cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_7365968294fd_〈茨城・一家殺傷事件〉捕まらぬ犯人と残された家族の行方は 7365968294fd 7365968294fd 〈茨城・一家殺傷事件〉捕まらぬ犯人と残された家族の行方は oa-shujoprime

〈茨城・一家殺傷事件〉捕まらぬ犯人と残された家族の行方は

2019年12月11日 16:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

「助けて! 痛い、痛い」

 9月23日、切迫した様子の女性から110番通報があった。通報したのは小林美和さん(50)。通報から数時間後、失血により死亡した。

夫婦とも恨まれる人物でなかった


 事件は2019年9月23日未明に発生した。茨城県境町若林の住宅で会社員、小林光則さん(48)と妻のパート、美和さんが殺害された。何者かが小林さん宅に侵入し、2階で就寝中の光則さん夫婦を鋭利な刃物で襲撃。2階の別屋で寝ていた中学1年の長男(13)は手足などを切られ、小学6年の次女(11)も催涙スプレーのようなものを噴射され両手に軽傷を負った。

 事件当時別室にいて唯一襲われなかった長女(21)は「言い争う声のようなものを聞いたが怖くて部屋から出られなかった」と話しているという。

「当時、小林さん宅は複数か所に鍵がかかっていませんでした。犯人は無施錠の窓から入り、2階に直行して一家を襲撃したとみられることから、室内の間取りを把握していた可能性があります。室内を物色した形跡や、金品を奪ったことを示すものはなく、犯人の遺留品も見つかっていない。強盗の可能性も少なく、かといって小林さん一家の周囲でトラブルなどもなかったといいます」(全国紙社会部記者)

 夫婦の遺体にはいずれも、刃物による傷が約10か所あり、心臓などの致命傷になりやすい上半身に集中していたという。

「遺体の様子からは何が何でも殺してやるという強い殺意がうかがえますが、夫婦ともに人から恨まれるような人物ではなく、人望があったといいます」(同)

 いったい誰が殺したのか。

 小林さん宅は周囲を木々に囲まれ、付近の住宅から離れたところにある。

「事件後に初めて家を知った」(近隣住民)

 という人もいて、愛犬が吠えなかったことなどからも顔見知り説がとなえられた。

 また、事件当初、小林家の近所では“不審なマスク男”の姿が目撃されていた。

「事件前から小林さんの家を調べていたのではないか、殺人目的で周囲に人がいない民家を探していたのでは、ともいわれていました。マスク男はすぐに捕まるといわれていたのですが……」(全国紙社会部記者)

 負傷した家族も「帽子をかぶりマスクをした男に襲われた」と証言したという。冬ならばマスクは珍しくはないが事件当時の9月にマスクをしている人物は少ない。当時、ある人物が疑われたが、

「付近の防犯カメラに映ったとされる“マスク男”は事件発生前にほかの強盗事件で捕まったため、小林さん宅の事件とは無関係だったといいます」(捜査関係者)

 近隣住民は涙ながらに、

「残されたお子さんたちを思うと胸が痛くてたまりません。お子さんたちは夜眠れているのでしょうか。就寝中にお父さんとお母さんが殺されて、自分も襲われて……。無念でなりません」


【茨城・一家殺傷事件の情報提供をお待ちしています!】

お心当たりのある方は、フリーダイヤル(0120-007285)まで

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_dc5090b9cc63_X‐GUNが明かす『ボキャブラ天国』ブームの裏側 dc5090b9cc63 dc5090b9cc63 X‐GUNが明かす『ボキャブラ天国』ブームの裏側 oa-shujoprime

X‐GUNが明かす『ボキャブラ天国』ブームの裏側

2021年9月23日 21:00 週刊女性PRIME

『X‐GUN』西尾季隆(左)、さがね正裕

さがね正裕(以下、さがね)「当時は常にダジャレを考えている状態でしたね」

 放送当初は視聴者投稿番組としてスタートした『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)。何度かのマイナーチェンジを経て、1997年から“キャブラー”と呼ばれる若手芸人たちがダジャレネタで競うスタイルになったことで、大ブームに。そんな人気番組で1回も休むことなく番組を盛り上げたのが、X-GUN(バツグン)の2人。

さがね「ボキャブラネタは番組が用意した用紙に箇条書きでフリになるコント部分を書き、最後に言い換える前の言葉とダジャレになる言葉を書く……という方法で作っていました。当時はメールもなかったので、相方とそれぞれ何十枚も手書きして、毎回番組スタッフにFAXで送っていましたね」

西尾季隆(ひでたか)(以下、西尾)「何十個と送った中から厳選された7〜8本を収録するのですが、放送されるのは3〜4本。相方と自分のネタのどちらが多く採用されたか覚えていないぐらい、とにかく大変でした。ボツになったものも含めると番組終了までにそれぞれ1000本はネタを作ったんじゃないかな」

 スタジオのひな壇に座れる“メジャー”と“チャレンジャー”の入れ替え戦も、番組の見どころの1つ。

西尾「メジャーにいる芸人にかみつくなどテレビに映る方法はあったので、チャレンジャーに落ちてもあまり気にはしなかったですね。ただ、チャレンジャーはカメラが回っていないところでもスタジオの外で立ちっぱなしだったので、体力的にはしんどかったです(笑)」

さがね自分たちの中では渾身(こんしん)の出来のものがスタジオではウケなかったり、その逆もあったり。ボキャブラネタに関しては最後まで正解がわからなかったですね」

流行語「だっちゅーの」はスタッフが


 当時は珍しかった、若いアイドル2人が組んだ『パイレーツ』が番組からブレイク。プロの芸人は、彼女たちの存在をどのように思っていたのか?

さがね「本当にイマドキの女の子たちで、僕らから見たらただの子どもでした。事務所にやらされている感が満載で大変そうだなって(笑)」

西尾流行語になった“だっちゅーの”という胸を寄せるギャグも、番組スタッフが考えたものだったそうですから」

さがね「完全に別枠という認識だったので、僕らより彼女たちがウケてもまったく悔しくはなかったですね」

 そんな2人が、当時から一目置いていたのが爆笑問題。

西尾「本ネタの漫才だけでなく、ボキャブラネタも抜群に面白かったので、さすがだなって。大ウケするともらえる大座布団をすぐに10枚集めて初代名人になりましたしね」

さがね漫才は太田(光)さんが作っているのですが、ボキャブラ用のネタはすべて田中(裕二)さんが作っていたんだよね」

西尾「だから太田さんに会ったときは、“今の爆笑問題があるのは、田中さんのおかげ”とよく言います(笑)。もともと実力は飛び抜けていたけど、この番組で2人を知った視聴者も多いと思うので、田中さんの功績は偉大!」

芸人がアイドル級の人気に


 キャブラーが集結した1997年に富士急ハイランドで行われたイベントには、約1万人のファンが集まるなど社会現象に。当時の盛り上がりをどう感じていたのだろうか。

西尾芸人の間では意見が二極化していましたね。黄色い歓声が挙がって、ネタをちゃんと見てもらえない……と悩むタイプと、アイドル的な人気を楽しむタイプ。僕らは後者でした(笑)」


さがね「若い女の子たちにキャーキャー言ってもらえるなんて、普通に生きていたらありえないですから」

西尾「僕は当時からデブキャラで単体では人気はなかったので、相方の人気のおこぼれで“トシちゃん気分”を堪能していましたね(笑)」

 最高月収は200万円。それまで手にしたことのない大金を得たことで、こんなエピソードも……。

さがね「横浜ベイスターズの選手と仲がよく、選手30人ぐらいが集まる飲み会に呼んでもらったことがあって。飲み終えてお会計を見たら、これなら僕も払えるなという金額だったので支払いをしようとしたんです。そうしたら“大魔神”こと佐々木主浩さんに止められました。当時の僕の何百倍も稼いでいる選手だから当然ですよね(笑)」

西尾「相方はお金があるだけ使っちゃうタイプ。ザキヤマ(山崎弘也)など後輩によく奢っていると聞いていたので、“俺にも服買ってよ”と言ったら、3〜4万円の服をポーンと買ってくれましたから。給料は一緒なのに(笑)」

 番組は学校のような場所だったと振り返る。

さがね「楽屋は大部屋でみんな一緒。仲よく話している人もいればふざけている人もいて、ディレクターが先生という感じでしたね。泊まりで営業に行く機会も多かったですが、それも修学旅行みたいで楽しかったです」

西尾「『ボキャブラ』前からライブやネタ番組で一緒になる機会は多かったけど、ボキャブラネタを作る苦労をみんなで経験したことで、より絆が強まった気がします」

僕らは“ボキャブラ世代”



 そして「今があるのはこの番組のおかげ」と続ける。

西尾スタッフにも“ボキャブラ世代ですよね!”と言っていただく機会も多く、今でもお仕事させてもらえるのは『ボキャブラ』があってこそ。番組に出ていなければ、すでに解散していたかもしれません

さがね「当時見ていただいた方と会うと、こっちがビックリするぐらい喜んでもらえるんです。今は第7世代という言葉がよく使われていますが、僕らは完全に“ボキャブラ世代”ですね」

西尾「ダジャレネタということもあり、番組に関わっていない人たちから否定的な声があったのも事実です。でも爆笑問題さんやくりぃむしちゅー、ネプチューンと、後に別のバラエティーでメインを張れる芸人をこれだけ輩出していますからね。改めてすごい番組だったし、出演できた僕らは運がよかったなと思います」

X-GUN 専門学校で出会い、'90年にコンビ結成。西尾季隆。'70年2月20日生まれ。東京都出身。ボケ担当。さがね正裕。'70年3月25日生まれ。ツッコミ担当。'16年に漫才協会に加入。浅草・東洋館などに出演中

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_2ff3142153f3_中森明菜、ひきこもり前に語っていた“歌う理由” 2ff3142153f3 2ff3142153f3 中森明菜、ひきこもり前に語っていた“歌う理由” oa-shujoprime

中森明菜、ひきこもり前に語っていた“歌う理由”

2021年9月23日 17:00 週刊女性PRIME

『夜のヒットスタジオ』に出演する中森明菜

 今年5月、デビュー40周年目を迎えた中森明菜。後に“花の82年組”と呼ばれる女性アイドル当たり年に『スローモーション』でデビュー。『少女A』『飾りじゃないのよ涙は』などヒット曲を連発し、1985年『ミ・アモーレ』、1986年『DESIRE‐情熱‐』で2年連続となる『日本レコード大賞』を獲得。女性ソロ歌手として史上初の快挙だった。

“現在の明菜”がいない記念ボックス


 そんな時代を代表する歌姫の、大切な節目の年にオープンした特設サイトには、40年分の楽曲やレコードジャケットなどのディスコグラフィーだけでなく、ライブ映像まで、明菜の華々しい足跡がまとめられている。6月には、デビューからの10年間に発売された全シングルレコードなど30枚をセットにした限定BOXも発売になった。

「税込4万8400円という高額商品ですが、売れ行きは好調だと聞きました。いまだに根強いファンがついているのは“さすが歌姫”ですよ」(音楽誌編集者)

 だが、この5万円近い記念ボックスのどこを探しても“現在の明菜”はいない。収録されている楽曲はすべて過去のもの。7月に56歳になった明菜の近影やファンへのメッセージもない。いや、それどころか4年近く、明菜は人前で歌うことはおろか、人々の前に姿すら見せていないのだ。

「2010年に芸能活動の無期限休業を発表して以来、心身ともに不安定な状況がずっと続いていますよね。2014年の紅白出演は、サプライズゲストという形の事前収録した映像でした。2016年と2017年と2年連続でディナーショーを行い“すわ完全復活か!?”と業界の人間は色めき立ったんですが、結局それが最後に。また、ひきこもってしまい、ほとんど消息不明に近い状態ですからね……」(前出・音楽誌編集者)

 40年来のファンだという女性も落胆する。

「明菜ちゃんの大きな節目だったから“今年こそきっと新曲を出してくれるはず”“せめてディナーショーはやってくれるはず”と期待しているんですけど……」

自信がもてなかった中森明菜


 名実ともに時代のトップだった歌姫を、誰が壊してしまったのか――。当時の明菜をよく知るレコード会社関係者が振り返る。


「所属事務所やレコード会社との相次ぐ移籍トラブル、信頼していたスタッフや身内に騙されたりなんてこともありました。もちろんマッチとの大失恋、自殺未遂騒動も大きなダメージだったと思います。もし、あんなことがなかったら明菜さんの歌手人生はだいぶ違っただろうと思いますしね」

 だが、いちばんの原因は、

「いま思えば、明菜自身にあったんじゃないかという気もします。彼女はレコ大も獲って、どんなに売れても、どこまで人気者になっても、自信が持てなかったんだよね……」(前出・レコード会社関係者)

 それを感じさせる明菜の発言はいくつもある。過去の雑誌インタビューで、彼女は歌手という仕事に対する偽らざる気持ちをこう語っている。

《目の前の人たちがうれしそうな顔をしているから、私は歌うだけ。(中略)仕事に対してすすんでトライしようとか、才能をどんどん伸ばしていきたいというのがないから》(『JUNON』1992年1月号)

 そもそも明菜が歌手になったのも、自分自身のためではなく“家族のため”だった。

《歌手になりたい! っていう願望じゃなくて、タレントさんになればお金持ちになれると思ったから。小さいころから、みんなが「お歌が上手ネ」っていってくれたから、じゃあ“スタ誕”に出て歌手になって、家族に車を買ってあげようと、そういうことしかなかったの。(中略)後悔はすごいですよ。何で私、歌手になっちゃったんだろうって……》(同)

 別の雑誌では、6年に及んだマッチとの恋愛を振り返りながら、こう自嘲している。

《結局、女としてっていうより、人間として自信がないのね。いつまでたっても自信が持てないもの、私。“有名になった明菜ちゃん”からは、そんなこと想像できないって言われる。でもホントにダメなのね。もう自信のなさが染みついちゃってる》(『with』1993年11月号)

 歌手としてだけでなく女優業にもチャレンジした1992年、フジテレビ系“月9”ドラマ『素顔のままで』に主演。最終回視聴率31.9%を叩き出してみせたアーティストとは思えない発言だ。

「“23歳で結婚して25歳でママになったら、今の仕事なんてしたくない”っていつも言っていましたからね。そういう結婚願望……マッチとの恋愛も“自信がなくても歌い続けなくちゃいけない”っていう葛藤から生まれてきたのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)

 その葛藤の中で、今も明菜はもがき続けているのかもしれない。だが、それでも“歌姫復活”を待ち続ける人たちがいる。

「40周年は、やっぱり本人の姿を見られなさそうで残念ですけど、私たちは待つのには慣れていますから(笑)。きっといつか、また歌ってくれるって」(前出・ファンの女性)

 その日を信じて――。

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_807035aea9a8_中国のトンデモ少子化対策が、日本ではありえない! 807035aea9a8 807035aea9a8 中国のトンデモ少子化対策が、日本ではありえない! oa-shujoprime

中国のトンデモ少子化対策が、日本ではありえない!

2021年9月23日 13:00 週刊女性PRIME

※写真はイメージです

 人口14億人を超える中国で、少子化が深刻な問題になっている。出生数は年々減少しており、人口爆発を防ぐため35年以上続いてきた「一人っ子政策」を'16年に撤廃、2人目の出産を認めた。しかし出生数の減少は止まらず、'21年5月には「三人っ子政策」が示された。将来の人口減少を止めようと躍起になっている中国政府だが、その道のりは厳しそうでーー。

◆     ◆     ◆

深刻な少子高齢化が進む中国社会


 1975年から実施され、現在の少子高齢化の原因とされている一人っ子政策が2016年に撤廃された今では、山西省の公園では親子4人連れの銅像が見られる(父親は子どもを肩車、荷物を持っているのに対して、母親は手ぶらと中国の家庭の権力構造を表現。母親の衣装はなぜかアオザイのように身体のラインを強調)。


 それでも日本以上に深刻な少子高齢化が進む中国は今年5月末、夫婦一組につき3人まで子どもをもうけることを認める方針を発表した。

 厳格に実行されていたと思われていた一人っ子政策だが、都市部・農村部や少数民族といった条件次第では事情が異なっており、夫婦双方が一人っ子の場合、第2子出産が認められた時期もあった。一人っ子政策があった頃に、筆者も実際に中国各地で兄弟姉妹を目撃したことがある。中には第2子を出産したため地方自治体に罰金を払っていた夫婦もいたようだ。

 世界的映画監督の張芸謀(チャン・イーモウ、『紅いコーリャン』や『初恋の来た道』等の作品で知られる)は、2013年に3人の子どもの存在が発覚。翌年1月、約750万元(約1億3000万円)と、収入に比例してかなり高額な罰金が科されたと報道された。

 一人っ子政策が撤廃された今となっては完全な払い損だが、張芸謀監督の再婚相手であり、32歳年下の妻で女優のチェン・ティンは、三人っ子政策について「すでに任務を完了しました」とSNSに投稿。ネットユーザーからは「爆笑した」「産むのが早すぎた」といったコメントが殺到したが、チェン・ティンも中国の政治体制では「罰金を全額返還しろ!」とはストレートに言えないのだろう、心中お察し申し上げる……。


 そもそも中国政府が一人っ子政策をなかなか撤廃できなかったのは、違反者に対する罰金の額が非常に大きく、財政が潤ったことも理由の一つといわれている。

 児童の教育費の高騰も問題になっている中国では、3人まで子どもを持つことが許されたとしても、政府は少子化に一層拍車がかかることを懸念。対策のひとつとして、高騰し続ける学習塾の月謝の引き下げを政令化したほどだ。

“公園で募集”オドロキ婚活


 一人っ子政策の名残が強く残る都市部では、結婚の条件は、収入や持家の有無が重要視され、一方では離婚率も年々上昇している。また、そもそも結婚をしようとせず、独身生活を続ける人も増えている。

 上海の人民公園では、老親が子どもの結婚相手の条件を傘に貼って探している風景が日常のものとなっている。かつての一人っ子政策の影響で、出生する男女比が非常に偏り、結婚できない男性が増加しているのも他の国の少子化には見られない傾向だ。


 経済力ではとっくに日本を抜いた中国ではあるが、社会保障はまだ日本の方が手厚い。中国の政治家の決断のダイナミックさは素直に評価すべき点と強引すぎる点と両極端ではあるが、少子高齢化については、前途多難である。

文責・関上武司(せきがみ・たけし)●1977年、愛知県生まれ。愛知大学経営学部卒。中国で留学や駐在員としての勤務経験あり。中国遊園地の取材で中国の全省、全自治区、全直轄市を訪問。『中国遊園地大図鑑』(パブリブ刊)シリーズを執筆し、各メディアで話題。

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_8993f0bb3d21_空気銃で猫100匹殺傷、虐待犯の言い訳 8993f0bb3d21 8993f0bb3d21 空気銃で猫100匹殺傷、虐待犯の言い訳 oa-shujoprime

空気銃で猫100匹殺傷、虐待犯の言い訳

2021年9月23日 11:00 週刊女性PRIME

元税理士が投稿していた猫の虐待動画。現在でもこの動画や関連の写真は拡散されている

 空前のペットブームの一方で動物虐待事件が増えている。特に多いのが猫への虐待。何度となく繰り返す虐待犯も少なくないのだ。では、なぜ猫は虐げられるのだろうか――。

「明らかに暴力で直視できないほどに変わり果てた姿の猫を目にすることがここ数年増えてきました。人間よりもはるかに力の弱い猫への暴力は“悪魔の所業”と言っても過言ではありません」

 そう怒りをあらわにするのは沖縄県内で猫の愛護活動などを行う男性。8月12日、沖縄県名護市で子猫1匹の死骸が見つかっている。付近では以前から不審な死に方をした猫の死体が見つかっており、虐待事件とみられる。

標的にされやすい猫


 猫の虐待事件は沖縄だけで起きているわけではない。

 警察庁が発表した昨年の動物愛護法違反で検挙した件数は102件。虐待された動物は猫が最多で57件だった。

「狙われる動物は圧倒的に猫が多い。ですが実際の虐待件数は検挙数より多いんです。動物愛護法44条では猫をみだりに殺したり、傷つけた者は5年以下の懲役、または500万円以下の罰金に処することが定められています。それにもかかわらず猫は虐待され続けているのです」(動物虐待問題に詳しいライター)

 6月22日、49歳(当時)の男、Aが動物愛護法違反と銃刀法違反の疑いで千葉県警に逮捕された。Aは猫に向けて空気銃を発砲、100匹以上を殺傷したとみられる。

「Aは2019年2月以降に八千代市や千葉市など県内複数か所の公園や住宅地などで同様の犯行をしたと述べています。これまでにも空気銃で撃たれた猫が発見されており、警察では10件以上の被害を確認しており、余罪を調べています」(捜査関係者)

 Aの犯行とみられる最初に撃たれた猫が確認されたのは'19年12月、千葉市内にある公園での虐待事件だ。撃たれた6匹のうち、1匹は瀕死の状態で発見され、回復困難で安楽死となった。

「逮捕のきっかけは昨年12月、八千代市の住宅地で猫の死体が発見された事件。この猫は内臓出血により死亡。弾は右前脚から体を貫通し、左前脚まで到達していたそうです」(前出・ライター)

 警察の調べに対し、Aは「弱い立場の猫を(虐待することで)征服した気分になった。捕まえた猫に自宅で熱湯をかけたこともある」などと供述していたという。

 Aの身勝手な犯行により100匹以上もの猫が傷つき、苦しみ、そして、死んだ。

 Aは逮捕された今、本当に反省しているのだろうか。

猫への悪意はいずれ人間に


 かつて猫13匹を殺傷、その様子を撮影しインターネット上に投稿していた男、B(当時52)は裁判で「飼っていたメダカが殺されたり、糞尿の被害に遭って猫を駆除したかったのは事実。だが、駆除より虐待動画の投稿が目的になった」「猫を憎んでいた」などと供述。だが、傍聴した関係者によるとBは法廷でも反省している様子は終始見られなかったという。

 動物虐待事件をテーマにした映画を作る北田直俊監督はこれまで動物虐待犯本人やその家族と対峙してきた。

「虐待犯は一様に悪びれる様子はありません。家族も同様の反応で“たかが猫を虐待しただけでなぜ自分の家族が裁かれなければならないのか”というような状況です」

 実は虐待を“社会正義”と正当化し、個人的な怒りを動物に向ける虐待犯は多い。

 冒頭の愛護関係者は「特に猫の命を軽視する人間が多すぎる」と憤る。ほかにも動物がいる中でなぜ猫ばかりが狙われるのか。

 国際社会病理に詳しい桐蔭横浜大学の阿部憲仁教授に聞いた。


「まず、動物虐待犯には特有の性格タイプがあるとみられています。

 動物に対しての無知、偏見を持っているタイプ。苦しむ姿を見たいサディストタイプ。動物の命を支配したいパワー&コントロールタイプ。親からの虐待発散のため動物に危害を加える危険信号タイプの4つがあります」

 さらに猫は自由に動き回り、犬のように従順ではないことからも嫌悪し、虐待のターゲットになりやすいという。

 虐待の対象が動物から人間へと向かうことはあるのか。

「猫に危害を加えることは、その人間が仕事や家庭などでの個人的な事情から他人に対して明らかな攻撃性を抱えていることを意味します。ですが人間に手を出すのはハードルが高すぎる。そのためモノではなく、より人間に近い猫を虐待するのです」(阿部教授、以下同)

 そして、攻撃は猫だけでは満足できなくなる可能性を多分に秘めているという。

「猫の虐待を“かわいそう”だけで終わらせると社会にとって大変危険です。人間に対する攻撃性を抱えた人間が社会に増幅するのを野放しにしていることになりますから」

『たかが猫くらい』ではない


 では、虐待犯は逮捕後に更生することは可能か。

「攻撃してくる相手には直接反撃できず、心になんらかの傷やストレスを抱えた状態で生活しています。それを癒さない限り、生活、ストレス、虐待のサイクルが改善されることはありません」

 重要なのが“心の傷”を癒す時期だという。

「子どもの場合、親がしっかりと愛情を与え直すことで更生する可能性は非常に高い。しかし、虐待事件の容疑者の多くは30歳未満の成人男性。なんらかの人生の転機を迎え、過去の自分の過ちに気づくことができれば更生の可能性はなくはありませんが…」

 一度ハマってしまった虐待のサイクルから抜け出すことは容易ではないのだ。

 だが、猫虐待事件は増加、阿部教授は警鐘を鳴らす。

「猫を含む動物虐待の急増は日本社会が他人への“共感”が欠如してきたことの象徴です。敵意を抱き、他人を攻撃する前に猫に虐待として向けるなど悪化しています。これを放置すれば、他者への攻撃性を隠した人間で埋め尽くされるおそれがあります」

 このままでは社会は信用できない危険人物があふれ、子どもを外で遊ばせることも、会話することにも危険を伴う可能性があるそうだ。

 猫が虐待されない社会を目指すには何が必要なのか。

「家庭と社会、そして警察の連携です。警察には動物対策を兼任する部署を設ける必要があります」

 『たかが猫くらい』ではない。むしろ動物を正しく扱うことによってはじめて、社会は正常化するという。

 猫への悪意はいずれ人間に向けられる。それを止めるのは社会への愛情を向けることなのかもしれない。

お話を聞いたのは

北田直俊さん

映画監督。合同会社adg-ethics代表。動物関連の作品を数多く手がける。動物虐待事件がテーマのドキュメンタリー映画『動物愛護法』、劇映画『彷徨う魂』は来年公開予定

桐蔭横浜大学
阿部憲仁教授


全国刑務所面接委員連盟理事。'15年ノーベル平和賞公式名誉来賓。「米国凶悪犯たちの生い立ち」と各国共通の「社会問題のメカニズム」を分析。安全な家庭や社会を提言

これまでに起きた主な猫虐待事件(抜粋)
発生場所・逮捕月日/容疑者(当時)/概要/処罰




●福岡県福岡市・2002年8月7日/無職の男(27)/自宅浴室でハサミや針金を使って子猫の尻尾や耳を切ったり、首を絞めているところを撮影。虐待の様子を実況中継するなど残忍で悪質。事件後につけられた猫の名前から通称・こげんた事件とも言われる。/動物愛護法違反 懲役6か月 執行猶予3年



●神奈川県川崎市・2011年11月10日/会社員の男(45)/虐待目的で猫を譲り受けていた里親詐欺。猫を床にたたきつけてケガをさせたり、川に投げるなどして虐待を繰り返していた。複数の猫が行方不明になっており、逮捕事案以外にも猫を殺害していたと見られている。/詐欺罪 動物愛護法違反 懲役3年 執行猶予5年



●兵庫県神戸市・2016年8月16日/無職の女(31)/自宅マンションのベランダでオスの子猫を鉄製の焼却炉に入れて生きたまま殺害。その様子を動画で撮影し、SNSに投稿していた。/不起訴



●埼玉県深谷市ほか・2017年8月29日/税理士の男(52)/2016年3月から'17年4月の間に捕獲した猫に熱湯をかけたり、ガスバーナーであぶるなどして少なくとも13匹を死傷させた。その様子を撮影し、動画をネットに投稿していた。/動物愛護法違反 懲役1年10か月 執行猶予4年



●奈良県奈良市・2017年12月2日/奈良県嘱託職員の男(25)/自宅で猫2匹を殺害、その死体を同県奈良市内に遺棄した。仕事でストレスがあり、飼い猫が言うことを聞かないために怒りを募らせ、暴行を加えて殺害した。/廃棄物処理法違反 動物愛護法違反 懲役1年 執行猶予3年

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_4d42b2ef8f9a_「親ガチャ」を嘆く子ども、口をふさぐ大人 4d42b2ef8f9a 4d42b2ef8f9a 「親ガチャ」を嘆く子ども、口をふさぐ大人 oa-shujoprime

「親ガチャ」を嘆く子ども、口をふさぐ大人

2021年9月23日 09:00 週刊女性PRIME

SNSでも盛り上がりを見せる「親ガチャ」論争

 現在、テレビやSNSで話題となっている「親ガチャ」というワード。この週末にはワイドショーなどでも特集が組まれ、芸能人たちも巻き込んだ、さまざまな“論争”を巻き起こしています。その「親ガチャ」をどう捉えるか。これまでさまざまな家族の形を取材してきたノンフィクションライターの大塚玲子さんに聞きました。

「親ガチャ」という強烈ワード


 最近にわかに浮上したワード「親ガチャ」。言葉自体は、そう新しいものではありません。Webサイト“実用日本語表現辞典”に「親ガチャ」が登録されたのは2017年12月ですから、遅くとも4年前には、すでにある程度広まっていたはずです。それが今月、あるネット記事をきっかけに注目を集め、ホットワードとなりました。

 当初「親ガチャ」は、主に毒親や虐待親をもつ子どもたちが、「好きでその親のもとに生まれてきたわけではない」といったことを表現する意味合いで使われていました。でも今回は、もう少し広い意味合いで、「親の経済力など、家庭環境によって子どもの人生が左右されること全般」を「親ガチャ」と言っているようです。

 もちろんどちらの使い方も間違っているわけではありません。どちらの意味合いの「親ガチャ」も、あるだろうなと感じます。

 まずは前者、自分を傷つけてくる親をもつ子どもたちにとっての「親ガチャ」について。こちらはある種、子どもたちにとって「救い」になっているように思います。

 筆者はよく取材で、親に苦しめられてきた人に話を聞かせてもらいます。「虐待」としか言いようのない仕打ちを受けてきた人もいれば、借金やDV、精神疾患、逸脱行動などが見られる親から、深い傷を受けてきた人たちも、大勢います。

 この人たちは、しばしば自分を責めていることがあります。「親から愛されなかったのは自分のせい」と感じ、どれほど問題のある親でも「自分の親なんだから、愛さねば」と思い、でもその親を愛せない自分に罪悪感を抱き、苦しんでいることがあるのです。

 親から電話がかかってくるだけでも、しばらく寝込むほど具合が悪くなってしまう。着信拒否したいのに、それができない。

 周囲に借金を繰り返す親に、お金を渡し続けてしまう。「もうやめたい」と思いながらも、連絡が来ると、つい応えてしまう。

 きょうだいのなかで一人、親から虐げられることに深く傷ついている。でもそれを自分のせいだと思い、自傷を繰り返してしまう。

 そういった人に会うと筆者はいつも「いいよ、もう全然気にしなくて!」と、肩をゆさゆさしたくなります。そんな親のもとに生まれた、たどりついたのは偶然、たまたまであって、子どもには何の責任はないのだから、距離をとってもいいし、縁を切ってもいい。それで罪悪感を持つ必要など1ミリもないんだからと。

「親ガチャ」という言葉は、たった4文字でそれを伝えられます。この言葉に救われている人は、きっと多いでしょう。

子どもたちが強く感じていること



 他方で後者、「親の経済力など、家庭環境によって子どもの人生が決まる」という意味合いについて。これもやはり、あるよね、と思います。

 ひと昔前と比べ、最近は奨学金など修学支援の制度が充実し、世帯収入にかかわらず進学しやすくなった面はありますが、進学先や就職先にまで目を向けると、やはり「親ガチャ」で人生が決まる部分が大きいことを、子どもたちは強く感じているようです。

 以前取材したある学生さんは、誰もが知る一流大学に通っていましたが、それでも「周囲の大人がしかるべきタイミングで情報を与えてくれなければ、子どもはよりよい進学(東大)をあきらめなければならない」と語っていたことが印象的です。

 また別のある学生さんは、中学高校時代、特別支援学校に通っていました。ずっと「勉強をしたい」と願っていましたが、親にはなかなか理解されなかったそう。「もし、もう少しいい大学に入れていたら、今よりも自分に自信がもてていたかもしれないと思う」と話していたことも、忘れられません。


* * *


「親ガチャというが、子ガチャだってある」という声も見かけますが、それは話の次元が違います。子どもがこの世に生まれてくる原因は、間違いなく親にあります。自分の意思で生まれようと思って生まれてくる子どもなど、一人もいません。その意味で「親ガチャ」と「子ガチャ」を並列に語るのは的外れでしょう。

 「親ガチャといって親や家庭環境のせいにするな」という声もありますが、その言葉がまさに子どもたちを追い詰めてきました。もちろん、環境にかかわらず努力することは大切ですが、そんなことは子どもたちもわかり過ぎるほどわかって、努力を重ねているのです。

 「ガチャ」というゲーム用語を使うことへの批判もあるようですが、軽い言葉だからこそ、重い現実を広く伝えられる面もあるでしょう。

 耳が痛いと思う親もいるでしょうが、「子どもが苦しく感じるよりはマシ」と思ってはもらえないものでしょうか。

大塚玲子(おおつか・れいこ)

「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。

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「ヤラセなし」北野大が振り返る『クイズダービー』

2021年9月23日 06:00 週刊女性PRIME

北野大

「前任の篠沢(秀夫)先生も完璧には正解できなかったから、気は楽でしたね(笑)」

 そう振り返るのは、回答者の1人として出演していた北野大(まさる)。最高視聴率は40・8%。1976年から16年間にわたり放送されたクイズ番組『クイズダービー』(TBS系)。一般視聴者3チームが正解しそうな回答者を1人選び、持ち点を賭ける……という競馬の手法を取り入れた斬新なルールがウケ、一躍、国民的番組に。

「僕が受け持った1枠は男性の一発逆転枠で、僕の正解率は2割ぐらいでしたね。プロデューサーには“正解には個性が出ない。間違えるから個性が出るので、間違えても問題ありません”と言われていたし、本業の大学教授の仕事も忙しかったので、番組用に勉強することはなかったです」

 タレント活動も行う教授の先駆け的存在の北野大だが、テレビに出るきっかけはTBSのミスだったという。

「『サンデーモーニング』が始まる際に理系のコメンテーターを探していたそうなんです。番組で司会を務める関口宏さんが大橋巨泉さんに相談したところ、弟を通じて上の兄貴と面識があったことから、“(ビート)たけしの兄貴がいいと思う”と推薦したとか。でもTBSのスタッフは勘違いして、長男ではなく三男だった僕のところにオファーをしてきて……その経緯は後で知ったのですが(笑)。それで番組に出始めて間もなく、前任の篠沢教授がやめることになり、『クイズダービー』の話をいただいたので、不思議な縁ですよね」

ヤラセ疑惑もたびたび囁かれた


 本命担当のはらたいらさんや竹下景子の正解率の高さなどから、ヤラセ疑惑もたびたび浮上したが、こう否定する。

司会の大橋巨泉さんですら、その日出題されるクイズに目を通すのは本番直前。ダメ元で1度、スタッフに問題を教えてくれないか頼んでみましたが、相手にされませんでした(笑)

 ヤラセどころか回答者の会話を聞いて、直前に出題内容を変える徹底ぶりだった。

「本番前に回答者たちが雑談していた中に、その日のクイズに近い話題が出てきたことがあったそうで。そのときは、慌ててスタッフが出題内容を変えたと聞きました」

 そんな離れ技が可能だったのは、出題の方法が関係している。

「当時もそれなりに映像技術は発達していましたが、出題内容はアナウンサーが読み上げるだけ。テロップすら出ませんでしたから。それだけクイズの内容に自信があったんでしょう」

 のちに直木賞作家となる景山民夫を含め、5人のクイズ作家が1人毎週20問。計100問提出されたクイズの中から企画会議で厳選した7問が出題されていた。

「本当にいろんな角度から出題されるので、毎回感心していましたね。何よりクイズにウイットがありました。最近のクイズ番組は知識量を争う傾向が強いですが、個人的には楽しめないとダメだと思っていて。いまだに『クイズ―ダービー』を超える番組は出てきてないんじゃないかな」

 北野が出演した期間には、司会者が巨泉さんから徳光和夫にバトンタッチしているが、2人をこう絶賛する。

巨泉さんはズケズケとモノを言うイメージがあると思いますが、素人参加者には絶対に毒を吐かないんです。またおかしな回答をしたときは、回答に対してバカにすることはありましたが、回答者の人間性を否定することはしない。そういう絶妙な線引きがあったからこそ、エンターテイメントとして成立していたんだなと。徳光さんは反対に回答者を持ち上げることで、現場の雰囲気をよくするタイプでしたね」

 回答者でガッツ石松が出演した際の珍発言が、いまでも忘れないそう。

「僕のことを“おおのぺいさん”と呼ぶんです。なんでだろう? と思ったら、ネームプレートを逆から読んでいたらしく、“大野北”という名前だと勘違いしていて(笑)。そう間違えるか! と新鮮でしたね」

大学教授と並行して番組出演



『クイズダービー』出演後は別の番組からのオファーが増えたものの、あるルールを決めていたという。

テレビに出ることによって、本業が疎かになっているとは絶対に思われたくなかったので、大学の授業は絶対に休まなかったですね。テレビ出演や講演会の依頼は、事務所にもお願いして本業の仕事のない時間だけ入れてもらうようにしていました。番組内でも自分の専門分野のクイズだけは絶対に間違えないでおこうと、そこだけは頑張っていました」

 そして、笑いながら最後にこう答えた。

「今、番組に出たら当時より正解率はきっと低いでしょうね(笑)。年々、エンタメや世間の流行に疎(うと)くなっているので。でも、プロデューサーが話していたように全員が正解しても面白くはないし、改めて回答者それぞれの個性が光っていた絶妙なキャスティングだったなと思います」

北野大 '42年5月29日生まれ。東京都出身。秋草学園短期大学学長。ビートたけしの兄としても知られる。'87年『関口宏のサンデーモーニング』(TBS系)にコメンテーターとして出演したのを機に、タレント活動も行う

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cat_oa-shujoprime_issue_7365968294fd oa-shujoprime_0_bf41bebe4480_岩橋玄樹が山Pと赤西の「外国人パートナー」と合流 bf41bebe4480 bf41bebe4480 岩橋玄樹が山Pと赤西の「外国人パートナー」と合流 oa-shujoprime

岩橋玄樹が山Pと赤西の「外国人パートナー」と合流

2021年9月22日 21:00 週刊女性PRIME

4月1日に開設した元キンプリ岩橋玄樹のインスタ(@genki_iwahashi_17)

《僕は皆さんのためにある素敵な事をしています。でももう少しだけ時間がかかるので待っていてくださいね!》

 8月28日、King&Princeの元メンバー・岩橋玄樹がレコーディングスタジオのような部屋に座る写真をインスタグラムに投稿した。ファンの間では、“再スタート”に期待が高まっている。

山Pと赤西のビジネスパートナー「J」


「岩橋さんは‘18年5月にキンプリのメンバーとしてデビューしましたが、11月からパニック障害の治療のため活動休止に。復帰が期待されていましたが、今年3月にジャニーズ事務所を退所しました」(スポーツ紙記者)

 ジャニーズを辞めた後も、芸能活動は続けている。

「7月にオフィシャルサイトを開設し、8月にはファンクラブをオープンさせました。インスタグラムでは、年内にコンサートをやろうとしていることを明かすなど、今後はソロアーティストとしての活動が中心になりそうです」(同・スポーツ紙記者)

 新しい道を歩き始めた岩橋だが、すでに心強い味方がいるようだ。

「Jさんという外国人プロデューサーと一緒に仕事をしているんです。彼はもともと音楽制作やDJ活動をしていて、赤西仁さんや錦戸亮さん、山下智久さんなどと交流があります。

 ここ数年は赤西さんたちとはあまり仕事をしていないようですが、昨年カナダで行われた山下さんが出演した映画の撮影に同行するなど、山下さんと一緒に仕事をすることが多いようです。まさか岩橋さんとも繋がっているとは思わなかったので、驚きましたよ」(芸能プロ関係者)


J氏と知り合ったキッカケ


 実際、岩橋のインスタグラムには、J氏が撮影した写真が投稿されるなど、かなり親しい関係に見える。外国人プロデューサーと仕事をしているのは、岩橋に強い“海外志向”があるからだろう。

「昔からアメリカが好きで、よく1人でロサンゼルスに行っていました。また、ジャニーズ時代から、海外でソロアーティストとして活動する赤西さんに憧れていたんですよ」(同・芸能プロ関係者)

 山下のビジネスパートナーであるJ氏とはどのようにして知り合ったのだろうか。


「岩橋くんは外国人の友達が多く、プライベートでもよく一緒に遊んでいました。そうした友達の紹介で知り合ったようです。彼は日常会話程度の英語は話せるのですが、仕事に関する専門用語はわからないことが多いので、Jさんがフォローしているのでしょう」(岩橋の知人)

 岩橋の窓口にJ氏との関係について問い合わせたが、期日までに返答はなかった。

 ジャニーズ時代はあまり接点のなかった山下と岩橋の間に不思議な“つながり”が生まれた。2人が同じステージに立つ日も、そう遠くはない!?

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上級国民バッシング、行き過ぎた制裁が招く“悪循環”

2021年9月22日 18:00 週刊女性PRIME

実際に飯塚氏の自宅に送られてきた、嫌がらせの手紙

 2019年4月、東京・池袋で2人が死亡、9人が重軽傷を負った《池袋暴走事故》で、飯塚幸三氏を禁錮5年(求刑・禁錮7年)とした東京地裁判決が、17日に確定した。これまで裁判など何か動きがあるたびに波紋を呼び、ネットは炎上、飯塚氏の自宅にも嫌がらせや脅迫が続いた。そんな飯塚氏本人と家族を支援し、間近で彼らを見てきたNPO法人『World Open Heart』の理事長・阿部恭子さんは今、何を思うのか。勲章剥奪の行方にも注目が集まる中、飯塚氏が阿部さんに話したこととはーー。


* * *


 2021年9月2日、東京地方裁判所は自動車運転処罰法違反(過失致死傷)罪で起訴された飯塚幸三氏に禁固5年の実刑判決を言い渡した。

 そこから控訴の有無に注目が集まったが、控訴の期限だった16日前になると、筆者のもとにも「どうせ、控訴して収監されないよう長引かせるんだろ」「控訴してみろ!おまえもただじゃおかないからな!」といった脅迫電話がかかってくるようになった。

 そんな中、飯塚氏本人から「控訴しないことを決めた」との報告を受けたのは、15日午前の面会時。刑の執行停止の申し立てが可能ではあるが、「当然、収監を受け入れます。申し立てはしません」ときっぱり否定した。「裁判所の決定に従い、罪を償っていきたい」という。そして17日、実刑判決が確定した。

 この報道を受けて、脅迫電話をかけた人から「さっきはついカッとなって申し訳なかった」という謝罪の電話を受けることもあった。

“勲章”について本人は


 高齢化社会の影響は刑務所にも及んでおり、受刑者の高齢化が進む昨今、90歳といえども収監される可能性は高い。飯塚氏は厳しい刑務所生活を覚悟しており、筆者は受刑生活を送る上での注意事項や受刑者としての権利、家族との面会方法等についての助言を行った。

 事件直後から家族の支援を行ってきたが、飯塚氏本人と面会したのは公判が終盤に差しかかった5月ごろである。

 事故により、飯塚氏と同乗していた妻もケガを負い、しばらく入院することになった。逃亡や証拠隠滅のおそれはないことから、身体拘束は不要と考えるのは当然と思われたが、本人の経歴が判明した途端、元官僚であることを理由に逮捕を免れたのではという「上級国民バッシング」がインターネットで過熱していった。

 当時、安倍政権下において、ジャーナリスト志望の女性が元TBS記者から性的暴行を受けたとされる事件で、逮捕状が発行されたにも関わらず逮捕が中止されるなど、国家権力への不信が高まっていた。息子は安倍首相の政策秘書だという誤報も流れ、何が何でも安倍政権下の不祥事とこじつける論調も見られた。

 飯塚氏は2015年に瑞宝重光章を受勲しており、実刑判決によって勲章が剥奪されるのかということにも注目が集まっているようだが、本人は「この期に及んでそのようなことは気にしておりません」と全く気にしている様子はない。

無防備な実像


 昨年10月から裁判が始まり、筆者は親族の代わりに刑事裁判すべてを傍聴したが、家族は裁判に関与していないことから、刑事事件の弁護人、民事事件の代理人双方とも面識はない。

 初公判、飯塚氏は罪状認否で過失を否定した。無罪を主張し、争う姿勢を示しているにもかかわらず、弁護人は刑事事件を手掛けてきた様子はなく、あまりに頼りない印象だった。これだけ世間の耳目を集めている重大事件ならば、弁護団が組織され、報道対応も含めて裁判に臨む姿勢を見せてもおかしくはないはずだが、「上級国民」と呼ばれる飯塚氏の実態は実に無防備だと感じた。

 これまでも、不祥事を起こした現役官僚や医師、弁護士の家族からも多々、相談を受けてきたが、皆、エリートではあるものの、突然の事件・事故にどう対応すればよいかわからず藁をもすがる思いで相談に訪れる「普通の市民」である。

 黒いものを白くできるような力があるならば、我々のような弱小NPOに相談などしない。車を持つ余裕がない人も増えている格差社会において、一定の社会的地位を有し安定した給料を得ているだけで、もはや「上級国民」なのかもしれないが、飯塚氏の実像もまた「普通の市民」であり、名誉や権力にしがみつくような人物ではない。

行き過ぎた制裁の悪循環


 飯塚氏の自宅には、家を爆破すると書かれた紙が投げ込まれたり、脅迫状も届いていた。街宣車やYouTuberによる過激な抗議活動に加え、頼んでもいない資料が何十冊も届くといった「送り付け」等の無意味な迷惑行為に悩まされていた。

 本判決は、「被告人に有利に考慮すべき事情」として、「適正額の損害賠償がなされると見込まれること」「運転免許の取り消し処分を受けていること」「高齢で体調が万全でないこと」が認められるとしたうえで、弁護人が主張した脅迫状や自宅付近での街宣活動などの苛烈な社会的制裁について、事故の重大さや社会的影響に鑑みれば社会的非難はやむを得ない面があるとしつつも、考慮すべき事情として認定した。

 公判中、傍聴人の女性が飯塚氏に向かって「人殺し!人殺し!」と暴言を吐く場面もあった。法廷の中でさえこのような行為が行われたのだ。

 弁護人の主張を待たずとも、裁判所は社会的制裁について無視できなかったであろう。こうした一連の行き過ぎた制裁は、結果的に飯塚氏本人に情状酌量の余地を与えたのである。厳正な処罰を望むならば、余計なことはしないほうがよい。

 世間の関心は上級国民の収監であり、事件の幕引きを図るかもしれないが、多くの重大事件で真相が明らかになるのはむしろ判決確定後である。裁判では公にされなかった事実も多々あるはずだ。再発防止の教訓を導くため、関わり続けていくつもりである。

阿部恭子(あべ・きょうこ)

 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。

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“独立ブーム”の流れか、土屋太鳳が会社を立ち上げていた

2021年9月22日 17:00 週刊女性PRIME

土屋太鳳

《この男が書いた小説(ウソ)を見破れるか》

公式サイト上の意味深なキャッチとともに、話題を集めている映画『鳩の撃退法』。劇中で、主人公に翻弄される編集者役を演じているのが、土屋太鳳だ。

「元直木賞作家の主人公が、自分の周りで起きた不思議な出来事を小説として描く物語。天才小説家の主人公を藤原竜也さんが演じ、土屋さんのほかにも風間俊介さんや西野七瀬さん、豊川悦司さんなどの豪華キャストが脇を固めています」(スポーツ紙記者)

 土屋は、2015年のNHK連続テレビ小説『まれ』でヒロインを務めて以降、多くの話題作に出演している。女優として日に日に存在感が増しているが、最近新しい挑戦を始めたという。

「自分の会社を立ち上げたんですよ。昨年5月に作ったので、まだ社長になって1年ほどですが、時間を見つけては会社経営や経理の本を買って勉強しています」(テレビ局関係者)

 昨今は、大手の事務所に所属していたタレントが退社して、個人事務所で活動を始めるなど“独立ブーム”が起きている。土屋が会社を立ち上げたのも独立の布石かと思いきや、そういうわけではないようだ。

「自分の事務所の後輩が、大学の勉強と仕事を両立できるように何か力になりたいと思って始めたんです。もちろん、事務所にもきちんと報告していますよ」(同・テレビ局関係者)

 土屋が代表取締役を務める会社の登記を見ると、主な事業内容にはこのような記載が。

《演劇、音楽、映画、テレビ番組等エンターテインメントへの芸能の提供、企画及び運営》
《日本と海外との間での芸能人の交流、契約サポート及び演芸の興行》


 “芸能人の契約のサポート”が明記されているところからすると、事務所の後輩の手助けをすることも、目的の1つのようだ。

4年留年してようやく大学卒業した


 ドラマや映画など、長期間拘束される仕事をいくつも抱えながら、単位を落とさずに4年間で大学を卒業するのは簡単なことではない。土屋自身、そのことを痛いほど実感している。

「土屋さんは、2013年に日本女子体育大学に入学。ただ、入学してすぐに“売れっ子”になってしまったため、4年留年した末、今年3月にようやく卒業することができました。そんな苦労もあってか、周囲には“もっと大学と仕事が両立できる環境を作りたかった”と話しているといいます」(芸能プロ関係者)

 土屋と同じ事務所に所属する二階堂ふみも2014年に慶應義塾大学に入学したが、昨年一部のメディアで、留年していて“大学7年生”であることが報じられている。やはり、人気女優が仕事と学業を両立させるのは難しいのだろう。

 ただ、“新会社”ができたことで、こんな期待も。

土屋さんが事務所のスタッフと後輩の間に入って、後輩の意見を事務所の上層部に伝えることはできるでしょう。まだ若いタレントだと、自分の意見をハッキリと会社に言いにくい。その点、女優としてキャリアのある土屋さんなら発言力も大きいでしょうからね」(同・芸能プロ関係者)

 これまでの苦い経験も、存分に生かすことができる。

「例えば、“この時期は大学のレポートの提出や試験期間と重なるから、あまり仕事は入れないほうがいい”“逆に、この期間は時間に余裕があるから集中して仕事ができる”というような、大学生目線の提案ができると思います。彼らに寄り添ったスケジュールを立てることができれば、たとえ売れっ子であっても仕事と学業の両立が可能になるのでは」(同・芸能プロ関係者)

 土屋社長の下でノウハウを学べば、成功間違いなし!?

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