お受験2.0
【小学校受験のお作法2.0】親子力を合わせ、厳しいお受験を乗り越えるためにも、先人たちのリアルな合格体験談はあらかじめしっかりと知っておきたいもの。しかし、幼児教室などで登壇する合格者の経験談は、幼児教室の先生たちのフィルターがかかった内容になりがち。実際には色々な教室に行っていたのに「我が家は本当にこちらの教室のみでした」とコメントされることもあるそう。そこでここでは、お受験コンシェルジュ&戦略プランナーのいとうゆりこさんが、合格者のお母様たちにインタビューを実施。合格するまでの道のり、そして入学後の様子など“生”の声を伝えてくれます。あくまでもひとつの参考とされてみてくださいね。
慶應義塾横浜初等部に合格した男の子の場合
「結婚が決まってから、すぐにお受験準備をはじめました。まず、私自身がかつてお世話になり、20年以上年賀状のやりとりをしていたファミリースクールの先生にお手紙を書きました」と語りはじめたお母様から、これほど壮絶な経験談を伺うことになるとは、このとき私は思っておりませんでした。
ご家族のスペック
・お父様:東京出身、筑駒→東大卒、外資系コンサルティング会社勤務
・お母様:東京出身、女子校育ち、短大卒、社長令嬢
・お子様:御三家幼稚園
――結婚と同時に、かつてお世話になった先生にお手紙を書かれたということですが。
「はい、結婚が決まると、その先生に婚約や挙式披露宴の日時をお知らせし、ご都合を伺うお手紙をまずお出ししまして、お手紙が届く翌日にお電話を差し上げました。
ところが、息子は生まれたときから少し様子がおかしく……立っちもあんよも言葉が出はじめるのも月齢よりも早かったんです。そして、とにかく寝ない子どもで、授乳しながら寝落ちしても30分で起きてしまうんです。
24時間のうち、寝ている時間はトータルで3時間程度だった気がします。何度も病院に行きましたが、成長には問題がなく、いつかは寝るようになると言われ続けました。
ファミリースクールに通うようになって、刺激が強かったのか、夜は少し寝てくれるようになったのですが、そこに慣れてきた1歳半頃からはまた寝ない子に戻ってしまいました」
――ファミリースクールにはどれくらいの頻度で行かれていたんですか? 寝かせるための苦労が大変だったことと思います。
「週に3回です。ファミリースクールのない日は朝から夕方まで児童館に通う日々でした。朝10時に児童館に行き、2時間遊ばせた後、休憩室でお弁当を食べさせ、ベビーカーに乗せて街を一周。そうしているうちに眠るので、眠った瞬間、私はカフェに入り一息つき……といった具体です。
――そんななか迎えられた幼稚園受験。いかがでしたか?
「あっという間に幼稚園受験の本番はやってきました。狙ったのはもちろん、幼稚園の最高峰と言われている、超名門どころです。主人の取引先の会社の方からのご紹介もあり、事前面接も難なく終わっていたので、安心して迎えた試験当日。
――残念ながら不合格になってしまったと…。
「その後、気持ちを入れ替え、ファミリースクールの先生とお話をし、2年保育の暁星幼稚園を目指すことにしました。描いたのは、暁星→東大コースです。そこで、3年保育の幼稚園には行かずに、通っていたファミリースクールにそのまま進級しました。
――精神的にも苦しい状況下、暁星の結果はいかがでしたか?
「暁星幼稚園合格率90%以上という個人の先生もご紹介いただき、息子も鍛え上げられ、お教室や試験では何とかなるレベルまで仕上がっていたんです。しかし、暁星幼稚園にも不合格。またしても息子の貴重な経歴一行目を失ってしまったのです。
そんななか、絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、ファミリースクールの先生です。特殊なルートを駆使してくださり、“二次募集”という名の裏ルートで超人気ご三家幼稚園に編入という形で入園させてくれたのです!
――暁星ではないものの、本来3年保育の超人気ご三家幼稚園に、編入という形で2年次から通うことができるようになったと。次に目指されたのは、やはり慶應幼稚舎ですか?
「慶應幼稚舎は、やはり超名門幼稚園以外からの枠はさほど多くないようで、そのほとんどが卒業生や在校兄弟にあてがわれるという噂を聞き、再度、暁星小学校に挑戦することにしました。
そこで、やれることはすべてやろうと思い、小学校受験のペーパー難関塾、暁星専門の体操教室、暁星の先生が行う宗教講座、暁星向け個人の先生、そして『ジャック幼児教育研究所』にも通わせました。毎日お稽古を掛け持ちしながら、2年間息子と走り続けました。
――万全の対策をして臨まれた暁星小学校の受験、いかがでしたか? ほかにはどこを受けられましたか?
「慶應幼稚舎と横浜初等部にも出願しました。暁星は、一次試験は通過したものの、二次試験の際、試験会場でお友だちと喧嘩をしてしまい、不合格となりました。
――症状はなかったのですか?
「前々から胸がたまに痛くなることがあったり、出産後や授乳を止めた後の検診で、乳腺に石灰化したものが見つかったことはありましたが、医師の所見でも気になるところがなく経過観察と言われ。その後6年間は受験に忙しく、人間ドックを受診していませんでした。
――お子様の様子があまり良くない方向にいってしまったと。
「2学期になると、息子の生活はどんどん荒れていきました。授業には集中しない、お友だちとは喧嘩ばかり、通学の電車でも迷惑行為をし、学校に通報されてしまったり……夫婦で謝りに行く日々でした。
私の病気は夏休み中に入院も手術も済ませており、学校にも担任にもママ友にも報告しておりませんでしたので、みなさん事情を知らなかったこともあり、ただただ謝ることしかできず。そんな状況ながら息子はなんとか進級していきましたが、高学年になると勉強がとても厳しくなってきました。
自分の理想を押しつけた結果がこれなのか? 東大やら慶應やら、夢を押しつけた結果がこれなのか?
お受験中には通報され、夫に問われる度に、“私がお腹を痛めて産んだ子どもなんだから、息子は私の所有物! どうやって育てようが私の勝手でしょ!?”と、きつく当たってきたせいなのか……乳がんという大きな罰は与えられたはずなのに、私の苦しみは終わりません」
――壮絶な体験をお話くださり、ありがとうございます。
「この取材を受けたときに、ネットで叩かれまくることは覚悟しました。きっと、ヒドくディスられることもあるだろうと。それでも取材を終えた後、掲載に了承したのは、一緒に取材を受けてくれたママ友も泣きながら共感してくれたからです。
<著者プロフィール>
いとうゆりこ◎お受験コンシェルジュ&戦略プランナー。自身の経験から美容や健康・芸能・東京に関するマネー情報まで幅広い記事を各媒体で執筆中。いとうゆりこ受験情報公式サイトは、https://itoyuriko.studio.design