渡辺直美
《ご報告です。この度4月からアメリカを拠点に活動することが決まりました!》
「アメリカのエージェント会社2社と契約しました。マネージメントはこれまでどおり吉本興業が行いますが、日本のレギュラーテレビ番組は3月で卒業。コロナ禍で、頻繁に日米を往来するのは無理ですからね」(スポーツ紙記者)
「3月2日の日本テレビ系『スッキリ』では、親友の近藤春菜さんが“日本で収まる人じゃないと思っていたんで、こうなるのは自然”とコメント。フジテレビ系『バイキングMORE』ではヒロミさんが“覚悟のうえで勝負にいってる。だからカッコいいんだよね”と感心していました。かねてから親交のあったNYに住むピースの綾部祐二さんとの共演を望む声もありますね」(テレビ誌ライター)
「'08年に今田耕司さんイチオシの若手芸人として番組で紹介され、モノマネを披露。すぐに話題となり“和製ビヨンセ”として人気を得ました。バラエティー以外にドラマ、映画にも出演する一方でファッションブランドまで手がけ、多彩な活躍を見せています」(同・テレビ誌ライター)
型に縛られない芸風
「小学生のころから“吉本の芸人になりたい!”と話していて、たしか松田聖子さんのモノマネが得意だったと思います。仲のいい友達を集めて、放課後にモノマネを披露していました」
「連日、頑張っている姿が評価されて、若いのにバイトリーダーを任されていました。ただ、バイトの現場でも、テレビに出ているときのような感じでふざけてましたよ(笑)。仲よしなスタッフのモノマネなんかをよくしていましたね。“吉本の養成所に入る”っていつも口にしていて、明るい性格で従業員やお客さんの間でも人気者でした」
「“お笑いで食べていけないかもしれないから、そのときはアメリカとか海外に行きたい”と話していました。洋楽にハマっていたみたいで、当時から“ビヨンセが好き”って言っていましたね。ファッションも大好きで、雑誌を読みまくっていました」(同・バイト仲間の女性)
「働いた後、みんなでまかないを食べていると、楽しくてついつい夜遅くなってしまうことも。まだ10代だった直美さんを心配して、お母さんが迎えにきたこともありましたね。心配性な感じだったので、芸人の道へ進むことに反対したのもわかります」(同・バイト仲間の女性)
「“とにかく劇場で必死に頑張ってる”とか“ライブ見にきてよ”と言ってましたね。芸人さんの話はそんなにしなかったけど、テレビに出始めたころ“今田耕司さんが自分の芸を気に入ってくれたんだ〜”って、とてもうれしそうに話していたのが印象に残っています。
急に帰ってくることもあって、3、4年前にはショッピングモールのフードコートに突然現れたなんて話も聞きました。会ったときには会話の内容も昔と変わらないし、まったく飾らない感じです」(前出・幼なじみの男性)
アメリカ留学のきっかけ
《その言葉で、考えたんです。自分の長所ってなんなんだろうと。ビヨンセもやって、コントでいろいろなキャラクターもやらせてもらって。もしかしたら、長所は“表現力”になるのかなと。そこを伸ばすにはどうしたらいいのか。何がどうなるのか分からないけど、とにかく向かったのがニューヨークだったんです》('15年10月『THE PAGE』インタビューより)
「面白さはもちろん、ファッションセンスを含めた自分の“見せ方”のセンスが抜群。従来の芸人の型に縛られない活動が評価され、SNSの人気にもつながりました」
「コメディアンが面白いことをすると、笑いや拍手で“みんなで楽しむ”のがアメリカ。誰かがツッコんで笑いが起きる日本とは違います。変なことに対して、“おかしいだろ”じゃなくてそのまま“面白いよね”と肯定される。“ツッコミ不要”ともいえるスタイルが直美さんにとてもマッチしています」(ラリー氏)
「拠点を移す以上、アメリカでの活動が中心でしょう。ただ、インスタグラムやYouTubeなら世界中のファンに発信ができる。日本の番組も今はリモート出演が可能ですから、むしろ活躍の幅は広がりますよね」(ラリー氏)