過去の世界は間違っていた―キアヌ・リーブスが語る、死・性・老いと「マトリックス」空白の20年
「マトリックス」以降、キアヌのインタビューでよく聞かれることが1つあった。それは、「もしマトリックスの続編があるとしたらどうしますか?」という質問だ。
続編への質問が投げ掛けられるたびにキアヌは「またやりたいと思うけど、僕には決定権がないから分からない」と答えてきた。これまでに発表された3部作は主人公の終わりまでを完璧に描ききっており、多くの人は「その時が来る」とは思っていなかった。
しかし、2021年12月17日、その時は訪れた。「マトリックス」3部作の続編「マトリックス レザレクションズ」が公開されたのだ。
日本語で「復活・蘇り」と題された本作は、なぜスクリーンに舞い戻ってきたのだろうか。3部作公開後から社会の価値観も大きく変わった上に、「不老不死の男」とも呼ばれるキアヌですら、あと数年で還暦を迎える。キアヌ・リーブスに20年の変化を聞いた。
「マトリックス」の第一作目は1999年に公開され、当時の最先端技術で表現されたSFの壮大な世界観とワイヤーアクションの迫力で世界中の人々の度肝を抜いた。
キアヌ演じるトーマス・アンダーソンは、大手IT企業に勤めていたが、突然出会ったヒロイン、トリニティーに導かれ、自分が生きていたのは「仮想世界」であることを知る。
「現実の世界」では、人間は生まれた瞬間からコンピューターによって夢を見させられ続け、機械を動かす養分として栽培されていたのだ。この支配を打ち砕くため、トーマス・アンダーソンは「救世主ネオ」としてコンピューターと人間の戦争に身を投じていく。
SF映画に金字塔を打ち立てたこのプロットは、インターネットの一般への普及が本格化した1999年という時代も相まって、見る者に奇妙な没入感をもたらした。
「マトリックス」が公開された際の記者会見では「コンピューターについてどう思うか?」と質問が投げ掛けられ、キアヌは「パソコンを持っていない」と答えていた。
さらに当時彼は友人がネットで検索するのを肩越しに眺めては「『これ調べてくれる?』『ぼくにもできる?』『なんてこった、こんなこともわかるのか!』って感じ」と驚いていたという。
そんなキアヌは、この20年の変化を「みんながコンピューターを持つようになって、個と個がつながるようになった。これが一番の違いだと思う」と話す。
キアヌ自身は2021年の今もSNSアカウントを持っていないが、その威力を十分すぎるぐらい味わってきた。
一般人に混じり地下鉄に乗っている姿を激写されたこともあれば、最近では撮影現場でスタッフが持っている重い荷物を運ぶ動画がSNSをにぎわせた。
「レザレクションズ」の撮影風景もTwitterに投稿され、トリニティーと手をつないで40数階のビルから飛び降りるアクションが話題になった。
‘Matrix 4’ filming in downtown SF pic.twitter.com/ikgBh9Bkis
— Culture Crave 🍿 (@CultureCrave) February 15, 2020
このアクションシーンに関して、トリニティーを演じたキャリー=アン・モスは米Entertainment Weekly誌のインタビューで、「恐怖を克服するものだった」といい、家族からは「本当にやるのか?」と心配されたそうだ。
制作陣にとっても「ビルからの飛び降り」は映画における重要なシーンで、大きなメタファーになっているそうだ。「できると信じて飛び込め」というメッセージを表現しているのだ。
「どんな映画にもリスクはある。特にこの作品はたくさんの人に影響を与えたから」
「でも、僕は監督のラナ・ウォシャウスキーがどんな物語をつづるのかずっと興味を持っていたし、実際に彼女から『またネオを演じてみない?』と電話をもらった時、思わず座っていた椅子から飛び上がってしまうくらい興奮したよ」
久しぶりにネオとトリニティーが相対するシーンの撮影をした際は、感極まってカメラの前で涙が出そうになったという。それぐらい「マトリックス」はキアヌにとっても大きな作品だった。
What you know, you can’t explain. But you feel it. #TheMatrix pic.twitter.com/ljs5UCWKE7
— The Matrix Resurrections – 🚫 Spoilers! (@TheMatrixMovie) November 24, 2021
キアヌはオフィシャルインタビューで「キャリー=アンと初めて共演したときは彼女も独身で、3人の子供もいなかったからね」と20年の変化を語る。
「こうして再会できてうれしいよ。お互いに昔に比べると変わったところもあれば、変わらないところもあるけれど、キャリー=アンらしさは健在。にじみ出てくる人柄はちっとも変わらない」
逆にキアヌ自身で変わったことはないのだろうか? ハリウッドの大スターになった今でも、庶民的な姿が目撃されては謙虚だと言われる。
「なぜあなたはいつも謙虚なのですか?」と質問すると、キアヌは驚きながら「自分が謙虚だなんて考えたことないよ」と笑った。
「僕はいつもいい仕事をしようと思っているだけで、それ以上のことは考えていない」。20年前から変わらない「自分は普通の人間である」というスタンスが垣間見えた。
とはいえ、肉体の変化は救世主にも訪れる。作中でもネオはかつてのような俊敏さはなく、少し疲れた表情も見せる。
こういう設定も影響しているのか、ネオのアクションは3部作とは異なるものにしたという。
柔道の投げ技を連発する代わりに、ネオの得意技をブレンドしたようなスタイルを編み出し、東西の武道を織り交ぜた「硬軟の合わせ技」でファイトシーンを作り上げた。
「やっぱりフィジカル面では、歳を取ったなと感じることはある。アクションシーンはキツいし、回復にとても時間がかかる」
「でも、経験値がある分、あらゆることを効率的にできる。歳を取ると効率性を手に入れられるんだ」
こうした背景を踏まえつつ、キアヌは「いろいろな意見が飛び交うリスクはあるけれど、自分にできることはこの作品をより良いものにすることだけ。見る人にとっても、良い体験になるはず」と自信をのぞかせる。
「できると信じて飛び込む。僕はその姿勢を信じているから」
「マトリックス」はシリーズを通して「自分の人生は自分で選択するものだ」というメッセージを投げ掛ける。物語で登場する、赤と青の薬はそのメタファーだ。
「コンピューターに見させられた夢から覚め、現実の世界で生きようとする」という設定は、壮大なフィクションではある。
しかし、自分の人生を無意識のうちに「自分の意思以外のもの」に委ねてしまうことは、誰にでも起こり得る。
今、ここにいる自分は、本当に自分が望んだ姿なのか?
本当の自分はどこにあるのか?
こうした問いは、映画の外にいる私たちにも突き刺さる。事実、「マトリックス」の制作を経て、2人のウォシャウスキー監督は性別適合手術を受けて兄弟から姉妹となった。
2020年には、妹リリーが「本作はトランスジェンダーとして生きることの寓話だ」とNetflixのインタビューで告白し、再び注目を集めたばかりだ。
キアヌ自身も、20年前に「マトリックス」の脚本ドラフトで「マトリックスの世界と現実の世界で異なる性別を持つキャラクターがいたのを見た」と米Entertainment Weekly誌のインタビューで明かした。
キアヌは「20年前は、見る側も作る側も、そうした人物を描く準備ができていなかったのかもしれない」と分析し、この社会の変化を「とてつもなく素晴らしいこと」と歓迎する。
「どんな種類の文化であれ、どんな人であれ、どんなものであれ、自分がなりたい自分を表現するのは素晴らしいことだと思う。ラナも今は本当の性を生きている」
「むしろ、そうした可能性がないと考えるのはとても愚かなことだと思う。過去には、本当の自分として生きるのを許されずに命を落とした人もいる。どっちがおかしいんだろう? 僕は間違いなく、過去の世界の方がおかしいと思う」
それは死への悲しみだ。
「マトリックス」の続編は毎年のようにオファーがあったものの、監督は断り続けてきた。それでも再びネオとトリニティーを物語で「蘇らせた」のには理由がある。ベルリン国際映画祭で、監督は「死への悲しみを乗り越えるため」だったと明かしている。
両親の死を目の当たりにし、眠れない夜を過ごしていた際に、頭の中に突然ネオとトリニティーが現れたという。
キアヌにこの話を振ると、目を閉じてうなずいた。そして「僕自身、悲しいことがあったら、納得するまで悲しむようにしている。そして気が済んだら、何か良いことを考えるようにする」と明かす。
「物語は、人に生きる指針を与えてくれるんだと思う。例えば自分自身を変化させたいとか、そのためには何をするべきなのかとか、そういうイマジネーションを与えてくれる」
「それは悲しみを乗り越える力になることもあるし、自分の人生を理解したり、他人を理解したり、多くのことを教えてくれる。物語には、人生を次に進める力があるんだと思う」
「マトリックス」は、現実を受け止めるため、そして自分なりの人生の答えをみつけるために蘇った。「レザレクションズ」のラストでは「二度目のチャンスをくれてありがとう」とトリニティーが言う。
一度目は間違いなく1999年だ。覚醒した後だって人は目の前の世界に流されてしまうこともある。ネオとトリニティーもそうだった。だからこそいま一度、赤い薬を飲んでビルの屋上から飛び立った彼らは問い掛けてくる。
運命を信じるか?
運命なんて信じるな。人生は自分で決めるものだ。