5月中旬、半袖1枚でも心地いい春の陽気。
指定された場所へ向かうと、遠くにダンボールで作られた"家"が見えてきた。
中から、かわいらしい犬が飛び出してくる。
すぐに楽しそうな笑い声が響く。
「キャハハ!ようこそ」
満面の笑みの女性が、ひょこっと顔を出す。
アイドルの眉村ちあきだ。
「一人暮らしを始めたんです」
冗談交じりにそう話すと、我々取材陣をその"家"へと招き入れる。
そして突然、得体の知れない緑色の液体が入った紙コップを差し出した。
こちらが思わず声を上げると、彼女はまた子どものように笑った。
眉村ちあき流の出迎え
現在22歳。
作詞作曲編曲を全て行い、自ら所属事務所「会社じゃないもん」の社長を務める。
テレビ番組で披露した即興演奏のクオリティの高さが話題となり、注目された。
放送では、胸を打たれた共演者たちが目を潤ませていた。
その後、ソフトバンクや日本コカ・コーラのCMなどに登場したほか、NHK Eテレの子ども向け番組「ビットワールド」にレギュラー出演。
5月7日には、トイズファクトリーから発売したアルバム「めじゃめじゃもんじゃ」でメジャーデビューを果たした。
アイドルであり気鋭のアーティスト、若手経営者でもある。
無邪気な姿を見ていると、そんな存在であることを忘れさせる。
ダンボールの"家"でしばらく歓談した後、改めて家族と住む家へ案内された。
現在も、実家からライブ会場などに通う。
階段を上がり、自身の部屋の前まで来ると、ふいに彼女が叫んだ。
「気を付けて!」
見ると、部屋中に赤いビニールテープが張り巡らされている。
眉村いわく「赤外線センサー」とのこと。
これに触れると、警備員が駆けつけてくるという。
「いつ週刊誌が来るか分からないから…!」
ベッドやタンスが所狭しと配置された部屋。
至るところに転がるおもちゃや小道具に混じって、ファンから贈られた色紙などのプレゼントが大事そうに飾られていた。
普段、マネージャーや友人以外が家を訪れることはほとんどない。
そのためこの日は、気合を入れて1時間以上も前から"家"や"センサー"を準備していたそうだ。
眉村はオフの日など空き時間があると、すぐに公式LINEで呼び掛け、ファンと公園で遊んでいる。
そんな彼女らしい歓迎ぶりだった。
高校では「一匹狼」だった
実家では両親、弟とともに暮らしている。
眉村は意外にも、家族の前ではおとなしいという。
少し照れくさそうに、はにかみながら話す。
「家族の前では、あまりしゃべらないです。思春期の延長じゃないけど、素直になれない感じがありますね。家族がライブに来るのも、いまだに少し恥ずかしいです」
「ママとは友達みたいな関係だけど、ほんとの友達としゃべるよりはクールぶってる。弟とは全然しゃべらない。パパは話し掛けてくるけど、私は『ふーん』くらいしか言わない(笑)」
中学までは友達が多かった。
家族で訪れた旅行先では、現地で出会った少女とも仲良くなった。
「高校1年の時にグアムに行ったんですけど、海で3歳の女の子が一人で遊んでいたんです。その子はゴーグルも着けずに、目を開いて泳いでいて」
「すごいなと思って、がんばって英語でしゃべって友達になりました。その日は、ずっと一緒に遊んでいましたね」
どんな相手とも良好な関係を築いているように思える眉村。
しかし高校では、一人でいることが多かった。
「中学校の頃は自然にグループができて、私もそこに属していました。でも高校に入ってからは、それがどうでもよくなったんです。仲良くないのに、無理して一緒に過ごすことないなって」
「『3組の一匹狼だよね』って言われてましたね。今思うと、よくやってたなって思います」
「バイトも始めたし、大人になったのかな。古風で厳しい高校だったんです。卒業写真も白黒で。だからバイトの方が圧倒的に自由だった。友達も、大学生の方が多かったです」
「この頃から、一人で意見を言えるようになったし、一人でもやっていけるって思いました。一人が怖くなくなりました。だからこそ、一人で音楽活動も始められたんだと思います」
高校卒業を控えた頃、音楽の道に進むと決めた。
両親はこの時、そっと背中を押すようなスタンスだった。
「『決めたから』って言ったら、『がんばってね。お金持ちと結婚するんだよ』みたいに話して終わりました(笑)」
「メジャーデビューする時も、『え、そうなの?おめでとう』くらいの感じでした。でも、パパだけはこっそりずっと追ってくれてるんですよね。ネット配信とかまで全部見てくれてる。恥ずかしいから見ないでよ、みたいな気持ちなんですけど(笑)」
レコード会社はスタジオ兼"遊び場"
ライブを終えて帰宅するのは、いつも深夜。
寝ている両親を気遣い、曲作りは寝室から一番遠い脱衣所で行うことが多い。
ギターやパソコンを駆使して作られた楽曲は多種多様。
時に洋楽も含めた、はやりの曲なども参考にしながら、頭の中のイメージを具現化していく。
即興演奏から生まれ、「めじゃめじゃもんじゃ」の最後に収録されているバラード「大丈夫」。
これまでは「好きなように作って満足していた」というが、同曲は「大勢の人が聴きやすい王道な感じの曲」を狙って作り上げた。
デビュー以降は自宅だけでなく、トイズファクトリーの会議室を借りて制作することも増えた。
彼女にとってそこは、遊び場の一つでもある。
事務所やレコード会社のスタッフに対しても、まるで親しい友人のように接している。
「曲を作るか、遊ぶか昼寝するか。仕事をしている社員さんに声を掛けて"UNO"をしたり」
「飽きたら、みんなが仕事してるフロアに行って、一人ずつ絡んでいます。でも最近は走り回っていても、誰もこっちを見なくなりました(笑)」
ミュージシャンは全員ライバル
音楽活動を始めてから、眉村が唯一、距離をとっている存在。
それは同業者であるミュージシャンだ。
「全員、敵に見えるんですよね。都合よく利用されちゃうんじゃないかとか、どうしても悪い方向に考えちゃう」
同じアイドルで、たびたびイベントで共演してきた親友がいる。
彼女たちとは現在も良好な関係だが、仕事では一線を引いている。
その裏には、音楽活動への信念がある。
「前に山梨で、同じイベントに出たことがあったんです。同じ場所に宿泊して、空き時間に一緒に遊んでいた。でも、もし私が一人で行ってたら、その時間に営業へ行ってただろうなとか、路上ライブをしてただろうなとかって考えちゃったんですよね」
「彼女たちも一人で行ってたら、同じようにしていたと思う。だから私のためにも、あの子たちのためにも、今は一緒にお仕事はしません。それは本人にも説明したし、納得してくれるような子たちだから、今でも仲良くできるんです」
19歳、作曲を始めた頃。
親交が深く、曲作りの方法などを教えてもらったミュージシャンがいた。
眉村にとっては、その人も"ライバル"だった。
「その人は当時、ライブで100人くらい動員があったんですけど、がんばって抜かしました。どうしても、倒したいって思っちゃう」
「だからかわいそうだし、同業者とは距離を置いた方がいいって思いました」
結婚相手も、異業種の人が良いという。
「ケンカとかしたら情報漏えいされそうだから、音楽業界の人とは結婚したくないですね。インターネットとかをまったく知らない人がいいです。森に住んでる仙人とかかな。もしいたら連絡ください(笑)」
「私、"ギネス記録スピード婚"したいんです!結婚した後、離婚するのも全然ありだと思う。出会って数週間で結婚して、やっぱり違うわって、3日後とかに離婚したりしてみたい(笑)」
「離婚は全然、悪いことじゃないと思うし、何度でも結婚したらいいと思う。この人は違うって思いながら結婚生活を送りたくないじゃないですか」
採算度外視で"赤字"の場合も
同業者とは対照的に、ファンとの距離感は近い。
1年前ほどまでは月に20本以上、ほぼ毎日のようにライブを行い、ファンと接していた。
演奏でグッと心をつかみ、客席も巻き込んだアグレッシブなパフォーマンスで盛り上げる。
そんな熱演の後は、ファンとともに外へ。
眉村が隣にいた男性の肩をタッチすると勢いよく駆け出し、鬼ごっこが始まった。
こんな光景が、何度も繰り返されていた。
メジャーデビュー後の現在も、観客を喜ばせることには余念がない。
ワンマンライブは、大掛かりなセットや演出で臨む。
6月4日に新木場スタジオコーストで行われた公演。
ダンサーや巨大な恐竜が登場し、レーザーを使った派手な照明が交錯する。
その中で伸び伸びと歌う眉村の姿に、2000人近い来場者はくぎ付けになった。
子どもの頃は親に浪費を注意され、今でも「人がいないのに電気がつけっぱなしになってたり、シャワーを出しっぱなしで頭を洗っていたりしてるのを見ると気になっちゃう」という。
しかしライブのセットは採算度外視だ。
人を楽しませるためには、惜しみなく予算や労力を注ぐ。
「(収益は)全然、考えてない。後から『赤字だったよ』って言われて、『ごめん』って」
「会社じゃないもんの収支は、石阪(勝久・会社じゃないもん取締役)さんが管理しています。でも石阪さんのことだから、『いいよ、俺が払っておく』って言いながら自分のポケットに少し入れてると思いますよ(笑)」
そう話すと、「いつか暴いてやろうと思っています」と不敵な笑みを浮かべた。
ファンからの手紙に涙
ファンとの精神的な距離は、ライブ活動を続ける中で近くなっていった。
活動を始めた当初は「普通のアイドルとファンくらい」の関係だった。
帰り道で待ち伏せをする「厄介な人」もいたという。
だがそれ以上に、信頼できるファンがつくようになった。
「特典会の時に、しゃべるだけで分かりますよ。この人は安全だって。その(待ち伏せしていた)人は、そもそも会話があまり成り立たなかった」
「そういう人が私に触ろうとしてきたら、ちゃんと常識のある人が『ダメだよ』って言ってくれる。そうやって止めてくれる人が一人でもいたら大丈夫だと思ったんです」
ライブ以外での交流も、動員が3人くらいの頃から行っているという。
「当時は一緒に磯丸水産に行ったりしていました。私は酔いつぶれて、ファンに起こされて帰ってましたね。それでも大丈夫なくらい、まっとうなファンだったし、信頼していました」
活動が軌道に乗る中で、ファンの数も増えた。
その流れで、自然と交流の場を公園に移すようになった。
時にはそこで路上ライブも行う。
「ファンが20人とかになって、お店に入れなくなったんですよ。じゃあ公園に行くかって。今はすごい数の人が来ますね。親がファンで、子どもを連れてくる人も多いです。あとは、私が遊んでいるのをただただ見ている、おじちゃんとか」
集まるファンはさまざま。
年齢・男女、分け隔てなく、夢中になって眉村とはしゃぐ。
「高校生は女の子が多いですね。『はー!』ってなって、(感動して)泣いちゃう子とかもいる。みんな普通に明るい女の子たちです。元気だし、『ぴー!』とか言うし、私に似てる子が多いのかもしれない」
「よく来てる大学1年生の子なんかは、すごく自立していて、周りが子どもに見えちゃうって言ってました。でも、そういう子も一緒に遊んでる」
訪れる人たちにとっても、眉村との時間はかけがえのないものになっている。
「43歳くらいの人から手紙をもらったんです。眉村さんの現場で出会った友達と飲みに行ったり、眉村さんと公園に行って歳を忘れて走り回ったりするのが、若返った気分になって楽しいって」
「まだ僕にも青春があるんだって書いてあって、泣いちゃった」
理想的なファンとの関係
お金を取るわけでもない。
CDの特典として実施しているわけでもない。
ネット全盛の社会に、ただただファンが好きで、「一緒に遊びたいから」という理由でリアルに交流する。
しかし最近は公園でも収まらないほどに、活動の規模が大きくなってきた。
対象を"株主"に絞るなど、続ける手法を模索する。
眉村のライブの物販では、会社じゃないもんの株を1株1万円で譲渡している。
「そろそろ公園も無理になると思うんですよ。だから私、自分の公園を作ればいいと思ってるんです。そこに株主になってくれている人だけを呼んで遊ぶとか、形を変えて恩返ししていきたいと思っていますね」
SNSの浸透により、アイドルやアーティストと気軽にコミュニケーションがとれるようになった。
その一方で、批判的な意見をぶつける者もいる。
ファンとの距離感が問われる時代。
理想的なファンとアーティストの関係について、眉村はこう語る。
「例えばだけど、ライブ会場でゴミを捨てる人がいたら怒れる演者でありたいし、ゴミが落ちてたら自分のじゃなくても持って帰れるお客さんであってほしい」
「あと、私が間違えた行動をしたり、失言したりしたら、『それは違うぞ』って言ってくれるファンであってほしいですね」
「意見は何でもほしいです。私のことをあまり知らない人から言われても平気です。知らないからしょうがないでしょって思うこともあれば、何も知らない人からはこう見えるんだって勉強にもなるし」
心に余裕を持ち、互いを思いやる気持ちを大切にしたい。
根底には、そんな思いがある。
野心の先に見据える未来
眉村はデビュー前から、「売れるのは当たり前」と宣言している。
「私、お札になりたいんです。歴史の教科書に載れるくらいの人になりたい。影響力が莫大な人が社会活動をしたら、一気に平和になるじゃないですか。そういう人になりたい」
「みんなの心に余裕があるような世の中になってほしい。例えばアヒルが道を通ろうとしてたら、車が全部止まるような。遅刻しそうだから車を飛ばすんじゃなくて、遅刻しても怒られないような。遅刻は悪いって分かってるけど、しょうがないって許せる世の中になってほしいですね」
「こわばらない生き方の人が増えたらいいなって思います」
野心の先に、しっかりと見据えている未来がある。
【取材・文・写真 : 前田将博(LINE NEWS編集部)、写真 : 大橋祐希、動画 : 二宮ユーキ】