井浦新 撮影/廣瀬靖士
今週金曜日の放送で最終回を迎えるドラマ『アンナチュラル』(TBS系)。放送の盛り上がりとともにハマる女性が急増しているのが、口も態度も悪いがどこか憎めない、法医解剖医・中堂系を演じている井浦新(43)。
ニュースサイト・モデルプレスが実施した『今期ドラマであなたが最も“胸キュン”したイケメンは?』ランキングでは2位にランクインするほど。
「いちばんビックリしているのは僕だと思います。胸キュン、イケメンといったものとはほど遠く、恥ずかしさをさらけ出してやってきましたから。だから、SNSの投稿のコメント欄に“カッコいい”と書かれていると戸惑ってしまいます。40過ぎたおじさんなので(笑)」
メジャー作品から単館系の作品まで、ジャンルを問わず出演する実力派俳優となった井浦。そのキャリアのスタートは、19歳のときに、インディーズブランドのファッションショーにモデルで参加したところをスカウトされたことだった。
「ファッションが大好きで、洋服店に通い詰めていたんです。そのショップの方の知人のブランドの方に頼まれて出ただけだったので、モデル事務所の方に声をかけてもらったときは、詐欺なんじゃないかって疑ったぐらい(笑)。当時はインターネットが普及していなかったので、情報源は雑誌。僕自身もファッション雑誌を読みあさっていたので、“もしかしたら、いつも読んでいる雑誌に出られるかも”と、ドキドキしながらいただいた名刺に電話をしました」
もともと音楽や映画が大好きで、1浪して入った大学では放送研究会に所属。
DJ活動などはしていたというものの、まさか自分が芸能界に入るとは夢にも思っていなかったという。
「愛読している雑誌に、記念で出られたらいいな、という感じでした。これで憧れているファッションの世界に近づいたかなぐらいの感覚でした」
ARATA名義でモデルデビューすると、一気に人気モデルの仲間入りを果たす。そしてデビューから3年。写真集で井浦を見たという是枝裕和監督から、映画出演の話が舞い込む。
「“是枝監督という人が新しく映画を撮るそうなんだけど、そのオーディションとして自分の思い出というテーマで作文を書いて”と事務所の人に言われたんです。“何で作文なんだろう?”と思いながらも、『音楽と家族』みたいな内容で提出したら、主演でやってみないか、と言っていただいて。当時の僕はモデルも卒業して、ブランドに専念しようと思っていたところだったので、思い出づくりにやってみようかなと出演することに決めました」
映画『ピンポン』後に仕事
殺到も芸能活動を一時休止
そして’99年公開の映画『ワンダフルライフ』で役者デビューを飾る。
「是枝監督からは“芝居をしなくていい”と言われたので、その言葉を信じてやりました。是枝監督の実験に参加させてもらえたことは本当に貴重な経験。そこで得たもの、感じたものがすべてのルーツになっています」
役者の仕事に刺激や楽しさを感じる一方、居心地の悪さも感じていたようだ。
「『ワンダフルライフ』の現場で寺島進さんや内藤剛志さんといった叩き上げの役者の方々とご一緒させてもらったのですが、そんな方たちを前にして、ポンと突然、映画の現場に放り込まれた僕が、“役者です”と簡単に言っちゃダメだなという思いがあって。今はたまたま目新しさで求められているかもしれないけど、ちゃんと演技の世界でできるのか、というのを確かめたかったんです」
そのためしばらくは、納得した作品だけに出演していたとか。そして4作目となる映画『ピンポン』(’02年公開)では主要キャストであるスマイル役に抜擢! 同作は日本アカデミー賞で8部門を受賞するなど、高い評価を得ただけに、井浦のもとにも多くのオファーが届くようになったが、1度ドロップアウトしてしまう。
「窪塚洋介くんや『アンナチュラル』でも共演している大倉孝二くんなど、勢いのある役者ひと筋の同世代の俳優と一緒になったことで、“僕はここにいていいのか?”と、気持ちが引いてしまったんです。こんな気持ちのまま仕事をしたら、映画に失礼だと思い、事務所の方に頼んでオファーはすべて断ってもらいました。表に出なきゃみんな忘れてくれるだろうと、そこから数年は服づくりに専念していました。自分の心がまだ育っていなかったんです」
芸能活動をしていなかったにもかかわらず、映画業界は彼を忘れることはなかった。映画『青い車』(’04年公開)ではプロデューサーを務めていた、映画監督・越川道夫からオファーが届いたことで、再び役者としての人生を歩み始めることに。
「最初はいつものように断ったんです。だけどそれでも“とりあえず会いましょう”と何度も言ってくださって。数年間、活動していない僕をこんなに求めてくれる人たちは、どんな方なんだろうと興味が湧いて会うことにしたんです。自分が思ってもいなかった方向に人生が進んだとき、そこに向かっていくほうが大変だと思うんです。僕は言い訳をしながら逃げてしまったのですが、そんな僕を求めてくれたこともうれしかった」
言葉を選びながら、丁寧にこれまでのことを振り返ってくれた井浦。モデル、デザイナー、役者……とさらりとこなすだけにてっきり器用な人かと思っていたが、「見せかけです(笑)」と笑いながら、こう続けた。
「不器用なタイプだと思います。絶対効率よくできるだろうってことも、遠回りの道を選んでしまう。でも結果論ですが、そうして時間かけて遠回りした分、今の自分がある」
若松監督との出会いと
月9ドラマへの出演
是枝裕和監督との出会いと同じぐらい大きな転機だったと語るのが、日本インディペンデントの巨匠とも呼ばれる若松孝二監督。’08年公開の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』以降、晩年の若松作品5作品すべてに出演。
「若松監督が『実録・連合赤軍』を撮ると聞いて、いても立ってもいられなくて、初めて自分から“オーディションを受けさせてください”と動きました」
すでにメジャー作品で主要キャストを経験していただけに、現場にいた役者たちからの目は厳しかったという。
「当時はまだARATA名義だったので、“アルファベットでやっているやつが何でいるんだよ”といった視線は感じました。僕自身は1度ドロップアウトしている身でそんなつもりはまったくなかったから“こいつらには絶対負けない”と逆に燃え上がりました(笑)。そういう闘志むき出しの現場だったから、若松組で過ごした者たちの中に、今でも同志だなって思える人が生まれましたし、初めて自分からぶつかりたいと思った監督と現場でした」
若松監督と出会った同時期、プライベートでも人生の伴侶を得る。そして’10年には長男が生まれ、父親に。
「結婚が演技に反映されているかはわからないけど、父親になったことで生き方や考え方は広がりました。これまで以上に挑戦したいという欲も出たし、生きることが楽しくなりました」
若松監督に「怖がっていないで、来た仕事は全部やりなさい」と言われたこともあり、これまでは考えもしなかったというテレビドラマにも本格的に進出。’12年放送の月9『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)は話題に。
「月9だったんだと思うと今さらゾクッとします(笑)。若い世代でずっとトップを走っている小栗旬くんの座長としての姿からは大きな刺激をもらったし、石原さとみさんともここで築いた信頼関係があったからこそ、後の共演作品にもつながっていったと思うので、経験させてもらえてよかったです」
その後は作品の規模に関係なく、数多くの作品に精力的に出演している。
「僕自身の根っこは変わっていないんです。育ててくれたのはインディペンデントな環境ということもあり、メジャーな作品だから……みたいな概念があまりないんですよ。自分の信念さえ持っていれば、活動の場はどこでもいい」
残念ながら『アンナチュラル』は最終回を迎えてしまうが、土曜日からは主演を務める映画『ニワトリ☆スター』が公開。過激な描写も含んでいるため、R―15に指定されているが、こう話す。
「『アンナチュラル』も本当に伝えたい部分を描くために死体も見せなきゃいけない。表現方法は違うけど、この作品も目を覆いたくなる部分があるからこそ、本当に美しいものが見えてくると思うんです。楽しさっていろんな形がある。中堂系役で興味を持ってくれた方が、この作品を見ようと思うキッカケになってくれたら、僕にとってはいちばんうれしいことですし、いい意味で裏切れたらいいです」