cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_f4c38bea7edd_リンちゃん殺害事件、被告がまさかの両親批判 f4c38bea7edd f4c38bea7edd リンちゃん殺害事件、被告がまさかの両親批判 oa-shujoprime

リンちゃん殺害事件、被告がまさかの両親批判

2018年6月19日 21:00 週刊女性PRIME

リンちゃん殺人事件の渋谷恭正被告(イラスト/スヤマミヅホ)

「(起訴状の内容は)すべて違います」

 千葉県松戸市のベトナム国籍のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(享年9)が殺害・遺棄された事件の裁判員裁判で、強制わいせつ致死、殺人などの罪に問われている渋谷恭正被告(47)が最初に発した言葉だ。

遺体から渋谷被告の唾液が


 起訴状によると、被告は昨年3月24日、わいせつ目的でリンちゃんを車に乗せて連れ去り、首を圧迫して窒息死させ、遺体を同県我孫子市の排水路脇に遺棄したとされる。

「被告は、警察がDNA検査などの証拠を捏造した可能性があると言い、無罪を主張しています」(全国紙記者)

 裁判は、千葉地裁で6月4日から始まった。被告は肩までのびた白髪まじりのボサボサ髪で足元がおぼつかない様子。

 被害者参加制度を利用したリンちゃんの父・ハオさん(35)は連日出廷し、母・グエンさん(31)は衝立で傍聴席から見えないようにして13日の証人喚問から参加した。夫婦の傍らには笑顔のリンちゃんの遺影が置かれた。

 両親と向き合うかたちの被告は一切目線を合わせようとせず終始、無表情。時折、顔をかいたり、鼻をこするなど緊張感を欠いていた。

 被告が所有するキャンピングカーからは、金属製SM用手錠、ヒョウ柄の手錠、バイブレーター4本、フェイスマスクなど“大人のおもちゃ”が10点以上、押収されている。

 遺体の顔、耳、胸、下腹部から渋谷被告の唾液が検出されており、腹部からは被告とリンちゃんの混合DNA型が検出されている。

「膣や肛門には棒のようなものを挿入したときなどにできる出血や傷も見られたようです」(前出・全国紙記者)

 リンちゃんの通っていた小学校の保護者会長だった被告は事件当日、登校の見守り活動を「母親を介護するため休む」と校長らに伝えたとされるが、被告の母親は2001年に死去していたことがわかっている。

 被告は裁判でこの矛盾について、法廷で証言した校長・教頭がウソをついていると言い張った。

 リンちゃんの両親を前に、「事件を知ったときは面倒くさいことになったと思った」「捜索活動は依頼されていないからやらなかった」などと開き直る一幕もあった。

 14日の被告人質問では非常識な謝罪も飛び出した。弁護士から「何か言いたいことはありますか」と振られると、「あります。リンちゃんのご両親に言いたいことがあります」と声をうわずらせ、「私が犯人だと思われている中で、私が行った募金を受け取ってくださってありがとうございます」と述べた。それが最初に言いたいことだった。

「見守り活動をしていたのに守ることができなくてすみません」と続け、目元をぬぐうしぐさを見せた。

リンちゃんの両親を責める被告


 ところが……。

「被告を真横から見ていたが、目元に水みたいなものは見えなかった」(被害者側弁護人)

 と“ウソ泣き疑惑”が浮上。同じ日の午後に行われた検察側の尋問では、もしいなくなったのが自分の娘だったら捜索に協力してもらえなかったときにどう思うかと問われ、

「登校中なら親が悪い。校内なら教員が悪い。(リンちゃんの事件は)通学途中のことなので親の責任だ」

 あろうことか、リンちゃんの両親を批判し始めた。また、自分の娘が性的な被害を受けて殺害されたら許せるかと問われると、

「許すことはできません……。なので私は子どもと一緒に学校に行っています」

 と言い放った。

 これには裁判長も驚いたようで、「午前中は“見守り活動で守れなくてすみません”と言っていたが矛盾するのではないか」と真意を尋ねた。

 すると渋谷被告は、

「見守り活動をしていたのに見守れなかったので謝りました。親がボランティアのところまで連れてくれば見守る。連れてこられなければ見守れない。だから親の責任です」

 と、再び両親を責めた。裁判長が「子どもを殺害された親に言っていいことではないのでは」と苦言を呈すると、

「(親が)守っていればこんなことにはならなかったと思う。事件当日、リンちゃんのお父さんは仕事に行く前に時間があったと聞いたので送っていけた。ひとりで行かせたから事件に遭った」と全く態度を改めようとしなかった。

 被告から残酷な言葉を次々と浴びせられた父・ハオさんが感情をむき出しにしたのは翌15日のこと。

 ハオさんは「妻は夜眠れない。常に泣いている。自殺しようと考えていたこともありそんな状態が今も続いている」と述べ、リンちゃんの弟(4)についても、

「弟は娘が亡くなったことを知らない。毎日どうしてお姉ちゃんが学校から帰ってこないの? いつ帰ってきますかと聞きます。(リンちゃんを)誰が殺したの? って聞いてくるんです。なんて答えたらいいか……」

 と涙で言葉を詰まらせた。

 衝立の向こうから母・グエンさんのむせび泣く声が法廷内に響いた。

助けを求めて叫ぶ娘の声


「娘は“殺さないで”と命乞いをしていたはずなのに、なぜ殺した。許すことはできません。犯人は悪魔だ!」

 とハオさん。

 しかし、渋谷被告は顔色を一切変えることはなかった。

 裁判長はグエンさんの意見陳述書を読み上げた。

《私は娘の遺体を引き取った時の感覚を死ぬまで忘れることはないでしょう。殴られて腫れ上がり、あざができた娘の顔、棺の中で横になり、つむられた娘の目、娘の冷たい手を握った私の心は、千もの針で突き刺されたようでした。私は泣くことも叫ぶこともできませんでした》

 グエンさんの鼻水をすする音が法廷に響いた。

《私は眠りにつくたびに、助けを求めて叫ぶ娘の声で目が覚めます。この痛みを言い表せる言葉はありません》

 初公判の前日に記者がリンちゃんの自宅を訪ねたとき、仏前にはリンちゃんの満面の笑みの写真とたくさんの果物が供えられていた。取材に丁寧に応じてくれたハオさんは、

「裁判で、何があったのか真相を突き止め、犯人を処罰してほしい。でないと、娘に報告できないし、死刑にならないと娘は天国に行けない」と話していた。

 裁判は18日に結審。どのような判決が出るだろうか。

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コスプレイヤー神崎りのあが整形にハマるまで

2022年5月16日 11:00 週刊女性PRIME

コスプレイヤー・神崎りのあさんのビフォーアフター

 コスプレをしてパチンコ店に来店し、イベントを行う「来店コスプレイヤー」として活動する神崎りのあさん。その活動の一方で、YouTubeやTwitterで美容整形の体験談や失敗談などの情報を発信している。

 現在、整形に使った額は驚異の2600万円! 地方なら家が一軒建つほどの額を、一体なぜ神崎さんは整形に費やすようになったのか。さらに整形を失敗しないコツ、明らかに整形をやりすぎる人の気持ちなど、普通ではなかなか聞けない整形事情について話を聞いた。

整形を始めてからハマるまで


 2600万円を整形に使ったと聞くと派手な人物を想像するが、取材で会った神崎さんは落ち着いた人だった。普段はコスプレで肌の露出も少なくないが、「仕事でやっている分、普段はロングスカートだったり露出はしないです」と笑う。話しぶりはしっかりしていて、刹那的に生きているのではないのが伝わる。

 神崎さんの整形人生のスタートは成人式のタイミングだった。学生時代はメガネをかけ、地味な方だったが、その頃から下唇の大きさが気になっていた。

「昔の写真を見ると、手で下唇を隠している写真ばっかりで、下唇だけが“たらこ唇”で、大きいのがコンプレックスでした。なので成人式のタイミングで顔を変えたいと思い、手術しました」

 有名な整形クリニックで手術し、費用は13万円だった。その後は、鼻やあごにヒアルロン酸を入れるプチ整形を繰り返した後、鼻と太ももの脂肪吸引を行うなど徐々に整形へハマっていった。

 一番大きな手術は韓国での両あごを削るものだ。当時、神崎さんはグラビアのDVDを出し、イベントを行ったが、ネット掲示板に顔やあごに関する誹謗中傷を書き込まれて傷ついていた。さらにプライベートでも大きな不幸が襲う。

「その頃にずっと長く付き合っていた方が交通事故で亡くなってしまい……。もう心身ともにボロボロで“もう死んでもいいや”という感じになっていて。

 当時は韓国で美容手術を受けた日本人の方が死亡する事故がニュースになっていた時期だったんですけど“死んでもいいからやろう”“自分で死ぬのは勇気がいるけれど、手術して死ぬのなら仕方がない”と思ってました」

 手術には韓国での滞在費などを含め、250万円かかった。手術が終わり、麻酔が切れて目覚めると、なぜか頼んでもいない歯科矯正が行われていた。手術後、帰国するも1か月は流動食しか食べられず、体重は5キロほど落ちた。通常なら3か月ほどで治まるはずの顔の腫れも、結局は1年ほど治らなかった。

 腫れも引き、生まれ変わった自分の顔を見ても神崎さんは満足することはなく、むしろ気になる部分が出てきたという。

「両あごを削り、顔のバランスが変わったことで、今まで気にならなかった鼻が大きく見えるようになったんです。そこから鼻も小さくする手術もしました」

 以後は整形のペースが上がり、3か月に1回は大きな手術を行った。直近では豊胸のため脂肪を注入する手術を行い、カップ数も1つ上がり、少し垂れているのが気になった胸に一気に張りが出たという。

「顔はまだそこまで納得していないんですけど、体は納得しています。胸が大きくなったことで、くびれも細くなったように見えて、今は鏡を見て“めっちゃいい体やな”と自分で言っています。

 今までは撮影でマイクロビキニを着たりはしなかったけれど、今は“着る、着る、見て”って感じで、際どいものをオーダーされても全然できます(笑)」

 神崎さんのように公にはしていなくても、整形をしているコスプレイヤーは少なくないという。


「コスプレイヤーさんでも“あっ、これはいつぐらいに胸に入れたな”というのは私もわかります。隠しているけれど、裏で整形していることを明かしてくれる子もいます。私はもともと人見知りなのですが、仲が良くなかった子でも美容や整形について相談して、仲良くなれますね」

 整形をしている芸能人も多いが、中には明らかにやりすぎという人もいる。神崎さんは過剰な整形を行う芸能人の気持ちを代弁する。

「病院の先生が、本人の希望した部分をそのまま手術したのだと思います。たいていの先生はナチュラルでなくなるのを避けるので“もう、やめておいた方がいい”と伝えていると思うんですけど、止められたところで結局みんなやってしまう。

 私も口角をあげたいと伝えたら“ピエロみたいになっちゃうよ”と止められたけれど、やりたい気持ちが勝って結局やっちゃいました(笑)」

整形したことでポシティブになれた


 整形の利点として神崎さんが語るのは、外見だけでなく内面の変化だ。自分の容姿に自信がつくことで、心にも余裕が出てくるという。

「ポジティブな言葉がよく出るようになりましたし、他の人と比べなくなりました。歩き方も座り方も“見て”という感じで、自信を持って行動できるようになりました。

 以前は“あっちの子はSNSで同じ写真をアップしてるのに1000いいねがついている”と悔しくなってましたが、今は心に余裕を持てるようになり、他人と比べることもなくなりました」

 整形をしてよかったと話す神崎さんだが、周囲からは「前の方がよかった」と言われることもあるのだそう。

「一番嫌な言葉ですね。思っていても、言わないでほしい。もう戻せないし、絶対前の方がよかったことはないと思うんですよ。なんだか嫌味にしか聞こえなくって。逆に嬉しいのはやっぱり“可愛くなった”ですね」

 整形を公表したのは1年前。現在、整形や美容について語るYouTubeも運営している。そこでは整形のメリットだけでなく、整形の失敗についても明かしている。

「私自身、整形の失敗はたくさんありました。鼻は何度か失敗されて、映画『アバター』のキャラみたいにされたり、脂肪吸引も失敗されてボコボコになっていて、いまだに痕が残っています。その手術をした病院は、その後に逮捕されていました(笑)」

整形に対する考え方


 では、整形で失敗しないコツはあるのだろうか。

 「ネットの情報もあてにはなると思うんですが、検索の最初に出てくるクリニックはあまり信用しないほうがいいのかなと思います。

 検索するにしても検索ワードをいっぱい入れて検索する方がいい。先生も手広くする人でなく、脂肪吸引なら脂肪吸引、顔の手術なら顔の手術と、何かの分野に特化している人がいいと思います。私も体はこの先生、顔はこの先生と分けています」

 YouTubeを始めてから、女性だけでなく、男性からの相談も届いている。整形がそれだけカジュアルになっているようだ。

「個人的には気になるのであれば、高校生くらいから整形をしてもいいのかなと思います。ただ、二重の手術であれば、成長が止まってからやらないと幅とかが変わってしまうので、成長してからの方が良いと思います」

 一方、借金をしてまでの整形についてはNGだという。

「私は整形にかけた2500万円はコスプレイヤーとして稼いだもので、ローンを組んでまで整形はしていませんし、借金をするくらいだったらやめておこうと思います。

 もし整形するなら100万なら100万と自分でお金をためてからやるべきです。ローンでやってしまうと、逆に歯止めがきかなくなり、どんどんとやってしまい、借金が膨れ上がると思います」

 最近では整形だけでなくアンチエイジングなどにもお金をかけている。今後はYouTubeで美容や整形についての情報を発信していき、将来は整形についての本を出版するのが目標だ。

今は歳の公表はしていないし、ウィキペディアに載っている年齢も間違っているんです(笑)。本を出すタイミングでバーン! と公表したいです。女優やモデルさんのように“この年齢でその美貌なの!?”と言われるような人になりたいですね

取材・文……徳重龍徳(とくしげ・たつのり)/ライター。グラビア評論家。大学卒業後、東京スポーツ新聞社に入社。記者として年間100日以上グラビアアイドルを取材。2016年にウェブメディアに移籍し、著名人のインタビューを担当した。現在は退社し雑誌、ウェブで記事を執筆。個人ブログ「OUTCAST」も運営中。Twitter:@tatsunoritoku

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cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_1vsjo76qk62a_【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係 1vsjo76qk62a 1vsjo76qk62a 【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係 oa-shujoprime

【殺人事件】被害者遺族と加害者の“その後”の関係

2022年5月16日 07:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 ある日突然、家族が事件に巻き込まれて、自分が“遺族”になったらーー。加害者に謝罪を求めて会おうとしても、簡単には叶わないという現実。一方で、加害者になってしまった場合もまた、直接謝罪したくても“制約上”できないという「高い壁」が立ちはだかっていた。NPO法人『World Open Heart』理事長で、犯罪加害者と被害者、双方の支援団体『Inter7』の発起人でもある阿部恭子さんが伝える。

事件に奪われた日常


 もし、家族が他人に殺害されたとしたら、犯人に求めるべきは死刑なのか。死刑を求めない家族は、被害者とはいえないのだろうか。

 被害者遺族を経験しながら死刑廃止の立場を表明し、被害者と加害者の対話の意義を訴えてきた原田正治さんは、一部の人々からは「理想的な被害者」として注目され、また一部の人々からは「理想的な被害者ではない」と、時に批判を浴びてきた。

 事件後、原田さんが歩んできた遺族としての道のりは過酷である。当時、助けてくれる人も、相談に乗ってくれる機関もなく、次々と降りかかる試練に、すべて家族だけで対応しなければならなかった。

 1983年、原田さんの弟・明男さんが30歳のとき、突然、仕事中に亡くなり、居眠り運転による自損事故と判断された。ところが1年3か月後、雇用者による保険金殺人だった事実が判明。当時、36歳だった原田さんの人生も一変する。

 犯人逮捕に伴い、報道陣が自宅付近を取り囲むようになり家族はしばらく外出ができなくなった。原田さんがようやく仕事に出られるようになると、帰宅を待ち構えていた記者がいきなり物陰から飛び出してきたこともあった。地域は騒然となり、周囲の人々の態度は明らかによそよそしく感じ、これまで親しかった人たちとも次第に疎遠になっていった。穏やかな日々は、緊張と不安に変わってしまった。

 対応に苦慮したのが、事故として支払われていた保険金の返還請求だった。葬儀代、墓代等、弟が亡くなったことに要する出費としてすでに使用していたからである。「返還しないと不当利得です」と書かれた保険会社からの手紙は、まるで家族が騙し取ったと責められているように感じた。行政や弁護士に相談しても取り合ってもらえず、借金をして支払うほかなかった。

 マスコミ対応や検察庁からの呼び出し、裁判など、会社を休まなければならない日も出てくるが、原田さんが勤務していた会社の対応は、ひどく冷淡だった。

 不条理な出来事ばかりが続く中、家族の間でも徐々に精神的な距離が生まれ、家庭も壊れていった。

一度は求めた死刑


 弟を殺害した加害者は、通夜や葬儀にも訪れ、事件が発覚するまで、何食わぬ顔で家族に接していたのである。人として、なぜそんな惨いことができるのか、直接会って問い質したい感情が日に日に強くなっていた。

 そこで唯一、加害者に直接感情をぶつけられる機会は、刑事裁判だった。被害者への公的支援が一切ない時代、ある日突然被害者になった原田さんに、裁判の仕組みを説明してくれる人もなく、付き添いもないまま報道陣が詰めかける法廷にひとりで向かわなければならなかった。

 どんな処分を望むかという検察官からの質問に、原田さんは

「極刑以外に考えられない」

 と答える。

 つまり、死刑である。加害者は塀の中で食事も睡眠も保証され、守られているにもかかわらず、被害者はさまざまな対応に時間を取られ、経済的にも精神的にも追い詰められていく。その原因を作った相手に、最も厳しい罰を求めたとしても不思議ではない。

加害者との面会


 裁判が続く中、原田さんのもとに加害者から手紙が送られてくるようになった。最初はとても読む気になどなれず、開封せずに捨てていた。ところがある日、好奇心から開封してみたことをきっかけに、加害者との交流が始まる。加害者は、弁護士の影響で洗礼を受け、罪と向き合うことを始めていた。

 そして事件から10年後、原田さんは、周囲の反対を押し切って、拘置所にいる加害者との面会を決意する。憎しみや怒りが薄れたわけではなく、なぜ弟が殺されなければならなかったのかを問い、遺族がこれまでどんな思いで生きてきたのか、思いをぶつけたかったからだ。

 原田さんが「長谷川君」と呼ぶ加害者は、原田さんの訪問を喜んだ様子で迎え、「申し訳ございません」と謝罪をした。原田さんは、長谷川君と対面した瞬間、肩の力が抜けたという。アクリル板を挟んでいても、対面が叶ったことで、被害者加害者という枠を超え、人間同士のコミュニケーションが可能となったのだ。

 これまで何百通という手紙を受け取ってきたが、20分の面会にはかなわなかった。彼の謝罪の意志は本心だと感じ、直接、謝罪の言葉を聞いたことによって、どんな慰めの言葉より、心が癒されていくのを感じたという。

 

「長い間、孤独の中で苦しんできた僕の気持ちを真正面から受け止められる存在は長谷川君だけだと感じた」と話す。しかし、面会をしたからといって、彼を許したわけではない。

 

「事件によって僕や家族は崖の下に突き落とされました。世間の人々は、崖の上から高みの見物です。誰も崖の上に引き上げようとはしてくれず、長谷川君やその家族をバッシングして崖の下に突き落とすことで、僕たちに『これで気がすむだろう』と言っているかのようです」

 長谷川君こと長谷川敏彦氏の息子及び姉は自殺をしている。事件後、被害者だけでなく、加害者家族もまた、生き地獄を強いられたであろうことは想像に難くない。

「僕は彼と面会したことが、自分自身の快復への道につながると感じました。僕が求めているのは、彼や家族をさらに奈落の底に突き落とすのではなく、僕が崖の上に這い上がることです。死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません」

 原田さんは、納得できるまで長谷川君と面会したいと死刑執行停止を求める嘆願書を法務省に提出し、法務大臣に直接会い上申書を提出したが、その後まもなく、長谷川俊彦氏の死刑は執行された。

 原田さんは、自らの体験をもとに、2006年に「Ocean被害者と加害者の出会いを考える会」を立ち上げ、2021年12月に結成した被害者加害者が共に支援を行う団体「Inter7」の共同代表を務めている。

加害者が謝意を伝えられない“高い壁”


 Inter7の共同代表の五十嵐弘志さんは、計20年服役した経験を持つ。長谷川君のように、獄中でのキリスト教との出会いをきっかけに更生し、出所後は受刑者の更生支援に尽力してきた。

 Inter7には、加害者被害者双方の家族などから相談が寄せられており、被害者に償いたいという受刑者からの相談も多い。

 受刑者が刑務所から直接被害者に手紙を送ることは許されておらず、弁護士など被害者との間をつないでくれる人が不在の場合、謝意を伝えることは叶わず、被害者から「謝罪がない」と残された家族に苦情が寄せられることもある。

 原田さんは、死刑囚となった長谷川君との面会を特別許可されたが、死刑囚との面会は基本、親族に限られている。謝罪したい加害者と謝罪を求める被害者の間には、制度上の高い壁がある。

「被害者に謝りたい、償いたいと思っても、管理重視の日本の刑務所ではトラブルをおそれるあまり、あれもダメ、これもダメとあまりに制約が多く、何もしないほうがいいのではという気持ちにさせられてしまうのです」

 

 直接、加害者と話をしたいというニーズは、Inter7の共同代表で交通事故被害を経験した片山徒有さん、弓指寛治さんも主張する。

 原田さんは、決して加害者に甘い被害者ではない。被害者と向き合うことは、加害者にとっても恐怖であり、勇気がいることでもある。

「塀の中で、孤独に犯した罪と向き合い続けることは苦しいことです」

 五十嵐さんは、生きる苦しさこそが償いではないかと語る。

 犯罪報道では、被害者と加害者は分断され、対立する姿ばかりが強調される。しかし、Inter7が対立と分断を超えた先に目指す社会とは、世間が押し付ける被害者・加害者像から解放され、自分らしい生き方を選択できる社会である。

阿部恭子(あべ・きょうこ)

 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて”犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。

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cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_527y9gdcpak3_新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件 527y9gdcpak3 527y9gdcpak3 新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件 oa-shujoprime

新幹線“タダ乗り”元議員、過去にもあったセコすぎ事件

2022年5月16日 05:15 週刊女性PRIME

参院本会議で代表質問する山下八洲夫氏(共同通信)

「背が高く、スレンダー体型を維持し、おしゃれなスーツを着こなしていました。健康管理が完璧で、食事は納豆ご飯だけで平気なんだそうです。いつもニコニコ、柔らかい表情で“こんにちわ〜”と挨拶してくれたのに、こんな恥ずかしい事件を起こすなんて」

 と地元の70代女性はため息をつく。

 恥ずかしい事件が発覚したのは5月8日のことだった。

 現職の国会議員になりすまし東海道新幹線のグリーン券などをだまし取ったとして愛知県警中村署と鉄道警察隊が逮捕したのは、岐阜県中津川市に住む元参院議員の会社役員・山下八洲夫容疑者(79)。1983年から旧社会党などで衆院議員を4期、98年から旧民主党で参院議員を2期務めた元ベテラン議員だ。

 同県警によると、詐欺と有印私文書偽造・同行使の疑い。

 全国紙社会部記者の話。

「衆・参両院の議員に公務用として付与される『国会議員用鉄道乗車証(JR無料パス)』を落選後12年経つというのに不正使用し、胸襟に議員バッジをつける工作までして乗車券代わりに駅員に見せていた。有効期限1年のパスは当然期限切れ。しかし、過去の経験則から、じっくりと見る駅員はいないためバレないと確信していたようだ」

 乗車券はこのようにスルーしたが、新幹線に乗るには特急券が別に必要になる。

楽なグリーン車にタダで乗りたかった


「東京―名古屋間の新幹線グリーン車の往復チケットを入手するため『国会議員指定席・寝台申込書』に実在する議員の名前を書いて本人を装った。たまたまチケットの誤発行に気づいた駅員が当該議員に連絡したことで“なりすまし”が発覚。“昔を忘れられず、楽なグリーン車に無料で乗りたかった”などと供述し、継続的な悪用をほのめかしている」(同・記者)

 中国・湖北省生まれ。中学・高校時代を過ごした広島で同級生を原爆症で亡くしたのが政界入りのきっかけ。中央大法学部を中退後、岐阜県中津川市で国鉄労働組合出身の楯兼次郎衆院議員(故人)の秘書に。“県労働界の育ての親”と評される楯氏のもとで20年、政治のイロハを学んだ。

 県内の政界関係者は「楯さんの後継者としては迫力不足で脇も甘かった」と語る。

「労働者の立場から経営側を糾弾する視点と、護憲の精神は貫いたと思うが、それだけ。誇れる実績はない。逆に、国会議員の国民年金未加入問題(2004年)が騒がれたときも名前が出たし、'07年には代表を務める政治団体が、北方領土問題などの関連本を販売する出版社に名前を貸す見返りに7年間で計約1億3000万円を受け取っていたと報じられ謝罪した。1冊数万円の高額本を強引に売る手法に苦情が出ていたから」(県内の政界関係者)

 2010年7月の参院選で議席を失って以降も政治活動を続け、'19年からこの事件で解任されるまで立憲民主党岐阜県総支部連合会の常任顧問を務めていた。

 同県連の関係者は「セコい人なんですよ」と吐き捨てる。

もうひとつのセコすぎ本性


「国会議員を長く務めた割には選挙戦の苦労がわかっておらず、後輩候補の応援で“現場までの交通費ちょーだい”とせがんで周囲を呆れさせていた。高速道路通行料やガソリン代などの計算が得意らしくて(笑)。選挙活動費が潤沢でないとわかっているはずだし、自分の選挙のときは支援者らの“手弁当”の応援にさんざん助けられてきたくせに」(県連関係者)

 自宅はJR美乃坂本駅から徒歩約10分の高台にある。立派な門柱をくぐって坂を登ると武家屋敷のような佇まいの豪邸。05年の議員資産公開によると、床面積273平方メートルの自宅をローンで建て、借金が2761万円増えたと報告している。当時の預貯金は256万円にとどまっているが、不動産のほか2つのゴルフ会員権や大企業株なども所有しており、暮らし向きが苦しいとは言いがたい。

 知人男性はこう話す。

「現職を退いたとき町内会に寄付をしてくれたが、国会議員にしては少ない金額だった。でも一緒にゴルフをした仲間のプレーフィーをおごることはあったみたい」

 関係者などによると、都内に自身が社長を務める多角的事業の会社があり、月2回程度は往復していたという。

 地元のタクシー運転手は、

「キャリーケースを引いてひとりでよく出張していました。自宅まで初乗り600円のワンメーターなんですが、千円札でお釣りはチップでくれるいいお客さんでした」

 と意外な一面を明かす。


不正総額は1030万円の試算も


 一方、無賃乗車については自宅最寄りの美乃坂本駅で乗車して多治見駅で特急指定席に乗り換え、名古屋から新幹線のぞみ号のグリーン車で東京まで往復すると料金は3万6540円。月2回、落選後から11年9か月続けたとすると1030万4280円になる。あくまで試算ではあるが、常習だった場合、とんでもない金額をせしめていた可能性も出てくる。

 無料パスやグリーン券の費用は国で払っているため私たちの税金が原資だ。


「JRパス、航空チケット、陸空併用の3コースから議員は選び、毎年度末に更新する流れ。年度途中で辞職したり、落選した場合は返却を求めています。参院議員だけで年間1億8000万円の予算を計上しています」(参院事務局)

 3歳下の妻とふたり暮らし。自宅を訪ねると、インタホンに出た夫人が、

「事件のことはよくわからないんです。私も体調を崩しているものですから。(無賃乗車は)知りませんでした。接見した弁護士には、“有権者にも、関係者や家族にも、ただただ申し訳ありません”と話しているそうです」

 政治腐敗を憎み、時の首相に辞任を迫るなど舌鋒鋭かった山下容疑者。最近ハマっていた“昼間から自宅で缶ビール”は当分お預けになる。

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cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_c4askdllnc50_パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返す? c4askdllnc50 c4askdllnc50 パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返す? oa-shujoprime

パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返す?

2022年5月16日 05:00 週刊女性PRIME

パンダ

 22歳の駆け出し記者が日常の疑問を解決!知って楽しい、おもしろ雑学をお届けします。

Q. パンダの名前はなぜ同じ音を繰り返すの?


A. 中国語でかわいらしさを表すためですが、実は上野動物園ならではの「独自ルール」です。(パンダライターの二木繁美さん)

 コロナ禍の影響で中断していた、パンダの一般公開が再開し、愛くるしい姿を見せてくれている上野動物園のシャオシャオとレイレイ。なぜ、パンダの名前は同じ音を繰り返すのだろうか。

 今までに2頭のパンダの名づけ親にもなったパンダライターの二木繁美さんによると、「中国では、繰り返す名前には相手をかわいがるニュアンスがあります。日本の“ちゃん”のようなもの。パンダの名前が繰り返しになっているのはそのためです」とのこと。 



 しかし、実はこの法則、上野動物園ならではだそう。



「ほかの動物園や中国では、繰り返しでない名前も多いですが、上野動物園では歴代パンダのすべてが繰り返しの名前です。初めてやってきたランランとカンカンの印象が強いためか、公募でも多くの人が繰り返しの名前を応募するので、いつの間にか法則のようになったのだと思います」(二木さん、以下同)

 ちなみに、パンダの名前にはその時代の人々の希望が反映されていることが多い。代表的なのが1995年に起きた阪神・淡路大震災の5年後の2000年に中国から神戸の動物園にやってきたタンタンだ。



「タンタン(旦旦)には『新世紀の幕開け』という意味があり、震災で傷ついた神戸の人たちが、未来を照らすような存在になってほしいという願いを込めてつけた名前です」

 パンダの名前を調べてみると新たな発見があるかも。

Q. ボブへアの“ボブ”って どういう意味?


A馬の尾を短くカットするという意味のbobが由来だといわれています。(美容ライターのMOMOさん)

 少しずつ暖かくなってきて髪型も夏仕様にしたいころ。ボブヘアなんてぴったり!ところで、ボブへアの“ボブ”ってなんだろう。ヘアスタイルに詳しい美容ライターのMOMOさんに話を聞いた。



「昔、英語のボブ(bob)は『馬のしっぽを短くする』という意味で使われていた時代がありました。それが、女性が長く束ねた髪を切る様子に重ねられて、短めのヘアスタイルを指す言葉になったようです」

 女性の社会進出が進みだした1920年ごろ、それまでの「女性=髪が長い」というイメージを払拭する短いヘアスタイルが流行した。そのころからボブという言葉が使われ始めたのだとか。

 意外な由来を持ったボブヘア、ひと口にボブといっても、その種類はさまざまだそう。


「毛先をそいだ軽やかなレイヤーボブや丸みが特徴的なマッシュボブ。スタイルをよく見せてくれて、着物にも似合うショートボブ、前髪とサイドの長さをそろえたワンレンなど、かわいくもきれいめにもなれる便利スタイル。女優の鈴木京香さんは求められる役柄の雰囲気に合わせたボブにいろいろ変えていて、ボブのカタログのような方です」

 とMOMOさん。

 そのまま下ろすだけで決まるから、毎日のスタイリングも簡単で週女世代の人気オーダーNO.1。なりたいイメージに合わせたボブでこの春、新しい自分に出会ってみてはいかがだろう。

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ビジュアル系の聖地、ライブハウス『高田馬場AREA』最後の日

2022年5月15日 20:00 週刊女性PRIME

エリアの会場内の終演後の様子(読者提供)

 2021年12月31日をもって閉店したビジュアル系バンドの聖地と呼ばれたライブハウス『高田馬場AREA』(以下、エリア)。

「エリアが入っている建物が老朽化し、建て替えを余儀なくされたことが理由のようです」(ビジュアル系バンドに詳しいライター、以下同)

 閉店からもうすぐ半年。ライブハウスのあった建物は白い防音壁に覆われ、取り壊し工事が進んでいた。かつて街に多くいたバンギャ(ビジュアル系が好きな女性たちこと)もバンドマンたちもその姿はどこにもなかった。


今年は『DIR EN GREY』や『MUCC』ら人気バンドが結成25周年を迎え、盛り上がっています。実はエリアも今年5月で25周年を迎えるはずだったんです。そんな記念すべき年になるはずだったんですけどね……

 そう前出のライターも肩をおとす。

「先月15日に逝去した元『La'cryma Christi』でギタリスト・KOJIさん(享年49歳)とユニットを組んでいた『ALICE IN ENSWEAR』のボーカルMICHIさん(元MASUCERA)も“エリアのステージに立つのが夢だった”と以前にツイートしています。活躍しているバンドマンたちの夢の出発点でもあり、活躍を期待する場でもあったライブハウスでした」

90年代後半『MALICE MIZER』や『SHAZNA』らに影響を受けて


 多くのファンとバンドマンに愛されたエリア。その軌跡を振り返ってみるーー。

 エリアは1997年にオープン。映画館だった場所をライブハウスに再利用して誕生した。スタンディングで400人ほどを収容でき、「中箱」と言われる規模。特にビジュアル系の若手バンドの登竜門的な存在だった。

「都内の他のライブハウスと比べてもビジュアル系バンドが数多く出演していたこともあり、バンギャにとって憧れの箱、聖地でした」

“ビジュアル系バンドの聖地”といえば『X JAPAN』や『LUNA SEA』らが出演していたライブハウス『目黒鹿鳴館』もある。


「1990年代前半に鹿鳴館に出演していた『MALICE MIZER』や『SHAZNA』『La'cryma Christi』らのバンドはビジュアル系バンドブームの走りとして、そのシーンを牽引してきました。それらのバンドが活躍し、有名になると次の世代が彼らを目標にするようになりました。1990年代後半には彼らに感銘を受けた若者たちがバンドを組み、ライブをするようになった。その中心となったライブハウスがエリアでした」

バンドマンと“西友のスーパー”


  昨年末の紅白歌合戦に出演したギタリストの『MIYAVI』もバンド活動をしていた10代のころはエリアのステージの常連だった。他にも『the GazettE』『NIGHTMARE』『SID』といった世界各国にファンがいるベテランのビジュアル系バンドも、若手のころはたびたびエリアに出演。昨年、不倫問題が報道された『ゴールデンボンバー』も若手のころはたびたびエリアに出演した。


 メジャーシーンで活躍するバンドが次々と輩出されていき、2000年代前半にはその噂は全国に知れ渡り、エリアは『聖地』と呼ばれるまでに成長したのだ。

 だがその一方で意外な一面も。かつてエリアで活躍するビジュアル系バンドのスタッフをしていた高橋恵さん(仮名・40歳)は「独特の世界観を持つビジュアル系バンドが活躍するライブ会場がスーパーの西友の地下にあることも妙な組み合わせですよね。暮らしに欠かせないスーパーと妖艶な世界が隣り合っているのはなかなか面白いです」と明かす。西友の売り場でファンとバンドマンがバッティングする、なんてことも珍しくはなかった。

ステージ上ではお化粧もバッチリ、派手な衣装を着て演奏をしているバンドマンがお惣菜を持ってスーパーから出てくるところにファンが遭遇することも日常茶飯事。バンドの世界観を壊してしまう、なんてことを気にしたメンバーから買い物を頼まれたことがありましたね(笑)」(高橋さん)

 日常と非日常が同居するライブハウスの存在は全国のバンギャたちの憧れの箱だった。ビジュアル系バンドやバンギャらを取り上げた漫画を数多く執筆している漫画家の蟹めんまさんもその一人だ。

「私は関西の出身ですが、エリアの存在は知っていました。ビジュアル系中心のライブハウスで聖地、いつか行ってみたいと願っていた場所でした」

 その後、蟹さんは23歳で上京。仕事の関係で一時はライブから離れていたこともあったそうで、念願のエリアを訪れたのは26歳のときという。その後はたびたびエリアでのライブに通うようになったことを明かす。

ラストライブに「胸がいっぱい」


 そんなエリアの最後の日は2021年12月31~2021年元旦にかけて行われた。

  午後1時から始まる第1部を皮切りに、19時〜24時、25時〜28時までの3部制。合計14バンドがエリアの最終日を飾った。前出の蟹さんも高橋さんもカウントダウンを終え、明けて2022年1月1日未明に行われた最後となる第3部に入場した。


 2人にその様子を尋ねた。

普段のライブですと目当てのバンドのTシャツを着ているファンが多いんですが、その日はエリアのオリジナルのTシャツを着ている人も多かったですね。エリアの最後を粛々と見守るバンギャも少なくありませんでした」(前出・蟹さん)

 第3部には『有吉反省会』(日テレ系・土曜・23:30〜)にも出演していた『ダウト』や『エリアの主』とも呼ばれていた『ウミユリ』のボーカルHitomiさんら5バンドが出演。深夜だというのに会場は大盛り上がり、アーティストもファンも全力で楽しんでいた。

「エリアの客席部分は三層構造になっているんですが、フロアの最後尾までみんなノリノリでした。最後にHitomiさんが“本当にここが大好きでした“と絶叫した時に涙が出ました。ああ、これで本当に終わりなんだな、ってそこでようやく終わるという現実を突きつけられました。

 また、その後、3部の出演バンドのボーカルたちがもう一度ステージに出てきたのですが、『ダウト』のボーカル、幸樹さんが“このエリアがなくなってもエリアバンドに代わりはない。僕にとってのエリアの思い出があるように君たち自身もエリアの思い出があると思うので、その君たちだけのエリアの思い出を大事に生きてもらえたら、と思います “という言葉も印象的でした。その言葉で私が手伝っていたバンドのこと、エリアで解散ライブをして、終演後メンバーとともにしんみりしたことを思い出しました。いろんな思い出が蘇ってきてもう胸がいっぱいで……」(前出・高橋さん)

 午前6時過ぎに終演を迎え、出演者がステージを去ってもなお、会場からはアンコールを求める拍手が鳴り止まなかった。その時間にも関わらず会場には多くの観客が残り、名残惜しそうに過ごしていた。

「終演後、多くのファンは思い出のある場所を撮影していました。本来、会場内での撮影は禁止ですが最終日だからかエリアのスタッフさんも目をつぶってくれたようです」(蟹さん、以下同)


 さらに入り口付近でも外観を撮影するため、多くのファンが集まっていた。

エリアはほかのライブハウスと比べてもお客さんと一線を引いており、馴れ合うことはない箱でした。例えば出待ちにしても、基本はどこのライブハウスでも禁止なんですが、エリアは特に徹底しており、終演後は会場周辺に溜まれないのはもちろん、建物の前に居ることすらできないので、終演後エリアを出たら小走りで離れるのが恒例行事。スタッフさんはこまめに声をかけていました

 それは住宅街と隣接する商店街という立地も関係していたとみられる。周辺からの苦情が増えれば営業ができなくなってしまう恐れもあったからだ。

「エリアといえばこの終演後のスタッフの声かけも有名でした」

 最後の日も終演後にスタッフが周辺で注意をして回ることを期待していたという蟹さん。しかし、その期待は裏切られることになる。

バンドがブレイクする瞬間に立ち会える場所


全然注意されなくて……。会場前にできた人だかりを、スタッフさんは優しく見守られていました。“本当に終わりなんだ“ということを実感させられて、私はそうした状況が感慨深くてうるっと来ましたね。閉店するんだな、と」(蟹さん)

 しかし最終日の閉店した後に投稿されたTwitterには《お店を出られましたら立ち止まらずご移動をお願い致します》といつものフレーズが書かれていたのだ。

「その一言にエリアらしさを感じました」と笑う蟹さんだが、どこか寂しそうだった。

 蟹さんがこれまで発表してきた作品の中にもエリアは数多く登場してきた。印象に残っているエピソードを尋ねると……。

「バンドがブレイクする瞬間に立ち会えたことです」

 エリアの会場は三層構造。ときどきステージから離れた一番上の三段目の客席までもファンが大盛り上がりのバンドがいる。蟹さんによると、ワンマンライブではなく複数のバンドが出演する対バン形式の公演で、そこまで盛り上がっているバンドはその後どんどん有名になっていくという。


「他のバンドが目当てで来た観客も大暴れ。客席じゅうがヘドバンの嵐となったステージがありました。振り回される髪の毛で窒息しそうになったほどです。どこにいても髪の毛がきて“エリアが壊れる!“と思ったのを覚えています」(前出の蟹さん、以下同)

 蟹さんは漠然と「このバンドは売れるだろうな」と思ったという。その時の勘は当たり、そのバンドは世界中にファンのいる中堅ビジュアル系バンドの一つになっているという。

 そしてエリアは多くのバンギャたちの居場所でもあった。

「私自身もいちばん多く訪れたのがエリアでした。エリアでのライブはなぜか特別感があり、ライブが決まると嬉しくて。応援しているバンドもいつもよりもかっこよく見える気がしていました(笑)」

 だが、そんな場所がなくなってしまった今、新たな『聖地』とバンドにとっての『登竜門』的なライブハウスの存在が求められている。


高田馬場がビジュアル系の聖地とバンギャから言われていたのはエリアがあったから。ジャンルが栄えるには聖地的な場所が必要なので、喪失感があります

 蟹さんは今後もエリアについて作品にしていく、と意気込む。また、中にはエリアを題材にした楽曲を作ったバンドも。エリアはなくなってしまったが、作品の中でこれからも生き続けるのだ。

 多くの人々に愛されてきたビジュアル系の聖地、高田馬場エリア。そこに刻まれた思い出は時代が変わろうとも永遠に不滅。まぶしく輝いていた日々は記憶の中で色褪せることはない。

蟹めんまさん                                                                                                               イラストレーター。バンギャル(ビジュアル系バンドのファンの女性)やビジュアル系バンドを題材にした作品を多数執筆。著書に『バンギャルちゃんの日常』(KADOKAWA)などがある。

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cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_6zeg1wcfe6gy_アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」 6zeg1wcfe6gy 6zeg1wcfe6gy アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」 oa-shujoprime

アンガールズ田中、10年ぶりにできた彼女とは「毎日電話」

2022年5月15日 19:00 週刊女性PRIME

田中卓志 撮影/佐藤靖彦

「最初に聞いたときは僕でいいのかなと思いました。でも芸人がたくさんいるなかでやらせてもらえるのはひと握り。こんなに貴重な機会はないので全力でやりたいです」

 4月にスタートした新番組『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ系毎週日曜夜9時)でゴールデンタイムの初MCを務めているアンガールズの田中卓志。勉強と笑いを融合させた“一斉テスト”教育バラエティー番組の顔になった。

 初回(4月24日)の3時間スペシャルに続き、5月15日(夜8時から放送)は2時間スペシャルと拡大版が放送される収録は長時間に及んだ。

「疲れよりも楽しい。収録が長いと眠いとか集中力が落ちたりするけどゲラゲラ笑えて面白かった。このペースでいけたら視聴者のみなさんにも楽しんでもらえると感じています」

 日曜夜9時は『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)や『日曜劇場』(TBS系)などの人気番組と競合する。

「新人MCの僕にとってはどの放送枠であっても(裏番組は)強敵なので、気にしてもしょうがない。とにかく自分の番組を面白くすること。ほんわかした空気感とときどきブチ切れるのをうまく織り交ぜて自分なりのMCができればと思っています」

デートはできないけど毎日、電話で話します



 地元・広島の友人、山根良顕(45)とお笑いコンビを組みデビューして22年。コントで両手を広げる“ジャンガジャンガ”で注目を集め、その後“キモかわいい”と形容され流行語にノミネートされた。

 人気芸人としてソロでも活躍し近年は、お笑い審査員を務めるほか広島大学工学部出身の知識を生かした番組にも出演する。

 今回の冠番組はじめレギュラー14本を抱え、さらには10年ぶりに彼女ができたことを公言し“モテないキャラ”を卒業。公私ともに充実している。

「年末に彼女ができて発表した後に新番組が決まった。“おめでとうございます”と声をかけてもらうことが多くて一時期どっちのことかわからなかった(笑)。たまたまいいことが重なりました」

 スケジュールに追われる生活で休みの日は家で過ごす。

「ダラダラしているけど、やることがないかと考えちゃいます。新番組のゲストについて調べてMCの勉強をしたりしています。なかなかデートはできないけど、毎日電話をして話しています。忙しいのも理解してくれています」

芸歴とともにキャラ変、次は“カッコいい”?


 芸人のキャリアを積む中でイメージも変遷した。新番組のポスターは“カッコいい”をイメージして撮影された。総合演出の日置祐貴さんは企画意図に「1年後には全国のみなさんが田中さんのイメージは“カッコいい”と思ってもらえることを目指した」と語る。

 田中自身は

「カッコつけるのは似合わない。自分が思っていることを言って、やっていることがカッコいいと思ってもらえれば。(カッコいいイメージが芸人の)武器になるのか、邪魔になるのかはわからない。ここまできたらいつでもカッコ悪くもカッコいいにもなれるので無理はしない。自然とそうなる番組にしたいです。

 芸人になると決めたときに、いい時間帯で冠番組をやりたいと思って広島から出てきたので、それが叶った番組です。試行錯誤しながら人気番組にするのが次の目標です。

 僕がゴールデンタイムの番組でMCをやるというだけで目新しいと思う。そういう興味本位でも見てほしいです」

 手ごたえと新風を吹き込む。

(コラム1)

陸上部の顧問に呼び出されました



 田中自身が呼び出された経験については「中学生のときに陸上大会にメンバーがそろわないことがあって、みんなの前で“今回はどうせダメだから”と言ったことを顧問の先生に呼び出されて怒られました。士気を下げる発言だったと反省して、ぐうの音も出なかった。そういう経験がないと、うかつに発言する人間に育っていたかもしれないのでありがたかったです」


(コラム2)
楽屋での過ごし方を公開




 寝転がって両足を上げるポーズを披露。「楽屋でやることのひとつが腹筋。回数は2回(関係者、爆笑)。必ずやるのがいいんです。猫背なので寝転がって背中を平らにもしています」

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cat_oa-shujoprime_issue_f4c38bea7edd oa-shujoprime_0_95vo2v2z5xbi_大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶” 95vo2v2z5xbi 95vo2v2z5xbi 大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶” oa-shujoprime

大坂なおみの母・環さんが明かす“父親との断絶”

2022年5月15日 17:00 週刊女性PRIME

大坂環(たまき)さん

「当時の私たちには、本当に何もなかった。光が見えないトンネルの中にいるような感覚で、手探りで前に進もうにも、壁にはトゲトゲがあって触れると痛みを感じる。でも、とにかく前に進むしかなかったんですよね」

大坂なおみの母が明かした過去


 トンネルの中にいた──。そう自らの過去を微笑しながら振り返るのは、大坂環(たまき)さん。テニスの4大大会(グランドスラム)のうち、全米オープン、全豪オープンを制したプロテニスプレーヤー・大坂なおみ選手(24)の母親だ。

 今ではトッププレーヤーとして知られる大坂なおみ選手だが、成功までは紆余曲折の連続だった。その日々を、最も近くで見つめてきた環さん。冒頭の言葉にあるように、順風満帆とは程遠かったという4人家族で歩き始めた時代。夫であるマックス(本名レオナルド・フランソワ)さんと暮らすフロリダの自宅から、家族との向き合い方、そして“光”の見つけ方を語ってくれた。

「人生って本当にどうなるかわからない。もし、グランドスタッフとして空港で働いていたら、違う人と結婚して、違う人生を歩んでいたんだろうなって」

 優しく微笑みながら、空港内で働く地上職のスタッフ(グランドスタッフ)になりたかったと、環さんは打ち明ける。

 環さんの生まれは、北海道根室市。日本の本土最東端である納沙布岬を有する、北海道の東の果て。「とても保守的な土地で、父は自分の考えのとおりに家族を動かさないと気が済まないタイプ」と話すように、厳格な父親の存在が環さんの人生に大きな影響を与えることになる。

「高校は英語科、短大時代もずっと英語を勉強していて、航空業界で働くことを夢見ていました。しかし、父は“CAは乗客に何をされるかわからないから危険だ。グランドスタッフのほうがいい”と決めつけました。従わないと、あからさまに不機嫌になるんです(苦笑)」

 卒業旅行で行くはずだったハワイ旅行も、「女性だけでハワイに行くのは危ない」という鶴ならぬ、父のひと声で強制キャンセルに。代替案として後日、家族でポルトガル・スペイン旅行に行くものの、旅先でグランドスタッフの試験日が前倒しになる一報が入り、夢は頓挫した。

「普通に卒業旅行に行かせてくれていたら間に合った。あらゆることを勝手に決めてしまう父に対して、“なんで?”“どうして?”……その連続でした。父の束縛から逃れて自由になりたかったんですよね」

 夢破れた後、環さんは札幌の銀行に勤める。仕事後に出かけたお店で、後に夫となるマックスさんと出会うと、英語が堪能だったこともあり意気投合。その後、交際がスタートする─が、父親は認めなかった。そして、マックスさんが大阪へ引っ越すと、環さんは自由を求め、家出同然で彼の後を追うことに。

「父に反発したからこそ、夫と出会い、2人の子どもに恵まれ、夢をつかむことができた……あのころは若かったから、父の行為を愛情と受け取ることはできなかったけど、父のおかげで今の私があるのだと、今はわかります。人生って、どこかで辻褄が合うんでしょうね」


娘をテニス選手に! 向かった“新天地”


 姉・まり、妹・なおみ。2人の子宝に恵まれ、幸せと自由を手にした環さんだったが、その暮らしは爪に火をともすものだった。ひと間しかないアパートの一室で、肩を寄せ合う4人暮らし。

「自由には、自分たちの生活を守る責任が付きまといますよね。その責任がないと、生活を台無しにしてしまう可能性がある」

 台無しにしないためにはどうしたらいいか。あるとき、17歳11か月という若さで全米オープンを制したセリーナと姉・ビーナスというウィリアムズ姉妹の活躍を目にする。「これだ!」。マックスさんは、娘をプロのテニスプレーヤーに育てることを決意する。

 しかし、日本は一流のテニス選手に育てるための環境が乏しい。すると、彼は自身の家族がいるニューヨークへの移住を提案。悩んでいた環さんだったが、マックスさんの強行突破で渡米することになる。まりさんは間もなく5歳、なおみさんは3歳と5か月の春だった。

「人生という名の列車の同じ車両に乗り込んだひとつの共同体(ワンユニット)となって、目的地に向かって走り始めた感じです。でも、このときはその先に光が見えるのか、わからなかったですよね」

 ニューヨークの生活は、「睡眠時間は3時間くらいだった」と述懐するように、環さんが昼夜問わず働くことで支えた。マックスさんは、ニューヨークの公園で、独学ながら姉妹にテニスを教える。生計は環さん、指導はマックスさん、完全分業制だった。

「イベントに出かけたり、映画館へ行ったり……。本当はそうしたかったけど、時間もお金も余裕がなくて。リラックスできたのは、子どもたちと一緒にいるときや、家族の料理を作っている瞬間。テニスプレーヤーに育てるというモチベーションがあったから、その中から楽しみを見いだすことができたんだと思う」

 そのときを楽しむしかない。そう言って環さんは笑う。

 ニューヨークは、公園のテニスコートを無料で借りられるなど、テニスに打ち込むための環境が、日本とは比べものにならないほど整備されていた。しかし、冬場になると屋外での練習は厳しく、高額な室内コートを借りなければならない。出費がかさみ、家計を圧迫する。マックスさんと環さんは、温暖な「フロリダに住むべきじゃないか」と考え始めた。

子どものための選択をするということが、そのまま家族のためになる……。すべてがワンユニットだった。テニス選手として独り立ちできるようなベストの選択をしようって」

 といっても、物事には順序がある。ニューヨークにある商事会社で働いていた環さんも、仕事の引き継ぎなどをしなければいけないため、そう考えていた。だが、“善は急げ”のマックスさんは、突然、フロリダ移住を決行。子どもだけを連れて、フロリダに車を飛ばしてしまった。

 夫の情熱に振り回される──。「数年に1回発生するストームやトルネードに巻き込まれる気持ちですよ」と呆れる環さんに、その対処法を聞くと、

「いろいろなものをひっかきまわして、どっかに行ってしまう。残ったものからすると、“なんで? どうして?”って思うんだけど、そればかり考えていても仕方がない。

 散らかったものを1つずつ片づけるじゃないけど、今できることをやるしかないんです。また嵐がくるかもしれないと思うとやってられないけど(笑)。今を生きるのに一生懸命になると、余裕を感じる暇がなくなるけど、不満を感じる暇も一緒になくなるんです

 環さんと話していると、古きよき“肝っ玉母さん”という言葉を思い出す。

「野垂れ死にせえ」父親からの言葉に……


 テニスは、コストがかかるスポーツとしても知られる。仕事を捨てフロリダに移住したことで、生活はさらに苦しくなった。

 著書『トンネルの向こうへ』の中では、いまだに“白人のスポーツ”と見られているテニスを、アジア人が熱心に練習していることに対して人種差別的な言動を向けられたことも綴られている。心が折れそうになったことはなかったのか?

“おまえなんて、アメリカでホームレスになって道端で野垂れ死にせえ”。電話を切るとき、必ず父から言われた言葉でした。

 孫であるまりやなおみと話すときは、優しいおじいちゃんなのに、私にかわるといつも厳しい言葉を投げつけ、そのたびに私は泣いていました」

 身勝手な人生を歩む娘を、父親は許してはいなかった。

「当時は極貧で、本当に家がなくなるかもしれない状況。父の言葉は、刺青のように深く私の頭に刻まれたんです。絶対に見返してやる。父への反骨心が、私を支えていました


 メラメラと闘争心を燃やす環さんは、姉妹がマックスさんと遠征に行くときも、1人働き続けた。プロテニスプレーヤーにすべく、身を粉にして、そのすべてを捧げた。

 ときにマックスさんは熱が入るあまり、姉妹に対して厳しい指導を行うこともあったという。そんなとき、母親として娘たちとの距離の取り方はどうしていたのか?の問いに、「距離なんてない」とあっけらかんと環さんは話す。

お互い何でも言い合う関係性でした。私も疲れていたり、つらいことをしゃべったりする姿を、娘たちに見せていた。でも、2人には少し見せすぎてしまったかなって反省しています(苦笑)。子どもたちは、私の心の拠り所だったから、距離感なんてなかったんです」

 昨年、なおみさんのドキュメンタリー番組が、ネットフリックスで制作された。その中で、なおみさんは努力を続けられた理由を、「お母さんを楽にさせたかったから」と答えている。子どもたちにとっても、環さんが心の拠り所だったことは、想像に難くない。

 トンネルの中で立ち止まらずに、愚直に進み続けた結果、まりさん、なおみさんは、念願だったプロテニスプレーヤーとなる。2014年7月には、なおみさんが全米オープン女王のサマンサ・ストーサーから大金星を挙げ、光が差し込む。

 反面、まりさんは伸び悩んだ。子どもたちに才能の差が生まれたとき、親はどう接するべきか? 「とても難しい問題」と、一拍置いて話を続ける。

考え方が父親と母親は違うと思うんです。父親は、秀でているほうにより力を注ごうとする。でも、母親としては、なかなか上がれない子どもにパワーを使いたいと考える。夫からは、そのパワーをなおみに注いだほうがいいと言われたけど、私にはできなかった」

 マックスさんは、なおみさんとツアーの行動を共にする機会が増えたことで、まりさんは1人でツアーに出向くようになる。身を案じた環さんは、別途、コーチを雇い、まりさんを支えた。

「伸び悩んでいる子に寄り添うことはとても大切なこと。まりは優しすぎるところがあるんです。でも、なおみは私に似て、“負けたくない”という闘争心が強かった」

 その言葉どおり、なおみさんは勝負の世界で結果を出し続ける。そして、2018年、憧れだったセリーナ・ウィリアムズを下し、20歳でグランドスラム初優勝を果たした。それを機に環さんは確執のあった父親とも雪解けした。その後の活躍は、周知の事実だろう。

「“大坂環”として活動していきたい」


 グランドスラム初制覇を、「何年かに1度起こるストームが、また発生した感じ」と笑うが、成功を手にしたことで、家族の生活は一変。「心にぽっかり穴があいてしまった」と、環さんは披瀝する。

私たちはずっと一緒にいたから、段階的な子離れというものがなかった。なおみがロサンゼルス近郊に家を買ってうちを出ました。

 その2年後にはまりもうちから離れ、娘2人が家族と離れて暮らすようになったとき、“娘は誰かにだまされているんじゃないか?”とか“私に愛想を尽かしたんじゃないか?”とか、とても不安な気持ちになって、毎日泣いてばかりいました。今思い返しても、泣いてしまう」

 そう言って涙をぬぐう環さんの姿から子どもへの愛情が伝わってくる。大坂家の成功は、“子どもファースト”の深い愛情があったからにほかならない。

「でも、私も同じなんですよね。札幌から飛び出して大阪に行って、自分の好きなように人生を歩んできた。そう考えたとき、娘たちも自分なりに答えを出した結果なんだろうなって。かつての父の言動も、理解できるようになった。トンネルを抜けて、あのとき見えなかったものが見えてきた感じですよね」

 昨年6月、なおみさんが全仏オープンを棄権し、うつに悩まされてきたと告白した際、世間は大きなリアクションを示した。

 環さんは、なおみさんにあえて何も言わなかったという。自分からは口を出さない。子どもが何を考えているか──。「口を開けるよりも耳を開くことが大事」、環さんが心がけていることだという。

 なおみさんは、5月下旬から開催される全仏オープンに向け、トレーニングの最中。まりさんは、一線を退きデザイナーとして第2の人生を進む。トンネルを抜けた先には、新たな景色が広がった。環さんは今、何を見るのか?

“なおちゃんのママ”“大坂なおみの母”としてではなく、“大坂環”としていろいろな活動をしていきたい。私たちはワンユニットであり続けるけど、私も私の人生をもっと豊かにしていきたい」

 そう言って、にこっと笑う環さんのキャラクターは、これからは家族だけではなく、きっと多くの人に勇気を与える存在になるに違いない。


(取材・文/我妻アヅ子)

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『ダイソー』お掃除“神”アイテム10選

2022年5月15日 14:00 週刊女性PRIME

100円ショップ『ダイソー』

 100円ショップ業界最大手である『ダイソー』。同社は“安物買いの銭失い”というイメージを払拭するかのような、コスパ最高の便利アイテムを数多くラインナップさせ、多くの消費者の心を掴んでいる。

 そんなダイソーは掃除アイテムをたくさん販売しているが、種類が多すぎてどれを買うべきかと迷ってしまう人も少なくないだろう。そこで今回はダイソーを知り尽くした節約アドバイザーの和田由貴さんに、ダイソーのお掃除“神”アイテムを10つ厳選していただいた。

※以下、税込表記

『ダイソー』神アイテム1:ワイパー(スプレー付き)/110円



 はじめに紹介してもらったのは、この『ワイパー(スプレー付き)』という商品。ガラス掃除をする際、洗剤をかけてから水拭きを行うことが面倒だと感じる方もいるはず。そんな悩みを解決する画期的なアイテムがこちらだ。

「持ち手の先っぽの部分がスプレーボトルになっているワイパーです。プッシュの部分は取り外し可能で、中に液体を入れることができるので、液体洗剤を窓に吹き付けながらワイパー掛けが行えますよ」(和田さん)

 2つの工程が一気にできるというわけだ。仕組み自体はシンプルなものの、1人2役の機能を持つ便利アイテムと言えるだろう。

『ダイソー』神アイテム2:マイクロファイバーお掃除手袋/110円



 家具、家電の隙間など、掃除がしにくいところをきれいにできるアイテム。要するに手にはめれば、掃除したい箇所をそのまま手の平や指先で拭き取っていけるというわけである。

「マイクロファイバーは繊維が細かくゴミを付着させやすい素材。照明器具やブラインドなど雑巾で拭きにくい形状のものも、手の感覚でそのまま掃除できるというアイデア商品ですね」(和田さん)

 和田さんいわく、「水回りの掃除に使用することもできる」とのこと。濡らして使う場合はゴム手袋をしたうえからはめると手が汚れないのでおすすめだ。

『ダイソー』神アイテム3:加圧式霧吹き(ペットボトル用)/110円





 次に紹介するのは、ガーデニング用の霧吹きである『加圧式霧吹き(ペットボトル用)』。ガーデニング用アイテムなのだが、お掃除アイテムとして活躍する。

「ペットボトルに装着し、ポンプを押したり引いたりして圧力をかけて勢いよく霧吹きをするアイテムです。ガーデニングだけではなく、網戸やキッチン周りの掃除にも使えるので重宝しますよ」(和田さん)

 吹き出す水の勢いは強く、溜まったゴミやわずかに付着した汚れ程度であれば簡単にキレイにすることができる。掃除する箇所に直接触れる必要がないため、手が汚れずにすむというわけだ。

『ダイソー』神アイテム4:ペットボトル+スリムブラシ/110円



 サッシレールに溜まるほこりや汚れなどの掃除は手間がかかりやすい。だが、そんな悩みもこちらの『ペットボトル+スリムブラシ』が解決してくれるだろう。

「ペットボトルに取り付けて使用するブラシです。ブラシの隙間から液体が出てくるため、薄めた洗剤を入れて水洗いができるんですよ」(和田さん)

 水色のボタンを押せば液体が出て、赤色のボタンを押せば止まる仕様になっているので、自分で出す量を調整できる。このシンプルで扱いやすい仕様も嬉しいポイントだ。

『ダイソー』神アイテム5:曲がるタイルブラシ/110円



 浴室のタイルなどが凹凸のある形状だと、きれいに掃除するのも一苦労。だがこの『曲がるタイルブラシ』があれば楽に汚れを落とせる。

「本品は柔軟性に優れており自在に曲げることができます。浴室のタイルや溝の凹凸、角の掃除しにくい部分も簡単に掃除できますね」(和田さん)

 その他にも車のタイヤや壁の汚れなどにも対応可能。かなり柔軟に曲がるので、手にあまり力を入れずにゴシゴシ洗えるのも便利だ。

『ダイソー』神アイテム6:髪の毛くるっとキャッチ/110円



 浴室の排水溝に髪の毛が詰まったときの掃除は、不衛生に思えて生理的に苦手という方は多いだろう。だが、この『髪の毛くるっとキャッチ』を使えばその手間を大幅に減らすことができる。

「本品は独自の渦巻き形状のため、目皿の中心に髪の毛が集まる仕組みになっています。排水溝の掃除が格段に楽になるアイテムでしょう」(和田さん)

 溜まった髪の毛は目皿を逆さにすれば、簡単に処理できる仕様になっている。直接髪の毛を触る必要がなくなるため、排水溝の汚れが苦手な方はぜひ試していただきたい。

『ダイソー』神アイテム7:キッチンブラシ(PUSH WASH)/110円



 次は、購入者から“洗剤の継ぎ足しが不要”“きれいに泡立つ”といった声があがっている、水周りに便利な『キッチンブラシ(PUSH WASH)』。

「ディスペンサー付きのブラシです。上にあるボタンを押すと液体が出てくるので、洗剤を薄めた水を入れて常備しておけば、いつでも手軽に掃除ができます」(和田さん)

『ダイソー』の公式サイトによると、「フライパンやザルの他にも、襟袖ブラシやタイルブラシ」に使用できるとのことでその用途は広そうだ。

『ダイソー』神アイテム8:ジェルクリーナー/110円



 パソコンのキーボードの隙間にはいつの間にかゴミやほこりが溜まっていくもの。そんなとき、この『ジェルクリーナー』を使えば隙間にある取りにくいゴミも取り除ける。

「スライムのような柔らかいジェルとなっていて、隙間に入ったゴミをくっつけて取ることができるアイテムになっています。キーボードのみならずリモコンなどの機器のゴミも取り除けるんです」(和田さん)

 粘着力が高く、隙間に深く侵入してくれるジェルなのでとても便利。使用後は乾燥を防ぐため、しっかり密閉しておこう。

『ダイソー』神アイテム9:隙間らくらくハンディワイパー/110円



 続いて紹介するのは、床などの掃除をする際に重宝するワイパーを、細かい隙間にも対応させた『隙間らくらくハンディワイパー』。

「フローリングシートを挟んで使う隙間用の掃除アイテムです。家具の間や冷蔵庫の下など手が届かない範囲まで届くので重宝しますね」(和田さん)

 隙間が狭くて掃除できない……なんて悩みもこの商品があれば問題なし。平たい形なのでたいていの隙間に入っていけるのだ。

『ダイソー』神アイテム10:電子レンジ洗浄剤/110円



 電子レンジの中は汚れやすく、なおかつ匂いが残りやすいものだが、『電子レンジ洗浄剤』は電子レンジの内部を掃除できるという便利なアイテムだ。

「洗浄剤を染み込ませたスポンジを電子レンジで温めて掃除するアイテムです。洗浄剤の蒸気によってしつこい油汚れを浮かせて落しやすくなり、匂いもすっきりしますよ」(和田さん)

 汚れと匂いを同時に落とすことができるというわけか。使用前に電子レンジで温めるだけという手軽さもポイントだ。


*  *  *


 暮らしに役立つ商品を販売しているダイソー。節約アドバイザーの和田さんがおすすめしてくれた商品は、お掃除の際にあると便利なものばかり。気になった方はぜひ購入してご自身でその実力を体感していただきたい。

PROFILE●和田由貴●消費生活アドバイザー、家電製品アドバイザー、食生活アドバイザーなど、幅広く暮らしや家事の専門家として多方面で活動。また、環境カウンセラーや省エネルギー普及指導員でもあり、2007年には環境大臣より「容器包装廃棄物排出抑制推進員(3R 推進マイスター)」に委嘱されるなど、環境問題にも精通している。2人の子を持つ節約主婦でもあり、日常生活に密着したアドバイスが得意。

(文=文月<A4studio>)

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業務用マッサージチェア「あんま王」人気の秘密と“進化の10年”

2022年5月15日 11:00 週刊女性PRIME

業務用マッサージチェア「あんま王」

 スーパー銭湯などの温浴施設でよく見かけるマッサージチェア。今年で発売10年を迎える「あんま王」シリーズは運転音が非常に静かなことから、ネットカフェやコワーキングスペースなどでの活用も増えている。「あんま王」の企画・開発を行う日本メディックの前代表取締役で現会長の城田裕之氏(以下、裕之氏)によると、「あんま王」発案のきっかけは、2011年の会社倒産の危機にあったという。

マッサージチェア「あんま王」の発端


「もともと私はマッサージチェアなどの健康器具を温浴施設などに設置・運営する事業を行っていましたが、仕入れ先メーカーの販売方式の変更などで事業が立ち行かなくなり、民事再生の適用を申請。会社を継続させるためにはこれまでのやり方を変えるべきだと判断し、マッサージチェアを自社開発することにしました

 当時、国内の業務用マッサージチェアは家庭用をベースに製造されたものだったが、使用する現場では不特定多数の人が頻繁に利用するため不具合も多かった。部品の消耗スピードが速く、故障頻度も高い。

 そのため、機械の休止中、導入施設は売り上げが立たないリスクがあり、運営事業者は故障時用の代替機を備えるなどの負担があった。

 前事業の経験から、裕之氏はこうした課題をクリアにし、全国で築いた同業者のネットワークが持つ悩みも解決できる、業務用に特化したマッサージチェアの開発を目指した。

 しかし、一から独自の業務用マッサージチェアを開発するには膨大な時間とコストがかかる。そこで、まずはベースとなる機種を探し、それをもとに開発を進めることにした。

“乗ってみたい!”そう思わせるには


 ところが、ベースとなる機種を持つ協力企業を探すも、“壁”にぶつかった。民事再生の適用直後でメーカーとしての実績がないため、提案を受け入れてくれる企業が見つからなかったのだ。

「ようやく相生電子が協力してくれることになり、同社とともに中国の工場を6社ほど回りました。背中の皮が擦りむけるまで試乗を繰り返しながら、ベースとなる機種を絞り込んでいったのです」(裕之氏)

 さらに裕之氏は国内の同業者から「業務用として選ばれる条件」「設置運用する中での課題」をヒアリング。これらの意見を取り入れ、ベースの機種に「家庭用機器にない大きなサイズ」「乗ってみたいと感じる豪華なフォルム」や「メンテナンスのしやすさ」などの要素を加え、2012年、業務用に特化した初号機「あんま王」が完成。

「もっとも苦労したのは耐久性です。完成後も利用中に支障が出たポイントを1年半かけて微修正。さらに消耗しやすいパーツを簡単に交換できる設計にし、導入施設のメンテナンス費用を抑えるよう工夫しました」(裕之氏)

 その後も「あんま王」シリーズは最新機「あんま王Ⅳ」まで10年間にわたり、業務用に特化した性能を追求。2021年にITコンサルタントの経験を持つ城田充晴氏(以下、充晴氏)が新社長に就任したことで、IoT(インターネットにつなぐことで処理や分析、連携などを可能にすること)の導入にも成功。設置運営や導入する側の負担も大幅に軽減した。


 マッサージ機能面では、エアーメカ部分の圧力を細かく調整できるようにし、旧機でマッサージが行き届かなかった部分へのアプローチを追加。

「あんま王Ⅳ」ではフルフェイスシールドを搭載し、プライベート空間を演出。コロナ禍では抗菌・抗ウイルス対策として無光触媒加工を施し、安心して利用できるようにしている。

「マッサージチェアの耐久テストは一般的に1000時間程度のところを『あんま王』は2500時間行い、壊れにくさを実現しています。また修理対応の速さも当社の特長。機械である以上故障は避けられませんが、業務用の場合、故障中=売り上げゼロに直結してしまいますので、翌日か翌々日には復旧する体制を整えています」(充晴氏)


 現在、「あんま王」の初号機は廃盤となり、現行モデルは「あんま王Ⅱ」と「あんま王Ⅳ」。そのほか、靴のまま乗ることができるマッサージチェア「快王」は、通常リクライニングすると高さが140㎝になるところを100㎝に抑えられる製品。風営法上、見通しを妨げる設備は設置できないパチンコ店で喜ばれている。腕もみ機能を省いて幅を狭くした「あんま王S」も、コンパクトサイズで狭い場所にも設置でき、喜ばれている。

待ち時間の活用法にマッサージを


 日本メディックでは代理店39社と協力しながら「あんま王」シリーズの設置先を開拓、活用シーンを広げている。

「2012年の『あんま王』発売当初は導入先の8割近くが健康ランドやスーパー銭湯などの温浴施設。またパチンコ店やフィットネスクラブなど娯楽・スポーツ施設への導入も1割ほどありました」(裕之氏)


 2015年ごろから大型ショッピングセンターなど商業施設での導入も少しずつ始まった。2016年以降は大型コインランドリーや自動車整備工場、空港などでも導入。いずれも来場者に待ち時間を有効利用してほしいという施設側の要望によるものだった。

 こうした「スキマ時間」の活用を目的に導入されるケースはその後も急増。2018年には全体の3割近くにのぼり、最近では新幹線の待合室などにも設置されている。さらに2017年からはネットカフェやレジャー施設でプラスアルファのサービスとして設置され、2021年には全体の3割を占めるほどに。また現在はコワーキングスペースでの導入も増加中だ。

 なお「あんま王」シリーズは人の手で行うマッサージ店の店舗に置かれることもあるというから意外だ。

「じっくり手もみしてほしいと思っている人がいるいっぽうで、機械で短時間でマッサージしてもらいたい人もいます。目的が違うのでお客を取り合うこともありません。『あんま王』を置くことで集客につなげていただいています」(充晴氏)

 地域別の導入件数はほぼ人口に比例。利用金額は施設によって異なるが、「あんま王Ⅳ」の場合は12分200〜500円程度。ちなみに「あんま王Ⅳ」30台を導入している沖縄のショッピングモールでは、行列ができるほどの人気で、月間で数百万円を売り上げたという。


 記者も「あんま王Ⅳ」を実際に試してみた。座ると、深く広い座面に身体がふんわり包まれるような安心感。フェイスシールドにより人の視線や雑音も気にならない。背面だけでなく座面も一緒に倒れるリクライニングで、体勢がとても楽。首筋から肩、背中、腰、お尻、脚の付け根、ふくらはぎ、かかと、足の裏まで全身を満遍なくもみほぐし、思わずウトウトしてしまうほどだった。

 日本メディックは今後も「あんま王」シリーズの機能向上を追求しながら、超高齢社会へと進む日本において、マッサージチェアの利用拡大を通して健康増進のサポートを目指していくという。時代に合わせて進化し続けるマッサージチェアの今後が楽しみだ。

<取材・文/野中真規子>

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