ニュース番組がひしめく平日の朝8時。TBS「ラヴィット!」は、朝から2時間のバラエティー番組を放送している。2021年に番組がスタートした当初は視聴率が伸び悩んだと言うが、今ではすっかり定着した。
MCを務める麒麟・川島明は「毎日やる生放送で2時間のバラエティーってそうそう聞かないんですよ。タモリさんの『笑っていいとも!』でも1時間でしたから……頭おかしいと思いますよ」と笑う。
朝の顔といえば、トップ芸能人だけが許される仕事だ。
現在43歳。2001年にM-1グランプリで初めて決勝戦に出場してから第一線で活躍している川島は、自身を「代表作のなかった人」と評価する。川島はバラエティー番組のひな壇に座りながら「万年2番手」という苦杯をなめ続けていたのだ──。
「オーディションに受かって落ちての連続だったので、コンビ仲は最悪だったんです。お互いが『こいつのせいやな』といら立っていた。でもM-1の3回戦で初めて『ウケる』手応えがありました」
決勝進出の知らせを聞いた時「なんやろ? なんかテレビで漫才できるみたいやから良かったな」と思っていた。M-1自体が初開催だったこともあり、影響力を知らなかったのだ。
「漫才をテレビでやったのは人生で2回目でしたね、M-1決勝が」
初めての生放送は「なんじゃこれ」と必死になっていたら終わっていた。楽屋に帰るとすでに4年ほど所属してきた吉本興業の社員からこう言われた。
「よかったら吉本に来てくれませんか」
それぐらい麒麟は無名だったのだ。
決勝戦の夜、年明けからの番組レギュラーが6本決まった。
さらに2007年、相方・田村裕の自叙伝「ホームレス中学生」がベストセラーになったことで状況は一変する。実写映画・ドラマ・マンガ化までされ一世を風靡した結果、コンビ仲に亀裂が入った。
「僕がネタを書いてましたし、大阪では自分の方がちょっと売れていたので、田村くんの方が"じゃない方"の立ち位置だったんです。でもそれをあいつは1年で全部ひっくり返した」
相方はネタ合わせの場にスーツで現れるようになり、家から徒歩10分の距離にある劇場までスーツケースで来るようになった。
「どこに行っても『田村先生』と言われるようになって、番組に麒麟が呼ばれても僕だけピンマイクをつけてもらえなかったこともあります」
「品川駅の新幹線ホームで『田村先生にはお世話になってます』と出版社の人から挨拶されたこともありましたよ。売れたら絶対見返してやろうと決めました。今でも忘れられないですね」
芸人業よりもタレント業で忙しくなっていたため、劇場に立てる時間は少なかった。それでも世間からは「ラストイヤーはどうなるか」と注目を集め、密着カメラがついた。
結果は敗者復活戦で敗退。この発表を聞く前に新幹線へ乗り込んだ。それぐらい手応えがなかった。
「人生を賭けていた」M-1は、こうして卒業した。
しばらくすると、田村は新しい一歩としてユニットコントを組みたいと言い、これに呼応するように川島は「ピンネタ」の道へ進み出す。2010年、川島はピン芸人向けの賞レースR-1ぐらんぷりに出場し、4位となった。
「このままでいいのか」という気持ちは拭えなかった。
「僕に来る仕事のほとんどは、仕切り役かサブMC。売れていく人をサポートする役回りだったんですね。やりがいはあるんですが、"なんとなく仕事がある状態"に甘んじている自分が嫌でした」
「自分といえば」という看板が欲しかった。
「大喜利は好きだったので、若手の時からライブに呼んでもらったり番組に出させてもらったり披露する場はあったんです。ただ、タイトルを持ってないと趣味で終わるなと」
そこで2016年、第15回「IPPONグランプリ」に一般参加枠(「IPPONスカウト」)から出場した。「IPPONスカウト」は「全国にまだまだいるはずの大喜利が得意な芸人を発掘するプロジェクト」としてペーパーテストから始まる。
一次試験をパスした後、トーナメントに出場し、優勝のすえに本選である「IPPONグランプリ」の舞台に立った。
本戦初出場で爪痕を残し、次回のオファーを勝ち取った。そして半年後の第16回IPPONグランプリでは出場2回目にして王者に輝いた。収録後にバーへ足を運び、ひとりハイボールで乾杯したという。人生で一番おいしいハイボールだった。
「ニュースやワイドショーはできないので、めちゃくちゃバラエティーにしてくださいと言いました。少しでもニュースを扱うのであれば自分に嘘をつくことになるから無理です、と」
川島のこだわりが「若い視聴者を取り込みたい」TBSの狙いにはまり「日本でいちばん明るい朝番組」が生まれた。
「窮鼠猫を噛むじゃないですけど、一発賭けていただいたのかなと。番組が短命で終わっても、きっと芸人人生の中では忘れられないものになる。こんなチャンス、二度とないだろう……ただ、正直、何人か断ったんかなと思いました」
勝算がなかったわけではない。自身にオファーが来たきっかけにはうっすらと思い当たる節があった。
「M-1の決勝進出者発表会見の司会を2019年からやらせてもらってるんですが、これを業界の人からよく褒めていただいていたんです。多分、M-1の記者会見を見て声をかけてもらえた気がします」
2020年から会見の模様はYouTubeで公開され、再生回数は2年連続で100万回を超えている。ファイナリストの魅力を引き出す立ち回りがラヴィット!の背景にはある。
ラヴィット!では、どんなニュースがあってもバラエティーを貫く。大きな特徴が長いオープニングトークだ。放送が始まってから出演者の紹介がてらトークを繰り広げ、川島が「ラヴィット!スタートです」と言うまでに30分以上もの時間をかける。
「おもろい人があれだけ出ているので、絶対トークを長くした方がいいってずっと言ってました」
当初、川島の提案は受け入れられなかった。
「僕自身のMC経験がほぼなかったわけですから、当たり前の判断ですよね。視聴率、大事ですし。僕自身、当初は"目の前の人を滑らせたらあかん"という気持ちでいっぱいでした」
「でも毎日少しずつ……5分やって大丈夫だったら次は10分、15分、20分……と伸びて、今は1時間ぐらいオープニングトークしてから『それでは、ラヴィット!スタートです』と言ってますね。『意味がわからない』と自分たちも思ってますよ」
一躍名をあげたのが「水ダウあのちゃん事件」だ。これは、歌手・あのちゃんが大喜利芸人たちに遠隔操作されながらラヴィット!に出演するというドッキリ企画だった。
クイズ企画で珍回答を連発するあのちゃんにスタジオは硬直するも、Twitterでは「神回」と話題になった。後日放送された「水曜日のダウンタウン」でドッキリ企画として種明かしされ、さらに注目を集めた。
ドッキリ企画について全く知らされていなかった川島は「あんなことやっちゃダメですからね」と笑いながら当時を回顧する。
「今までもこの手のドッキリは見たことがありましたけど、基本は架空の番組でしたから。それを実在の生放送番組でやるとは思わないでしょ」
「しかも、僕がまだ不安定な時期の生放送にスーパー芸人の脳みそを入れた刺客を仕込んできた」
「よく放送したなと思います。せめて僕には知らせないとダメですよね(笑)。でも、あの事件でラヴィット!が認知してもらえるようなったので感謝しかないです」
では「一番ヒヤヒヤした時」は、いつだったのだろうか。
「Jアラート(全国瞬時警報システム)が番組開始以降で初めて飛んできた時です」と川島は即答した。今年の10月4日、北朝鮮によるミサイル発射に伴い、政府はJアラートを発出し、警戒を呼びかけたのだ。
緊張感のあるニュースが飛び交い、放送予定だったVTRの尺がどんどん短くなっていった。ニュースについてさすがに触れた方がいいのだろうか。8時35分からスタートすることになり、川島も緊張の中、一言発した。
「ラヴィット!はラヴィット!らしく、頑張っていきたいと思います」
いつもどおりのバラエティー1色で押し切った。
1カ月後の11月3日に再びJアラートが発出された際も川島は「祝日らしく、穏やかに明るい放送にしたいと思います」と挨拶し、オープニングトークの企画としてマグロの解体ショーを放送。
テロップでミサイルの情報を伝えつつも、スタジオでは一切触れることはなかった。
「この時はだいたい1時間番組が飛んだので、オープニングを60分やるかVTRを60分やるかの二択になったんですね」
「去年だったら後者をとっていたと思いますが、スタッフさんの方から『オープニングをやりましょう』と言われました」
オープニングトークだけで終了時間を迎えることとなり、「ラヴィット、スタートです!」という言葉を発することなく番組が終わった。川島自身も「衝撃の回でした」と振り返る。
「こんなチャンネルが1個あってもええやん」。いつしかそう思うようになっていた。
「容姿いじりとか、セクハラとか、ダメだと言われることは増えましたけど、全部"お題"なんですよね」
「コロナ禍では接近して喋ることもNGになりましたけど、それをフリにできるのがお笑いの強み」
「コンプライアンスを逆手にとった漫才もめちゃくちゃ増えてきてますし、我慢してた人が単独ライブで爆発することもある。悲観はしてないですね」
この繰り返しで2年続けてきた。1位に焦がれた時代を顧みると、40代にして全盛期を手に入れたとも言える。目標を達成したよう見える「これから」どこに向かうのか。
「若いころは『5年後ここにいたい』『10年後これをやりたい』と考えてましたけど、ことごとく思い通りにならなかったんですよね。目標はいい意味では立てないようにしてます」
「ちょっと違いますけど、どんな占い師にも『YouTubeだけは向いてない。全然再生されないか、死ぬほど炎上するか』って言われるので、一生やめとこうと思ってます」
冗談を放ってから、しみじみと付け加えた。
「つまりそれは……テレビをもっと面白く思ってもらえるように頑張りたいってことですね。どんなことがあっても笑いに変えていくのが芸人の仕事なので」