉庫が立ち並ぶ一帯。辺りは7年半前、東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた。
電気もガスも水道も通っていない状態からつくり上げられたスケートパーク「ONEPARK」。
そこに、「ONEPARK」とバックプリントされたTシャツを着た青年たちが、フラリと現れた。
人気ロックバンド、TOTALFATの4人だ。
自らの背丈よりも高いセクションを軽々と滑ってゆく子どもたちの姿を見て、Shun(Vo/Ba)がつぶやく。
「世界が見えちゃうよね」
スケートボードは、東京五輪で新たに採用された競技。
ここから世界へ羽ばたく選手が生まれるかもしれないと、胸を膨らませる。
被災した倉庫から生まれた"遊び場"
ONEPARKの代表を務める勝又秀樹さんは、もともと普通の会社員だった。
勝又さん
ここは冷凍倉庫だったんですよ。
ONEPARKの建物は震災前、地元の水産メーカー「木の屋石巻水産」が使っていた。
木の屋の副社長・木村隆之さんは、ONEPARKの壁を指さしながら振り返る。
木村さん
あの線の高さまで津波が来て…5〜6mくらいかな。そこから下は全部、水に浸ったわけです。
水だけでなく、がれきや石灰、ヘドロも流れ込んだ。さらに、停電によって倉庫内にあった魚介類は腐敗してしまった。
それから半年もたたない頃、木村さんは勝又さんをこの倉庫へ連れてきた。
勝又さん
震災前に遊んでいた公園が使えなくなって、滑れる場所を探していたんです。
勝又さん
そんな時にたまたま木村さんに会って、「いい場所があるよ」って。
倉庫の中はあらかた片付けてあるものの、まだ床に泥がたまったままの状態。それでもスケーターにとって、広くて屋根もあるこの倉庫は魅力的な場所だった。
木村さん
自分たちできれいにするっていうからさ、「しばらくはこの倉庫使わないだろうし、スケボーに使ってもいいよ」って貸したんですよ。
勝又さん
みんなで掃除して、スケボーで遊べるように少しずつ施設を増やしていったんです。
遊ぶ場所も、遊ぶ気力もなくしてしまっていた石巻に生まれた"ひとつしかない遊び場"。いくつになっても純粋な気持ちを忘れないよう、"わんぱく"という意味も込めて「ONEPARK」と名付けた。
木村さん
ちゃんと滑れる状態になった時は感動しましたね。
木村さん
当時は遊び場なんて全然なかったから、勝又くんが子どもたちを連れて来て滑る姿を見た時は涙が出ました。
勝又さん
木村さんは恩人です。ここは普通の倉庫としてなら月に50万円〜80万円くらいで貸せる場所なのに、家賃も取らずボランティアで貸してくださっているんです。
「木の屋さんが頑張ってるのに、お金取れないよ」
そう言って、水銀灯だったONEPARKの照明を無料でLEDに取り換えてくれた地元企業もあった。
ONEPARKが希望の光となり、じわじわと地元の人々へ輪が広がっていった。それをさらに広げたのはアーティストたちだった。
石巻から全国へ、アーティストの力で広がった輪
きっかけは、Hi-STANDARD主催のロックフェス「AIR JAM 2012」が宮城で開催されたこと。
フェス会場のど真ん中に設置されていたスケートボードのセクションが、ONEPARKに寄贈されたのだ。
勝又さん
ハイスタの難波(章浩)さんが、そのセクションをはるばる見に来てくださったんです。その流れからフリーライブもやっていただいて、今もずっとお世話になっています。
そこからONEPARKの存在は見る見るうちにアーティストの間で広まった。BRAHMANやDragon Ash、MAN WITH A MISSIONなど、数多くのバンドが応援してくれた。
音楽フェスやアートイベントも開催され、全国から人が集まるようになった。2日間で5000人を動員したこともあった。
しかし、多くの人が訪れることで新たな問題が生まれた。行政から「指摘」が入り、ONEPARKは休止せざるを得ない状況となってしまったのだ。
「行政としては認められない」立ちはだかる壁
石巻の佐藤茂宗副市長が苦渋の表情を浮かべて休止の理由を説明する。
佐藤副市長
倉庫なので、例えば身内でスポーツをするのであれば問題ないんですけれど、いろんな人が使うとなると、そうはいかない。
佐藤副市長
行政としては、今の状態では認められないんです。
人を集めるのであれば、建物の登録を「遊技場」に変えなくてはならない。
そのためには、消防法や建築基準法にのっとった設備が必要となる。それらが整うまでは、休止しなくてはならないのだ。
とはいえ、市役所としてもONEPARKのことは応援する立場だという。
佐藤副市長
今、石巻の若者は仙台や東京に流出しています。ONEPARKがスケートボードや音楽などのカルチャーを盛り上げてくれれば、石巻に若者が集うようになるかもしれない。
壊れた建物などを震災前の通りに復旧するだけではなく、前よりもいい形にする"創造的復興"を目指すべきというのが、佐藤副市長の考えだ。
佐藤副市長
ONEPARKの存在は創造的復興につながると思っています。スケートボードは五輪競技にもなりましたし、「ひょっとすると大きく化けるんじゃないかな」という可能性をすごく感じました。
スケーターが持つ「プラスに変えていく力」
一般向けの開放は休止中のONEPARKだが、今回取材のため、特別にスポットでオープンしてくれることになった。
フェス出演のために宮城を訪れていたTOTALFATが、それを聞いて駆け付ける。
Dragon Ashのダンサー・ATSUSHIからONEPARKのことを聞いたTOTALFATの4人は、4年ほど前からツアーのたびに訪れ、プライベートでも遊びに来ていたという。
Bunta(Dr/Cho)
近所にこんなでっかいパークがあったらいいよね。
Shun
子どもの時からの環境ってすごく大事だもんね。
Bunta
いかに小さい時に、でっかいランプで滑るかって、すごい大切。
Bunta
ちっちゃい頃からONEPARKのこの規模で遊べるって、すてきなことだなと思う。
今やONEPARKは他のスケートパークに負けない、全国有数の規模を誇る。「被災地」のイメージを覆すほどの設備だ。
Shun
スケーターって、ネガティブなことがあった時に、マイナスを0に戻す努力ではなくて、0になったものを新しくプラスに変えていくっていうマインドを自然に持っていて。
Shun
なぜかというと、けがをしないスケーターって皆無なんですよ。新品の道具や高級ブランドの服を買ってきても、1回滑って転んだら傷だらけになるし、汚れも付く。
Shun
そこから、自分の気持ちをどうプラスに持っていくか、どう格好良くしていくかを考えるんです。「SKATE AND DESTROY」っていう言葉もあって。
直訳すると「スケートして破壊しろ」。壊すのは物だけではなく、既存の考え方のことも指しており、「常識なんてぶっ壊せ」といった意味を持つ。
Shun
そういうマインドがあるから、ONEPARKは一般の人たちが抱く被災地のイメージとかけ離れて、ものすごく前向きな空間になっているんだと思う。
「もらい癖を捨てたい」勝又さんの思い
Shunは今年4月、勝又さんと夜通し語り合い、ONEPARK存続に向けての思いを聞いた。
Shun
最初はヒデさん(勝又さん)にクラウドファンディングを提案したんです。
ONEPARKを再開させるためには、スプリンクラーや消化器の設置、避難通路の確保などが必要だ。施工に必要な金額も、具体的に分かっているという。
Shun
軽い気持ちで「俺らも協力するし、ミュージシャンもみんな支持してるから、お金集まるっしょ」って言ったら、ヒデさんの表情や目つき、雰囲気がガラッと変わったんですよ。
勝又さんの答えはこうだった。
「俺らは7年間もらい続けてきて、もうその癖、いいかげん捨てたいんだよね」
勝又さん
震災の時に、いろいろ助けていただいた。7年もすぎてるのに、また「くれ」って言うのは、随分と虫がいいかなって。
勝又さん
まずは石巻の人たちに「ONEPARKが必要」と思ってもらいたい。地元の人が欲しいと思っていないものに対して、他のところに「お金ください」とは言えないじゃないですか。
周知活動から始め、8月までに集められた署名の数は4009人分。
この署名活動には、Hi-STANDARDの難波が「ONEPARK存続大作戦」とネーミング。多くのアーティストが力になった。
単純に「友達が困ってるから助けたい」と思った
震災後、多くのミュージシャンが復興に向けて活動する中、TOTALFATには迷いがあった。
Bunta
いろいろ動いている先輩ミュージシャンの方々を見ながら、リスペクトの気持ちと「けど、自分たちにはまだそんな余裕ねえな」っていう気持ちの二つがあって。
Shun
「東北のために!」みたいな大義名分で曲を書くことだって、やろうと思えばできたと思うけど、気持ちをどう乗せて良いのかっていう部分が悩ましかったんです。
ないがしろにしたかったわけではないが、何が正解か分からない。歯がゆい時間を長く過ごした。
Shun
でも、ONEPARK休止の話を聞いて、単純に「友達が困ってるから助けたい」と思ったんです。
Jose(Vo/Gt)
俺らの音楽性やバンドとして表現したいことと、Shunが勝又さんから話を聞いて感じたことはすごくリンクしてたしね。
Bunta
うん。「0からプラスに持っていく」って話で、それなら俺らも何かサポートできるかもなって気持ちになった。
Shun
0から新しく1を生み出すのって、音楽家の仕事でもあるからね。
そうして、勝又さんの言葉の中から歌詞を紡いだ「Seeds of Awakening」という曲が生まれた。原曲を聞いてもらうため、ShunとBuntaは勝又さんのもとを訪ねた。
Shun
もともとはヒデさんに贈るために書いた曲だったんですけど、ONEPARKで滑ってる子たちを見てたら、ヒデさんのために書いてる気がしてこなくなって(笑)。
Shun
ヒデさんの先にはアイツらがいるから。ここに来たことで曲のサイズ感が変わりましたね。それで曲に「子どもたちの声を入れたい!」と思ったし、MVの主人公も変わっていった。
Kuboty(Gt/Cho)
この曲のMVって、2人がここに来て、ヒデさんと一緒につくり上げた人間関係と共にできてるから、すごくリアルなんですよね。バンドやってきた中で一番意味のあるビデオだなって思った。
Shun
ドキュメントだよね。ヒデさんと朝まで飲んだ時からカメラ回しとけば良かった(笑)。
子どもたちを通して見る、未来の石巻
ONEPARK存続に向けてのストーリーはまだまだ続く。署名活動を終え、今後は市の政策コンテストに挑む。
プレゼンするのは、震災直後にONEPARKへ通っていた学生たち。当時は小学生だった彼らも、今や高校生だ。
勝又さん
7年もたつと、初期に通ってた子たちはだいぶ大人になってて、力を貸してくれるんです。
Jose
そっか、当時の中学1年生が今はハタチ超えてるんですもんね。
大震災を経験してもなお、前向きに進んできた大人たち。当時の子どもたちも、その背中を追うようになった。
勝又さん
「何かやりたい」と思った時に動くことが大切。口で言っても始まらないので、周りの大人がやって見せるしかない。
勝又さん
しっかり種を植えていけば、次の世代の子どもたちが10年後、20年後に大人になった時、石巻をもっといい街にしてくれると思う。
勝又さんはONEPARKで遊ぶ子どもたちを通して、未来の石巻の姿を見ていた。
【取材・文=奥村小雪(LINE NEWS編集部)、写真=大橋祐希、動画=滝梓】