突然訪れた、ラグビーのない日々
中町俊耶(以下、中町)「4月4日にトレーニングして以降、ずっと家にいました。それまでは、車いすラグビーの練習が多い時で週5日と、車いすラグビーしかしていないような日々だったので、どうしようかと。1日に1時間は家で筋トレをしたり、あとは、今までやっていなかった事をやろうと思って、本を読んだりしていました」
小川仁士(以下、小川)「最初の1週間はラグビーから解放された感じで、有意義に過ごしていたんですが、そこから何をしていいか分からない状態になってしまって。僕は家ではあまりトレーニングするタイプではなかったので、まず、腕を回したりするトレーニング用の器具を2〜3個買って、朝と夜に少しずつ行っていました」
僕らはコロナに罹ったら、命を落としてしまう
小川「僕たちのように頸髄損傷の人は、肺活量が普通の人に比べて、半分や3分の1くらいなので、新型コロナに罹ってしまうと、きっとほとんど命を落としてしまうんですね。自粛期間中は、不要不急の外出はしませんでしたし、最低限スーパーに行く時などは、マスクに手洗い、うがいは徹底していましたね」
中町「僕は頸髄損傷で自律神経も損傷していて、血圧をコントロールする力が健常の人に比べて弱いんです。自粛に入ってから、外出せず太陽の光もあまり浴びなかったり、夜更かしなどで自律神経が乱れて、体調を崩してしまいました。5月からは積極的に散歩して、太陽の光をちゃんと浴びながら、規則正しい生活をしたら、回復しました。外の光は大事なんだなと、学べたいい機会でしたね」
小川「僕は正直、今年だったら日本代表に選考されていなかったと思うので、1年延びて、またチャンスをもらえたという感じです。あと1年頑張れる猶予があると、マイナスには考えなかったです」
中町「僕も延期になったことに対してネガティブな印象はなくて。パラリンピックのメンバーに入れたとしても、試合に出るところまで行けたかどうかは分からなかったです。1年延びたことで、さらに力をつけて、来年しっかりコートに立てるという時間ができたと思っています」
野球で培ったボール技術と精神力
中町「野球をやっていて良かったと思う瞬間はたくさんあります。ピッチャーで、指先の感覚は研ぎ澄まされた感じがします。車いすラグビーでは走っている選手に対して、どこに投げれば相手の取りやすいところに落ちるかが考えなくても感覚的に分かる。他の選手に当たられながら、ボールをしっかり握れていない状態でも、しっかりパスを出せる。そういうのは、他の選手より持っているなと感じます」
娘に見せたいパラリンピック
小川「今年1月に娘が生まれました。もう可愛すぎますね。パラリンピック開催が1年延びて、来年には子供が歩いたりすると思うので、もし自分が代表に選ばれたら、試合に見に来てくれるのかなとか思ったりします。その先もパリ(パラリンピック)があるので、子供の記憶に残ればいいなと思います」
正反対の同級生は、良きライバル
小川「中町は、僕にはない真面目さと努力家な一面があって、すごく尊敬しています。海外の選手の名前や、一人一人の特徴を分かっている。僕がラグビーに誘った人が、いま代表の一線でやっているのは、刺激になりますね。僕も負けてられないなって思えます」
中町「仁士は、プレー中や普段の生活でもアクティブに動くところがあるので、そういうところは刺激的です。仁士は(守備を主とする)ローポインターですが、“(攻撃を主とする)ハイポインターも食ってやるぞ”という精神がとてもあります。僕はわりと頭の中で考えてしまうところがあるので、そういう気合やガッツあふれるプレーは、見習わないといけないですね」
中町「自国開催でパラリンピック競技を認知してもらえる大きなチャンスになると思います。障害を負ったり、壁に当たって一歩前に踏み出せない人に対して、自分たちが頑張る姿を見せることで、生きる活力につながればいいなと思っているので、パラリンピックの舞台ではしっかり輝きたいと思っています」
小川「世界から恐れられる1.0のローポインターになりたいというのが目標です。東京パラリンピックがゴールではなくて、そこをきっかけにいろいろなパラスポーツに興味を持っていただけたらうれしいです」
車いすラグビー…手や足に障害がある選手が競技用の車いすに乗って行うラグビー。車いす同士のタックルが認められていることから「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれる激しいコンタクトプレーが見どころのひとつ。試合は4対4で行われ、選手にはそれぞれ障害の重い0.5点から軽い3.5点まで、7段階の持ち点が与えられている。日本は現在、世界ランク3位。パラリンピックで初の金メダルが期待されている。