「番組に出演してなかったら違う人生だったかも」と話す飯田覚士
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』 『ボクシング予備校』飯田覚士
「当時は外に出れば、すぐ人だかりができていました。後の妻となる彼女とデートに出かければ囲まれて、お店の裏口から逃げ出したことも。飲食店でトイレに立てば、人がついてくるんです。小便器の両脇を挟まれながら、この後“飯田と便所に行ったんだぜ”って話題にされるんだろうなと思ってました。生活はしにくかったですね」
「ボクシングは大学の部活からはじめました。そんな折に、久しぶりに見た『元テレ』で練習生を募集しているのを見て、応募したんです。当時は大学3年生で、夢はツアーコンダクターでした。大学の思い出作りになればいいなぐらいの気持ちで、出演が決まったときは“ヨッシャー!”って思いましたね。
『ボクシング予備校』は、江ノ島に作られた練習場で元世界チャンピオンの指導を受ける練習生たちがプロを目指すというもの。だが、最初の収録は方向性が違っていたそう。
「ボクシング好きのビートたけしさんが“ボクシングで何かできない?”という言葉から企画がスタートしたようです。最初はボクシングジムを借りて収録が行われたのですが、映画『ロッキー』にあった生卵を飲むシーンにあやかって、生卵の早飲み競争などおちゃらけたバラエティー寄りの内容だったんです。
ただ、当時ディレクターだったテリー伊藤さんがその収録映像を見て“ふざけるな! ボクシングをナメるんじゃねぇ!!”と激怒して撮り直しになったんですよ」
ヤラセはあったのか?
「江ノ島の練習場に毎日通っているという設定でしたが、練習生は全国から来ていましたから、さすがに毎日ではなく、収録のときだけ通っていました。なので江ノ島には10回ほどしか行っていません。ただ、そこでは普通に練習していましたし、ボクシングについてはヤラセはありませんでした。
「僕のライバルとして登場したのが、のちにプロのリングでもグローブを交えることになる松島二郎くん。登場シーンは高級外車で乗り付けていましたが、その外車はディレクターさんからの借りものでした。
「テレビに出たチャラチャラしたヤツってイメージが強かったでしょうから、何が何でも負けられませんでした。“やっぱり練習してないんだな”って言われるのは、絶対に嫌だったんです」
「松島くんもプロで2連敗はできない、“絶対に勝つ”という思いをもって試合に臨んでいたそうです。試合が終わったあとは、スッキリした様子で“今までで一番練習しました”と話していました。彼も減量が厳しかったようで、僕との試合を最後にバンタム級に階級を上げたんです。その後、彼も日本チャンピオンになりました」
「選んでもらえてよかった」
「ちょうど映画『HANABI』の撮影をしている忙しいときに、たけしさんとお話しする機会をいただいたんです。そのときは開口一番“負けると思ってたよ”と言われちゃって(笑)。
「いいだせんせぇ~」
「今は子どもたちに向けて、たけしさんからヒントをもらったビジョントレーニングを教えています。『元テレ』がなかったら、ボクシングの試合でもあんなに頑張れなかったと思うんです。むしろボクシングをやっていない、全然違う人生だったかもしれません。そう考えると『ボクシング予備校』に選んでもらえてよかったなと思いますね」