「名誉を回復したい」とインタニューに応じた、北浦亮さん
「昨年の12月12日です。起訴猶予で釈放されました」
おかしな予兆
「本業はプログラマーです。プログラムも組めますし、ホームページの作成もできます。本田技研工業に入社し、その後、大手を渡り歩きました。インターネット掲示板の2ちゃんねるでスレッドを立てる仕事をしたり、ニコニコ動画を運営スタッフとして手伝っていたこともあります。ただ警察も検察も、情報通信業ではなく、駄菓子屋の人間にしたかったようです」
「小学校が近く、下校時間になると“北浦亮!”って、でっかい声で子どもたちが叫ぶんです。“犯人!”と言われたりもします。そういうのがつらくて、母はいまだに小学生と顔を合わせることができません。庭でバラを育てているんですが、子どもたちの下校時間前に家の中に入ってしまう。下を向いて生活しているんです」
「起きたことは元に戻せませんが、困っています。逮捕時はあれこれ報道されたのに、起訴猶予になってもその事実は報道されない。強制わいせつ罪で捕まるなんて全く思ってなくて、私のように身に覚えのないことで逮捕された人は大勢いるんじゃないかと思って取材を受けました」
「衣装のサイズが大きく胸の部分が開いていたので、洗濯ばさみで後ろを留めればいいと私がアドバイスしました。当初、女の子たちだけで留めていたのですが、こうやって留めるんだよって、見本として留めてあげたんです。そのとき、衣装が少し落ちそうになったので上に持ち上げたんです。それを触ったと誤解されたんだと思います」
「母に呼ばれてパジャマ姿のままで玄関に行くと、警察官から警察手帳と捜索差し押さえ許可状と逮捕状を見せられました。そのまま日立署に連れて行かれました」
「朝7時に起床し、すぐに洗面。布団をたたんでロッカーに入れて、7時15分から朝食。8時30分に見守り点検がありますが、取り調べ以外の時間は何もすることがありません。
もう子どもたちに関わりたくない
「非常に紳士的でしたね。恫喝されることはありませんでした。黙秘はせず、聞かれたことにはちゃんと答えました。報道では胸を触ったとか書かれていたようですが、警察からはそんな話は一切されませんでした。警察は“やっちゃったね”と誘導をするんですが、何を?って聞き返して。事情がわからず、むしろ私が質問するような感じでした」
「署内で作っているお弁当を出され冷えたごはんと、おかずは脂っこい魚のフライなど。野菜が恋しかった。味つけも塩っけのないものでした」
「心配しましたが、釈放後に“お騒がせしました”と挨拶に来てくださり、事件を説明してくれました」と話す。
「北浦さんは“冤罪だから”と言い、私もそうなんだろうと思っていました。物知りで話が面白いので子どもたちにも人気がありましたし、学校の目の前の店でへんなことをするはずがないでしょう」
「子どもたちに関わるのはもう嫌です」と語気を強めた。
「お小遣いをもらえない子にお手伝いを頼んで駄菓子をあげたり、家庭や学校の話を聞いてあげたり、陰で友達の悪口を言うのをたしなめたりと充実した時間もありました。地域貢献できていると思っていましたが、逮捕されてまで続けようとは思えない。
私は小学生を性的な目で見たことなどありません。あの日の衣装をつまむのだって親指と人さし指だけ使い、身体には一切触っていません。弁護士が“被害に遭った人が声を上げにくくなる”と言うので、被害者側を訴えることは考えていませんが、もう、子どもたちとの関わりは勘弁です」