Instagramのフォロワー約4万人の人気デザイナー・ニシクボサユリ。線画で描かれたモノクロのイラストには、都会で流れるシーンの一部分がキュートに切り取られ、そのポップなテイストは男女問わず多くの若者から支持を得る。
雑誌の挿絵や有名企業とのコラボ、書籍の表紙に加え、ハイペースでアップされるインスタの投稿を見るにつけ、彼女は多作のクリエイターなのだということがわかる。出身が美大でもなければ、あらゆるカルチャーが手に入る都会で暮らしてきたわけでもない。三重県の辺境育ち、看護大学出身。絵はほとんど独学で身につけたという気鋭のデザイナー、ニシクボサユリのルーツに迫った。
プロフィール:
ニシクボサユリ
デザイナー、イラストレーター。1988年三重県生まれ。東京都在住。雑誌、広告、書籍、TVCMなど幅広い分野で活躍。最近では、KIRIN、資生堂、ゼクシィなど大手企業とのタイアップも数多くこなす。また自身のブランド「OTTE」でグッズを販売するなど、多岐に渡って幅広く活躍中。
[instagram] @sayurinishikubo
[Twitter] @sayurinishikubo
相手が何を求めているかを想像して、アプローチを変えていく手法
──デザイナー、イラストレーターとして独立された昨年は、雑誌など媒体の仕事がメインだったと思うのですが、今はどんな活動をされているのでしょう?
企業さんとのコラボが多くなりましたね。最近は、3COINSとよしもとの「よしもとスリーコインズ劇場」、KIRINの130周年イベント「#カンパイ展」であったり、資生堂の「エリクシール ルフレ」のノベルティはずっとやらせてもらっています。最近は、総務省のふるさとワーキングホリデーのビジュアルや、メンズファッションブラインドのmarkとのコラボなんかもやらせてもらいました。その合間にウェブや雑誌の挿絵をやっていますね。
cap:横浜赤レンガ倉庫にて開催された、キリンの体験型エキシビション「# カンパイ展」。
──1年経って、やはり忙しさの面では大きく変わりましたか?
変わりはないかな~。たまにボリュームが多めのものを描くことがあるから、そういうのは忙しいとは思うけど、独立前もせわしなく働いていたような気がするので。
ただ最近感じていることがあって。雑誌って基本的には編集者さんからの指定があるんですけど、グッズのデザインは丸投げしていただくケースが多いんですね。最初の段階で「私はこういうものを作りたいです!」という話をさせていただいて「それでも大丈夫なら」という形でお仕事を受けるようになったのですが、結果、考える時間やデザインをする時間が増えたんですよ。
──自由にできる仕事が増えてきたということ?
何を企業さんが求めているかを考えた時に、「この絵を見てお願いしました」という場合は、求められているものがわかるので、そのまま咀嚼します。そうじゃない場合、私はスタイルがまだ確立されていないので、企業が私に何を求めているのかを想像して、アプローチを変えているつもりです。ゆるい絵も描くし、そうじゃないものも描くし。たしかに、自由度は高まったのかも。
──絵のスタイルを固めないのはなぜですか。
つい、いろいろ描きたくなるから(笑)。
──イラストレーターさんって自分の作風があるじゃないですか。そこがまだ固まっていないのはなぜでしょう。
たぶん、まだ見つけられずにいるんだと思う。やればやるほど悩むんですよ。
──線画でモノクロというシンプルなスタイルがある中で、試行錯誤しているのは具体的にどの部分ですか。
リアルに描くのか、ゆるめに持っていくのか。それは都度都度変わっているところです。
──「よしもとスリーコインズ劇場」ではかなり崩して描かれていましたよね。
3COINSのターゲットを考えた時に、多いのは中高生の女の子たちですよね。あわせて、企業さんからは男の子にも目を向けて欲しいと言われていて。それでやりとりを続けていく中で、本人だとわかるリアルなイラストよりも、ゆるくしたほうが(普段使いとして)持ちやすいんじゃないかと思ったんですね。あとは関西の芸人さんがたくさん出てくるので、それ以外の地方の人も受け入れやすいよう、リアルなタッチにすることは避けました。
──ターゲットはマスなので、そこに届けるために最適化させたということですね。
そうそう。デザインをする時って、もちろん自分が良いと思えるようなものは大前提として、その先に受け取る人がいるわけですよね。その人たちに良いなと思ってもらえなかったら意味がなくって。それを踏まえて、毎回のテイストは、企業だったり商品だったりによって変えてみる。
たぶん、デザイナー的なことをやっているんだと思います。イラストだけでなくトータルの「デザイン」で考えた時に、対象によって用途を考えるために、テイストが変わるのかなと。
──イラストの依頼を制作する時って自分の意見を結構言います?
毎回めっちゃ言います。相手に届くものが作れないと意味がないですよね。独立したての時は目の前の仕事で精一杯だったんやけど、良いものを作るためにはただ意見を聞くだけではダメだって気づいたんです。でも、依頼された仕事ばかりやっていると、「自分の絵ってなんだっけ?」に陥るわけですよ~(笑)。それが本当に悩みなんですけど、行きつくとこまで頑張ろうかなと(笑)。
あと、そもそも自分の作風というものはなかったのかもしれません。矛盾してるかもやけど。
──それはなぜ?
モノクロのものが好き、ということだけでスタートしたから。なんというか、モノクロは自分にとってとても落ち着く配色なんですよね。
看護師として病院で働いていた時に、もともと物作りに興味があって、いつかそんな仕事がしたいとふつふつ思っていたので、3年ほど働いてから「もう辞めて好きなことをしよう!何かデザイン系の仕事をやろう!」と思い始めて、「自分の好きなものはなんだっけ?」と考えた時に、一番影響を受けていたのがアートディレクター・平林奈緒美さんの作品だったんです。なんてかっこいいんだろうって。そこが原点。
彼女のデザインだと知らずにYAECAやla kaguのロゴやったり、PASS THE BATON、AND THE FRIETとかを見ていて、食いつくのが毎回必ず平林さんのデザインなんですよ。普通に暮らしている中でいつも彼女の作品には目を奪われるので、潜在的に意識していたんだと思います。
「何もないところにいた」ことが、コンプレックスとしてずっとあった
──ニシクボさんは、いつからイラストを描かれていたんですか?
うーん......たしか4歳くらいから絵は描いていました。その時は今のようなモノクロではなくて、普通に色も塗った絵で。三重県熊野市という田舎の出身なんですけど、田舎すぎてとにかく暇だったので、絵を描くことやゲームをするのが娯楽。でも、絵は小学生高学年であまり描かなくなっちゃったと思います。
実家は熊野市の山奥なので、近くにあるのが郵便局くらい。最寄りのコンビニまでは車で20分。たぶん、200人も住んでいない町です。小学校の全校生徒が7人くらいでしたから(笑)。買い物に行くところも全然ないんですよ、名古屋に行くのも3時間以上かかるし。
──大学は県内の看護大学に進まれていますよね。なぜ看護師という道を選んだのでしょう。
最初はゲームが好きで、スクウェア・エニックスに入りたいと言っていたんですけど、そんなものは無理だ、やめろと散々言われて(笑)。現実的に考えると、スクエニは東京にあるわけやし、三重からも遠くて、本当に夢という感じ。それで大人たちの意見を聞きながら進路を考える中で、母子家庭だったし、このまま実家に残って親と暮らすだろうという流れがあるわけですよ。兄は名古屋の学校に行ってしましったし、私は家に残るしかないと思うようになって、とりあえず資格は取っておこうと思い、看護の大学に。
──就職先は名古屋の病院を選ばれていますよね。
突然やけど、スタバが大好きなんですよ。もともとコーヒーが好きで。私の生まれ育ったところって、スタバという存在が全くない環境だったんですね。初めて行ったのは高校の終わりか大学の始めくらい。その時に、お店の空間とそこで働いている人に感動しました。衝撃、カルチャーショック。
就職の時に、病院くらいは大きなところで経験したいと思ったから、スタバが入っている大学病院を選んで、名古屋でオペ室看護師として勤務することになったんです。もちろん、就職先で働いている人の人柄も決め手になりました。スタバだけじゃない。
──スタバと同じくらい、ファッションも好きですよね。
それこそ服を買うために大学時代はバイトもめちゃくちゃしていましたね。その時はドトールやったけど(笑)。あとその当時、今につながるかもしれない出来事があって。知人が服飾の専門に行っていたので、ファッションショーに誘われて見にいったんです。ショーが終わった後に挨拶した時に、次は手伝ってくれと言われて。面白そうだし手伝うくらいなら良いよって言ったら、自分で服を作ってそれを着て、ランウェイを歩けと言われるという(笑)。でも、それが思いのほか面白くて、服を作る楽しさに目覚めたんです。自分の知らない世界があって、それはとても広いなと感じました。
「何もないところにいた」ということが私のコンプレックスとしてずっとあったんですね。周りは、こういうカルチャーを通ってきた、こういう環境があった、とか言うけどさ、私には何にもないんですよ。だから広い世界への憧れはずっとあったのかもしれない。
何かに流されて生きるのは面白くない、それは自分の人生じゃない
──看護師という仕事から離れてみようと思ったのはどうしてですか。
仕事自体は面白かったんですが、年功序列のシステムでいくら私が頑張ったところで給料は何も変わらないということに無力感があったんです。看護師は給料高いと思われがちなんやけど、それは夜勤をしているからなんですよ。ベースはそんなに高くない。
私のやりたいことはこれじゃないと感じて、しばらくしたら新しいことをやってみようと。3年目くらいにウェブデザインを個人的に始めたので、制作時間を確保できる場所で働こうと思い、夜勤だけしながら昼間は制作を進めて、サイトを構築したタイミングで東京に出てきました。
その時はカメラにハマっていたので、サイトに写真をずっとアップしてましたね。こっちに来てからも写真の教室に1年くらいは行ってて。今はやってないんですけど、その感覚が絵を描くときにも役立っているなって思う。具体的には構図とか。当時、違うことをやってはいたけど、今との共通点はあったんだなあって。
──すごくアクティブですよね。
自分は何がやりたいのか分からんくなってきて、悩んだ時もあったんです。でも、やってもいないのに頭の中で考えても分かるはずないよねと思って。それから、興味のあることは全部やってみようと思ったんです。やった上で見えてくるものはあるだろうと。なので、東京に来てから空間デザインの学校にも入ったし、写真の教室にも行ったし、たしかにアクティブにはなっていたかも。
──イラストではなく、なぜ空間デザインだったんですか。
サイトを作り始めた時からデザイン全般に興味が出てきたんですけど、ウェブデザインってどちらかというとコーディング寄りなんですよ。私はグラフィックやインテリア自体も好きやったから、一回学校に行ってみようとなった時に、自力でやるのが難しそうなことを学ぼうと思ったんです。CADとか学んで、設計図も書いていました(笑)。
──お話を聞いていると、ポイントポイントでちゃんと考えて決断を下されているように感じます。流されていない。
でも、看護に進んだ時は妥協が入っていたから少し後悔していて。「親を守らないと」っていう思いで自分の気持ちを抑えて生きてきたからかもしれんけど、何かに流されて生きるのは面白くない、それは自分の人生じゃないと思っているんですよ。別に挑戦してみても死ぬわけじゃないし、今のうちにやるだけやってみようっていう気持ちですね。
PR情報:
ニシクボサユリの個展が渋谷、銀座、横浜にあるロフトで開催中。新しい試みとして、ライブペインティング、キャンバスを使ったイラストの展示をおこなう。試行錯誤の末にたどり着いたニシクボの作品を、心ゆくまで堪能してほしい。詳細はニシクボサユリ のInstagramから。
SAYURINISHIKUBO × Loft EXHIBITION ーJOYー
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