神田沙也加
《突然のご報告ではございますが、私、神田沙也加は、村田充さんと離婚しておりました事をご報告いたします》
「秋山さんは4人組グループ『MADE』のメンバーで、嵐やNEWSなどのバックダンサーも務めています。沙也加さんとの出会いは、7月に上演された舞台『SHOW BOY』での共演。8月には地方での公演もあり、そこでふたりの距離が徐々に縮まっていったそうです。最終的には沙也加さんが10月に村田さんとの家を出ていき、秋山さんは彼女の新居近くに引っ越したそうです」(芸能プロ関係者)
《結婚以来、子供のことについてずっと話し合ってまいりましたが、折り合う答えを見つけることが出来ませんでした。(略)結果、別々の人生を歩むという結論に至りました》
「結婚当初、沙也加さんは子づくりに関してわりと積極的だったように見えましたよ。舞台の共演者に“妊娠して舞台を降板した場合の違約金って、いくらぐらい取られるのかな?”なんて冗談で言っていたぐらいですから。その気はあったんだと思います」(舞台関係者)
松田聖子・神田正輝の娘に生まれて
「村田さんはこの活動休止をきっかけに、自分が家庭に入って自宅でできる仕事にシフトしようと考えていたそうです」(村田の知人)
「村田さんは、子どもができたら両親がともに芸能人なのはかわいそうだという考えがあったんです。沙也加さんは松田聖子さんと神田正輝さんの娘ということで、ずっと好奇の目にさらされてきた。それをいちばん近くで見ていた彼は、彼女の気持ちが痛いほど理解できていたのでしょう」(同・村田の知人)
《卒園式のときに周りの父兄の方がざわざわしているのがわかって。「あれが!」「あの人が!」っていうざわつきが伝わって来て。そのときに、私の家には噂されたり、取沙汰される何かがあるのかもしれないって思うようになりました》
「昭和の大スター・聖子ちゃんの娘ですから、どこにいても注目を集めてしまう。沙也加さんが一時、芸能活動を休止していたときもマスコミに追いかけられたことは、そうとうショックだったそうです」(スポーツ紙記者)
「沙也加さんが成人したころから“プライベートには関わらないし、母娘関係をアピールするコメントはしない”と決めたそうです。だからこそ、彼らの結婚披露パーティーにも、聖子さんは“娘の邪魔はしたくない”と出席しませんでした。でも、結婚報告直前には母娘で都内の高級フレンチレストランでお祝いをするなど、すごく仲はいいんですよ」(同・スポーツ紙記者)
離婚の翌日、ディナーショーを開催した“聖子ちゃん”は
「村田さんは自分たちの子どもには沙也加さんのような目にあってほしくないと思っていたんじゃないかな。彼はそもそも“主夫”願望があり、沙也加さんのプロデューサーとして裏方に回りたかった。“沙也加さんが仕事に邁進して、自分が子どもを育てる”という気持ちがあったと思いますよ」(前出・村田の知人)
「彼女はテレビや映画というよりは、主にミュージカルの舞台を中心に活動する女優です。舞台の仕事というのは、大きい劇場の作品だと2〜3年先のスケジュールまで押さえられてしまうこともあります。そうなってしまうと、出産と育児のために沙也加さんがオファーを断って、女優業を休業しないといけない。でも、彼女はなかなかその決断に踏み切れなかったそうです」(前出・舞台関係者)
「沙也加さんほどの女優でも、オファーを1度断ってしまうとほかの女優さんにとって代わられてしまう可能性があるんです。彼女としても、女優業を再開したときに“もう呼んでもらえないのではないか”という危機感はあったと思います」(同・舞台関係者)
「自分が仕事をできないということは、当然、夫である村田さんの収入に頼ることになります。でも、彼の仕事は安定した収入が見込めるものではなかった。将来への不安を覚えた沙也加さんは、結果的に舞台のオファーを受け続けることを選んだのです」(同・舞台関係者)
「何度も来ていますが、聖子ちゃんはプライベートのことを話さないんですよ。過去に母娘でショーに登場したときは多少話していましたけど」(ショーを観劇した女性)
「お話しできることはないんです、いろいろなことがあるので。でも、お互い勉強になったこともあったと思います。子どもは子どもでやっていますし、もう40過ぎた大人ですから。私から何も答えることはありません」