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元スーパーモンキーズ・牧野アンナさん、父との絶縁、沖縄追放の果てに

2018年11月10日 17:00 週刊女性PRIME

 国立オリンピック青少年総合センターの練習室は、Jポップの曲に合わせて踊る50名ほどの若者たちの熱気に包まれていた。ブレイクダンスの床技から逆立ちするひと、上半身をしならせて美しいターンをするひと、延々とジャンプを繰り返すひと。みな型にはまらない自由な表現をしている。

 この団体の名は『LOVEJUNX(以下、ラブジャンクス)』。世界初のダウン症のひとたちのためのエンターテイメントスクールだ。東京をはじめ北海道、大阪、沖縄に拠点を持ち、総勢600名ほどの会員がいる。

 一緒に踊りながら、生徒を鼓舞するのが代表の牧野アンナさん(46)。かつて安室奈美恵とともに『スーパーモンキーズ』でデビューした元アイドルだ。父は安室を見いだした沖縄アクターズスクールの創設者、マキノ正幸さん(77)。アンナさんも引退後はスクールのメインインストラクターとして、SPEEDやDA PUMP、三浦大知を育てた。現在は振付師としてAKB48やSKE48らの振り付けの指導もしている。

振付師、『LOVE JUNX』代表 牧野アンナさん

 華やかな芸能の世界とは異なるラブジャンクスの活動をアンナさんが始めてから、今月で17年目となる。

「最初は私もダウン症の子たちについて何も知らず、大変だとか頑固だとか、体力がないといったネガティブな情報しか入ってきませんでした。

 でも今、私が一緒にいる彼らはとてもハッピーで、健常者といわれる私たちよりずっと正直で健全なんです」

 みな普通にコミュニケーションがとれるし、傷つき、恋もする若者たちであり、自分の好きなことを見つけて、人生を楽しんでいるのだ、と。

「もし家族が大変なのだとしたら、それは理解のない社会と闘っていかなければならないからで、この子たちが大変なんじゃない。そういう情報がまったく伝わっていないんです。私はエンターテインメントを通して、彼らの姿を届けたいと思っています」

 アンナさんが大事にしていることは振り付けがそろうことではなく、本人たちの色を出すこと。そこに他者にはかなわない表現があるという。

 休憩中、生徒の那須絵里子さん(31)がレッスンについて生き生きと語ってくれた。

「始めて15か月ですけど、とにかく楽しいんです! 土曜は仕事もお休みですしね。来年は中野サンプラザで発表会もあるんです」

 高校3年の山口美紗さん(18)の母、三枝さん(55)は、一歩先を行く先輩たちの姿を見ると励みになるとしたうえで、こう話してくれた。

「いろいろな子どもたちがいますが、アンナ先生はひとりひとりの目線に合わせた指導をしてくださいます。健常者のクラスでは白い目で見られたりして、行く場所もなかったんですが、ここでは子どもたちがみんな堂々としているんです。先生ならほかにもたくさんお仕事があるはずなのに、こちらを優先してやってくださって、本当にありがたいです。アンナ先生はここが(胸を指して)温かい人だなと。そうでなければ引き受けてくださらないでしょう」


*************


 今年8月の24時間テレビにラブジャンクスが出演し、AKB48らと競演した。そのようなメディアへの登場も、より多くの人にラブジャンクスやダウン症について知ってもらえる機会になればとアンナさんは考えている。

 現在、秋葉原のAKB48劇場では『牧野アンナプロデュース公演』が行われている。稽古中、ファンの間では「鬼軍曹」と称されるアンナさんの手厳しいゲキが飛んだという。そこにはラブジャンクスで見せるやさしい表情とは異なる、シビアな世界で生きるアイドルたちへの厳しい眼差しがある。その公演のキャプテンを務める村山彩希さん(21)は語る。

「パフォーマンスをなんとなくやっちゃってると、メンバーの前でOKが出るまでひとりで踊らされるんです。最後はみんな泣きながらやりました。私もその立場になったんですけど、全然OKが出なくて!」

 しかしその経験を経て、チーム全体にがむしゃらに取り組む姿勢が生まれたという。

「アンナさんはステージに立つ側とスタッフ側と両方経験されているので、言葉にすごく説得力があって信頼できるんです。ご自分の失敗談も全部さらけ出して話してくださるので、アンナさんは本気なんだなって。じゃあ自分たちも本気でぶつかっていこうと決めました」

 アンナさんによって新しい息吹が吹き込まれた公演は、これまでにないAKB48を体現していると好評だ。

「いま仕事をしている若い子たちが抱えている不安や悩みが手に取るようにわかるし、どうしたらそこを抜け出せるかもわかるんです。希望に満ちた人間がいかに短い間でダメになってしまうか、身をもって体験しているので。嫌な経験も、指導者となった今、活(い)かせる場面があると感じています」

 そう話すアンナさんにも、居場所を求めてさまよったつらい過去がある。その起伏に富んだ道のりを辿(たど)る。

津川雅彦宅に居候し、ソロデビュー


 1971年12月4日、東京で生まれた。2つ上に兄がいる。曽祖父は日本映画界の祖といわれるマキノ省三、祖父は映画監督のマキノ雅弘、父の従兄弟(いとこ)には俳優・長門裕之、津川雅彦がいるという芸能の家系だ。

 アンナさん1歳のとき一家は沖縄へ移り住む。

「父は遊びで訪れた沖縄が気に入り、親からの遺産も手にしていたので、ここで何か始めようと移住したようです」

 アンナさんが10歳のとき、父は俳優を養成する沖縄アクターズスクールを始めた。人見知りしがちだったアンナさんも母のすすめで入校し、すぐに芝居に夢中になった。

 やがて時代は松田聖子や中森明菜といったアイドルの全盛期を迎え、スクールも子どもたちの歌とダンスを育成する場に転換していく。次第にアンナさんもアイドルデビューへの夢を膨らませていった。

 14歳のとき、オーディションを受けたいと上京する。手を差しのべてくれたのは津川雅彦であった。

「父と相談しにいくと、津川さんは、うちで預かるよと言ってくれました。(娘の)真由子もきょうだいがいないからアンナがうちに来てくれたらうれしいだろうからと」

 津川はオーディションのブッキングをしてくれ、日舞やダンスの稽古に通わせてくれた。実娘と同じように食事や観劇に連れていき、洋服も買い与えてくれたという。

「値札なんか見なくていいから、お前の欲しい服を選べと。私の願いを叶えようと面倒をみてくれ、夢のような生活を送らせてくれました」

 津川は帰宅すると決まって長い時間うがいをし、“この世界でやっていくなら、とにかく風邪をひかずに自分に来た仕事は全うしなきゃいけないよ”と話していたという。

 アンナさんは15歳でデビューを果たす。当時大人気だったゲーム『ドラゴンクエスト2』のメッセージソングが初シングルで業界初のゲームとアイドルのタイアップも話題となり、売り上げを伸ばした。

「事務所も若い子がいなかったので、お姫様のように扱ってくれました。初めは謙虚な気持ちでいたんですが、徐々にその扱いに慣れてくると、荷物を持ってもらえないだけで“気がきかないな”なんて思うようになりました」

 2作目はまるで売れなかった。来る仕事にも不満を抱くようになった。

「有名になる人の陰には売れない人が何千といることを初めて知りました。でも自分が売れないのは周りの大人のせいと決めつけていたんです」

 それでも事務所が売ると決めているうちは手厚く扱われた。しかし新人が入ってきた途端に、誰からも声をかけられなくなったという。

「ようやく厳しい現実を知りました。思い上がっていた自分にやっと気づいたんです」

 結局、契約途中で事務所を辞め、父が預かるかたちで沖縄に戻ることになった。

沖縄を背負い、安室らと再デビュー


「“売れないから帰りました”なんて恥ずかしくてたまらないと思ったんですが、アクターズの同期たちがまた一緒にやろうと温かく迎えてくれました。ところが父からは“お前は表の才能じゃない、裏だ”と言われ、指導する側に放り込まれたんです」

 16歳でインストラクターとしてクラスを持たされ、振り付け指導もするようになる。スターへの未練が残っていたアンナさんにとって、それはあまりにも酷で、家に帰ると涙が込み上げる日々が続いたという。

 あるとき父が、小学生だった安室奈美恵をスカウトし、特待生として入校させた。

「父は奈美恵が歩く姿を見ただけでこの子は歌って踊れると感じたと言います。“安室以上の子はもううちには現れないから絶対、失敗できない。心技体を徹底して指導しろ”と言われました」

 20歳のとき、安室をはじめ、自分が指導してきた後輩たちとスーパーモンキーズを結成。再デビューをした。

「父にお前はやめろと言われましたが、私は15歳のときに努力しなかった後悔がずっと残っていたので、絶対やらせてくださいと頼みました。父からはスーパーモンキーズが失敗したらアクターズの次はないと言われたので、自分たちが突破口を開かなかったら沖縄の未来はないという心づもりで上京しました

 アンナさんは14、15歳の後輩たちを自分がきちんと育てなければと気負っていた。休日も朝のランニングから始まり、琉球空手の型の練習、歌とダンスのレッスン、勉強と規則正しく過ごさせたという。

 元メンバーで、現在アンナさんとAKB48グループの指導も行う、振付師の新垣寿子さん(41)が当時を振り返る。

「沖縄ではやさしかったアンナさんが、東京では鬼教官のようでした。美容院へ行くと言って、友達と遊んで帰ったら、嘘(うそ)がばれてしまい、激怒されたことがあります。みんな沖縄を背負ってやっているんだよと。アンナさんもまだ若かったのに、弱さを見せず完璧でしたね」

 公も私も奮戦していたアンナさんであったが、わずか半年後に引退する。それは同じステージに立つ安室の傑出したカリスマ性に、自分はとうてい及ばないと悟ったからという。

「奈美恵は才能があるうえに努力を惜しまない子でした。誰もいないスーパーの営業でも歌って踊れる場所がある!とうれしそうにしていて。過酷な環境も楽しんでやっているのを見たとき、私には勝てっこないと思いました」

 やり切った思いがあり、裏方としてやっていく決心がついた。沖縄に戻ると父はこう言ったという。

「表舞台に立つだけがスターじゃない、スターを育てた人という注目のされ方もある、お前はそこを目指せ」

父が突然の大激怒で“沖縄追放”


 アンナさんは沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターに就任した。安室がブレイクしてSPEEDが続き、アクターズスクールのブームがやってくる。生徒も600名にふくれ上がっていた。

父からは365日、24時間、子どもたちのことを考えて、どんな状況でも冷静に彼らを守れなきゃダメだと言われました。

 いきなりミュージカルの脚本を書けと言われたこともあります。できませんと言うと叱責されました。なんとかかたちにできたとき、父は“お前が自分の能力を決めつければ、子どもたちにもそれがうつってしまう。なんでもやろうと思えばできるんだ。たとえ失敗しても失敗したという経験が得られる。だから楽なほうに行ってもしかたないんだよ”と話してくれました

 スターを次々と輩出し、“裏方”のアンナさんも脚光を浴びるようになったとき、父は自分以上に自分をわかっていたのだと思った。

 一躍、時の人となった父のもとにも国家プロジェクトや沖縄の観光のプロデュースなどの依頼が舞い込むようになった。

「だんだんと父が変わり始めて、一緒にやってきたプロダクションの方たちとも揉(も)めるようになり、芸能界から総スカンをくらう状況になったんです。アクターズスクールからのデビューのルートが全部断たれて、生徒たちもたくさん辞めていきました」

 そんな中、アンナさんがなんとか学びの場をつくろうと開いたスクール内の発表会で、父に“お前のせいでスクールのレベルが下がった”と何時間も罵倒(ばとう)され、日々の厳しい指導に不満がたまっていた生徒たちからも怒りの矛先を向けられてしまう。

 アンナさんは事実上、追放される形で、横浜のアクターズスクールに異動することとなった。

「自分が全否定されたようで、これまでの10年は何だったんだろう? と絶望しました」

ダウン症の子たちがくれた居場所


 ’02年の4月、横浜で、父と離婚していた母と暮らし始めた。

「毎日泣いている私を見て、母もこの子は大丈夫だろうかと心配していたようです。ほかに行く場所もなく、積み上げてきたものをゼロにする勇気もないままでいたんです」

 ちょうどそのとき、日本ダウン症協会からダウン症児のダンス発表会を見てほしい、と依頼がきた。全国5か所を月1で指導することになる。

「ダウン症の子が80人ほどいる中に1人で入るのが不安で。意思疎通は可能か? 暴力的な子はいないのか? すらわからずにスタートしました」

 最初に話をしたが、みなつまらなそうにしていたため、アンナさんはとりあえず自分が踊ってみせた。すると全員が一斉に踊りだしたという。

「普通、素人の子に自由に踊ってと言っても、絶対できないんです。どうしていいかわからないと。それなのに、あの子たちは座って見ててと言ったのに、私のことなど誰も見ずに好き勝手に踊り始めたんです!」

 アンナさんも1時間、夢中で踊り、汗だくになった。

「こんなに楽しく踊ったのは何年ぶりだろう!? って。私は“実績のある先生”として偉そうにしていながら、生徒たちより下手だったらどうしようと何年も踊れずにいたんです。下手でもみんなと一緒に汗をかくべきだったのに」

 レッスンのたびに子どもたちはアンナさんに抱きついてきた。そんな愛情表現も初めてだったアンナさんは、「みんなと離れたらすごく寂しい」と思うようになる。

 発表会前の最後のレッスンの日、保護者からもらった手紙にはこう書かれていた。

この子たちのダンスとも思えない踊りを先生がすごいと褒めてくれて、レッスンのたびに子どもたちの意思を聞いてくれ、叱(しか)ってくれて、認めてくれたことが本当にうれしかった。この子たちはほかでは受け入れてもらえないから、発表会が終わったらもうダンスはできないし、先生ともお別れしなければならないのがとても悲しい。先生が続けてくれることを願っています」

 ダンス指導者としての自信を失い、どう教えたらいいかもわからなくなっていた自分に、そのやり方がいいと言って、必要としてくれる人がいる……。

「タレント養成所の先生はいくらでもいるけど、この子たちの先生になりたい人が今いないんだとしたら、私がこれをやればいいんじゃないかと思ったんです」

 アンナさんは沖縄に飛び、父に辞意を伝えた。最初は驚いた父も、そういう事情なら応援すると言ってくれた。

「発表会の最後に、残りの人生をこの子たちと生きていくと決めて、アクターズスクールを辞めます! と言ったら、客席にいる親御さんたちがわーって泣いて、ステージへ駆け寄ってきて、先生ありがとうございます! と言いました。その瞬間、ああこれはもう絶対辞められない、と覚悟したんです」

 その年の10月、アンナさんはラブジャンクスを立ち上げた。集まった会員は100名を超えていた。

「レッスン初日に、私のやりたかったことはこれだ! と実感しました。生徒や親御さんたちがみな楽しそうに笑ってくれているのを見たら、これは頑張らなくてもずっと続けられるなと思いました」

 16年間、毎週、福島から片道3時間半かけてバスで通う吉村悠希さん(33)の母、真澄さん(61)は言う。

「正直、大変ですけど、息子の心の拠(よ)り所ですから。帰りのバスの中は必ずルンルンしているんです。私もそれを見て笑顔になれてね」

 中学2年の高井友花さんの母、智春さん(51)も、子どもたちが自分を解放できる場だと話す。

「ダウンの子は音楽が流れてくるといつでも踊っちゃうんです。走ってる車の音楽にも反応し道で踊っちゃったり。通学の際はさすがに我慢しているのですが、娘はここで弾けてます! アンナ先生は献身的にあちこち拠点をつくって。感謝しかしないですね」

 アンナさんは今後も全国に輪を広げて、いずれオールジャパンで日本武道館を目指したいと考えている。

「簡単にいくことではありませんが、今いるインストラクターたちのように信頼できる人と地域ごとに出会って、きちんとしたかたちでつなげていけたらと思っています」

「後輩を育てて」と安室が切望


 ラブジャンクスの活動に専念し、芸能の仕事から離れていたころ、デビュー15周年を迎えた安室と再会し、「デビュー当時は苦しかったけど、あれだけのことがやれたんだから頑張れるというベースになりました。アンナさんの教えがあったから、何があっても踏みとどまれた。今の子たちのそこを育ててほしい」と頼まれた。

「私はもう芸能人を育てる現場には戻りたくないと思っていたんですが、奈美恵に自分の経験がよかったと言われたことがうれしくて、またやってみる気になりました」

 安室の事務所の後輩たちのレッスンを見るようになり、やがてAKB48などの活動につながっていく。

 そんな芸能とラブジャンクスの両方の活動をマネージメントしているのが『株式会社バッシライン』代表の松川直也さん(41)だ。松川さんはラブジャンクスの拠点の立ち上げやCD制作など、アンナさんのアイデアをかたちにするサポートも担う。

「CDをつくったとき、周りからはダウン症の子が歌うなんて無理だと言われたんです。牧野は否定されればされるほど燃えると話していましたね。前例がないからやる意味があるんだと。

 彼女は芸能の仕事も全部ラブジャンクスに返ってくると信じてやっています。『世界ダウン症の日』のイベントにISSAや三浦大知らが無償で出演してくれるのもそうした信用があってのことです。2人とも教え子ですしね」

 実は、松川さんとアンナさんは元夫婦なのだが、2年前に“お互いが心地よい状態でいられるよう”結婚を解消した。

「一緒に住んでないだけで、娘のさり(6)と3人で旅行も行きますし、僕は家族だと思っていますよ」

 アンナさんは松川さんとともに、さりさんが本当にやりたいと思うことを実現する応援をしたいと話す。

「私自身、今やりたいことがやれているのは、松川や私が仕事のときに家を守ってくれて、つらいときもずっと励まし続けてくれた母のおかげなんです。私も娘に対してそうありたいと思っています」

絶縁中の父に抱く、複雑な思い


 来月、アンナさんの原点ともいえる沖縄アクターズスクールの35周年を記念して、同窓会が開かれる。バラバラになってしまった生徒たちの集まれる場をつくりたいというアンナさんの思いが実現する。本来なら創設者で校長である父、正幸さんを囲んで行いたいが、そうできない事情がある。

「父から沖縄アクターズスクールを辞めた人間とは連絡を断てと言われてきたので、その仲間たちとも疎遠な時期がありました。

 でもアクターズを辞めてラブジャンクスを始めたとき、ダウン症の子たちにハッピーに生きていくことの大切さを教えられましたし、そのとき助けてくれたのもアクターズの仲間たちだったんです」

 アンナさんはスクール側の人間として、仲間を切り捨てる姿勢をとってきたことを猛省した。そしてまた仲間とつながれたとき、もう2度と自分がつくり上げてきた関係を断つような生き方だけはしたくないと決めたという。

「父には縁を切ると言われ、横浜の教室も出入り禁止となりました。10年前に連絡があって会ったときも、考え方が変わっていなかったので、訣別したのです」

 父は元気にしていると伝え聞く。アンナさんは、いつか普通の父娘の関係を築けたらと願っているが、まだ時が満ちていないと感じている。

「アクターズで経験させてもらったことが今の私をつくっています。私が教えるときに語る言葉は、父から言われてきたことなので、本当にたくさんのことを教わったと感謝しています。その気持ちを伝えられる状況にないことが残念です」

 この父と娘をずっと見守ってきた人物で、正幸さんとは20代からの付き合いという写真家・加納典明さん(76)が語る。

アンナはあの独善的な親父の下で自分を見失わずによく育った。アンナがダウン症の子たちが踊るのを見て、常識的な視点とはまったく違って、彼らの目の輝きや動きの中に何かを見つけていったのはやっぱり才能だと思う。マキノも人の才能を見つける類いまれな力があるが、アンナのそれも親父譲りで、そこが親子なんだよ。通俗的な親子関係の修復とかで俺が出ていくことはないし、2人とも自分を生き切ればいいのよ」

 アンナさんが父から受け継いだ“才能を見いだす力”が、今、社会を動かそうとしている。最後にアンナさんが晴れやかにこう語る。

ダウン症の子たちは、私を大きな愛で包んでくれて、私の居場所をつくってくれました。その居場所があるから、私はほかで何があっても、自分を卑下することなく頑張れるんです!

 世の中で彼らの居場所をもっと広げたい。普通に健常の子たちと友達になれたり、一緒にバイトをしたり、車を運転したり。彼らは時間がかかってもできるようになることがたくさんあるんです。ラブジャンクスの活動で理解を広めて、彼らがいろんな扉を開くのを応援したいと思っています」

 アンナさんの誇りが子どもたちに連鎖していく。

 挫折と葛藤の果てに辿りついたアンナさんの生きる道。近くで、遠くで見ている人たちに支えられ、アンナさんは前だけを向いてゆく。

(取材・文/森きわこ 撮影/齋藤周造)

森きわこ(もり・きわこ)◎フリーライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」

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アニバーサリーイヤーに突入 Sexy Zone


 10周年ということで時間にまつわる質問を!

佐藤勝利



Q 1週間メンバーで旅をするなら?



 (マリウスの母国の)ドイツもあるし(松島の出身地の)静岡もあるなあ。でも1週間あるなら、海外に行きたいですね。いまみたいな状況じゃなければ、ドイツに行きたいです。みんな成人しているからお酒も飲めるし。



Q 2度目のデートで相手が遅刻。どのくらい待てる?



 1時間くらい待ってから本格的にどうしようって考えます。数時間くらいなら近くのカフェとかで待ちますね。心配で家まで行くと、大ごとにしすぎちゃう気がします。



Q 男友達と遊んでいて、彼女から会いたいと電話がかかってきたら? 



 そのとき、男友達とじゅうぶん遊んでいたらすぐ帰って彼女に会いに行きます。自分の仕事が遅いこともあるし、深夜1時くらいまでなら普通に彼女に会えるかな。男友達には帰る理由を言わないと思う。



Q 過去や未来に行けるとしたら?



 過去も未来も行きたいから悩ましい……。ビートルズに会ってみたかったし、ジョン・レノンのライブにも行ってみたかったですね。未来で宇宙に普通に行けているとしたら、行ってみたいです。

松島聡



Q 1週間メンバーで旅をするなら?



 ニューヨークとかパリがいいですね。みんな音楽や芸術、海外が好きなので。海外では新しい発見があるし、仲間と一緒に芸術に触れに行ったら面白いと思います。



Q 2度目のデートで相手が遅刻。どのくらい待てる?



 何となく1時間。それ以上、連絡もなく来なかったら、心配だから思い当たるあらゆる場所を探しに行きます。



Q 男友達と遊んでいて、彼女から会いたいと電話がかかってきたら?



 友達にごめんって言って彼女に会いに行きます。でも内容によりますね。電話越しで泣いているとか、つらそうにしてたら即、会いに行きます。



Q 過去や未来に行けるとしたら?



 過去に戻って、僕が幼少期のころ、家族や友達が僕の面倒をどういうふうに見てくれていたのか、接してくれていたのか見たい。周りから受けていた愛情って子どものころはわからなくて大人になってから気づくじゃないですか。そういうことを客観的にチェックしに行きたいです。

中島健人



Q 1週間メンバーで旅をするなら?



 もう1回、(シングル『バィバィDuバィ~See you again~』で行った)ドバイ。ウォーターアトラクションが多いから心の底から楽しめるんですよね。大人になった僕らが子どもになれると思います。



Q 2度目のデートで相手が遅刻。どのくらい待てる?



 来るまで何時間でも待ちますよ。本とか電子機器もあるし、時間をつぶしながら、どうやったら彼女がデートで楽しんでくれるかずっと考えます。



Q 男友達と遊んでいて、彼女から会いたいと電話がかかってきたら?



 もともと男友達との先約があったわけだし友情も大切だから「もう少し待ってて」って言います。彼女には後でフォローします。



Q 過去や未来に行けるとしたら?



 三代将軍の徳川家光あたりの江戸時代。この時代ってけっこう改革があったのでそんな時代に町の人がどう過ごしていたのかを観察したい。あと家康さんに会って、未来で松本潤くんが大河ドラマで演じますけどどう思います? ってご飯食べながら聞きたいです(笑)。

菊池風磨



Q 1週間メンバーで旅をするなら?



 ハワイ。前に仕事で行ったとき、すごく楽しかったんですよ。だから童心にかえって遊びたいですね。



Q 2度目のデートで相手が遅刻。どのくらい待てる?



 僕はいくらでも待てちゃいます。今はスマホがあるからいずれ連絡が来るだろうし。連絡が来なかったら心配ですけどね。会えたら何があったの? は聞くけど怒ったりはしない。



Q 男友達と遊んでいて、彼女から会いたいと電話がかかってきたら?



 友達と約束してるから彼女には「ごめんね~」ってなります。その約束が終わったら会いに行く。友情が大切とかではなく、先約を優先します。もし何かあったとしたらフレキシブルに対応しますけど。



Q 過去や未来に行けるとしたら?



 歴史が好きなのでいろんな時代の過去を見たい。どの時代でもいいんですけど歴史を実際に体験したら忘れないだろうから。

10周年→20周年へ 今だから語れる話


――アニバーサリーアルバム『SZ10TH』に収録されている新曲『RIGHT NEXT TO YOU』はみなさんで選んだという全編英語の歌詞ですね。

佐藤「たくさんの候補から曲を選ぶときに、今回は挑戦するほうを取っていったんです。歌詞は全部英語詞にして、振り付けは海外アーティストなどの振り付けを担当している方にお願いしました。すべてチャレンジ、攻めていくのがテーマ。僕たちにとって未来に向けた曲になったと思います」

中島「日本のみならず世界水準で楽曲を作っていこうという意識もありましたし、僕たちがいま見せられる最上級の表現がこの曲には詰まっています

松島「全編英語詞は大変でしたね。僕が療養している期間もシングルのカップリング曲に『Small Love Song』、復帰してからも『Arms Around Me』と英語曲がありました。そして、今回の新曲もハードルが高いけど、僕たちのやる気をいま、このタイミングで見せるのはいいチャンスだと思いました」

菊池(活動休止中の)マリウス(葉)もこの曲を気に入ってましたね

佐藤英語はマリウスの武器のひとつなので、それを僕らが歌ってつなげるというのも意味があるなと思います

――もうひとつの新曲『Change the World』は、みなさんが作詞に参加されています。菊池さんのパート“傷ついて傷つけて”という歌詞が気になります。

菊池「基本は、自分が歌っているパートは自分で作詞しています。何に“傷ついて傷つけて”なのかは、ご想像にお任せしたいですね。ファンの方によっても、応援した時期によっても思い当たることは違うと思うし。いちばんわかりやすいところで言うと、本当は5人グループなのに3人体制で活動した時期(デビュー後、1年ほど佐藤、中島、菊池の3人で活動)があって。当時、僕らももちろんいろいろ考えましたし、聴く人によってそれぞれ思いがあると思うので、ご自身に重ねてもらえればと思います」

――1月に放送されたバラエティー番組『突然ですが占ってもいいですか?』に菊池さんと松島さんが出演されたとき、菊池さんが「松島が帰ってこなかったら諦めようと思ってた」と話していましたね。

菊池「松島が戻って来なかったらSexy Zoneが終わりだとかそういうことじゃなくて……。言い方が難しいんですけど、松島がグループに帰ってくることができないくらいキツいと思わせちゃったのだとしたら、どこかで俺の心も折れてたっていうことなんです。メンバーそれぞれ同じだとは思うんですが、松島のことすごい好きだし。ただ、それで松島にプレッシャーを与えたくないっていう思いがありましたね

それぞれの10年前と今


――10周年ということで、メンバーの10年前と今で変わったところを教えてください。

中島「みんな仕事に対する責任や意識が大人になりましたね。菊池はいま、バラエティーで見ることが多い。この10年の経験がバラエティーを盛り上げている結果につながっていて、番組を菊池色に染めているのを見ると、以前は想像できなかったので、だいぶ変わったと思います」

菊池「10年前はまだ子どもで、当時の2~3歳の年齢差って大きかった。特に子どもだなと感じていた松島が、今は年の差を感じないくらい大人になりましたね。あと松島のすごいところは、この10年ずっと変わらず努力家なこと。すごいなって思っています」

松島勝利くんが変わったところは……、眉毛の太さですかね

佐藤眉毛はずっと太いよ(笑)、そこは変わってない

松島「ずっと太いか、ごめんごめん(笑)。勝利はセンターだから大変さもあったと思う。この10年で心の扉を開放してくれて、今はバラエティーやシンドラ『でっけぇ風呂場で待ってます』でも、ハジけた面白い姿が見られるようになって。10年前はそんな勝利が見られると思っていなかったので、いい意味でイメージが変わりました」

佐藤「そんなに(心の扉)開いてなかった?(笑)。まだ制服を着ていた中島が、今じゃアカデミー賞授賞式の番組を任されてハリウッドに行くくらいになって。番組の中でクリストファー・ノーラン監督と対談してるって変わりすぎだろって!(笑)

松島「マリウスは見た目も歌声も変わった。自分を持っているところや不思議ちゃんなところはずっと変わらないけど。もともと人を幸せにしたいって事務所に入っているからいろんなアイデアが出てくるし、知識や発想力もすごい」

中島「彼は世界を見ているからね。環境のこととかもグローバルな視点で考えている」

菊池「昔からそうだけど、より勉強熱心になっている」

佐藤「少し前にバラエティー番組にふたりで出演させていただいたとき、“バラエティーのお約束”みたいなことを(ドイツ出身の)マリウスがやったのを見て、僕はもうこの子についていこうって思って(笑)。まじめにグループのことを考えてくれていて、すごく頼りになると思いました」

――10年後のSexy Zoneは?

佐藤「どうしてんだろう? みんなヒゲはえているのかな?」

菊池「(笑)まだ、みんな30代。若いね」

中島「希望しかないね」

松島「(両手の指を折って数えながら)僕、33歳だ!」

菊池「10をそうやって数えた人初めて見たよ(笑)」

松島「いろいろなところに名前を刻んでいたいですね。東京ドームとか、いろいろな場所、会場で僕らがライブをした記録を残していたいです」

10周年記念アルバム『SZ10TH』 3月3日発売


初回限定盤A 4950円

初回限定盤B 4950円

期間限定スペシャルプライス盤 3300円

20枚目のニューシングル

『LET'S MUSIC』も3月24日に発売

取材・文/熊谷真由子 メイクアップ/KOTO (UM) ヘア/松本明男 スタイリング/九(Yolken) 衣装協力/United Athle

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渡部建、豊洲市場バイト裏で「もうテレビはうんざり」

2021年3月2日 11:00 週刊女性PRIME

アンジャッシュ・渡部建

イメージアップを図った“仕込み”なんじゃないかとも言われています。そもそも“渡部が働いている”というタレコミ自体、不自然でしたから」(スポーツ紙記者)

 昨年6月に複数の女性との不倫が報じられた『アンジャッシュ』の渡部建。11月末に大みそか特番の収録に参加していたことが報じられると、批判が殺到。直後に謝罪会見を開くも、失敗に終わった。

「八方塞がりの彼が選んだのが無給の“みそぎ”バイト。豊洲市場にある仲卸業者の社長に誘われて、年明けから勤務し始めたと報じられました。週に1回、市場で汗を流しているそうです」(同・前)

 せっせとウニを整理する姿も目撃されていた。

「仲卸業者は競りに参加して卸売業者から生鮮品を購入します。数時間後には市場を訪れる鮮魚商や飲食店に小分けにして販売。彼が仕分けたウニも、消費者のもとへ行き渡りますよ」(豊洲市場関係者)

 まじめさを世間に評価してもらい、一刻も早い復帰を望んでいるかのようだが、実際は違うという。

“もうテレビで復帰するのはうんざり”と漏らしているとか。昨年末のことがトラウマになり、“テレビで復帰したら、また世間から叩かれる”と、後ろ向きになっているんです。長年レギュラーを務めていた日本テレビ系の『行列のできる法律相談所』が救いの手を差しのべる話もあったのに、断ったそうですよ」(テレビ局関係者)

事務所社長は「仕事はない」


 これについて、所属事務所に問い合わせると、「そういった事実はありません」と一蹴。だが、それもそのはず。

「所属事務所の『人力舎』で、渡部さんは“社長預かり”という扱いになっていて、スタッフは関与していない状況です。復帰の見通しが立たない中、事務所として彼をフォローすることが限界となりました」(芸能プロ関係者)

 ならば、と社長の玉川大氏に話を聞いてみると、「仕事に関しては、問い合わせすらない」ときっぱり。“みそぎ”バイトについては、こう語った。

彼の人生にとって役立つことがあればと思い“やりたければやればよい”と、送り出しただけです。本人には“勤務先の社長に感謝しなきゃダメだよ”と伝えました。

 渡部がこうやって報道されることで、いまだに不快に感じる方もいますし、返す言葉もありません。今後どういう行動をすべきか、本人と話し合っていく必要はあります

 昨年12月の謝罪会見では、「何十年後に振り返って“この騒動があって、あなたよかったんじゃないの”と言ってもらえるようになりたい」と妻・佐々木希に言われた言葉を明かしていた。

 そんな日を目指し、今日も汗を流す─。

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ジャッキー・チェンの堕落、偽ワクチン製造、中国ヤバいニュース

2021年3月2日 08:00 週刊女性PRIME

ジャッキー・チェン

常にトンデモなニュースを発信し続ける中国。世界じゅうで話題となった“パクリ遊園地”を100か所以上も訪れている辺境マニア・関上武司が、最新版“あり得ない”中国ニュースをピックアップ!

トップ女優「育児放棄」騒動その後 


 中国版『花より男子』で主演を務めた清純派女優のジェン・シュアン(鄭爽)が女優生命のピンチに陥っている。元夫で若手人気俳優のチャン・ハン (張恒)との結婚期間中に、米国で代理出産により2児をもうけたものの、離婚。その後、育児放棄をしたことが明るみに出て、プラダをはじめスポンサーは次々と契約を打ち切り、出演作品はお蔵入りとなった。

中国では代理出産は法律で認められていません。そのうえ、親族を非常に大切にするのが中国人です。春節(旧正月)の里帰り=民族大移動の様子が、それを端的にあらわしていますよね。それゆえ、このような代理出産&育児放棄といったスキャンダルについては、彼らの怒りもすさまじいのでしょう」(現地在住の報道関係者)

 近年の中国芸能界のギャラは高騰していることから、若手トップ女優のCM打ち切りや出演作品の公開中止による違約金は天文学的な額になる模様。所属事務所だけでなく、彼女自身にも火の粉が降りかかることは必至だ。

 その影響なのか、事実が発覚後、ジェン・シュアンは1月22日には上海の自宅マンションを売り払っている。その額、なんと1.3億元(約21億円)! すぐに買い手がつくのもスゴイ話だ……。

 騒動から約1か月が経過したが、ジェン・シュアンとチャン・ハンの双方は代理出産についての回答をしていないものの、ジェン・シュアンの育児放棄の姿勢と女優業の危機は何ら変化がない状況だ。

 2月16日、チャン・ハンのFacebookアカウントの写真などがほぼ削除。原因は不明だが、ネットでは「今、チャン・ハンは注目されたくないのだろう」といった推測をされ、ジェン・シュアンとの和解の可能性があるという大胆な予想も報じられている。

 現在、ジェン・シュアンは放送・上映禁止になった出演ドラマ、映画やスポンサーへの損害賠償問題といった処理に追われて多忙とのこと。さらに税金の問題や、以前出演した抗日ドラマへの不適切な発言も追及されている。

 代理出産とはいえ、罪のない2名の幼児の尊い生命は今後、どうなるのであろうか? 健やかな成長を祈るばかりだ。

ジャッキー・チェン 替え玉はまさかのアニメ


 2021年2月12日、中国の『春晩』(旧暦の大みそかに放送される、大型エンターテイメント番組。日本でいう『NHK紅白歌合戦』のようなもの)にジャッキー・チェンが出演し、複数の芸能人と合唱を披露した。

 ジャッキーは世界で最も成功したカンフースターともいえるが、以前から中国政府よりの発言が目立ち、隠し子への養育費不払いといったダメ人間ぶりから、香港や台湾では急速にイメージダウンしている。

 近年のジャッキー映画ではいちばんの魅力であるはずのアクションで精彩を欠き、日本公開が決定している最新作『急先鋒(ヴァンガード)』も、なんと中国版ゴールデンラズベリー賞(最低映画を決める祭典)といわれている「金掃箒奨(金のほうき賞)」にノミネート。あの国民的英雄がここまで堕ちたか感はぬぐえない。

 実際、現在のジャッキーに対する中国人の評価は「以前のような高難度アクションができなくなった」「年を重ねるごとに映画の質が低下した」などと手厳しい。

 '17年公開の最新作『カンフー・ヨガ』(中国・インド合作映画)は中国で17億5300万元(日本円で約285億2800万円)の興行成績を記録。ジャッキー主演映画としては最高額の興行成績を記録したものの、冒頭部分の10数分はジャッキーの実写風アニメだった。本編も人気若手俳優やインドのダンスシーンが多く、本人のアクションは大幅に減少している。

 さすがに70歳近くになったジャッキーにアクションのクオリティーを要求するのは酷であろうが……。そろそろ第一線から身を引いて監督業やプロデュース業に専念し、後進を育成してもよいころなのかも。

「上海にはジャッキー・チェンの博物館があるほどの国民的スター。映画のシーンを再現したブースがあるなど、ファン以外でも楽しめる観光名所になっています」(上海在住者)

 中国におけるジャッキーのあだ名は「兄貴」を意味する「ダイゴー(大哥)」。晩節を汚すことなく、いつまでもみんなの兄貴でいてほしいもの。

ミネラルウォーターでコロナ撃退⁉ 驚愕の偽「ワクチン」事件


 日本国内でも医療関係者を中心に新型コロナウイルスのワクチン接種が開始されたが、副反応などに不安を抱える人も多い。中国ではそれどころではないトンデモ事件が起きている……。

 2月15日、中国の警察当局は新型コロナウイルスの偽ワクチンの製造・販売をした70人余りを逮捕、北京、江蘇省、山東省などで生産拠点を摘発した。

 容疑者らは2020年9月から偽ワクチンを製造し、1800万元(約2億9千万円)で販売。偽ワクチンの原料は生理食塩水が使われていたが、そのうち生理食塩水が足りなくなり、ミネラルウォーターで代用。製造は自宅やホテルの一室などで行っていたという。

 なお、この偽ワクチンの一部が国外に持ち出されているなど悪質きわまりない犯行。だが、容疑者は警察の取り調べに対し「だって、儲(もう)かるんだもん!」とのこと……。確かに、この原料ならボロ儲けだ。

 ワクチンを発展途上国にも供給している中国政府。国家的威信を失墜させるとして神経をとがらせていることから、容疑者は厳罰を免れないだろう。

「偽物といえば中国」という不名誉なイメージをさらに厚塗りするかのような今回の事件。だが、実際に中国の食品や薬品の偽造事件は後を絶たず、最近でも偽タピオカの原料が古タイヤや偽物高級米の原料がプラスチックだった、なんてことも。今後、偽ワクチンの類似事件も発生するだろう。

 かつて毛沢東は「中国人は6億人(当時)いるから、半分死んでも3億人は残るのだから、恐れる必要はない」と語ったという。この言葉が示すように、命の重さの感覚が日本人と違うのかもしれない。

 ただ、中国はよくも悪くもダイナミックかつスピーディーなので、新型コロナウイルスへの対応も迅速だった。犯罪は言語道断だが、この行動力だけは日本も見習ったほうがいいのでは?

PROFILE●監修・関上武司(せきがみ・たけし)●1977年、愛知県生まれ。愛知大学経営学部卒。中国で留学や駐在員としての勤務経験あり。中国遊園地の取材で中国の全省、全自治区、全直轄市を訪問。『中国遊園地大図鑑』(パブリブ刊)シリーズを執筆し、各メディアで話題。

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成宮寛貴、芸能界復帰説に「もう引退してますから」

2021年3月1日 21:10 週刊女性PRIME

女性の膝に手をかけ親密そうな様子をみせる成宮寛貴

'12年にドラマ『相棒』(テレビ朝日系)で3代目相棒の甲斐享役に抜擢されるなど、順風満帆の俳優人生を送っていた。しかし、“あの日”を境に一転する。

「'16年に『FRIDAY』で違法薬物を使用した疑惑が報じられました。成宮さんと所属事務所は疑惑を否定しましたが、その後も使用を疑わせる報道が続いた。ついには、《今すぐこの芸能界から消えてなくなりたい》と悲痛なコメントを出し、芸能界引退を発表。しばらくは、日本を離れてドイツやスウェーデンなど、海外を転々としていたそうです」(スポーツ紙記者)

 そんな彼が今年1月15日のインスタグラムで、日本に帰国していたことを明かした。戻ってきたのには、こんな理由が。

オランダでデザイナーの仕事をしていたのですが、新型コロナウイルスの影響で、予定していた仕事が中止に。オランダは昨年から何度かロックダウン(都市封鎖)になり、飲食店や衣料品店なども閉鎖されていました。思うように仕事ができない状況が続き、日本へ帰ってきたといいます」(同・成宮の知人)

イベントでは神対応をみせて


 日本に戻ってきて1か月がたった2月中旬には、都内のセレクトショップで“一大イベント”を開催した。

「成宮さんがプロデュースしたグッズを、ポップアップショップで販売したんです。成宮さんと仲がいいオーナーがやっているお店が閉店することになり、彼の商品を4日間の期間限定で販売することに。彼もうれしかったようで、イベントの2週間前からお店に来て、何度も打ち合わせをしていましたよ」(近隣の店舗スタッフ)

 イベントは大盛況だった。

「事前に成宮さんがSNSで告知していたので、多くのファンが訪れました。連日整理券を配るほどの大行列。成宮さんの商品を置いているだけでなく、本人がお店に来て、ファンと交流するサービスもあったんですよ」(同・近隣の店舗スタッフ)

 久しぶりに日本のファンと会えたのがうれしかったのだろう。来店したファンに“神対応”を見せる場面も。

「ひとりひとりに“わざわざ来てくれてありがとう”と、ていねいに対応し握手したり、ツーショット写真まで撮ってくれました。営業が終わった後も、出待ちしているファンに優しく声をかけていましたね。若い人や中高年の女性が多かったですが、若い男性もいましたよ」(お店を訪れたファンの女性)

 イベント最終日には、営業が終了した午後8時過ぎから、成功を祝って店の中で打ち上げが始まった。

「みんなでビールやシャンパンなどを飲んでいました。成宮さんは終始ご機嫌で、スタッフと踊ったり、ハイタッチしたり、女性スタッフとハグまでしていましたね」(同・ファンの女性)

換気なし、マスクもつけずに大声で


 お店が閉まってからも、成宮をひと目見ようと多くのファンが集まっていた。すると、その様子を見た彼は大胆な行動に出る。

「会の途中で外に出てきて、1分以上も挨拶をしてくれました。“こうやってみんなと会える機会を増やしていきたい”と、日本でまた別のイベントをやることも匂わせていてうれしかったですね。お店に戻るときには、投げキッスまでして、ノリノリでしたよ(笑)」(同・ファンの女性)

 ただ、東京はいまだ“緊急事態宣言”が発令中で、自粛を余儀なくされている。コロナ禍で大騒ぎをしていたことに対して、疑問を呈する声も。

お店は7~8人入ればいっぱいになる規模なのですが、そこに10人くらい集まっていたんです。しかも、換気していなかったし、みんなマスクもつけずに大声で話していました。明らかに“3密”になっていましたが、大丈夫なんでしょうか」(近隣住民)

 2月中旬の夜、イベントのあったセレクトショップから出てきた成宮を直撃した。周りにいたスタッフが「取材はやめてください!」と遮ったが、成宮は少し沈黙した後、ゆっくりとした口調で話し始めた──。

 3月2日発売の『週刊女性』(およびWEB有料版記事)では、騒ぎで警察官も出動したイベントの盛況ぶりや、テレビ局が画策する『相棒』への復活計画、直撃全文などを詳報している。

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韓流ドラマにどハマりの遠藤憲一、 コロナ禍で見えた「今の夢」

2021年3月1日 19:00 週刊女性PRIME

遠藤憲一=“コワモテ”の印象はどこへやら……笑顔もポーズも可愛すぎる 撮影/伊藤和幸

 “エンケンさん”の愛称で親しまれる俳優・遠藤憲一が、今年6月に還暦を迎える。「自分が60歳っていうイメージがいまいち湧かないな」と笑う姿の、なんと朗らかなことか。自然体で飾らず、今まで築いてきたキャリアにも決して驕(おご)ることのない姿勢が、見る者や周りの人間を魅了する。

 若いころから大好きだった酒を断って、3年がたつ。それが遠藤にどんな変化をもたらしたのだろうか。この先に描く俳優人生とは? 所属事務所の代表兼マネージメントを務める妻・昌子さんと夫婦二人三脚で歩んできた遠藤が、これまで見てきた59年間の景色を振り返る。

自粛中、韓国ドラマにどハマり


「もう3年間は全然、酒を飲んでない。俺が酒をやめるって、本当に信じられないよね(笑)。さすがに慣れたから、遠目に居酒屋を見つけても“飲みたい!”って思うことはないけど、例えば今、目の前に食べ物と酒を出されて、俺ひとりだけ飲まないってなったらちょっときついかも」

 断酒のきっかけは、 2018年の元日に出かけた新年会で深酒をし、2日間も消息不明になったこと。昌子さんに激怒され、酒をやめるか家を出ていくかという二択の末の決断だった。遠藤はもともと「趣味は酒だ」と言うほどの酒好きで、空いた時間は仲間とワイワイ飲むのが好きなタイプ。

定期的に会っていた中学の同級生と、酒をやめてから最初に会ったときなんか、たったの1時間しか一緒にいられなかった。俺は飲めないのに、横でクイクイ飲まれちゃうと調子も乗らなくて“そろそろ行くわ”って解散(笑)。今は人と会うこと自体が減っているから、そこまでつらいとは思わないかな。酒の付き合いはなくなっちゃったけれど、たまにランチやスイーツを食べに行こうって出かけたりしていますよ。(お酒を)やめてから、甘いものがすごく好きになっちゃってね」

 断酒後は食べる量が増えたと言い、体重は増加。おなかがぽっこりと出てしまわないように、ストレッチや適度な運動で現在の体形を保っているのだとか。また、変わったのは食生活だけではない。17歳のころに出会い、無我夢中になった“演劇”と改めて向き合い、より深く勉強する時間が増えたと続ける。

「17歳当時は、作品を見るだけでなく脚本の勉強もしたりと、演劇一色の生活だった。そのころの感覚が最近また戻ってきて、コロナ禍での自粛生活が始まったあたりから、ネット配信のドラマをたくさん見るように。話題の韓国ドラマ『愛の不時着』や『梨泰院クラス』も見たし、ちょっとマニアックなところでいうと『恋のスケッチ〜応答せよ1988〜』。これも全話、見ちゃった(笑)。“韓国ドラマ、すごい!”って感激しましたね」

 いいものに出会ったら素直に感動し、世界には素晴らしい作品がたくさんある、と目を輝かせる。特に、イラン人の脚本家で映画監督のアスガル・ファルハーディーの作品には衝撃を受けたといい、「今まで見た全世界の監督の中でいちばんうまいかもしれない」と話す姿は、まるで少年のようだ。

知らなかった世界から刺激を受けると、自分でも面白いものを作りたくなる。実は4年前、ドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』で共演した俳優の鈴木浩介くんと“こんな作品を作れたら面白いんじゃないかな?”と構想を練って、脚本を書き始めたんです。“いつか自主映画をやろう!”って意気込んで、何か浮かぶたびにノートに書き残したりして。最初、主人公はおかしな2人のコンビにする予定だったけど、話を広げていくうちに“娘のほうが合ってるな”とか、“これは連続ものにしたほうが楽しそうだな”と変わっていって」


 コロナ禍ということもあり、鈴木となかなか会えない間にも書きためていたアイデアは、当初のものから大きく変更されたそう。

「つい最近、ドラマの撮影で鈴木くんと会う機会があったんだけど、“あの自主映画どうなりました?”って聞かれたから、“映画じゃなくて連続もの。主人公は、娘”って言ったらすごく驚いてた。書き始めてもう4年がたったけど、まだ内容が固まりきっていないもんだから、“遠藤さん……連続ものに変更したとして、このペースのままでいくと、完成まであと40年はかかりますよ!!”ってさ(笑)。映画なのかドラマになるのか、まだわからないけど、それを実現させるのが俺の今の夢かな」

この先もずっと「作り続けたい」


 見るだけでなく、最近は読書にも時間を使っている。芥川賞を受賞した宇佐美りんの小説『推し、燃ゆ』を読んでみたり、これまであまり読む機会のなかった漫画にも手を出し始めた、と話す。

「女房が買ってきた『女の園の星』って漫画が、すっごく面白くてさ! まず絵面(えづら)が気に入っちゃって読み進めたら、やたら笑っちゃった」

 尽きない探究心とあくなき好奇心が、遠藤の若さの秘密なのかもしれない。

「この先も、俳優はずっと続けたいです。演じ続けるというより、“作り続けたい”。こんな作品を、こういうスタッフさんと……って、企画の初期段階から携わっていけたら楽しいだろうなって。俳優をやりながら監督をやっている人も最近は増えたでしょう? そういうのに俺もチャレンジしてみたいな」

 生き生きと語る姿を見て、妻の昌子さんは、

「毎日のように飲み歩いてはすごく酔っ払って、帰ってこない日が続いたりしていたけれど、ここ数年でいろんなものから刺激を受けたり、勉強好きだったりする一面を見て“こういう人だったんだなぁ”って。何かを得るって重要ですよね。前よりは、彼とは接しやすくなったなと思っています」

 照れ隠しのように鼻で笑った遠藤は、「まだその作品が実現するかもわからないから、あんまり言わないようにしてたんだけどね」と続けた。



60歳って、素晴らし……い!?


 遠藤憲一がまもなく迎える60歳。“作り続けたい”と意気込む彼が思い描く、これからの人生とは。昨年、ドラマ『竜の道 二つの顔の復讐者』(フジテレビ系)で共演した西郷輝彦(74)と撮影の空き時間に交わした、何げない会話を振り返る。

「いくつになるのかって聞かれたから、“今度60歳になります”って。そしたら“わっけーなぁ!”って西郷さんが驚いてたんですよ。俺としては“もう60歳だけど!?”って感じだったのに、西郷さんは“60歳ってのは最高だぞ! いちばんだよ60歳!”って言うから、“どんなふうに最高なんですか?”って聞いたの」

 このご時世、撮影現場ではフェイスシールドの着用が主流。もちろん、このときの2人もフェイスシールド越しの会話だった。

「それまではでっかい声で“わけーなぁ!”、“もう60歳ですよ!”ってやりとりしてたのに、最高な理由を聞いたら、まじめになっちゃってさ。何がどんなふうにいいのか話し始めたとたん、真剣に語ってくれたので声が小さくなって、肝心なところが何も聞こえなくて(笑)。え? って思ってたら、スタッフさんに“西郷さんお願いしまーす!”って呼ばれて、それっきり。60歳の素晴らしさを聞き漏らしちゃった。でも、西郷さんがそう言うんだから最高なんだろうね。何が起こるかなって、俺は期待してるんだ」

 お茶目なエピソードでその場を大笑いさせてくれた遠藤。生き生きと語ってくれた夢が叶(かな)う日が、心から待ち遠しい。彼が“最高”な60歳、60代を謳歌(おうか)することは間違いないだろう。


(取材・文/高橋もも子)


【PROFILE】

えんどう・けんいち ◎1961年6月28日生まれ、東京都品川区出身。「エンケンさん」の愛称で親しまれ、コワモテな風貌を生かした悪役から、コミカルで愛らしい役どころまで幅広く演じ人気を博す。'01年公開の映画『DISTANCE』で第16回高崎映画祭助演男優賞を受賞。現在、テレビ東京系『バイプレイヤーズ~名脇役の森の100日間』(毎週金曜深夜0時12分〜)に出演中。ほんわかとした日常をのぞき見できる自身の公式インスタグラム(@enken.enstower)も話題に。

【INFORMATION】

東日本大震災の実際の救助映像などを随所に挟み、実話に基づいた家族の絆と人間の底力を描くNHKスペシャルドラマ『星影のワルツ』が2021年3月7日21時より、NHK総合にて放送。出演は遠藤憲一、菊池桃子、川栄李奈ほか。

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なぜ今、テレビは「激辛」にこだわるのか

2021年3月1日 17:30 週刊女性PRIME

左から有吉弘行、あばれる君、片瀬那奈、瑛茉ジャスミン

 今、民放各局の中で“激辛”を扱う番組が増えている。

 レギュラー番組では、あばれる君やワタリ119とゲストが激辛料理の完食に挑む『有吉ゼミ』(日本テレビ系)の「チャレンジグルメ」、片瀬那奈、瑛茉ジャスミンらが激辛料理をハシゴする『ウワサのお客さま』(フジテレビ系)の「ウワサ激辛部 道場破り」。

 そのほか、『くりぃむしちゅーのハナタカ!優越館』(テレビ朝日系)、『華丸大吉&千鳥のテッパンいただきます!』(関西テレビ・フジテレビ系)、『世界くらべてみたら』(TBS系)、『お願い!ランキング』(テレビ朝日系)などのバラエティーが激辛料理をフィーチャーし、『バゲット』(日本テレビ系)、『王様のブランチ』(TBS系)、『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)など朝昼の情報番組でも激辛料理を扱うコーナーが目立つ。

 さらに特筆すべきは、激辛料理がテーマの連ドラ『ゲキカラドウ』(テレビ東京系)が現在放送されていること。テレビ東京の『孤独のグルメ』『ワカコ酒』『きのう何食べた?』『忘却のサチコ』などに続くグルメドラマシリーズの一環であり、しかもジャニーズ事務所の桐山照史が主演を務め、激辛料理に挑んでいることにも驚かされる。

 かつて夏限定のコーナーに過ぎなかった激辛を扱った番組が、なぜ冬の今増えているのだろうか。「第4次激辛ブーム」「唐辛子の開発」「タレントの思惑」「コロナ禍」という4つのキーワードから掘り下げていく。

『有吉ゼミ』の大成功で他番組が追随


 最初にピックアックしたいのは、「第4次激辛ブーム」。

 これまで、第1次は湖池屋から「カラムーチョ」が発売され、新語・流行語大賞に「激辛」が選ばれた1980年代中盤、第2次はタイ料理を中心にしたエスニックが流行った1990年代、第3次はハバネロがフィーチャーされるなど辛さのレベルが強烈に上がった2000年代と、激辛ブームは周期的に発生していた。

 そして2019年あたりから現在まで、さらに辛さがエスカレートした第4次ブームが発生中であり、そのブームを採り入れ、成功したのが『有吉ゼミ』の「チャレンジグルメ」だった。

 アイドル、若手芸人、旬の俳優、各界のレジェンドなど多彩な挑戦者がこれまで見たことがなかったようなレベルの超激辛料理に挑むコーナーは高視聴率を連発。業界内に「激辛は数字が取れる」「しかもスポンサー受けのいいファミリー層に見てもらえる」という声が一気に広がっていった。

 もともと激辛料理は、業界内で「絵力が強い」「見ているだけで汗が出そうなシズル感がある」と言われているもの。さらにそれを食べるタレントたちのリアクションもおのずと大きくなり、不自然さを感じさせない。制作サイドにしてみれば、「料理の見た目も、タレントのリアクションも、単純明快かつ刺激的な映像が撮れる」というメリットがある。

唐辛子の開発競争と激辛ペヤング


 その絵力の強さを実現させているのが、2番目のキーワード「唐辛子の開発」。かつては激辛の代名詞だったハバネロを超える唐辛子が次々に開発され、そのたびに話題を集めてきた。

 まずハバネロを超える辛さのブート・ジョロキアが開発され、さらにトリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラー、コモド・ドラゴン・ペッパー、キャロライナ・リーパー、ドラゴンズ・ブレス・チリ、ペッパーXなどの唐辛子が登場。ギネス認定されているものと、されていないものの違いこそあるが、辛さの指標となるスコヴィル値をめぐる開発競争が続いている。

 また、「ハバネロの〇倍」などと数値化して盛り上がれるほか、他のスパイスと合わせてシビレ系、鼻ツン系、エスニック系などのさまざまなバリエーションが生まれるなど、唐辛子を中心とした激辛のエンタメ性が飛躍的にアップ。

 たとえば、『世界くらべてみたら』(TBS系)の「激辛カップ焼きそば『ペヤング』を韓国、タイ、インド、ブータン、コートジボワール、ジャマイカなどの辛い料理が好きな国の人に食べてもらう」という企画はエンタメ性の最たるところだろう。

 さらに、多彩なジャンルの飲食店がメニュー開発をしやすいことも、激辛番組が増えている理由の1つ。自ら開発してSNSにアップしたり、番組側に売り込んだり、逆に「番組側から激辛メニューを作ってみませんか」と提案されることもあるという。東京都港区「芝辛・激辛ストリート」のような激辛に特化した商店街の企画もあるなど、まだまだ広がりを見せていくのではないか。

激辛ロケは罰ゲームではなくチャンス


 3つ目のキーワード「タレントの思惑」も、激辛番組増加の理由となっている。

 激辛料理を食べるロケは一見、誰もやりたがらない罰ゲームのような仕事に見えるが、実際は真逆であることが多い。基本的に激辛料理を食べるシーンは、「演技力、トーク力いらず」と言われている。通常の食リポは美味しさを伝えるコメントと表情が必須だが、激辛料理は食べたままを見せればOK。おのずとリアクションは大きくなり、大量の汗をかき、苦しむ姿を視聴者はそのまま理解してくれる。

 さらに、汗をかきながら必死に食べている姿を見て、視聴者と業界人の両方に「あの子は頑張っている」というイメージを抱かせられる上に、もし完食できれば感動を与えられる。また、汗で崩れにくいメイクもあるなど、ビジュアル面での不安が大幅に減ったことが、人気者やレジェンドの参戦を可能にした。

 少なくとも激辛と並んで流行っている「デカ盛り」よりもリアクションがしやすく、演技力とトーク力は不要で、頑張りが伝わりやすいなど、トライできそうな背景があることは間違いない。実際に挑戦してみると、その辛さから「二度とやらない」というタレントが多いようだが、一度なら好感度アップのためにやる価値はあるのだろう。

 最後のキーワード「コロナ禍」には、主に2つの意味がある。1つ目は、飲食店の時短営業や外出自粛などで自宅にいる時間が増え、ストレス解消の意味で「激辛」という刺激を求める人が増えていること。激辛料理のデリバリー可能な店舗が増えたほか、2月8日の『バゲット』が「激辛グルメが進化!全国お取り寄せ(秘)激辛グルメTOP5」という特集を放送していたように、家でも激辛料理が食べやすくなった。

 2つ目はコロナ禍でストレスがたまる中、「自分より華やかな世界にいてステイタスが高い芸能人が苦しそうな姿を見て留飲を下げられる」こと。だからこそ制作サイドは、人気アイドル、旬の俳優、レジェンド級のタレントなどを集めて視聴者のそんな気持ちに応えている。

 激辛料理は、強い胃痛、せき、痔の悪化などにつながるリスクもあるなど、トラブルがないとは言いきれず、万が一のことがあれば即終了は免れないだろう。ただ裏を返せば、トラブルがない限り、ますますエスカレートしていきそうなムードが漂っている。

木村隆志(コラムニスト、テレビ解説者)

ウェブを中心に月30本前後のコラムを提供し、年間約1億PVを記録するほか、『週刊フジテレビ批評』などの番組にも出演。各番組に情報提供を行うほか、取材歴2000人超の著名人専門インタビュアーでもある。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』など。

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cat_oa-shujoprime_issue_b25bca773035 oa-shujoprime_0_15de483f6562_女優・池谷のぶえ、郊外のアパートに20年間も住んでいた 15de483f6562 15de483f6562 女優・池谷のぶえ、郊外のアパートに20年間も住んでいた oa-shujoprime

女優・池谷のぶえ、郊外のアパートに20年間も住んでいた

2021年3月1日 12:00 週刊女性PRIME

 俳優生活27年。舞台、ドラマ、映画で、存在感のあるバイプレーヤーとして活躍する、女優・池谷のぶえさん。2017年から出演しているNHKのバラエティー番組『LIFE!~人生に捧げるコント~』でも、ウッチャンこと内村光良やシソンヌなど笑いのプロと比べても見劣りしない爆発力のある面白さを披露し、昨年出演したドラマ『妖怪シェアハウス』(テレビ朝日系)では、座敷わらし役を演じて話題に。今年5月に50歳を迎えるベテラン女優のロングインタビュー【後編】では、「生活のルーティン」「一大決心の引っ越し」「結婚観」などについて、じっくり語っていただきました。

*前編はこちら(『LIFE!』で大人気、池谷のぶえは「めちゃくちゃ自己肯定感の低い人」だった)

池谷のぶえ(撮影/森田晃博)

「健康的な生活をするようには心がけています。運動は苦手なので、歩くくらいしかしないですけど、野菜中心の食事をとること、睡眠を6時間はとること、お風呂はしっかり湯船につかることとか……。毎朝、小松菜とバナナのスムージーを作って飲むこともずっと続けていますね。それが飲みたくて朝起きるくらいなので、身体にはいい気がします(笑)。

 健康のために特に食べるようにしているのが大豆食品。更年期が始まりますからね。でも、更年期にいい影響を及ぼすエクオールを作る腸内細菌を持っているのは、日本人女性では5割程度で、2人に1人は大豆製品を食べても体内でエクオールを作れないらしくて。ネットで3000円~4000円くらいの検査キットを購入して調べられると聞いたので、これからやろうと思っています」

 健康のためではないが、家で晩酌することはめったにないそう。

「リモート飲み会のときは飲みますけど、1人飲みは楽しくないから(笑)。たぶん私はお酒が好きというよりは、みんなで飲むことが楽しくて、飲み会の空間が好きなんだと思いますね

70までこの部屋にいるのって──


 ツイッターにもたびたび手料理の写真をアップするなど、料理上手でも知られている池谷さん。後輩の俳優たちや演劇仲間を自宅に呼んで料理を振る舞うホームパーティーを開きたいという目的もあって、一大決心して昨年2月に引っ越しを決行した。

20年間住んでいた郊外のアパートから東京に引っ越しをしました。28歳のときに茨城の実家を出てひとり暮らしを始めてからずっと同じところにいて、この先20年いたら70歳。70までこの部屋にいるのってどうなんだろう……。自分を変えなきゃダメだと思って、重い腰を上げました。

 6畳と4畳半のキッチンにバストイレ別の普通のアパートで、仕事に行くにも遠くて不便だったので、周りからもずっと引っ越すように言われていたんですけどね。居心地がよかったというより安心感があったんですかね、なかなか動けなくて(笑)」

 新しい家の住み心地は?

「今のところ快適です。でも、実質初めての引っ越しみたいなものなので、勢いで引っ越してしまったところもあって、いろいろ勉強にはなりました。採光とかゴミ収集のこととか……。自分がより快適でいるためのチェックポイントがわかったので、なんならすぐさま次の部屋に引っ越したいくらいです(笑)」

 引っ越しの目的のひとつだった、ホームパーティはコロナ禍で……。

引っ越した直後に、少しだけ開くことはできました。仲間に来てほしくて引っ越したんですけど、うまくいかないですね。コロナ禍が終息したら料理を振る舞いたいと思います

50代からの人生で準備したいこと


 現在、独身。これから先の結婚についてはどのように考えているのか。

両親があまり仲のいい夫婦じゃなかったというのもあってか、結婚に希望を持てないんですよね(笑)。結婚というものに憧れはありますし、私が理想とする普通の生活をしてみたいなとは、ぼんやり思いますけど、あまり食指が動かないというか……。でも、これから先の人生にパートナーがいたほうが、寂しくないだろうなとは思います。誰かいたらいいなと。出会いがあればいいなという気持ちもあって、東京に引っ越してきたのもありますから(笑)。でもこればっかりは、簡単にはいかないですよね(笑)」

 50代からの人生で準備しようと考えていることは?

「やっぱり舞台を続けていきたいので、身体が動けるようにケアをすること。動けなくなってきたら、その都度、変化を受け入れて、びっくりせずにつきあっていきたいと思います。それと、今までやってこなかったのですが、老後のお金のことはちゃんと考えなきゃって思っています(笑)。あとは終の棲家(ついのすみか)は欲しいです。それは考えますね」

 今いちばん幸せな瞬間は、「仕事で褒められたとき」だという。

「その瞬間は本当にうれしいので、そのために頑張るっていう感じなのかもしれないです。褒めていただくとモチベーションが上がりますし、元気になります。なんだか子どもみたいで、50歳からの生き方の話じゃないですけど(笑)」

 これから先の人生のイメージは?

たくさん褒めていただいたおかげで(笑)、ここ数年、やっと自己肯定感がだんだん高まってきているんですね。なので、このままいければ、今後の人生もどんどん楽しくなるような気がします。この先どうなるんだろうという仕事の不安とかはもちろんありますが、未来は穏やかな感じはしています」

(取材・文/井ノ口裕子)

〈PROFILE〉

いけたに・のぶえ 1971年5月22日、茨城県出身。’94年、劇団「猫ニャー」(のちの「演劇弁当猫ニャー」)の舞台俳優としてデビュー。’04年に劇団解散後は、舞台のみならず、映像作品にも出演の幅を広げる。’21年1月、『獣道一直線!!!』にて「第28回読売演劇大賞」優秀女優賞を受賞。

●公演情報

シス・カンパニー公演『ほんとうのハウンド警部』

(2021年3月5日~31日、Bunkamura シアターコクーン)

作:トム・ストッパード/翻訳:徐賀世子/演出:小川絵梨子

出演:生田斗真、吉原光夫、趣里、池谷のぶえ、鈴木浩介、峯村リエ、山崎一

〈公式サイト〉http://www.siscompany.com/hound/

●公演情報

イキウメ『外の道』

(作・演出:前川知大)

2021年5月〜7月、東京・大阪・豊橋・北九州公演予定

〈公式サイト〉https://www.ikiume.jp

●出演中

『LIFE!~人生に捧げるコント~』(NHK総合/不定期放送)準レギュラー

アニメ『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』(NHK Eテレ/火曜18:45~)レギュラー

●連載中

雑誌えんぶの情報サイト「演劇キック」にて【池谷のぶえの「人生相談の館」】

福岡のエンタメ情報誌シアタービューフクオカにて「めずらしく体調のいい日に」

外部リンク

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渡部建、テレビ業界からも総スカンで遠のく復帰

2021年3月1日 11:30 週刊女性PRIME

渡部建

 渡部建が豊洲市場で働いていることが話題になっている。目撃情報がSNSで拡散され、報道に至ったようなのだが、『週刊文春』(3月4日号)によれば、仲卸業者である知人の口利きで豊洲で働くことになったのだという。

 不祥事を起こし、活動休止となった芸能人がボランティアや福祉活動に携わることでイメージ回復を狙うことは、昔からの定番となっている。いわゆる“禊”だ。

 近年では“覚醒剤取締法違反”で逮捕された酒井法子は介護の勉強をするために大学に入り、“闇営業問題”で謹慎していたロンブーの田村亮も老人ホームを訪れ、同じく介護の勉強をすると宣言した。が、両者ともに芸能界復帰後、福祉活動を熱心に行っている様子は見受けられない。こうしたことが起きるたびにボランティア・福祉関係者からは、

「私たちの仕事を軽んじている。本気で向き合おうとしているようには思えない」

 との声が上がることが多かった。今回の渡部のケースは上記のような事例ではないはずなのに、ネットでは似たような反応が多い。それはなぜか。

“胡散臭い”印象を与えたワケ


 『文春』のインタビューにはその大手仲卸業者の社長が登場。アルバイトというが、実際は“タダ働き”であると話した。だが、それがアダとなったようで、

「社長が無給で働いていることを強調したのは、ボランティアと同じように“自分の利益を無視し、他人のために頑張っている”というアピールだったのかもしれません。ですが、それが世間からは逆にあざといと取られてしまったのでしょう。現にテレビ業界からも“また何か胡散臭いことをやっている……”との声が聞こえてきました。少なくともテレビへの復帰は今回の一件でまた遠のいてしまったでしょうね」(芸能プロ関係者)

 こうした“胡散臭い”との印象を与えてしまったのは、社長によるその他の発言も関係してるようだ。

《あんな(芸能界のよう)な華やかな場所にいた人間が人が寝ているときに働くのは大変なこと》

《渡部はあの年で汗だくになってやっている。腹をくくってきているんだ》

 このような美談チックな語り口も穿(うが)った見方をされる要因となったのかもしれない。世の中には深夜に働いている人はたくさんいるし、50歳過ぎて汗だくになって働いている、あるいは働かなくてはいけない人はごまんといるだろう。

 豊洲市場に勤めている人たちに取材したところ、このような声が聞こえてきた。

「そりゃあ芸能人からしたら過酷かもしれませんが、我々にとっては普通のこと。たしかに重労働ではありますが、留置所に入って労役させられているのとは違いますから、それで罪滅ぼしができるかのように取られるのはどうかと思います。いわゆる“禊”の手段にされるのはごめんですね」

 実は、SNSで拡散される前から渡部が豊洲で働いていることは、複数の週刊誌にタレコミが入ってきていたという。だが、どこも半信半疑で動くところはなかったようだ。

 現在はというと、

明らかに記者と分かる人やカメラマンなど報道関係者が渡部さんを探しに来ています。市場近辺には、人が乗りっぱなしで長時間駐車している車もあり、週刊誌が張り込んでいるのがすぐにわかりますね。セキュリティがそれほど厳しくはないから、部外者が立ち入り禁止の場所に進入することもあって、現場はピリピリしていますよ。渡部? 見ていないよ。自分が働いている区画以外のことはわからないよ。帽子に、今はマスクもしているしね」(同前)

 話題になるものはなんでも取り上げるのが週刊誌の性(さが)。本当に働いているのか、そしてどのように働いているのかを撮るのも仕事である。

<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>                                                                            ◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。

外部リンク

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羽生結弦選手、被災地に寄り添い続けた10年「共に、前へ」

2021年3月1日 11:00 週刊女性PRIME

羽生結弦選手

 東日本大震災から10年。特別な思いで迎えているのがフィギュアスケートの羽生結弦選手だ。

被災地や被災者に寄り添う羽生結弦選手


 当時、16歳の羽生選手は故郷・仙台市にあるアイスリンク仙台で練習中に被災、避難所生活を送った。練習リンクは大きな被害を受けた。「このままフィギュアスケートを続けられるのか」。不安を抱えていた。

 震災前年にジュニアのグランプリファイナルと世界選手権を優勝。次代のエースとして期待が集まるなか、羽生選手は練習環境と復興支援目的のために全国のアイスショーに出演して競技を続けた。

 17歳からは拠点をカナダに移したが、アイスリンクの復興支援キャラクター「アイリン」の手袋をはめて練習してPRにひと役。人気となり品切れになるほどだった。

 折々には被災地や被災者に寄り添う発言をしている。

 19歳でソチ五輪金メダルに輝いた際は「希望であったり、みなさんの応援の象徴になったらうれしい」

 平昌五輪では66年ぶりの連覇を達成。快挙に仙台で凱旋パレードが行われ、国民栄誉賞を受賞した。「まだまだ復興に課題があるなかで、手助けになるような行動をしていきたい」


“共に、前へ”の思いを伝える展覧会


 10年の節目に『羽生結弦展 共に、前へ 東日本大震災 あの日、そして今』が仙台で26日から開催(事前予約制)されている。東京での開催はすでに終了し、仙台のほか今後は大阪、宮崎を巡回する予定だ。

 “共に、前へ”踏み出せるようにと願う羽生選手の思いを伝える展覧会で、「羽生選手自身の避難所での体験や被災地で出会った人たちとの“あの日”と“今”を伝えるとともに、震災の風化が進むなかで、改めて震災について考え、防災への意識を高める機会になればと思います」と関係者。

 会場入り口には「自分が持っているものを一生懸命やるっていうのが、僕の勇気の出し方かな」と羽生選手のコメントが紹介されている。

4年ぶりに世界王者を奪還できるか


 3月22日からはスウェーデンのストックホルムで、新型コロナウイルスの影響で中止された世界選手権が2年ぶりに開催を予定している。

 昨年末の全日本フィギュアスケート選手権で合計319.36点をマークし、2位に35点近い差をつけて圧勝した羽生選手。

 全日本5年ぶり5回目の優勝に、特別な思いを口にした。

「(コロナ禍での)医療従事者の献身ぶり、職を失ったり、お金が入らない生活で苦しい方々がいるなか、フィギュアスケートをやれることは恵まれている。少しでも自分の演技が、そのときだけ一瞬でも生きる活力になれたら」


 世界選手権2連覇中のライバル、ネイサン・チェン(米国)との対戦に注目が集まり、4年ぶりに世界王者を奪還できるのか。

「優勝するためには、ミスをしないのがいちばん大切。全日本での完璧な演技での優勝は、ミスをしてはいけないことを証明してみせました。難易度の高いジャンプを組み込むかどうか。(基礎点の高い)ツッルを入れるのか。4回転アクセルに挑戦するのか。どう作戦を練ってくるのか楽しみです」(解説者の佐野さん)

 震災、コロナ禍と悲しみや苦しみに直面した人々に寄り添う羽生選手が、氷上で持てる力を表現し頂点に立つことは、多くの人の癒しとなり“風化させない”手助けと活力につながっている。

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