疾走する0系新幹線
今年は、国鉄の分割民営化、JR誕生から30年目の節目である。その節目を前に、昨年上場を果たしたJR九州や、黒字経営を続ける本州3社、鉄路の維持が困難になったJR北海道など、JR各社の成果や直面する問題が話題になった。30年が経ち、JR北海道の経営問題が深刻なこともあって、かつてほど国鉄改革は賞賛されなくなった。しかし、それでも国鉄改革の意義が損なわれるものではない。
国鉄時代には、債務が雪だるまのように膨れ上がり、労使関係は最悪となり、利用者を無視したストライキが頻発した。サービスレベルは最悪で、国鉄が誇る鉄道技術も進歩が止まった。
ところが、この状況は分割民営化によって一変する。国鉄債務の多くが国鉄清算事業団に承継されたこともあるが、JRの本州3社は黒字経営に転じて、税金を納める企業になった。社員のサービスレベルも格段に向上し、新幹線はスピードアップした。
今年は、あまり取り上げられていないが、国鉄改革への恨みを含んだ書籍『飛躍への挑戦』も出版された。しかも、その著者が「国鉄改革3人組」の一人である葛西敬之氏(JR東海 代表取締役名誉会長)というのだから、国鉄・JRの闇の深い。
国鉄改革3人組が果たした役割
「国鉄改革3人組」とは、国鉄が分割民営化に反対する中で、分割民営化以外に道はないとの信念を持ち、国鉄の“青年将校”となった人物である。具体的には、のちにJR西日本の社長となる井出正敬氏、JR東日本の社長となる松田昌士氏、JR東海の社長となる葛西敬之氏だ。
鉄道の世界は、業務の性質上、上意下達が強い。上層部の意向に逆らう動きは、まさに二・二・六事件の青年将校に匹敵する。松田氏などの改革派は、一度は左遷までさせられた。国鉄改革とはドラマチックな物語である。
しかし、国鉄改革後には別の物語がある。
国鉄本社で改革を担った若手幹部たちは、国鉄が終焉を迎えると、それぞれJR各社に分かれていった。ただし、ランダムに異動先が決まったのではない。
国鉄の職員局は、葛西氏、松本正之氏、山田佳臣氏と、JR東海の歴代社長を輩出する。職員局は労使問題や社員の処遇を扱う部署で、このメンバーがJR東海の中心を担った。
一方で、政府が(国鉄民営化の立案を担う)国鉄再建監理委員会を発足させると、国鉄側では経営計画室が窓口になった。経営企画室の審議役だった松田氏や、彼に従う経営企画室の面々は、分割民営化によりJR東日本に転じている。さらに、国鉄再建監理委員会の委員の一人である住田正二氏は、JR東日本の初代社長になった。
葛西氏によれば、《職員局は昭和六〇年八月から直ちに要員、労務の総力戦に突入しており、路線や資産の分割は再建実施推進本部に任せきった形だった》(『飛躍への挑戦』より。以下同)という。つまり、葛西氏などの職員局メンバー(JR東海の中心メンバー)が関与しない中で、国鉄の分割が決められたと言う。それ自体は問題ではないが、JR東海の葛西氏にとっては、この国鉄分割が大きな不満だった。その最大の問題が、「新幹線保有機構」である。
国鉄再建監理委員会は、新幹線設備(東海道、山陽、東北、上越)をJR各社に承継させず、新設の「新幹線保有機構」に承継させた。国鉄再建監理委員会の資料によると、東海道新幹線の営業利益率は7割にもなるが、東北新幹線、上越新幹線は赤字だった。そこで、新幹線設備を「新幹線保有機構」に承継させて、JR各社には、新幹線の利用度合いに応じた使用料金を負担させたのだ。巧妙な仕掛けだが、要は、東海道新幹線の利益を、東北、上越新幹線にまわす仕組みである。
葛西氏に言わせれば、《最強の収益源である首都圏の国鉄路線を引き継ぐJR東日本に経営資源を極力集中して国鉄本社的な機能を持つ「ハブ会社」》にする構想があり、それに従って資産分割が決められたという。「新幹線保有機構」も、JR東海からJR東日本への内部補助である。
注目したいのは、このような陰謀めいた話を、部外者の評論家ではなく、「国鉄改革3人組」の一人が主張していることだ。
たしかに、JR東海は首都圏では非常に限られた土地しか承継していない。特に品川駅周辺では、新幹線の海側(在来線とは反対側)の非常に細い土地までがJR東日本の土地となった。JR東海にすれば、他社の土地に挟まれる形である。これが、東海道新幹線の品川駅を開業させるときに大きな支障となる。ちなみに、JR東日本が承継した田町の車両基地は、上野東京ラインの開業によって転用が可能になり、山手線の新駅とともに、本格的な街づくりが始まった。
JR東海は、国鉄の資産分割や新幹線保有機構に恨みを抱いたまま発足した。東海道新幹線の運行権は与えられたものの、JR東日本とは違い、関連事業を立ち上げる余地は乏しい。あたかも、東海道新幹線の利益で(JR東日本の)東北・上越新幹線の債務を払い続ける宿命を負ったようだ。
しかも、《住田氏と一部の運輸官僚が「新幹線保有機構」を打ち出して東海道新幹線の自家薬籠に収め、それに対抗して国鉄の「宮廷革命」グループが「JR東日本ハブ会社」を構想した》と、その怒りはJR東日本に転じた人たちに向けられる。
一方、JR東日本にとっては国鉄改革が原点であり、国鉄分割のスキームを蒸し返すことなど断じて許すことができない。東海道新幹線の品川駅開業がこじれたのも、このような背景で、JR東海とJR東日本の関係が最悪な状態になったためである。
これらの問題は、現実的なところで決着していく。
新幹線設備は、新幹線保有機構の発足から3年後にJR本州3社が買い取ることになった。上場を前に、各社の新幹線債務を確定させたのだ。
ただ、JR東海が半分以上の債務を背負ったため、同社には遺恨となった。いずれにせよ、これによって新幹線保有機構は消滅した。
東海道新幹線の品川駅は、JR東海とJR東日本の激しい対立を経て、2003年にようやく開業した。東京西部から東海道新幹線へのアクセスは大幅に改善し、東海道新幹線の利用客も大幅に増えた。同時に「のぞみ」中心のダイヤに一気に移行したのである。
国鉄改革から30年。JR東日本の住田氏、松田氏などは経営から離れて久しいが、JR東海の葛西氏だけは、今でも「代表取締役名誉会長」という特殊な肩書で留まっている。その彼が、国鉄改革の恨みを書籍に残し、住田氏や松田氏を名指しで批判した。最後まで残った国鉄改革の当事者として、積年の恨みを晴らしたようだ。
葛西氏がJR東海に留まり続けることには、多くの疑問の声が寄せられている。しかし、《「宮廷革命」世代が一線を去った現在では、両社の関係は本来あるべき相互補完関係に回帰している》とまで言い放つ。遺恨のあるJR東日本の創業メンバーが去り、さぞかし溜飲が下がる思いではないかと推察する。
文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。