小林亜星さん
「直前までお元気だったそうで。亡くなる前日の夜も、家でお酒を飲みながら、焼き鳥と枝豆、トウモロコシなんかをつまんでいたって……」(古くからの知人)
「亜星さんのすごいところは、子どもから大人まで“どこかで一度は彼の曲を耳にしたり口ずさんだりしたことがある”ということ。童謡『あわてんぼうのサンタクロース』も彼の作品だし、アニメソングもたくさん書いた。都はるみさんの『北の宿から』でレコード大賞もとった。大御所作曲家は何人もいますが、これだけバラエティーに富んだ作品をこなしたのは亜星さんだけです。本物の天才でした」
「亜星さんは寺内貫太郎と同じように頑固なところもあってね。天下のJASRACに反旗を翻して脱退したり。酒を飲みに行けば2、3軒はしご。朝まで飲んで、明け方に寿司をつまんで帰るんです。80歳近くになってもそうやって元気に飲み歩いていましたから」(音楽関係者)
参列を許されなかった次男
「30日の朝、起きてトイレに入ったところでドーンと倒れちゃったんだって。奥さんが亜星さんを起こそうとしたんだけれど、あの身体でしょう? 奥さん1人ではどうにも動かせなくて、ご近所の友人夫婦に助けを求めて、どうにか救急隊を呼んで搬送してもらったんだけれど、そのまま……」(前出・知人)
「病院への搬送を手伝ったご夫婦だけは参列して、あとはご家族だけで“静かに送り出してあげたいから”と。“俺の葬式はやらなくていい”という亜星さんの生前の意向もあったそう」(同・知人)
「亜星さん、朝夫さんとは絶縁状態だったんです。そうなる前から、朝夫さんは亜星さんの頭痛の種だったんですが、例の“事件”の後、亜星さんが勘当したんです。今回も朝夫さんには“亜星さんが亡くなった”という連絡だけで、葬儀には呼ばなかったそうです」(同・知人)
「その弁護士費用や60万円の罰金、被害者への賠償金を立て替えたのが亜星さんだったって。“手切れ金”代わりにね」(同・知人)
「人生の終止符です」
《長かった、昭和の時代がおわりました。人生の終止符です。今日から再スタートを切ります》
「朝夫さんはもういないよ。もうずいぶん前に一家離散です。朝夫さんのことは思い出すだけでも嫌だねぇ」
「仕事もロクにせず、いつもブラブラしていました。代わりに奥さんが駅の売店でアルバイトをして生活を支えていたんだ。でも、こっちに来てから3、4年もたつと奥さんがストレスで下血したり円形脱毛症になったりね」
「沖縄と隣町に愛人をつくっちゃってね。隣町の愛人との間には子どもまでできちゃったのよ。それで奥さんは上の子の大学進学のタイミングで家を出ていったんだけれど、下の子はまだ中学生だったからこっちに残ったんだ」
「だけど、朝夫さんは下の子を同じ敷地の“離れ”にたった1人、ほったらかしにしちゃったの。朝夫さんはたまに箱買いしたカップラーメンを差し入れするだけ。あまりに不憫でウチで食事を食べさせたことも何度かあったよ」(同・近隣住民)
「遺産が4億円はある」
「“親父は金持ちだから遺産が4億円はある”って。でも前の奥さんと一緒のときには、亜星さんもちょくちょく遊びに来ていたけれど、その愛人が来てからはピタッと姿を見なくなった。例の事件が起きたのはそれからしばらくしてですよ」(同・近隣住民)
「亜星さんも“家族の争いになるくらいなら何も遺さないほうがいいんだ”とよく言っていた。天国の亜星さんが悲しむようなことにならないといいけれど……」