2020年10月1日、1頭のワンちゃんが息を引き取りました。
オスのゴールデン・レトリーバーで、名前は「ベイリー」。彼は生涯で、延べ2万5000人もの子どもたちを笑顔にしました。
ベイリーは、小児がんや難病など、病気と闘う子どもたちの頼もしい味方である「ファシリティドッグ」として、日本で初めて活動した犬でした。
病院に常勤して、子どもたちのベッドに寄り添い、検査に立ち会い、ときには手術室へも付き添うファシリティドッグ。
"正式な医療スタッフ"として病院で犬を採用する取り組みは、国内ではまだ例がない先駆的なものだったのです。
ファシリティドッグの日本での活躍の道が切り開かれた背景には、ベイリーと、病気と闘う子どもたちとの出会いがありました。
「日本にもファシリティドッグを導入したい!」
特定非営利活動法人タイラー基金(のちの認定NPO法人シャイン・オン・キッズ)を立ち上げて、小児がんの子どもたちやその家族を支える活動をしていたフォーサイスさんは、導入に尽力することを決意。
活動に欠かせないファシリティドッグの相棒として公私を共にする看護師「ハンドラー」を探しました。
そんなとき、専門家を通じて奇跡的に知り合うことができたのが、のちにベイリーのパートナーとなる森田優子さんです。
森田さんは大学では"アニマルセラピー"について卒論を書き、その後こども病院に看護師として勤務していました。
日本初のファシリティドッグのハンドラーという重責を引き受けた森田さん。2009年11月、ハワイのマウイ島にある育成施設で、初めてベイリーと出会ったときのことをこう語ります。
「ハワイの日を浴びた白い毛がキラキラと輝いて、すごくきれい…と息をのみました」
2007年12月14日、オーストラリアのブリーダーのもとで生まれたベイリー。
介助犬など働く犬になるために研修されてキビキビと動く他の犬たちと比べると、ベイリーはどこかゆったりとしていて、ワンテンポ遅れて動作する犬でした。
でも、ベイリーの愛嬌はピカイチ。森田さんはこの素質こそが重要だといいます。
「他の働く犬たちと違って、病院でたくさんの子どもたちと触れ合うファシリティドッグは、社交的な性格が必須なんです」
森田さんを交えた数週間のハワイでの共同研修の最終日。初めてベイリーと共に病院に入る練習で、森田さんは大失敗してしまいます。
「私の緊張が伝わったのか、ベイリーが言うことを聞いてくれなくなって、出口に向かって走って逃げようとしたんです」
「どうにもならなくて思わず叱ってしまい、不甲斐なさにその後カフェテラスで泣きました」
すっかり意気消沈してしまった森田さん。ふとトイレに行こうとしたところ、ベイリーが自らトコトコと付いてきて、寄り添ってくれました。
「あれだけ嫌な思いをさせたのに、『嫌われていないんだ』とうれしくなりました」
森田さんは思わずうれし泣きしてしまったと振り返ります。
前例のない取り組みに「人を噛んだりしないだろうか」「感染症は大丈夫なのだろうか」、そんな不安が病院内でささやかれます。
患者との直接的な触れ合いはなし、入っていい病棟も外科系の1棟のみという条件で、日本におけるファシリティドッグ活動の第一歩が始まりました。
不安の声をよそに、森田さんは早速手応えを感じます。
「術後痛みで起き上がれないと言っていた子が、病棟でベイリーを見かけた途端起き上がって、先生や看護師を驚かせたんです」
1週間のお試し期間を終え、病院内でアンケートをとってみると、導入を不安視する意見はなくなっていました。
そればかりか、慌ただしい現場の中でベイリーに癒やされたという病院スタッフの声が続出。
翌2010年1月から定期的に静岡県立こども病院に通い、実際に子どもたちと交流して活動できることになりました。
とはいえ、当初は週3回の半日勤務が許されたのみ。さらには、ボランティアという扱いだったので、森田さんが患者のカルテを見ることもできません。
その頃に出会ったのが、当時、高校入学を間近に控えながら入院していた、中学3年生のマコさんでした。
おしゃれをしたい年頃なのに薬の副作用で髪は抜け、顔もむくんでいたという彼女は、友達とも家族とも会いたくない日々を過ごしていました。
けれども、犬のベイリーが相手なら、心を開くことができました。そして、ベイリーとずっと一緒にいたいと思うようになりました。
夏のある日、同年代のアンナさんと病院の図書室へ本を借りにいったときに、たまたま図書室の真上が病院の院長の部屋だということを知ります。
そして、そのまま階段を上っていって、院長室に突撃。
「毎日ベイリーが来るようにしてください!」
在室していた院長に対して2人の少女が直談判してみせたのです。
ちょうどその頃、ハワイの研修施設の代表が来日していて、病院スタッフ向けにファシリティドッグの講演会も開かれました。
その講演会の最後に登壇した院長は、はっきりと宣言したのです。
「これからベイリーの活動を平日毎日の週5日にします」
会場は大きな拍手に包まれ、事前に知らされていなかった森田さんも目を丸くし、病院スタッフと共に喜びを分かち合いました。
ユヅキくんは、動物が大好きな男の子。
ベイリーがPICUの手前まで来る時間になると、たくさんのチューブを体につけているのに、出入り口のガラスに顔をペタッとつけて今か今かと来訪を待ちわびます。
「そんな様子を見ていた看護師長が、ある日、『ベイリーもPICUに入っていいよ』と言ってくれたんです」
森田さんがリードを持ちながらPICUの中に入ると、ユヅキくんはベイリーよりも小さな体を一生懸命伸ばして、ベイリーを抱っこ。そして満足気な笑みを見せました。
しかしユヅキくんの病気の治療は難しく、最終的にご両親が家に連れ帰る選択をします。
そこでベイリーと森田さんは、仕事帰りにユヅキくんの家へ寄るようになりました。
ベイリーが家に行くと、ユヅキくんは具合が悪いのに起き上がって喜びます。
起き上がれなくなってくると、今度は小さな足をピッタリとベイリーの柔らかい体に絡ませました。
呼吸用のチューブのせいで声も出せないはずなのに、帰り際に「ベイリー」と呼んでくれたこともあったのです。
2人が出会ってから1年8カ月後の2011年7月。
3歳の誕生日を目前に控えたある日、ユヅキくんは眠るように息を引き取りました。
小さな命をみとることも多い、小児医療の現場。ハンドラーとして、森田さんは思いを明かします。
「親御さんは亡くしたお子さんを毎日思い返します。そのときに浮かぶのは病院で苦しんでいる姿ではなく、笑っているお顔であってほしい…」
今でもファシリティドッグの広報活動にたびたび協力してくれるユヅキくんのご両親。そのたびに、こんなことを言ってくれるそうです。
「ユヅはベイリーの広報部長。この世にユヅの役割があって良かった」
短くも、精一杯生きたユヅキくん。その満面の笑みはいつまでも鮮明に輝き続けています。
2012年7月。
静岡県立こども病院に続いて、神奈川県立こども医療センターでの導入が決定します。
そこで静岡には2頭目となる新しいファシリティドッグ「ヨギ」が配属されることとなり、ベイリーと森田さんのペアは神奈川へ活動の場を移しました。
「犬が1頭いるだけで、病院という場所のイメージがこんなに変わるのか…と、神奈川でも改めて感じました」
ファシリティドッグの周りに自然と人は集まり、患者や家族、見舞客だけでなく、スタッフも含めた病院のみんなが明るくなります。
ベイリーはそれから約6年間勤務して、2018年10月に引退。
もうすぐ11歳になろうとしていました。
ベイリーの後任となったのは、現在森田さんと共に活動している「アニー」です。
悠々自適の生活に入ったベイリーは、毎朝、アニーと一緒に病院へ行って、午前中は事務局でゴロゴロ。
午後は近くのボランティアの方に面倒を見てもらうという暮らしをしばらく続けていました。
ところが2020年9月頃から、夜中に荒い呼吸をするようになり、検査をすると肺に白い影が見つかりました。
「最後の最後まで、ベイリーは自分の足でお散歩しようとしていました」
みんなを元気づける役割のファシリティドッグゆえに、最後まで森田さんを心配させまいとしていたのかもしれません。
そしてついに10月1日、ベイリーは12歳9カ月の生涯に幕を下ろしました。
「大泣きしました。しばらく骨つぼを抱えて寝ていました」
仕事もプライベートも365日いつも一緒。
ここまで手探りしながらひとつひとつにチャレンジしてきた相棒に対して、森田さんはこんな言葉をポツリと残します。
「戦友みたいでした」
ベイリーと一緒に励ましてきた子どもたちの数は、延べ2万5000人。森田さんにとっても、病院や子どもたちにとっても本当に、大きな大きな存在でした。
神奈川県立こども医療センターの「アニー」。
東京都立小児総合医療センターの「アイビー」。
国立成育医療研究センターの「マサ」。
静岡県立こども病院でベイリーの後任となった「ヨギ」は引退して、今では「タイ」が活動しています。
みんな海外生まれですが、タイとマサについては、新たなチャレンジとして、試行的に国内育成事業に着手しました。
タイという名前は、フォーサイスさんの息子タイラーくんからもらいました。
マサは、タイラーくんの主治医だった国立成育医療研究センターの故・熊谷昌明先生の名前が由来です。
2022年10月、初の試みとして静岡でファシリティドッグのイベントが行われました。
子どもたちは退院すると、基本的にはファシリティドッグに会う機会がありません。
そこで、子どもたちがタイと病院外で再会し、遊ぶことができるピクニックの場を設けました。
痛い手術や治療のときにずっと寄り添ってくれたタイは、子どもたちにとって特別な存在。
イベント当日、子どもたちの輪から少し離れた木陰に、他の子どもと比べて少し大きな女の子がいました。
高校1年生の佐野七海さんです。
コロナ禍の2021年の年末から年始にかけて入院していたという彼女は、そのときの思い出を聞かせてくれました。
「お正月なのに家族に会えないのが初めてですごくつらくて…。それに高校受験前だったので勉強も切羽詰まっていました。けど、タイが来てくれて…」
すると、つらかった時期を振り返って語る佐野さんの方へやってきたタイ。佐野さんは優しくなでながら話を続けます。
「たぶん、タイがいなかったら、2カ月の入院を乗り越えられなかったです。家族がいなくてもタイがいるからがんばれたんだと思います」
この「がんばれる」という、佐野さんの言葉。
森田さんもベイリーとの日々を振り返りながら、同じようなことを言っていました。
「ベイリーが1頭いるだけで、子どもたちががんばるようになるんです」
ベイリーがいると、処置室が怖かった子も入ってくれるようになったり、嫌なお薬も飲んでくれるようになったりするのだとか。
「そういう光景を目の当たりにして、子どもたちに治療を強いるのではなく、自分でがんばろうとする力をどう引き出すのか、それを医療者側も考えないといけないなと思いました」
ベイリーが日本に来て、ちょうど13年。
かつて院長に直談判したマコさんは当時、今目の前にいる佐野さんとまさに同い年でした。
マコさんは今、看護師として活躍しています。ベイリーがいなかったら看護師になっていなかった、と彼女は語ります。
ファシリティドッグの歴史はまだ始まったばかり。
ベイリーから始まったバトンは次の世代へと受け継がれ、社会に大きな希望を生み出そうとしています。
ですが、困ったことも起こりました。
増加する全国の病院からの要望に対し、ファシリティドッグが到底足りていません。海外生まれの犬を海外で育成して日本に連れてくるという従来のやり方では、頭数の確保に限界があるのです。
そして今、安定的に活動を継続させるためにクラウドファンディングが始まっています。
実際にファシリティドッグの育成には犬の管理費だけでなく、専用施設の整備費やドッグトレーナー人材の確保など、1頭だけでも大きな費用が発生します。
全国の病院でファシリティドッグが子どもたちの笑顔を支える未来のために、私たちにもできることがあるのかもしれません。
INFO
「シャイン・オン!キッズ」は、国内でファシリティドッグを育成し、活動を拡大することを目指してクラウドファンディングを実施中です。