残り20秒足らず。覚悟を決めるのが遅すぎた。
相手の右足にようやくタックルが決まり、背後をとり加点。4-4の同点。ほどなく終了のブザーを聞いた。
その時点ですでに負けだと、しばらくして気付いた。
「頭が真っ白で…。4-4になった時にごっちゃになって…。熱くなりすぎて…」
点数が同じなら、「ビッグポイント」という得点価値の高さで勝敗を決するルール。当然知ってはいても、追い詰められて抜け落ちていた。
昨年12月22日、東京・駒沢体育館。
2020年への代表選考レースの始まりを告げる全日本レスリング選手権。
女子50キロ級の準決勝で、ライバルのひとりである入江ゆき(自衛隊体育学校)に敗れた。
登坂絵莉は試合後、汗も拭わず自らを省みる。
「スイッチが入るのが遅い。切羽詰まらないといけないのが自分の弱さ」
拭えない「トラウマ」
頭で理解しても、体が動かない。
どうしても拭い去れない感情が、マットで相手と向き合うと顔をのぞかせる。
「タックルに入るのが怖い」
「0.0何秒、早いか遅いかで決まる」という超接近戦では、致命傷にもなりかねない。一瞬の躊躇(ちゅうちょ)がそのまま結果に表れた。
「トラウマみたいになっている」と思い出す、昨年6月の全日本選抜選手権。
同じく入江との準決勝で、タックルを返されて逆転負けを喫した。その残像が、6カ月後によみがえった。
国内2大大会で、次点にすらなれないー。
地球の裏側で、国旗を見上げながら大粒の涙を流したあの日から、もう2年半。
リオデジャネイロ五輪金メダリストは、まさか恐怖心と戦うことになるとは思ってもみなかった。
「直感」信じた先に
国体優勝経験のある父の影響で小学3年から歩み始めたレスリング人生。ひとつの「直感」に従い、前のめりで突き進んできた。
12年に初出場した世界選手権。
「一回戦に勝てれば」と臨んだ大舞台で、銀メダルを首から下げた。
世界との距離は、思った以上に近いー。
「今、やらなきゃって思った。自分が上に行けるかは『ここが勝負』ってタイミングが分かるかどうかなんだって」
目の色が変わった。決して自己を過大評価しない一本気な性格にして「誰よりも練習した」と自負する。
翌13年、20歳で世界選手権を初めて制し、15年まで3連覇。
体が即座に反応し、無理もきく。得意の片足タックルが面白いように決まった。試合で攻めあぐねる周りの選手を見て、首をかしげた。
「なんでみんな(タックルを)返されるのかな?」
怖いものはなかった。その絶頂がリオ。残り13秒での逆転金メダルを生んだ。右肩上がりのレスリング人生が、ひとつの集大成を迎えた瞬間だった。
歓喜の中に紛れていた左足の痛みが大きな転換点になるなんて、この時は想像すらしなかった。
「どうして私だけ」
病院の一室。
ベッドでピースサインとともに、笑顔を浮かべた登坂を切り取った写真が残る。
リオ五輪翌年の17年1月、慢性的に痛みを抱えていた左足母指球付近を手術。
「やれば治ると思っていた」という期待に、患部はいつまでたっても応えてくれない。
違和感は消えず、左足をかばったぎこちなさが新たな故障を誘発した。
その年の10月、練習中に左の膝と足首の靭帯を損傷。
完治しないまま出場した12月の全日本選手権で準決勝を棄権し、直後に左足首にメスを入れた。
「同じ金メダリストは何もなく順調なのに、どうして私だけ」
代表争い最激戦とも言われる階級なだけに、焦りも増す。
勢力図はすぐに変わった。
昨年の世界選手権では、国内プレーオフで入江を倒した19歳の須崎優衣(早大)が優勝。
圧倒的な強さを見せたその威勢は、いつかの自分をそのまま映しているようでもあった。
感じる五輪の力
「やめちゃったら楽だしな」
もちろん、何度も頭をよぎったことがある。
そんな時、ふとスマホを手に取り、気持ちを吐き出す。
生きることがつらいとか
苦しいだとか言う前に
野に育つ花ならば力の限り生きてやれ
17年10月の合宿中に左足の靭帯を損傷した直後、笑顔の絵文字とともにTwitterに記した。
歌手・松山千春の名曲「大空と大地の中で」の1フレーズ。
すぐに届いた激励のメッセージの数々に「試練が続きますが、私は元気です!」と応えた。
知らない誰かが背中を押してくれる。五輪の力だった。
「世界選手権3連覇したときと反応が違いました。応援してもらった側なのに、みんなから『ありがとう』って言われるなんて初めてのことで」
1万に満たなかったTwitterのフォロワー数は7倍以上に。
Instagramも2万8000人を超える。
「金メダルを獲っていなかったら、私の存在を知らなかった人も多いだろうから」
あらためて思う。
レスリング、そして五輪の金メダルこそ「登坂絵莉」のアイデンティティーそのもの。
一番自分らしくいられる場所は、マットの上でしかない。
2度の手術から復帰を果たしたころ、登坂は厳しい練習を「幸せ」だと言った。
迫るリミット
五輪で認められた存在は、やはり五輪でしか再確認させてくれない。
タイムリミットまで、あと4カ月。
今年6月の全日本選抜選手権で優勝しなければ、東京への道は絶望的となる。
そこで勝っても、全日本選手権覇者の入江とのプレーオフを制し、9月の世界選手権で3位以内に入らなければ五輪切符は手に入らない。
代表を争う須崎と入江には、練習を含めて負けが大きく上回るのが現状。
「もうリオの時と全く同じに戻すのは、今の体の状態を含めて無理」。このままなら結果は見えている。
残された時間で、ぎりぎりの選択をした。
「新しいスタイルに変えていくしかない」
勢いまかせの片足タックル一点突破から脱却し、攻め手の引き出しを増やす「技術」に活路を見出そうとしている。
気づいた後手の姿勢
冬のある日。
拠点にする愛知・至学館大での練習で、ひとり壁に向かいながらステップを踏む登坂の姿があった。
最近、大きな気付きがあった。
「両足の体重をかけるバランスなんて考えたこともなかったんですけど、左足をけがしてから自然と後ろの右足重心になっていたんです」
まさに後手の姿勢。周囲の指導者から指摘された、根本的な狂いだった。
そうして勝てない理由を見つけ、ひとつずつ潰(つぶ)す。
練習で体に染み込ませ、月一回のペースで実施される全日本合宿でライバル相手に試す。
その繰り返しだ。
「成功体験を増やしていくしかない」
怖さを上回る自信が欲しい。
さい銭で験担ぎ
19年、初春。
「自分のレスリング人生が終わるかもしれないという大きな1年になる」
1月7日、名古屋・熱田神宮。春を感じさせる晴天の下、恒例の初詣に訪れた。
同じ所属でリオ五輪女子69キロ級金メダリストの土性沙羅とともに、プライベートの柔和な表情をのぞかせる。
50円玉をポンッと投げ入れ、両手を合わせた。
「沙保里さんがやってて」
五輪3連覇を成し遂げた吉田沙保里が、自分の階級と同じ金額をさい銭にしているジンクスをまねる。
おみくじは3、4年ぶりだという大吉。
ささいな事でも、幸先はいい。
「東京五輪代表内定」
星型の絵馬に、迷いなく書き込んだ。
憧れの存在を追い
その翌日。
ずっと背中を追ってきた憧れの存在が、現役引退を発表。
数日前に移動中の車内で直接伝えられていた。
驚きはない。
「ずっと近くにいて、何となく沙保里さんはそういう決断するんだろうなと思っていたので」
むしろ、引退会見で「後継者は?」という質問に対し、自分の名前を挙げてもらったことが「まさか」だった。
公私ともに濃密な日々を過ごし、唯一無二の人間性に惹かれてきた。
「『もう嫌』っていうきついメニューが来ても、最年長の沙保里さんが笑顔で元気に向かっていっていた」
"ポスト吉田沙保里"にはなれなくても、次は自分の番なのかもしれない。
「どんなことがあっても、笑顔で逆境に立ち向かって行く姿をみんなに見てほしいんです」
不格好でも、しがみつく。
冬らしくない温かな日差しの午後、登坂は口角を上げて言い切った。
「今年はすべてをレスリングに捧げます」
【取材・文=小西亮(LINE NEWS編集部)、撮影=佐野美樹、小栗広樹】