1月11日。"川崎大師"として知られる川崎市・平間寺。大本堂前の階段を取り囲むように、何重もの人の輪ができていた。
皆、何かを待ちうけ、お堂をのぞき込んでいる。やがて、一角から声が上がった。「来たぞ!」。

新シーズンの必勝祈願を終えた川崎フロンターレの選手たちが、姿を現した。階段をひな壇代わりにして、記念撮影をする。それが終わると、ひとりの選手がJリーグ優勝銀皿を抱えて、階段を下りてきた。
中村憲剛は「すいませーん」と断りながら、無造作に人の輪を突っ切っていった。思わぬ展開に驚きつつも、何とか追随したファンを引き連れたまま、大山門を通り抜けて仲見世通りへと繰り出す。
栄光のシャーレを掲げて、昨季リーグ覇者の看板選手が進んでいく。

「中村屋!」ではなかったが、花道を行く中村には、通りの両脇の店先から次々と声が掛かる。「ケンゴ!」「おめでとう!」「シャーレ見せて!」。もともと初詣でにぎわっていた通りは、やがて完全に人で埋まった。

リーグ、ルヴァン杯、天皇杯の"国内三冠"で、準優勝に終わること9回。ついに果たした優勝を、ぜひ振り返ってほしい。そう願うと、中村は「もう振り返りまくりましたから。雑誌とか見てください」といたずらっぽく笑った。

それでも、ひとしきり笑ったあとに「やりましょう」とうなずいた。姿勢を正し、語り出す。

──優勝の瞬間、地面に突っ伏して泣く姿が印象的だった

向こうの経過を知らなくてね。こちらの試合の大勢は決していたので、試合が止まるたびにベンチの方を見ていました。2009年に同じように、ウチが勝って鹿島が引き分け以下なら優勝という状況があった。でもその時には鹿島が早々にリードした。それを知ったベンチの雰囲気がとても暗かったのを覚えていました。
──今回は違った

それに比べると、ベンチがだいぶそわそわしていたので、これはまだ可能性はあるなと思っていました。最後に追加点をとって、主審が笛を吹いた時に、みんながピッチにワッと入ってきた。ああ、これは優勝したんだなと。気がついたらピッチに突っ伏していました。
──どんな思いが涙になったのか

なんかうれしいというか、よく分からない感情。いろんな感情が入り交じって。とにかく泣いていました。うれし涙を流したことがなかったので、プロに入ってから。15年分、たまったやつが、10分ぐらいでバーッと出た。今までの悔しい思いとかが、涙になって全部流れ落ちちゃったなというくらい、すっきりしました。

「ケンゴさんに優勝を」──
長く主将も務めてきた精神的支柱は、37歳になった。タイトルに迫るたび、後輩の選手たちは「ケンゴさんに優勝を」と口をそろえていた。
──そういう言葉が、重荷になる側面もあるのでは

自分は大丈夫でした。どちらかというと、それがチームの重荷になってしまうのが心配だった。11月のルヴァン杯決勝の時も、みんなが「ケンゴさんのために」と言っていた。すっげーうれしいんですけど、それでいらぬ力が入っちゃったら嫌だなと。

──優勝するには何が足りないと感じていたのか

自問自答の日々ですよね。毎年勝てなかったから、それを考えながら年を越す。でも結局、勝ってないから分からないんですよ。それでも、去年のチームは優勝に値するチームだと、シーズン途中で思っていました。やっているサッカーもそうですし、今までにない勝負強さがあった。
──何がチームを変えたのか

一昨年はクラブ20周年で、Jリーグチャンピオンシップにも進出して、優勝するなら今年だろうという雰囲気はあった。でも、やっぱりタイトルは取れなかった。その上、監督も変わって、エースもいなくなった。下馬評は低かったのも、しょうがないところもありました。
──それでもチームは変わった

キャンプの最初に鬼さん(鬼木監督)が「タイトルを取りにいく」という目標を、最初にはっきりと打ち出し、そのために必要なものをチームに落とし込んでくれました。それで、今までと違う手応えがあった。そして、シーズン序盤は低空飛行でしたけど、それでも方針は変えなかった。それが良かったのだと思います。
──優勝して得たものは

1年間、こういう意識でやればタイトルが取れる、というのが分かったのは大きな財産。いいサッカーしていても、しょせん2位どまりでは、説得力がなかった。優勝したことないじゃんと言われたらそれまで。それは苦しかった。今のスタイルになってからはずっと自信があっただけに。

「サッカーはエンターテインメント」──
タイトルを渇望する一方で、中村は「サッカーはエンターテインメント」と言ってはばからなかった。誰よりもピッチ外での告知活動に積極的に取り組み、ゴール後のパフォーマンスにもこだわってきた。
──勝ちにこだわることと、エンターテインメント性を高めることは、相反するという見方もある

ジレンマはずっと感じていました。フロンターレはサッカーだけでなく、サッカー外のところでも楽しませる、という両輪でずっとやってきました。地域密着を掲げて、川崎の人を喜ばせる。そういうポリシーでやっているので、ファン感謝デーも、イベント出席も、選手の露出も、他のクラブより多いと思います。
──ゴール後のパフォーマンスも話題になった

個人的にそれがマイナスになることはまったくなかったですけど、それでも勝ててないことで「それやりすぎだよ」とか「それが足を引っ張っているんだ」とか言われちゃうじゃないですか。それが悔しかった。そうじゃないって、オレは思っていたんで。
──ネットでの発信にも積極的

ネットの世界のスピード感、すごいなと改めて思います。オレもTwitterとかブログのライブ配信とかやってますけど、速いですよね。ダイレクトですから。ゴールパフォーマンスもそうですけど、プレーに響かない程度に楽しくやれればいいかなと。このクラブ自体も度を越えない程度にうまくやっているじゃないですか。あ、度を越えているか(笑い)。
──他の選手もうまく巻き込んでいる

新加入選手は面食らってますけど、サッカー選手は目立ちたがりな側面があると思っているので。選手がそういうことをやるのを、サポーターも喜んでくれるじゃないですか。それをオレは肌で感じてきたから。
──そこは曲げたくなかった

オレはこのクラブしか知らないけど、このやり方で大きくなって、人間としての幅もすごく広げてもらえました。これで優勝できれば、今までにないチームが優勝したということになるんで、絶対勝ちたかった。今に始まったわけじゃない。ずっとですよね。こういうクラブが勝てたら、どれだけステキなことだろうと。
──サッカー界全体を考えても、ということか

いろいろなスタイルがあっていいと思う。サッカーだけを突き詰めるクラブもあっていい。サッカー外だけを突き詰めるクラブも…ってのはさすがにないか(笑い)。ただ、両方をちゃんとやったクラブが優勝できれば、新しいスタンダードになるんじゃないかと、ずっと思っていました。もしかしたら追随してくれるクラブもあるかも。そうすれば、多様性のある魅力的なリーグになる。
──それを語れるのも、優勝したからこそ、ということか

そっちも肯定できたのが、すごくうれしい。優勝自体と同じくらい。「サッカー外の活動、邪魔じゃなかった」ってね(笑い)。クラブの取り組みが間違いじゃなかったという証しじゃないですか、優勝するって。ジレンマというか、評価を覆したいというのは思っていた。だからそれができて、本当によかったです。

「こんなにお母さんは大変なんだな」──
優勝を喜ぶもう1つの理由、それは家族に立ち会ってもらえたことだ。中村はリーグMVPに輝いた2016年シーズン中、かつてない試練に直面していた。第3子の長女を妊娠していた夫人が、妊娠14週目で破水。母子ともに危険な状態になっていたのだ。
──当時はその事情を明かさなかった

自分から言う必要はなかったですから。あの時期は、自分が家事を全部引き受けてやっていました。今までなら絶対無理でしたけど、無理という選択肢がない。やるしかなかった。もちろん母親や姉に手伝ってもらったりしましたけど、基本的には自分が子どもの世話も、自分のことも、洗濯炊事、食事、買い出しまで。
──プレーを続けながらというのはかなりの負荷では

でも意外とメリハリついてよかったんですよ、生活にね。甘えてたんだなと思いました。こんなにお母さんは大変なんだなと。これは別にママ層の好感度上げたいわけじゃないですよ(笑い)。本当に思ったんですよ。あの時。今までも感謝はしてたつもりでした。でも上っ面でした。やってみて、本当にすごいなと。
──主婦の大変さとは

あれもやってこれもやって、給料も出ない。これは世のお母さん、ダンナから給料取ったほうがいいよと思いました。それくらい。改めて感謝しました。今までとは違う感謝。尊敬に近い。世の中のダンナさんはみんな、奥さんに感謝しないといけない。これはホント、心から思う。
──優勝は最高の恩返し

本当によかったです。子どもたちにとってもそう。長男もサッカーやっているし。自分の父親がどういう選手なのかも、優勝できていないのも知っている。ある時からオレと一緒に「なぜ優勝できないのか」を考えるようになってました。優勝の場に、奥さんと子どもたちで来てくれて、すごく喜んでくれた。あの景色を見せられたのはうれしかったですね。そう、父親としてうれしかった。

「オシムさんには最初から、めっちゃ怒られました」──
中村は優勝後、代表デビューさせてくれた恩師、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏に優勝報告の動画をおくっていた。オシム氏はことのほか喜び、動画などで以下のような言葉を中村におくった。

メッセージありがとう、元気そうでよかった。まだまだフィジカル的には大丈夫ということなので、頑張れるうちは現役を続けてください。君のおかげで川崎はいいチームになった。あの体重で相手を恐れず身体をぶつける、とても勇敢な選手だ。エゴイストにならないプレーぶりは、若い選手のお手本になる。君の経験と知識はとても貴重なものだから、みんなに伝えてあげてください。ケチケチするんじゃないよ、君にはそれだけの価値があるんだから。
──オシムさんの動画、いかがでしたか

あれ、震えた。あれ、何?ものすごくうれしかったです。泣きそうになりました。
──むしろ特に目をかけられていた印象がある

ジェフのみんなの次に、オレは"チルドレン"でしたからね(笑い)。オシムさんには最初から、めっちゃ怒られましたよ。「これ、嫌われてるかな」と思うくらい。でも怒られるのは好かれてる証拠だと、羽生(直剛)さんが言ってくれたんですよ。それで、コミュニケーションの取り方を変えました。
──どう変えたのか

オレも意見を言うようにしました。オシムさんに。「こうじゃないのか」と言われたら「オレはこう思います」と。そうするとオシムさんは「ハン」って言う。「ほう、そうなのか」って。分かりますよね?あの感じで「ハン」と(笑い)。
──分かります(笑い)

ちょっとうれしそうなのよね(笑い)。きっと言うこと聞きすぎるやつ、あんま好きじゃないんだよ。自分自身がないやつ、好きじゃないから。オレはそのツボをつかんで、そこからはオシムさんの「ブラボー!」を聞くために、練習から頑張ってました。で、結局それがチームのためになったんですよね。
──チームには可能性を感じた

あれは楽しかった。短かったですけど。あのチームの完成形は見たかった。手応えはすごくあったんでね。そういう意味でも、あの動画は家宝ですね。オシムさんの言葉というのは、あの短い時間でも、ものすごく重い。奥さんとも話すんですが、いつか会いに行きたい。そういう企画、ぜひお願いします!(笑い)

「優勝したら、また優勝したくなった」──
オシムさんが「今後はさらに経験を伝えてほしい」と言う。中村選手は今後について、どんなビジョンを持っているのか。

やっぱり、ずっと第一線でプレーし続ける自分でありたい。年齢のことは散々言われています。でももう関係ないだろうって、開き直りに近い気持ちですね(笑い)。そういうのを証明するのも自分のパフォーマンスなんでね。落ちたらすぐに、年齢のことをかさにかかって言われてしまう。だから落とせない。

──プレッシャーになる部分もあるか

いえ。確かに35歳くらいまではそういう声に反抗するというか、ネガティブな、怒りのこもった感情もありましたけど。今はもう、自分さえ分かっていればいいかなと。自分のことは。そうやって突き抜けた部分が、いい方向にいけばいいかなと思っています。
──優勝できたことは、今後のビジョンを変えたか

正直「優勝できたから燃え尽きるのかな」というのはちょっとありました。なんせ、そこを追い続けて15年ですからね!悲願も悲願!(笑い)。でも優勝したら、また優勝したいなと。ルヴァン杯も天皇杯も、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)も、去年は悔しい思いをしているんで。そこも優勝したいという気持ちが、新しく芽生えました。もっと、もっとって気持ちです。

──モチベーションはむしろ高まった

だからちょっとホッとしたんですよね、自分に。サッカー選手としての自分が、まだやる気満々なんだなと。それがなんだか、無性にうれしかった。うん、だから楽しみでしかない。ここから先も。

23日、今年もJリーグが開幕する。
中村にとって、プロ16年目のシーズンが始まる。
今年で38歳を迎えるが、今年のW杯での日本代表メンバー入りを期待する声も高まるほど、変わらぬ存在感を放つ。同代表のハリルホジッチ監督も、事あるごとに名前を挙げる。
「楽しみでしかない」。その言葉通り、優勝を果たした過去を振りかえるよりも、今は"ここから先"に胸を躍らせる。
(取材、文・塩畑大輔 撮影・佐野美樹 動画・和泉達也 編集・LINE NEWS編集部)

中村憲剛(なかむら・けんご)選手
1980年10月31日、東京都小平市生まれ。都立久留米高から中大をへて、2003年に川崎フロンターレに入団。06年に日本代表に初選出。10年南アフリカW杯日本代表メンバーに選出。14年ブラジルW杯では予備登録メンバー入りも、出場はできなかった。16年JリーグMVP。
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