ロックシンガー、矢沢永吉。72歳。
今年デビュー50周年を迎え、今夏には史上初となる新国立競技場での有観客ライブを控える。
そんな矢沢は、自身のキャリアをどう振り返るのだろうか。
矢沢にとっての「終着点」、自らを「ビビリ」と評する真意、同調圧力が増した現代社会への見解──
都内のスタジオで、時折独特の言い回しを交えながら語った。
──デビュー50周年。「50」という数字は自身の中でも重みを増してきていますか。
矢沢永吉
いや、重みじゃないんです。ファンの皆さんや、周りへの感謝ですよね。昔は感謝なんかしなかったけれども。
──なぜ昔はしなかったのですか。
矢沢永吉
分かんなかったの。分かんないし、若い頃は生意気な男でしたからね。
日本武道館での通算100回目のライブの時も、「皆さんのおかげです」って言うのだけはやめようと心に決めてました。だって僕は、誰よりも自分自身が走ってきたから。
矢沢永吉
そしてライブ中、MCで「今日は100回目です…」と切り出しました。「『皆さんのおかげです』とか、あれだけは言いたくねえなと思って、今ここに立ったんですけど、立ったらね…」と、ここまでは良かった。
でもその後、「やっぱり皆さんのおかげなんですね」って言っちゃった。しかも最後には「ありがとうございます!」って(笑)。
──2013年に出したアルバム「ALL TIME BEST ALBUM」の帯に「なぜ、矢沢永吉は錆びなかったのか?」という素晴らしい文があります。もし矢沢さんがこの問いをぶつけられたら、なんと答えますか。
矢沢永吉
「なぜ錆びなかったのか?」。僕はね、錆びる・錆びないなんて考えないの。やっぱり、毎年、「今年のテーマは何にする?」って思ってたから、錆びてる場合じゃなかったんじゃないですか。
とにかくやる。やることがないんだったら、作る。道がないんだったら、作る。ワクワクするものがないんだったら、ワクワクするテーマを作る。矢沢に錆びてるヒマはないんです。
矢沢永吉
僕、思うんです。同じことの繰り返しなのかもしれないけど、それって、大事なことなんだよねって。だってほら、今、僕を撮っているキャメラマンもそうでしょう。同じことをやってるじゃない。
同じことをやってるけど、やっぱりその時々で、感じ方が変わる。感じ方が変わったところで、シャッターを切る。同じことをやってるから、味が出てくるんじゃないですか。
──矢沢さんのキャリアを振り返ると、同じことをやっている人ほど、新しいと分かります。
矢沢永吉
いいこと言いますね。「同じことをやっているから、新しい」。いい言葉です。きっと、やり続ける中にわびさびがある。大事なことです。
──昨年の全国ツアーは、久しぶりのライブになりましたね。
矢沢永吉
去年、31公演やりました。この山、越えられるかな、とスタートを切ったんですが、最後の横浜アリーナまで駆け抜けた。
コロナ明け、いや、明けてはいないですよ、「明けたフリしてるコロナの最中」っていうのかな。
矢沢永吉
ファンの皆さんも、とにかく色々な思いを抱えながら来てくれた。その時、思いました。俺のファンの人たちは、思い入れが違うんじゃないかって。矢沢に対する思い入れ。「永ちゃん!暮れの武道館見ないと年越せないよ!」って人もいました。ありがたい言葉です。
それで、ステージに立った時、「ワーオ…」って。それと同時に、うれしさと、感謝と、申し訳なさがありました。そして、ファンの皆さんに、ありがたいという気持ちと、同時に、プライドを感じましたね。
──横浜アリーナのステージ上から見てそう思ったのですか。
矢沢永吉
そう、見て思ったの。ステージの本編最後に「PURE GOLD」をやって、「ホームにNight Train 財産はトランクとギターだけ」と歌いました。これは広島から出てきた時の僕です。「場末のDance hall渡ってく」と続く。これはまさに、僕が食えなかった頃、本牧あたりのライブハウスで活動していた時のことです。
歌いながら、あれが、バーッと脳裏をよぎっちゃった。泣けてきたよね、気持ちがこみ上げてきて。10秒間くらい、歌えなくなりましたね。
──72歳という年齢を考えた時に、先に何が見えているのでしょう。終着点なのか、その先に見えるものはありますか。
矢沢永吉
矢沢の終着点?ないね!終着点はね、若い時こそあるんですよ。「50までやれたらいいな」なんて思ってた。でも、このくらいになってきたら、「え、今年もライブやれるのかよ、フゥ〜最高!」って感じですから。
「サブウェイ特急」に「俺は畳じゃしなねえぞ」って歌詞がありますね。当時は、作詞家に「かっこいいねえ」なんて言ってたけども、これ、もう冗談にならないですよ。矢沢、ほんとにステージの上でパタっと逝っちゃうんじゃないかな。それでもしょうがないなって思ってますよ。そのくらい、まだ現役バリバリでやらせてもらってることのありがたさ、あります。
──コロナ禍の2年間、多くのミュージシャンが配信ライブをやってきました。ナマと配信の違いとはなんでしょう。
矢沢永吉
たぶん、これ、僕だけじゃなくて、ほとんどのアーティストが同じことを感じてると思うんですけど、このコロナで配信をやってみて、はっきり分かったんじゃないかな。「本物には勝てない」って。
配信はどこまでいっても配信です。これから先、どんだけ技術が上がってブラウン管が良くなって、映像がきれいになったって、あのナマの会場の空気は無理です。でも、それでいいじゃない。同じじゃ困るよ。
──久しぶりにライブに行くと、始まる数分前の高揚感なんてたまりません。
矢沢永吉
そう、あの感じよ。ライブが終わって、アナウンスが流れて、会場を後にしていく時の気持ちとかさ。配信じゃ味わえないものなんですよね。ぜひ、ナマの矢沢も見てほしいと思います。
──時折、「矢沢はビビリだ」という話をされますが、「矢沢」は具体的に何にビビってるんですか。
矢沢永吉
僕はね、自分のビビリはレーダーの役目をしてるのかなと思いますね。怖いから、レーダーが必要なんです。
さて、このままでいいのかなとか、これでいいのかなとか、今年はこれで大丈夫かなとか、今の俺大丈夫かなって気持ちがずっとあるんですよ。
──自分を監視するカメラみたいなものが常にあるんですか。
矢沢永吉
皆さんにもあるでしょ。それぞれ大きさが違うだけであって。
──みんなあると思いますが、矢沢さんにはないんじゃないかって。
矢沢永吉
そんなことないですよ。矢沢の方がビビリなんです。というか、それこそが実は矢沢なんです。矢沢は世間の目なんて気にせず堂々としているというイメージがあるかもしれない。
でもそれは、皆さんが勝手に思ったことであって、本人は「ちょっと待ってくださいよ、全然全然」ですよ。でも、俺、ビビリの方がいいと思うな。ビビリじゃないと危ないと思う。何においてもね。
──そのビビリ具合、50年間変わりませんか。
矢沢永吉
上がったり下がったりしてはいます。ただ、このくらいの年になると、より実感します。矢沢、ビビリです。
──そのビビリ、若い頃は認めたくなかったのですか。
矢沢永吉
若い時は突っ張ってたからね。自分の本当の部分を隠して、「俺はデカいんだぞ!」ってことにしていたんじゃないですか。
でも、ビビリの人ほどそうする。虚勢を張ってる人は、怖いからなんです。今なら分かります。
──ずっとビビってきたけど、付き合い方が変わったという。
矢沢永吉
そうです。もう、シンプルにいってもいいんじゃないのって自問自答したんです。だんだんとコートを脱いでいった。「本音で言っても、もう大丈夫だよな」とね。年と共に、経験と共に。
だから今は、ビビリを認めることができる。これ、いい形の年の取り方だと思うな。結構いい大人になってるのに、そこに行けないなら、それ、いい年の取り方してないかもしれないよね。
──今回のツアーでは、有観客で初となる新国立競技場でのライブが開催されます。あの場でライブをする事実について、現時点でどう感じていますか。
矢沢永吉
やることが決まった時は、もうコレですよ(拍手)。ありがたいと思いました。決まってからは、シンプルに「さて、当日、暑いかなあ、対策どうしようかなあ」って。
だって、夏の終わりですよ。エアコンはないらしい。そういうことばっかり考えているんです。
──そういうことを一つ一つ、毎朝起きてから考えていると。
矢沢永吉
そう!そういうことや1曲目は何やろうかなって考えたりね。6時過ぎに起きて、ストレッチやりながらそういうこと考えたりしてるから、忙しいですよ、毎日。それで、なんだかんだしてたら、あっという間に「晩ごはんだから」って言われるわけ。
──となると、夏まであっという間ですね。
矢沢永吉
もう、すぐです。そこで50周年を迎える。早いな。僕、50年、歌ってるんですよ。幸せなことです。
──矢沢さんは、小学6年生の頃から働いてきたので、働き始めて60年ってことですね。
矢沢永吉
そうだね。だって72でしょ、労働60周年記念ですよ。
──小6の新聞配達から新国立でのライブ、つながっていますか。
矢沢永吉
ひとつ言えるのは、働かされてたことは一度もなかったよね。「これをやらなきゃ食ってけないから」ってのも含めて、自分のためですよ。それが今じゃ、より一層、クリアに自分のためになっている。新国立もね、自分のためですから。
50周年、新国立で2days。最高じゃないですか。72の爺さんに、何万人も。そして、大阪・福岡のドームもやる。それをこの年でやれるって…。
──大阪・福岡のドーム会場では、世界最年長公演になるようです。
矢沢永吉
そうなっちゃうだろうね。72で新国立2daysやドームやる人、これから先もあんまり出てこないんじゃないかな。この2年間は、キツかったですよ。これから日々棺桶に足突っ込んでいくってのに、ライブができないわけだから。でも、それはそれ。自分は自分のできるだけの精一杯をやり続けるしかない。
とにかく、やり続ける。これがグレイトなんですよ。「同じことやるのはマンネリだ」って取り方もありますけど、いやいやいやいや、同じことをずっとやり続ける、それが渋いんですよ。と、僕は思う。
──矢沢さんは常に新しいことに挑戦していますが、秘訣はあるのでしょうか。
矢沢永吉
挑戦を続けるためにも、人間にはある程度、図々しさがないとダメ。いいのいいの、ちょっとぐらい生意気でも。人に迷惑さえかけなければいい。そして、人の悪口を言わないこと。
この2点さえしっかりしてたら、ちょっと図々しく、「僕は、道がないなら作ります!」って言っちゃえばいいのよ。
──日々図々しくしていると、「図々しいね」と言われるんですが、どうしたらいいでしょうか。
矢沢永吉
ほっといたらいいよ。それも含めて図々しさ。「ほっといてくれ」ってくらいの根性を持ってた方がいいよ。あと、あんまり気にしないこと。
──同調圧力が強くなって、何かやろうとすると潰す、という社会になりつつありますね。
矢沢永吉
無視するんだね。だって別に関係ないじゃない、自分とそういうやつらは。そういう気持ちはどっかで持たないと。
──今、気にしようと思ったらいくらでも気にできますからね。
矢沢永吉
だってさ、ネットの誹謗中傷で人が殺される時代でしょ。匿名で言いたいことを言って人を傷付けてさ。そんなやつらのこと気にしない方がいいよ。
──そんなことを考えるよりも、ライブで何するか考えたり…。
矢沢永吉
そう。自分がやるべき次のこと、ニヤッと笑えるような場所を探したい。矢沢、今、そう思ってます。それが今年の50周年ライブなのかもしれないね。