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《福岡エアガン虐待》友人が語る、逮捕された夫婦の「密約」

2019年11月19日 04:00 週刊女性PRIME

地域の祭りなどにも積極的に参加し、明るい性格だったという雅則容疑者(右)と藍容疑者 

「3年前に次男が亡くなったときには夫婦ともに泣きじゃくっとったのに、去年の三男の葬式のときには2人とも笑っとった。“頭がおかしいんじゃないか”“クスリでもやっているんじゃないか”と、みんなゆうとった」

 と容疑者夫婦の友人は1年前の2人の様子を証言する。

まじめな青年ではなかった


 その三男の唯雅ちゃん(当時1)をエアガンのBB弾で何十発も撃ちまくった傷害の疑いで11月6日、福岡県警は同県田川市の常慶雅則容疑者(24)と、妻の藍容疑者(24)を逮捕した。

 唯雅ちゃんはすでに昨年12月に肺感染症で死亡しているが、その身体にエアガンで撃ったと思われる傷痕が無数にあったため捜査は水面下で進んでいた。

 雅則容疑者は「長男が遊んで撃ったもの」と主張していたが、複数所持していたエアガンの重さは1キロ~5キロ。引き金も重くて、とても3歳(当時)の長男が扱えるシロモノではなかった。

 唯雅ちゃんの死因は肺感染症なので、今回の容疑との因果関係は不明だが、捜査はそこまで及ぶのだろうか─。

 福岡市の中心地から2時間ほどの元炭鉱町の公営住宅に住む常慶一家の評判は、決してよくない。もともと雅則容疑者の両親が住んでいた。

「父親は市役所の土木関係の仕事を個人で請け負っとった。でも、20年前に両親が離婚。母親は雅則の姉を連れて出ていきよったと。雅則は高校のときだったか、何かをやらかして停学になったと聞いとるけど、決してまじめな青年じゃなかった」(団地の住人)

 シングルファーザーに育てられた雅則容疑者は高校を出たあと、地元の私立大学に入学。そのころ自動車学校で出会ったのが、介護士をしていた藍容疑者だった。やがて2人は隣町で同棲を始めるが、すぐに長男が生まれた。

「デキ婚だったので、2人は雅則容疑者の父親が住む団地に転がり込み、雅則容疑者は大学を中退。お父さんの仕事を一緒にするようになったとよ」(先の藍容疑者の友人)

 夫婦には計5人の子どもが次々と生まれたが、3年前に次男が窒息死、2年前には雅則容疑者の父親が病死すると、容疑者は仕事への意欲を失ったようだ。

「子どもさんが、冬でも半袖、半ズボンでね。服も買えないほど金に困っていたのかも。お父さんが大型バイクで出かけるのを長男が見送ったまま、ずーっと半袖、半ズボンでそこで待っとってね。“寒いから中に入らんね?”と言うと、“ここで待ってる”って」

 と近所の主婦。生活面のことを市の子育て支援課に問い合わせると、

「生活保護は支給していません。でも、出産のときの一時祝い金や、児童手当などは出ていますが、金額はプライバシーに関わることなので」

衝撃的なツイート


 先の藍容疑者の友人は、こうあきれ顔だ。

「もしかしたら、父親の保険金が入ってたのかもしれんが、金には苦労してたようです。でも、夫婦そろって酒が好きで、1人1日にビールを6~7本飲んでた。

 それに、子どもを毎年のようにつくっとるし、わけがわからん。藍は“ピルを買いたいけど、産婦人科に行くにも金がいる”と結局そのまま」

 そんな一家だったせいか、行政からの見守り対象になっていたという。

 雅則容疑者の暴力もひどかった、と話すのは友人。

「ダンナは付き合い始めたころから、藍を殴る、蹴る、引きずるなどのDV(家庭内暴力)があって、それが加速していったと。殴られて家を飛び出すけど、ダンナが迎えにくると、すぐ帰るけんね」

 子どもをよそに預けていて、夫婦で迎えにくるとき、藍容疑者はボコボコに殴られて歩けない状態だったことも。それで雅則容疑者が妻をおぶって来ることもあったとか。

「でも、藍もスーパーで子どもをカートに入れて押しているときにわざとひっくり返して、子どもを叩いている姿を目撃した友達もおると。子どもが道をトロトロ歩きよって、それを蹴りつけよったところも見られとる」(同・友人)

 別の友人は衝撃的な話を持ち出した。

「彼女のツイッターは現在、閉鎖されとるとですが、そこに飼っとるハムスターのことを書いとった。“雄が雌の顔を半分喰ってしまった。酷いけど、もっと人間のほうが酷いのかも”って。自分たちがやった虐待のことだと思ったですよ」

指をミルクがわりに


 藍容疑者の生い立ちをたどると、雅則容疑者同様に、小さいころに父親と母親が離婚。

 父親は仕事で忙しかったため、祖父母と曾祖母に育てられたそう。

「曾祖母が認知症で、その世話もやっとった。そんな環境で育ってきたから、彼女は中学校を出たあと介護士になったとです。そういう、ホントに優しい子だから」(同級生)

 このことは、先の友人たちも一様に認める。ところが、雅則容疑者との出会いで、変わってしまったようだ。

「私たちが“DVするようなやつとは別れなよ”と言うと、黙るようになった。そして、私たちのほうから遠ざかっていったんです。藍の父親に助けを求めればよかったんでしょうが、ケンカっ早い父親はダンナを半殺しにしかねないから、言えんかった」(別の友人)

 次男が亡くなったときも、「寝返りがうてんかったから、窒息死した」と言っていたという藍容疑者だが─。

「死に顔は鼻がつぶれとって、もう見られんやった。生後数か月の子どもは、首も据わっとらんし、寝返りうてんのは当然たい。親がやってやらんと。酒を飲んで、そういうのもせんかったんやないかと。“ミルクのかわりに指をなめさせとる”なんて話しとったよ」(同・友人)

 そんな藍容疑者について別の友人は、こう結論づける。

「藍は子どもを持っても母親じゃなくて、女のままやったとです。結局、ダンナがイケメンやし、藍のほうが惚れとったから。だから、DVにも耐え、洗脳、依存みたいになってね。男で道を間違えた。たぶん、こんなことになっても、離婚はせんでしょう」

 冒頭の友人は、夫婦間にはある“密約”が存在していたとの証言をする。

「唯雅ちゃんの虐待のことがバレた場合、“すべて藍ひとりでやったことにする”という約束だったんです」

 藍容疑者は、このままその約束を守り通すつもりなのだろうか……。

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cat_oa-shujoprime_issue_e1c0945443ad oa-shujoprime_0_5o8l9p2yzu06_ひろゆき「遅刻しても成果出せればいい」発言が支持される理由 5o8l9p2yzu06 5o8l9p2yzu06 ひろゆき「遅刻しても成果出せればいい」発言が支持される理由 oa-shujoprime

ひろゆき「遅刻しても成果出せればいい」発言が支持される理由

2022年7月2日 21:00 週刊女性PRIME

 世の中には「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」だけでなく、「ヤバい男=ヤバ男(ヤバダン)」も存在する。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、芸能人や有名人の言動を鋭くぶった斬るライターの仁科友里さんが、さまざまなタイプの「ヤバ男」を分析していきます。

ひろゆき氏(2011年)

第24回 ひろゆき


 インターネット掲示板「2ちゃんねる」の開設者で実業家のひろゆき氏が、6月19日放送の『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)にリモート出演し、仕事に遅刻したとしても「成果さえ出せればいい」「たとえば、成果をまったく出していない人が時間どおり来ても“売り上げが立っていないからいらないよね”って話になっちゃう。能力のない人ほど、遅刻しない自分がすごいって言いたがる」と発言したことが波紋を広げています。

 ひろゆき氏の発言を受けて、『Smart FLASH』は6月24日に《ひろゆき「遅刻しても成果さえ出せればいい」を論破する有吉弘行の“横綱相撲”…生き残るのは遅刻せず結果出す人》というタイトルの記事を配信。レギュラー番組を多数抱える売れっ子・有吉弘行が決して遅刻せず、1時間前に現場入りすることもざらだと書かれていました。

職種の違うひろゆきと有吉弘行は単純に比較できない


 確かに遅刻はしないほうがいいと思いますが、ひろゆき氏はテレビを主戦場とするタレントではありませんから、有吉と単純に比較することはできないように思うのです。彼は日本有数のインフルエンサーであり、著述家としても成功し、実業家でもあります。「今のひろゆき氏なら」遅刻をしても許されるのではないでしょうか。

『Smart FLASH』の記事を受けて、ひろゆき氏は《有吉さんがタレントとして凄い人だとしても、誰かの機嫌を伺って自分の人生の時間を切り売りして、時給で働いてる人という枠の中なんですよね。それが好きな人は成果より時間厳守でいいと思います(後略、原文ママ)》とツイートしています。

 さすが日本を代表するインフルエンサー。いつも発言の中に無能とか成果とか無駄とかお金という、ネット民が食いつく言葉を随所にちりばめています。意見をいう時に大物の名前を挙げてその人を下げるのも、“ネットしぐさ”と言えるのではないでしょうか。遅刻のよしあしについては、おのおのの会社や職種で判断することですが、私が見逃せないと思ったのが、彼の言う極端な二択なのでした。


極端な二択を迫る「二分法の誤謬」は世にあふれている


 ひろゆき氏は「遅刻しても成果を出せる人」と「遅刻しないで、成果をまったく出していない人」をくらべたツイートをしています。これって、よく考えるとヘンだと思いませんか? 世の中には遅刻をする人としない人がいて、成果を上げられる人と上げられない人がいます。ということは、

(1)遅刻をするが、成果を上げられる人
(2)遅刻をするが、成果を上げられない人
(3)遅刻をしないで、成果を上げられる人
(4)遅刻をしないで、成果を上げられない人


 の4パターンにわけられるわけです。しかし、ひろゆき氏は(1)と(3)の極端な例だけをあげています。選択肢が他にもあるのに、あえて選択肢を2つに狭めることを、心理学では「二分法の誤謬(ごびゅう)」と呼んでいます。

 誤謬とは「間違えること」や「間違い」という意味の言葉です。多くの人にとって「二分法の誤謬」は耳慣れない言葉ではあるでしょうが、実は世の中のここかしこにあふれています。

 女子が脱毛を怠っていたら、彼氏にフラれてしまったというような動画広告を見たことがある人は多いのではないでしょうか。ああいう広告は暗に「脱毛せずにフラれるか、脱毛して円満かを選べ」と二択を迫っていると言えるでしょう。彼氏とうまくいっていない自覚がある人や、自分に自信がない人ほど「脱毛しないとフラれちゃう!」と思いこんでしまいそうですが、冷静に考えてみれば、脱毛したってフラれる可能性があることに気づくはずです。

「二分法の誤謬」は選択肢が少ないために、情報の受け手が極限状態に追い込まれ、自分に不利な判断をしてしまうとされています。また「二分法の誤謬」に触れると、自分も「敵か味方か」「成功か失敗か」というような極端な解釈をするようになるとも言われています。

 職場でも友達や恋人関係でも、誰かと一緒にいれば時々イラっとすることはあるでしょう。そんなときに「敵か味方か」というような極端な二択思考を持っていると、周りがすべて敵に見えてきたり、「誰も自分の味方ではない」と孤独に陥ってしまうのではないでしょうか。こんな時は周囲に助けを求めてほしいものですが、二択思考の人は周囲に何か言われると「説教してきたから、敵」とますます自分の殻にとじこもってしまう可能性があります。「二分法の誤謬」は情報の受け手に悪影響を及ぼすのです。

孤独を感じている人、自信がない人に発言が刺さっている


 ひろゆき氏は遅刻に関していろいろ思うところがあるのか、《行列が出来てるラーメン屋と並ばないで入れるラーメン屋を見た時に、待たされる方を選ぶ人が日本人には多いので、わざと行列を作る店とかあったりします。飲食店の行列に並んだ事のある人は時間を守るよりも成果を優先しています(後略、原文ママ)》とツイートしています。よく意味がわかりませんが、おそらく「自分が気付いていないだけで、時間を守るより成果を優先している人はたくさんいる」と訴えたいのではないでしょうか。そのあたりの真偽はともかくとして、「行列のできるラーメン屋」のたとえを持ってくるあたりが秀逸だなと思いました。


 Aというラーメン屋には行列ができているけれど、お隣のBというラーメン屋は並んでいる人がいない。みなさんはこの2つの店をみて、どちらがおいしい店だと思いますか? おそらくAだと思う人が多いのではないでしょうか。これは典型的な「バンドワゴン効果」と呼ばれるバイアス(思い込み)で、「自分が選ぶより、みんなが選ぶもののほうが正しい」「メジャーなもの、人気を集めるものをいいと思ってしまう」という心理が隠れていると言われています。つまり、みんなが並んでいるからという理由でラーメン店Aを選ぶ人は自分に自信がない人とも言えるのです。

 6月23日に放送された『仕事とお金のマジメな話』(テレビ朝日系)にリモート出演したひろゆき氏は、就職倍率600倍の商社で働く女性の仕事ぶりを見て、「すげー時間の無駄だな」とコメントしていました。誰に対しても忖度なく切り込むひろゆき節を期待されてのオファーでしょうから、きちんとお仕事をしたと言えるのでしょう。しかし、ポイントはもう1つあるように思えるのです。入りたくても入れない人気企業の人にひろゆき氏がバッサリ行くことで、溜飲を下げたり、痛快だと思う視聴者も少なからずいたのではないでしょうか。

 知らず知らずのうちに「二分法の誤謬」にとらわれ孤独を感じている人、就活がうまくいかず、人気企業に入れなかった人、自分に自信がない人。こんな人がいる限り、ひろゆき氏の人気は安泰と言えるのかもしれません。


<プロフィール>

仁科友里(にしな・ゆり)

1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」

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cat_oa-shujoprime_issue_e1c0945443ad oa-shujoprime_0_660gi8pan9av_「エンバーマー」遺族の願いを叶える魂の“おくりびと” 660gi8pan9av 660gi8pan9av 「エンバーマー」遺族の願いを叶える魂の“おくりびと” oa-shujoprime

「エンバーマー」遺族の願いを叶える魂の“おくりびと”

2022年7月2日 20:00 週刊女性PRIME

真保健児さん 撮影/齋藤周造

 コロナ禍が葬儀にも影響を及ぼす中、「エンバーミング」が今、注目を集めている。遺体に消毒、防腐を行い、きれいに修復して長期間の保全を可能にする特殊技術だ。その資格保有者のひとりであり、「葬送のプロ」からの信頼も厚い真保健児さんは、死を見つめ、遺体と向き合い、エンバーミングを通して遺族に寄り添い続けてきた。JR福知山線の脱線事故の際にも実施された、知られざる「おくりびと」の世界に迫る!

最長で50日間衛生的に保全可能


「エンバーミング」という言葉をご存じだろうか。遺体を修復し、特別な防腐処置を行うことで長期間の保全が可能になる技術のことだ。葬儀サービスのひとつで、日本語では「遺体衛生保全」と訳されている。

 通常、遺体はそのままにしておくと腐敗が進行してしまう。それを防ぐには、ドライアイスや保冷庫を使う方法が一般的だが、長期間の保全は難しい。ところがエンバーミングをすることによって、なんと最長で50日間も遺体を衛生的に保全できるという。

 一般社団法人『日本遺体衛生保全協会』(以下、IFSA)によると、エンバーミングの実施件数は近年、増加傾向にある。2021年には5万9440件に達し、2010年の2万1310件から倍以上となった。しかし一方で、故人を「きれいな姿で送ってあげたい」という思いがあっても、その方法がわからない遺族もいまだに少なくない。


 関東地方に住んでいた高齢男性の遺族の場合も、そうしたケースのひとつ。亡くなった男性は自宅でひとり暮らしをしていた。男性の娘をはじめ家族が頻繁に会いに行ったり、連絡をとったりしていたが、たまたま連絡できない日が続いた。その間に、不幸にも男性はひとりで亡くなってしまったのだという。



「娘さんは、しばらく会いに行けなかったことを悔やんでいました。ご遺体の状態がかなり悪かったのですが、“いちばんいい方法で、きれいな状態で送ってあげるにはどうしたらいいか”と相談されたのです」

 そう話すのは、エンバーミングを行う技術者、『エンバーマー』の真保健児さん(49)だ。日本では現在、エンバーミングの資格保有者は250名前後といわれている。そのほとんどが葬儀社に勤務する中、真保さんは独立系のエンバーマーとして、これまでに1500人以上にエンバーミングの処置を行ってきた。



「亡くなった男性のご遺族はエンバーミングについてご存じありませんでしたが、詳しく説明し、ケアをさせていただくことになりました」

 故人は生前、「自分が死んでも葬式はいらない。お金をかけるな」と言っていた。その思いを酌んで葬儀は行わなかったものの、「これだけはしてあげたい」と、遺族は真保さんにエンバーミングを依頼したのだ。



「エンバーミングを行うことによって、少なくとも10日程度ならば、ご遺体をいい状態のまま保全できます。そのため時間的な猶予ができ、故人とともに自宅でゆっくり過ごしたり、故人の遺志やご家族の思いを反映した葬儀の準備が行えるようになります。

 また、遠方にいる身内や、すぐに戻れない身内を待ってあげたいということで、エンバーミングを依頼されるご遺族もいます。事故による激しい損傷や、病気による痛ましい姿を、なんとか生前の姿に近づけてほしいという方もいらっしゃるんですよ」

 真保さんが代表を務める『ディーサポート』は、「尊体(遺体)業務」に伴う葬祭分野が専門。つまり、納棺からメイク、エンバーミングまでをトータルに行い、日々故人と家族の「別れ」をサポートしている。

マイケル・ジャクソンにも施された特殊技術


 認知度が高まっているとはいえ、日本ではまだなじみのないエンバーミング。だが、土葬が主流である海外の国々では遺体の保存技術として定着し、ごく当たり前に利用されてきた。



「アメリカやカナダでは亡くなった後、エンバーミングをするのが一般的です。一方、火葬が主流の日本では、エンバーミングの実施率は約1・7%、東京や大阪などの主要都市に限ると5~6%といわれています。ただ最近は、エンバーミングをすることで十分な保全期間をつくり、ゆっくりお別れをしたいというご遺族が少しずつ増えてきたように思います」

 海外の場合、著名人がエンバーミングされたケースも多く、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンローなどがよく知られている。そして何といってもアメリカの歴代大統領。リンカーンは死後、エンバーミングが施された後、アメリカ全州を鉄道で回り“お別れ”をしたという有名な逸話が残されている。エンバーミングなしには不可能なことだった。



「北朝鮮の金日成総書記、ベトナムの初代国家主席ホー・チ・ミンは、現在でも遺体が保全されているんですよ」と真保さんは言う。

 エンバーミングの始まりは古代におけるミイラにまで遡る。その技術が急速に発展する契機となったのは、1860年代アメリカの南北戦争であるといわれている。当時の交通手段では兵士の遺体を故郷にかえすのに長期間を要し、遺体保全の技術が必要とされたのだ。さらに1970年代のベトナム戦争により、母国へ送る兵士の遺体のため、より一層の技術発展が進んだ。

 真保さんによれば、エンバーミングには次のようなメリットがあるという。

・衛生面の良化

・遺体の状態の維持

・消臭効果

・顔色がよくなる

・防腐処置や殺菌消毒を行うため、腐敗を防ぐドライアイスが不要(ドライアイス補充の心配がなくなる)



「なにより、衛生的に長期間の保全が可能なため、ご遺族はしっかりと故人の死に向き合い、気持ちの整理をつけることができます。悲しみを癒し、新たな人生に踏み出す足がかりになるのです」

 エンバーミングは専用の施設で施術をするよう決められている。具体的には、どのような流れで行っているのだろうか。



「依頼がありましたら、まずできる限りご遺族に会いに伺います。病院へ伺うこともあります。エンバーミングの処置内容や工程、必要事項などを説明し、ご遺体の状態をチェックさせていただきます。そのうえで依頼書に署名捺印をしていただき、細かい内容を詰めていきます。

 例えば、お顔をふくよかにする、傷痕を隠す。髭は剃るのかどうか、義歯があるならお入れするのかどうか等々、ひとつひとつ、ご要望を丁寧に確認していきます。こうしたプロセスを経て、ご遺体を搬入することになります」

 実際の施術は、葬祭場の専用施設を借りて行うこともあるが、「弊社の場合、処置室の設備がある移動車両を持っていますので、その中で行うことも多いですね」

 東京都台東区にある家族葬ホテル『葬想空間 スペースアデュー』には、エンバーミングルームがある。関係者でなければ立ち入ることのできない場所に、今回、特別に案内してもらった。

 室内に入ると、かなりゆったりした空間に施術用の可動式の金属製ベッドが2台、置かれている。その傍らには、血液と保全液を入れ替えるアメリカ製の機器が。安定した気流をつくる送風機、排水プラントも設えられている。



「送風機は保全液に含まれる低濃度ホルマリンからの被ばくを防ぐ装置なんです。プラントは保全液とご遺体から排出した血液や体液などの混合液を貯留し、化学的な分離工程で安全な排水をします。また、処置中に出た廃棄物は病院と同じように医療廃棄物として処分されるんですね」と真保さん。

 ほかにもエンバーミングに使用する薬剤や器具がずらりと並ぶ。また、納棺師の仕事に使う化粧品やメイク道具も用意されていた。

 エンバーミングではアルデヒド系の防腐薬、保湿剤、凝固した血液を緩和させる薬など、遺体の状態に応じてさまざまな薬剤を使用する。そのほとんどがアメリカ製だ。一方、シャンプーやリンスなどは日本製。これには理由がある、と真保さんは言う。



「日本人は、匂いに敏感ですからアメリカ製の遺体専用品だとキツすぎ、余計なストレスを感じるんですね。だから嗅ぎ慣れた、柔らかな香りの日本製のものが好まれます」

 スペースアデューと真保さんは業務提携し、依頼があれば出向してエンバーミングを行っている。

 スペースアデューの運営会社である『マルキメモリアル21』代表取締役の白井勇二さん(60)はこう語る。



「弊社の親会社は仏壇仏具の製造販売メーカーですが、20年ほど前から葬儀も手がけ始め、エンバーミングも導入するようになりました。弊社の会員様の8割はエンバーミングを選択されています」

 8割とは、驚くほどの受注率である。



「エンバーミングを施すと死後硬直がやわらぐので、ご愛用されていた洋服などへの着替えもスムーズにできます。遺族のみなさんは“こんなにきれいになるんだ”と驚かれていますね。気持ちの整理がついて、“ゆっくり安心して見送れた”と言っていただけると、私たちはうれしいです」(白井さん)

 エンバーミングの施術の流れやポイントは、依頼主である葬儀場によって異なる場合が多い。真保さんが運営するディーサポートの場合、エンバーミングの流れは次のとおり。

【ディーサポートで行うエンバーミングの流れ】

(1)脱衣を行いながら、もう一度身体の状態を確認する。

(2)身体の洗浄、消毒を行う。

(3)顔の表情を整え、洗顔(必要であれば髭を剃る)、保湿剤を塗布する。

(4)小切開を行い、薬剤のエンバーミング保全液を注入する。

(5)エンバーミング保全液を体内で循環させ、血液を体外へ排出させる。

(6)小切開を行い、胸水・腹水の吸引と各臓器への薬剤補填を行う。

(7)切開部を縫合する。

(8)全身を洗浄する。

(9)着付け、整髪、化粧を施す。

「ポイントとなるのは4~6の工程です」と、真保さんは強調する。



「鎖骨のちょっと上あたりを2センチ弱くらい切開して、頸動脈を確保し、そこからエンバーミング保全液を注入します。イメージ的には人工透析のような感じですね。そうして血管内に薬を循環させ、体内にある血液を頸静脈から排出させていきます」

 エンバーミングをすることで顔色が明るくなり、表情がよくなるのは、保全液が血液と同じ色合いをしているからだ。このとき、胸水や腹水があると遺体が劣化するので、お腹を2ミリ弱ほど切開し、腹膜や胸膜、肺に専用の器具を当て吸引する。その後、別の器具を使って、各臓器に防腐のための薬剤を補填する。

 一連の施術から切開部縫合までにかかる時間は、平均3時間。ただ、実際にエンバーミング保全液が細かいところまでしっかりと入っているかどうか、この時点ではわからない。そうした理由からディーサポートでは、念のため5~6時間ほど待って細部をチェックし、保全液を追加注入することもあるという。

わが子を亡くした母親の思いを叶える


 真保さんはエンバーミングを通じて、さまざまな遺族に寄り添い、対峙してきた。なかには、病院で治療を受け続けた末、息を引き取った赤ちゃんの両親もいる。

 その赤ちゃんは先天性の呼吸器疾患があり、生まれてからずっと病院の新生児集中治療室で治療を受けていた。そして生後約10か月で、短い生涯を閉じた。

 生きて帰ることのなかった自宅には、赤ちゃんのためにそろえられた新しいベビー服やベビー用品が、むなしく置かれていた。赤ちゃんの両親、とりわけ母親のショックは大きく、葬儀社から真保さんに「なんとかしてあげられないか」と相談があった。



「ご自宅で、赤ちゃんと少しでも一緒に過ごす時間が持てるようにと、エンバーミングを行いました。赤ちゃんとご両親は1週間くらい、一緒に生活することができました。お母さんからは“お風呂に入れていいか”とか、“ベビーカーで公園を散歩できないか”などと、いろいろなことを聞かれましたね。今までできなかった、普通の子育てをすべてやりたかったのだと思います」

 そう真保さんは振り返る。エンバーミングをしたとはいえ、遺体である以上、やれることとやれないことがある。それでもたった1週間とはいえ、親子の日々の記憶をつくることはできた。きっと、いくぶんかはおだやかな気持ちで、両親は赤ちゃんとお別れができたのではないだろうか。



エンバーミングは葬送のお別れを目的としています。なかには“このまま保全しておきたい”という方もいらっしゃいますが、それはできないのです。

 
日本ではエンバーミングに関する法律が整備されていないため、IFSAが独自に、エンバーミングした方の保全は50日というルールを定めています。そこは律して、ルールを守っていただくことが施術の条件なんです」


 そんな「50日ルール」をフルに活かしたケースがあった。

 夫婦ともに医師で、2人で切り盛りしている病院があった。あるとき、副院長の妻が亡くなった。真保さんは依頼を受けて、すぐにエンバーミングを実施。葬儀は関係者だけですませ、遺体は自宅へと運ばれた。



「副院長さんは、ずいぶんとみなさんから慕われていた方だったんですね。その病院は介護施設も併設していましたが、患者さんや入所者の方がお別れできるように、各施設に数日間ずつ、ご遺体を安置したのです。みなさん、お好きな時間に副院長さんに会いに行って、お花を供えたり、お礼を言ったり、思い思いのお別れをしたそうです」

 高名な僧侶が亡くなると、全国から多くの人が弔問に訪れるといったケースは昔からあった。腐敗が進んでも、そのままの状態で“お別れ”をしたという。しかし現代ではエンバーミングによって、生前を思わせるきれいな遺体と会うことができるのだ。

サラリーマンからエンバーマーへの転機


 日本国内でエンバーマーになるには、前出のIFSAが指定するエンバーマー養成校で必要な知識を習得し、研修を修了して、エンバーマーのライセンス資格を取得しなければならない。現在、IFSA認定の養成校は、神奈川県平塚市にある日本ヒューマンセレモニー専門学校のみ。狭き門となっている。

 真保さんが養成校に入学したのは、30歳のときだった。新潟県新潟市の出身。山形大学工学部で化学を学び、医療機械メーカーに就職。営業職として9年半勤めた。

 エンバーマーを目指すようになったのは、こんなきっかけからだった。



「医療機器メーカーなので、病院とのお付き合いがメインでした。あるとき、お世話になっていた看護師さんの息子さんが亡くなられたんです。川で溺れたという話でした」

 真保さんとは休日にバーベキューをするなど、家族ぐるみで親しくしていた。訃報を聞いてお通夜に駆けつけたが、息子さんは死後24時間を超えていたため、法律上、すぐに火葬ができる状況だったという。



「看護師さんご本人も、何をすればいいのかわからない茫然自失の状態で……。普段はこちらが元気をもらうほどはつらつとした人が、あんなに落ち込まれているのに、自分には何もできない。それが悔しくてたまりませんでした」

 エンバーミングという言葉自体は、すでに知っていた。



「私が大学4年だった1995年に、阪神・淡路大震災が起きました。その被災地で外国人がエンバーミングの措置を受けたということを現場で手伝っていた知人に後日、聞いたんです。看護師さんの息子さんが亡くなった後、改めてネットで検索して、エンバーマーという仕事があることを知りました。そうした中で、家族など大切な存在と死別して悲嘆に暮れる人を支える『グリーフケア』という言葉も知るようになったんです」

 社会人となって以来、働き詰めだった真保さんには貯金もあった。仕事は順調だったが、新たなチャレンジをするなら30歳の今しかない。そう思えた。

 そして2003年、大阪の葬儀メーカーが運営するエンバーマー養成校に入学。半年間、葬祭学や遺体衛生保全など、専門知識を習得する座学を中心に学んだ。それが終わり試験に合格すると、実技課程へ。プロのエンバーマーの処置を見学し、指導を受けながら、インターンとして技術向上を図るのだ。


 真保さんはインターン時代に、100体ぐらいにエンバーミングを行ったそうだ。



「2005年に起きた福知山線の脱線事故は、今でも忘れられません」

 JR西日本の福知山線で発生した列車脱線事故は、死者107名、負傷者562名を出し、列車事故としては戦後最大の惨事となった。



「エンバーミングの実習が始まって間もないころでした。実習先の葬儀社が中心になって遺体の処置を行ったので、私もお手伝いをしたんです。



 事故に遭った方が納体袋や毛布にくるまれ運ばれてくるんですが、死亡確認後、すぐに運ばれてきたようで、身体中にガラスの破片などがくっついている状態。袋もガラスであちこち裂けていました。まずガラスの破片を取るところから処置をしていったのですが、どんどんご遺体が送られてきたので、正直、研修どころではありませんでしたね」

 養成課程を終えた卒業生はIFSAによるエンバーマー認定試験の受験資格が得られ、合格すると、晴れてエンバーマーとして働ける。


 真保さんは資格取得後、プロのエンバーマーのもとで4年ほど働いたのち、介護施設に1年ほど勤務していた。



「もっと学ぶ必要があると思ったんです。介護施設では、入所者さんの声に耳を傾け、その気持ちに寄り添うことを学びました。それがエンバーマーになって、亡くなった方のご遺族に寄り添うことにつながっています。寝たきりの方の着替えの方法なども教わるんですが、その際の経験がご遺体の着付けに活かされています。ご家族は、自分たちが介護をしていたのと同じ方法で私がケアしているのを見ると、安心されるんです」

 真保さんが介護現場で得た大きな学びのひとつが、「尊厳」ということだった。



「お年寄りの多い現場ですから、高齢の方の認知状態を教わりながら、相手の立場に立って共感的に話を聞く“傾聴”についても学んでいきました。尊厳を守るとはどういう行為なのかを知ることができ、勉強になりました」

葬送のプロも認める真保さんの「神の手」


 京都にある葬儀会社『公益社』で専属エンバーマーとして働く竹ノ谷梨沙さん(41)は、エンバーマー養成校で真保さんと同期生だった。竹ノ谷さんが当時を振り返る。



「私たちは2期生で、同期は3人だけでした。真保さんの第一印象はポーカーフェイス。医療機器の営業職だったから理科系の知識も豊富で、いろいろなことを教えてくれましたね。結構おしゃれで、カッコつけしいのところもあって、自信満々なのに黒板に書く漢字を間違えたり、かわいいところもありました(笑)」

 実習の際、真保さんに驚かされたことがある。



「座学では真保さんと一緒の教室で学んでいましたが、実習先は別々でした。ある日、湯灌(遺体の身体を洗う施術)の実習で葬儀社に行くと、講師として突然、真保さんが現れたんです。実習を兼ねて葬儀社でバイトをしていたんだとか。まるで長年やっているプロの口上のように湯灌の説明をしていて、カッコいいと思いましたね」

 養成校の授業では、ご遺体に施すためのメイクも学ぶ。



「真保さんは化粧なんて苦手そうなのに、先生に何度も質問しながら、化粧の技術を磨いていました。自分に化粧する授業で、私よりきれいになっていて悔しかったほど(笑)。そのときの真保さん、目がキラキラして、輝いて見えましたね。なんでもスマートにこなしているようで人一倍、努力の人なんだと思います

 養成校に入学してくるのは、ほとんどが高校を卒業したばかりの若者だ。しかし、なかには真保さんと同様に、社会人経験を経て入学する人もいた。真保さんの1年先輩にあたる馬塲泰見さん(54)も、そのひとり。異色の経歴を持つエンバーマーで、現在は日本ヒューマンセレモニー専門学校で実技指導を行っている。



「以前は日本にある外国の大使館の職員でした。外国人が亡くなると、エンバーミングをして本国へ送り返すのが当たり前だったので、エンバーミングにはなじみがあったんです」

 10代に交じり切磋琢磨した級友について、馬塲さんは「真保くんは、よくも悪くも細かい」と笑い、さらにこう続ける。


「彼は早くから独立・開業したので、葬送業界の事情に詳しく、いろいろな情報や知識を持っています。移動式のエンバーミング車両を作るなど、新しい取り組みにチャレンジしていく姿勢は見習いたいですね」

 関係者の誰もが、真保さんのまじめさ、理論的なところや、確かな技術を口にする。

 東京都大田区で3代続く『明進社金子葬儀社』の金子直裕さん(52)は、真保さんとは12年以上もの付き合いになる。



「うちは真保さんにしか仕事は頼みません。技術がほかと全然違うんですよ」と、金子さん。特に、「修復する技術がすごい」と絶賛する。

「ご遺体の欠損などを驚くほどきれいに修復してくれます。業界ではこの人だけでしょうね。僕らは“神の手”と呼んでいますよ」
(金子さん、以下同)

 あるとき、金子さんのもとに、電車で轢かれた遺体が運び込まれた。



「ご遺体は頭部が半分ない状態でした。真保さんは頭蓋骨の中に櫓を組んで修復、見事に元の状態に作り上げた。ご遺族も感激していましたね」

 山梨県の山中で見つかったという、首つり自殺で命を絶った20代男性のエンバーミングも、金子さんは忘れられない。



「夏場だったので全身に虫がついていたんです。納体袋に殺虫液を流し込み処理しましたが、虫は駆除できたものの、身体中に小さい穴が開いてしまった。真保さんは、その穴をすべてきれいに塞いでみせたんです。どうすればご遺族といい対面ができるか、徹底的に考える人なんですね」

 遺族は警察で、すでに悲惨な状態の遺体と対面していた。だからこそエンバーミング後にきれいになった遺体を見て、より感激したという。

 エンバーミングを使った葬儀を推奨する『アイフューネラル』代表の寺中毅頼さん(52)は、真保さんとは親しい間柄だ。



「事件や事故のご依頼を受けて、真保さんと一緒に立ち会うこともあります。

 驚いたのは、電車での人身事故のご遺体でした。僕なんかからすると“修復なんて、とても無理”と思えるような状態だったんですが、真保さんはご家族が対面できるよう根気よく、丁寧に修復していくんです。感心しましたよ」

どんな環境で亡くなっても尊厳ある最期を


 真保さんによれば、ここ数年、日本で暮らす外国人からエンバーミングへの需要が増えているという。



「外国の方が日本で亡くなられた場合、日本の葬儀社を利用することになるのですが、日本の葬送文化になじめず、困っていたようなんです」

 4年ほど前、イスラム圏であるパキスタン出身の外国人が、働いていた飲食店で死亡する事故があった。イスラム教では、人が亡くなると、教会(モスク)に遺体を運び、参列者がお浄めをする。その後、お祈りをして弔うのが習慣だ。


「かつてはパキスタン航空が日本へ直通便を飛ばしていました。そのためパキスタン大使館は、自国民が亡くなると無償で本国へ空輸していたんです。亡くなってすぐにドライアイスを詰めれば、翌日には飛行機に乗せ、運ぶことが許されていました。ところが、すでに4年前には直通便がなくなっていて、煩雑な手続きや高額の費用も必要になってしまった。おまけに航空会社が遺体を運ぶ条件として、必ずエンバーミングを行うよう定めているんです」

 これでは莫大な費用がかかってしまう。そこで真保さんは、通常の半額で仕事を引き受け、納棺からエンバーミングまでを行った。

 しかし、その後も日本で亡くなる外国人の数は増え続けていく。そのほとんどが、空輸できる予算が見込めないケースだった。



「空輸できないのであれば日本で埋葬しようということになり、私もそのお手伝いをすることになったのです」

 エンバーマーの真保さんにとって、埋葬は門外漢である。それでも乗りかかった船とばかりに、サポートすることを決めた。


「イスラム圏では、宗教上の理由から火葬を固く禁じています。しかし日本では身寄りのない人が亡くなった場合、行政のもとで火葬するよう法律で決められているんです。そのため日本で身寄りのないイスラム教徒の外国人が亡くなったとき、間違って火葬されたケースがあり、問題になっていました」

 日本にもイスラム教徒に対応し、土葬が可能な墓地はあるのだが、その数は少ない。そのため真保さんは、在日イスラム教徒の有志による団体『パキスタンコミュニティー日本』に協力し、多くの外国人の最期を見届けてきた。

 この団体を主宰するのは、パキスタン人のハフィズ・メハル・シャマスさん。活動はすべてボランティア。イスラム教徒の外国人が亡くなった情報を受けると、シャマスさんは真保さんとともに駆けつけている。



「もう、何十か所も真保さんと行きました。群馬、山梨、名古屋、大阪、それから九州……。真保さんは、いつも格安で引き受けてくれます。一生懸命で、私が会った日本人の中でいちばんいい人です」

 と、シャマスさん。真保さんが協力を惜しまないのは、「故人の尊厳」に対する思いがあるからだ。



「たまたま日本で亡くなって宗教や国籍が違うだけなのに、“これはできない”と言いたくないんです。亡くなった人のご家族がちゃんと癒されて、故人の死と向き合えるようにしてさしあげたい。どんな国の国籍の方でも同じように、その文化に合った、望む葬送の形でお応えしていこうと思っています。(依頼されて)ご縁があった方に、少しでもお手伝いができればという気持ちで協力しているんです」

 エンバーミングを軸に、葬送に関するさまざまな取り組みに尽力する真保さん。今年5月、衆議院議員会館でエンバーミングについての勉強会があり、これにも参加した。



「日本でエンバーミングの認知度を高めていくための勉強会で、ゆくゆくは国家資格の創設を目指そうとする動きもあります。その影響なのか、最近では自衛管の募集要項に、エンバーマーという項目が登場するようになりました」

 大規模災害時に、遺族のケアを行う『DMORT』(災害死亡者家族支援チーム)の活動も浸透してきた。



「海外では遺族の心のケアを行うだけでなく、エンバーミングをするなど遺体のケアも行われています。そうすれば、医療関係者は生存者への対応に集中できるからです」

 真保さんが経営するディーサポートのスタッフは現在、7名。そのうち1人はエンバーマーの資格試験を受け、間もなく結果が発表されるという。実は、真保さんの妻もエンバーマーだ。


「妻は13歳下で、7年前に結婚しました。6年前に長男が生まれてからは、ディーサポートの裏方の仕事をやってもらっています。



 妻とは私がライセンス取得後、処置に行った派遣先の葬儀社で出会いました。妻は動物介護やペットロスに関することも学んでいて、今後に活かそうと思っているようですね」

 死を見つめ、絶えず遺体と向き合うエンバーミング。この技術で得られるのは、残された遺族が、これからも前を向いて生きていくための糧となるもの。元気だったころのような色艶。ふくよかな表情─。



 遺体をきれいに修復し保全するだけにとどまらず、生きるとは何か、死ぬとはどういうことなのか、私たちに問いかけているように見える。

 真保さんが言う。



「お別れは、ご家族をはじめ、これまでに故人が出会ってきた方々と対面できる最後の機会。ですから時間をかけて、みなさんがよかったと思えるお別れのお手伝いを今後もしていきたいと思っています」

〈取材・文/小泉カツミ〉

 こいずみ・かつみ ●ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人のインタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数。

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「King&Princeを踊ってみた」をアップした“元ジャニーズ”

2022年7月2日 18:00 週刊女性PRIME

ダンスが話題の『ichiban』のMV(King&PrinceのYouTubeチャンネルより)

 6月29日にリリースされたKing&Princeの4枚目となるアルバム『Made in』。タイトルには“Made in ○○”というそれぞれのルーツを大切にする思いが込められている。

 リード曲『ichiban』は、日本を代表するヒップホップアーティストのKREVAが制作。

「King&Princeのメンバーが、“和でゴリゴリのHIPHOP”というコンセプトにしたいと考えて依頼したそうです。KREVAさんはレコーディングにも立ち会い、楽曲をしっかり聞き込んで来ていたメンバーたちの真摯な姿勢に感動したそうです」(音楽ライター、以下同)

“ichibanチャレンジ” がスタート


 このアルバムのプロモーションを機に、新たに公式TikTokアカウントも開設された。

はじめに、6月15日にメンバーからのメッセージ動画が投稿されました。それと同時に“ichibanチャレンジ”もスタート。“#ichiban”をつけて『ichiban』のダンス動画を投稿するという企画で、もちろんKing&Princeのメンバーが踊っている動画も投稿されていますよ

 それ以外にも、エフェクトで遊んでいる動画など、TikTokらしいオフモードが見られることもあり、ファンからは喜びのコメントが多く寄せられている。

「アルバムリリース日の6月29日時点で、フォロワーは60万人を超えています。また、“ichibanチャレンジ”はTikTokのユーザーであれば誰でも参加できるので、一般のユーザーはもちろん、人気クリエイターや有名人も動画を投稿。その数は3万投稿以上となっています

 その中で、ひと際ファンの胸を熱くさせている動画があるという。

「オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』から誕生したグループ『INI』のアカウントで、田島将吾さんと木村柾哉さんの“ichibanチャレンジ”が投稿されたのです。

岸優太とシンメだった高橋颯(ふう)も挑戦!


 田島さんは、'09年にジャニーズ事務所に入所し、King&Princeのメンバーと同時期に、Jr.として人気を集めていました。さらに、木村さんはINIでのデビュー前はダンサーとして活動しており、King&Princeの楽曲の振り付けのアシスタントをしていた経験もあります。今は違うフィールドで活躍している2人ですが、古くからの仲間を盛り立てたい思いもあったのではないでしょうか」(アイドル誌編集者)


 この投稿の数日後、この“エモさ”を上回るものが。

「『WATWING』というボーイズグループも、チャレンジに参加したのです。このグループの高橋颯(高ははしごだか)さんも'11年入所の元Jr.で、King&Princeの岸優太さんとは“シンメ”と呼ばれる2人で1つのような関係でした。


 仕事上だけでなく、雑誌のインタビューではお互いに“大好き”だと話したり、“クリスマスを一緒に過ごしたい相手”として名前を挙げたりするほどの仲良しでしたから、当時を懐かしむファンが続出しています。“ichiban”のシンメが踊ってくれたことは、岸さんも喜んでいるでしょうね」(同・アイドル誌編集者)

 退所してもやっぱり、“Made in ジャニーズ”!

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SixTONESの歌唱力を分析

2022年7月2日 16:00 週刊女性PRIME

SixTONES

 SixTONESが発売した7枚目のシングル『わたし』が好調だ。初週売上は47万枚を記録し、6月15日に公開したBillboard JAPAN 総合ソングチャートの「Japan HOT100」で1位を獲得。公式YouTubeのMV再生回数は6月末時点で1200万回を超えるなど注目を集めている。

 新曲『わたし』は、ダンスや振り付けは最小限で、個々の歌唱力や表現力が際立っている。メンバーの松村北斗(27)が出演したドラマ『恋なんて、本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)の挿入歌としても、起用されている。これまでに13曲のタイアップを経験したSixTONESの歌声の魅力とはーー。

『THE FIRST TAKE』や『題名のない音楽会』出演の独自性


 SixTONESは2020年1月に、ジャニーズ史上初となるSnow Manとの2組同時でデビューした。デビューして3年目に突入した彼らは、ドラマや映画、バラエティー番組でも目にする機会が増えた。

 SixTONESはデビュー前の2019年に「ジャニーズをデジタルに放つ新世代。」のコピーとともに、日本初の「YouTubeアーティストプロモ」キャンペーンに抜擢。同キャンペーンはYouTubeが世界で展開し、各国の注目アーティストと連携しプロモーションを行うもので、他国ではBTSやショーン・メンデスなども起用された。「新たな道を作って行く」独自の方向性は、デビューしても変わらない。

 そのひとつが、アーティストが“一発録り”で歌唱を披露し、度々話題にもなるYouTubeチャンネル『THE FIRTST TAKE』への登場だろう。'22年1月1日に突如ツイートで予告され、その日のうちに公開。ジャニーズ事務所から同チャンネルへの出演は初めてのことで、またたく間にSNSで拡散された。

 また2022年4月には『題名のない音楽会』(テレビ朝日系)へ出演し、生のオーケストラをバックにデビュー曲の『Imitation Rain』を含む4曲を歌い上げ、彼らの新たな一面を披露した。

 デビュー曲『Imitation Rain』は、X JAPANのYOSHIKIによる作詞・作曲だったことも注目を集めた。雨音を思わせる静かなピアノソロのイントロから始まり、ジャニーズのデビュー曲としては珍しい雰囲気を醸し出している。

 YOSHIKIは彼らについてこう話している。

「メンバー個々の魅力に加え、高度な歌唱力とパフォーマンス力を持つ素晴らしいグループがどのように進化していくのか楽しみ」

 また、SixTONESがパーソナリティをつとめるラジオ番組にサプライズでゲスト出演した際には、彼らのパフォーマンスを次のように語った。

「SixTONESって実力があるんで元々。どういうふうに焼かれても煮られてもっていうのかな、元々が強いので」

 彼らを高く評価するのはYOSHIKIだけではない。東京藝術大学出身の4人組King Gnuもその1人だ。ギターと曲作りを主に担当する常田大希も、彼らに楽曲を提供し、King GnuとSixTONES、双方のファンを驚かせたことも記憶に新しい。

 常田が手掛けた5枚目のシングル『マスカラ』は、複雑なリズムでピッチの移動が大きく技術が必要な楽曲。常田は自身のTwitterで、《愛すべき素敵な才能達にお力添え出来て光栄です。最初からハードル上げとくけど滅茶苦茶かっこいい出来栄えだからSixTONESファンの人は勿論、まだ彼らの事を知らない人達にもきっとブッ刺ささりマスカラ〜》と提供への思いを綴った。

ボイストレーナーが解説「表現力に驚き!」


 楽曲提供者もこぞって認める彼らの歌声について、ボイストレーナーでYouTubeチャンネル『さきここVoice』を運営するSAKIKO氏に、『わたし』における彼らの歌唱について聞いた。

「ジェシーさん(26)は、音の移動が本当にスムーズでとても心地良いです。発音や音質までコントロールする表現の自由度の高さ、選択肢の多さが本当に素晴らしい。

 京本大我さん(27)は、柔らかい音の取り方に息を混ぜた歌声はとてもセクシーな雰囲気があり異質な存在。語尾まで切ない歌い方にこだわりを感じずにはいられません」

 SixTONESを結成した2015年頃からメインボーカルをつとめてきたジェシーと京本大我。以前は2人の歌割りが多かったものの、他4人も実力をつけ、歌唱パートが増えていっている。続けて、SAKIKO氏は他のメンバーについて話す。

松村北斗さんの裏声の美しさに驚きました。出だしから心を持っていかれる歌声で、少しかすれた声がたまらなく切ない。高地優吾さん(28)は、いつもの明るい歌声とは違った別の表情を見せてくれました。曲に寄り添った切ない声と柔らかな音程変化がとても美しかった

 森本慎太郎(24)の甘い歌声や、田中樹(27)のラップはSixTONES楽曲に個性を生み出している。『わたし』ではどうだったのか。

「ファンの方が大好きな、森本慎太郎さんの甘いキャラメルボイスは今回封印。少ししゃべり声に近い”テンションの落した柔らかで切ない歌声”が曲にしっかりマッチしていました。

 また比較的柔らかい声が集まるSixTONESの中で、田中樹さんの少しエッジ感(地声のざらざらした成分)のある歌声は大事なスパイス。今回も楽曲をしっかりと締めてくれていました」

 SixTONESのグループ名には「6つの原石(ストーン)」「6つの音色(トーン)」の意味が込められている。6人の個性と表現力について、SAKIKO氏は次のように話した。

「ひとりひとり個性があり、声での表現方法が違います。それでも、共通の心を持っていると伝わってくる歌い方がとても素敵でした。特に”奪っていく”という歌詞が印象深いですね。それぞれの心が、一体どのように奪われていくのか。声というひとつの個性から、表情やシーンまでも想像させる表現力に感動しました」(SAKIKOさん)

 さまざまなジャンルの楽曲に挑戦し、実力派へと進化を続けるSixTONES。これまでのジャニーズとは違う輝き方を魅せる彼らの活躍から目が離せない。

PROFILE●SAKIKO(さきこ)ボーカルコーチ・ボイストレーナー。東京都を中心に活動し、自身のYouTubeチャンネル『さきここVoice』を運営する(登録者数23万人)。幼少期より英語や音楽に触れ、J-POPだけでなく、K-POPや洋楽の歌い方の指導も行う。『さきここVoice』→https://www.youtube.com/channel/UC0RJAtZGjcUfwskb_AKGw3Q/featured

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山崎努、野球が好きすぎて巨人の二軍に参加

2022年7月2日 16:00 週刊女性PRIME

渋い演技で知られる山崎努さん

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、大好きな野球の思い出について述懐する。

少年誌『野球少年』で“野球女子”に


 大谷翔平選手、佐々木朗希選手─。今をときめく球界のスーパースターたち。でも、子どものころに魅了された往年の名選手も、今なお私の胸の中で生き続けている。

 古い時代の話をさせていただこうかしら。“沢村二世”と呼ばれた切れ味鋭いシュートが武器の中尾碩志さん、「エースナンバー=18」の起源になったといわれるナックルボーラー・若林忠志さん。

 さらには、「物干し竿」と呼ばれた長尺バットを使用し、初代ミスタータイガースと呼ばれる藤村富美男さん。日本球界初の本格的なフォークボーラーといわれるフォークボールの神様・杉下茂さん。今より娯楽が少ないこともあり、プロ野球には、庶民の期待を背負ったスター選手がたくさんいた。

 そんな伝説の選手たちの現役時代のプレーを、ラジオでリアルタイムで聴いていたんだから、われながらびっくりする。佐々木朗希選手のフォークも杉下茂さんのフォークも、ひとりの野球ファンとして体験しているんだから、ちょっと自慢できることかもしれない。アハハ。

 当時はテレビなんてないから、ラジオから聞こえてくる名選手たちの一挙手一投足に、必死になって耳を傾けていた。野球に関係するものは、身体が勝手に反応してしまう─、それくらい野球が好きだった。今もだけどね。

 どうして私が野球にのめり込んだのか?小学生のころから男の子たちに交じって田んぼの中で野球をやっていたってこともあるんだけど、さかのぼれば少年誌『野球少年』の影響が大きかったような気がする。

 この時代、実況といえばNHKアナウンサーの志村正順さん、解説といえば野球記者で評論家の大和球士さんによる黄金コンビが鉄板だった。音声だけのラジオというメディアにもかかわらず、2人の名調子は、映像が浮かんでくるほど臨場感のあるものだった。

 志村さんは、先述した『野球少年』誌上に、試合の経過を実況アナウンス風につづった自筆の誌上実況を連載していて、これが雑誌の目玉企画になるほど人気を博していた。まさに、私も夢中になって文字を追ったひとり。活字好きで野球が好き─という私の原点は、この『野球少年』の誌上実況によるところが大きいのかもしれない。

 野球好きが高じて、この連載でも触れたように(岸田)今日子ちゃんが主演を務めたドラマ『鏡子の家』の演者、スタッフによる野球チーム『鏡子の家 エロティックス』を作ったのはいい思い出。



 メンバーは、杉浦直樹さん、山崎努さん、テレビプロデューサーの大山勝美さん、当時まだアシスタント(演出助手)だった久世光彦さん。共演していた女優さんには、加藤治子ちゃんや藤野節子さんもいたけど、野球に関心がない。

 ないというか、“野球女子”な女優は、当時は私ひとりだけ。面白がり屋の今日子ちゃんは、ボールを握ったこともないから、放れば手先からゴロ。でも「野球やってみたわ」とノリノリだった。


 後楽園球場や神宮球場、中野の哲学堂の野球場などで試合をした。対戦相手の中にはシナリオライターで結成された『ライターズ』なんてチームもいて、放送作家の前田武彦さんが在籍していた。

 中でも、私と同じ俳優座養成所出身の山崎努も、子どものころからの筋金入りの野球好き。あまりに野球と巨人が好きすぎて、巨人の2軍が練習する多摩川のグラウンドまで行って、選手たちに交じって一緒に白球を追いかけていたことがあるというんだから、恐るべしよ。

 この連載の担当さんから聞いたのだけど、山崎さん、最近始めたツイッターで、野球がいかに好きかをたくさんつぶやいているんですってね。初志貫徹。


 朝早くから起きて、みんなで一生懸命に野球をやる。たわいないことだけど、それがいいのよ。あのころはホントに面白かったなぁ。

 ふじ・まなみ ●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉

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89歳でフォロワー15万人、ツイッターを始めたワケ

2022年7月2日 13:00 週刊女性PRIME

大好きな石神井公園散策中にも気ままにつぶやく大崎博子さん 撮影/林ひろし(書籍『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』より)

 1932年(昭和7年)、茨城県生まれ、昨年11月に89歳を迎えた大崎博子さん。練馬区の都営住宅でひとり暮らし。後期高齢者ではなく“高貴香麗者”を名乗り、趣味は散歩と太極拳と麻雀、そしてツイッター。

「面白いからやってみれば」と娘さんにすすめられたのが、ツイッターを始めたきっかけだ。今では15万人を超えるフォロワーのいる大崎さんだが、最初は友人1人だけだった。

東日本大震災の際にSNSへの考え方が変わる


「何が面白いのかしらと思っていたの。どんなことを書けばいいのかもわからないし。でも、東日本大震災の際に意識が変わった。ロンドンにいる娘と電話がつながらず困っていたんだけど、唯一取れた連絡手段がツイッター。すごいな、ツイッターって役に立つんだな~って。そこから本格的に始めたの」(大崎さん、以下同)

 東日本大震災後の原発事故への不安や東京電力への疑問などをつぶやいたところ、ネットニュースで取り上げられて話題となり、一気にフォロワーが増えた。

「パソコンでツイッターをやっていたのだけど、リツイートや“いいね”の通知音がボンボン鳴り続けて、ちょっと怖かったわ。どうやって消すかもわからなかったのよ」

 反響に驚くと同時に、

「ごく普通に生きてきたおばあさんのつぶやきを、聞いてくれる人が世界中にいる。これはとてもうれしいこと。生きる活力になるってかんじ」

 そう感じた大崎さん。2011年8月の敗戦記念日前後には、戦争体験のつぶやきを投稿。


「ツイッターを始めたのが11年前。当時も今も、戦争体験を投稿する人なんてほとんどいないんじゃないかしら。

 今の日本はまだまだ平和だから、戦中戦後のつらさを伝えなきゃって使命感もあります。でも、戦争の話ばかりじゃ楽しくないでしょ。やっぱり、人を元気にするつぶやきをしたいですよ」

 今やインフルエンサーとなった大崎さんが決めていることがある。

日常に喜びを、生活に愛を


「人を傷つける投稿はしません。読んだ人が共感してくれるような、“あぁ自分もそう思ってたんだ~”と感じたり、納得してくれるようなつぶやきが、私にとっては良いツイッターですね」

 大崎さんのツイッターは朝の挨拶から始まる。そこでよく使われる言葉が『気合』ならぬ『喜愛』。日常に喜びを、生活に愛を忘れない大崎さんらしい造語だ。

「湿っぽいのは嫌いなの。私には娘が1人いる。元夫とは、娘を産んでから間もなく離婚したけど、まだシングルマザーが少なかった時代でね」

 お金もなく、30代は苦労の連続だった。

「でも、人前でつらい顔を見せることはしなかった。矜持と言うのかしら。何でも1人でやらなきゃいけないんだから、弱音を吐いても仕方ない。1人になると強くなるわよ~」

 娘は24歳でロンドンに留学して、そのまま国際結婚。

「娘と一緒に暮らしていたころはいろいろ頼っていたけれどね。Wi-Fiの設定も(テレビにつける映像出力機器の)ファイヤーTVスティックの取り付けも、なんだかんだ全部自分でやれたのよ!」

「ネトフリを見ながらお酒を一杯」


 20年ほど前から練馬区の2DKの都営住宅で暮らす大崎さん。ダイニングとベッドルーム、テレビの置いてある和室は物が少なくてすっきり。玄関や壁際には、写真や花、香炉などが飾られ、シンプルながら美意識の感じられる暮らしぶりだ。


「コロナ禍の前は、近所の友達が部屋に来てたわ。今はそういうわけにはいかないけど、いつ人が来てもいいような部屋にしていますよ。冬は和室にこたつを置いて、ネトフリを見ながらお酒を一杯。これは最高の時間ね」

 韓国ドラマが大好き。20年前の韓流ブームのときにはイ・ビョンホンのファンになったという大崎さん。今でも、ネットフリックスで韓国ドラマを見るのが日課だ。

「最近見て良かったのは、『私たちのブルース』。お目当てはもちろんイ・ビョンホン!(笑) 『イカゲーム』も見たわ。あまり好きな作風じゃなかったけど最後が気になって見ていたら、イ・ビョンホンが出てきてびっくり」


好きなお酒を飲みながら、イイ男を観る



 “いい男を肴においしいお酒を飲むのは至福の時間で、最高の老化防止”と語る。

「もうこんな年だから、好きなものだけ見ていたい。日常でも、嫌いな人だなって思ったらもう会わないのよ。残り少ない時間を無駄にしたくないってことかしらね」

 イイ男をアテに飲む大崎さんの飲み代は月1万円だ。

「お酒は何でも飲みます。ビールの次に赤ワインが好き。カルディで売っている700円ぐらいの赤ワイン『レッドウッド カベルネ ソーヴィニョン』がとってもおいしいの。箱で買って配達してもらうほどよ。

 3日で1本はボトルを空けちゃうの。休肝日なんていらない。私にとってお酒は元気になれる薬だから。薬を休んじゃダメでしょ?(笑)」

 毎日の晩酌は缶ビール(350ml)1本程度と決めているが“ついついワインや酎ハイも飲んじゃうの”と語る大崎さん。酒の肴は自家製のぬか漬けとチーズ。

「うちのぬか床は19年物。毎日手を入れてかき回しているの。前日から漬けると漬けすぎになっちゃうから毎朝、旬の野菜を入れて、晩酌のときにいただくのよ」

洋服はユニクロ、アクセサリーはいつも身に


 きれいなシルエットのものを若々しく着こなす大崎さんは“お金をかけないおしゃれが断然楽しい”と語る。

「持っている洋服のほとんどがユニクロなの。しかもセールコーナーの値引き商品から掘り出し物を見つけるのがワクワクしちゃう! ネックレスやピアスは、いつも身に着けてるわよ」 

 一度身に着けるとずっとそのままなの、と笑う。

「ネックレスは海外に行ったときにお土産で買ったり、娘からもらったり。今日着けているのは、フランス旅行のときに現地の教会で買ったマリア様のネックレス。

 今の時代は、ユニクロもそうだけど、安くて良い物が手に入るようになったわね。本当にいい時代だなと思う」


“高貴香麗者”(後期高齢者)ほど小ぎれいに!


 大崎さんの髪の色はきれいなラベンダーカラーだ。

「白髪染めはしないの。娘がすすめてくれたシャンプーを使ってます。アメリカのものだけど、ふつうに洗うだけで、白髪がラベンダー色に変わるの。

 白髪って黄ばむと見た目が良くないでしょ? でも面倒くさいことはできないから、洗うだけできれいな色になるこのシャンプーは重宝よ」

 年を取っているからこそ、きれいにしていなければいけないと語る大崎さん。

「毎日、眉とアイラインだけは描くの。アイラインを引かないと顔がぼんやりしちゃう。シワが深くてアイラインが引きにくいのが困りものだけど(笑)。

 私の若いころは、うーんと細い眉が流行ってた。今は自然な太眉が流行ね。眉の流行もチェックしています。女優さんの顔やメイクを見たりしてね。

 若いうちは何もしなくてもきれいだけど、年を取ったら構いすぎるぐらいでちょうどいい。“高貴香麗者”(後期高齢者)ほど小ぎれいにしましょうね

「私が今、本当に幸せと言えるのは健康だから。健康でないと人を気遣うこともできないと思う。そのための努力は欠かしません。今の家に引っ越してきてから、石神井公園で散歩をしているの」

 家から公園まで歩いてぐるっと一周。毎日8000歩を歩くのが大崎さんの日課だ。


「歩くことは健康の基本。歩けなくなったら一気に老いてしまう。だから、早くから歩く習慣をつくらないとね」

 公園では、太極拳も行う。

「日曜日と大みそかと元日以外は毎日ね。1時間ほど太極拳をやって、毎日8000歩歩く。それが健康の秘訣よ」

 毎週水曜日は麻雀をする。

「公園で会った人に誘われて麻雀の会に入ったのは83歳のとき。会は60歳以上が対象だけど私が最年長。大会では何回か優勝もしているわ」

 頭を使って、認知症予防に役立てているという。

「やはり年を取ったら、ぼーっと生きてちゃダメ。努力とケアで自分が楽しく生きられるようにしないとね。今の目標は現状維持。今が人生でいちばん楽しいし、身体もどこも悪くないから、この状態をキープしたい。今より上を望むのはちょっと贅沢だものね」

【大崎さんの1日のスケジュール】

AM 6:00 起床 軽めの朝食をとる

AM 7:10 石神井公園へ

AM 7:30 石神井公園で太極拳

AM 8:30 太極拳終了後、公園内を散歩

AM 10:00 帰宅 部屋の掃除、入浴、洗濯

PM 12:00 昼食

PM 2:00 ネットフリックスを見る

PM 4:30〜5:30 買い物に行ったり、夕食の準備にとりかかる

PM 6:30 夕食 娘とLINE電話

PM 9:00 ニュース番組を見る。合間に5分程度の体操

PM 10:00 就寝


教えていただいたのは……大崎博子さん●15万人超えのフォロワーを持つ89歳のインスタグラマー。書籍『89歳、ひとり暮らし。お金がなくても幸せな日々の作りかた』(宝島社刊)が話題。

(取材・文/ガンガーラ田津美)

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熱中症を防ぐ、水道水で15秒の「手のひら冷やし」

2022年7月2日 11:00 週刊女性PRIME

水道水で15秒手洗いするだけで(写真はイメージです)

 梅雨明けとともに連続の猛暑日が続き、最高気温が40℃を超える地域も。そんな中で、高齢者や子どもはとくに注意したいのが熱中症。何か良い予防策はないものかと探していたところ、「手のひらには体温を調節する特別な血管があります」と専門家。手洗いだけで暑さ対策になるというから、耳よりな話ーー。

 今年は例年よりも気温が高くなると予想され、室内外で熱中症の危険が高まる。

 熱中症は、体内の水分と塩分のバランスが崩れることや高温多湿な環境に置かれることで、体温管理機能がうまく働かなくなり、さまざまな症状が生じる状態のこと。暑いなか、立ちくらみや筋肉痛に近い症状を感じたら、軽度熱中症を疑いが。症状が進んでいくと、頭痛や吐き気、倦怠感などが表れ、重症になると意識障害やけいれんが起こることもある。そして、最悪の場合、死に至る

「手洗い」で深部体温をぐっと下げる効果が


 熱中症にかからないために大切なのは体の温度を上げないこと。そのためには、体を冷やすことが効果的だ。

 冷やす部位は首や足の付け根といった血流の大きなところ。そして「手のひらがおすすめです」と語るのは、熱中症に詳しい済生会横浜市東部病院の谷口英喜医師。「手のひらにはAVA(動静脈吻合)と呼ばれる特別な血管があるんです。これは動脈と静脈を結ぶバイパスのような血管で、普段は閉じていますが、体温が高くなってくるとAVAが開通し、一度に大量の血液を通します。そうすることで熱が放出され、冷えた血液が体に戻り、全身をクールダウンさせます

 ある研究によると「首・脇の下・そけい部」を冷やしたときよりも、AVAの多い「手のひら・足の裏・ほほ」の3点を冷やしたときの方が体温を低下させる、という結果が得られた。つまり手のひらは最強のラジエーターなのだ。

 やり方は簡単で、手のひら(可能ならひじまで)に水道水を15秒ほど流すだけ。つまり、普段の手洗いを少し念入りに行うだけで、新型コロナの予防と同時に熱中症対策が可能だ。

 もちろん、冷やす時間を長くすれば、効果をより実感できる。長時間冷やす場合は、桶やバケツに水を張り、5~10分ほど手を水に浸けておくといい。

あまりにも低い温度、例えば氷水などはおすすめできません。15℃ぐらい、ひんやりで気持ちいい、という温度がいいでしょう」(谷口医師、以下同)


 タオルを巻いた保冷剤などを握っても効果があるのかと思いきや、それは逆効果。

「手のひらは動脈と静脈が交わるとても血管の多い場所。そのため冷やしすぎると、冷たくなった血液が体全体にめぐり、血管が収縮してしまいます。そうなると効果が得られない場合もあります」

 冷えたペットボトルを手に持つのでもいいが、その場合は冷蔵庫から出した直後だと5度前後となり、冷たすぎるので、しばらく室内に置いて温度が上がったものがいい。

 すでに頭痛や吐き気、めまいなどの熱中症の症状が出てしまっていたら、冷やすのは首や足の付け根を集中的に。医療機関への搬送の目安としては未開封のペットボトルを渡し、自力でキャップを空け、しっかり飲むことができるか。手に力が入るか、口にペットボトルの先を持ってこられるか、むせずに飲めるかで状態をチェックすることができる。うまくできない場合は、医療機関へ。

すぐに始めたい汗をかく習慣


 熱中症予防で大切なのは「暑さに慣れる」ことだと谷口医師。急に気温が高くなる季節の変わり目や梅雨明けには、体が暑さに慣れていないので熱中症になる危険性が高まる。実際に急に気温が高くなった今年の5月や6月下旬は熱中症での救急搬送人数が急増した。


 暑さに順応した体づくりには、個人差はあるが数日~2週間かかる。今から対策し、熱中症になりにくい体にしていきたいところ。そのためには「汗をかく練習」を行いたい。

汗をかいて体温コントロールするには体の水分の量がたっぷりあることと、自律神経がしっかり機能していることが必要。長引くコロナ禍でこのふたつの機能が落ちてしまっていて、汗をかきにくくなっている人が増えています」

 自宅にこもることが多くなっているこの数年。知らず知らず筋肉が落ちて代謝が悪くなり、体の水分量が減ってしまっているという。また、一定温度の場所で長時間過ごす、あるいは、運動不足や規則正しい生活ができていないなどの原因があると、交感神経と副交感神経のバランスが崩れ、暑いときに汗がかきにくい状態に。

 うまく汗をかけるようになること、すなわち「汗活」には何が必要か。

「水分をたくさんとること。運動や軽いウォーキング、お風呂もいいですね。ぬるま湯にゆっくり入り、発汗を促すことも大事です」

 夏だからといって毎日シャワーだけで済ませていては、体内にこもった熱を発散できない。39度程度のお風呂に肩までつかったり、長めの半身浴をしたり。汗をかきにくい人や冷え性の人は夏でも入浴剤を使うのがおすすめ。

水分補給は1日8回、渇きを覚える前に



 水分補給は一定のタイミングで、と谷口医師。

「薬のように、毎日時間を決めて水分をとるのが一番。1日8回くらいにわけて、コップ1杯程度の水を飲みましょう。そうすれば1日に必要な水分量を摂取できます。じつは日ごろの水分を補給するなら温かいお茶でもいい。飲み物の温度は、体温調節にそこまで影響がありません。ただ熱中症の症状が出ているときは、冷たい飲み物で急速に体を冷やすことが肝心です」

 日中ずっとマスクで過ごしていると、のど渇きにも鈍感になりがちだという。また軽い脱水状態の時にも、のどの渇きを感じない。そのため、のどが渇く前、あるいは暑い場所に行く前・運動前から水分を補給しておくことが大切だ。

 体温調節が難しい高齢者や子どもは「水分補給」と「手のひら冷やし」を意識的に行い、暑い夏を無事に乗り切ろう。

「熱中症予防」ポイント3

(1)暑い時間の行動をさける

(2)水分補給は定期的に

(3)体温の上昇を抑えるために「手のひら冷やし」

「手のひら冷やし」ポイント3

(1)流水で15秒ほど

(2)冷たすぎるのはNG、10~15℃が適温

(3)首も同時に冷やすと効果的

谷口英喜 先生

済生会横浜市東部病院 患者支援センター長兼栄養部部長。福島県立医科大学医学部卒業。麻酔・集中治療、経口補水療法、熱中症対策などが専門。著者に『経口補水療法ハンドブック 熱中症、脱水症に役立つ 脱水症状を改善する「飲む点滴」の活用法』など。

取材・文/オフィス三銃士

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タモリ、好調の『タモリステーション』“沈黙”でも数字が取れるMC力とは

2022年7月2日 07:00 週刊女性PRIME

タモリ

「カーリングの見方が180度変わりました」

「明日は筋肉痛確定ですよ」

 7月1日、テレビ朝日系列で3回目となる『タモリステーション』が放送された。視聴者の間で話題となった“沈黙”の前回とは打って変わり、タモリは終始饒舌で積極的にカーリングを体験するなど、興味津々な様子が印象的だった。

「『タモリステーション』は今年の1月から不定期に放送されている特番で、初回はメジャーリーグのMVPに輝いた大谷翔平選手の活躍を分析しました。3月には第2回として、ウクライナでの戦争を“緊急生放送”で取り上げ、2時間ほどの放送中、タモリさんがほぼ無言で専門家の話に耳を傾けていたことが大きな話題になりました」(テレビ誌ライター)

 そんな前回から3か月がたち、今回のテーマはカーリング。


「北京五輪で日本史上初の銀メダルを獲得した女子チーム『ロコ・ソラーレ』を中心に、カーリングの魅力を掘り下げる内容でした。タモリさんはチーム生誕の地である北海道・常呂(ところ)町にも足を運び、ゆかりの地を巡っていましたよ」(同・テレビ誌ライター)

 ロコ・ソラーレ行きつけの寿司店としてもおなじみの『松寿し』では、こんな裏話が。

「ロケの時間は30分程度でしたね。当初はタモリさんとメンバーの対談に私も加わる予定だったらしいのですが……スケジュールが合わず、ほかの場所のロケも数分で切り上げていたそうですよ。スタッフの方々は常にバタバタしていました」(店主の渡辺大棋さん)

 タモリもロコ・ソラーレもそれぞれ多忙な身だが、それでもこの放送が実現した背景にはテレビ局の思惑がある。

「『タモリステーション』はテレビ朝日・早河洋会長の肝入り企画。もともとタモリさんは報道番組を好まないので、前回ウクライナ問題を取り上げたのは会長の意向が色濃く反映された結果です。世帯視聴率も第1回が15.9%、第2回が13.5%と、“タモリ”の冠が付くだけでこれほど安定した数字が取れ、局が救われているわけですから、今後も定期的に放送していくでしょうね」(テレビ朝日関係者)

“沈黙”していても視聴率を稼ぐ驚異のMC力。その秘密について、テレビウォッチャーのかわむらあみりさんに話を聞いた。

視聴者が安心して番組に集中できる“平熱感”


「タモリさんのすごさをひと言で表すなら“平熱感”。うるさいとも、物足りないとも感じない温度感で、かつ的確な司会進行をするので、タモリさんがいるのといないのとでは番組の締まり具合がまったく違うんです。また、どんな状況でも動揺する様子を見せないため、視聴者は安心して番組に集中できる。ほぼ無言だったとしても、むしろ“ただそこにいるだけで存在意義がある”という、代わりのいない唯一無二感がより強調されていたのではないでしょうか」

 放送された時間帯も、タモリに合っていると続ける。

「金曜日の午後8時前後の放送なので、平日の仕事に疲れ、週末を目前に一息つきたい視聴者が多い時間帯。そんなとき、『笑っていいとも!』で慣れ親しんだタモリさんの司会が身体にスッと入ってくるのかもしれません」(かわむらさん)

 次のテーマは、11月にワールドカップが開催されるサッカーだろうか。いずれにせよ、再びタモリを沈黙させる出来事は起こらないでほしい!

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海外メディアも注目した「たま駅長」の現在

2022年7月2日 06:00 週刊女性PRIME

初代たま駅長

 動物たちの話題はいつでもほほえましいものです。かつて話題になった動物たちは、“今”どうしているのでしょうか。海外メディアにも取り上げられた猫駅長・たま駅長のその後を取材!

初代の遺志を継ぐ「継承猫」たちが!


 平成の猫ブーム、いわゆる“ネコノミクス”のきっかけになったともいわれる、和歌山電鐵貴志川線貴志駅の三毛猫駅長「たま」。たまが駅長に就任した背景をたどると、廃止の危機にひんしていた貴志川線を、南海電鉄から和歌山電鐵が事業継承した2006年までさかのぼる。

「事業継承の際に、路線や駅の敷地が公有地になりました。その中のひとつに、たまちゃんが飼われていた小屋があった。'06年4月1日の開業セレモニーの際に、飼い主の方が当社の小嶋光信社長に『猫たちを駅の中にすまわせてもらえないか』と直談判したことが始まりです」

 そう話すのは、和歌山電鐵を運営する両備グループ広報の山木慶子さん。たまの目を見た小嶋社長は、「社員の中にもこんなに目力があるものはめったにいない。目が合った瞬間、たまちゃんが自己申告したかのように、たまちゃんの駅長姿が浮かんだ」という。

 その直感は大当たりする。訓練を経て、'07年に無人駅である貴志駅に着任した駅長の凛々しい姿は瞬く間に多数のメディアで取り上げられ、「たま駅長」の名は知れ渡る。

 関西大学の宮本勝浩名誉教授の試算によれば、たま駅長の和歌山県への経済波及効果は約11億円。着任以前は、利用客数が年間200万人を割り込んでいたが大きく増加し、ピーク時('15年度)は232万人に。運賃収入だけの収益分岐点は年250万人。利用客数こそ惜しくも届かなかったが、海外のメディアも多数訪れるなど、たま駅長がもたらした影響力は計り知れない。

「社長面接」に合格して駅長に!



「貴志川線沿線には神社が3つあり、この路線はもともとその神社を回るためにできた鉄道です。これだけ多くの人を集めたのは、たまちゃんが神社の神様の使いだからではないでしょうか」(山木さん)

 地方ローカル線の再生のシンボルとなった和歌山電鐵は、地域活性化の功績を残した。'15年、たまが没した際の社葬には、和歌山県知事をはじめとした公人、そしてファンら約3000人が集まった。

 現在、たまの遺志を引き継ぎ、“ニタマ”と“よんたま”の2匹の猫が貴志川線を盛り上げるべく、駅長として奮闘している。

「ニタマは、岡山県で保護され、その後、当社に『里親になってくれないか』と依頼があって預かることに。当社のねこ駅長訓練所に入所し、自ら仕事をする、爪をたてない、帽子をかぶるのを嫌がらないといった社長面接に合格し、今に至ります。名誉永久駅長のたまちゃんがいたからこそ、多くのつながりができました」(山木さん)

 '21年12月にデビューした新しいたま電車ミュージアム号を目当てに、今も多くのファンが訪れるという。

「たまちゃんのためにも、これからも工夫をして、和歌山電鐵の魅力を伝えていきたいですね」(山木さん)

【そのほかにも……あの動物たちの“その後”】



人面魚

1990年に一大ブームを巻き起こす。今も当時のように、善寳寺(山形県鶴岡市)の貝喰池で泳いでいる



ロシナンテ

『雷波少年』(日本テレビ系)のドロンズが挑戦した「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク」で人気者になったロバ。現在は、田中義剛が経営する北海道の花畑牧場で暮らしている



カッタくん

山口県宇部市のときわ公園で放し飼いにされていた、オスのモモイロペリカン。幼稚園児とのふれあいが印象的だった。'08年に死ぬものの、1羽の息子、6羽の娘、2羽の孫が



バブルス

故・マイケル・ジャクソンさんと共に暮らしていたことで知られるチンパンジー。現在は米フロリダ州の「Center for Great Apes」(大型類人猿センター)で余生を送っている

取材・文/我妻弘崇

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