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元五輪選手・今井メロが語った再々婚

2019年3月19日 05:00 週刊女性PRIME

3月中旬に自宅前で話を聞くと、丁寧に答えた今井

 '18年の平昌パラリンピックで、スノーボード種目の金メダリストとなった成田緑夢。来年行われる東京パラリンピックでは走り高跳びでの出場を目指しており、冬夏通しての金メダル獲得も夢ではない存在だ。

 そんな活躍著しい緑夢の6歳年上の姉である今井メロ。彼女もまた、10代のころは輝いていた。

「トリノ五輪前の'04 -'05 シーズンではワールドカップで優勝し、世界ランキングの1位に躍り出ます。当然、メダル獲得を期待されてオリンピックに臨みましたが、結果はケガの影響とプレッシャーで予選落ち。期待が大きかっただけに、帰国後はバッシングにさらされました」(スポーツ紙記者)

 栄光からどん底へ。18歳の今井にとって、それはすぐに立ち直ることのできない体験だった。過去の『週刊女性』のインタビューでも、当時の複雑な心情を語っている。

《オリンピック後、1年くらいは家からほとんど出られずに引きこもっていました。それから母ともケンカして、家を飛び出してしまいました》(『週刊女性』'12年10月2日号)

 彼女は家を飛び出し、キャバクラで働くだけでなく、その後は風俗店で働いた。

都内のマンションにすでに引っ越し


「トリノ五輪の翌年、彼女が客の待つホテルなどに派遣されて性的サービスをするデリバリーヘルスに勤めていたことを、週刊誌などが報じました。また、22歳のときに長男を出産しましたが、すぐに離婚。その翌年に再婚し第2子になる女児を出産するも、結婚生活は1年ほどで破綻。シングルマザーとして、今まで2人の子どもを育ててきたのです」(芸能レポーター)

 金銭的に窮し、2度目の離婚のころは生活保護を8か月間受給。また、'17年にはセクシー女優として、2本のアダルト作品に出演している。

 まさに身体を張って子どもたちを育ててきた今井だが、ついに“春が訪れた”という。

「小学校に通う2人のお子さんが今年1月に都内に転校されたんです。なんでも、メロさんが再々婚されるそうで、新しくお父さんになる方の職場近くに住むために引っ越されたそうですよ。そういう費用なども、その男性が用意したそうなので、お金に余裕のある方なんじゃないかって、近所では話題になっていましたね」(小学校の保護者のひとり)

 すでに子どもたちと都内で新生活を始めている今井。だが、ここ数年住んでいた神奈川県川崎市内で取材をすると、幸せな話とは別に何やら不穏なウワサを耳にした。

彼女は親しいお母さん友達には、『児童扶養手当』を受給していると話していたそうなんです。シングルマザーだから不思議ではないんですが、彼女は外車に乗ったりして、生活状況はとてもお金に困っている感じではなかった。もしかしたら不正受給しているんじゃないかって疑う人もいましたね」(過去に住んでいた自宅の近隣住民)

 児童扶養手当とは、ひとり親家庭の安定と自立のために支給される手当のこと。子ども1人では満額で月額4万2490円支払われ、2人目には1万40円が加算される。だが、支給には所得制限があり、彼女のような2人の子どもを育てる家庭では、収入が年間125万円以下なら満額支給されるが、268万円を超えると1円も受け取ることはできない。

 過去に生活保護を受給するほど、生活苦だったことは確かだが、最近は安定した収入があったと、彼女の所属事務所の元スタッフは証言する。

'17年に今井さんはセクシービデオに出演しましたが、そのときに支払われた出演料は2本で2000万円でした。これを一括ではなく、毎月100万円ずつ20回にわたって払っていましたからね。

 自宅マンションは事務所の借り上げだったので家賃はかかりませんし、2人の子どもがいるとはいえ、かなり余裕のある生活だったと思いますよ」

 そこで事務所から持ち出したという資料を見せてもらうと、'17年は1297万円、'18年には988万円余りが事務所から彼女に支払われていることが確認できた。

彼女は'16年から今の事務所に所属していて、初めは事務所の顧問税理士さんに確定申告を任せていたんです。ですが、セクシービデオのギャラが入ると、“税金は自分で申告するから”と言って、税理士さんを断ったんですよ。

 今井さんに税金の知識があるとは思えないし、そのときは何でそんなことをするのかわからなかったんですが、児童扶養手当の不正受給が本当だとしたら、そういうことだったんだって感じですね」(同・元事務所スタッフ)

 そこで、今井の所属事務所に事実関係を聞くと、メールで回答が送られてきた。

「今井メロと弊社との専属契約は'21年10月まで残っており、セクシービデオ2作品のギャラとして2000万円を支払ったのは事実です。ただ支払いの仕方などはお答えできません。また、児童扶養手当の不正受給に関してはいっさい聞いていません」

 また、彼女が児童扶養手当を受け取っていたとされる川崎市の区役所『保健福祉センター児童家庭課』に事実確認すると、

「プライバシーの問題で、個別のことに答えることはできません。住民税の申告を基準に支給を判断していますが、虚偽の申告だとしたら、それは別の部署の問題となります。そのうえで手当が過払いだとわかれば、われわれはご返金を求めることになると思います」

 もし、自治体が今井の不正受給を認めた場合はどうなるのだろうか。離婚問題などに詳しい『弁護士法人・響』の澁谷望弁護士によれば、

「仮に確定申告をせず所得を隠していた場合(かつそれが調査でも発覚しなかった場合)は、児童扶養手当を受給することができてしまいます。もっとも、これが不正受給になることは言うまでもありません。

 そして、不正受給が発覚した場合、地方自治体は受給額の全部または一部の徴収をすることになります(児童扶養手当法23条)。

 法文上『国税徴収の例による』とありますので、財産の差し押さえを受けて、強制的に換価されることになります。なお、不正受給をした場合は、3年以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられることがあります(同法35条)。また、悪質な場合は詐欺罪に該当する可能性もあります」

 再々婚というおめでたい話のウラでくすぶる児童扶養手当の不正受給疑惑。ここは、本人に直接、話を聞くしかないだろう。

 3月中旬、都内にある自宅マンションの駐車場から、車に乗り込もうとした今井に話を聞いた。

─こちらに引っ越されたということは、ご結婚の準備が進んでいると?

「そうですね。公表するかどうかも考えていまして……」

(あっさり再々婚を認める)

─すでに入籍されて?

「してません。してません」

─今回はどんな方ですか?

「一応、企業の社長さんです」

─いつごろから交際に?

「4年くらい前に知り合い、友人として普通に相談ごとなどをする仲だったんです。交際が始まった時期については、相手があることなので詳しくは話せませんが、子どもたちが自然に彼と話しているなって。

 すごく懐いているんです。今までは出会ってから交際までが短かったですし、すべてが短かったんですが、今回はそこが大きく違うんです。自分は離婚歴が2回ありますし、すごく慎重にはなりました」

世間的には不正と思われても


─今まで児童扶養手当を受給されていましたよね?

「そうですね。シングルマザーでずっと生活をしてきているので」

(そう言うと、不審そうに記者の顔を見る)

─昨年くらいまで受給されていた?

「ちょっと、それについては詳しくはごめんなさい。何も言うことができません」

─シングルマザーでも、年収が基準を超えると不正受給になるのはご存じでしたか?

「はいはい。でも、今は何も言うことができないんです。すみません。今は時間がないので、すみません……」

 そう言うと、後日、編集部へ連絡することを約束し、車に乗り込んで走り去った。

 そして翌日、約束どおり彼女は編集部へ電話をかけてきてくれた。

─児童扶養手当はもらってはいたが、収入が基準を超えていたときはもらっていない?

「はい。手当に関しては、収入があった……、いつの時期に、どうしていたかはお答えしたくないのですが……。収入は確かにありました。申告したうえで、もらえる額というのは決まっています。ただ、いろんな債務に追われていて……」

─年間1000万円ほど収入があっても、大部分を借金返済に充て、生活費は国が定めた268万円以下だった?

「情けない話ですが、そうなんです。月々の返済額もそうですし、そういった証明もあるんです。それを身近な人は知っているんですが、世間的に見れば“不正しているんじゃないの?”って思われてもしかたないのかなあって思いますね。事実はそういうことなんです。債務はすべて返すことはできたんです。本当にリアルな話ですみません」

─借金を返済して、新たなパートナーも見つけて、再スタートを切るということ?

「今後は、自分が取得しているスノーボードの審判員と指導員の資格を生かした活動をしていきたいです。芸能活動は考え中です。セクシーな仕事に関しては結婚後はもちろんするつもりはありません」

 新しい幸せを手に入れた今井。だが、過去をしっかりと見つめ直すこともときには必要ではないだろうか―。

外部リンク

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“販売日本一”になった小さな書店オーナーの奮闘

2022年1月29日 13:00 週刊女性PRIME

常連客の田中さんと本の話題で盛り上がる二村さん 撮影/渡邉智裕

 シンクロ日本代表として活躍後、娘を連れてシングルマザーとなり、パニック障害を発症。25年苦しんだ。生きる自信をなくし絶望していた彼女を救ったのは、書店で出会った客だった。以来、客と対話を重ねておすすめの本を手渡す時間が生きがいとなる。町の小さな書店が次々と消えゆくなか、大型店やネット書店に負けない努力と、気骨のある姿勢で闘う書店――そこは、本を介して人がつながり、心を通わす場所だった。

1500人のお客の好みを覚えている


「いらっしゃいませ。どんな本をお探しですか?」

 わずか13坪。店内はぐるりと15歩で回れるくらいの狭さ。そこが、二村知子さん(61)の“闘いの場”だ。

 大阪市中央区の地下鉄谷町六丁目駅のすぐそば。オフィスビルが林立する大通り沿いに隆祥館書店はある。二村さんの父・善明さんが72年前に母と創業し、今は2代目の二村さんが切り盛りしている。

 手書きのポップが本棚のあちこちに張られ、壁には過去のイベントの写真やチラシが何枚も張られている。どこか懐かしい感じがする店内にお客が入ってくると、二村さんは明るく声をかける。雑談をしながら仕事や好みを把握し、これぞと思った本をすすめる。

 大阪市内で小さなスポーツ用品店を営む田中敬人さん(67)は書店の近くに問屋があり、常連になった。

「二村さんはね、テレパシーで心を読まれてんのん違うかなーと思うくらい(笑)。すすめてくれるのは私にぴったりな本ばかりです。初めて来たときも、親父が亡くなって落ち込んでいたんです。西国のお寺回りが好きだけど、コロナでどこにも遊びに行かれへんし。そんな話をしたら、大阪を舞台にした『幻坂』(有栖川有栖著)を紹介してくれて。読んでみたら、遠くに行けなくても、近くにこんないいところがあったのかと」

 店内の本棚には足元から天井近くまで本がぎっしり。そこを見て回るのも楽しいと田中さんは顔をほころばせる。

「ジャングルで宝物を探し出すみたいで面白い。しかも二村さんのフィルターを通した本ばかりやから、何を買ってもハズレがないんです」

 二村さんは相手が子どもでも、満足できる本を見極める。中学1年生の男の子が子ども向けの歴史の本を買いに来たときは、話を聞いてかなりの歴史好きだと感じた。

「あなたはこの本では満足しないんちゃう?」

 すすめたのは『ミライの授業』(瀧本哲史著)だ。

 その本を読んだら面白かったと、男の子から経緯を聞いて、祖母の黒田美砂子さん(69)も書店を訪れた。中学校の国語教諭だった黒田さんは本好き。だが、大型書店では欲しい本がなかなか見つからず辟易していたと話す。

「それがこの店に入った瞬間にね、“読みたいと思ってた本がいっぱいあるわ”と。あー、これも、これもと10冊以上買ってしまって(笑)。家にはまだ読んでない本がいっぱいあんねんけど、ここに来たら、また買ってしまう。二村さんは、おすすめ上手やから(笑)。『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫著)なんか自分では絶対に選ばない本だけど、すすめられて読んだら、うわ、こういう事実があったのか。全然、歴史を知らなかったなと」


 同書は関東大震災で火の手が迫った獄舎から、囚人を信じて一時的に解放したという史実を基に元刑務官が書いたノンフィクションノベルだ。タイトルからは何の本かわかりづらいので、丁寧に内容を説明して、1年間で500冊売ったという。

 二村さんがすごいのは、話をしたことがあるお客なら顔を見れば、どんな本が好みか大体覚えているところだ。その数は1500人を超えるというから驚く!

父親に大反対された積極的な接客


 かつて二村さんはシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)の日本代表選手だった。引退して結婚、出産を経て、実家の隆祥館書店に戻ったのは1995年。その翌年をピークに出版不況が始まり、ずっと右肩下がりが続いている。


 二村さんが両親の営む書店を手伝い始めて間もなく、中年の男性客に「おすすめの本は?」と聞かれ、自分の好きな『鉄道員(ぽっぽや)』(浅田次郎著)を挙げた。

 それをきっかけに、積極的にお客に声をかけるようになったが、当初、父には「一介の本屋が大それたことを」と反対された。それまでは黙っていても本や雑誌が飛ぶように売れた時代だったのだ。

「父には、正直、そんなん言ってる場合ちゃうでと。売り上げはどんどん減る一方で、小さな本屋にとっては、もう毎日が生き残るための闘いみたいなものでしたから」

 本をすすめたお客が次に来店したとき、「ものすごいよかったわー」と言ってくれ、二村さんは心の底から喜びが湧き上がってきた。

「実はここに帰ってきたときは、自分に対する自信もなくなって、生きていても価値がないわと思っていたんです。本屋には立てるんやけど、パニック障害で地下鉄にも乗られへん状態で……。それが、私のおすすめした本を喜んでもらえて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自信を取り戻せていけたんですよね」


 二村さんは出版社から送られてくるプルーフという見本や新刊本を読み込んで、いい本を探した。閉店後は寝る間を惜しんで本を読むのが日課で、もう25年続けている。


 だが、時間も読める量にも限りがある。興味の幅も簡単には広がらない。助けてくれたのも、お客だった。

 百貨店勤務の岡住容子さんは大の日本映画好き。5年前、「タイトルを度忘れしてしまった」という本を二村さんが探し出したのを機に、ほぼ毎週来てくれるようになった。

 ある日、岡住さんから『活動写真弁史』という分厚い本の注文が入った。二村さんがツイッターで「活弁の本が売れました」とつぶやいたら、著者で活動弁士の片岡一郎さんがフォローしてくれた。しかも、関西に行く用事があるから、隆祥館書店に来てくれるという。

「岡住さんに教えていただいたおかげです。うちのスタッフも活弁が好きになって、活弁関係の本を置きだしたら、片岡さんともご縁ができた。めちゃくちゃ感謝してます」

 店で片岡さんのサイン会をやると知らせを受けた岡住さん。当日は信じられない思いで駆けつけたそうだ。

「いつもステージで見ていた、私にとっては雲の上の人がここに来るの? とすごくビックリしました。ここで買った本はどれも、“こんなおしゃべりをしながら買ったなー”とか、思い出が残っています。大きな本屋さんや、ネット注文ではありえないですよね」

 二村さんが作り上げたのは、本というモノを売買するだけの店ではない。本を通して、教えたり、教えられたりする、かけがえのない場所だ。


井村コーチの言葉が人生の指針に


 誰にでもにこやかに話しかける二村さんからは、想像もできないが、幼いころは人見知りで気が弱かったそうだ。

「2歳下の妹は寅年で負けん気が強くて、長女の私はいてるか、いてへんか、わからへんくらいやったって(笑)」

 水泳を始めたのは小学2年生のときだ。勉強はできるのに体育はダメ。しかもプールが怖くて、お腹が痛くなるほど。無理やり、浜寺水連学校に連れていかれた。

「母は“水に放り込んでやってください”と言うたらしいけど、私はもう、イヤでイヤで。母が怖かったから、しぶしぶ泳いでいたけど、本当は好きじゃなかった(笑)」

 同校は日本のシンクロの発祥地であり、日本代表選手を輩出している。中学生になるとき、友達に「一緒にやろう」と誘われて始めた。

 最初は楽しかったが、徐々に厳しさを増す。チームはA~Eまであり、二村さんはCチームで3年ほど足踏みした。

「そのころ白髪がブワーッと出てきたんです。プールのカルキの影響もあるかもしれないけど、精神的にすごく追い詰められていたんやろうね。約4分間あるチームの演技は全員で絶対に合わさないといけない。水中でグッと息を我慢せなあかんときに、苦しくて自分だけ“ハアーッ”と水面で息を吸ってしまう。そんな夢を見て夜中に目が覚めるんです。選手をやめてからも、その夢は何度も見ましたね」

 それほどつらい環境下でもなぜやめなかったのか。答えはシンプルだった。

「上に上がりたいという気持ちもあったんですよ」

 Bチームに上がると、井村雅代コーチの指導を受けることができた。後にシンクロがオリンピック種目になると、日本代表を率いて何度もメダルを獲得し「シンクロ界の母」とも称された人だ。

「私は身長158センチと選手の中では低いから、先生には“人の倍、努力せなあかん”と。母も100点取ろうと思ったら120点の勉強せなあかんという人だったけど、母より怖かったですね、井村先生は(笑)。

 でも、頑張ったら報われるというか、公平なんですよ。みんなを平等に見てくれるので、うれしかったですね」

 それでも、高校1年生のとき、年下の選手に激しく追い上げられ、一度だけ引退を申し出たことがある。

「先生、もう私は限界やと思います。もうやめます」

 返ってきた言葉は想像を超えていた。

「あんたの限界は、私が決める」

 自分で諦めて逃げてはいけないと諭された。恩師のこの言葉は、その後、二村さんの生きる指針になる──。


 間もなく二村さんはAチームに上がり、日本代表選手に選出される。チーム競技のメンバーとしてパンパシフィック大会に出場。2大会連続で3位になった。

学生結婚からパニック障害へ


 高校卒業後にシンクロを引退。大学在学中に学生結婚した。相手は初めて付き合った8歳年上の男性だった。

「うちの両親、特に父は、もっと社会を見てから結婚したほうがいいと反対しました。反対されるとね、余計に家を出て自由になりたいと思ってしまって。だけど結婚後は、もっと自由がなかった……」

 引退後もシンクロはコーチとして続けていたが、23歳で長女を出産してやめた。子育てが一段落して再開したいと思ったが、夫や姑にいい顔をされなかった。やがて夫婦仲はギクシャクするようになる。

 夫の裏切りが間もなく発覚。ほかに恋愛経験がないまま結婚した二村さんは夫とうまくいかないのは自分のせいだと、自分を責めた。まじめで努力家だから自らを追い込みすぎたのだろうか。

 ある日、地下鉄に乗っていると、突然、冷や汗がバーッと出てきた。ドオーッと動悸が始まり、「私、このまま死ぬんかな」と恐怖にかられる。そのまま意識を失って倒れた。

「それがトラウマになって、1人では地下鉄に乗れなくなったんです。これは経験した人にしかわかれへんと思うけど、ほんまに怖いんですよ。地下に下りようとしただけで、“アー、ダメダメ、ムリムリ”と。美容院にも銀行にも怖くて行けなくなって」

 そのころはパニック障害という病名は知られておらず、本を何冊も読んで、ようやく自分の病気はパニック障害だとわかった。

 娘の宝上真弓さん(38)は当時、小学2年生だったが、母親の苦しむ姿をよく覚えているという。

「グッと強く踏ん張っているときもあるけど、それ以外はメソメソしていて(笑)。食事をしても、すぐお腹を壊してガリッガリでした。車の運転はできたけど1人でいるのを不安がったので、どこに行くにも一緒についていくのが当たり前になっていましたね。

 母は私をしっかり育てることが使命になっていたところもあるので、何とか気持ちを保っていたと思うし、私もそんな母を励まして支えることが、生きる目的みたいなところもあったので、長い間、支え合って生きてきたなーと。私が大学生になって、デートとかで家を留守にするのも、気を遣いましたから」

心の再生に「書店」が必要だった


 夫と離婚して、35歳のときに娘と2人で実家の近くに引っ越した。

「私の人生はもう終わった」

 絶望感に駆られながらも、毎日、店頭に立った。書店にいる間だけは、しんどくならなかったのだ。

 父は何も言わずに見守ってくれたが、母にはパニック障害を理解してもらえず、こう言われた。

「あんた、それ怠け病やで」

 ある日、二村さんは1冊の本にたまたま目が留まる。

 一読して、号泣した。それは、口に筆をくわえて絵を描いている星野富弘さんの『愛、深き淵より。』だった。

「事故で頸髄を損傷し口しか動かない。自分で死ぬこともできない人が本当に絶望の淵から這い上がって、感動できる絵を描いてはる。

 その本を読んだときにね、ほんまに自分の甘えというか、私はこのままではあかんなって、気づかせてもらえたんですよね。偶然、神様が会わせてくれたとしか、考えられへんねんけど……」

 説明しながら、当時の気持ちが蘇ったのか、二村さんはこらえきれず、そっと涙を拭いた──。

 パニック障害の症状は発症から25年以上の長い年月をかけて少しずつよくなっていった。一度だけ精神科医に診てもらったが、薬にはできるだけ頼らず克服したという。

 真弓さんは母親がリラックスできる方法などを調べるうちに心理学に興味を持ち、臨床心理士になった。プロとして「母の心の再生プロセスには書店が必須だったのでは」と推測する。


「母の場合、ただ流行っているからではなく、自分の感性とか信念に基づいた本をすすめています。それを相手が受け取ってくれて、“すごくよかったよ”とフィードバックをもらえるということは、自分の存在を肯定されることにつながったのだと思います。祖父と祖母が築いた本屋というあの場所に、ずっと守られていたんだと思いますね」

町の小さな書店はなぜ潰れるのか


 書店の仕事にも慣れたころ、理不尽な制度に直面した。小学館から『人間まるわかりの動物占い』という本が'99年に刊行され、当時大ブームになった。「欲しい」という客が次々来店するが、注文を出してもほぼ入ってこない。大型書店には何十冊も平積みされているのに、おかしい。

 二村さんは納得がいかず、問屋である取次に電話をした。押し問答したあげく、冷たく告げられた。

「ランク配本だから無理です」

 取次では、大型書店から小さな書店まで月商でランク分けし、配本数を決めている。つまり、ランクが下の小さな書店には初めからほとんど入ってこない仕組みなのだ。

 電話を切って悔し涙を流していると、父に一喝された。

「なに泣いてんねん。闘わなあかんやろ!」

 二村さんは出版業界誌の編集長を呼んだ勉強会に参加し、懸命に窮状を訴えた。

 すると数日後、手紙が届く。差出人は編集長の知人で当時、小学館の雑誌販売部長だった黒木重昭さん(78)だ。隆祥館書店は小さいが販売実績のある書店だと判断した黒木さんは、指定配本という別ルートを使って本を届けたそうだ。

「二村さんのことはまったく知らなかったけど、業界内の事情は見当がつくから本当に特例で。二村さんはどこでも何でも扉を叩く人だったので(笑)、たまたま叩いたところに、僕のような人間がいたということです。欲しい本がある都度、同じようにほかの出版社の扉も叩き続けたけど、なかなか開いてくれないところもあったと思いますよ。ほとんどの小さな書店は、最初から諦めているんじゃないですか」

 実は黒木さんはそれ以前から、出版業界の未来を案じていた。「どこの書店が何をどれだけ売っているのか」データをとり、データに基づいて配本するように流通を改善しようと、ほかの出版社の仲間とも勉強会を重ねていた。

「ランク配本は取次の作業が楽になるだけで、弊害のほうが大きい。小さな書店はいくら努力しても報われないんです。こんな業界はもうダメだと思って子どもには書店を継がせないから、どんどん消えていく。特に地方では書店がある意味、町の文化的な広がりを担っている面があるので、悲しいですよ」

 実際に、'99年に約2万2300軒あった書店は、'20年には約1万1000軒にまで減少。インターネットの普及やアマゾンの台頭など原因はほかにもあるが、ランク配本のせいでやる気を失った書店はたくさんあるに違いない。

 IT化が進んでも、本の流通は驚くほど変わっていない。典型的な例を挙げよう。

 '15年に『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(北康利著)が出ると、二村さんは発売前から客にすすめまくった。店の顧客は6割が男性、しかも中小企業の経営者が多いため、サントリーを支えた2人の物語は共感を呼ぶのではないかと感じたのだ。

 発売から数日後、出版元の講談社の担当者から電話があった。

「二村さん、隆祥館書店が販売日本一ですよ!」

 たった13坪の書店が、千坪を超える数多の大型書店に勝ったのだ。その後も4週にわたって1位をキープし、計400冊を売った。

 それだけの実績を挙げたので、5年後に同作が文庫化されたときは何冊配本されるか楽しみにしていた。だが、結果は、まさかのゼロだった。

作家と読者をつなぐイベント


「この作家さんに会うて、直接話を聞いてみたいわ」

 あるとき、常連客から言われ、二村さんは「これだ!」とひらめいた。

 アマゾンが本の通販だけでなく、電子書籍端末「キンドル」の販売も開始。書店の経営は苦しくなる一方で、何か手を打たないといけないと悩んでいた。

「ただのサイン会とも違う、作家が書ききれなかった思いを読者が聞ける場をつくろう。それはリアルの本屋でないとできないことだと思ったんですよ」

 父とは意見がぶつかりケンカになることも多かったが、イベントをやることは賛成してくれた。'92年に書店が入る建物を9階建てに建て替えており、上階のワンフロアを会場に使うことにした。

 そうして'11年から始めたのが「作家と読者の集い」だ。この10年間で開催した数は280回に及ぶ。有名作家から無名の新人まで多くの人が来てくれたが、二村さんが忘れがたいのは第2回。藤岡陽子さんのイベントだという。

「藤岡さんはどんな仕事でも、縁の下で頑張っている人に光を当てたいという話をされて。会場にいてる人も、身を乗り出して聞いてましたね。

 イベントの手伝いに藤岡さんの本『トライアウト』の営業担当の方が東京から来てくれたんですが、会が終わった後、“実は会社を辞めようと思ってたけど、今日の話を聞いて、辞めるのをやめました”と言ってくださって。私も、ものすごい勇気をもらったんですよ」

 イベントにどんな作家を招くのか。二村さんが決める基準は明確だ。

「ものすごくいい本に出会ったときは、本当に身体の中からね、グワーッとマグマみたいに湧き起こってくるんですよ。これは伝えなあかんっていう気持ちが」

 例えば、在宅での終末医療の現場を長年にわたって取材した『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子著)。最後まで家族と過ごした末期がんの若い母親など何人もの看取りの様子が書かれており、二村さんは読みながら何度も号泣した。こういう最後なら、死にゆく人にも希望を与えられると感じ、すぐ佐々さんにイベントへの登壇をお願いした。

 もともと病院での死に疑問を持っていたことも、背景にはある。常連客で看護師の飯田公子さん(61)に「必要以上の点滴をせず、枯れるように亡くなるほうが本人もつらくない」と聞き、“死の迎え方”を考えることは誰にとっても大事だと思っていた。


 飯田さんは同書をはじめ、二村さんにすすめられた本はどれも感動的で、一気に読んだと話す。イベントにも何度か参加したが、母を介護中の飯田さんには、医師で作家の久坂部羊さんの話が興味深かったそうだ。

「『老乱』を読んで、認知症の人の気持ちが何でこんなに鮮明にわかるんだろうと思っていたんですが、患者さん本人が書いた日記を後から見せてもらったと聞いて、なるほどと。それから1週間もしないうちに、自分の母親に同じようなことが起きて、なんか小説の続きみたいだとびっくりしました」

父母の介護と書店存続の危機


 隆祥館書店が最大の危機に瀕したのは今から7年前、'15年のことだ。

 2月に父の善明さんが肺を患って逝去した。その前に母も脳梗塞で倒れており、父が亡くなる直前は、2人の介護に追われた。

「店の仕事もあるし、本も読まなあかん。でも、夜中は両親をトイレに連れていくでしょう。もう自分の身体が悲鳴を上げるような感じで、ドクドクドクと心臓の鼓動が速くなったりして。それが、父が亡くなって余計に余裕がなくなったんですよ。母に認知症の症状も出てきて、目を離せなくなって」

 介護に加え、二村さんを悩ませたのが書店の存続問題だ。建て替えたときの借金も残っており、心配した妹と弟に「ビルごと売ったらええやん」「1階だけコンビニにしたら」と口々に言われた。

「大型書店に比べたらすごく冷遇されているのに、何でこの本屋をやりたいんやろ」

 二村さんは眠れず、3日くらい考えた末に気づいた。

「自分はやっぱり、本を通じて、人とつながりたかったんや」

 2人にそう話すと、弟にはこんな条件を出された。

「3か月あげるわ。5月までに黒字にならへんかったら、続けるのはなしやで」

 それまで収支には波があり、父の亡くなった2月は赤字だった。

「結果を出さなあかん。イベントを増やすしかない」

 二村さんは毎週土曜日にイベントを開催した。夜を徹して本を読んで、作家に交渉して告知する。ろくに寝る間もない日々が続いた。

 そんな書店の状況を、歯科医の高山由希さん(58)は二村さんから聞いていた。あるとき高山さんが店に顔を出すと、二村さんの弟を見かけたので、こう話しかけたそうだ。

「ありがとうございます。私、近所に住んでいるんですけど、こういう本屋さんが1つあるかないかで全然違うので、すごく助かっています」


 高山さんは10年来の常連だ。生前の善明さんのこともよく覚えていると言う。

「お父さんは物静かなんですけど包容力があって、そこにいらっしゃるだけで癒される感じの方でした。娘さんはもっと積極的です(笑)。これ、すごく勉強になるからとすすめられて、社会派の本もずいぶん読みました。『軌道 福知山線脱線事故JR西日本を変えた闘い』(松本創著)は、めちゃくちゃ感動しましたね。イベントには遺族会代表の方も来てくれて。JR西日本の安全政策まで変えた素晴らしい方やなと思って、あの方と同じ部屋にいられたことが、光栄でした」

 努力のかいがあって年間の決算も黒字になり、危機を脱した二村さん。開催頻度こそ落としたものの、その後もイベントには力を入れている。

 妹が途中で母の介護を代わってくれ、'16年に母は亡くなった。身体は楽になったはずなのに、ひとりで書店と借金を背負う重圧もあるせいか、たびたび心臓がおかしくなった。頻脈になったり、貧血になったり。3年前に手術を受け、ようやく症状が治まった。

「本は毒にも薬にもなる」


 仕事と介護に追われ、睡眠不足でヘトヘトだったとき、二村さんを支えたのはシンクロだ。28歳のときにマスターズクラスのコーチを再開して以来、ずっと続けている。

「唇ヘルペスに2度もなって病院に行ったら、身体が悲鳴を上げてると言われました。でもね、そんな状態でもプールに向かうと元気になるんですよ。その時間だけは仕事のことも考えない。プールでは無になれるんです」


 窮地に立たされるたびに心を奮い立たせてくれたのも、恩師の「自分で限界を決めるな」というメッセージだった。

「欲しい本が入ってこないとか、アマゾンという黒船が来たとか、これでもかー、これでも本屋をやめへんかーって試練が続くでしょう。“あー、もうあかんかなー”と思ったときに、後ろから井村先生の言葉がドーンときて、そのたびに何とか乗り越えられた。ずっと、そんな感じでしたね」

 再び、闘わざるをえない事態に直面したのは、今から3年前だ。

 取次から、差別を扇動するいわゆるヘイト本が何冊も送られてきたのだ。見計らい配本といって、書店が注文していない本が見本として送られてきて、即入金を請求される。本は基本的に委託販売なので、返本すれば後日返金されるが、小さな書店にとっては負担が大きい。

「本は薬にも毒にもなる。この本が売れるからといって、人を差別する本は売ったらあかん。本を商業主義の餌食にしたらあかんで」

 父は常々そう口にし、差別を扇動する本は置かないことをポリシーにしていた。

 そんな父の教えを守ってきた二村さんは、思い切って声を上げることにした。自分のためだけではない。疑問を抱きつつも、棚に並べている書店は多いのではないか。このまま偏った思想の本が一方的に日本中にばらまかれたら、本の信頼が損なわれると心配したからだ。

「欲しい本はこないのに、注文していない本はくる」

 Facebookに詳細を投稿すると、週刊誌やウェブ媒体から原稿依頼がくるなど大きな反響があった。店に脅迫めいた電話がかかってきて「怖かった」と言うが、弁護士などが相談に乗ってくれた。

 作家を招いたイベントのほかにも、二村さんは新しいことにチャレンジしている。

 そのひとつが『1万円選書』だ。店に来ることができない遠方のお客の役にも立ちたいと昨年6月に始めた。事前にメールでお客にアンケート(カルテ)を送り、その回答に合わせて選書した1万円分の本を配送する。

「私という人間を信じて書いてくださった、お客様の状況や悩みを読むと、情景が浮かび胸にしみます。それぞれの悩みや葛藤に寄り添うため、おひとりの選書に何日もかかることがあります。それでも、配送後に“読んでよかった”というメールをいただくと、涙があふれるほど幸せな気持ちになりますね」

 申し込みが殺到したため、現在は抽選で続けている。

 7年前から、本を通して育児を応援するイベントも始めた。結婚して母になった娘の真弓さんと赤ちゃんを連れて外出するたび、子どもに冷たい社会だと実感。憤りを覚えたのがきっかけだ。

 毎月第3水曜日に行っている「ママと赤ちゃんのための集い場」を見せてもらった。この日集まったのは、生後3か月から2歳5か月までの子どもと母親の7組。光の降り注ぐ明るいフロアを、子どもたちが元気よく歩き回る。

 臨床心理士の真弓さんが中心になって、絵本の読み聞かせをしたり、歌を歌ったり。紙コップにドングリを入れて作った楽器で合奏もした。

 最後は「お悩みシェア」の時間。1人ずつ困っていることを話していく。

「イヤイヤがひどくて」

 1人の参加者がそう話すと、ほかのママたちから「うちもそうやった」と声が上がる。真弓さんはアドバイスをし、親向けに書かれた本『子どもの心の育てかた』(佐々木正美著)と『子どもの「いや」に困ったとき読む本』(大河原美以著)を紹介した。

 1歳7か月の息子と参加した母親(34)は、子どもと2人きりでずっと家にいるのがしんどくて、4か月のときから毎回通っているという。

「常にここで悩みを話させてもらっていて、スッキリして家に帰れるから、また頑張ろうと思えます。紹介してもらったイヤイヤ期の本は2冊とも読みましたよ。知識があるだけで、なんかうん、うんって、自分に言い聞かせられるから、本って、大事やなーと」


 書店には常連客だけでなく、新しいお客も次々やってくる。

「二村さんに、自分に合う本を教えてほしくて、愛知県から来ました」

 そう声をかけてきた男性客は、自分が過去に読んだ本をズラリと書いたリストを手にしていた。

 二村さんは現在61歳。70歳になるまで、あと10年は頑張ると公言している。

 自分を救ってくれた本と書店という場所を守るため、そして、ひとりでも多くの人にこれぞと思う本を届けるため、今日も笑顔で店に立つ。

(取材・文/萩原絹代)

はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90 年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95 年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。

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東京・大手町にある“平将門首塚”は最強のパワースポット

2022年1月29日 11:00 週刊女性PRIME

大手町にある平将門の首塚

 近代的なオフィスビルが立ち並ぶ日本経済の中心地に不自然に開けた空間がある。平将門の首を祀る『将門塚』だ。

将門公は古くから災いをもたらす存在とされ、人々は彼に畏怖の念を抱いてきました。強大な力をもっていた菅原道真、崇徳天皇と並んで『日本三大怨霊』と呼ばれています」(オカルトライター)

『日本三大怨霊』の首塚


 平将門は平安時代中期に活躍した武将。民衆からの人気があり、篤い信望を受けていたと伝えられている。数々の戦いに勝利し、「新皇」を自称。関東地方で新国家の独立を宣言した。当然、朝敵となり939年、藤原秀郷と平貞盛によって討伐された。

 その後、将門の首は京都に送られ、さらし首になった。「3日後。無念の死を遂げた将門の首は目を見開くと白い光を放ち、東の方角に飛び去り、現在の首塚がある付近に落ちた。すると辺りは夜のように真っ暗になり、大地は大きな音を立て揺れ動いたといわれています」(前出・オカルトライター)

 恐怖におののいた住民たちが、塚を築いて埋葬したことが『首塚』の由来となっている。その後も疫病や大地震など天変地異が起き、将門の怨霊の祟りだと恐れられた。

 大正、昭和になってからも首塚を取り壊そうとすると事故が相次ぎ、亡くなった人もいた。周囲の会社では首塚に背を向けた形で席を配置すると祟られるなど、将門の祟りは今も信じられている。

 一方で、その強大な力から「パワースポット」としても注目されており、戦で勝ち続けてきたことから『勝負ごとの神様』として御利益にあやかろうとする参拝客も多い。

 首塚を訪れる人は何を願っているのだろうか。

「不遇の人生を送ったけれど人々から愛されていた武将だと聞いています。そのパワーに私もあやかりたいと思って仕事の合間にたまに来ます。いつも仕事がうまくいくようにお祈りしています」(男性)

週1回は来ています。仕事でもっと飛躍したいと願っており、参拝しています。営業の仕事をしておりますがコロナの関係でリモートが続きうまくいっていません。早く収束して仕事も元に戻るよう、と今日は祈願してきました」(52歳・男性)

「近くにオフィスがあるので通りかかったときにはできるだけお参りしています。祈願していることがあるので成就するように祈っています」(57歳・男性)

「お参りすると気持ちが引き締まります。今日は午前中の会議がうまくいったお礼と、これから引っ越し先の内見に行くのでうまくいくよう見守ってください、とお祈りしてきました」(26歳・男性)

 土地柄なのか、近くで働いている男性会社員の姿が多く、日ごろから参拝に訪れている人たちも多かった。

 出張や旅行で東京に来た際に訪ねる人たちの姿もあった。

「将門公にゆかりのある筑波から出張で来ました。早くコロナが落ち着きますように、とお願いをしてきました」(40代・男性)

 新しい出発に向けて背中を押してもらうために訪れる人もいた。

実は最近、仕事を辞めました。再就職に向けて元気をもらえるようにお願いをしてきました」(49歳・女性)

 暗くなってからも参拝者が途切れることはなかった。不思議な噂がある場所、怖くはないのだろうか。

「工事中に事故が起きたとか祟りとか怖いイメージを持っていました。でも来てみたら全然そんなことなくて。今日は自分の幸せと健康を祈ってきました」(25歳・女性)


同時に5つ願う女性


 パワースポットとしてもその力を実感していると明かす人も多く、そのうちの1人の女性に話を聞いた。

「同時に5つくらいお願いをしています。1つ叶ったらそのお礼を伝え、また1つお願い事をお伝えしています。

 ここはほかのパワースポットとは違います。縁結び、縁切り、絶対にダメだと思っていた仕事がうまくいったり、人脈が欲しいと願ったら叶ったり、不可能だと思っていたことが実現しました。

 例えば縁結び。知り合いの女性が恋愛で悩んでおり、相手の男性がこの人でいいか、大丈夫なら1週間で返事をください、とお祈りしました。すると1週間後、連絡がきて、交際することになったのです。

 また、夫の不倫で悩んでいた女性が、夫と愛人との縁が切れるように祈ったらその関係は切れたそうです。仕事で迷っているときはよいほうに導いてくれるんです」

 1回のお願いより、複数回来たほうがいいと言う。

最初は3か月間、毎日通いました。今は無理のない範囲で来ることを伝え、通っています。お願い事は具体的に伝えるといいですよ」(同・女性)

 近くの会社に勤め、日常的に参拝している人も多かった。願い事をするだけではなく、暮らしのなかに首塚が息づいているのだ。

心のよりどころ、ですかね。ここに来ると仕事がうまくいくような気がしているんです。業務でマネジメントをしておりますが、自分のことだけではなくチームのメンバーの仕事もうまくいくようにお祈りしています。

 それに困っていることがあったら支えてくれているような気がしているんです。お参りするようになって気持ちが変わりました。

 祖父や父からも土地の神様は大事にしてお参りしなさいと言われて育ちました。ここも大切にしていきたいです」(40歳・男性)

怨霊だけど、最強の味方


 いざ訪ねてみようと思ったときに気になるのは参拝の仕方。祈祷師のじぇいじぇいさんに聞いてみると──。

「僧侶の方による碑ではありますがお墓とも、お寺とも神社ともまた違う場所。明確には作法は決まっていません。まずは礼をし、その後で手を合わせ、将門公に思いを馳せ、心の中で語りかけたり、お願い事をするといいでしょう」

 心霊スポットや怖い場所、と言う人もいるが……。

将門公に限らず、失礼なことをすれば怒られるのは当然のことです。心霊スポットなどと言われているようですが、逆に最強の怨霊よりも強い悪霊がここにいられますか? 怨霊と言われているからそうイメージ付けされていますがもともとは義侠心にあふれ情け深いところもある御方のようですよ」(じぇいじぇいさん、以下同)

 実は最強の味方にもなってくれる心強い存在なのだ。

「神様は人々が信仰することでより力をつけていきます。首塚がすごい力を持っているということはそれだけ多くの人々の思いが首塚に集まっているということなのです」

 生前、将門はどんな日本を夢見ていたのだろうか──。

 未来を創る私たちにその思いを託しているからこそ、祈る願いに耳を傾けてくれるのかもしれない。

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【実録・怖い女】不倫相手の子どもを「生んでは殺した」鬼母

2022年1月29日 09:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 大きな事件から、あまり知られていない小さな事件まで。昭和から平成にかけておきた事件を“備忘録”として独自に取材をする『事件備忘録@中の人』による「怖い女」シリーズ、第3弾。今回は不倫相手との間にできた子どもを、生んでは次々と“捨てた”母親の話。あまりにも残忍な行為に、言葉を失う。


◆   ◆   ◆


 嬰児(えいじ)とは生まれて間もない赤ちゃんのことを言う。かつては貧しい寒村などで食い扶持(ぶち)を減らす「間引き」として行われることもあった、嬰児殺し。それは、生後間もなければ間もないほど、その罪の意識は軽かったという。

 時代は変わり、飢えや貧しさからの嬰児殺しは減ったとはいえ、平成・令和となってもその理由は別にして後を絶たない。

 望まぬ妊娠を誰にも言えず出産してしまった若い未婚女性のみならず、すでに子を持つ母がそれを繰り返す……。

「押入れの秘密」


 平成17年12月、和歌山のマンションの一室から、ビニールにくるまれた遺体のようなものが発見された。警察で調べたところ、ビニールの中身は嬰児とみられる遺体。さらに、室内を捜索すると押し入れの中の衣装ケースから2体の遺体が出たのだ。

 見つかった嬰児の遺体は全部で3体。いずれも腐敗、白骨化しており、その大きさから乳児とみられた。そしてそれらの遺体はそれぞれ死亡時期が異なっていた。

 警察がこの部屋の住人の行方を捜したところ、この部屋は3年前から子持ちの夫婦が契約していることが分かったが、夫は先月交通事故で死亡、妻と幼い子どもはその半年以上前から行方不明だと判明。

 死体遺棄事件として捜査が始まり、3日後、大阪府内にいた妻の身柄を確保し事情聴取したところ、押し入れの遺体はすべてこの女が生んだ子であると認めた。そして女は、「ほかにも遺体がある」と告白した。

 女の名は、真梨子(仮名/当時49歳)。逮捕時、8歳になる息子と一緒だった。

 真梨子は捜査員に対し、過去に暮らしていた大阪府内の民家で、出産間もない嬰児を殺して隠したと話していた。捜索の結果、供述通どおりの家から衣装ケースに入れられた嬰児の白骨化した遺体が発見される。

 ところが話は終わらなかった。真梨子は、発見された4人以外に、もうあと2人、捨てたと話していたのだ。真梨子はどのような人生を送っていたのか……。

不倫相手の子を「生んでは殺す」


 昭和32年に和歌山県で生まれた真梨子は、非常につらい幼少期を送っていた。「置屋(※)」で働く母親のもとで育ったが、家にはしょっちゅう、複数の男性が出入りしていた。小学生のときにその男のうちの一人にレイプされ、以降も性的虐待は続いたという。真梨子は自殺未遂も起こしていた。

 中学3年で妊娠。このときは中絶したものの、卒業と同時にその時の交際相手の男性宅で同棲をはじめ、16歳を過ぎて結婚した。

 10年間で子どもは4人生まれた。夫の家族は厳しく、日々、真梨子は主婦として、母親としてだけの日々を送っていたが、親切にしてくれた男性と不倫関係に陥ってしまう。

 そして、真梨子はその不倫相手の子を身ごもってしまった。

 大阪の自宅で出産したが、この子は殺そう、そう決めていた。遺体を衣装ケースに隠すと、真梨子は何事もなかったかのように日常に戻っていく。

 こんなことがあったにもかかわらず不倫はやめられず、結果、「妊娠すれば生んで殺して隠す」を、この家で暮らした18年間で3度繰り返した(のちに真梨子はそう自供したが、平成17年の発見時には、大阪の自宅からは3体あるはずの遺体のうち、1体の遺体しか見つかっていない)。

 平成2年、離婚が決まった真梨子は部屋に遺体を隠したまま、子どもたちを置いてその家を出た。

 ときは流れて平成8年、和歌山市内でホステスをしていた真梨子は、内縁関係を経て9歳年下の男性と再婚する。2人の間には男児も生まれていた。

 子煩悩で明るく、仲のいい夫婦と周囲には見えていたというが、真梨子はまたしても夫以外の男性と関係を持つ。そして、不倫相手の子を妊娠してしまった。ひとり自宅で出産した真梨子は、これまでと同じように遺体を家の中に隠し、夫との生活を続けたという。

 しかし平成17年、真梨子は息子を連れ、突如夫と暮らすマンションから姿を消す。押し入れの秘密はそのままにして。その後、夫が事故死したことで関係者が自宅の整理に訪れ、遺体が発見されたのだった。

家族は気づかなかったのか


 昭和48年以降、12人を出産し5人を殺害(真梨子の供述によれば6人殺害遺棄であるが冒頭陳述で検察は5人殺害とし、さらに時効成立により実際に罪に問われたのは和歌山で発見された3人の殺害死体遺棄)し遺棄したという恐るべき母親に対し、平成19年4月25日、和歌山地裁は「動機は短絡的で人の親としてあるまじき非道な行為」として懲役8年(求刑懲役9年)の判決を言い渡した。

 この事件は、未婚の女性が処置に困って、と言ったものではなく、すでに子どもがいる母親によって繰り返された嬰児連続殺人という点、家族らと暮らす家に遺体を隠すなど、さまざまな点で異様な経過をたどった。

 不可解な点もあった。それぞれの時期、夫をはじめ、家族らは何度も妊娠出産を繰り返す真梨子の異変に気付かなかったのかということである。

 真梨子はもともと、ふくよかな体型だったというが、それにしても夫も気づかないということなどあり得るのだろうか。

 真梨子が大阪の家を出たあと、何年にもわたって自宅に隠されていた遺体の存在をまったく知らなかったというのも気にかかる。

 大阪の元夫と義母は、真梨子が逮捕され遺体が発見される日までその家で暮らしており、これについて、警察ジャーナリストとして知られる故・黒木昭雄氏はルポの中で「最初の結婚が破綻したのは、夫が嬰児殺しに気づいたからではないのか」という指摘をしている。物置の遺体に気づかなかったのではなく、見て見ぬふりだった可能性はなかったのだろうか。

 それは、事故死した2人目の夫にも言える。マンションという広くない空間の中で、夫は押し入れの秘密を知らなかったのだろうか。

 前出の黒木氏の取材によれば、夫は真梨子らが失踪したあと、あきらかに様子がおかしくなっていたという。

 会社ではミスを連発、円形脱毛症にもなり同僚らの手助けやアドバイスを拒むだけでなく、自宅マンションに帰りたくない、と漏らしていた。

 夫は真梨子の失踪後、一緒に暮らしていたマンションをそのままにして別のマンションへと引っ越している。遺体は一緒に暮らしていたマンションから発見されているため、遺体の存在に気づいていた可能性もある。

 彼が亡くなったという事故の状況も不自然だった。彼は車を運転中、走行中のトレーラーに、後方からノンブレーキで突っ込んでいたのだ。

 そこで黒木氏は、夫はもしかすると真梨子が家を出たあとに「押入れの秘密」に気づいてしまい、もうその部屋で暮らし続けることができないと悩んでいたのではないか。マンションの契約を続けながら別のマンションに引っ越すわけだが、そのことに悩んだ挙句の自殺だったのでは、と考察している。

 夫が事故死したあと、夫が暮らしていたマンションに現れた真梨子。その部屋で何かを探し始めたが、目当てのものが見つからなかったのか、何も持たずに部屋を出たという。

 これまでの生活でも、真梨子はふらりと家を出ては戻ることがあったという。しかし、このときの家出中の夫の引っ越しと事故死は誤算だったと思われる。

 裁判では真梨子の精神鑑定を行った医師が、真梨子は自身が体験した虐待的養育を、自身の子どもに対して殺害・遺棄という形で“再演”した、と証言した。加えて、9歳のころから中学まで続いた性的虐待が人格形成に深刻な影響を与えたと裁判所も認めた。

 子どもを産み、殺し、隠し続けた真梨子。一方で子ども思いの面も垣間見れ、離婚当初は残してきた子どもらに服を届けることもあったという。

 しかし、裁判で真梨子ははっきりと証言した。

「子どもをかわいいと思ったことなど、一度もない」

事件備忘録@中の人

 昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。

サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/

ツイッター:@jikencase1112

【参考文献】

読売新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、平成19年1月25日大阪朝刊

毎日新聞 平成17年12月15日大阪朝刊、12月17日大阪夕刊、平成18年3月2日大阪朝刊、平成19年4月25日大阪夕刊

産経新聞 平成17年12月20日大阪朝刊、平成18年1月7日大阪朝刊

『和歌山嬰児5人殺害事件 あまりに悲しい女被告の半生』(週刊朝日 2006.2.3 p.30~35

、2006.5.5・12 p.34~35)

『11人産んで6人を死なせた容疑者の女と不可解な警察発表-追跡 和歌山・嬰児殺害遺棄事件』黒木 昭雄 著

※「置屋」とは、芸者や遊女を抱えている家のこと

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女優・鈴木砂羽の温活サウナ術

2022年1月29日 07:00 週刊女性PRIME

鈴木砂羽さん

 手足などの冷えがつらい季節。暖房を強くしたり厚着をしたりしても冷えがとれない、夜眠れない……。

 そんなときは身体をじっくり温める「温活」を試してみてはいかがでしょうか。

 今回は、熱〜いサウナに入ってガンガン汗をかく温活で、冷え知らずの身体づくりをしている、女優の鈴木砂羽さん(49)にお話を伺いました。

レジャー感覚で温活を


 自他ともに認める大のサウナ好きの鈴木さんが言うには、「サウナにハマって通ううち、代謝が上がって肌がきれいになっていく実感があった」そう。

 温活によって代謝がよくなった身体は、冷え解消だけでなく、美容にも効果があるのだ。

「免疫力も上がったんじゃないかなと思います。サウナに通うようになってから、風邪をひきづらくなった気がしますから」

 ちょっと前までは、疲れたおじさんたちの憩いの場というイメージがあったサウナ。しかし最近では、温活を目的に通う女性客や女性専用のサウナも増えている。

 さらにサウナ愛好家のことを「サウナー」と称したり、サウナ後の心地のいい状態を「整う」と表現する独特の用語が生まれたりといった現象も……。

 いまは空前のサウナブームなのだ。中にはリラクゼーションを重視した施設もあれば、アトラクション要素が強めな施設もあり、サウナはレジャー感覚でできる温活として人気を集めている。

 サウナの主な健康効果は、温と冷(水風呂・外気浴)の状態を交互に繰り返すことで、血管の収縮と拡張をうながし、血流をよくすること。そのため、冷えの改善が期待できる。

ちょっぴりハード? 鈴木流サウナ術


 サウナ歴約15年、筋金入りのサウナー・鈴木さんは、一体どのようにサウナを楽しんでいるのだろうか?

「私の場合は、ちょっとストイックで。まずお風呂で身体を温めたあと、サウナ10分、水風呂3分。これを4〜5回繰り返します。

 人がいないときには、サウナの中で腕立て伏せをしたり、腹筋、スクワットなどをすることも。

 とにかくたくさん汗をかいて新陳代謝をよくしたいので、つい身体を動かしちゃいますね」(鈴木さん、以下同)

 温活には効きそうだが、まねをするには、ややハードすぎるメニューだ。

「サウナ初心者の方だったら、サウナに入るのは3〜5分、そのあとの水風呂はつかれるだけ。サウナの外で少し涼むくらいでもいいかもしれません。回数も無理のないペースで」

コロナ禍は自宅で半身浴!



 ちなみに、温かいサウナのあとの冷たい水風呂という極端な温度変化は、血圧を上昇させて心筋梗塞や脳梗塞につながるヒートショック状態を起こすこともあるため、無理は絶対に禁物だ。

「まずは自分が気持ちよく感じる入り方を試してみてほしいですね。例えば、女性って、カフェで過ごすのが好きな人が多いですけど、そんな感覚で、サウナに行ってみてほしいです。

 ……私、いつか“最高の女性専用サウナ”を作るのが夢なんです。山か海が見えるところで、五感を解放できるゆったりしたところがいいですね。

 一緒にやってくれるサウナ好きの方がいたらぜひ!(笑)」

 サウナ愛を語りだすと止まらない鈴木さんだが、コロナ禍で、サウナ施設の営業が制限されていた時期にはどうしていたのだろうか?

「ひたすら自宅の風呂で半身浴をしてました(笑)。肩が冷えないようにビニールのケープを羽織って、1時間くらいじっくりつかります。入浴剤も、発汗効果があるものを入れて、とにかくたくさん汗をかく!」

 サウナ以外で気をつけていることはあるだろうか。

「冷え対策ということでいうと、適度な筋トレは効きますね。特に下半身のトレーニングは、足腰の冷えに効果があると感じているので。軽いスクワットなんかでも身体が温まるのでおすすめです」

鈴木砂羽さんのおすすめサウナ


●サウナしきじ

静岡県静岡市駿河区敷地2-25-1


 年中無休・24時間営業の全国的に人気のサウナ。天然の湧水を使った天然水風呂、美容先進国・韓国式の漢方薬を使用した薬草サウナが人気。

●THERMAL SPA S.WAVE
神奈川県中郡大磯町国府本郷546


 あの「大磯ロングビーチ」を擁する大磯プリンスホテルに併設されたスパ施設。大人セレブな雰囲気で、温度帯の異なる4つのサウナが楽しめる。

●SPA&HOTEL 舞浜ユーラシア
千葉県浦安市千鳥13-20


 日本4大希少泉質の天然温泉スパ。本格的なサウナ3種のほか、露天風呂、岩盤浴、寝湯、洞窟温泉など、さまざまな温浴設備が整っている。

PROFILE●鈴木砂羽(すずき・さわ)●1972年静岡県生まれ。女優として、映画、ドラマ、舞台などで活躍。さばさばしたキャラクターでバラエティー番組でも人気を博している。

(取材・文/八坂佳子)

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久慈暁子がフリーに、腰かけ女子アナの早期退社に拍車

2022年1月28日 21:00 週刊女性PRIME

久慈暁子アナ、田中みな実

「フリー転身といえば、NHKのアナウンサーが民放に降りて帯番組のキャスターを務めるように、かつてはスキルを高めた30代、40代が満を辞して、というのが主流だったように思います。先日、日本テレビ退社を発表した桝太一アナも40歳ですからね。

 それだけに、27歳にしてフリーになる決断を下した彼女には余程のことが起きたのでは、と勘ぐってしまいますよ」(スポーツ紙芸能デスク)

 1月23日、自身のインスタグラムにて《今春でフジテレビを退社することになりました》と報告した久慈暁子アナ。フジの看板アナの1人に数えられた彼女は、入社から5年、27歳と若くして同局を去り、今後はフリーアナとしてタレント活動にも力を入れていくようだ。

 2017年4月の入社から3か月後には、同局の歴代“エースアナ”の代名詞になっている“○○パン”を戴冠した久慈アナ。7月に『クジパン』がスタートすると、10月には『めざましテレビ』に抜擢されるスピード出世。新人にして将来が確約されたと言ってもいいほどのエリートコースを歩む逸材だった。それもそのはずーー、

「青山学院時代にスカウトされて芸能界入りした彼女は、ファッション誌の専属モデルなどのタレント活動を経験した元芸能人。20歳の頃には、同じ奥州市出身で同学年の大谷翔平選手との対談が組まれるなど、そのタレント性は折り紙付きでした。

 “大型ルーキー”として迎えられたわけですが、それでも研修から間もない新人アナが抜擢されるのは異例のこと。フジはアナウンス力というよりは、彼女のルックスと知名度、人気にも期待したのは確か」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

 期待に応えるように『めざまし』の他にも『めざましどようび』メインキャスターを務め、一方でバラエティー番組でも存在感を放っては着実にステップアップを重ねた久慈アナ。ところが、順風満帆にきていた彼女に“スキャンダル”が降りかかる。

ステマ疑惑と後輩アナの台頭


 昨年4月に『週刊文春』が、久慈アナを含む同局アナ7人がとある美容室と、その系列店から無料サービスを受ける代わりにSNSで“広告塔”の役割を担っていたという“ステマ(ステルスマーケティング)疑惑を報じた。これを受けて、彼女もインスタで騒動を謝罪して《気を引き締めていきたい》と前向きな姿勢を見せていたのだが、

上層部から厳重注意を受けたという彼女ですが、どうやら納得がいかなかったみたいですね。というのも、数十回も投稿を繰り返していた同僚もいたのに対して、久慈さんは1、2回ほど載せただけ。おそらくは頼まれて紹介しただけで、本人はステマの意識がなかったのかもしれません」(テレビ局編成スタッフ)

 そして“ライバル”アナの存在も退社を決断した理由になり得たとも。

同じくステマ騒動を謝罪した井上清華です。昨年3月に『めざましテレビ』のメインキャスターに就任した井上アナは、同じ青学出身のタレント出身アナ。そんな後輩に先を越されたとあっては、久慈さんのプライドに傷がついたとしても無理はない。アナに限らす、出世争いに敗れて転職する局員は多いですよ」(同・編成スタッフ)

 数千人、数万人とも言われるアナウンサー志望者から選ばれた、しかも“エース”候補として迎え入れられた久慈アナ。そんな彼女が5年で退社とあっては余程の理由だったのだろうが、この決断は「若手アナのトレンドになるかも」とは大手広告代理店営業スタッフ。

元TBSの田中みな実さんの成功例があってのこそだと思います。2009年に同局に入社した田中さんも、人気アナとして活躍していた5年目の27歳でフリーに転身した身。しかも久慈アナと同じ青学出身で、学生時代からモデル経験ある“タレントアナ”でした。彼女たちには常日頃、芸能事務所からお誘いがかかりますから」

 同様にエース候補としてTBSに入社し、“あざといキャラ”を確立すると同局のバラエティー番組に欠かせない存在となった田中。ところが2014年9月に自身のブログで突然の退社を発表。当時は理由を《広い視野で、環境で、挑戦していきたい》としていたのだが、昨年5月の『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)で真相を語っていた。

余力があるうちに外に出た方がいい


 在籍時には常々「帯番組をやりたい」と上司に掛け合っていたという田中だが、待てども番組改編時のキャスティングに一切名前が挙がらなかったとして、

《私は“このままずっと今の感じでぶりっ子を30歳までやって、需要がなくなってしまったらどうしよう”と思って。だったら、まだ余力があるうちに外に出て、もしかしたら外の方が帯番組をやれるチャンスがあるかもしれない》

 30歳を迎える前に、若いうちにフリーになる方がメリットがあると判断。「女子アナにはかねてより、“30歳定年”なる業界の都市伝説のようなものがありました」とは芸能ジャーナリストの佐々木博之氏。

「毎年入社してくる若手アナや、人気フリーアナに押し出されるように、30歳を過ぎるとナレーションや番組合間のニュースなどの“裏側”に回されて、画面から消えていくというものです。それを機にフリーに活路を見出すことは少なくはありません。

 ただ、引く手数多の売れっ子アナならいざ知らず、ベテランになったフリーアナに開かれた道は狭いもの。ですから30歳になる前に、できるだけ若いうちにフリーになった方が、アナウンサー以外にも活動の選択肢が多いのだと思います」

 確かに、27歳にしてフリーに転身した田中の活躍ぶりはご存知の通り。念願の帯番組のメインキャスターを任される一方で、アナウンサー業の他にも大胆なショットを収めた写真集は60万部を突破。努力する姿を隠さずに見せることで、女性からの支持を集める“美のカリスマ”として君臨。

 さらに勢いは止まらず、女優業にも進出。ドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系・2020年)での怪演が話題になると、昨年には映画『ずっと独身でいるつもり?』で主演を務めるなど、局アナ時代よりも充実した芸能生活を送っているように見える。

女子アナは通過点に過ぎない


 そんな先輩に続けとばかりに、入社から5年経った2019年3月に同じくTBSを退社した宇垣美里。以後はタレント活動をメインにコスプレ姿を披露したり、CMやドラマにも多数出演。さらにフォトエッセイやコスメ本などを出版するなど、活躍の場を多岐に広げている。

「特に宇垣さんはそれが明確に見えましたが、もとより“アナウンサーとしてずっとやっていきたい”のではなく、入社時より腰かけと言いますか、“とりあえずアナウンサーになって知名度を上げてからタレントになりたい、女優になりたい”という目的の女子アナも少なくはないと思います」(佐々木氏)

 では、彼女たちに共通する、テレビ局を退社してフリーになる決断をする「5年」の期間にはどんな意味があるのだろうか。

「一般企業においても“3年”は、これはまだ早い気がします。個人差はあれどもテレビに5年間出ていれば世間からの認知度があり、知識や経験も重ねて人脈も広げていると思います。そもそもがアナウンサーになれる優秀な人材ですからね。それでいて27歳、28歳と若さもありますから、彼女たちが転職をする一番いい時期なのでしょう。

 才色兼備のイメージが強くブランド力が高い“女性アナ”ですが、今の若い女性にとっては“なりたい職業”ではなく、“なりたい自分になるための職業”に変化しているのかもしれません。テレビ局にとっては、優秀な“人材流出”はたまったものではありませんが(苦笑)」(佐々木氏)

 テレビを見ないという世代だけに、若手アナの意識もまた変化しているのかも。

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高杉真宙、「芸名使用NG」危機を乗り越えた“愛され力”

2022年1月28日 20:30 週刊女性PRIME

高杉真宙

 バラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「グルメチキンレース ゴチになります! パート23」に、今年からレギュラー出演することとなった俳優・高杉真宙

 1月20日放送回で女優・池田エライザとともに新メンバーとして“お披露目”され、同27日放送回からは本格的に「ゴチ」企画に参加する様子がオンエアされたが、ネット上の反応は賛否両論といったところ。

過去にあった「朝ドラ辞退」報道


「今年の『ゴチ』は『ナインティナイン』の岡村隆史と矢部浩之、『千鳥』のノブ、『NEWS』の増田貴久というメンバーに、新しく高杉&池田が加入。一方、新メンバー2人のポジションには昨年、俳優の松下洸平と女優の中条あやみが出演していました。

 最近の『ゴチ』は俳優や女優のレギュラー起用が続いていて、松下や中条以前には田中圭や本田翼、土屋太鳳、橋本環奈などが出演。そのため、ネット上では“これまでの顔ぶれと比べたら、高杉と池田は地味”という声もあがっています」(スポーツ紙記者)

 さらに、昨年は松下と増田の“松増コンビ”が一部ネットユーザーの間で人気を集めていただけに、「まっすーの隣が松下くんから真宙くんに変わっちゃって寂しい」「真宙くんは嫌いじゃないけど、やっぱり松下くんが良かった」という声も。

 とはいえ、こうした意見はメンバーが入れ替わるたびに出ているものであり、時間が解決してくれるだろう。

 一方で高杉といえば、昨年4月に芸能事務所『スウィートパワー』を退所している。その約5か月前、2020年11月16日にスウィートパワーから独立の発表があり、話題となったことがある。

 ただ、この発表翌日に発売された『女性自身』では、高杉が事務所に対して「アイドル的な役者と僕は違います」と訴え、オファーを受け入れていたはずのNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』も自ら辞退した……などと報じられたのである。

「芸名問題」に苦慮


この報道が出たことにより、“高杉はスウィートパワーと揉めた”というイメージが広まってしまいました。ネット上のファンは“独立したら干されるんじゃないか”と心配していましたが、“決まっていた仕事を蹴ったのは無責任”という声もあり、実際、そんな態度では独立してもうまくいかないのではないかと思われました」(前出・スポーツ紙記者)

 しかし、スウィートパワーを退所して個人事務所『POSTERS』での活動を開始した高杉は、昨年7月クール放送の連続ドラマ『ホメられたい僕の妄想ごはん』(BSテレ東)で主演を務めた。

 さらに、同年10月クールの『婚姻届に判を捺しただけですが』(TBS系)と今年1月クールで放送されている吉田鋼太郎の主演で話題の『おいハンサム!!』(フジテレビ系)にもレギュラー出演中。そして今年は『ぐるナイ』の「ゴチ」メンバーに選ばれるなど、順調に活動の幅を広げている。


「高杉クン自身、独立前は不安もあったようです。というのも、『高杉真宙』という名前はスウィートパワーにつけてもらった芸名なんです。“独立にあたって使用できなくなるのでは……”と、周囲の関係者に相談していたといいます。

 しかし、結果的に独立後も同じ芸名で変わらず活動ができています。つまり、『高杉真宙』から“改名しなければならないほどの大きな確執はなかったから”同じ芸名で活動できていることを意味しています。これは業界的にかなり珍しいケースです。

 テレビ関係者たちはスウィートパワーにある程度気を遣いながら、それでも高杉クンを“起用したい”と思わせる実力と人望が彼にはあるのでしょう。基本的にスタッフへの気遣いも細かいので評判もいい。いわゆる“愛され力”が備わっている印象です。かつての『おかえりモネ』辞退の背景にも、何か複雑な事情があったのではないかと思いますよ」(芸能プロ関係者)

 今年は「ゴチ」で幅広い層に「高杉真宙」の名前と顔を売り、さらなる飛躍を狙えるのだろうか。

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稲垣吾郎の恋愛作法「お友達みたいになってからシュッと」

2022年1月28日 20:00 週刊女性PRIME

稲垣吾郎 撮影/廣瀬靖士、ヘアメイク/金田順子(June)、スタイリスト/細見佳代(ZENcreative)、衣装協力/ボス

「今回の作品はまさに王道の大人のラブコメディ。僕の大好きなウディ・アレンのニューヨークを舞台にした恋愛シリーズみたいに、古きよきコメディ映画を思い出すようなテイストもあったりして、すごく楽しいんです。



 演じる役は当て書きしていただいているんですが、僕が本当に思っているようなことがセリフに書かれていたりして、しゃべるのがちょっと恥ずかしくて(笑)。そこも楽しみにしていただければと思います」

 1930年代後半のアメリカを舞台にしたミュージカル・コメディ『恋のすべて』が2月11日から上演。稲垣は“一晩で娘を恋に落としてくれ”と依頼される探偵のニック・テイラーを演じる。恋愛ものの舞台は『君の輝く夜に』以来、約2年半ぶりとなる彼に、“恋のすべて”を語ってもらった。

恋も仕事もあまり躊躇しない


恋愛は慎重派というより、意外と積極的な感じかな。僕は女性に落とされた数よりも落としたほうが多いので(笑)。恋愛に限らず自分に興味があることに関しては深掘りするというか、探求していくほうなんです。そういった意味では、恋も仕事もあまり躊躇しないでいくタイプです」


 ちなみに、稲垣流の女性の口説き方を聞いてみた。

「どうだろう……やっぱり、いっぱいお話をするかな。寡黙でクールで、いざというときに口説き文句を言うような、ニヒルな男に憧れはあるんですよ。でも、僕はお話をたくさんして、お友達みたいになってからシュッと落とすみたいな。ある意味、いちばん悪い男のパターンかもしれないです(笑)」

 そんな恋を探求した先には結婚の2文字があるが……。

「探求したらそこにつながらないとダメだよね(笑)。でも、この前の『不可避研究中』で結婚がテーマだったときも繰り返し話したけど、ある程度の独り身の自由というのかな。いま自分の中では幸福感を十分に味わってはいるんですよ。だから、無理に結婚しないのではなく、いつかそういう方向に心が動いたらって感じですね」

 そう語る一方で、こんな心境の変化も。

「願望ってほどではないんですけど、散歩しているときに子どもと手をつないでいるお父さんを見ていると、家族っていいなって思ったりします。昔はそんなこと思い浮かばなかったんですよ。みなさん子どもができると、“何で今までほしいとすら思わなかったんだ”って言うじゃないですか。

 いまはひとりだけど、誰かのために生きるという未知の経験もしてみたい。そういう意味では、家族のために生きるという時間があってもいいのかなと、最近ふと思ったりするときもあります」

【コラム】
舞台はアメリカ!




「僕の初めてのアメリカはニューヨークで二十歳くらいのとき。それこそ森(且行)くんもいたし、『がんばりましょう』とか出したころだったと思うんです。そのときプロモーションビデオを撮ったり、レコーディングもちょっとしたのかな。あとブロードウェイも見たりもして、本当に強い刺激を受けたのがいまでも心に大きく残っていて。東京も大きな街ですが、スケールの大きさをすごく感じたのが初めてのアメリカの思い出です」


ミュージカル・コメディ『恋のすべて』
2月11日(金)〜2月27日(日)
東京建物 Brillia HALLにて公演


出演:稲垣吾郎 花乃まりあ 石田ニコル 松田凌 北村岳子 羽場裕一

作・演出:鈴木聡

公式HP https://koinosubete.com/

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前澤友作の新恋人・梅村妃奈子が「月へ行くのにふさわしい」理由

2022年1月28日 18:30 週刊女性PRIME

剛力彩芽と梅村妃名子(右は梅村のインスタグラムより)

 約100億円かけた宇宙旅行から帰ってきたZOZO創業者の前澤友作氏。次は2023年に月の周回旅行に行くと表明している。そんな帰国後まもない彼に熱愛発覚! お相手はガールズバンド「SIRENT SIREN」の元リーダー兼ドラム・ひなんちゅこと、梅村妃奈子だ。

 報道によれば昨年の夏ごろから交際をスタート、直後の9月に梅村は突如バンドを脱退。それに伴い「Silent Siren」も同年12月に活動休止となった。今年1月に前澤氏との交際がスクープされた今、「これが本当の脱退理由だったか……」とうなだれるファンの書き込みが多々みられる。


“前澤氏の恋人”と聞いてまず思い出されるのは、剛力彩芽であろう。

 ふたりは昨年はじめに破局したというが、そのきっかけは“月に行くかどうか”でモメたことだと各所で報じられている。どうしても恋人と月に行きたい前澤氏と、訓練で長期間、女優業に穴をあけることを嫌がった剛力とのすれ違い──。「月にいけない」そんな彼女のセリフが別れの引き金となったという。これが近未来のゴシップでなく、2021年の話だというから驚くばかりだが、一方でそれは梅村が「月にいけます」な女性であることを意味する。

“月に行く覚悟のある”女性とは


『文春オンライン』は「月でプロポーズしたという伝説を残したい」との野望を持つ前澤氏が、剛力と破局してすぐに、“宇宙への伴侶を探す”合コンを連日連夜開いていたと報じている。彼女候補に求めていた条件を引用すると、

1. 月に行けること

2. 英語が話せて持病がない

3. 4カ月以上の訓練をこなせる体力やスケジュールに余裕がある

4. 体重60キロ以上、身長は170センチくらい欲しい

 梅村は身長が164センチ、インドネシア語と英語を話すトリリンガルで中央大学卒の才女なのだという。申し分ない。

 世間一般的に「君に月旅行をプレゼントするよ」と言われて、ビビらない女性はいない。民間初の月旅行ともなれば、世界中の注目を浴びるだろう。“月に行く覚悟がある”梅村とは一体どんな女性なのか。とても気になる。

「きょうは宇宙元旦」


 報道によれば、梅村が前澤氏と出会ったのが昨年の春ごろとあるが、当時からすでに“宇宙への興味”に満ち溢れていたことがわかる。以下は彼女のインスタの投稿。

《きょうは宇宙元旦だって》(3月20日)

《「宇宙人はいるか?いないか?」の議論も正直わたしはどっちでもよくて然るべき時が来たら「おお、ついにこの時が、、」って心の準備してるかんじ》(3月26日)

《(神社を訪れた写真をアップして)宇宙飛行士が宇宙から地球を見たときに1箇所から強い光が見える場所がありそこが御岩神社だった、という逸話を持つ神社》(4月12日)

 短期間でこうも宇宙宇宙と繰り返す芸能人はなかなかいないだろう。“宇宙への伴侶”の素質は充分だ。そして、剛力の月行きを阻んだ最大の壁、「スケジュールの余裕」に関してもバンドを即脱退というかたちでクリアしてみせた。ドラマーとして10年活躍してきた梅村だが、脱退の日にブログで「わたしはもうドラマーとしてみんなの前で演奏することはないです」とキッパリと宣言。決断力・スピード感ともにデキる経営者のそれ。これでこそ前澤氏が選んだ人材だ。

 また、交際をスタートさせた夏以降の投稿に着目すると、ライフスタイルや思考も大きく変化していることがわかる。10月12日にはこのように近況を綴っている。

《前に比べてiPhoneを見なくなったし連絡とる人も減った インスタもLINEもTwitterも無意識で開いていたけど無意識で開かなくなると開くだけで別世界な感じがする(中略)他人の生活や会ったことのない芸能人の近況も無意識に見てたけど いまは自分が興味ある事以外気にならなくなっちゃった》


 人との繋がりも絶って、月旅行にむけて全集中。これが大気圏外を目指す女性のストイックさなのかと感心してしまう。定期的にアップしているトレーニング中の写真からも腹筋がどんどん仕上がっていくさまがみてとれる。

 彼女のインスタを見ているファンは宇宙を見据えているとも知らず《ひなさんの腹筋の成長が凄いですね》そんなお気楽なコメントを残しているが、彼女のSNSは人類が宇宙に挑戦するまでの記録だと知ったらどう思うだろう。

 月にいった暁には彼女の成長ぶりをまとめたスタイルブックが出版される、かもしれない。

〈皿乃まる美・コラムニスト〉

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高嶋ちさ子ら“ザワつく”トリオ、暴走しても炎上しないヒミツ

2022年1月28日 17:00 週刊女性PRIME

“ザワつくトリオ”高嶋ちさ子、長嶋一茂、石原良純、そしてバランサーのサバンナの高橋茂雄(高嶋ちさ子の写真は公式HPより)

『ザワつく』が、とにかく強い。

『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日系・金曜よる6時50分)。長嶋一茂、石原良純、高嶋ちさ子の、“怖いもの知らず”系の3人が、世間をザワつかせる事柄に関するトークを繰り広げる「スカッと爽快、毒舌トークが大爆発!(番組HPより)」番組だが、3人の暴言スレスレ言いたい放題の毒舌と、それぞれに対する舌戦がウケ、毎週高視聴率を記録している。昨年の大晦日に特番として放送された『ザワつく!大晦日』は、視聴率が同日の民放ゴールデン・プライムのトップを記録したことも話題となった。

罵り合いもウケている


3人の暴走トークでの掛け合い、ときにはお互いをディスり合うこともあり、そのやりとりがウケています。言うまでもなく『ザワつく』の3人は、いずれも一流の家系で育ち、自身もそれぞれの世界で確固たる地位を築いている面々。そんな彼らの、ときにはみっともなくすらみえる罵り合いは、大の仲よしであるがバトルトークを繰り広げる、中尾彬さんと江守徹さんのやりとりを彷彿させますね」

 とあるスポーツ紙記者。

 番組がスタートしたのは2018年のこと。当初は深夜0時台の放送だったが、'19年の春からゴールデンに移動。安定した人気を保ってきたが、ここにきてさらに人気の幅を広げている理由はどこにあるのだろうか。

 あるテレビ関係者は、「基本的には3人が好きなことを言う番組なのですが、そこに共感が集まっている」といい、“愛ある毒舌”で人気を得ている、有吉弘行やマツコ・デラックスと比較して分析する。

「ハッキリした物言いの毒舌というと、マツコさんや有吉さんなどが以前から人気ですが、ふたりはどちらかというとド正論で、ぐうの音も出ないこともあります。『ザワつく』の3人は言いたい放題のメチャクチャな会話なので隙がありまくるんですが、その隙が面白がられているんです。マツコさんや有吉さんは、下からの目線で物を言うことが多いですが、ザワつくトリオは真逆で対照的な立ち位置になるところも面白いですね

 最近では「ご当地ポテトチップス」や「ご当地カップ麺」のどれが一番好きなのかを決めたり、工場で何を作っているか当てるクイズを行ったり、ちょっとした話題や注目の人物にスポットを当てる企画などが人気を集めている。高視聴率を叩き出す要因として、3人のトークだけでなく扱うネタにも注目されている。

「身近な話題に対して、リラックスしながらホンネを言うところもウケています。“深く考えなくても楽しい”という今のお笑いの空気に似ているかもしれません。コロナでの閉塞感や情報過多の世の中で、何も考えずにただ見ていて楽しいコンテンツは貴重だと思いますよ」(バラエティーを手がける放送作家)

 とはいえ“言いたい放題”には炎上のリスクが伴う。しかしザワつくトリオは、これだけ好き放題言っても、炎上することがないのはなぜだろうか。前出のテレビ関係者は「炎上好きには楽しくない存在なのかもしれない」と言い、こう続ける。

“究極のバランサー”サバンナ高橋の存在


「それぞれが好き勝手なことを言っているだけなので、この人たちに文句を言ったり炎上させようとしたところで、ダメージもなければ、反応もないと思うんです。あの石原家の人、長嶋茂雄さんの息子、日本を代表するバイオリニストと、それぞれが文句のつけようがないセレブですし、多くの視聴者にとってはそもそもの世界が違う人たち。このレベルの人たちが何かを自慢したところで、一般の人たちが鼻につくような次元ではないんですよね。そこを突いたところで誰も便乗しないでしょう」

 番組では、暴走ぎみの3人の手綱を引くような存在として、進行役のサバンナ・高橋茂雄が出演しているが、この高橋の存在も重要な役割を果たしていると、前出の放送作家は指摘する。


「高橋さんは、“究極のバランサー”のような芸人さん。どんな辛いものでもまろやかにしてくれ、ざるで濾すようになめらかにしてくれる存在。3人が暴走したときに高橋さんがいい感じにストップをかけてくれ、さらにイジってもくれる。3人だけでなく高橋さんがいるからこそ、な部分もあります」

 3人プラス1という奇跡のバランスが『ザワつく』人気のもとのようだ。

〈取材・文/渋谷恭太郎〉

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