'90年ごろに開かれた佳代さんと敏勝さんの結婚式。左のふたりが八十子さんと国光さん
「角田(旧姓)佳代さんは小学3年生ごろに神奈川県藤沢市に引っ越してきて、祖母とご両親、弟の5人暮らしでしたね。お母さんの八十子さん(すでに他界)は、お子さんふたりを出産する前後に全身がリウマチになり、簡単に出歩けなくなってしまいました。病気のストレスも相まって、宗教団体に入会していたことを覚えています」(八十子さんを知る知人)
一家を支えていたのは現在、小室さん親子と同居している佳代さんの父・国光さんで、当時は横浜市内の工場勤め。
幼いころから母親に気を遣う父親の姿を見ながら、病気に苦しむ母の世話をするという“苦労時代”が佳代さんの「原点」だった─。
そして短大を卒業後の'90年ごろに横浜市役所に勤める敏勝さんと結婚し、'91年に圭さんが誕生した。
圭さんの結婚延期が発表された翌日、敏勝さん方の親戚宅を訪ねて話を聞くと、婚約会見後の昨年10月に「食事会」が開かれていたという。
「圭くんから電話で婚約の報告をもらったので、こちらから“久しぶりにいらっしゃってはいかが”と誘い、親戚を集めて本家で食事会を開きました」(小室家の本家筋)
実は、ほとんどの親戚が圭さんとは疎遠になっていた。
約20年ぶりの再会とあって、食事会は昼前から約5時間にも及んだという。
「圭くんは警護の方と一緒に来ましたよ。彼と会うのは彼が幼稚園のとき以来で、よく大きくなったなあと。“近くに住んでたおばちゃんだけど覚えてる?”といった世間話くらいで、眞子さまの話題は出ませんでしたし、佳代さんは来ませんでした」(敏勝さん方の親戚)
小室さん親子が敏勝さんの親戚と疎遠になったのは、ある「事件」がきっかけだった。
「圭さんがまだ小学生のころ東京都八王子市に佳代さんのご両親との二世帯住宅を購入する計画があったそうです。
ご存命だった敏勝さんが金策に奔走していて、敏勝さんの実家にもお金の工面を頼み、断られてしまったんです。新居はあきらめたのですがこの一件から敏勝さんの親戚とまったく交流がなくなったんです」(佳代さんの知人)
佳代さんが食事会を欠席したのは20年たってもわだかまりが残っていたためか。以前も身内に金銭のもめ事があったのは気にかかる。
その一方で、今回騒動になった竹田さんへの400万円超の「借金」は返される見込みはあるのだろうか。
静岡福祉大学教授で皇室制度に詳しい小田部雄次さんは次のように話す。
「宮内庁は借金トラブルと延期は無関係だとしていますが、再来年までの間に穏便な決着をつけることは必要でしょう。
ただ、眞子さまや皇室側が工面すれば国費を使うことになるので、小室家の努力が必要だと思います」
小室さん親子が「誠意」を見せる日は来るのか。