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吉川ひなの壮絶告白で再沸騰、芸能界“毒親”事情

2021年6月17日 11:00 週刊女性PRIME

(左から)青木さやか、吉川ひなの、杉本彩、中島知子

 吉川ひなの(40)は《あるとき心が壊れ、芸能活動を続けることができなくなり、以前から両親に頼んでいた貯金を分けるようお願いをした》と5月に上梓したエッセイ本『わたしが幸せになるまで』の冒頭で生い立ちを書き、反響を呼んでいる。

金をせびる毒親に悩まされ……


 両親から渡された通帳には、吉川の稼ぎで住んでいた豪邸1か月分の家賃に満たない額しかなく、その後も吉川のところへ何度も来ては、なけなしの貯金さえも奪っていったという。

 さらに吉川は本書の対談で「小さいときから母親に『こんな時代に子どもを産んじゃダメ』と言われて育ったから、子どもが欲しいとか考える前に、産まないものだと思っていたの」と発言しているところから見ても、明らかに毒親からコントロールされていたと言っていいだろう。


 毒親との確執が描かれた漫画『毒親サバイバル』(菊池真理子著)に登場し、毒親の被害を告白したライターの成田全さんは「アメリカ人のスーザン・フォワードが、著書『Toxic Parents』で、子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親を、“Toxic Parents”(有毒な親)と呼び、この本が'99年に日本で『毒になる親』として出版され、以後“毒親”という名称が定着しました」と語る。

「毒親にはさまざまなタイプがあります。体罰などの暴力や性的虐待があるもの、常に監視・支配・管理・抑圧して過干渉したり、自分ができなかったことや夢を押しつけ、できないことを責めて暴言を吐くもの、その逆で一切面倒を見ないネグレクトなど。

 それらが複合的に絡み合っていることが多いのですが、共通するのは子どもに『あなたのため』と言いながら、実は自分のことしか考えていないことです。世間体を保つためだったり、子どもを自己実現のための“自分の分身”としか思っていないんですね」(成田さん)

 家に借金取りが来ると母が隠れてしまい、学校へ行けなかったという吉川。


「芸能界には金銭でもめる家庭が多いんです。両親が浪曲師だった藤圭子さんは、貧しさから高校へ行くのを断念、両親と一緒に流しをしていましたが、歌手として売れ始めると金銭トラブルで両親が離婚。父と疎遠になり、その後同居した母とも金銭トラブルで絶縁しました。

 松坂慶子さんも幼少時から芸事を習わされ、費用捻出のため食事を減らすなどされたそうです。その後結婚を反対され、親が暴露本を出すなどして絶縁状態となりましたが、父の死後に母と和解、同居して先日100歳で母親は大往生されています。棋士の林葉直子さんは通帳や印鑑を親が管理、14歳からの稼ぎをすべて使われ、借金を抱えて自己破産しています」(スポーツ紙記者)

否定・支配する親


 また元オセロの中島知子はインタビューで毒親について言及している。


親に金を毎月無心され、無職の妹の結婚・出産費用に加え生活費まで払っていたが、それを断ると妹が中島さんの人間関係の悪口を言いふらし、それが影響してか独立騒動で大変なことになったと。

 生放送の後に母親が『ダセえ服着やがって』と電話でダメ出ししてきて、最後に金を振り込めと言われたそうです。毒親は『誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ』などと、生活できることやこの世に生まれたことを自分の手柄のように言いますが、これは典型的なモラハラ。この発言があったら要注意です」(成田さん)

 教師だった母との軋轢を、著書『母』で吐露したのが青木さやかだ。テストで85点を取っても「どこを間違えたの? 次は100点取らなきゃね」と評価を下して価値観を押しつけてくる母に応えたい、でも私の頑張りが足りないから褒められない、と自己否定し続ける。

「自分がやりたくなくても言われたことは指示どおりにやれるのは母の教育の賜物と言いながら、どれほど評価されても自信のなさは埋まらず。子どもができると世界が変わると言われたが、何も変わらなかったとありました。

 しかし子育てを通じて個性や自己肯定、共生を学んだそうで、母の呪縛の連鎖を断ち切ろうともがき続け、看取ったことでひとつ区切りをつけたのでしょうね」(成田さん)


 同じように、小島慶子も出演する番組をすべてチェックされ、ファクスが束になるほどの感想を送られるなど大人になっても母から過干渉を受けていた。それでも期待に応えようとしていたが、7年間距離を起き、自分を取り戻したという。

 また杉本彩は父が借金の保証人になって貧困となり、母は愛想を尽かしてほかの男と出ていくなど家庭が崩壊、16歳で自立して芸能活動を開始。後に仕送りをしていた母を、妹夫婦のもとから呼び寄せようと仕送りを止めた途端、暴言を浴びせられるなどしたそうだ。

 杉本は母についてブログで「人の悪口と恨みつらみしか口にしない」「若いころから数々のひどい仕打ちを母から受けている」と書き、絶縁した。このように小島と杉本は実家とは違う世界を自分の力で得て、連鎖を断ち切っている。

酒と暴力を浴びせる親



「毒親育ちの人には、自分の子にも同じことをしてしまうのでは、という連鎖の恐怖があるんです。芸人の若井おさむさんは母と兄から虐待されたことで、結婚後に妻から子どもがほしいと言われ、父親になるのが怖くて離婚を選んだ、とインタビューで語っていました」(成田さん)

 芸能界には、かなり壮絶な家庭で育っている人もいる。

遠野なぎこさんは、酒・借金・暴力の父から虐待を受け、母は男性をとっかえひっかえして1週間放置されたり、付き合っている男の下半身の写真を見せられたといいます。両親が離婚後についていった大東駿介さんは、母が男と出奔してネグレクト状態となり、中学生から極貧ひとり暮らしするなどかなり壮絶ですね」(前出・スポーツ紙記者)

 中でも成田さんが驚いたと言うのが、女優の小川真由美から受けた壮絶な虐待を、娘でミュージシャンの小川雅代が赤裸々に綴った『ポイズン・ママ』だという。

「昔、小川母子が『ジャングルTV~タモリの法則~』に出演した際、娘が無愛想で、セットを蹴ったりしていて、あのタモリさんでさえ扱いに困るほどだったのですが、この本を読んで数々の虐待を受けていたのを知り、嫌々共演したことがわかりました。

 占いを信じて緑と紫のものを排除させ、このままだと悪いことが起こると勝手に改名、放っておかれて食事を与えられずに飢餓状態になったり、中学生の娘(雅代)がいるのに気にせず自宅で性交したり、付き人が金を盗んだのに犯人扱いされたり、悪魔が取り憑いているとおまじないやお札を増やしたり……もうとにかく凄まじい毒親っぷりで、唖然としました」(成田さん)

 毒親育ちは大人になってからも自分を傷つけ、苦しむもの。芸能人の告白が、少しでも力になりますように。

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坂本勇人とデートの“彼シャツ美女”は「あざとい計算女」か

2022年5月18日 22:00 週刊女性PRIME

巨人・坂本勇人選手

 5月17日、『文春オンライン』が読売ジャイアンツ・坂本勇人選手のデートをキャッチ。【白シャツ美女とサングラスノーマスク姿で白昼手つなぎ散歩】とのタイトルで詳細を報じた。

 GW前の4月下旬、黒いTシャツと短パンに身を包んだ坂本が、20代と思しき女性と時に手を絡めながら散歩デートを楽しんでいたという。文春に撮られた坂本は、見出しにあるような“ノーマスク”時間も多かったそう。

「そこは咎められる部分ではありません」とはスポーツ紙の野球担当記者。

「当日は夏日ともありますから、熱中症のリスクを考慮して屋外でマスクを外すことには何ら違和感はありません。それよりも、5日後の試合で守備中に右膝を負傷したことの方が問題。

 キャプテンが抜けたGWは1勝8敗とさんざんたる成績で、4月半ばから守ってきた首位の座を明け渡した。そもそも開幕前にも故障したこともあって、長年にわたる疲労蓄積、また年齢による衰えを指摘する声もあります」

 巨人の、いや“球界の貴公子”も今年で34歳を迎えるベテランだ。そう、比較的結婚が早いとされるプロ野球選手において、坂本はいまだ独身なのである。それだけに恋愛はまだまだ現役ということか、美女とのデートも頷けるがーー。

攻めた“彼シャツ”ファッション


「記事でも“理想の女性像が厳しすぎる”とありましたが、結婚する気配は全くなかった。唯一、ゴール間近と言われたのが元新体操選手の田中理恵ですが、現役引退後も仕事を続けたかった彼女とは価値観にズレが生じたとか。

 元々、20代の頃は六本木界隈に繰り出していましたし、合コン参加の順番待ちをする彼目当ての女性が大勢いたという逸話も(笑)。そんな引く手あまたの坂本とデートする仲とは、“お眼鏡”にかかった特別な女性なのでしょう」

 と、写真誌カメラマンが話すように、確かに顔が隠された写真から伝わってくる、坂本に遜色ないオーラを放つ“白シャツ美女”のモテ女ぶり。お尻まですっぽりと隠れるオーバーサイズの襟付きシャツから、スラリと伸びた色白の生足が印象的だ。

 まるで彼氏の家にお泊まりに来た彼女が、部屋着代わりにと彼の大きめのワイシャツを借りたような、世の男性の理想と妄想から生まれた偶像のスタイル。いわゆる“彼シャツ”を意識したような攻めファッションだ。

 まさか、本当に坂本のシャツを借りて出てきちゃった、わけではなかろうが……。

 自身もモデルとして活躍するファッションコーディネーター・中村康介さんによると、この“彼シャツ”は「最近、また若い女性の間で流行っています」とのこと。何でも、1992年にリリースした平松愛理の『部屋とYシャツと私』がヒットした際にも流行したコーディネートで、それがリバイバルしているのだとか。

「おそらく下はデニムのショートパンツ、またはホットパンツを合わせているのでしょうが、一見すると男性はドキッとさせられるコーデですね。ただ、袖口がフワッとした女性らしいデザインになっているように、当然ながら男性用ワイシャツを着ているわけではありません(笑)。

 ワンピースと部屋着の間のような堅すぎない感覚で、ちょっとそこまで外出する際に、ちょうど春から夏にかけて活躍するアイテムだと思います。いかにも男性ウケを意識したようなスタイルに見えますが、純粋にファッションとして楽しむ女性が多いですよ」

 なるほど、部屋着のようなラフスタイルの坂本とともに、手ぶらなところから察するとちょっと買い物か、近くのカフェにでも出ようとしていたシーンにも思える。2人が交際しているのかは定かではないが、親密な関係なのは確かだろう。

「狙ってやっている計算女」


 実は、この“彼シャツ”について、2人のデートが報じられる前にも議論が起きていた。やはり流行ファッションなのだろう。4月11日に女性総合サイト『マイナビウーマン』が、【彼シャツは男受け抜群? 彼シャツ姿に対する男性の本音とは】なる特集を組んでいたのだった。

「彼シャツ」スタイルの女性に対する男性側の意見をアンケート調査したもので、その中で【Q.女子の彼シャツスタイルは好きですか?】とド直球な本音を聞いたところ、「好き」は約半数を占める49.5%に。その理由として、

《かわいく見えるし、女性としての魅力が増すと思う》
《ダボッとした感じがかわいいから》


 今も昔も男性は、女性の「かわいい」が強調される“彼シャツ”好きが多いのがわかる。片や、全体としては少数ながらも12.2%が「嫌い」と答えているのだが、

《狙ってやっている人も計算女だと思っている》
《だらしない印象を受けるから》


 わざわざ大きめサイズのシャツを選んで着ることに、“あざとい”“だらしない”と嫌悪感を抱く男性もいる模様。そして残りの38.3%は「どちらでもない」と好きでも嫌いでもなく、特に興味を示さない男性も多いという結果だった。

タイプは「清潔感があって控えめ」


 果たして坂本は前者か後者か、おせっかいながら前出の野球担当記者に聞いてみると、

「いや、坂本選手が“彼シャツ”好きか嫌いかはわかりませんが(苦笑)、以前に話していた好きなタイプは“清潔感があって控えめで、いつも自分を支えてくれる人”。それに本人もオシャレ好きだから、それなりに身なりに気を使う女性を好むと思いますよ。

 ただ、現役生活もそろそろ先が見えてきた時期に交際しているのなら、彼なりに真剣に考えている相手なのでは?」

 ちょうど10年前の2012年、『JUNON』5月号のインタビューに登場した坂本。当時の同僚・澤村拓一投手(現ボストン・レッドソックス)や、東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大選手ら同年代の結婚について問われると、

《ねぇー(笑)。僕も、子供に自分のプレーしてるとこを見せたいなとはメチャメチャ思うんで。早く結婚して子供が欲しいっていうのはあります》

 現役でのプレーを見せるためにも、“彼シャツ”美女との今後に期待したい!

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イケボ声優・津田健次郎「鬱屈していた」高校時代

2022年5月18日 21:00 週刊女性PRIME

津田健次郎(撮影・佐藤靖彦)

「犬の声をさせていただくと思ったとき最初に北大路欣也さんを思い浮かべました」

 連続ドラマ『ナンバMG5』(フジテレビ系毎週水曜夜10時~)で、主人公・難破剛(間宮祥太朗)の愛犬・松の声が話題の津田健次郎。

 愛らしい柴犬の松とは対照的な渋めの声という意外性がウケている要因だ。

「アニメーションではいろんな動物の声を演じていますが、実写の犬は初めて。レアな体験をさせてもらっています」

 ヤンキーの剛が、普通の高校生に憧れて二重生活を送る痛快コメディードラマ。剛の傍らで本音やツッコミのセリフを吐く松は欠かせない存在で、台本にないセリフも多いという。


ワンワンと吠える以外にも一生懸命でかわいい演技をする松の細かい動きや表情にも、できる限り声を当てたいと思いセリフが倍くらいに増えています。真っすぐな松の魅力を視聴者に伝えるサポートをしたいと思っています

“脱ヤンキー”に奔走する剛だが、自身は高校時代「鬱屈していた」と語る。

「何者でもない自分にイライラしていました。突飛な行動やグレたりとかはなくて、心にぽっかりと穴があいているような青春時代を送っていました。そんなときに中学生のころに出会った映画の世界で生きたいと強く思い始めました」

『スター・ウォーズ』吹き替えや『新・情報7daysニュースキャスター』も


 映画監督を夢見て大学に進学。在学中、役者に興味を持ち劇団の養成所に入り舞台を中心に活動していたが、アニメ『H2』のオーディションをきっかけに声優としてのキャリアがスタートした。

“ツダケン”の愛称で数多くのアニメ作品に出演。『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』『テニスの王子様』をはじめ、原作の連載が完結した話題作『ゴールデンカムイ』では主要キャラクターの尾形百之助役を演じている。実力と人気を兼ね備えた声優として長年にわたり活躍。昨年『第15回声優アワード』の主演男優賞を受賞した。

 ほかにも『スター・ウォーズ』シリーズなど洋画の吹き替え、情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』のナレーションなども担当している。

 近年は声優としてだけでなく俳優でも注目が集まっている。

 NHK朝ドラ『エール』ではナレーションに加えて“顔出し”が話題に。その後、連続ドラマ『最愛』(TBS系)に刑事役でレギュラー出演した。

ターニングポイントはいくつかあります。アニメーションでいろんな作品をやらせていただけるようになったのも大きいですし、『エール』のナレーションや『最愛』で役者としても認知していただけるようになったと思います


 放送中の連ドラ『俺の可愛いはもうすぐ消費期限!?』(テレビ朝日系毎週土曜夜11時30分~)にも出演し、掛け持ちしている。

「声優の仕事は1日に数本の作品を掛け持ちすることが多く、その都度切り替えていく必要があります。慣れているので混乱することはないし、ストレスにもなりません。息抜きも必要ないです」

無精ひげの理由は?


 渋い低音の美声は“イケボ”と形容される。

褒めていただけるのはありがたいけど、自分ではちょっと変わった声だなと思っています。いわゆる低音のイケボとは違う声質、ヘンテコな声だと思う。でもそれが逆に(声を)聞いてすぐにわかってもらえることにもつながりよかったと思うし、ありがたいです

 声だけでなく無精ひげが似合う“イケメン”。

「ひげは好きで、海外の俳優が生やしているのを見てカッコいいなと思っていました。年齢を重ねてようやくなじむようになってきたので、ここ1年はこのスタイルです」

 高まる認知度とともに活躍の場はさらに広がりそう。

「アニメーションは僕自身を世に送り出してくれました。海外でも人気で才能あふれる人がたくさんいる世界で、引き続き面白い作品、役をやらせていただきたいです。役者については芝居を始めたころのような気持ちです。芝居って何だろう、深くてなかなか面白い、でも難しい。もう一度、芝居と対峙したいと思います。

 この1、2年はドラマの作品に呼んでいただけて演技をする機会が増えました。『ナンバMG5』は声の仕事だけど実写のドラマという面白さがあり、参加できて感謝しています。アニメで演じているような癖のある人物や狂暴なキャラクターを実写でも演じることができたらと思っています」

 声優と俳優、両輪で花を咲かせる。


家族に会いたい!


主演の間宮とは誕生日(6月11日)が一緒。「運命的なものを勝手に感じています。ドラマは(松の映像を見ながら)単独収録が基本なので、いつか間宮さんはじめ出演者にお会いしたい。特に難破家。早く家族に会いたいです」

素顔は……


クールでシュッとしているイメージだが「計画性がなくておおざっぱ。物忘れも多い。家を出て忘れ物に気づいて取りに帰ることを3往復することもあります。3回目になると本当に自分が嫌になります(笑)」

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cat_oa-shujoprime_issue_7efffe8dab29 oa-shujoprime_0_ewfrupf5zndn_ジャニーズJr.佐々木大光、ブログで発していた“切実すぎるSOS” ewfrupf5zndn ewfrupf5zndn ジャニーズJr.佐々木大光、ブログで発していた“切実すぎるSOS” oa-shujoprime

ジャニーズJr.佐々木大光、ブログで発していた“切実すぎるSOS”

2022年5月18日 19:50 週刊女性PRIME

現在は19歳の佐々木大光(ISLANDTVより)

「逮捕されたのは17歳の女子高生です。警察の調べに“彼のことしか考えられなくなった”と話しているそうです」(全国紙記者)

 ジャニーズJr.のグループ『7 MEN 侍』(セブンメンさむらい)のメンバー・佐々木大光(たいこう)にストーカー行為をしていたとして5月18日、横浜市の女子高生が逮捕された。

 4月1日~5月8日、東京都渋谷区の路上で4回にわたり佐々木さんに付きまといをしたほか、「腕を掴んだり声をかけたりした」と報道されている。4月30日には、JR渋谷駅構内でカッターナイフを突きつけ脅迫。2021年4月から被害に遭っていた佐々木は今月に入り、渋谷署に被害届を提出していたという。

 2019年にはHey! Say! JUMPの中島裕翔へのつきまとい行為で逮捕者が出たり、関ジャニ∞の大倉忠義がブログで《執拗に追いかけてくる》《カバンの中にモノを入れられたり 突然手を繋がれたり》といった被害を告白したこともあった。

今も昔もジャニーズタレントをストーカーする暴走ファンはいました。なかでも特にJr.は送迎車がつくわけでもなく、電車移動も多いためファンに付きまとわれやすい。佐々木クンも同じ電車に乗られたそうですよ。

 彼が被害を訴えた渋谷署はレッスン場のあるジャニーズの社屋があったり、Jr.が出演する『ザ少年倶楽部』の収録が行われるNHKホールも近い。出待ちに遭いやすい場所ですね。つきまといをした女子高生は“路上で一目惚れした”と警察に話していたそうですが、のちに彼がジャニーズだということは知ったでしょう」(アイドル誌編集者)

ブログに綴る「生きてくれてありがとう」


 約1年にわたっての被害かつ、刃物で脅迫されるという恐怖体験をした佐々木。突きつけられている間、「ごめんなさい。もう行かないから気にしなくていいよ。これで悩む必要なくなるね」と言われていたという。

 SNS上にはファンの心配の声が次々と投稿され、「大光大丈夫」というワードがトレンド入りすることに。ファンの女性に佐々木について聞いてみた。

「『少年倶楽部』で見た高橋海人(King & Prince)のJr.時代をテレビで見て憧れたことがきっかけで履歴書を送りました。5歳のときにダンスを始めていて、ドラムも得意。自由奔放な振る舞いをすることから、“狂犬”の愛称で親しまれています」(佐々木のファン)

 ストーカー被害に遭っていたと報道されたあと、彼女が感じたこととは……。

彼が更新しているブログがあるのですが、毎度のように彼は《生きてくれてありがとう》と書いてくれるんです。辛い日々だったにも関わらず、ポジティブな言葉を発信してくれていたと思うと心が痛いです……。

 事件のあとも1週間何をしていたかを列挙する投稿していました。今見返すと、4月29日と5月1日の間の30日だけ、カッターで脅されたあの日のことだけ、何も書かれていなかったんです。SOSに気づいてあげられなかった。今はただ、生きててくれてありがとうという気持ちだけです」(同・ファン)

 佐々木とファンが笑って過ごせる日が早く訪れるといいのだが──。

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cat_oa-shujoprime_issue_7efffe8dab29 oa-shujoprime_0_o4hxbysymhlx_田中聖、インスタでセクシー画像にいいね!乱発 o4hxbysymhlx o4hxbysymhlx 田中聖、インスタでセクシー画像にいいね!乱発 oa-shujoprime

田中聖、インスタでセクシー画像にいいね!乱発

2022年5月18日 18:00 週刊女性PRIME

直撃取材を受ける元KAT-TUN田中聖('17年12月)

 元KAT-TUNの田中聖(36)が、最近Instagramを使用し、不可思議な行動をとっている。

田中聖、セクシー画像にいいね! 連発


 今年2月に覚醒剤取締法違反の疑いで愛知県警に逮捕された田中は、3月17日に覚醒剤取締法違反(所持)の罪、また25日に覚醒剤取締法違反(使用、所持)などの罪で起訴。同日、保釈金300万円を納付して愛知県警中署から保釈されたばかり。

 2013年にジャニーズ事務所を退所した彼は、バンドやソロアーティストとして活動していたが、2017年に大麻取締法違反の容疑で逮捕。証拠不十分で不起訴処分となったが、今回で2度目の逮捕である。そんな田中の近況についてWebライターはこう話す。

田中さんは3月27日、自身のYouTubeチャンネル(『田中家ch【田中聖】』)で『今回の事件について』と題した動画を投稿。スーツ姿での謝罪動画をアップしました。

 ファンや関係者に心配や迷惑をかけてしまったことに触れ、深々と頭を下げたのち、“大切な人を裏切り傷つけてしまった”と神妙な面持ちで語っていました

 猛省している様子を見せた田中は、現在、裁判を待っている状態で、YouTubeの謝罪動画以降、表立った発信は無い。

 そんな彼のSNSは、逮捕直前に黒いマイク機材に白いマニュキュアで過剰なペインティングをした画像が最後となっている。「楽しくなってやり過ぎたのは認めるよ」と一文を添えた投稿以来、更新をしていない状況だ。

 しかし、この5月に入って、田中はInstagramで「いいね!」を押しまくっている。「いいね!」を送った先は、肌の露出が多いものや胸の谷間を強調した女性のアカウントばかりで、インスタグラマーやタレントだけでなく、一般人のアカウントにも「いいね!」を乱発しているようだ。

 2020年頃から複数の女性に自慰行為をした動画を送り付けていたと『文春オンライン』(2022年2月27日配信)で報じられている田中だが、「ジャニーズ時代から問題行為があった」と話すのはスポーツ紙記者だ。

「そもそも田中さんがジャニーズを解雇された原因は、禁止されている副業を行っていたことなども含めた“度重なるルール違反”とされています。

 明確な発表はなかったものの、2013年に『下半身のタトゥー』と自身の『局部画像』をファンに送り付けていたことが報じられ、それが決定打になったとも言えるでしょう。

 ジャニーズアイドルのクリーンなイメージからあまりにもかけ離れた行動に、事務所側もしびれを切らしたのではないでしょうか」

『週刊女性』でもソロとして再起を計っている2014年に、Twitter上で女性をナンパし、局部画像を送信。男女の関係になっていたことを報じている。田中の“送り癖”は折り紙付きと言えるだろう。

 今回インスタグラムでセクシー画像へ「いいね!」を乱発したのも、また新たなSNSナンパを試みようとしているのだろうか。

 独身の田中が異性交遊を持つことはもちろん自由。しかし、裁判を待つ身でありながら不特定多数の女性に対し、魂胆ありげな行動をとるのはいかがなものか。

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cat_oa-shujoprime_issue_7efffe8dab29 oa-shujoprime_0_a3qh14v7hmm4_広末涼子、ご近所が見た「キャンドル・ジュンとの夫婦仲」 a3qh14v7hmm4 a3qh14v7hmm4 広末涼子、ご近所が見た「キャンドル・ジュンとの夫婦仲」 oa-shujoprime

広末涼子、ご近所が見た「キャンドル・ジュンとの夫婦仲」

2022年5月18日 17:00 週刊女性PRIME

広末涼子

「いや〜、マジで変わんない」

 マクドナルドのCMで広末涼子に話しかけるのは、25年前の広末涼子。昔の自分と並んで座り、対話をするという設定だ。

「並んだ映像を見ると、当時のイメージをそのまま保っていることがわかります。25年前というと、広末さんが歌手デビューした『MajiでKoiする5秒前』が大ヒットしたころ。ポケベルのCMで有名になり、女優としてもブレイクしていきました」(テレビ誌ライター)

 その後は多くの熱愛や“奇行”も報じられたけど、今や3人の子どものお母さん。4月には初の書き下ろしエッセイ『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』を発売した。

これまでの人生を振り返り、妻として母としての考えを綴っています。5月6日には『第14回ベストマザー賞』を受賞しましたし、最近はテレビでも子育てについて語ることが多いですね。テレビ朝日系のバラエティー番組『家事ヤロウ!!!』では、毎日早朝に起きて、子どものお弁当を作っていることを明かしています」(同・テレビ誌ライター)

 2013年から務めている故郷・高知県のイメージキャラクターは継続中。今年は2本の映画公開も控えている。

 そんな多忙な広末だが、自宅の近所でもママとしての姿を見せていた。

近くの商店街で自転車に乗っているところを見かけました。急いでいたのかすごいスピードで、危うく私とぶつかりそうになりましたよ(笑)」(商店街店主)

キャンドル・ジュンとは今も?


 自転車の爆走は、このあたりでは有名らしい。かつては後ろに子どもを乗せていることもあったという。少し距離がある場所に行くときは、夫のキャンドル・ジュンが運転する車のようだ。

「駅から離れたスーパーに、一家でよく来ています。旦那さんは車内で待っていることが多くて、お子さんたちと広末さんが一緒に買い物をしています」(居合わせた客)

 プライベートを見せない芸能人も少なくないが、広末は気にしない。

「近所の人には誰にでも挨拶をするし、子どもの学校の保護者会にも参加しています。ママ友のグループLINEでほかのママともやりとりをするようで、広末さんはいい意味で芸能人じゃないみたい(笑)」(子どもが通う小学校の保護者)

 子どもたちの友達にもフレンドリーに接している。

「つい先日、広末さんの子どもが学校に行くとき、お友達が迎えに来ていたんです。すると広末さんは玄関先まで出てきて、大きく手を振って“いつもありがとう! 行ってらっしゃ~い!”って満面の笑みで送り出していて……。子どものお友達にもあんなふうに接してくれるなんて、素敵なお母さんですよね」(近隣住民)

 広末はベストマザー賞の授賞式スピーチで、子どもへの感謝をこう述べていた。

今の私があるのは、間違いなく子どもたちのおかげです。子どもの存在がどれだけ自分の原動力になって、勇気になって、力になってくれたかというのは、きっと世の中のお母さんたちは同じように感じていると思います

 MajiでAiする家族のために、これからも頑張ってほしい!

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「東山紀之の連絡先は知らない」錦織一清が語るメンバー仲

2022年5月18日 16:00 週刊女性PRIME

錦織一清。寄席が好きだった父親と、ジョークばかり言っていたジャニーさんの影響もあり、質問に軽快に答えていた

 1980年代に歌とダンスで多くの人を魅了した『少年隊』。メンバーのひとりとして活躍した錦織一清は、当時の熱狂をこう振り返る。

「僕は東京の下町育ちのいわゆる江戸っ子。女性ファンの声援はすごく喜ばしいことですけど、どこか俯瞰して見ていましたね」

 12歳のとき、姉がジャニーズ事務所に履歴書を送ったことでエンターテイメントの世界に入った錦織。'81年にジャニー喜多川さんの呼びかけで植草克秀東山紀之との3人のグループが結成される。

ジャニーさんからはダメ出し続き


「当時、レコードデビューはもちろん『少年隊』としてどんな活動をしていくかもまったく決まっていなかった。それにもかかわらず、フジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演の話が持ち上がったんです。番組プロデューサーと打ち合わせをしたときも“レコードを出していない歌手を出すなんて前例がない”と難色を示されました。もし、あのときOKをもらえなければ、今の僕らはなかったかもしれません」

 周囲の期待に応えるように'85年にリリースした『仮面舞踏会』は、デビュー曲にもかかわらずオリコンチャートで初登場1位を獲得。翌'86年から青山劇場で少年隊の主演ミュージカル『PLAYZONE(以下、プレゾン)』が始まるなど、着実にスターダムを駆け上がっていく。

「プレゾンはジャニーさんと事務所主導だったので、僕らがこんな曲を使いたい、こんな役にしてほしいといった要望は反映してもらえました。毎年1回、1か月間の公演を23年間青山劇場でやらせていただきました」

 師であるジャニーさんからは、ダメ出し続きだった。

「全然褒めてくれませんでした。外では“少年隊は自分の最高傑作”と語ってくれたそうですが、僕らの前で決して言わなかったのが、なんか信憑性があるなとも思います。ジャニーさんが“タレントは年齢を重ねるごとに、ちやほやされて耳触りのいいことを言われるから、勘違いするんだよ”って言ってくれたことは今でも覚えていますね。それもあって、日頃から漠然と仕事をしているとファンの心を弄ぶことになってしまうなとも思っていました」

 真摯に芸能活動を続けていた錦織。演劇に深く関わり続けた縁もあり、数多くの名作戯曲を生み出したつかこうへいさんに見いだされて'99年には『蒲田行進曲』の主役に抜擢される。

「つかさんの舞台は出合う前から好きでした。あの人の舞台は、稽古のときから常に全力なんです。何度も同じセリフを大声で繰り返すので、激しい稽古でしたよ。この経験が芸能人としての分岐点のひとつだったと思います」

少年隊のリーダーはジャニーさん


 日本のショービジネスの大物2人の教えを受け、演劇に関する思いを強めていった錦織。次第に、ジャニーさんから舞台演出の仕事も任されるようになる。

 その一方で、'08年には少年隊主演のプレゾンが終了するなど、グループとしての活動は縮小していったが、この方針転換は“織り込み済み”だったようだ。

「ジャニーさんは結成当時から“少年隊はグループじゃない。ゆくゆくはひとりひとりで、活動できなきゃダメだ”と言っていました。僕らは仲がよかったとかではなく、ジャニーさんのセンスで集められたところから始まっていますしね。最初から、それぞれが別々に活動する構想だったんですよ」


  そもそも『少年隊』というグループは、ほかのアイドルとは一線を画していた。

よく『少年隊』のリーダーは自分だと言われますが、正しくはジャニーさん。グループの活動はジャニーさんや事務所主導で決められていました。だから、僕ら3人で集まってミーティングをしたり、活動方針を決めたことは0回。後輩の『V6』や『嵐』たちはメンバー同士で話し合って活動方針を決めたりしていましたが、僕らはなかったんです」

 それぞれの道を歩み続けた3人。彼らをつなぎ留めていたジャニーさんは'19年にこの世を去ってしまう。

「ジャニーさんから任された舞台の仕事があったので、事務所にも所属し続けていました。でも、ちょっと辞めるのが遅すぎたかなと思っています。プレゾンは40歳の半ばまでやらせてもらいましたが、どうして『SMAP』のような後輩に譲らなかったんだろうって気持ちもありました」

 '20年末、植草と同時期にジャニーズ事務所を退所。『少年隊』というグループ名は事務所に残ることになり、現在も“解散”はしていない。'25年には、デビュー40周年の節目を迎えるが─。

植草とはYouTubeで共演するなど前よりは会う回数が増えてきましたけど、あと1名(東山)に関してはずっと自宅も連絡先も当時から知らないので(笑)。まず、連絡先を入手するところから始めないといけませんね」

 独立後は、これまでの経験を活かして演出家としての活動に集中するようになった。

「今が人生で一番幸せ」


「役者として仕事をしているときは注目されませんでしたが、演出家として活動を始めたらドキュメンタリー番組のオファーが来たりしましたね。僕はタレントの顔も持っていますから、舞台の宣伝としてテレビやラジオに呼ばれたりします。でも、演出家として活動しているときのほうが、メディアに多く出させていただいているので、面白い現象だなって思っています」

 今後も、つかさん原作の『飛龍伝2022~愛と青春の国会前~』や、自身が脚本を手がけた『サラリーマンナイトフィーバー』の上演を控えるなど、舞台演出家として多忙な日々を送っている。

 ジャニーさんとつかさん、2人の教えを継承する気持ちを聞くと、

「完全な継承はできないと思っています。2人とも無趣味で、起きてから寝るまで芝居や舞台のことばかり考えていました。僕も芝居は好きですけど、休みの日はゴルフとか行くわけですから勝てっこないんですよ。ただ、2人と知り合って得た“かけら”が残って融合したものが、僕の演出のスタイルになるのかな。それをこれから楽しもうかなと思っていますね


 改めて舞台の魅力を聞くと“ごまかしが利かないこと”を挙げた。

「舞台はCGも使えないので、テレビや映画と違って素朴ですよね。僕の中では“これだけ練習したんだ”って、胸を張って言えるものをお見せしないと失礼じゃないかと思っていますから」

“いい芝居でお客さんを喜ばせる”ことに専念する日々。彼はそんな今が、人生で一番幸せだと語る。

「前からフリーランサーになりたかったんです。事務所に所属していると自分で仕事を決められませんから。人間、やりたくないこととの付き合い方を考えていけばいいんじゃないですかね。僕はやっぱり下町の江戸っ子気質なところがあるから、今になってそういう部分が出た気がします」

 2人の恩師に導かれ、アイドルから演出家と幅広いステージを駆け抜けてきた錦織。“人生”というステージはまだまだ続くようだ。

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安田美沙子、裁判終結も元事務所HPに残る《訴訟が係属中》

2022年5月18日 11:00 週刊女性PRIME

5月中旬、安田美沙子を直撃

 安田美沙子が所属事務所を退社したことをSNSで報告したのは、2020年3月のこと。

安田さんは契約更新をめぐり、事務所とトラブルになっていましたが、最終的に裁判に発展しました。その後、まったく続報はありませんでしたが、実はこの裁判、2020年9月に終結しているんです」(スポーツ紙記者)

 しかし、安田の“古巣”である芸能事務所のホームページには、《安田美沙子とは現在訴訟が係属中であります》との一文が残ったまま(5月14日時点)。裁判は終わっているのに、なぜそのままなのか。

 その謎を解き明かすため、まずは裁判の経緯をひも解く。

「安田さんは事務所のギャラや仕事内容に不満を持っていました。彼女としてはファッションブランドの立ち上げや、伝統工芸品のプロデュースをしたいと思っていた。これには事務所も渋々承知し、安田さんは個人事務所を立ち上げて、新たな活動の場を見いだしていきます。しかし、2019年5月に“事務所を辞めたい”と安田さんが改めて言い出したことで、トラブルに発展したのです」(同・スポーツ紙記者、以下同)

 話し合いは決裂し、2019年9月、事務所側が安田に対しギャラの返還を求めて東京地裁に提訴した。

「節税目的もあったのでしょうが、ギャラとは別に経費名目のお金が安田さんに支払われていました。事務所は、この経費は給料に該当し、多めにお金を払っていたから返還しろと主張したのです。仕事のギャラは事務所の取り分が3割、残りの7割が安田さんに支払われる契約でしたから」

 つまり、安田に支払われた金額は、税務申告上より多かったということになる。

「なので安田さんが過去に確定申告していたものを修正申告したことで、事務所も2020年3月に請求を放棄しました」

金銭めぐる訴訟合戦が起きていた


 終わった─と思いきや、請求放棄の直前に、再び事務所が『損害賠償請求』で訴えてきた。2019年に安田がアパレルブランドとコラボした親子服の販売契約が問題だという。

「これは事務所に無断で行った“闇営業”だというのです。契約締結は、事務所に所属していた時期のため、推定される利益の3割となる150万円の支払いを要求。しかし、実際に得た利益は約24万円だった。その3割は約7万円ですが、安田さんは早期解決を図るため、24万円を支払いました。これにより請求事由がなくなったため、事務所は請求を放棄したのです」

 ただ、今度は安田が元事務所を相手取り、損害賠償請求訴訟と並行する形で2020年4月に訴訟を提起していた。


“事務所を辞めた”という事実確認と、事務所ホームページに掲載された“訴訟が係属中”と書かれた文章の削除などを求めました。安田さんは事務所社長から“芸能界を引退しろ”などと言われたため話し合いを求めたが応じてもらえなかった。そればかりか、事務所は訴訟を起こして嫌がらせをしてきたというのです。ホームページに掲載されている文章も、芸能界で今後も仕事をしていくうえでの妨害行為だと主張しました」

 しかし、裁判では事務所を辞めたという事実以外、安田の訴えは棄却。これにより、2020年12月にすべての係争は終了したのだが、なぜか今も元事務所ホームページに掲載された一文が残っているというわけなのだ。

「削除をする必要がない」との判決


 元事務所に連絡すると、

「担当弁護士に聞いてほしい」

 とのこと。なので、代理人弁護士に話を聞くと、

裁判は“削除をする必要がない”との判決が出て、全面的に勝訴しました。その後、安田さんからの訴えもありませんし、判決に従って削除していないというだけです」

 と言うが、裁判が終わっているのに削除しないのは、なんだかモヤモヤ……。

 現在の心境を安田に聞くべく、5月中旬、自宅へと帰ってきた安田を直撃したが、

「何もお答えできないんです」

 と話すだけだった。

 前出のスポーツ紙記者は、

「裁判に提出された事務所側の答弁書には、“演技が致命的に下手”とか“そのときの恋人によって演技をやりたい、ファッションをやりたいと、言うことが二転三転する”なんてことも書かれていました。事務所社長は面談の場で“お前は俺が育てた”と発言したようですが、育ての親が子に難癖をつけるような裁判をするのでしょうか」

 愛憎相半ばして嫌がらせ、なのか─。

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『ガーシーch』に島田紳助氏「第2の井上公造になれ」は叶うのか

2022年5月18日 06:30 週刊女性PRIME

選挙出馬について語った東谷義和氏(YouTubeより)

 チャンネル登録者数が120万人を突破し、いまだに話題が途切れない東谷義和氏のYouTubeチャンネル『ガーシーch』。

 最近は新たな芸能人の暴露がなく、新田真剣佑や綾野剛と所属事務所社長に対する口撃が続いており、ここ最近は新たな暴露も停滞気味だ。そんななか飛び出したのが“政界進出発言”だ。NHK党の立花孝志党首に立候補を勧められ、政界進出への意欲が湧いてきたのだという。いわく、自身の影響力を高めることで今後の暴露に対する“芸能界の圧力”に対抗するのだという。

 しかし、コメント欄は大荒れだった。《みんな暴露を期待しているだけ》、《ガーシーさんの手に入れた影響力は下世話な好奇心に支えれている部分がほとんどだと思う》《勘違いしてる》、など、引き気味の視聴者が多数だ。

 そんな東谷氏は5月7日の動画でも『二代目井上公造』に指名(?)されている。今月7日、東谷氏がジャーナリストの丸山ゴンザレス氏とコラボした際に、親交のある島田紳助氏からメールが届いたことを明かしていたのだ。

紳助さんからメール来てて、井上公造さんが引退するこのタイミングで『お前のポジション空いたぞ』って言われますね


 本人も半ば冗談のつもりなのだろうが、 丸山氏から井上氏との対談を促されると、「めっちゃしたい! でもイニシャルトークなしでガチでいきましょうって言います。もう(芸能界を)辞めるんで忖度する必要ないでしょ」とまんざらでもない様子だった。

 しかし、その“芸能レポーター”という職業の存在が今、危うくなってきていることを彼は知らないだろう。

10年前は芸能人の「自宅取材」が当たり前だったが


 ワイドショー華やかなりしころは、各テレビ局、各番組には専属の芸能レポーターがいた。芸能レポーターの主たる仕事と言えば、番組のエンタメコーナーで芸能ニュースの解説をすることだが、彼らが番組の主役となることもあった。

 週刊誌でスキャンダルが報じられた芸能人に突撃取材を敢行し、本人にとっては触れられたくない話を聞きだしたり、時には独自ネタで張り込みをするなど、記者と同じような取材活動をすることもあった。芸能レポーターはテレビ局に出入りするため、芸能人の生情報を集めやすい環境にあったことも事実だ。どこも報じなかった裏情報をかき集め、テレビで披露するのが芸能レポーターの真骨頂でもあった。

 だが近年、芸能界を取り巻く環境は大きく変わり、芸能レポーターの仕事にも変化が。

昔はそれで数字(視聴率)が取れたから、少々過激と思われることも思われることもやりました。たとえば、レポーターがスキャンダルを起こしたタレントの家に行ってインターホンにマイクを近づけて取材する光景がよくあったかと思いますが、今はなかなか難しい。

 そこまでする必要があるのか、とすぐ非難されますし、たとえボカシを入れても視聴者にタレントの自宅が知られてしまう危険がありますしね。そんなことをしたらタレントの所属事務所からすぐクレームが来る」(ワイドショースタッフ)

公正取引委員会とジャニーズの件以降は


 今から約10年ほど前、自宅直撃がみられなくなったのと同じタイミングで、“きわどいネタ”の取り扱いもなくなった。テレビ局が事務所からクレームを受けるのを避けるようになったためだと聞く。芸能レポーターといえども、あくまで番組に雇われて出ている出演者であるため、テレビ局が不利になるような話をすることはできないだろう。あらかじめ芸能リポーターが話せる内容も制限される。

例の公正取引委員会がジャニーズ事務所に注意した件以降、事務所からテレビ局に対して圧力をかけることは少なくなったと言われていますが、その分、忖度が増えただけな気もします」(同・ワイドショースタッフ)

 インターネットの普及で、タレント自身が発信するようになってからは、披露してもいい情報は探せばネットに出ているし、悪い話はどこにも出せない。またコロナ禍で大きなイベントが中止になったり、囲み取材もなくなっていることで芸能レポーターの仕事はますます厳しい状況に置かれている。

極端な話、取材に行くのはディレクターで事足りるようになったんですよね。最近は囲み取材に芸能レポーターじゃなくてディレクターを行かせるところが多いです。質問できることはだいたい決まっていますし、自局のディレクターじゃなくてスポーツ紙の記者が質問しても映像的には問題ないですしね。人件費も節約になりますから」(情報番組プロデューサー)

 今後芸能レポーターのニューフェイスが誕生することは望めそうもない。ガーシーには二代目を襲名してもらいたいところだが、

東谷さんがテレビ番組に出演することはまずないでしょうね。詐欺を行ったことなど、自身で犯罪者であることを公言しているのでスポンサー的にNGでしょう。ここ最近綾野剛が出演するCMを指して、起用しているナショナルクライアントを批判したりと、企業のウケも悪いです。

 ただ、規制の少ないネット系の番組は彼に興味津々だそうです。暴露が落ち着いたらオファーをかける番組もあるとききました」(民放ディレクター)

“影響力”の行方やいかに。

<芸能ジャーナリスト・佐々木博之> ◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中

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《日本の新婚旅行150年史》明治の逗子からハワイ定着の理由

2022年5月18日 06:00 週刊女性PRIME

※画像はイメージです

 近代日本の誕生に大きく貢献した武士・坂本龍馬。妻のお龍と霧島連山の主峰・高千穂峰に登頂した一連の行程が「日本初の新婚旅行」だといわれている。

 鹿児島県霧島市役所のホームページにも『龍馬・お龍日本最初の新婚旅行地霧島市』と記載されているが、その実態はどのようなものだったのだろう。

新婚旅行の歴史


「坂本龍馬は伏見の寺田屋で幕吏の襲撃を受けた際に、薩摩藩邸に逃げ込みました。そのときに出会ったのが妻のお龍で、それがきっかけで仲が深まり結婚に至ります。その後、刀傷を癒す目的もあり、お龍とふたりで鹿児島へ旅をすることになりました。

 現存する資料では、この旅行が厳密な意味で“日本最初の新婚旅行である”とは断言できませんが、日本の新婚旅行を考えるうえでのエピソードとしてはおもしろいですね

 そう教えてくれたのは、千葉商科大学でブライダルサービスを専門に研究している今井重男さん。それでは、日本における新婚旅行はいつぐらいから始まり、どのような変遷を遂げてきたのだろうか。

明治維新以降、西洋文化を紹介する訳報のようなものが出てきたのですが、そのなかにハネムーンを意味する“ホネームーン”という語が散見されます。また、1889年(明治22年)5月3日の『東京日日新聞』において“新婚旅行”という言葉が日本で初めて掲載されています。

 つまり、明治時代には新婚旅行という概念はすでに日本に入ってきていたわけですが、一般の間に新婚旅行が浸透するのは、まだまだ先のことですね」(今井さん、以下同)

 明治期には鉄道網が徐々に整備されていたが、東京起点の新婚旅行は、神奈川県の江ノ島や逗子などの近場が主流だったようだ。ただし、それすらも一部の富裕層に限られており、新婚旅行自体はまだまだ物珍しいものだった。

大正時代にはもう少し足を延ばせるようになり、熱海や箱根などの温泉地が人気だったようです。伊勢神宮への参拝なども定番のコースとなりましたが、やはりまだ一般的に普及したとはいえず、新婚旅行は上流階級以外には高嶺の花のようなものでした。

 その後、昭和前期になってやっと新婚旅行の普及がうかがえるような資料が出てきます」

 昭和に入ると、婦人向け雑誌に『新婚旅行の心得』といった記事が多く掲載されるようになった。このころの旅行先は近隣の温泉地だけでなく、伊豆・静岡周遊といったコースや、1週間以上をかけて京都や奈良まで足を運ぶプランなども登場している。

「ちょうどこの時期だと思いますが、私の祖父母の新婚旅行の写真も残っています。昭和2年に三重県伊勢市の二見浦にある名勝“夫婦岩”の前で撮ったものです。当時は恋愛結婚はまだ珍しく、お見合いで結ばれるケースが大半でした。

 出発時は恥じらって顔を見合わせることもできないような夫婦が、旅行を経て徐々に打ち解けていく儀式のような意味合いが新婚旅行にはあったのでしょうね」


一般化されはじめた新婚旅行


 その後、新婚旅行はさらに一般化する。戦前の新聞では新婚旅行にまつわる記事が度々紹介されるように。

昭和11年11月16日の読売新聞では、大安の夜に東京駅をたつ“新婚列車”について報じられました。

 熱海行きの車両に二等車2両を増結した特別列車に乗り込み、たくさんの新婚カップルが旅へ向かうようすが紹介されています。新婚旅行が広く浸透していたことがうかがわれますね」

 こういった大々的な新婚旅行も、戦時に入ると一時中断となった。国を挙げた質素倹約の時局となり、新聞報道でも新婚旅行の代わりに神社参詣が推奨されている。新婚旅行が復活を見せるのは、戦後しばらくたってからだ。

「終戦後、戦地から復員してきた人々が結婚をして第一次ベビーブームが始まります。その後、国鉄の発足などもあり、戦後復興が進むにつれて新婚旅行も徐々に再開されました。この時期もやはり箱根や熱海、伊勢などが変わらず人気だったようです。

 旅先に大きな変化が見られたのは、第一次ベビーブームに誕生した世代が結婚し始める1960年代以降。このころには南九州、特に宮崎県が新婚旅行の新定番地として大ブームが起こっています

 高度経済成長に伴い、観光振興のために毎日新聞社が企画した『新日本観光地百選』というキャンペーンの後押しを受け、宮崎交通が日南海岸という新しい観光地を開発。

 また、1960年には昭和天皇の第五皇女・島津貴子さまが結婚され、夫側の実家でもある宮崎県を訪問された。その行程は事実上の新婚旅行として広く報道されている。

さらにその2年後、ご結婚後間もない現上皇ご夫妻もおふたりで宮崎を訪問されています。また、1965年にはNHK連続テレビ小説『たまゆら』の舞台としても知名度が高まり、異国情緒あふれる日本の南国・宮崎は瞬く間に新婚旅行の中心地になりました。

 この時期の新婚旅行の写真を見ると、男性はスーツにネクタイ、女性も白手袋をつけるなど、フォーマルな装いが目立ちます。女性は全員、景色がよく見える窓際に座っているのも印象的です」

海外へも羽を伸ばして


 昭和後期以降、沖縄や離島などさらに遠方への新婚旅行も普及。1973年には変動相場制への移行や、日本とホノルル・グアム間にジャンボジェットが導入されたことから、ハワイ、グアム、東南アジアなどへの海外旅行も一気に増加していく。

「沖縄が日本に復帰して今年で50年になりますが、特に1975年の沖縄国際海洋博覧会の開催は沖縄への旅行が普及する大きな契機になったと思います。那覇周辺の道路などが整備され、リゾートホテルなどの開発も進んだことで、沖縄でのリゾートウエディング人気が高まるきっかけとなりました。

 また、同時期にワタベ衣装店(現ワタベウェディング)がホノルルに海外1号店をオープンし、日本の“ハワイアン・ウエディング”を開拓するなど、新婚旅行のバリエーションはどんどん広がっていきました」

 1980年代以降は、北米や欧州などの選択肢も増え、新婚旅行は「豊かさの象徴」にもなった。バブル景気や円高の影響が海外ハネムーン人気を後押しするなか、やはり定番はハワイやグアムだ。

「こうして概観するとわかるように、新婚旅行先に選ばれやすいのはやはり暖かい場所。昭和初期には草津ではなく熱海が選ばれ、その後も宮崎、沖縄の人気を経て、現在でもハワイなどの南国がやはり人気です。

 特にハワイは昭和後期以降、数多くの芸能人が新婚旅行で訪れたり、リゾートウエディングを挙げる様子が度々メディアに取り上げられたこともあり、現在も憧れの新婚旅行先です

 その後、現在に至るまで新婚旅行の在り方はますます多様化している。結婚式の披露宴でのフォトスライドに使用する“映え写真”を撮りに行く婚前プチ旅行や、旅先でウエディングドレスを着て写真を撮る“ハネムーンフォト”といったプランも人気だ。

「現代の新婚旅行は、夫婦になるための通過儀礼としての意味合いは薄れ、ふたりで過ごすかけがえのない一瞬を撮影する記録の旅といった側面が大きいかもしれません。そのロケーションとしても“映えスポット”の多いハワイなどの南国は、格好の旅行先といえるかもしれませんね」

 コロナ禍や円安の影響も長引くなか、今後の新婚旅行のトレンドがどう変わっていくのか、興味は尽きない。

日本人のハネムーン史


『ホネームーン』から『フォトウエディング』まで、時代に合わせて変化を続ける新婚旅行。明治期から現在まで、その変遷をたどる。

明治期……関東では逗子、江ノ島が人気

 近郊の海水浴場は一般の旅行先としても人気で、新婚旅行の目的地にもなっていた。そのほか、鎌倉や湯河原といった例もあるが、いずれも上流階級の一部の間でのみ行われる程度。

大正~昭和前期……熱海行きが新婚夫婦であふれる

 新婚旅行が一般に浸透する過渡期は、熱海や箱根といった温泉地が定番。このころは酒色に富んだ娯楽地というよりは、閑静な保養地の風情を残しており、新婚夫婦にも好まれた。


昭和中期~後期……九州の温泉地が爆発的人気に

 戦後の新観光地開発や、皇族の来訪といった影響もあり、空前の宮崎への新婚旅行ブームが到来。明るく伸びやかな雰囲気の「日本の南国」に憧れる新婚カップルが急増した。


平成前期~中期……国内外でのリゾート婚が定着する

 海外旅行が一般化し、沖縄や周辺離島のほか、ハワイやグアムなど、時間や費用をかける新婚旅行の「リッチ化」が顕著に。新婚旅行と挙式を兼ねたリゾートウエディングも人気。

平成後期~現在……“挙式前”“映え”がキーワードに

 結婚式の前撮りを兼ねた婚前旅行や、海外でウエディングドレスを着て記念撮影をするフォトウエディングが流行。一方、長引く不景気の影響で、新婚旅行をしない「ジミ婚」派も。

お話を伺ったのは……今井重男さん●千葉商科大学副学長、千葉商科大学サービス創造学部教授。経営学を主たる専攻として、日本のブライダル産業やブライダルサービス、ブライダルツーリズムなどを研究。

(取材・文/吉信 武)

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