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芸能人らが“地獄”から這い上がった壮絶エピソード

2020年10月4日 16:00 週刊女性PRIME

(写真左上から時計回り)坂上忍、ローラ、阿部寛、石井竜也、林修、保阪尚希

 今はすっきりした顔をしているけど、この人気者も、地獄から這い上がった経験があるんです! 売れっ子になるだけですごいのに、けたはずれの不幸をも乗り越えた芸能人たちの秘話を紹介します!

阿部寛、カリスマモデルから『あの人は今!?』へ


『ノンノ』や『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍し、今や日本を代表する人気俳優のひとり・阿部寛

 バブル全盛期に俳優デビューするも、背が高すぎてドラマの仕事が安定せず、投資用のマンションに手を出してしまうが、バブル崩壊とともに数億円の大借金を抱えてしまう。「低迷期、彼が糊口をしのいでいた方法がパチンコです。月10数万ほど稼いでいたそうですが、190センチの大男が通い詰めていたら目立ったでしょうね」(スポーツ紙記者)。

 さらには、『あの人は今!?』の取材で捜索対象になるなど、完全に過去の人扱いに。この現状に危機感を覚えた阿部は一念発起し、どんな小さな仕事でも真摯に取り組んだという。そして『TRICK』で再ブレイクを果たす。『下町ロケット』で見せた下剋上精神は、地獄の賜物かも!?

林修、過去に苦労したからこその「今でしょ!」


いつやるか? 今でしょ!」でブレイクし、予備校講師のイメージが強い林先生。東大卒業後、銀行に就職するもわずか5か月で退職その後、起業や株投資、競馬に手を出して失敗を重ね、気がつくと20代で借金は1800万円に膨れ上がっていたという。その借金を返すために始めた仕事が、後に彼を売れっ子にさせる予備校講師というから人生はどう転ぶかわからない。

 天職を得たことで40歳で完済するや、2013年、48歳のときに今でしょ!が流行語大賞に選ばれ一躍、人気者に。一発屋との下馬評を覆し、今も活躍できる要因は、バブル期の銀行の“浮かれっぷりを見た”ことと、ギャンブルで培った“流れを読む”経験が大きいとか。衰え知らずの人気の秘訣が育まれたのは、今じゃなくて「過去でしょ!」。

石井竜也、2作目のジンクス映画で大失敗&大借金


『君がいるだけで』などの大ヒット曲をつくった「米米CLUB」。そのボーカリストである石井竜也カールスモーキー石井)も、借金苦で地獄を見たひとり。'94年、初監督映画『河童』で各映画賞に輝くと、その2年後に満を持して『ACRI』を公開するも、これが興行として大失敗に終わってしまう。

本人が番組で告白していますが、負債は15億円個人的に抱えた負債をバンド活動で返済したくなかったといい、すべてひとりで抱えたと聞きます」(芸能記者)

 一時は自殺も頭をよぎったそうだが、父親からの電話をきっかけに再起を誓ったという。バンドは解散するも、'05年に再結成。地獄を離陸した浪漫飛行は、今なお続く。

こまどり姉妹、最も地獄を体験したであろう最強姉妹


 そのアンラッキーは、2人を産む1か月前に母が井戸に転落し、胎内にいながら仮死状態に陥るという幕開けだった。幼い姉妹は、終戦直後の北海道の炭鉱を渡り歩く極貧生活の中で“流し”に出会い、歌うことを覚えたそう。


 上京後、ヒロポン依存者に囲まれた木賃宿で下積み時代を過ごし、美空ひばりにあやかった鳥の名前である「こまどり姉妹」でデビュー、1961年には紅白出場を果たす。しかし、人気絶頂の'66年、公演中にファンが刃物で妹・葉子を刺すという事件が発生なんと犯人は、姉・栄子と間違えて葉子を襲った……いろいろとオカシイって! 

 その後も、がんや大ケガ、交通事故、大負債など、「そんなに起こる?というくらい不幸が降り注ぐも毎回、不死鳥のごとく生還そして気がつくと大食い姉妹として再ブレイク。人生の教訓を聞くと、「健康に気をつけてほしい」と答えるチャーミングすぎる姉妹は、日本芸能史の宝です!

保阪尚希、通販王になるまでの壮絶人生


 萩原聖人福山雅治らとともに“新・平成御三家”と呼ばれ、数々のドラマや映画に出演してきた保阪尚希。現在は、通販ブランド『保阪流』を展開する実業家としての側面も持つが、その人生は想像を絶する。

 7歳の誕生日を迎えた直後に両親が心中すると、小学生ながらアルバイトを開始。近所で亀を釣り上げてはペットショップに転売し、日銭を稼いでいたというからすさまじい。

 独力で学校を卒業し、俳優としてデビューするが、33歳のときに内臓破裂で生死をさまよう。「その経験から予防医学に目覚め、健康商品を自己プロデュースするようになり、通販王の今がある」(芸能記者)

 '04年、妻・高岡早紀が布袋寅泰と不倫をしていたことで離婚、'07年には仏門に入るなど、ドラマ以上に激動の人生を送る──ビジネスで成功するのも納得です

鈴木宗男、まるで地獄の総合商社!?


 逮捕、収監、落選、刑務所、がん宣告……。激動の政治家人生を歩んだ議員は数あれど、“疑惑の総合商社”ならぬ“地獄の総合商社”と呼びたくなるほど壮絶な代議士は、この人をおいてほかにない。


ムネオハウス」をはじめとした数々の汚職疑惑に端を発した鈴木宗男事件は、最終的に7件12人が起訴され、全員の有罪が確定するほどの大スキャンダルに。自民党離党後、胃がんにおかされるも、なんと刑事被告人の身でありながら'05年の衆院選比例区で新党大地を旗揚げ。比例1位候補として立候補し、見事に当選するも、'10年には公職の収賄罪で実刑確定となり、刑期満了から5年間の公民権停止&失職! 

 しかし、その無念を晴らすかのように、娘・貴子氏が台頭し“父子鷹”を実現。本人も公民権回復後、'19年に国政復帰……このたくましさが、今の政治家には足りない!?

坂上忍、地獄を知っているからこそのコメント力


 天才子役として知られた坂上忍だったが、父親が事業に失敗し、15歳のときに両親は離婚。しかも、負債1億円を返済するため、辞めるつもりでいた子役を続行するはめに

 ストレスを抱えたまま青春期を過ごし、高校を自主退学すると、生活はますます荒れ果てる。父親同様、ギャンブルに狂い、'95年には酒酔い運転で現行犯逮捕しかし、'12年に突如“毒舌キャラ”として地獄から生還する

酸いも甘いも噛み分けたからこそ毒舌に説得力がある。そのコメント力が評価され、今や屈指の人気MCです。批判も目立ちますが、それ以上に納得してしまう人が多いからこそ、仕事がなくならない」(芸能ジャーナリスト)

風間トオル、イケメンからは想像できない極貧幼少期


 5歳のときに両親が離婚すると、父親が蒸発。祖父母の下で育てられるも、公園の草やカマキリを食べて飢えをしのぐ極貧生活を送ることに。さらには祖父が認知症になり、子どもなのに祖父の徘徊を監視する介護役を務めていたそう。


 極めつきは、祖父母が小学校への入学申し込みを失念していたせいで、1年遅れで小学1年生になってしまったこと! 結局、高校3年生まで毎年、1歳年下が学友になる──という大映ドラマもトレンディードラマも顔負けのドラマチックな人生を歩む。

 極貧学生だったが、バレンタインデーでプレゼントされたチョコレートを365個に割って、急場をしのいでいたとか。極貧だろうがイケメンはモテるんです。

ローラ、不法就労&不正受給──パパは国際指名手配!


 日本の国民健康保険制度を悪用した海外療養費の不正受給を理由に、国際指名手配された父を持つローラ9歳まで日本と父の祖国・バングラデシュを行き来していたが、経営していたインドカレー店は経営難で家賃滞納&パスポートやビザのない叔父ら親族を不法就労させていたというからスパイシーすぎる

 トンビが鷹を生んだのか、高校時代にスカウトされたローラは、その後、人気モデルへと駆け上がり、タメ口天然キャラでブレイク。しかし、不法就労事件だけではなく、不正受給騒動も持ち上がると、彼女は'15年から活動拠点をロサンゼルスへ移すように。国内での露出こそ減ったものの、あの明るさがあれば、きっと毒親の暗雲も晴れるに違いない。

桑田真澄、Mattのおかげでスキャンダルのイメージ払拭!?


 いつの間にか“いい感じのお父さんキャラ”を手に入れた桑田真澄だが、KKコンビの相方・清原和博に負けないくらい泥水をすすっている。ドラフト事件で世間からひと通り叩かれた後、『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』なる暴露本が発売されるや、裏金問題と野球賭博疑惑で再び渦中の人に。


 親族の不動産失敗による約17億円の借金を連帯保証人として抱えたことで登板すると「投げる不動産屋」「借金王」といったヤジが日常茶飯事に。

数々のスキャンダルがつきまとうためイロモノ扱いされがちですが、野球関係者は桑田の野球への姿勢を極めて高く評価しています。こんなにギャップのある選手も珍しい」(スポーツライター)。

 たしかにMattを見ていると、見た目やイメージで人間を評価してはいけないことがわかるような……。

●地獄からの生還者の証言【1】
タレント・プロレスラー ゴージャス松野さん


どん底に落ちても、迎えてくれる人は必ずいる


 離婚騒動での大バッシング、泥沼訴訟、突然の心肺停止……数々の地獄を経験するも、現在はプロレスラーとしても活躍するゴージャス松野さん。何が彼を奮い立たせたのか!?


一時期は、いろんなワイドショーで1日じゅう叩かれていました街も歩けず、買い物にも行けませんでも、私はやましいことはしていなかったので、マスコミの取材には真摯に対応しました。マイナスの状態でしたから、とにかくまずはゼロに戻そうという気持ちでした。そのうち、私がホストやプロレスデビューをする際に、マスコミが好意的に扱ってくれるようになってきたのはうれしかったですね。

 精神的にも肉体的にもどん底のときに、弁護士費用を立て替えてくださる方と知り合うなど、得難い出会いがいくつもありました。また、実家が福島県ですから、東日本大震災で被災された方を前にして、自分の苦労の小ささに気がつきました

 おかげさまで今は、仕事を含め、あの当時失ったはずの“守るもの”ができました。迎え入れてくれる人は必ずいるんですよね。本当に生きていてよかったです」

ゴージャス・まつの

1961年、福島県生まれ。'86年東宝芸能入社。'95年、女優・沢田亜矢子と結婚するが離婚騒動のバッシング報道で誹謗中傷され、失意のどん底を体験。自殺未遂や心肺停止も経験する。再起を期して路上人生相談を第一歩に、講演、ホスト、プロレス、タレント活動などを積極的に行い、現在に至る。

●地獄からの生還者の証言【2】
作家・クリエイター  花井愛子さん


遺言状なしの相続は「地獄です!!」


 少女小説家として著書売り上げ2000万部を達成した花井愛子さん。ところが、両親の死後いきなり相続地獄に!! 遺言状がなかったせいで、父名義にしていた巨額の印税を、親戚と異母姉兄に狙われたのだ。


 知らぬ間に銀行口座を凍結されてしまい、現金を動かせない。バブル崩壊も重なり、生活苦から自己破産を決断した過去を振り返って「遺産トラブルは誰にでも起きる!!」と声を大にする。

少額でもお金が入ると知れば、欲に目がくらむ身内が必ず出てきます。いったん揉めたら解決には数年かかる。ローン延滞や日々の食費も払えないなんて、メンタルが弱い人なら自殺しても不思議はないです。回避するには、遺言状が重要。

 元気なうちに“相続会議”を家族で行って、資産配分を明記した遺言状を作成しておきましょう!! まだ早いなんて甘く考えちゃダメ。“遺言状は家族愛の証明”です。死ねば天国? でも遺族は地獄。死んでも死にきれないですよね(笑)。

 健康自慢の人間だって、明日どうなるかわからない。相続準備は、大至急、始めるのが正解です」

はない・あいこ

コピーライターとして企画制作を手がけつつ'87年、少女小説家デビュー。代表作は映画化された『山田ババアに花束を』。相続体験を綴った著書数点のほかトータル200冊以上。タレントとしても活躍中。 

●地獄からの生還者の証言【3】
たくさんの芸能人と交流がある飲食店経営者 おりんさん


己と向き合えない“おごった人”は浮上できない


 百戦錬磨のママとして活躍するだけでなく、千葉真一をはじめ多くの芸能人と交流があるおりんさん。いろいろな芸能人を見守ってきた彼女に、“這い上がれる人”と“這い上がれない人”の差を聞くと──。


失敗をしてしまう芸能人の原因の大半が、異性か借金かクスリですよね。下降した後、元の位置にまで戻れる人はひと握り。戻ってきて、そこからさらに活躍した方は私の年代としては美川憲一さんしか思い浮かばないのですが、それくらい難しいということでしょう

 這い上がれる方は、お金を周りの人のために使えて、気配りをするようになれる、いわゆる“生き金”を使える人。だから、助けてくれる人に恵まれるのだと思います。でも、不思議なものでダメな人って母性がくすぐられるというか、“助けてあげたくなる”のも事実」

 一方で、助けられる人の中には、「どうせまた助けてくれるだろう」とおごってしまう人も少なくない。自分を省みることができない、己と向き合えない──そういう人が孤立無援になっていって、ますます堕ちていくのではないでしょうか

おりん

東京・池袋にてカラオケスナック「都会」「村」を経営する傍ら、自身も演歌歌手として活動する。篤志家としても知られ、千葉真一をはじめ多くの名だたる芸能人とも交流があり、アドバイザーやサポートも務める。


(取材・文/我妻アヅ子)

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熊田曜子と不倫疑惑の男性は平井理央の夫だった!

2021年10月25日 05:00 週刊女性PRIME

記者からの直撃を受ける平井理央('21年10月)

「10月19日にテレビ朝日系のバラエティー番組『ロンドンハーツ』に熊田曜子さんが出演。15年も続いているスポーツテスト企画が行われ、彼女も体操着をへそ出しルックにして臨む気合の入れようでした。しかし、共演者から最近の騒動について濁すようにイジられるなど、少し浮いているようにも見えましたね」(テレビ誌ライター)

 芸人たちが直接的な言及を避けたのも無理はない。熊田は今、 “ドロ沼離婚騒動”の真っ只中にいるのだ。

不倫相手の妻が有名女子アナ


「今年5月、夫のAさんからDV被害を受けたと警察に通報した熊田さんですが、Aさんは暴行を全面否定。逆に彼女の不倫を疑って以前から集めていた音声データの存在を明かし、夫婦は真っ向対立することになりました」(スポーツ紙記者)

 10月15日には、暴行罪で起訴されたA氏の初公判が東京地裁で行われたが、直前の7日に、彼もまた熊田に対して訴訟に踏み切った。

「Aさんが熊田さんを名誉毀損で訴えたんです。同時に不倫相手とされるキー局のプロデューサーのBさんに慰謝料請求の訴訟を開始。Aさんは独自の調査で、熊田さんとBさんの不倫の証拠をそろえるなど、訴訟に向けてずっと準備をしていたようです。もし疑惑が事実であれば“ダブル不倫”ということになります」(同・スポーツ紙記者)


 この訴訟に驚きを隠せない女性がいる。フリーアナウンサーの平井理央だ。

熊田さんとの関係を疑われているBさんの妻というのが、平井さんなんです。彼女は元フジテレビのアナウンサーで、'12年にフジを退社。その後はフリーで活動しており、Bさんとの間には'17年にお子さんが生まれています」(テレビ局関係者)

熊田曜子と平井理央の共演歴


 平井にしてみれば“青天の霹靂”ともいえる、今回の慰謝料請求。夫が訴えられてしまった現実をどのように捉えているのか。10月中旬、自宅マンションから出てきたところを直撃した。

――旦那さんが熊田さんの夫から訴えられました。何かお聞きしていますか?

 突然の質問にも関わらず、これといって動揺する様子は見られない。訴訟の件はすでに知っているのだろう。

――旦那さんと熊田さんは結婚前からのお知り合いのようですが、平井さんは彼女と面識があったのでしょうか?

 沈黙を続けていたが、記者の立て続けの質問でようやく口を開く。

「どうしようかな……。じゃ、お名刺いただけますか。私か事務所から連絡しますので……」


 記者の名刺を受け取った平井は、そのまま最寄り駅のほうへ歩いて行った。

 その後、平井から連絡が来ることはなかったが、彼女の事務所に改めて訴訟の件を問い合わせると、メールで回答があった。

「熊田さんとの面識や交流に関して、テレビ特番での共演はありますが、プライベートでの交流はないとのことです。そのほかに関しては、訴訟に関係するご質問であり、平井がお答えする立場にないものと認識しております」

 Bさんは『週刊文春』の取材に対して、熊田との男女関係を「全然事実じゃない」と完全否定している。今後行われる裁判で、いったいどんな真実が明らかになるのだろうか――。

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cat_oa-shujoprime_issue_a53d2659faed oa-shujoprime_0_4d6d589458cb_「居酒屋で情報交換?」“刑事ドラマあるある”の真偽を調査 4d6d589458cb 4d6d589458cb 「居酒屋で情報交換?」“刑事ドラマあるある”の真偽を調査 oa-shujoprime

「居酒屋で情報交換?」“刑事ドラマあるある”の真偽を調査

2021年10月24日 21:00 週刊女性PRIME

イラスト/クロキタダユキ

 今や1クールに必ずひとつはあるといっても過言ではないのが刑事ドラマ。10月からのクールは、『相棒 season20』(テレビ朝日系)、『らせんの迷宮~DNA科学捜査~』(テレビ東京系)が放送され、前クールも『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』(日本テレビ系)、『緊急取調室』(テレビ朝日系)と、刑事モノは定番として多くの作品が制作されている。

 振り返れば、'60年代の『キイハンター』(日本テレビ系)、'70年代の『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)、'80年代の『西部警察』(テレビ朝日系)や『あぶない刑事』(日本テレビ系)などなど枚挙にいとまがなく、刑事ドラマはいつの時代も放送されている。

“取り調べ中にカツ丼を食べる” 行為は現在NG


 裏を返せば、何十年と同じ素材を扱っているわけで、キリがないほどこすられている──はずなのに、いまだに新しい刑事ドラマが登場しているのだ。一方、これだけ繰り返し扱われているということは、当然、ありがちなシーン、すなわち“刑事ドラマあるある”も豊富だ。

 例えば、ひと昔前の刑事ドラマの定番シーン「犯人が取り調べ中にカツ丼を食べる」。40代以上であれば1度は見たことがある“あるある”だが、実はこの行為、今では警察内でNGになっていることをご存じだろうか?

「カツ丼を提供したことによって自白を誘導した……つまり、利益供与と見なされるため、カツ丼はおろか、缶コーヒーやタバコなどの提供も禁止になりました」

 こう説明するのは、元警視庁刑事で警察ジャーナリストの北芝健さん。現在の刑事ドラマで取調室のシーンが殺風景なのは理由があるという。

「そもそも食事の提供は、留置管理課の管轄になります。以前は、刑事課が食事を提供していたのですが、医薬分業のように刑事の世界にも分業の波が押し寄せ、飲食に関しては留置管理課員(看守など)が担当するように。

 ちなみに、昔は実際に取調室でカツ丼を出すことが珍しくなかったので、昔の刑事ドラマでカツ丼が出てくるのはウソではありません(笑)」(北芝さん)

 このように、“あるある”のシーンが時代とともに変化するパターンもある。同様に、往年の刑事ドラマでちょくちょく見かけた「ガサ入れで発見した粉をなめて、刑事が“シャブだな”とつぶやく」シーンも時代の波に淘汰された“あるある”の代表例だ。

「本来であれば、鑑識が白い粉に液体をたらし、アヘン系なら赤色、覚せい剤だったら青色に変わる試薬という手順を踏みます。刑事がなめる行為は、やってはいけない。しかし、私が警察にいた時代の話になりますが、慣れている刑事の中には、直接なめてしまう人もいました(苦笑)。そういった特殊なケースが、ドラマの中では一般的なシーンとして描かれるケースもありますね」(北芝さん)

 ドラマである以上、映える演出が求められる。結果、実際にはありえないのに、“あるある”としてひとり歩きしてしまうケースが存在する。刑事ドラマは、あくまでフィクションだと割り切って楽しまなければいけない。

ホントに居酒屋に集まる 実は射撃機会が少ない


 一方で、昔も今も変わらず定番シーンとして描かれているシチュエーションもある。その代表格が、「刑事が居酒屋(または小料理店)で話す」というものだ。

 ドラマウォッチャーでコラムニストの吉田潮さんが語る。

「例えば、『特捜9』(テレビ朝日系)は事件を解決すると、メンバーで『一件楽着』という居酒屋で飲むのが定番。前クールに放送されていた天海祐希主演の『緊急取調室』(テレビ朝日系)でも、居酒屋の個室で事件について話していました」

 古くは、眞野あずさ演じる女将が切り盛りする品のよい小料理店で、藤田まことが酒を傾ける『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)などもあるように、刑事がお店で飲酒し、捜査について語るシーンは“あるある”だ。この点を北芝さんは、「普通に飲みますね」とあっけらかんと笑う。

「もちろん守秘義務がありますから、注意は払います。しかし、お酒が入って同僚と意見を交わそうものなら白熱する。“あいつが犯人だ”なんて話に発展してもおかしくない

 また、居酒屋が選ばれるのには理由があるとか。

「私もそうでしたが、ノンキャリア組はお金がないんです。ですから、高い店では飲めない(笑)。大衆的な居酒屋で飲んでいるほうがリアリティーがあると思いますね。ちなみに、公安はホテルの一室などを貸し切って、そこで酒盛りを開いたりします。立場や役職によって、飲む場所が違うんです」(北芝さん)

 刑事ドラマの中でも、忘れてはいけないのが銃撃シーン。犯人と対峙し、「華麗に発砲する」のがお約束だが──。

「ホルスターをはずした後に、拳銃の撃鉄部分にある安全ゴムをはずさなければ発砲できません。ほとんどの刑事ドラマが、安全ゴムをはずす描写をしていない。実際には、あんなに素早くカッコよく撃つことはできませんね」(北芝さん)


 なにより、特殊部隊でもない限り、「躊躇なく撃つことが難しい」と北芝さんがつけ加える。

「みなさんが思っている以上に刑事は射撃をする機会が少ないです。よくドラマで、刑事たちが射撃場で銃を撃つといったシーンがあると思いますが、射撃場を併設する警察署は都内でも限られている。迷いを断ち切るかのように銃を撃っていますが、そんなに簡単に銃は撃てませんし、銃弾も無駄遣いできないため、射撃の機会は1年に1回あればいいほうです」

 一心不乱に的に向かって銃を撃つ刑事に対して、同僚が「無理は禁物だぞ」的な声をかける……そんなシーンは創作だった。なんでも、銃を撃つ機会が少ないがゆえに、感覚を磨くため素性を隠してサバゲーに参加している警察官もいるそう

 では、「子飼いの情報屋がいて、情報を金で買う」シーンはどうか? これも刑事ドラマの十八番だ。前出の吉田さんも、

「今年放送された『密告はうたう』(WOWOW)は、主演の松岡昌宏が、警察内部の不正隠蔽を描く硬派なドラマ。松岡の後輩刑事が囲っている情報屋をアキラ100%が好演していました。お金で動くけど、最後は後輩刑事への恩義で動いたあげくに殺されてしまいましたが」

 と語るように、ドラマの中で刑事と情報屋は、カレーと福神漬けのように定着化しているようにも見える。


「新聞、週刊誌といったメディア関係者をまとめて“聞屋”と言いますが、そういった人たちと情報を交わすケースもあれば、元暴力団員から情報をもらうケースもある。たしかに、情報屋的な存在はいます。ただ、お金を対価にするとは限らない。特に、暴力団関係者などを情報源とする場合、相手の安全を保障するなどもあります」(北芝さん)

 かつては取調室でのやりとりがきっかけで、出所後に情報提供が始まることもあった、と振り返る。

「出所した暴力団員は、親身に話を聞いてくれた刑事や気を遣ってくれた刑事に対して、心を開いたりする。その後、情報を定期的に刑事に伝えるといったことが起こりえました」(北芝さん)

急増した特殊能力系 事実は小説よりも奇なり


 コンプライアンスが叫ばれ、ドラマの表現もずいぶん変わったが、刑事ドラマも然り。だからだろうか、昨今は情報屋がインターネットに通じたハッカー系も少なくない。

「『BORDER』(テレビ朝日系)では、野間口徹と浜野謙太が、天才ハッカー2人組(サイモン&ガーファンクル)として活躍します。そもそも、このドラマは主演の小栗旬が、“死者と対話することができる特殊能力”を持っているドラマ。

 ここ10年は、土着的な刑事ドラマが減り、サイバー系や特殊能力系といった刑事ドラマが“あるある”になっている」(吉田さん)

 そう指摘するように、真木よう子が絶対聴感能力を使う『ボイス』(日本テレビ系)、堀北真希が被害者や加害者の心の声を聞くことができる『ヒガンバナ~警視庁捜査七課』(日本テレビ系)、クマのぬいぐるみに殉職した刑事の魂が宿る『テディ・ゴー』(フジテレビ系)、阿部寛が異常な嗅覚を駆使して警視庁のコンサルタントとして活躍する『スニッファー 嗅覚捜査官』(NHK)などなど。たしかにトリッキーな設定の刑事ドラマが、“ありがち”になった。

「海外ドラマの『プロファイラー 犯罪心理分析官』あたりから、日本でもプロファイラーものが流行しましたね。鼻につく学者肌や協調性ゼロの変わり者が主人公で、厄介者や鼻つまみが集められる部署という設定が定番。すべてアメリカドラマの二番煎じに見えてしまうのですが」(吉田さん)

 ほかの刑事ドラマと差別化を図るあまり、無茶苦茶な設定をさらに摩耗した結果、とんでもないドラマも生まれた。

「『ダーティ・ママ!』(日本テレビ系)は、忘れることができませんね。主演の永作博美が傍若無人なママさん刑事を演じるのですが、武装ベビーカーに息子をのせて現場にかけつける。新人刑事(香里奈)をベビーシッターとしてこき使うなど、コメディーだとわかっていながらも、突拍子もない展開に白目をむきそうになった」(吉田さん)

 そういえば、若手刑事だった唐沢寿明が爆発で吹っ飛ばされて昏睡状態になるも、30年後に突然意識を取り戻して復職する『THE LAST COP』(日本テレビ系)なんてドラマもあった。この後に、唐沢寿明が日本版ジャック・バウアーになることを考えると、“もしかして伏線だったの!?”などいろいろと勘ぐってしまう。

 念のため、こうした特殊能力を持つ刑事は、本当に存在するのか? 恐る恐る北芝さんに尋ねると……。

「霊感が強い刑事はいます。中には、死体を見るやホトケ(被害者)が犯人を伝えてくるケースもあると聞く。ウソのような本当の話です」

 と、まさかの答え。『BORDER』の設定が、リアルな事件現場で行われているなんて!


 事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだが、北芝さんは「ドラマで描かれている以上に、警察は生々しい話が多い」と教える。定番であろう「いつも同じチームで動く、相棒(バディ)がいる」という一例を挙げて説明する。

「殺人事件が発生し、犯人が捕まっていない場合、特別捜査本部が事件発生地の警察署内に置かれます。周辺から応援として30~40人の刑事が駆けつけますが、喧々諤々の様相ですよ(笑)。所長や捜査一課長がチームを割り振るものの、刑事長のような人が仕切り始めたりもします」

 また、『踊る大捜査線』で描かれていた、署内での権力争いもあるという。

キャリア組とノンキャリア組の対立もあるし、出身県によっても対立する人もいる。いつも同じ管内で事件が起こるならまだしも、殺人など大きな事件ともなれば同じチームというわけにはいかない。

 私個人は、そういう生々しいディテールを描いている刑事ドラマが少ないと思うし、そういった描写に特化した刑事ドラマがあれば、知られざる刑事の人間味も垣間見えて面白いと思いますね」(北芝さん)

 まだドラマで使われていない“刑事あるある”が存在しているということ。以前に比べて刑事ドラマもリアルになってきたが、「まさかこんなことが……」と思わせてくれるシーンをもっと見せてほしい!

きたしば・けん 東京都生まれ。早稲田大学卒業。在学中に1年間英国居住。商社を経て警視庁入庁。地域警察、刑事警察、公安外事警察の捜査に従事。早稲田大学大学院にて犯罪学研究のため、警察OBとなる。作家、ジャーナリストとしても活躍中。



よしだ・うしお コラムニスト。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆し、『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターも務める。著書に『親の介護をしないとダメですか?』などがある。

《取材・文/我妻アヅ子》

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イケメンテニスプレーヤー堀江亨「いずれは俳優業にも挑戦」

2021年10月24日 16:00 週刊女性PRIME

堀江亨 撮影/吉岡竜紀

 実りの秋、スポーツ界にもフレッシュなイケメンがたわわです!お顔もプレーする姿もさわやかすぎて、もうくぎ付け。その気になる人柄は……?『月とオオカミちゃんには騙されない』に出演し、話題となったテニスプレーヤー・堀江亨を初特写!

“とおる様”の愛称で魅了


「今の目標は、国際大会で優勝すること。きちんと成績を残して、もっともっと成長したいと思っています!」

 ウィンブルドン・ジュニア選手権ベスト8、全米オープンテニスジュニア2位、ジュニアデビスカップ(国別対抗戦)世界4位……数々の華々しい記録を持つテニス界の新星・堀江亨。

 '20年にAbemaTVで放送された、駆け引きしまくりの恋愛リアリティーショー『月とオオカミちゃんには騙されない』に出演しているが、


「出演のきっかけは、スタッフさんに声をかけていただいたこと。当時、芸能人がたくさんいる高校に通っていて。

 前シリーズには友達も何人か出演していたんです。せっかくの機会だし出てみたいな、と思って。大学を少し休学して出演を決めました」

 色気たっぷりでモテまくり。“とおる様”の愛称で女子たちを魅了。その反響は凄まじく、SNSのフォロワー数も激増!



「今まではテニスプレーヤーとして僕を知ってくれる人がほとんどでしたが、この番組をきっかけに“ファンになりました”と言ってくれる人も増えて」

 テニスラケットを握ったのは、小学校1年生のとき。



「父親がテニスコーチで、3歳上の姉に続いて始めた感じで。極真空手やクラシックバレエもやっていたんですが、僕の地元(岐阜県)には同い年の強力ライバルがいて。“絶対、その子を倒したい”“勝ちたい”という気持ちでテニスに絞りました」

 今後は、テニスも芸能の仕事も両立したいと語る。



「今秋、国際大会で勝てたらいったん芸能活動はお休みしてテニスに集中するつもりです。でも、いずれは俳優業にも挑戦してみたいです。気持ちが入るとひとつのことに集中し、周りが見えなくなるタイプなので、うまくできるといいんですが……(笑)。どちらの活躍にも注目していただけたらうれしいです!」

好きな女性のタイプ、教えて!



「知的な女性が好きです。自分ができないことができたり、何か特化したものを持っている人に惹かれちゃいます。ひとつのことを極めてる人ってカッコいいですよね。年上の女性を好きになることが多かったです」

 ほりえとおる……'99年5月18日生まれ、岐阜県出身、A型。プロテニスプレーヤーを目指し、19歳からアメリカの大学へ。恋愛リアリティーショー『月とオオカミちゃんには騙されない』(AbemaTV)に出演し、話題に。憧れの男性は木村拓哉

〈取材・文/高橋もも子〉

外部リンク

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元手ゼロで大量当選『スマホ懸賞』クリック術

2021年10月24日 13:00 週刊女性PRIME

※画像はイメージです

 秋から年末までは懸賞賞品がいちばん充実している時期。自分のスマホやパソコンから手軽に賞品を狙えるSNS懸賞がズバリ、狙い目! ハガキと違ってお金も手間もかからず、サクサク応募できます。ツイッター、LINE、インスタグラム、そしてアプリをフルに使えば、当選チャンスは無限。すき間時間に「ひと稼ぎ」している“やり手主婦”に攻略法をリサーチ!

SNS懸賞が注目される理由


「懸賞というと、ハガキで応募するイメージが定着していますが、いま、当選する機会が多いのは、ツイッターやLINE、インスタグラムなどを使って応募するSNS懸賞です。今後、SNS懸賞はますます増えていくと思うので、今のうちに始めておきましょう」と話すのは、懸賞のスゴ腕達人のぴろりさん。

 SNS懸賞はなじみが薄い人もいるかもしれないが、手軽に当たるチャンスを広げられるという。ハガキ懸賞とSNS懸賞のいちばんの違いはSNS懸賞は応募のための費用がかからないことだ。

ハガキは1枚63円なので、1か月に10枚のハガキを書いて応募すると、費用が1か月630円かかります。その点、SNS懸賞なら、費用は通信料だけ。それも魅力の1つですよね」(ぴろりさん、以下同)

 また、いつでもどこでも、スマホさえあれば、すき間時間に応募できるのがSNS懸賞の強みでもある。応募するときは、自分が使っているSNSのアカウントから行う。

「SNS懸賞を始めてみたいと思ったら、まずはSNSのアカウントを取得することが第一歩になります」

 現在、ツイッター、LINE、インスタグラムの3つが、主なSNS懸賞の応募方法になる。この中のどれか1つでも自分のアカウントを持っている人は、今日からでも応募を始められるのだ。

 また、SNS懸賞は締め切りまでの期間が短いものが多いのもポイントだ。当選結果がすぐにわかるため、初心者でもチャレンジしやすい。

「ハガキ懸賞は応募期間が長く、締め切りまで1、2か月あるものが主流です。その一方で、SNS懸賞の応募期間は1、2週間という短期間で締め切られることが多いです。短いものでは、1日で締め切られるものもあるため、ほぼ毎日、懸賞の締め切りがあるといってもいいでしょう」

 しかも、SNS懸賞は種類や数が豊富だ。毎日のように、新しい懸賞の情報が100件も200件も発信されている。すき間時間に毎日いくつもの懸賞に応募できるのが、SNS懸賞のいちばんの醍醐味だといえよう。

どんなものがあるの?SNS懸賞の応募の仕方は3つ


ツイッター


 企業などの公式ツイッターでは、さまざまな懸賞が告知されている。気になる懸賞があったら、まずその懸賞を行っている公式ツイッターをフォロー。次に、懸賞の投稿をリツイートすれば応募が完了する。

LINE


 なじみのある食品メーカーなどの公式アカウントを友だち追加する。LINEのトーク画面に、その企業からの懸賞が配信されたら、懸賞の告知に触れて説明ページを確認し、応募方法に従って入力後に送信する。

インスタグラム


 懸賞を行っている企業などの公式アカウントをフォローする。懸賞のテーマに合った料理や風景などの写真を撮影。コメント欄にコメントを入力して、指定されたハッシュタグをつけて投稿する。

ぴろりさんが伝授! SNS懸賞初心者の応募ルーティンLINE編


1、企業の公式アカウントをLINEで検索

 LINEアプリを開き、「ホーム」または「トーク」の画面の上部にある検索窓に「公式アカウント」と入力。多数の公式アカウントが表示されるので、知っている企業を探す。

2、なじみのある公式アカウントを友だち追加

 よく購入する商品のメーカーなど、自分になじみのある企業を友だち追加する。飲料メーカーや食品メーカーなどは、懸賞のキャンペーンをよく行っているのでおすすめ。


3、トーク画面を定期的にチェック

 友だちになった公式アカウントのトーク画面を定期的にチェック。懸賞の告知が送られてきているかを確認する。頻繁に見なくても、時間があるときにまとめて見ればOK。

4、懸賞キャンペーンの告知を指で触れる

 トーク画面に「〇〇キャンペーン実施中! 」「〇名様にプレゼント! 」などの懸賞の告知が送られてきたら、その告知を指で触れて説明ページを表示させ、応募方法を確認する。

5、応募方法を確認して応募! あとは吉報を待つだけ

 応募方法は、応募フォームに必要事項を入力するもの、簡単なアンケートに答えるもの、指定の商品を購入したレシートを撮影し、トーク画面で送信するものなどさまざま。

6、当選通知を受け取る

 懸賞に当選したときは、トーク画面に当選通知が送信されてくるので、指示に従って賞 品の送付先などを入力する。期限までに入力しないと、無効になるので気をつける。

LINEの専用用語を知っておこう


●応募フォーム

懸賞に応募するときに表示される、名前や住所などを入力する画面。



●トーク画面

LINE上の友だちと個別に文字やスタンプなどをやりとりする画面。



●友だち追加

自分のLINEに知人のアカウントや公式アカウントを登録すること。



●公式

一般の個人ではなく、企業や著名人などのことを指す。



●アカウント

ユーザー登録をすることで得られるインターネット上の自分の場所。

秋から12月にかけて懸賞が増える


 ぴろりさん自身もツイッター懸賞で焼き肉店の「ホルモンを一生食べられる権利」や、北海道2泊3日ペア旅行などを当てているツワモノだ。

 これから12月にかけては、家電や食品、金券などが当たる懸賞が増える時期。10月はハロウィン、12月はクリスマス、1月はお正月というように、季節のイベントが盛りだくさんだからだ。

年末に家族が集まったときに、懸賞で家電や食品が当たっていれば、みんなの話題になります。例えば、家電だったらテレビやホットプレートなどは、大人数で楽しめる人気の賞品。企業もPRの意味を込めて、そういった家電の懸賞を増やすのです

 家電や食品のほかに、現金、ギフト券、宝くじなどが当たる懸賞も人気が高いという。

「賞品として『初夢宝くじ』の連番10枚セットや、2万円の現金などが当たる懸賞もこれから増えていきます」

 これからの時期、初心者でも狙いやすい食品関連の懸賞情報にも注目だ。全国の自治体やJAなどが主催する旬の食べ物の懸賞は魅力的。

 情報を集めるには、懸賞関連の情報を網羅した「まとめサイト」をチェックしよう。

今日から始めるSNS懸賞


「初めてSNS懸賞に応募する人は、応募期間の短いものを狙ってみるといいかもしれません。応募期間が短いほうが、懸賞の告知が広く行きわたる前に締め切られるからです。そのため、応募数が少なめで、当たりやすい傾向に。応募期間の目安としては、締め切りまでが1週間以内の懸賞が狙い目です。まず、挑戦してみてはいかがでしょうか」

 当たりやすいかどうかは、当選人数とも関係している。当選者が1名のみという懸賞で、当選をゲットするのは、上級者向きだ。

「最初は100人、200人に当たるSNS懸賞から始めてみてはいかがでしょうか」

 ぴろりさんが教えてくれた、初めてSNS懸賞に応募する人のための「SNS懸賞初心者の応募ルーティン」を参考にしてみよう(66ページ上図参照)。

 ここでは、SNSの中でも利用者の多い「LINE」を使った懸賞の応募の仕方を取り上げた。LINEでの応募は安全性が高く、初心者でも比較的、簡単に行える。自分が使い慣れたSNSがあれば、そちらから応募してもいい。

 もし、SNSの使い方がわからないときは、周りの人に教えてもらうのがいちばんだ。頻繁にSNSを使う世代の知り合いや、家族にSNSに詳しい人がいれば、その人に教えてもらうのが早道だといえる。

「SNS懸賞の達人さんにはスマホに不慣れな50代の人もいて、家族に応募の仕方を教わったり、写真の撮影や投稿を手伝ってもらったりしています。それが、家族とコミュニケーションをとる1つの手段にもなっているようです。楽しみながら懸賞に応募できるのは、ステキですよね」

達人が初心者に教える3つの心得


 これからSNS懸賞を始める初心者に向けて、楽しむための3つの心得を達人たちから伝授してもらった。

 1つ目は、手間のかかるSNS懸賞に最初から挑戦するのは避けたほうがいい。

「SNS懸賞の中でも、インスタグラムでの応募は、写真を投稿するものが多いです。応募する前に対象商品を購入して、その商品を使って調理をしたり、できあがりを写真で撮る作業が必要となる場合があり、手間がかかります。その分、ほかのSNSよりも当たりやすく感じるのですが、初心者向きではないかもしれませんね」

 2つ目は、最初はなじみのある企業の懸賞に応募してみること。いつも食べているお菓子や、よく使う日用品や食品のメーカーなら安心して応募できる。

「ハガキ懸賞の情報を得るときは、多くの場合、雑誌や新聞など、信頼できる刊行物に載っている情報から探すため、安心して応募できます。しかし、SNS懸賞は偽物アカウントの存在を意識しないといけません。怪しい懸賞もあるので、応募先の企業や主催者が安全かどうか、自分でしっかりと確認することが大切です」

 応募するということは、個人情報を企業に送るのと同じ。少しでも不安を感じたときは、家族や懸賞仲間に相談することも必要である。

「ツイッターやインスタグラムを検索すると、ハッシュタグをつけて当選報告をしている人がたくさんいます。どの懸賞に応募して当選したのかが載っているため、その懸賞や主催者は信頼できるとわかります。その人をまねて、同じ主催者の懸賞に応募してもいいですね」

 最終的に、どの懸賞に応募するかを決めるのは自分だが、高額な賞金が当たる懸賞を見つけても、すぐに飛びつかないようにする。

「10万円という高額な賞金額を見て、冷静になれずに怪しい懸賞に飛びついてしまう人もいます。安易に応募すると後悔するケースもあるので、“これ大丈夫かな? ”と、いったん冷静になってみることも忘れずに」

 3つ目は、応募に使うアカウントは自分のメインのアカウントを利用して、懸賞用のアカウントを別で作らないほうがよい。

「SNS懸賞では、ダイレクトメッセージなどで当選通知が来て、期限までに返信しないと無効になります。別のアカウントを使うと、見過ごす可能性があるのです」

 少し慣れてきたら、下の達人主婦たちのように、ひと手間かける方法もある。当選率がアップするのでモチベーションも上がり、さらに応募して、ますます当選が増える、という好循環が生まれている。

 初めて行うSNS懸賞。気長に続けていれば、自分に合ったSNSや方法が見つかるはず。

 少しずつ当たるコツもつかめてくるので、ぜひ、この秋はSNS懸賞に挑戦してみたい!

達人たちが日々実践!SNS懸賞の狙い目5か条


その1、懸賞の達人をフォローして懸賞情報をゲット

 SNS懸賞の情報をツイッターに投稿している達人をフォローすると、情報をゲットしやすい。達人は多くのSNS懸賞に応募(フォロー&リツイート)しているので、当たりやすい情報が多い。



その2、フォロワー数が少ない企業を狙う

 SNSのフォロワー数が少ない企業などが主催するSNS懸賞が狙い目。あまり知られていないので、応募数が少ない傾向にあり、当たりやすい。SNSを開設したばかりの企業などにも注目。



その3、写真や動画の投稿は応募者が少ないこともある

 インスタグラム懸賞への応募は、写真や動画を投稿することが多い。ひと手間かかるので、面倒に感じる人は応募しない。そのため、応募数が少ない場合もあり、当たりやすくなる。



その4、当選率が上がる条件を満たすようにする

 当選率が上がる条件があれば、その条件を満たす。例えば、対象商品を購入したレシートを撮影し、ツイッターのダイレクトメッセージで送れば当選率が2倍になる懸賞は、そのとおりに行う。



その5、応募期間が短く、当選人数が多ければ狙い目

 応募期間はなるべく短いものが狙い目。応募期間が1週間以内なら、すぐ応募を。また、初心者は当選人数が1名のSNS懸賞よりも、100名単位で当選する懸賞を狙おう。

達人主婦たちのSNS懸賞品の楽しみ方


欲しいものをゲットし続ける、高い的中率を誇る2人の達人主婦にSNS懸賞運をグッと引き寄せるワザをお聞きしました。


達人主婦(1) めぐめぐ。さん


海外旅行や家電で家族の笑顔が増えた!

 めぐめぐ。さんがSNS懸賞を始めたのは、出産後に家にいる時間が増えたのがきっかけ。インスタ懸賞では4万円相当の「ソウル往復航空券」、ツイッター懸賞では「お料理代行5万円分」を当てた達人だ。

 懸賞数が増える昨年の11月、12月はなんと毎日のように、さまざまな懸賞の賞品が送られてきたそう。


 印象に残っているのが低温調理器とキッザニア東京の入場券。

「前から気になっていた低温調理器の当選はうれしかったですね。早速ローストポークを作ってみたら、簡単に作れました。また、家族で楽しめたのがキッザニア東京です」

 よく応募するのは、対象の商品を購入し、写真に撮って応募する、少し手間のかかる懸賞。


「なるべくマイナーな商品が対象の懸賞を選び、商品を扱っているお店を探すところから始めます。商品を扱うお店が少ないほうが応募人数も減るので、当たりやすいと感じているから。応募に手間のかかる懸賞は面倒だと感じる人も多いので、私は狙い目だと思っています」

 SNS懸賞で気をつけていることは?

 「個人情報の収集が目的の懸賞もあり、少しでも怪しいと感じたら応募しません」

 生活にSNS懸賞を上手に取り入れためぐめぐ。さん。

「地道に続けていれば、必ず当たると思いますよ」


達人主婦(2)ももごんさん


高級牛肉や憧れの食器“穴場”を仲間と共有

 夫婦そろって懸賞好きだというももごんさん。最高額では2万円相当の近江牛を当てたことも!


 昨年の秋から冬にかけて当選した賞品は、47都道府県の味のポテトチップスや、お茶のペットボトル100本など、ボリューム感があるもの。

「ポテトチップスは、全部で47個届き、すごい量にびっくり! 知り合いに『お福分け』をしたら、みんな喜んでくれましたよ。自分で考えた料理の写真を投稿して当たったのは、憧れのル・クルーゼの食器。この食器に盛りつけたら、

いつもの料理がひと味違いました」


 最近、ももごんさんは、ツイッター懸賞を当たりやすくするコツを発見した。

「以前は、ツイッター懸賞の応募は、応募方法どおりに公式ツイッターをフォローしてから、懸賞の投稿をリツイートする『フォロー&リツイート』のみを行っていました。今年に入ってから、フォロー&リツイートに加

えて、『リプライ』を送るようにしたら、当選率が上がったような感じがします。懸賞を主催する企業の担当者の方も、リプライを見てくれているのかもしれないですね」

 ももごんさんは、懸賞の情報を入手するために「フォロワー」とも情報を共有。

「穴場のSNS懸賞を教えてもらうこともあるんです。みなさんと楽しく続けたいですね」


教えてくれたのは……ぴろりさん●月刊懸賞専門誌『懸賞なび』の編集者。自らも懸賞達人として活躍中。近著『懸賞当てるコツ&裏ワザ100』(白夜書房)。


(取材・文/松澤ゆかり 写真提供/phtoAC)

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『SnowMan』佐久間大介のオタク活動を支える有名俳優

2021年10月24日 12:00 週刊女性PRIME

『Snow Man』の佐久間大介

「久々というか、初めて言いたいね。Snow Man、デビューしました!」

 10月8日、横浜アリーナで思いの丈をファンに叫んだのは、人気アイドルグループ『Snow Man』のメンバー・佐久間大介。

佐久間は“ビジネスオタク”ではない


 コロナ禍のため、'20年1月のデビュー以来、有観客でのライブを自粛してきた彼らだが、今回、観客を入れた全国7都市を巡る初の全国ツアーがついに始まった。

「9月末に発売された1stアルバム『Snow Mania S1(スノーマニアエスワン)』は初週に84万枚を超える売り上げを達成し、1stアルバムの初週売り上げ枚数としては“令和最高”を記録。

 彼らはアーティストとしてだけではなく、アイドルらしからぬトーク力も評価されてバラエティー番組にも引っ張りだこなんです。ジャニーズの中でも、今いちばん勢いのあるグループだと言えるでしょう」(アイドル誌ライター)

 個性派ぞろいの『Snow Man』の中でも、アニメオタクとして知られるのが佐久間大介。今年6月に公開されたアニメ映画『白蛇:縁起』では「夢だった」と公言していた声優で、主演を務めた。

佐久間は普段から“嫁は二次元”だと語っています。“二次元”とは、三次元が現実世界を示すのに対し、平面の世界、いわゆるアニメや漫画やそこに登場するキャラクターのこと。アニメファンの間では、今や日常的に使われている言葉なのですが、そのオタクっぷりは、あくまでテレビ向けのキャラクター、“ビジネスオタク”というわけではないんです」

 そう話すのは、芸能プロ関係者のひとり。

「彼の趣味へのお金のかけ方は常軌を逸しています(笑)。流行りのスマホゲームは必ずプレイしており、『Fate/Grand Order』や『ウマ娘 プリティーダービー』などのゲームアプリへの課金額は、普通の人では到底出せない目が飛び出るほどの金額を注ぎ込んでいるんです。

 生活費よりも、アプリへの課金の方を優先する彼は、寝食よりゲームや漫画、アニメなどを優先させる生活なので、ちょっと心配になるくらいです」(佐久間の知人)

人気俳優との情報交換


 多忙を極める佐久間だが、貴重な休日すら、アニメグッズを求めオタクの聖地とも言われる、東京・秋葉原に繰り出しているという。

「派手な色で染まった髪型を隠すようにニット帽をかぶり、高級ブランドのトレーナー姿でアニメグッズを販売するお店に普通に通っています。一応、変装はしているのですが、逆に目立ってしまってほかのお客さんからバレてしまうこともしばしば……(笑)」(同・前)

 佐久間にとって憧れの先輩であり“オタク仲間”である『Kis-My-Ft2』の宮田俊哉との仲は有名だが、そんな宮田の紹介で、佐久間はある意外な人物ともつながりがあるという。


「最近、神木隆之介さんと仲がいいんです。神木さんも筋金入りの“アニメオタク”なのは有名なのですが、ジャニーズタレントとも交流があるのはあまり知られてないですよね。

 神木さんはアニメやゲームだけではなく、対戦型カードゲームの『遊戯王オフィシャルカードゲーム(以下略)』が大好き。かなりの腕前だと聞きましたよ。

 佐久間さんは『遊戯王』に関してライトプレイヤーではあるものの、持ち前のコレクター魂でレアカードを大量に収集しており、自宅の壁一面にはコレクションとして飾ってあるそうです。現在はしょっちゅう神木さんと連絡をとって、『遊戯王』のレアカードに関する情報を交換し合っているんだとか」(別の佐久間の知人)

 佐久間がアイドルとして多くのファンに夢を与える原動力のウラには、一途すぎる“本物の二次元愛”があった!


取材・文 久遠凛

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男社会の逆風に負けず、浅草を復活させた女将の“凄人生”

2021年10月24日 11:00 週刊女性PRIME

冨永照子さん 撮影/伊藤和幸

 日本を代表する観光名所である東京・浅草。一時はゴーストタウンと呼ばれたこの街のため、半世紀以上にわたって尽くし、盛り上げ、復活へと導いてきた伝説の女将がいる。女だけの協同組合を立ち上げ、おかしいと思ったら相手が大臣でも直談判。夫の愛人の世話さえ惜しまない。名だたる財界人の信頼をつかみ、数々の事業を成し遂げてきた“粋”ざまに迫る!

浅草・伝説の女将


「大役を引き受けることになりました」

 岸田新政権の発足直後、そんな1本のメールが女将の元に届いた。そして次のように返信し、エールを送った。

「大役、けっこうです。次はあなたが総理になるんですよ!」

 送信先は、新政権の主要ポストに抜擢された、ある大物政治家だった。

「本当にいろいろな大物にかわいがってもらいました。すべては『浅草おかみさん会』で取り組んできた町おこしが原点にあります。古い言葉で言うと郷土愛。それでここまでやってきました」

 そう誇らしげに語るのは、東京・浅草にある手打ち蕎麦店『十和田』の女将、冨永照子さん(84)。協同組合・浅草おかみさん会の理事長でもある。

 新型コロナ対応の緊急事態宣言が全面解除されたあとの10月4日夕。まだ多くの店舗がシャッターを下ろす浅草すしや通り沿いに、「コロナに負けるな!」という横断幕を掲げたその店は、煌々と明かりを灯していた。

 紫色の暖簾をくぐって店内に入ると、平時のにぎわいを取り戻したかのように、常連客たちで席が埋まっていた。全員男性だ。その中に、ピンクの衣装を身にまとった冨永さんが、酒のグラスを片手に、テーブルを渡り歩いていた。小柄ながら、男性客を相手に堂々と振る舞うその姿は、女将の風格をさりげなく漂わせていた。


 そんな彼女は、先の政治家以外にも財界、芸能界など各分野において一線で活躍する大物たちに幅広い人脈を持ち、東京・浅草の町おこしに力を注いできた。

 つくばエクスプレス(TX)の誘致、浅草寺のライトアップ、2階建てロンドンバスの導入、「浅草サンバカーニバル」や「ニューオリンズ・ジャズフェスティバル」の開催……。

 冨永さんが町おこしのために取り組んできた事業の数々だ。講演依頼も全国から次々と寄せられ、これまでにこなした数は1000回近い。

 コロナ禍においてもその人脈はいかんなく発揮され、懇意にしている社長や旅館からお歳暮や菓子の大量注文を受け、なんとか凌いできた。

 今年9月なかばには、20年ぶりとなる新刊『おかみの凄知恵 生きづらい世の中を駆けるヒント』(TAC出版)も上梓した。


《「義理人情と心意気」を忘れたら、もうおしまい》

《小さいお金は使う。大きなお金はもらう》

《悪口は聞こえるように言う。陰口は言わない》

《酒も呑みます、生きるため。嘘もつきます、生きるため》

 豪快な女将語録が詰まった1冊は、冨永さんがこれまでの経験で培った知恵に裏打ちされていた。

 そんな「凄知恵」ならぬ、「凄女将」の人生とは一体、どのようなものだったのか。

疎開先で「かわいそうな顔をしろ」


 浅草のシンボルといえば、巨大な赤提灯をぶら下げた雷門だ。そこをくぐり抜けると、仲見世通りが真っすぐ浅草寺に向かって延び、着物や浴衣姿の若者たちでごった返している。その中ほどにある「飯田屋」という屋号の店が、冨永さんの実家だった。


 現在は踊り用品や扇子などを販売しているが、冨永さんが産声を上げた昭和12年当時は、かりんとうを作る菓子屋だった。その裏手にある家で3人きょうだいの長女として育った。間もなく戦争が始まり、小学2年生のときに埼玉県春日部に疎開する。

「疎開先では、母が持っていた着物と物々交換するため、手を引っ張られて“かわいそうな顔をしろ!”なんて言われた記憶があります。イナゴやしじみをとって食べ、砂糖が手に入れば舐めさせてくれたものです。B29が飛んできたときは、田んぼに伏せました。防空壕には蚊がいっぱいいるし、頭にはシラミがわく。シラミは水銀を頭にぬって落としました。そんな生活だったんです」

 戦争が終わり、小学校5年生のときに浅草へ戻ってくると、あたり一面は焼け野原と化していた。仲見世も焼けてしまったが、母親たちはそこに露店を開き、菓子屋を再開したという。冨永さんは台東区立浅草小学校に通いながら、早朝から店の手伝いをした。

「ようかんを作って売っていました。セロファンで包むんですけど、私、子どもだからよくわからず、くっつけばいいと思ってセロファンを舐めていました。柏餅の葉っぱが食べ残されると、それをまた洗って使っていましたね」

 そんな幼少期を送る傍らで、祖母からは「貧乏人は三味線に限る。畳半畳もあればできるから」と教えられ、長唄を覚えるために三味線の稽古に通った。


「子どもがいたら面倒見ないといけないので、両親は働けない。だからお稽古に預けられたんです。長唄以外には、お花やお茶も。でもそれをサボって映画館に行っていましたね。ガキ大将だったから。学校でのあだ名は“女ターザン”でした」

 中学に入ると、店は商売替えをし、傘とショールを売り始めた。これが当たった。昭和25年に勃発した朝鮮戦争の特需景気も手伝い、飛ぶように売れたという。

 仲見世を手伝いながら学生生活を送った冨永さん。高校を卒業した5年後、同じ浅草にある老舗の和菓子屋『菊水堂』の若旦那と結婚する。出会いのきっかけは、戦争で焼けた浅草寺本堂の再建を記念した「金龍の舞」と呼ばれる行事だった。冨永さんは、芸者衆が乗る山車で三味線を弾き、若旦那は男衆の1人として舞を踊っていた。

「周りはみんな芸者でしょ。その中に、私のような堅気の若い娘が1人で三味線を弾いていたんです。そしたら観光連盟のおじさんたちの間で、“浅草を盛り立てるのに役立つだろうから、外へ出しちゃもったいない”“誰かとくっつけよう”と、私の知らないうちに話がどんどん進んでいたんです」

 そうして冨永さんは昭和35年2月、菊水堂へ嫁いだ。

「あんこの問屋さんから、菊水堂は金がない家だっていうのは聞いていました。それでも母が背中を押してくれたんです」

 結婚から9か月後には長女、そして東京オリンピックが開催された昭和39年には長男をそれぞれ出産した。


 若旦那も最初の数年はまじめに働いていたというが、次第に結婚生活に陰りが見え始める。そのエピソードについて、

「浅草はそういうところなのよ」

 と、冨永さんはあっけらかんと語るが、にわかには信じ難い話が飛び出した。

蒸発した夫の愛人を世話する理由


 それは冨永さんが結婚してから数年後のことだ。若旦那が家に帰宅しなくなった。

「まあ浅草ではよくあることよ。夜遊びに行って、“泊まってくる”なんて言うもんだから、おかしいなと思っていました。でも段々と愛人の存在に気づきました」

 相手は、若旦那が花柳界で知り合った芸者だった。当時の心境を、冨永さんは皮肉交じりに語った。

「最初は腹が立ちました。金も持っていないくせにこのやろうと。でも、もともとお金がない家に嫁ぎ、必死で働いていたから、いないほうがかえって仕事の邪魔にならなかった。それに私は花柳界の遊びは心得ていたから、旦那の浮気にはそれほどびっくりはしなかったわ。抵抗がないっていうか」


 愛人にうつつを抜かした若旦那は、彼女のために神田にパスタ専門店までつくった。しかし経営は不調に終わり、おまけに若旦那も蒸発。借金だけが残った。そして愛人は冨永さんに泣きついてきた。

「旦那の弟と一緒に彼女のところへ話をしに行きました。わんわん泣いているから有り金を全部置いてきたんです」

 若旦那については警察に捜索願を出したところ、「正月か祭りの季節になると帰ってくるよ」とのんきなことを言われ、本当にそのとおりになったという。

 妻が夫の愛人の世話をする──。

 いくら浅草では「抵抗がない」と言われても、やはり狐につままれたような感覚だ。令和の現代社会では理解されにくい「浮世話」だろう。

 冨永さんの長男で菊水堂の代表取締役専務、冨永龍司さん(57)は、幼少のころ、両親と暮らした記憶がほとんどなかった。

「父親は花柳界で遊んで帰ってこないし、タクシーで熱海まで芸者遊びをしに行っていたと聞きました。店(菊水堂)も借金だらけだったから、母親は働かざるをえなかった。だから幼稚園ぐらいまで私は、住み込みで働いていた女性従業員に、それ以降は祖父母に育てられていました」

 さらにはその祖父にも愛人がいて、働くのはもっぱら祖母。妻が家計を支え、旦那が外で遊びを覚えるという関係は、冨永家では2世代にわたって続いていたのだ。

 龍司さんが語る。

「昔の浅草は、男の人はみんな、彼女がいたそうですね。それで母たちはとやかく言っていないと思います。私の子どもも、店の従業員に面倒見てもらっています。さすがに私には妻以外の人はいませんが」

 子どものころ、龍司さんは父親の愛人に連れられて、遊びに出かけたこともあったという。

「父親から“今日はこの人と遊びなさい”と言われ、豊島園のプールに2人で行ったことを覚えています。僕ら商人の子どもは、土日も夏休みも両親は店の仕事があるので、どこかへ連れて行ってもらえません。だからプールは、子ども心に純粋に楽しかったです」

 特殊な浅草の家庭環境で育った龍司さんの目に、冨永さんは母というよりは、女将に映るそうだ。父親と過ごした時間は少ないものの、一緒にプラモデルを作ってくれたりと、やさしい一面もあった。そんな父は心筋梗塞で、46歳という若さで亡くなった。当時を冨永さんがこう回想する。

「旦那が亡くなってもみんな、涙なんか流しやしないよ。逆に“照ちゃんよかったね”って言う人がいっぱいいたのよ。散々金を使って遊んだんだからって」

 夫の死後も、冨永さんは愛人の援助をしていたというが、それが後々、思わぬ展開につながる。

2階建てバス運行のため大臣に直談判!


 ダイエー創業者の中内功(※「功」は正しくは工に刀)氏、ホテルニューオータニ社長の大谷米一氏、イトーヨーカ堂設立者の伊藤雅俊氏……。


 冨永さんが懇意にしていた財界の重鎮たちだ。いずれも浅草おかみさん会の町おこしを陰で支えてくれた。その出発点となるおかみさん会結成の背景には、東京オリンピック後に押し寄せた浅草の衰退期があった。 

 戦後の復興を経て、浅草寺本堂が再建されたのは昭和33年のこと。その2年後にはパナソニックの創業者、松下幸之助氏の寄付で雷門が再建され、東京オリンピックの開催に向けて浅草の景気はうなぎ上りだった。特に映画館や劇場が軒を連ねる盛り場「浅草公園六区」(通称六区)を訪れる客は、映画がはねた夜に、仲見世をにぎわせていた。「100円の札束を足で踏んで一斗缶に入れる店もあった」(冨永さん)ほどだ。

 演歌歌手の島倉千代子が昭和33年にリリースしたヒット曲『東京だョおっ母さん』は、田舎から出てきた娘が母の手を引いて東京見物するさまを歌っているが、その歌詞に次のような一節がある。

《お参りしましょよ観音様です おっ母さん ここがここが浅草よ お祭りみたいに にぎやかね》

 当時の庶民にとって、浅草は憧れの地だったのだ。

 ところが、東京オリンピックを契機に普及したカラーテレビの影響で、浅草の映画館から人々の足が遠のき、封切り映画の代わりに、ポルノが上映されるようになった。

 浅草観光連盟の冨士滋美会長(73)が解説する。

「六区の人通りがパタッと止まり、その様子を写真とともに“斜陽浅草”と報じられました。浅草の人たちは怒りましたね。盛り場としてにぎわってきた六区がさびれていったのは、浅草だけでなく、日本にとっても大事件だったのです」

 生まれ育った街の衰退に危機感を抱いた冨永さんはある時、地元の女性たち数人で井戸端会議を開いた。

「このままでは浅草がダメになってしまう。子どもたちに街を引き継ぐためにも組織を作ろう」

 こうして昭和43年、浅草おかみさん会が結成された。初代会長には、すき焼きで有名な『浅草今半』の女将・高岡恵美子さんが就任。会として最初に取り組んだのは、浅草観光案内図の看板作りだった。

「雷門や観音様、国際劇場などの観光スポットを書き込んだ案内図を作ることになったんです。資金は露店販売をやって捻出しました。そしたらその取り組みがマスコミに取り上げられ、女性が立ち上がれば注目してくれることに初めて気づきました」

 菊水堂が商売替えをしたのもこのころだ。六区の低迷で和菓子を買い求める客も減ったため、昭和47年、蕎麦店『十和田』を開業した。冨永さんの弟が、すでに浅草で蕎麦店を始め、繁盛していたことも大きい。

 続く町おこしでは、多少の無理は持ち前の江戸っ子気質で押し通した。

 2階建てのロンドンバスを導入したときのことだ。バスの高さは4・3メートルで、日本の法律で定められた高さの制限3・8メートルを50センチオーバーしていた。なんとかできないかと冨永さんは、台東区の旦那衆とともに運輸大臣室へ乗り込み、直談判したのだ。

「男性たちがお願いしてもダメだけど、私たち女性が“ねえ、先生、お願い!”ってやると口説けたんです。女の強みですね」

 この結果、2階建てバスの導入が認められ、浅草─上野間で昭和56年、運行が始まった。


 さらにおかみさん会は、浅草サンバカーニバルやジャズフェスティバルなども開催し、浅草六区の再開発構想が持ち上がったときには、つくばエクスプレスの誘致に奔走した。


 なかでも六区再開発の目玉事業、『浅草ROX』の建設には、ニューオータニの大谷米一氏が出資をしている。もともと、父親で創業者の大谷米太郎氏が浅草観光連盟の初代会長をしていた関係もあったが、社長の大谷氏が十和田に来たのがその始まりだ。

 冨永さんが説明する。

「旦那が死んだ後も愛人を援助していたことが花柳界で少し評判になっていました。それを聞いた大谷さんが私に興味を持ってくれたらしく、お店に来たのです」

 これが契機となってニューオータニに十和田の模擬店を出し、その後のROX誕生につながった。 

 ダイエー中内氏との出会いは、ジャズフェスティバルに偶然、客としてやってきたのがきっかけという。


「そしたら中内さんとすっかり仲よくなっちゃって。そのご縁で、仲見世に一緒に揚げ饅頭屋をつくりました。お互いの名字から1字ずつ取って『中富商店』。浅草六区には『欽ちゃん劇団』もつくってもらいました」


 浅草には当時、タレント・萩本欽一氏が主宰する「欽ちゃん劇団」のためにつくられた劇場があった。そこへ出演していたのが、地元出身の芸人「東MAX」こと東貴博さん(51)である。


「女将さんとは、もう30年来の付き合いですね。すごく面倒見のいい方で、若い芸人や役者を応援してくれるんです。僕がテレビに出る前の駆け出しの、20歳過ぎのころ、特別食券を配ってくれ、何度か天ぷら蕎麦を食べさせてもらったことがあります」

 楽屋には冨永さんの孫も一緒に訪ねてきて「頑張ってる?」とエールを送ってくれたという。

「でも楽屋って普通はそんなに人が入ってこないじゃないですか? 関係者だから、もちろんいいといえばいいんですが、不思議な感覚でした。舞台が始まると、公演の最中に“頑張れ!”と声をかけてくれるんです。それがありがたくもあり、また邪魔でもありましたね(笑)」

 そう江戸っ子らしい毒舌を交えて話す東さん。2階建てのロンドンバスが浅草を走っていたときには「意味がわからなくてテンションが上がった」と言い、何度も乗った。

「僕が小学生のときでした。学校でバスの名前が募集され、みんなで一緒に考えたんです。でも結局、『さくら』とかオーソドックスな名前に落ち着いて、つまんねえなあと思った記憶があります。サンバカーニバルは雷門通りで裸同然のお姉さんたちが踊っていて、当時、中学生だった僕はめちゃくちゃ興奮しましたよ。

 大人になってから、女将さんが仕掛け人だと知りましたが、まあパワーと馬力がすごい方です。浅草の催し物の陰には女将さんがいて、もめ事の陰にも女将さんがいる。そんなすごい女将さんがいるからこそ、浅草には話題が尽きないんです」

「おかみさん会」が牽引する地域おこし


 浅草おかみさん会は平成5年、協同組合へと組織化され、活動の幅は全国へ広がった。

 その記念すべきイベント「第1回全国おかみさん交流サミット」が同年、新宿の高級ホテルで開かれ、商店街の活性化に取り組みたい参加者が集まった。これを機に、全国各地でおかみさん会が次々と結成された。


『高崎おかみさん会』は平成13年に結成されて今年で20周年を迎える。会長の深沢るみさん(70)は、その経緯をこう説明した。

「結成当時はバブルが崩壊した直後でした。ショッピングセンターが郊外にできたため、街の商店街が活気を失ったんです。そんなときに、街づくりの講演会を冨永さんにお願いしたのがきっかけです。冨永さんは裏表がなく、男も女も同じように付き合い、言うときは言う。そして義理人情に厚い。そういう昔気質の気風は忘れられがちな時代だから、大切にしていきたいと思います」

 高崎おかみさん会は、商工会議所などのバックアップもあり、群馬県の食材を使った駅弁やお菓子などを次々と開発した。毎月第4日曜日に開催される「人情市」には、パンの店を出店し、活動を続けている。

「まだまだ目に見える成果は出ていませんが、とにかく私たちでできることをやろうと思っています」

『掛川おかみさん会』も、疲弊していく地方都市の現実に頭を悩ませ、冨永さんの講演を機に平成8年に結成された。会長の山本和子さん(61)は、そのときに経験した冨永さんらしいエピソードを紹介してくれた。

「せっかく講演会をやってもらうならと思い、掛川市の実情を書いた手紙を送ったんです。当日はそれに則したお話が聞きたかったので。講演は無事に終わったのですが、冨永さんは手紙を読むのを忘れていたみたいで……」

 冨永さんから後日、電話がかかってきて「わるかったね! また次回行ってあげるから」と伝えられ、講演から1か月もたたないうちに再び掛川市に駆けつけてきたという。まさしく義理だ。

「そのときは天ぷら屋の座敷でやったんですけど、その場で“おかみさん会をつくろう”と声が上がり、とりあえず結成することになりました」

 掛川おかみさん会は「おかみさん市」のほか、「チョークアートフェスティバル」や「赤ちゃんオリンピック」などのユニークなイベントを始めた。しかし、女性たちだけの活動に当初は、地元の視線は冷ややかだった。

「古風な人が多かったから、“女が出てきて何だ!”という雰囲気でした。おかみさん市をやるときにテント設営の協力をお願いしたら、あからさまに拒否。イベントで使った道具を会場に置き忘れたときなんかは、確かに私たちのミスではありますが、“忘れ物だよ”とひと言知らせてくれればいいのに、警察に通報されましたね」

 掛川市にまだ、女性だけの団体がなかったころの話だ。それでも市役所が理解を示してくれたことで、徐々に活動がしやすくなったと、山本さんは振り返る。

「結成から25年がたち、そろそろ世代交代を考える時期に差しかかっている。子連れの若い夫婦は、郊外に住んでいることが多いので、そうした若い人たちがもっと街づくりに関わりやすくなる環境を整えていきたいです」

飛び交う怪文書「悪口は有名になった証」


 浅草おかみさん会は、日本初の、女性メンバーだけでつくられた協同組合だ。いまなお「わきまえない女」に対する風当たりは強いが、浅草という男社会の中で、冨永さんは常に逆風にさらされてきた。

《浅草寺ライトアップで金儲け》

《浅草発展の邪魔者はお照さんと聞く》

 冨永さんの活動を誹謗中傷する怪文書が、商店街にばらまかれたこともある。

 新年早々、《今祝死年》という縁起の悪い文字が並んだ年賀状も、「陰陽師」なる送り主から届いた。

「そのときは悔しかったよ。でも今思い返せば、そういうふうに悪口を言われたら、有名になった証だと思う。嫉妬の裏返しですよ。悔しかったらあんたらも怪文書もらってみろってんだ!」

 そう語気を強める冨永さんはポジティブだ。ただ、世の女性たちは、そんなに強く振る舞える人ばかりではないだろう。森喜朗元首相の女性蔑視発言は記憶に新しいが、男社会に息苦しさを覚える女性は少なくない。冨永さんが力説する。

「私だって最初はそんなに強くなかった。布団かぶって泣いたこともある。こん畜生って思っているうちに、憎しみも薄らいでくるのよ。“いい子、いい子は、どうでもいい子”って言ってね、人に合わせすぎてもダメ! 怒鳴られて畜生と思ったら100倍にして返せばいい。敵取ったらいいじゃない」

 強気な発言をする一方、「人にはそれぞれ事情がある」といった配慮もにじませる。

「ただ人間、いろいろな環境で育っているよね。いじめられる子もいるから、その人によって生き方は異なるんです。私みたいにさあ、戦争中と旦那の苦労は少し知ったけどさ、そんなのみんな肥やしにしてきたから」


 そんな冨永さんの目に、現代社会における男女関係や夫婦の在り方はどう映っているのだろうか。

「世の中、変わったなと思いますね。そこらの夫婦を見てみなさいよ。男が子ども抱いてるじゃん。悪いとは思わないよ。でも本音では、男がだらしなくなったのかな、と。まあ稼ぎがないからしょうがないよね。昔は女が稼げなかったから」

 その言葉の端々には、夫に浮気され、それでも必死に働いてきた女将としての矜持が表れていた。浅草の街は、女性が守り抜いてきたのだ、と。

「あのババア、やっと死にやがった」


 戦前から浅草の街を見続けて84年──。

 時代の変化とともに、街の様子もまた移り変わっていく。今や浅草を訪れる観光客の多くは若者たちだ。冨永さんが語る。

「今、浅草でいちばんの上客は、修学旅行で訪れる学生ですよ。500円とか1000円で人形焼きなんかを買っていく。すっかり若者の街になりました。そんな彼らから、“雷門は知っているけど、観音様(浅草寺のご本尊)のことは知らない”と言われて驚きましたね。インスタ映えの時代なんです。ショックでしたけど、私たちの世代も、そういう若者感覚をやはり認識しないとダメなんです」

 仲見世は浅草で「観光地」という位置づけだが、女将にとっての思い入れはやはり、六区の「盛り場」だ。かつての苦い経験も思い出される。

 それは明治時代に開場した「常盤座」と呼ばれる六区初の劇場でのことだ。昭和40年には映画館に転向し、やがて周囲の衰退とともに休館に追い込まれた。

 浅草の行く末を憂えていた冨永さんは、常盤座へジャズを呼ぶという斬新なアイデアを思いついた。その少し前、米ニューオーリンズにジャズの見学に行ったときの体験から着想を得た。再び渡米し、出演契約を結んでジャズフェスティバルを開催。これが当たったため、常盤座を借りる契約を結び、お笑いのイベントも始めた。

 ところが、かつてのにぎわいを取り戻したと思ったのもつかの間、昭和天皇の病気に伴い、イベントを自粛せざるをえなくなった。

「赤字が2000万円ほど出て、1週間ほど寝られなかった。血尿も出た。仲間の女将は円形脱毛症になったの。だからといって天皇陛下を恨むわけにもいかないしね。でもね、そういう苦しい思いをしないと一人前にはなれない。街のために血のにじむような努力ができますかって」

 その後はロック歌手の内田裕也氏が年越しコンサートを開催したり、俳優・石坂浩二氏が主宰する『劇団急旋回』が公演を行ったりしたが、再開発のため平成3年、浅草初の劇場誕生から100年の歴史に幕を閉じた。


 当時の思いを今も引きずる冨永さんには、浅草に大衆芸能の劇場をつくりたいという夢がある。

「夜はやっぱり、盛り場じゃなきゃいけない。浅草が絶対に負けないのは芸能だけ。それを復活させるのが私の最後の夢なの。浅草はねえ、常に好奇心をそそるイベントをやらなきゃダメなんですよ」

 とても80歳を越えているとは思えないほどの迫力とエネルギーだ。そんな女将の背中を、長男の龍司さんはこう見つめてきた。

「母は、ただ浅草を何とかしなきゃいけないという思いでいろんなことをやっている。それが生きがいで、もはや趣味みたいなもんです。おかげで84歳にもかかわらずあれだけ元気だから、私が介護に悩む必要もないし、自分の仕事に専念できます。ありがたいですね」


 一方の冨永さんは世代交代も視野に入れているが、今でも日々店頭に立つ姿は、まだまだ現役を感じさせる。

「年をとっても人生には新しい御旗(みはた)を立てなきゃならない。そこに向かって進めば、ぶれることはありません。もし旗印がなければ、反省し、考え直してまた一からやればいいんです。この生きにくい時代には、心の訓練が大切よ。やっぱり心の持ち方なんだよ。それでも解決しなかったら私に電話しろって。朝9時ぐらいだったらつかまるよ。あんまり早くはダメよ!

 そう語る女将の扇子が、勢いよくテーブルをパチパチと打ち鳴らした。

「私もそのうちに間違いなく言われるよ。“あのババア、やっと死にやがった”って。そう言われるのを楽しみにしてるよ」

 これぞ粋な浅草の心意気である。

(取材・文/水谷竹秀)

みずたに・たけひで 日本とアジアを拠点に活動するノンフィクションライター。三重県生まれ。カメラマン、新聞記者を経てフリー。開高健ノンフィクション賞を受賞した『日本を捨てた男たち』(集英社)ほか、著書多数。

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父親を殴り殺した息子、母親の望みで保釈され…

2021年10月24日 08:00 週刊女性PRIME

松山地方裁判所

 家族間に加害者と被害者がいる事件はこれまで何度か傍聴してきたが、その形はさまざまである。妻が夫を、夫が妻を。親が子を、子が親を。

 時に、被害者遺族がいない事件も存在する。全員死亡の場合と、遺族が加害者を擁護する場合だ。今回の裁判は、まさに遺族である家族が被害者の死を「悲しくない」とまで言った事件である。

 令和3年1月25日、愛媛県松山市内の住宅から110番通報が入った。

「夫がけがをしているようだ、息子がけがをさせたと言っている」という内容で、救急隊が駆け付けたときはすでに心肺停止で、のちに死亡が確認された。

 死亡していたのは、この家に暮らす金子秀敏さん(当時65歳)。警察は当時自宅にいた秀敏さんの二男(当時36歳)に事情を聴いたところ、口論になって暴力をふるったことを認めたため、緊急逮捕となった。

父親の一言に息子が激高


 事件から9か月が過ぎた10月19日、すでに保釈されていた二男の裁判が松山地裁で始まった。

「緊張してる?」

 弁護士にそう聞かれ、大きく息を吐きだす彼は、金子真也被告。短く髪を刈り、スーツを着ていた。裁判長にお辞儀をし、証言台の椅子を引く所作などを見ても、非常にきちんとしているという印象だった。傍聴席には、同居している母親と別で暮らしている兄の姿。

 罪状認否では、起訴内容をすべて認めた。この裁判では、事実関係に争いはなく、被告の量刑を決めることが目的である旨が述べられた。

 事件は些細な父親の言葉が発端だった。

 仕事が休みだったその日、昼頃から自室で飲酒していた真也被告を見咎め、「昼間から酒ばっかり飲みやがって!」と秀敏さんが叱ったという。それに激高した被告が秀敏さんを殴りつけ死亡させてしまったのだ。

 これだけ聞けば、なんと短絡的でキレやすい息子なのだと誰もが思うだろう。しかも、死なせるまで殴るとは……と。ただ、真也被告がここまで激高したのには、当時の秀敏さんの生活スタイルと、金子家に長きにわたって重くのしかかっていた問題が関係していたのだ。


* * *


 秀敏さんと妻が結婚したのは40年ほど前。秀敏さんは農協に勤務し、55歳で早期退職するまでトラブルもなく勤めあげた。仕事柄、秀敏さんは対人関係もうまくこなしていたという。

 一方で、家庭はというと寒々しい限りだった。

 事件当時はフルタイムで介護職に就いていた妻だったが、若いころはパートでしか働くことを許されなかった。しかも、フルタイムで仕事をし始めたのは夫の都合だったという。

「55歳で早期退職して、家計が苦しくなることが分かっていたからか、『お前、働いてもええぞ』と。」

 秀敏さんはパチンコ好きで、結婚当時から毎日パチンコに通い、帰宅は21時〜22時ころ。子どもたちが生まれてからも変わらなかった。運動会もパチンコ屋で過ごし、昼の弁当だけ一緒に食べて競技を見ることはない。

 家族での外食は40年間で10回。うち、夜の外食は「たまたま機嫌がよかった」2回だけだった。パチンコに加え酒もたばこも好きで、家計を圧迫した。食事も、秀敏さんだけ別メニューで、家族で夕食を囲むこともなかった。家族への身体的なDVや暴言などはなかったが、家事も育児も一切手伝わなかったという。

父親と関わりを持とうとした息子


 真也被告と兄は、父親との会話もほとんどないまま成長していく。褒めてほしくて話しかけても「うるさい」と遮られた。そのうち、兄は父親と関わるのをやめたが、被告はどんなにうっとおしがられても、父親に話しかけていた。

 被告は愛媛県内の大学を卒業、その後は今治市や山口県などで仕事をしていたが、長続きはしなかった。理由は、上司との意思の疎通がうまくできなかったこと。夜も眠れなくなり、当時ひとり暮らしをしていた部屋から泣いて母に電話をかけている。

 母はそんな息子に驚き、仕事を辞めて実家に戻るよう言う。被告が24歳ころのことだった。

 実家に戻ってからも、2回転職。しかし、被告は一度仕事を辞めると、次の職に就くまで年単位での休養が必要だったという。「人間不信で働く気になれなかった」と言うが、実家での安心感もあったのだろう。母も、働かなくてもいいと言った。

 子どものころから、自分よりも周囲を優先させる性格だった。そのために、つらいことがあっても言えずにきた被告は、早期退職でずっと家にいる父、秀敏さんとの関係もどんどん悪化していくことになる。

「父が不機嫌なのは、体調が悪かったからだと思います」

 真也被告に限らず、兄も、母もそう言っていた。秀敏さんは体調を崩していて、家族がそばにいるとあからさまに不機嫌オーラを出すようになったという。しかし早期退職してしばらくは、真也被告と秀敏さんの関係は改善する。酒を酌み交わし、テレビを見て一緒に笑うこともあった。夢にまで見た、父との親子らしい時間だった。

 それが、事件が起きる5年前からは再び悪化の一途をたどる。会話もできなくなり、家の中ですれ違うと舌打ちをされた。「うっとおしい」と言われ、目が合うと首を傾げられた。いつからか、被告は家の中で秀敏さんと会わないようにし始める。

 事件の日は、被告は休みで昼間から酒を飲んでいた。以前の仕事が昼夜逆転だったため、その癖が抜けず昼から飲むことがあったのだという。

 それを、秀敏さんが咎めた。ただ、秀敏さんも早期退職して以来、毎日朝から飲酒していた。さらに、その日の父の言葉はいつになくキツく、被告を見る目はまるで汚いものを見るかのようだった。

「父も飲酒しているのにという思いがあった。言ってることがおかしいことを痛めつけてでも謝らせたかった」

 そのときの秀敏さんの目を見て、被告が縋っていた父と子の関係がなくなってしまったと感じたのだという。

 被告は、秀敏さんの胸ぐらをつかむと顔面を殴った。とにかく、何もかもを謝ってほしかった。この日のことだけではない、生まれてから今日までのすべてを。

「もう、ええ」

 どれほど殴ったときだろうか、ふと秀敏さんが、そう言った。

「自分が期待した謝罪ではなかったからモヤモヤした」が、被告はその言葉で暴行をやめると、自室へ戻り昼寝をした。父の様子は重篤には思えなかった。自分の服についた大量の返り血も気づかなかった。だから、救急車も呼ばず様子も見に行かなかったのだという。

 しかし秀敏さんはすでにこのとき、くも膜下出血を起こしていた。

 仕事から帰った母に秀敏さんの様子を聞かされた真也被告は「頭が真っ白になった」という。

 被告は逮捕されたが、母が望んで保釈となった。そして、今日まで事件現場となった実家で母と暮らしているのだ。

 検察官が問う。

「あなたが今いる場所はどんな場所ですか」

「自宅でもあり、犯罪現場です」

自活を阻んだ母親


 真也被告は今日まで、日課として父の仏壇に手を合わせ、お膳を供え、お水を取り替えているという。それは一生続けていくとも話した。保釈となれば実家に戻るしかないとはいえ、ふと、違和感を覚えた。

 母も兄も、秀敏さんが死んだことは残念だが、悲しい気持ちはないし涙も出ない、それよりも真也被告が心配だと話した。極端な言い方をすれば、秀敏さんの死を悼む気持ちがどれほどなのだろうかと思うのだ。

 違和感はほかにもあった。真也被告はおとなしく、暴力沙汰など一度も起こさなかったというが、検察がさらりと示した被告の部屋のドアの写真は、恐ろしいほどにボコボコだった。

 以前の職場でのトラブルの後、被告が殴って開けた穴だ。ドアは修理不可能なほどの穴だらけとなったが、なぜか取り換えられることもなくそのままだった。

「お金がもったいなかったから」

 4~5万円かかると言われ、取り換えないことを選んだのは母だった。実は真也被告には800万円の貯蓄があったにもかかわらず、母は息子に負担させなかったのだ。それどころか、食費以外は携帯電話代すら被告が自分で支払うことはなかった。

 秀敏さんはいつまでたっても自活しない被告に苛立っていたという。しかし真也被告はそれを面と向かって言われたことはなかった。母が衝突を恐れて話をさせなかったのだ。さらに言えば、被告の自活を阻んだのも、この母だった。

 秀敏さんが自活するよう言おうとすると、「また寝られんなったら困るから」と、30を過ぎた息子を家に置きたがった。その一方で、「(眠れないというのは)うつ状態にあったとは思わなかったか、病院には行かなかったのか」と聞かれると、母親は「うつではないし、時間が解決すると思った」と話した。

 検察官は秀敏さんと真也被告の関係がよかった時期と、悪くなった時期に注目。真也被告の職歴と関係していたのだ。被告が仕事をしている期間は関係がよく、無職になったころからその仲は悪化し始めていた。

 秀敏さんが酒を飲んでいることを咎めたのも、その日、被告が休みだとは知らなかった可能性を検察は指摘。運転する仕事にもかかわらず酒を飲んで大丈夫なのか、そういう意味ではなかったのか、という質問に被告は、

「そんな心配をされたことは今まで一度もない」

 と、可能性すら認めなかった。

 農協時代から十二指腸潰瘍、狭心症、そして膀胱がんと体調不良が続いていた秀敏さん。「日常生活は大丈夫だった」と家族の誰もが言ったが、階段の上り下りも大変で、心臓は手術もしていた。

「そんな状態の父親を、殴ったんですか」

 の問いには、「頭に血が上っていて……」を繰り返した。しかし一方で、「傷つける気はなかったので(硬い)額を集中的に狙った」とか、「職場に迷惑がかかるから先に電話した」(被告は事件後、職場に電話し、休むことを連絡している)と話す真也被告。

「……ここだけ冷静なんですね」

 検察官の言葉に返す言葉はなかった。基本的に大きな声ではっきりと答えていた被告だが、都合の悪い質問には答えを逸らす傾向があり、ときには咳ばらいを繰り返して慎重に言葉を選びなおす場面も見られた。

 検察は、母と兄の気持ちを尊重したうえで、また、たとえ秀敏さんの言動に非があったとしても、それで死に至らしめるほどの暴力が正当化されてはならないとして懲役7年を求刑。弁護側は、執行猶予付き判決を求めた。

 過度なノルマやプレッシャーに、押しつぶされそうになりながらも、退職金上乗せというメリットを得るまで、仕事を辞めなかった秀敏さん。自身に多額の生命保険もかけていたという。時代が違うと言えばそれまでだが、そんな父の目に被告はどう見えていたのだろうか。そして、家族が愛想をつかす中、最後まで父を父と思おうとしていた被告。

 涙を流すほどには悲しくないと家族に言われた秀敏さんの死。たった一度、真也被告が声を詰まらせた場面があった。

 リビングにはいつも父がいた。存在を示し続け、我が物顔で金子家を牛耳ってきた傲慢な父。保釈後、家に戻った被告を待っていたのは、その父のいないリビングだった。

「父の好きだった阪神の試合をもう一緒に……」

 あとは言葉にならなかった。判決は25日に言い渡される。

事件備忘録@中の人

昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。

サイト『事件備忘録』: https://case1112.jp/

ツイッター:@jikencase1112

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SNS誹謗中傷「加害者」の素顔

2021年10月23日 21:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 年々増加している、ネット上での「誹謗中傷」トラブル。最近では事態を重く見て訴訟問題に発展するケースも少なくない。NPO法人World Open Heartの理事長・阿部恭子さんの元には、誹謗中傷で「加害者の家族」となった人からの相談が増えているという。加害者本人の口から語られた驚くべき“言い訳”とはーー。阿部さんによる解説。

眞子さまも心を痛めた誹謗中傷


 2020年5月、プロレスラーの木村花さんがSNSの誹謗中傷により自ら命を絶つに至った事件を受け、国会でも法規制の必要性が議論されてきた。その後も、SNSの誹謗中傷を巡る問題はあとを絶たず、被害は芸能界や皇室にまで及んでいる。

 眞子さまの婚約者である小室圭氏は、母親の金銭トラブルが発覚するなど、皇族の婚約者にふさわしくないとして苛烈なバッシングを浴びてきた。一方的に報道され続けている数々のスキャンダルについて、小室さんとしても言い分はあるだろうし、すべてが真実とは限らない。

 しかし、小室さんを「成り上がり者」として軽蔑し、地位を剥奪したい人々にとって、もはや真実などどうでもよく、評価を下げる情報しか求めていないのではないだろうか。

 こうした世間の反応に、反論できない眞子さまは心を痛め、精神のバランスを崩されたとしても無理はない。インターネット上に自分に対する心ない言葉が溢れている事実は、この世に存在してはならないような感覚を引き起こし、人を追いつめる。

 集団による言葉の暴力によって生活を脅かされ、命を絶つ人が減らない状況に鑑み、誹謗中傷をした投稿者の特定を容易にする法改正が行われる等、被害者救済も進められている。こうした追い風を受けて、泣き寝入りせずに法的手段を講じて戦う人々も増えており、誹謗中傷の書き込みをした「加害者」の家族から相談を受けるケースも増えている。

 被害者からの訴えを受け、家族でありながらこれまで見たことのない姿に「まるで別人格」と驚愕する加害者家族もいて、匿名世界の闇も炙り出されている。ここでは、誹謗中傷の書き込みを特定され「加害者」となった人々の心理に迫りたい。

夫が「加害者」になったショックで流産


 恵(仮名・30代)の夫は、好きなアイドルのSNSに、性的な書き込みや、容姿を侮辱する書き込みを頻繁に行っており、相手からブロックされると拒否されたことに逆上し、別のアカウントから「家まで行く」「犯す」などと書き込み、脅迫と侮辱の疑いで書類送検された。

 恵には二人の子どもがおり、三人目の子どもを妊娠中だったが、事件のショックで流産してしまった。

「もう十年以上一緒にいますが、夫が命令形で話すのさえ聞いたことがなかったんです。ネット上での表現は、とても夫とは信じられませんでした。子どもになんて説明すればいいのか…」

 妻として何も気づけなかった罪悪感と夫への失望は計り知れないが、当の本人にはまったく反省の色が見えない。

「批判されたくないなら写真なんて載せなきゃいいんですよ。どうせ刑事事件にして話題を集めたいんでしょ。“犯す”なんて冗談ですよ、みんな書いてたし」

 と、被害者に責任転嫁するばかりだった。ところが、妻が流産した事実に触れた途端、表情が一転。

「本当に申し訳ない……。馬鹿なことをしました」

「二度とこんなことは絶対にしません」

 と涙ぐみ、ようやく改悛の情を見せていた。匿名ゆえにネット上では人格が豹変し、攻撃的になる人々も少なくないようだ。刑事告訴もあり得ることから、家族が犯罪者になる恐怖を訴える相談はあとを絶たない。

匿名で剥き出しになる憎悪


 相手が刑事事件の被告人や事件の加害者であったとしても、誹謗中傷が許されるわけではない。

「スマホを取り上げるわけにもいかないし。せっかく頑張って希望の大学に合格したのに。こんなことで退学になったらと思うと不安で仕方ありません」

 正子(仮名・40代)の大学生の息子は、インターネットの掲示板で知人がある事件に関与しているといった書き込みをした。被害者から民事裁判を起こされ、親として損害賠償の支払いを済ませたばかりだ。息子は、これまでも主義主張の異なる政治家に執拗に電話をかけ警察から注意されたり、SNSでトラブルを起こしていた。本人に話を聞くと、

「僕たちは不正を追及してるんです。そもそもマスコミがだらしないから悪いんですよ」

 と挑発的な反論をするものの、抗議活動は実名ではなくなぜ匿名なのかを問うと、

「大学や家族に迷惑がかかるから」

 と、加害性を認識していないわけではないようだ。匿名ならば、普段、他人には見せない「怒り」をストレートに解放できるという。しかし、結局、事件化すれば尻拭いをさせられるのは親なのだ。親としての不安は尽きない。

歪んだ自己実現のリスク


 正義を声高に叫ぶ人ほど自らの加害性に鈍感である。「相手にもっとよくなってほしいと思って」「世の中から不正をなくしたくて」など理由はどうあれ、手段が行き過ぎれば犯罪になることもある。

 被害者と一対一ではなく個人対集団の中で、同様の書き込みをする人との連帯感によって行為がエスカレートしやすい。表現が過激になればなるほど目立ち、加勢する書き込みも増えることによって、オピニオンリーダーになった気分になり承認欲求が満たされるという。

 しかし、事件化して「加害者」になった途端、周囲は一気に冷ややかになり味方してくれる人はいなくなる。今度は自分や家族が攻撃の対象になることもあるのだ。

「人を呪わば穴二つ」肝に銘じる必要がある。

阿部恭子(あべ・きょうこ)

 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。

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「ひとりっ子は可哀想」マウンティングを連発する女性の心理

2021年10月23日 20:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 SNSの普及によって、これまで疎遠だった学生時代の友人や、昔の知人も、名前を頼りに探すことができるようになりました。新たに連絡を取ることで、また再び交流が復活することもあるようです。今回は、しばらく離れていた友人との再会で起きてしまったトラブルを紹介します。

子どもがいない友人からの “自分は忙しい”アピール


 3歳の娘を育児中の美樹さん(仮名・37歳)は、周りに気軽に話せる相手がいないのが悩みでした。そんなとき、昔の職場で同僚だった康子さん(37歳)からSNSで連絡が来ました。

「康子さんは20代で結婚していました。しばらく旦那さんの赴任先である東北で暮らしていたのですが、数年前に関東に戻ってきました。それからまた会うようになったんです」

 しかし、二人を取り巻く環境はかつてとは違っていました。

「康子さんには子どもがいませんでした。彼女はたまに義実家の手伝いをしていましたが、時間に余裕があるので、ちょくちょくランチに誘ってくるんです。そのたびに、私は幼稚園の延長保育を頼まなければならず大変でした」

 康子さんは美樹さんに「専業主婦は暇でいいね」と言ってきたそう。康子さんの言動に、イラっとさせられることが多かったようです。

「急に『体調が悪い』と言ってドタキャンをしたり、日程を相談しているときも『忙しいからこの日はNG』とわざわざダメな日ばかり送ってくるんです。さらに『美樹は空気を読まないから、ママ友から浮いてると思うよ』と言われ傷つきました」

 長い付き合いだったので我慢していたという美樹さんが、どうしても許せなかったことがあります。

「深夜にメールを送ってきて、『私は毎日忙しくて自分の時間ができるのはこれくらい』と書いてあったんです。私だって忙しい中、いつも会いに行っていたのに……」

 美樹さんは、康子さんの上から目線の態度に付きあいきれず、距離を置こうと決意したそうです。

 このように女友達からのマウンティング被害はよく耳にしますが、実際にマウンティングしているほうはどのような心理状態なのでしょうか? 次のケースで見て行きたいと思います。

SNSで学生時代の友人と再会 生活格差にあぜん!


 専業主婦の香織さん(仮名・38歳)は、高校時代の友人とSNSを通じて一昨年に再会しました。

「最初のころは、ほかの友人たちも含めた4、5人のメンバーで集まっていました。私が通っていたのは、地元でも珍しかった中高一貫の女子校。その中でも学生時代に同じバレーボール部で、仲がよかった容子さん(仮名・38歳)とは、子どもの年齢も近く、二人で会うようになりました

 香織さんの夫は、映画やエンタメ情報を扱う媒体の記者をしています。しかし、年収が手取りで300万円台といいます。香織さんも、もともとは出版社に勤務していました。

「経験を積んでエンタメ系の出版社に転職できればと思っていましたが、激務のため30歳を前に体を壊して退職しました」

 香織さんは、容子さんのfacebookを見るとモヤモヤするそうです。

「容子さんの子どもが着ている服も小ぎれいだし、週末は家族で出かけていて羨ましくなるんです。うちは、夫の収入も少なくて、普段の生活はカツカツ。夫の髪はバリカンで自分で整えて貰っていますし、私も自分で髪を切っています」

「学生時代は私のほうが上だったのに……」 ついマウンティングしてしまう


 そんな香織さんは、2歳になる娘を育児しながら、来年春に出産予定の赤ちゃんを妊娠中。一方で容子さんは20代半ばで結婚し、すぐに第一子を出産していました。

「私は34歳で結婚しました。2歳年上の夫と一緒に婦人科に通院して、急いで妊活しました。私は妊娠も年齢的に焦りがあったんです。だから結婚も妊娠もスムーズにできた容子さんが、羨ましいって感じました」

 優秀だった香織さんにとって、容子さんはパッとしない生徒だったと言います。

「私は国語の模試で3位を獲ったことがあるし、成績もよかったんです。部活のときも、私は副部長で、容子さんはただの部員。それなのに今では容子さんは、外資系メーカーでチームリーダー。彼女は人をまとめるのに向いていない性格だったのに……と思います」

 慎ましい生活をしている香織さん。第2子を出産し、育児が落ち着いたらパートで働きに出る予定です。

「求人を探しても、子どもが小さいし、妊娠中なので見つからないんですよね。

 容子さんに会うとつい、『大学時代はモテたんだ。付属校出身の男性と付きあったけれど、価値観が合わなくて別れちゃってさ』とか、『ほかにも結婚を考えた男性がいて、その人の実家はビルを持つ資産家だったの。でも夫のほうが将来有望だからそっちを選んだ』と、過去に対して大げさに“盛って”言ってしまうんです」

 香織さんは、最初は容子さんと会って懐かしい話をするのが楽しかったと言います。でも何度か会ううちに、彼女と自分を比べてしまうようになったそうです。

「仕事も結婚も上手くいっている容子さんを見ると、自分が惨めに感じてくるんです。仕事を辞めなければよかったなとか、元カレと別れなければよかったなとか後悔してしまうんです」

経済的な不安から 口に出してしまった“暴言”


 香織さんは、子どもの将来を思うと夜眠れなくなると言います。

「私はひとりっ子だったので、どうしても2人目が欲しかったんです。すぐに妊娠できたのはよかったのですが、そのため貯金もできず、これからどうしようと泣いてしまうこともあります」

 香織さんが経済的な不安を感じるのには、原因がありました。

「容子さんの子どもはもう12歳で、この春、中学受験で大学付属校に合格しました。合格した学校を調べてみたら、学費が年間100万円以上かかるみたいなんです。大学受験の心配もないし安泰だと思うと、悔しいんです」

 将来の不安から、容子さんを見ているとつい、おせっかいを言ってしまうそうです。

「自分がひとりっ子で寂しかったので、容子さんには『子どもがひとりっ子なのは可哀想』と伝えました。また『中学受験させるなんて、子どもがラクなほうに行くからよくないよ』とアドバイスをしました」

 容子さんからは「人を否定するようなことを言ってばかりいると、好かれないよ」と言われてしまったそうです。香織さんは後悔することもありますが、彼女を見ていると、つい相手が嫌がるようなことを言いたくなってしまうのです。

 あるとき容子さんにメッセージを送ると、既読も付かないようになっていました。気づいたら、これまで読めていた容子さんの投稿も見られなくなっていました。そこで初めてSNSがブロックされていると気づいたそうです。

「容子さんの楽しそうな笑顔のプロフィール画像を見ると、自分が悪いとはいえ、さらに悲しい気分になるんです……」

 学生時代はお互いを理解しあえていても、就職や結婚、出産など環境や立場が変わってしまうと、認め合うのは難しいかもしれません。特に、SNSでは相手の生活スタイルが見えてしまうので、他人が気になるタイプの人はチェックしすぎてしまう傾向もあります。大切な友達を失わないためにも、つい相手の動向が気になるようになってしまったら、一度、SNS断捨離をして距離を置いたほうがいいかもしれません。


池守りぜね◎東京都生まれ。フリーライター。大学卒業後、インプレスに入社。ネットメディアで記者を務めた。その後、出版社勤務を経て独立。育児、グルメ、エンタメに関する記事のほか、インタビューも多数執筆。『一瞬と永遠』、『絶叫2』など、映像脚本も手掛ける。プライベートでは女児のママ。Twitter:@rizeneration

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