振付師、『LOVE JUNX』代表 牧野アンナさん
「最初は私もダウン症の子たちについて何も知らず、大変だとか頑固だとか、体力がないといったネガティブな情報しか入ってきませんでした。
でも今、私が一緒にいる彼らはとてもハッピーで、健常者といわれる私たちよりずっと正直で健全なんです」
「もし家族が大変なのだとしたら、それは理解のない社会と闘っていかなければならないからで、この子たちが大変なんじゃない。そういう情報がまったく伝わっていないんです。私はエンターテインメントを通して、彼らの姿を届けたいと思っています」
「始めて15か月ですけど、とにかく楽しいんです! 土曜は仕事もお休みですしね。来年は中野サンプラザで発表会もあるんです」
「いろいろな子どもたちがいますが、アンナ先生はひとりひとりの目線に合わせた指導をしてくださいます。健常者のクラスでは白い目で見られたりして、行く場所もなかったんですが、ここでは子どもたちがみんな堂々としているんです。先生ならほかにもたくさんお仕事があるはずなのに、こちらを優先してやってくださって、本当にありがたいです。アンナ先生はここが(胸を指して)温かい人だなと。そうでなければ引き受けてくださらないでしょう」
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「パフォーマンスをなんとなくやっちゃってると、メンバーの前でOKが出るまでひとりで踊らされるんです。最後はみんな泣きながらやりました。私もその立場になったんですけど、全然OKが出なくて!」
「アンナさんはステージに立つ側とスタッフ側と両方経験されているので、言葉にすごく説得力があって信頼できるんです。ご自分の失敗談も全部さらけ出して話してくださるので、アンナさんは本気なんだなって。じゃあ自分たちも本気でぶつかっていこうと決めました」
「いま仕事をしている若い子たちが抱えている不安や悩みが手に取るようにわかるし、どうしたらそこを抜け出せるかもわかるんです。希望に満ちた人間がいかに短い間でダメになってしまうか、身をもって体験しているので。嫌な経験も、指導者となった今、活(い)かせる場面があると感じています」
津川雅彦宅に居候し、ソロデビュー
「父は遊びで訪れた沖縄が気に入り、親からの遺産も手にしていたので、ここで何か始めようと移住したようです」
「父と相談しにいくと、津川さんは、うちで預かるよと言ってくれました。(娘の)真由子もきょうだいがいないからアンナがうちに来てくれたらうれしいだろうからと」
「値札なんか見なくていいから、お前の欲しい服を選べと。私の願いを叶えようと面倒をみてくれ、夢のような生活を送らせてくれました」
「事務所も若い子がいなかったので、お姫様のように扱ってくれました。初めは謙虚な気持ちでいたんですが、徐々にその扱いに慣れてくると、荷物を持ってもらえないだけで“気がきかないな”なんて思うようになりました」
「有名になる人の陰には売れない人が何千といることを初めて知りました。でも自分が売れないのは周りの大人のせいと決めつけていたんです」
「ようやく厳しい現実を知りました。思い上がっていた自分にやっと気づいたんです」
沖縄を背負い、安室らと再デビュー
「“売れないから帰りました”なんて恥ずかしくてたまらないと思ったんですが、アクターズの同期たちがまた一緒にやろうと温かく迎えてくれました。ところが父からは“お前は表の才能じゃない、裏だ”と言われ、指導する側に放り込まれたんです」
「父は奈美恵が歩く姿を見ただけでこの子は歌って踊れると感じたと言います。“安室以上の子はもううちには現れないから絶対、失敗できない。心技体を徹底して指導しろ”と言われました」
「父にお前はやめろと言われましたが、私は15歳のときに努力しなかった後悔がずっと残っていたので、絶対やらせてくださいと頼みました。父からはスーパーモンキーズが失敗したらアクターズの次はないと言われたので、自分たちが突破口を開かなかったら沖縄の未来はないという心づもりで上京しました」
「沖縄ではやさしかったアンナさんが、東京では鬼教官のようでした。美容院へ行くと言って、友達と遊んで帰ったら、嘘(うそ)がばれてしまい、激怒されたことがあります。みんな沖縄を背負ってやっているんだよと。アンナさんもまだ若かったのに、弱さを見せず完璧でしたね」
「奈美恵は才能があるうえに努力を惜しまない子でした。誰もいないスーパーの営業でも歌って踊れる場所がある!とうれしそうにしていて。過酷な環境も楽しんでやっているのを見たとき、私には勝てっこないと思いました」
「表舞台に立つだけがスターじゃない、スターを育てた人という注目のされ方もある、お前はそこを目指せ」
父が突然の大激怒で“沖縄追放”
「父からは365日、24時間、子どもたちのことを考えて、どんな状況でも冷静に彼らを守れなきゃダメだと言われました。
「だんだんと父が変わり始めて、一緒にやってきたプロダクションの方たちとも揉(も)めるようになり、芸能界から総スカンをくらう状況になったんです。アクターズスクールからのデビューのルートが全部断たれて、生徒たちもたくさん辞めていきました」
「自分が全否定されたようで、これまでの10年は何だったんだろう? と絶望しました」
ダウン症の子たちがくれた居場所
「毎日泣いている私を見て、母もこの子は大丈夫だろうかと心配していたようです。ほかに行く場所もなく、積み上げてきたものをゼロにする勇気もないままでいたんです」
「ダウン症の子が80人ほどいる中に1人で入るのが不安で。意思疎通は可能か? 暴力的な子はいないのか? すらわからずにスタートしました」
「普通、素人の子に自由に踊ってと言っても、絶対できないんです。どうしていいかわからないと。それなのに、あの子たちは座って見ててと言ったのに、私のことなど誰も見ずに好き勝手に踊り始めたんです!」
「こんなに楽しく踊ったのは何年ぶりだろう!? って。私は“実績のある先生”として偉そうにしていながら、生徒たちより下手だったらどうしようと何年も踊れずにいたんです。下手でもみんなと一緒に汗をかくべきだったのに」
「この子たちのダンスとも思えない踊りを先生がすごいと褒めてくれて、レッスンのたびに子どもたちの意思を聞いてくれ、叱(しか)ってくれて、認めてくれたことが本当にうれしかった。この子たちはほかでは受け入れてもらえないから、発表会が終わったらもうダンスはできないし、先生ともお別れしなければならないのがとても悲しい。先生が続けてくれることを願っています」
「タレント養成所の先生はいくらでもいるけど、この子たちの先生になりたい人が今いないんだとしたら、私がこれをやればいいんじゃないかと思ったんです」
「発表会の最後に、残りの人生をこの子たちと生きていくと決めて、アクターズスクールを辞めます! と言ったら、客席にいる親御さんたちがわーって泣いて、ステージへ駆け寄ってきて、先生ありがとうございます! と言いました。その瞬間、ああこれはもう絶対辞められない、と覚悟したんです」
「レッスン初日に、私のやりたかったことはこれだ! と実感しました。生徒や親御さんたちがみな楽しそうに笑ってくれているのを見たら、これは頑張らなくてもずっと続けられるなと思いました」
「正直、大変ですけど、息子の心の拠(よ)り所ですから。帰りのバスの中は必ずルンルンしているんです。私もそれを見て笑顔になれてね」
「ダウンの子は音楽が流れてくるといつでも踊っちゃうんです。走ってる車の音楽にも反応し道で踊っちゃったり。通学の際はさすがに我慢しているのですが、娘はここで弾けてます! アンナ先生は献身的にあちこち拠点をつくって。感謝しかしないですね」
「簡単にいくことではありませんが、今いるインストラクターたちのように信頼できる人と地域ごとに出会って、きちんとしたかたちでつなげていけたらと思っています」
「後輩を育てて」と安室が切望
「私はもう芸能人を育てる現場には戻りたくないと思っていたんですが、奈美恵に自分の経験がよかったと言われたことがうれしくて、またやってみる気になりました」
「CDをつくったとき、周りからはダウン症の子が歌うなんて無理だと言われたんです。牧野は否定されればされるほど燃えると話していましたね。前例がないからやる意味があるんだと。
彼女は芸能の仕事も全部ラブジャンクスに返ってくると信じてやっています。『世界ダウン症の日』のイベントにISSAや三浦大知らが無償で出演してくれるのもそうした信用があってのことです。2人とも教え子ですしね」
「一緒に住んでないだけで、娘のさり(6)と3人で旅行も行きますし、僕は家族だと思っていますよ」
「私自身、今やりたいことがやれているのは、松川や私が仕事のときに家を守ってくれて、つらいときもずっと励まし続けてくれた母のおかげなんです。私も娘に対してそうありたいと思っています」
絶縁中の父に抱く、複雑な思い
「父から沖縄アクターズスクールを辞めた人間とは連絡を断てと言われてきたので、その仲間たちとも疎遠な時期がありました。
でもアクターズを辞めてラブジャンクスを始めたとき、ダウン症の子たちにハッピーに生きていくことの大切さを教えられましたし、そのとき助けてくれたのもアクターズの仲間たちだったんです」
「父には縁を切ると言われ、横浜の教室も出入り禁止となりました。10年前に連絡があって会ったときも、考え方が変わっていなかったので、訣別したのです」
「アクターズで経験させてもらったことが今の私をつくっています。私が教えるときに語る言葉は、父から言われてきたことなので、本当にたくさんのことを教わったと感謝しています。その気持ちを伝えられる状況にないことが残念です」
「アンナはあの独善的な親父の下で自分を見失わずによく育った。アンナがダウン症の子たちが踊るのを見て、常識的な視点とはまったく違って、彼らの目の輝きや動きの中に何かを見つけていったのはやっぱり才能だと思う。マキノも人の才能を見つける類いまれな力があるが、アンナのそれも親父譲りで、そこが親子なんだよ。通俗的な親子関係の修復とかで俺が出ていくことはないし、2人とも自分を生き切ればいいのよ」
「ダウン症の子たちは、私を大きな愛で包んでくれて、私の居場所をつくってくれました。その居場所があるから、私はほかで何があっても、自分を卑下することなく頑張れるんです!
世の中で彼らの居場所をもっと広げたい。普通に健常の子たちと友達になれたり、一緒にバイトをしたり、車を運転したり。彼らは時間がかかってもできるようになることがたくさんあるんです。ラブジャンクスの活動で理解を広めて、彼らがいろんな扉を開くのを応援したいと思っています」
(取材・文/森きわこ 撮影/齋藤周造)
森きわこ(もり・きわこ)◎フリーライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」