10月14日、クライマックスシリーズのファーストステージ、楽天戦。埼玉西武ライオンズのエース菊池雄星は、最後の打者・島内をサードライナーに打ち取ると、握りしめたグラブを天に突き上げた。
121球での完封勝利。味方が10点を援護しても、最後まで腕の振りは緩まなかった。
最多勝、最優秀防御率の投手2冠にふさわしい、圧巻と言っていい投球。歓呼の声に、晴れやかな笑顔で応える。しかし、ベンチ裏まで引き揚げてくると、菊池はポツリとこぼした。
「悪くはなかった。でも、納得できるボールはありませんでした。1球もなかった」
試合初球でのボーク判定──
大事なフォームを、シーズン半ばで見失っていた。
8月24日、ソフトバンク戦。1回裏、先頭打者川島への初球。投げた瞬間、球審が腰を浮かせた。そしてマウンド上の菊池を指さす。判定はボーク。
会場はどよめいた。しかし、菊池本人に驚きはなかった。
1週間前。17日の楽天戦で、菊池は2回に2球連続でボークを取られていた。「投球動作が途中でいったん止まっている」との指摘だった。つまり、日本のプロ野球では2006年から禁じられている「2段モーション」にあたるということだ。
審判の立場を尊重し、判定は受け入れた。しかし、これは1プレーで完結する類いの問題ではない。
具体的にどの部分が「2段モーション」にあたるのか。菊池は辻監督とともに、すぐに審判団に確認した。しかし、その場でははっきりした答えは得られなかった。
ふに落ちなかった。しかし、時は待ってくれない。次の登板機会に備え、菊池は土肥投手コーチとともに、フォームの矯正に取り組んだ。
「問題点がはっきりしないので、おそらくこういうことだろうという感じで、さぐりさぐりでフォームを直すしかなかった。はっきり言って、ぐっちゃぐちゃでした」
その結果が、1週間後のソフトバンク戦、試合初球でのボーク判定だった。
菊池はやむなく「クイックモーション」に切り替え、投球を続けた。しかし、球威は落ちる。何より、動揺していた。
川島をストレートの四球で出塁させると、そのまま初回3失点。2回にも4点を奪われ、計7失点で降板した。
打たれたこともショックだった。だがそれ以上に、大事なフォームを取り上げられたことで、途方に暮れていた。
「土肥さんと2人で3年間、一緒につくりあげてきて、ようやく固まったフォームでした。投球動作中に上体が前に突っ込むクセがあるので、足を上下動させることで、左の股関節に体重をしっかりと乗せられるようにしました。それで、球威も制球も格段に良くなった」
左の股関節に乗る意識を、春先よりも強めているのは確かだった。しかし基本的には、春のキャンプ当時と同じ方向性のフォームで投げているつもりでいた。キャンプ地を訪れた審判団に見てもらい、お墨付きを得たフォームだ。
それが、ここに来て「ボーク」と判定された。思わず、周囲にこぼした。
「いったい、どうしたらいいんでしょう…」
「帰っても毎日黙り込んだ」──
09年のドラフト会議では、6球団が1位指名で競合。鳴り物入りで西武に入団した。しかし、プロ入り以来制球が定まらず、球威も上がらなかった。
そんな菊池が、理想のフォームを得て変わった。今季は開幕から1点台の防御率を守り続け、8月3日楽天戦では、日本人左腕最速記録となる毎時158キロもマーク。140キロ台中盤に達する高速スライダーもあいまって、他球団の打者を圧倒し続けた。
「よし、ここからというところでした。足の上下動が問題だと指摘されたので、左の股関節に乗る『間』がとれなくなった」
シーズンも終盤戦。4年ぶりのクライマックスシリーズ進出へ向け、エースには大きな期待が寄せられていた。そんな大事な局面で、あろうことか「投げ方」が分からなくなった。
「あの時期は、うちに帰っても、毎日黙り込んじゃっていました。妻には本当に気を遣わせたと思います。ただ、『どうしたらいいかな』って言える相手がいるだけで、本当に救われました。妻がいたから、辛うじて気持ちが折れずにいられた」
絶対に2軍に落ちないと決めた──
野球評論家からは「他にも同様のフォームの投手がいる」「基準が不明確」と問題提起する声が上がった。2段モーションを禁じるルール自体を「国際基準とは違う」と疑問視する意見もあった。
一方で、いくつかのメディアには、審判団の"証言"とされるコメントが掲載されていた。
「菊池には5月から、何度も2段モーションだと指摘していた」
これは事実とは違うという。後日、球団や菊池からの指摘で、審判団もきちんと認めている。
しかし、世間の人々はそうとは知らずにニュースを読む。「度重なる注意に聞く耳を持たず、ついにはボークを取られた」。そんな見方が世に広がり、一部では"事実"として受け入れられてしまう。
重い足取りで向かった球場。土肥コーチがある提案をしてきた。
「一度、2軍に落ちて、調整してもいいぞ」
信頼する恩師の言葉に、菊池は少しだけ、気持ちが揺らいだ。
「固まっていないフォームで投げ続けて、ケガをするのだけはもったいない、ということでした。確かに、理想とは違うフォームで投げるこのボールでは、勝てないかもしれない。一瞬、そう思いました」
しかし、次の瞬間には、気持ちが固まった。
「その時に、絶対に2軍に落ちないと決めました。土肥さんの親心をありがたく思う一方で、それではきっと負けた気になるなと。次の試合までの1週間で、なんとかすると決めました」
自宅に戻った菊池は、本棚からノートを取り出した。
「悩んだ時は、いつも昔を振り返るようにしています。プロに入ってからの8年間、ケガもあったし、フォームで悩んだり、人間関係で悩んだりもしてきました。それらを忘れないように、常に日記やメモにして、後で見返すんです」
ところどころ擦り切れた冊子には、表に「2010年」と書いてある。
「その時は、プロ1年目のメモを見ました。当時は、もう野球できなくなるんじゃないのかと思っていました。注目されてプロ入りしたのに、左肩をケガしてしまった。それに加えて、指導者の方とうまくいかないということも重なりました」
プロ1年目の事件──
まだ10代の菊池は、"2軍のコーチによるパワハラ疑い"という問題に巻き込まれていた。当初、このコーチは責任を認めて謝罪し、謹慎処分も受け入れていたが、後に主張を翻した。
謹慎の後の解雇は不当だと、球団に対する訴訟を起こした。パワハラを受けた側として出廷を求められた菊池は、都心の法律事務所に通わざるを得ないことになった。
西武鉄道などに乗って、片道1時間。裁判に備え、専門家からアドバイスを受けるためだった。
「ボールを投げられない上に、グラウンドにいる時間と同じくらい、法律事務所にいる時間が長かった。いったい、何をしに岩手から出てきたのか…。そう思い悩んでいました」
裁判になったとたん「菊池は夜遊びがひどい」「もともと素行に問題があった」「コーチに何か言われると反抗していた」など、事実とは異なる報道が続くようにもなった。
「もう、誰も信じられない。あのころは、そう思うことすらありました」
8年前は、ひどいもんだったな─。ノートをめくりながら、菊池はそう思った。
「田舎から出てきたばかりということもあって、高校の監督や同級生以外には、相談できる相手もいませんでした。だから、本を読んでなんとかしようとしていました。当時のノートには、本から見つけ出した救いの言葉みたいなものも、いっぱい書かれています。でもほとんどは『つらい』とか『苦しい』とかいった言葉ばかりでした」
当時の痛々しい文章を読んでいるうちに、ふと思った。
「あんなに苦しかった当時に比べれば、2段モーションの問題なんて、あくまで野球をやれている上での悩み。そう思うことができました」
胸のつかえが下りたような気がした。心が軽くなった。
「一度、絶望を味わった野球人生。そこから思えば、やれるだけでも丸もうけ。勝っても負けても、マウンドに立ってボールを投げられるだけで、すごくありがたいことなんですよね」
2段モーション問題があったからこそ──
8月31日楽天戦。菊池は楽天の先頭打者オコエに、この試合の初球をバックスクリーンに放り込まれた。やはり、今季はもうダメか─。そんな空気も漂ったが、この日の菊池は違った。
「いろいろ試して、結局去年までのフォームに戻しました。納得いく球は1球もなかった。でも、割り切って腕を振りました。とにかく、投げられるだけで丸もうけ、なんですから」
9回を被安打5、失点2で乗り切り、完投勝利。9月には3試合に先発し、計23イニングを自責点0で乗り切ってみせた。
「『2段にしていたから勝っていた』とか絶対言わせたくなかった。調子はよくない。でも、負けたくない。そこは意地です」
「丸もうけ」と気持ちに整理をつけてからの防御率は、脅威の「0.23」。クライマックスシリーズ進出の原動力となった。
「宝物のようなフォームを失うのはつらかった。でも、2段モーション問題があったからこそ、野球をできるありがたみを再確認できました。野球ができているんだから、その上での悩みや勝ち負けは、どうしようもないこと。とにかく『味わう』だけだなと」
初の大舞台を前に、菊池はそんな境地に達していた。
10月14日、楽天戦。
菊池はクライマックスシリーズ初登板を、見事な完封で飾った。
最優秀投手賞にあたる「沢村賞」こそ、巨人の菅野に譲った。それでも、ダルビッシュがTwitterで「2人とも沢村賞でよかった」との旨をつづるなど、シーズン通しての活躍は各方面から高く評価された。しかし菊池は、今季を振り返るより先に、こんなことを言った。
「あの子たち、今のオレをみて、どう思っているのかなぁ」
昨オフ、東北各地で主催した野球教室で、菊池は子どもたちに「まっすぐ立ってから投げるんだよ」という話をしていた。
軸足の股関節にしっかり乗ってから投げなさい、という指導だった。
「そういうフォームも、ルールに沿ったものだと理解していましたから。でもシーズンに入ったら、その理解ではボークを取られた。だから、あの子たちが今回の問題を知ってどうしているのか、すごく心配なんですよね」
個人的には、"問題"を肥やしにできた。しかし、自分だけが消化できればいいとは、なかなか思えない。戸惑っているのは、あの日の子どもたちだけではないだろう。
そんな記述はルールに一切ない──
「僕ら投手は、11月くらいから来年のフォームをつくっていく。だからいち早く、はっきりした指針を示してほしい。もちろん、ルールには従います。でもそれなら、上下動の許される範囲とかも、明確にしておいてほしいんです」
多くの評論家も指摘するように、菊池と同じように上げた足のひざを上下動させる投手は、他にもいる。なのになぜ、菊池だけがボークを取られるのか。
「審判のみなさんの答えは『同じ場所で上下動させるのはダメ』ということでした。他の投手はひざの位置が、わずかであっても横方向に動きながら上下動するからいいんだと」
動きが2段になること自体が問題ではないのだという。"2段モーション"という言葉からは、なかなか想起しにくい論点ではある。
「それがルールなら、それに沿って投球をします。ただ、明文化はした方がいいとは思う。同じ場所で上下動させるのはダメとか、そうじゃない上下動ならいいとか、そんな記述は現段階ではルールに一切ないんです」
ルールに「解釈」の余地を残していては、いずれ同じような問題は起きる。それで不利益を被るのは、選手だけではない。
最高のプレーを待ち望むファン。選手を見習って練習する子どもたち。野球を愛する多くの人々に納得してもらうためには、ルールを明文化した上で、それをきちんと世に知らしめた方がよいのは自明だ。
その意味で言えば、まだ"問題"は終わっていない。
恩返し、そしてアメリカ──
20日。シカゴ・リグレーフィールド。
ドジャースとカブスのナ・リーグ優勝決定戦の会場に、菊池はいた。
楽天とのクライマックスシリーズ、初戦を菊池で勝った西武だが、1勝2敗で敗退した。
「自分の後に投げる人も勝てる流れをつくるのがエース」。そう思って投げてきた。
だから、たとえ初戦で完封勝利を挙げても、なんの慰めにもならなかった。ただただ悔しかった。
それでも、ふさぎこんでいるわけにはいかない。一度きりの野球人生。走り続け、味わい続ける。
「すぐ飛べば、秋季練習が始まる前に戻って来られる」
菊池はアメリカに飛んだ。
たどり着いたシカゴでは、メジャーを代表する左腕、ドジャースのカーショウが好投していた。8月までの菊池と同じように、右ひざを上下動させるようにして左の股関節に体重を乗せ、ためたパワーで強い球を投じている。
あのマウンドに立ちたい、ではない。あのマウンドに立ったらどうするか。菊池はそんなことを考えながら、試合を見ていた。
「僕の夢は、いずれアメリカでプレーすることです。自分はまだまだ技術不足で、課題もある。でも、メジャーで活躍できる見込みがあるかどうかという話は、進路を選ぶ判断材料には入らない。行きたいのか。行きたくないのか。そこに尽きる。他にあるとすれば、球団や応援してくださるファンの方に、きちんと恩返しができているのかどうか。それだけですね」
時が許す限り、野球を楽しむ。2段モーション問題は、菊池にとっては「原点」に立ち返るきっかけにもなった。
「経験すればするほど、断言できることって、少なくなると思うんです。今回の問題だって、シーズン前には予想もしていなかったですから。何も知らない高校の時なんかは、分かった気になって『野球ってこういうものだ』って簡単に言ってました。でも、いろいろ経験していくと『野球って何なのか』というのを、簡単に説明できなくなる」
「楽しむしかない、ということです」──
言葉を選びながら、菊池は続ける。
「ただ、今でも断言できることについては、昔よりももっと自信を持って言えます。誰になにを言われようが、こうだよねと言える。それっていうのは…」
ふーっと息を吐いて、一拍置く。そして、語気を強めて言う。
「楽しむしかない、ということです」
何度か、小さくうなずく。シンプルな言葉が、重みをもって響く。
「そもそも、自分は楽しくて野球を始めたんです。だから行き着くところ、そこになる。一度きりの人生ですから、楽しむ。そして、今しかできない貴重な経験を、しっかり味わう」
10月下旬、秋季練習。
メットライフドームのバックネット裏の階段をのぼると、ロッカールームの手前で、急に外の光が差し込んでくる。
左手をかざして、菊池はまぶしそうな表情をした。
「どうして勝てるようになったのか、とかよく聞かれますけど、今年がどうこうという話じゃないです。悪い時、つらい時も含めて、プロ8年間の積み重ね。2段モーションの問題を乗り越えられたのも、それがあるからです」
こちらを振り返ると「まあ、だてに遠回りしてませんから。僕も」と、いたずらっぽく笑う。
トンネルが長ければ長いほど、その先に待つ光は強く、まばゆい。
(取材・文 塩畑大輔 写真・松本洸)
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