津波や地震などで1万5900人が犠牲となった東日本大震災は、11日で発生から丸10年を迎えた。今も2525人の行方が分かっていない。
時間の経過とともに震災の記憶の風化が懸念される中でも、全国各地で被災地を支える活動が地道に続けられてきた。アーティストの西川貴教(50)もその1人だ。
震災直後にチャリティー企画「STAND UP!JAPAN」を立ち上げ、オークションの売り上げやライブ会場で募った寄付金など募金の総額は約1億7000万円(今年1月29日現在)となった。協力するアーティストやタレントは200人・組を超える。
みんなが被災地を思う心を東北に届けたいーー。西川はそんな思いからチャリティーに取り組んできた。10年間も続く息の長い活動を支えるのは、自分自身に対してのある問いかけだった。
阪神・淡路大震災と同じ感覚を、逆の立場で味わった
ーー2011年3月11日のあの時、西川さんはツアーのリハーサル中だったと伺っています。
春からのツアーに向けて、東京都内でリハーサルをしていました。半地下のような構造のスタジオで、その瞬間は地震の揺れなのか、スタジオで出している大きい音の影響なのか、判断がつきませんでした。
照明が大きく揺れているのに気付いて、「あれ?地震じゃないか」と大急ぎでスタッフ全員で道路に出たんです。スタジオが住宅街にあったので、いろいろな建物が揺れるものすごい音が聞こえて…。サッシや屋根が一斉に揺れていて、嵐のただ中にいる感覚でした。
翌日に関西でCM撮影があり、大地震の直後で撮影ができるか分からないけれども、中止の案内もなかったので早朝に品川駅に行きました。東海道新幹線は動いていたんです。
都内も大変な状況でしたし、ニュースで流れてくる被害情報も刻々と深刻さを増していましたが、「今は自分ができることをやろう」と、関西での撮影に向かうことにしました。
新幹線で2時間ちょっとで大阪に着くと、東京以北とあまりにも状況が違っていました。新大阪駅の改札を出たら、皆さんが普段通りに生活している景色がそこにあった。たった2時間の新幹線の移動でこんなにも景色が違うのかと。
ーー滋賀県がご出身ですが、関西では26年前に阪神・淡路大震災がありました。その時はいかがでしたか。
阪神・淡路大震災の日は東京で迎えました。父親が滋賀県職員で当時は防災課にいましたので、被害が大きかった阪神地域に向けて滋賀から緊急車両や物資を運搬する作業にあたっていたことを思い出します。
滋賀はそこまで被害は大きくありませんでしたが、それでも母親は憔悴していたし、父親も忙しくて県庁から帰れないといった状況でした。
東京にいながら、神戸や大阪の見慣れた景色が変わってしまった姿に「何が起きているんだろう」と信じられないままでした。その時と同じ感覚を全く逆の立場で味わう。東北で起きていることは、現実として受け入れられませんでした。
支援活動の準備中にぶつかった問題
ーーそうした厳しい状況を目の当たりにしながらSTAND UP!JAPANを立ち上げることになります。
新幹線で大阪へ向かっていた時に、東京にいる後輩や仲間から連絡が来ました。みんな「自分も何かしたいし、何かしよう」という気持ちで。ただ、被害は時間が経ってから少しずつ判明していくような状況で、福島第一原発の問題もあって被災地に行くべきかどうかも情報が錯綜していました。
何をすることが正しいのか、まだまだ分かりづらい状況でしたが、グループもソロアーティストも、俳優もミュージシャンも関係なく、みんな被災地への思いを持っていました。阪神・淡路大震災の際の父親の姿を見ていることもあって、僕が旗振り役をやることで、被災地を思うみんなの気持ちを伝えられたらいいなと。
あれこれと調べていくうちに、引っかかることがありました。テレビのニュースを見ていて、「こちらに募金を」という形で支援金や義援金の案内をしていましたが、多くのものは振り込み手数料が取られるということに気付いたのです。せっかく気持ちのこもった支援なのに、募金の一部は被災地に届かないことになる。
「え、これは正しいの?」「チャリティーでしょ?」「1円たりともビジネスに使っちゃ駄目でしょ?」と。わずかな金額でも被災地ではなく金融機関に入ることにすごいジレンマを感じてしまって。
そんな中、赤い羽根共同募金の協力で専用口座を設けていただけることになり、振り込み手数料の問題が解決できました。
ーーそうして、ようやくSTAND UP!JAPANの準備が整ったのですか。
いえ、まだです。ようやく専用の口座を設けていただき、本格的にSTAND UP!JAPANという名前でチャリティー活動を始めようという矢先に、商標登録の問題があることに気付いたんです。
チャリティーグッズを作ったら問題が生じるという話になり、「まじか…」と絶望的な気持ちになったのを覚えています。メールや電話でやりとりしても時間ばかり過ぎてしまうので、商標登録している沖縄の会社を直接訪ねることにしました。
面と向かって復興支援の趣旨を伝えて、お許しいただけないかとお願いをすると、その会社と共通する思いが見えてきたのです。
沖縄県は観光が主産業で、米軍基地があったりと、特有の事情がある。そうした環境の中で、自分たちの力、沖縄の力で何かを作り上げようとの思いから「スタンドアップ」を掲げていたというのです。
その話に共感して、自分たちがやろうとしていることと根っこは同じだと思えたのです。僕の方からも「沖縄のためにできることがあったらいつでも言ってください」とお願いして、気持ち良くSTAND UP!JAPANの活動を始めさせていただくことになりました。
ーーさまざまなミュージシャンやタレントの協力を得て、10年間もの息の長い活動になりました。
僕は受け皿を用意しているだけで、STAND UP!JAPANメンバーの単なる1人という意識です。今後の関わり方には、メンバーそれぞれ考えがありますし、僕は僕で引き続きツアーやイベントでチャリティー活動を続けていくだけです。
STAND UP!JAPANは、みんなの思いの集合体です。何かあったときに使ってくれればいい。基本的に誰のものでもなく、「こうやって集まったお金は、STAND UP!JAPANに預けておけばいいや」と言ってもらえれば十分です。募金などの被災地を思う心がこもった一つ一つが、ただ被災地の皆さんのためになるならば、それが全てです。
正しさの観念が分かりにくくなった
ーーこの10年間、仙台、福島の郡山、いわきなどをライブで訪れています。東北に来るたび、何を思うのでしょうか。
福島の景色は何度も見ていますが、真新しい海岸線や防波堤を見ると、この場所が再び人々によって、いい意味で「しぶとく」、また「力強く」、営みが始まることに対しすごい感動を覚えます。
同時に、先ほども太平洋を望める塩屋埼灯台に行きましたが、いかに津波の被害が大きかったかを改めて考えさせられました。
でも、そうした被害のあった海岸で、家族が気持ち良さそうに過ごしている姿を見ると、「ずっとこうあってほしいな」と思うし、自分自身も新たな気持ちにさせられます。
10年前のツアーは、一度は中止になりましたが、「待っていてくれる皆さんに届けよう」とリスタートさせました。「予定していた会場全部でやるんだ」という決意でツアー日程を延ばした最後がいわきでした。その会場で消臭力のCM撮影もさせていただきました。
その街に住んでいるみんな、会場に来てくれたみんなが笑顔になってくれる。そんな本当にシンプルなことだけですごくうれしかった。僕らにできるのは、そうした笑顔を生むことなのだと改めて思えました。
ーー滋賀県で開催しているイナズマロックフェスについても、環境問題に役立ててもらうため収益金を県に寄付しています。自分が正しいと感じたことを行動に移すときはどんなことを考えているのでしょうか。
これまでは自分が正しいと感じたことをすぐ行動に移すことができたのですが、SNSが普及するにつれて、自分自身の中でも正しさの観念が分かりにくくなったという思いがあります。自分にとってはベストだと思ったとしても、100人いたらそれぞれ見方が違って、どれが正解かを主張しにくくなってしまいました。
さらに、行動として動き出すことをためらうことも増えたように感じています。何かを始めようとしても、「これをすると炎上するかな」「たたかれるんじゃないか」「こういう写真って撮っていいのかな」と考えるようになりました。もちろん、こういう配慮が不必要だというわけではありません。
SNSの中で見えた異質なもの、目立つものに反射的に嫌悪をぶつけてしまう行為に対して、ためらいがなくなってしまっているように感じます。新型コロナの問題で特に顕著になったと思います。
阪神・淡路大震災、東日本大震災の時には、何か行動を起こすことへの制限はなかったように思えます。良いことならとにかく始めてみて、「みんなが付いてきてくれればいい」っていう発想でした。ところが、このコロナ禍では動くことは良くないという風潮を感じています。
大切にする、自分自身への問いかけ
ーー東日本大震災から10年を迎える中、STAND UP!JAPANは今後、どうあるべきなのでしょうか。
STAND UP!JAPANが必要な状況ではなくなることが理想です。「あんなのもあったね」って言ってもらえるのがベストで、こうした活動がなくてはならない世の中は、本当はおかしいと思うのです。
僕は今、地方のことについて一生懸命やらせていただいています。ありがたいことに取材もしていただける。そんな身で言うのは気がひけますが、僕の行動はニュースにしていただくほど特別なことではありません。みんなが当たり前に地元のことについて活動したり、誰かのために動いてあげられるような世の中になることがベストです。
僕自身も、経験したことが役立つのであれば、積極的に社会に貢献していきたい。
なのに、ネットニュースのコメント欄には「おまえは歌っときゃいいんだよ」なんて書き込みもある。皮膚の色や目の色、性別で判断することを許さない社会の中で、くだらない差別にしか思えません。
ーー西川さんのお話を伺っていると、何か課題を解決する際に自分自身の半径数メートルの世界に気を配ることが大切だと感じられます。
「頑張っていますか?」ーー。僕は自分自身に対してそう問いかけるようにしています。人に何かを言えるぐらいに自分は頑張っていますかと。何か言葉にしたり文字にしたりする前に、そう自らに問いかけることが大切だと考えているのです。
東日本大震災から10年という節目で、つらいことを思い起こしてしまう方が東北にはたくさんいらっしゃいます。そんな時に自分は何ができるのか。僕は、自分が周りの人のためになれているのかを改めて考えるきっかけにしようと思います。
それがきっと誰かのためになると信じているからです。
【取材・文 : 岸慶太、写真 : 大橋祐希、動画 : 滝梓、編集 : 前田将博(LINE NEWS編集部)】